幕間 その1 ハーベルハイト視点
トーリノ関門を陥落させて、快進撃を続けるロンブーツ教国軍。
その総司令官たる『ハーベルハイト』は二万の兵力を率いて、ラクトパスの街にいよいよ迫っていた。
******
「燃やせぇ~! 燃やせぇ~! 者共ぉ~!
邪魔なぁ~! 敵をぉ~! 蹴散らぁ~せ! 全てぇ! 燃やし尽くぅ~して! 聖地ぃ~を取り戻せ!」
森の中の街道を進軍する足並みに合わせて、兵士達が声高らかに歌う。
時折、その合いの手に拳を一斉に振り上げ、士気は限りなく高まっていた。
それは何時、誰が作り、広めたのかは解らないが、我が国の民なら誰もが知っている歌。
その歌詞で解る通り、炎を題材としたものであり、炎は我が国の国教となっている『火の教会』のシンボルでもある。
我が国、ロンブーツ教国の冬はとても厳しい。
北方の山脈地帯など、一年の半分以上が雪に覆われており、厚着を重ねた上に強い火酒を飲まなければ、隣の家に出かけるのさえも辛い。
特に真冬の最中は家の中でも安心は出来ない。毎年、凍死者が必ず出るほどに冷え込む。
それ為にだろう。我が国では暖を取る炎が自然と敬われた。
その一方で他の教えは次第に駆逐されてゆき、この大陸に根付く七大教会の内の一つである炎と戦いを司る女神を奉る『火の教会』が国教となった。
今や、国民の全てが『火の教会』の祝福を受けていると言っても過言で無い。
やはりと言うべきか、それほどまでに影響力が及ぶと、『火の教会』は国政にも影響力を及ぼす様になり、我が国が『ロンブーツ王国』から『ロンブーツ教国』と名を変えたのは私の祖父の祖父の時代だったと聞いている。
最早、今では王家ですら、火の教会に頭が上がらない。
この由々しき事態に私を含めた貴族の中には火の教会に対抗しようという者も居るが、そう言った者ほど国政から遠ざけられる。
こうして、私の様に戦場へと送られて、時には味方の刃にすら注意しなければならない。
しかも、炎と戦いを司るだけあって、我らが女神はよっぽど戦いが好きらしい。
この約三十年の間、火の教会の頂点である教皇が新年の始めに賜る女神からの啓示は『聖地を取り戻せ』の一点張り。
それに国王は諾々と従い、今回のインランド王国侵攻に名付けられた作戦名は、第四十七次聖地奪還運動。
即ち、毎年一回。多い時は二回、インランド王国に対して、大規模侵攻を行っており、それが今回で四十七回目という意味になる。
我が国は国土は広いが、肥えた土地が少なく、その食料生産量はお世辞にも高いとは言えない。
当然、とうの昔に国庫は火の車。膨大な軍事費を捻出する為、平民の暮らしは厳しくなってゆくばかり。
今や、老人は家の食い扶持を減らすのに自ら死を選び、親は一冬を凌ぐ金を得るが為、子を売るのが当たり前の風潮となっている。
それが田舎の寒村だけではなく、その兆候が王都ですら現れ始めていると言うのだから世も末と言うしかない。
ちなみに、『聖地』とはインランド王国王都を意味する。
では、何を根拠として、その地を『聖地』と定めているのかと言えば、火の教会は総本山をインランド王国王都に元々置いていた為である。
もっとも、それはインランド王国がこの大陸に生まれてもいなかった遠い古の話。
当時、七大教会はまだ七つに分かれておらず、七神を全て奉る一つの教会として、その後にインランド王国王都となる地を中心に教会の教えを人々に広めていた。
しかし、七大教会のそれぞれの教えを紐解くと解るが、神によって、その教えは微妙に違う。
特に我らが炎と戦いを司る女神とその妹である水と生命を司る女神は犬猿の仲と言え、前者は『欲しいモノは戦って勝ち取れ』と仰り、後者は『憎しみしか生まぬ争いは止めよ』と仰っている。
当然、それは派閥を生む結果となり、宗派へと形を変え、やがては争いになった。
その後、インランド王国王都となる地に最後まで残ったのは、光と知恵を司る神を奉る『光の教会』であり、他の六つの教会は新天地を求めて旅立った。
つまり、我が国がインランド王国に戦争を仕掛ける目的は完全に宗教的な争いでしかない。
一応、インランド王国の豊かな地を手に入れるという名目もあるが、占領した村や街を『浄化』の名目に焼き払うと協会側は言うのだから意味が無い。
それでは数多の命を犠牲にして得た地を支配下に置いたとしても、その村や街の住民達に恨みを買うばかりか、復興にどれだけの費用がかかるのやら。
今回、作戦が見事に功を奏して、九年ぶりに適ったインランド王国領内への侵攻。
村を陥落させる度、同行する教会の異端審問官殿は『浄化だ! 浄化だ!』と喚き散らし、それを黙らせるのにどれだけ下げたくない頭を下げた事か。
その懐に渡した金の額は既に騎士十人分の年金を越えているし、落とした村々の若い女の中から最も器量好しをそれぞれ一人づつ、四人の女に涙を飲んで貰っている。
「燃やせぇ~! 燃やせぇ~! 者共ぉ~!
