第01話 暗雲が立ち込める前途
「あれが『ラクトパス』の街か」
山をぐるりと迂回して、平坦な道を十日間で行くか、山を登って、きつい峠道を二日間で行くか。
決して急いでいる旅では無いが、金が入った革袋の中身は有限。雪が積もる冬なら話は別として、後者を選ぶのは当然の選択である。
昨夜は旅人達の為に建てられただろう街道横に建っていた無人の山小屋で一泊。
朝日が昇ると共に出発して、一刻半ほど。ようやく峠を越え、細長い盆地が眼下に地平まで広がった。
その開発があまり進んでおらず、七割が森の深緑色に染まる盆地の中、やはり真っ先に目が行くのは峠道の麓にある『ラクトパス』の街。
道中、立ち寄った村での話によると、この盆地の先にある国境を守る『トーリノ関門』の後方基地として栄えており、多くの商人や出稼ぎ者で集まる賑やかな街らしい。
ついでに『トーリノ関門』を任地とする兵士達の保養地にもなっていて、数多の娼館が建ち並び、綺麗なお姉さんも一杯いるとか。
今夜は『ラクトパス』の街で一泊を予定している。
たまには頑張っている自分にご褒美をあげたってバチは当たらないのではなかろうか、そう考えた矢先だった。
「ここまで来たら、目的の『トーリノ関門』まで一週間から十日と言ったところ。もう一踏ん張りですね」
そんな俺の緩んだ気を引き締める厳しいお言葉が背後からかかる。
荷物を背負った二頭の馬を引く彼の名前は『ネーハイム』、俺の副官となった従士である。
年齢は三十五歳。黒目、黒髪のオールバックに短い尻尾付き。
中肉中背ではあるが、その身体は無駄なく鍛え抜かれており、左のこめかみに残る大きな斬り傷の痕が特徴的な人物であり、その印象に違わず、数多の戦場経験を持っている。
では、その歴戦の猛者が何故に俺の様な若僧に従っているかと言うと、話は半年前に遡る。
そう、季節が秋になったのに伴い、おっさんの領内の収穫物を検分する為、サビーネさんと共に領内視察の旅をしていた時に遭った盗賊襲撃事件こそ、そもそもの事の始まり。
結論から言ってしまえば、あの盗賊襲撃事件はおっさんが仕組んだ茶番劇だった。
しかも、俺以外には前日に知らされ、それが茶番劇だと知らなかったのは俺一人のみ。
たった一人、俺は命懸けとなって戦っていたのだから滑稽と言うしかない。
だったら、おっさんが茶番劇を仕組んだ理由は何なのか。
それは俺を騎士にする為、それもインランド国王直臣の騎士にする為であった。
しかし、俺は平民から奴隷となった挙げ句、逃亡した住所不定者。
どれほど功績を挙げようが、椅子の数がほぼ決まっている直臣になるのは困難以前に不可能と言え、俺との旅の道中、その手段をおっさんはずっと模索して悩んでいたらしい。
その結果、考え抜いた末に至ったのが、直臣との養子縁組。
但し、只の養子縁組では無い。俺が直臣の血を繋がっていると詐称した上での養子縁組である。
貴族にとって、血統を残すのは最大の義務であるが、その義務を必要以上に頑張ってしまう貴族は割と多い。
即ち、本妻以外との間に子供を設けるのを意味するのだが、この子供を庶子と呼び、おっさんは俺をこの庶子として、直臣貴族の誰かと養子縁組する事を企んだ。
おっさん曰く、嫡子と庶子を比べたら、嫡子の方が格は断然に上だが、平民がただ養子となるよりは断然に良い。今後の出世などに大きく影響するのだとか。
それ以上に言えるのが、嫡子も、庶子も国の貴族院の名簿に正式な直臣として記載されるが、平民の場合は記載されないのが非常に大きいらしい。
だが、この企みには二つの問題がある。
一つは、本妻以外との間に子供を設けるとは詰まるところ、浮気に他ならず、それに対する後ろめたさは平民も、貴族も変わらない。
もし、歓迎されるとしたら、それは側室を堂々と持てる王族くらいだが、その王族とて、年齢が成人に至れば、財産や特権などが相続に絡んでくる為、お家騒動の問題となりかねず、庶子という存在は大抵が隠される。