異端のぉ~! 街をぉ~! 燃やぁ~せ! それはぁ! 再生のぉ~印ぃ! 炎ぉ~で埋め尽くせ!」
だから、この歌を私は嫌っている。
聞いているだけで聖職者とは思えない異端審問官殿のゲス顔を思い出して、気が滅入ってくる。
「どうします? 止めさせますか?」
「いや、士気を高めるのに役立っているんだ。わざわざ、止める必要は有るまい」
その感情が表に出てしまったのか、隣を行く副官が馬を寄せて尋ねてくる。
思わず苦笑を漏らしながら首を左右に振る。
前回、この道を通ったのはいつだったか。
十五年以上も前、二十代後半だったと記憶しているが、街道の先にある山に見覚えを感じる。
それは詰まるところ、ラクトパスの街が目の前まで近づいてきた証拠。
だったら、インランド王国側の出方もあるが、戦いを控えて、士気が高いのは大いに喜ばしい。自分一人が我慢すれば良い。
「むっ!?」
すると長い長い戦列の果て、その流れを遡り、騎馬が街道の脇を駆けてくるのが見えた。
どうやら思っていた以上にラクトパスの街は近かったらしい。その背に翻る旗差物は先遣隊を表すもの。
今朝の出発時、インランド王国軍と接触するか、森を抜けて、ラクトパスの街手前の丘に達したら連絡を寄こせと先遣隊には命じておいた。
馬を走らせる姿に慌てた様子が無いところを見る限り、インランド王国軍は籠城戦前の前哨戦を行わずに引き籠もったのか。
「申し上げます! 我ら先遣隊、森を抜け、所定の位置に到着! 尚、敵軍の姿は城外に見当たりません!」
残念ながら、その予想は当たった。
伝令官からの報告を受け、思わず副官と顔を見合わせると、お互いに言葉を出さずに『面倒になった』と顔を顰め合う。
私の記憶によると、ラクトパスの街の城壁はさほど高くない。
相手より十分に勝る兵力を有していれば、それほどの苦労はしないだろう。
しかし、トーリノ関門を落として、もう十日が経過している。
ここまでの道中、腕試しの様な少兵による襲撃が二回あったと言う事は、援軍が既に到着しているに違いない。
それを踏まえた司令部の見立てでは、ラクトパスの兵力は一万人強。
インランド王国王都よりの援軍が到着して、本格的な反攻戦が始まるのは約三週間後と見ている。
即ち、最低でも三週間以内にラクトパスを落とす事が出来なければ、我々は撤退を強いられる。
それも可能な限り、消耗を抑えてだ。トーリノ関門を落とした時点で援軍を要請してはあるが、我が国にそれほどの余裕は残念ながら有らず、まず来ないだろう。
しかし、ラクトパスの街を落としさえすれば、その事情も変わってくる。
この周辺一帯の盆地を確実な支配下と置く為、多少の無理をしてでも援軍を送ってくる筈だ。
だが、どう足掻いたとしても、インランド王国軍の本格的な反攻戦に間に合わない。
だから、ラクトパスの街を落とした後は攻守を転じて、今度はこちらが籠城戦を行う必要がある。
その後、本国からの援軍が到着するまで籠城を維持するか、インランド王国軍が諦めて撤退するかして、我々は初めて勝利となる。
実に厳しい勝利条件と言うしかない。
それだけに士気がせっかく高いのだから、敵の数を野戦で少しでも減らしておきたかったのが、私と副官を含めた今回の第四十七次聖地奪還運動に関わる作戦司令部全員の本音だった。
「ただ、その……。何と言うか……。」
「どうした? はっきりとせんか?」
思わず落胆に溜息を漏らしそうになった矢先、威勢の良かった伝令官の声が唐突に濁る。
まだ続きがあるのだろうかと視線を向けるが、伝令官は口の中でモゴモゴと呟くだけではっきりしない態度。
その態度に苛立ち、副官が怒鳴りこそはしなかったが、不機嫌さを滲ませた腹に力を入れた声で続きを促す。
「いや……。それが我々ではどう判断したら良いのか。とにかく、一緒に来て頂けませんか?」
だが、伝令官は身体をビクッと竦めながらも言葉を濁したまま。
挙げ句の果て、伝令官としての存在意義を自ら失う様な事を言い始め、副官と共に怪訝顔となりながら三度目の顔を見合わせた。
******
「……なるほどな」
ラクトパスの街までの距離は約三キロ。
やや俯瞰が出来る丘から街の様子を望遠鏡で覗き、先ほど伝令官が言っていた意味を理解する。
街は城壁に囲まれており、その出入口は三箇所。
街道と繋がる北門と南門、街の農耕地と繋がる西門である。東側はまだ開発が進んでおらず、手付かずの森が山裾まで広がっている。
その内の北と西、この丘から見える二つの門は堂々と開け放たれていた。
しかも、その城門は水が打たれて清められており、それはまるで王族を迎えるかの様だった。
おまけに、インランド王国軍の兵士の姿が城壁の上に一兵たりとも見当たらない。
それどころか、街が誰のモノかを主張する国旗も、誰が守っているかを示す軍旗も城壁の上に一本も立っていない。
先ほど先遣隊の者達数人が約一キロほど手前まで迫ってみたが、街からのリアクションは全く起こらず、城門から見える街の中は無人であったらしい。
実際、この丘から街の隅々まで望遠鏡で観察してみたが、人の気配や動きがまるで感じられない。
もしや、これは住民を率いての全面撤退を行ったのだろうか。
街を堂々と占領したいところだが、ある一点の異常。ソレが心に大きな迷いを生じさせていた。
「こ、これはっ!?」
暫くして、差し出した望遠鏡を受け取り、街の様子を覗いていた副官もソレに気付いたらしい。
驚きのあまり望遠鏡を下ろして、見開ききった目をパチパチと瞬き。すぐに望遠鏡を覗き直して、口をポカーンと開け放った。
北門から左に三つ目、西門から右に三つ目。
要するに城壁の北西に位置する城壁塔頂上の見晴台。その場所にたった一人、男が居るのだが、ソレは見るからに怪奇で不気味だった。
恐らく、そのリアルさから考えて本物の剥製。
顔をすっぽりと覆い隠した長くて立派な巻き角をした黒い牡山羊の仮面。
右手には小剣を、左手には手斧を持ち、上半身は裸。
やや細身ながらも鍛え抜かれた肉質が見て取れ、その首にニンニクらしきモノを幾つも連ねた首飾りをぶら下げている。
周囲を黙らせて静かにさせると、微かに聞こえてくる何やら奇怪な叫び声。
ただ適当な言葉を列べているのかと思いきや、暫く聞いていると、明らかに言語と思しき規則性がある。
強いて例えるなら、まるで魔術師達が使う呪文の様でありながら、獣の言葉。それに合わせて、やはり規則性を感じる見た事の無い不思議な舞いを見晴台所狭しと踊る。
その度、下半身に纏う娼婦が履く様なラメが入った数枚のシースルー生地が重ねられた紫色のスカートが軽やかにフワリ、フワリと舞い、毒花が咲いた様に広がる。
時折、男は見晴台の中央の台座に置かれた牛を太鼓を叩く様に雄叫びをあげながら小剣と手斧でめった打ち。
その飛び散る血飛沫に床は赤く染まり、男もまた赤く、赤く染まってゆく。
『邪教の儀式』、そんな言葉が頭に浮かぶ。
それは子供の頃、両親から『言う事を聞かない悪い子は……。』の枕詞の後、躾の一環として何度も聞かされた脅し文句のお伽噺。
七大教会が教典に共通して記している天地創造において、この地上を創造したのは偉大なる七神だが、それ以前に在った神は八神とされている。
しかし、その名前を口に出す事も、文字として記す事も憚れるとされる第八の神はあまりにも邪悪だった為、偉大なる七神との戦いに敗れた後、遠い遠い南の永久凍土の海の底に封じられたとされている。