もう一つは、直臣と言えども、相手が爵位を持たない下級の貴族では意味が無い。
それも国や王家に影響を持っている貴族でなければ、庶子が直臣に叙せられる可能性は極めて低い。
裏を返すと、前提条件として、女性遍歴の多さで有名。突然、庶子を名乗る者が現れても、あいつなら仕方がないと苦笑で済まされる様な国の重鎮。
おまけに、この企みに加担してくれ、真実を誰にも明かさず、墓まで持っていってくれるのが追加条件となる。
無論、これを聞いた時、そんな都合の良い奴が居るかとおっさんに怒鳴った。
ところが、ところがである。この条件にピタリと合致する人物が信じられない事に存在した。
それこそ、俺が盗賊団のボスと勘違いした初老の男。
名前を『ハイレディン・デ・ミディルリ・レスボス』と言い、家督を譲って隠居の身だが、元侯爵。
経歴も軍人の臣位としては最高位とも言える国王直轄の中央軍総司令代理を過去に務めている。
おっさんとは同い年で互いに子供の頃から武芸のライバルとして競い合ってきた仲、腐れ縁らしい。あの化け物じみた強さの理由がそれだった。
また、条件と合致するので解る通り、俺が戦っている最中に感じた直感『リア充、死ね』は正しかった。
その高い武名に並び、若い頃から女好きと有名で六十歳を越えた今ですらバリバリの現役。俺と同い年の娘を妾に持ち、傍に置いている。
当然、子供の数は多い。
その数、なんと十六人。上は四十代から下は一桁の八歳まで幅広く、既に亡くなっている本妻との間に二人、それ以外の女性との間に十四人の子供が居る。
但し、その全てが女性である。
本妻との間に男は産まれず、レスボス家は本妻の長女が継いでいる。
なら、妾との間に男が産まれなかったのかと言えば、それは違う。
母親の名前がハイレディンの愛した女性の名前であり、その母親を愛した期間と自分の子と名乗る人物の年齢が合致。関係を絶った際、渡した証拠の品を所持している。
その三つの条件が揃ったら、女の場合はあっさりと認知するが、男の場合はここに『強くなければ、俺の子では無い』と言う条件が加えられる。
つまり、ハイレディンと戦い、彼を満足させるという恐ろしく高いハードルを越えない限り、男は庶子として認知されない。
もっとも、ハイレディンと戦う条件として、前記の三つの条件も必要となる為、お帰りの際は残念賞として結構な額の餞別金が渡されるらしい。
あまりにも酷い男女差別。
だが、これが結果として、お家騒動を防いだとおっさんは言う。
『サビーネの例で解る通り、我が国は女の家督相続を認めている。
しかし、実際はやはり長男が家督を相続するのが一般的だ。余程の事が無い限り、長女の家督相続はまず無い。
だから、ハイレディンは本妻を若く亡くした後、レスボス家は長女が継ぐと決めて、妾は設けても、後妻は設けなかった。
だが、庶子とは言え、自分の血を引く男子が現れれば、大きな問題になるのは目に見えている。
……とは言え、あいつも武人だ。試してみたくなったのだろう。自分の子と名乗る者がどれほどの技量を持っているのかを……。
逆に言えば、あいつが認めるほどの腕の持ち主なら誰もがレスボス家の後継者として認める。今、家督を持っているあいつの娘ですらな』
最早、これでお解りだろう。
おっさんが仕組んだ茶番劇。悪巧みを承知する条件の大元がこれだったのである。
こうして、そのお眼鏡に適い、俺はハイレディンの庶子となった。
その後、バカルディの城に戻らず、サビーネさんと別れて、おっさんと共に王都へ上がり、十六人も居る姉妹に囲まれながら貴族としての教育を受けた後、今年の春にあった貴族達の成人式とも言える騎士叙任式にて、インランド国王より騎士に叙せられた。
これと共に命じられたのが、兵役義務。