ところが、邪神の代名詞で呼ばれる第八の神は諦めなかった。
気が遠くなる様な長い長い永遠の時を経た今も偉大なる七神に強い恨みを持っており、この地上に復活しようと常に企み、邪な心を持つ者達の心を支配して取り入り、その信仰心を集めて、己を復活させる儀式を行っており、その際に邪神が何よりも好むのが、新鮮で活きの良いまだ脈打つ幼い子供の心臓だと言われている。
もっとも、その儀式の現場を実際に見た者は一人も居ない。
たまに見たという話は聞くが、その全ては『俺のおじさんの知り合いが……。』と間に数人を挟んだ股聞きばかり。
だから、大抵の者は大人となる過程で一度は単なるお伽噺だと笑い飛ばすのだが、大人達の次の言葉で押し黙り、この大陸の歴史を恐怖と共に学ぶ。
『そうか……。魔王を知らないんだね?』
『魔王』、それはこの地上に破壊と殺戮の嵐を巻き起こす絶対の暴君。
高い徳と長い修行を積んだ神官にしか聞こえない神の声とは違い、魔王は実際に我々の先祖達がこの目で確かに見た存在。
ヒトの長い歴史の中で過去に三度、その姿を現しており、それこそが地上に蘇った邪神の身体の一部。爪の欠片だと言われている。
そして、魔王が実際の存在だったと知る確かな証拠こそが、魔王が没した年を基準にした大陸共通の年号である。
その誰もが物心付いた頃から知っている当たり前の『時』を知る事によって、我々は改めて恐怖もまた知り、やがては両親から聞かされたお伽噺を自分の子供に伝えてゆく。
「う゛っ……。」
不意に副官が右手を口にあてがい、その場に慌てて蹲る。
その姿を見下ろして、口を固く結びながら鼻からの溜息をゆっくりと吐き出す。
望遠鏡の向こう側に見える禍々しさに当てられたのだろう。
見晴台の上で男が行っているソレは、子供の頃に散々聞かされた『邪教の儀式』を正に彷彿させるもの。
私自身、先ほどから鳥肌が立ち、冷や汗が止まらない。
「失礼しました。……この後、どうなさいますか?」
数拍の間を空けて、副官は口元を腕で拭いながら立ち上がると、青ざめた表情を向けて問いてきた。
その答えは問われるまでもなく既に決まっていた。
なにしろ、邪教の儀式である。
嘗て、魔王は天空に輝く星を呼び寄せて、都市を一瞬で破壊したと言う。
まさか、そんな事は起きないだろうが、相手が相手。何が起こるかなど見当も付かない。
あとで攻城戦の為に引き連れてきている魔術師達を集めて、その所見を聞くとして、この時点で街を攻めるのは有り得ない。
しかし、ラクトパスの街は無防備にしか見えない。
それに加えて、我が軍の兵士達の士気は高く、その進軍を止めるには周囲を納得させるだけの理由が必要だった。
だが、あの邪教の儀式を誰も彼もに見せられない。
あれさえ見れば、進軍を止める理由を一発で理解するだろうが、その剛胆さに一目を置く副官ですら、この有り様である。
せっかく高まっている兵士達の士気はだだ下がりとなるのは間違いない。下手したら、剣や槍を一合も交えずに逃げ出してしまう弱兵と化す危険性すら有る。
不幸中の幸いは望遠鏡がとても高価な品である為、私と先遣隊隊長の二人しか持っていないという事に尽きる。
この場所と見張り台は距離が離れすぎており、望遠鏡を使わない限り、あの儀式はまず見えない。その逆に見張り台へ近づいたとしても、今度は見張り台の高さが儀式の様子を隠してくれる。
先遣隊の者達には箝口令を既に敷いており、邪教の儀式に関しては他に漏れる事はないだろう。
万が一、教会の異端審問官殿に邪教の儀式を知られでもしたら、街を『浄化』する口実を与えてしまい、街を占領後に燃やしかねない。
「んっ!? ……そうか、そう言う事か!
それに気付かず……。わぁ~っはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
どうしたものかと腕を組み、空を見上げた時、それをふと見つけた。
その途端、頭を色々と悩ませていた自分が馬鹿らしくなり、喉の奥が見えるほどの馬鹿笑いをあげる。
「……ハ、ハーベルハイト様?」
副官が目をパチパチと瞬きさせて、茫然と見開いた目を向ける。
周囲に居る先遣隊の者達も同様。もしかしたら、邪教の儀式を目の当たりにして、気が触れたかと考えているのかも知れない。
「ふっ……。見よ! あの鳥達を!」
そんな視線に応えて鼻で笑い、南東の空を右の人差し指で勢い良く指さす。
その注目の先を変えたラクトパスの街の上空には、スズメと思しき小鳥が数十羽の集団を作って飛んでいた。
「夕方まで時間はまだ一刻ほど有るが……。
何故、街に下りない! 何故、街の側の森に下りない! 何故、街をわざわざ通り越して、山側の森に飛ぶ!」
「あっ!?」
天敵が多いスズメにとって、ヒトが住む街は格好の住処。
その上、ラクトパスの街の西は森が切り拓かれて、餌場となる農耕地が広がっており、これほど住み良い場所は無い。
事実、私が見つけた時、スズメ達の集団は麦畑から飛び立ち、街へと真っ直ぐに向かっていた。
ところが、スズメ達は街の上空を暫く彷徨って、今は街を通り過ぎてさえいる。それが意味するところは何か。
どうやら、副官を含めた何人かが答えに気付いたらしい。
こちらに見開いた目を戻して、その表情を輝かせている。
「インランド軍の浅はかな考えは読めた!
城門を開けて、無人の街に見えるが、その実は伏兵を潜ませており、我が軍が街に入ったところを襲撃!
その後、東の森にも伏せている騎兵で我が軍を横切り、分断! 西門まで駆け抜けて、そのまま街に入る!
そして、見張り台のアレは儀式を装った単なる虚仮威し! 伏兵を悟らせぬ為、注目を集めて惑わせる罠に違いない!」
そう、ヒトが街に居る証拠に他ならない。
それも気配に敏感なスズメ達が怯えてしまう鉄を帯びた殺気立つ兵士達がである。
その謎が解けると、解答がすらすらと出てきたが、やはり儀式めいた奇行に一抹の不安が残った。
それが罠を噛み破って攻める事よりも無難な安全策を選ぶ大きな一因となった。
「ならば、敵の思惑に乗る必要も無ければ、焦る必要も無い!
そして、逆に言えば、敵は待ち構えているのだから攻めては来られない!
だったら、今こそが陣を立てる好機! 今日は陣の構築を急がせて、ラクトパス攻めは明日からとする!」
ついでに言うのなら、もう一つだけ解った事がある。それは兵法を知る大胆不敵な者がインランド軍に存在すると言う事だ。
もしかしたら、明日からの戦いは楽が出来そうにないかも知れない。そう考えて、戦意を燃やすと共に気を引き締めた。
******
その後、ロンブーツ教国軍が陣地を構築し始めると、見張り台の男は踊りを止める。
そして、ラクトパスの街の城門も固く閉じられ、城壁には数多の旗が立てられて風に靡く姿を見て、ハーベルハイトは『やはり』と鼻で笑った。
ところが、その日の深夜。ロンブーツ教国軍は手痛すぎる夜襲を受ける。
ラクトパス防衛隊より選びに選び抜かれた精鋭中の精鋭。百人の決死隊が街の東にある森から森を渡り、大きく迂回。ロンブーツ教国軍の背後に出た後、火を放った。
それはラクトパスの街の背後にある山から吹き下ろす南風と街道を抜けてくる北風に煽られて、小さな火は瞬く間に天を焦がすほどの炎へと成長して、ロンブーツ教国軍が携えていた兵糧の半分以上を燃やす結果を生む。
しかし、それはロンブーツ教国軍にとって、その後に長く続く苦難の始まりに過ぎなかった。