例外もあるが、インランド王国の男は基本的に十五歳から二十歳の間に貴族は三年間、平民は五年間の兵役義務があり、中央軍に所属して最前線へ赴く。
大抵、貴族はこの義務を騎士叙任と共に担うのが慣例らしく、俺は十騎長に任じられ、北の『ロンブーツ教国』との国境を守る『トーリノ関門』の門番長を命じられた。
その時、長女様から庶子と言えども、立派なレスボス家の一員。従者が居ないのは恥ずかしいという有り難いお言葉を賜り、最初は二十人も用意された従者を減らしに減らして、最後に残ったのが『ネーハイム』さんだった。
人数を減らした理由は言うまでもない。今まで部下など持った経験が無い俺である。いきなり二十人も統率する器量を持っている筈も無い。
本音を言えば、俺一人だけの方が気軽で良かったのだが、長女様の厳しい眼光の前にとても逆らえなかった。
そんな三十代後半となっても若々しく美人な長女様について、今も思い出すと断言が出来る事がある。
あの女傑っぷりを見る限り、最初から心配無用だったのではなかろうか。
長女様の監督の下、施された貴族教育は今でも恐怖と共に色褪せず残っている。
聞くところによると、長女様は中央軍の四大騎士団の一つを任されているらしいが、仰ぐ旗が一緒で良かったと心の底からしみじみと思えるほどの女傑である。
「王都から一ヶ月半か……。」
思えば、故郷の村を追い出されて、二年と半年ちょっとが過ぎた。
ミルトン王国、ジョシア公国、アレキサンドリア大王国、インランド王国。計らずとも、その四カ国に加えて、大樹海も隅から隅まで歩いた。
途中、おっさんの城で五ヶ月、王都で三ヶ月ほど滞在したが、ずっと旅をしている様な印象がある。随分と遠くまで来たものだ。
村に居た頃、俺が騎士になるなんて考えもしなかった。
コゼットが知ったら、どんな顔をするだろうか。もしかしたら、『似合わない』と笑うのではないだろうか。
「大丈夫ですよ。三年など、あっと言う間です。
さあ、馬を……。今から急げば、お昼には着きます」
しかし、ネーハイムさんは最前線である任地の『トーリノ関門』が近づき、俺が弱気になっていると勘違いしたらしい。
苦笑しながらも俺を元気付けて、引いている片方の馬の手綱を差し出した。
この一ヶ月で解ったが、ネーハイムさんとの相性は悪くない。
ただ、どうしても年上だけに気をやはり使う。
精神年齢で言えば、俺のが上になるが、温い前世での加齢なんて、この厳しい世界での加齢と比べたら屁の様なもの。精神年齢でも圧倒的にネーハイムさんの方が年上に感じる。
だが、身分ではこちらが圧倒的に上。それも従士として、レスボス家に先祖代々で仕えており、主家に対する忠誠心は非常に高い。
旅始めの頃、思わず名前に『さん』を付けて呼び、お叱りが何度も飛んできた。今、使っている俺の言葉遣いでさえ 丁寧が過ぎて、主従のけじめがつかないと不服そうにしていたが、最近はやっと妥協してくれたっぽい。
所詮、小市民に過ぎない俺である。貴族らしい言葉遣いも、不貞不貞しい態度も、長女様を筆頭に数多の姉妹達から矯正されたが、無理なものは無理だった。
それにしても、貴族としての教育の中で『格』というモノを学んだが、レスボス家の格というか、新たな父『ハイレディン』の威光は相当なものだ。
王都において、ハイレディンの庶子認定試験は路地裏のホームレスから国王ですら知っている非常に有名な王都名物であり、ハイレディンに認められて庶子となった俺は時の人扱い。
王都に上った次の日、国王から俺の顔が見たいと王宮に呼ばれ、街を歩いていれば、聞こえてくるヒソヒソとした小声。時には腕試しがしたいといきなり申し込んでくるアホも居て、鬱陶しすぎた。
もっとも、その格と威光、有名度のおかげにより、おっさんの目論見通り、俺は直臣の騎士に叙せられた。
それも最下位の一代限りの騎士と思いきや、譜代の騎士に叙せられ、いきなり十人の騎士、百人の従士を率いる十騎長に就任。おっさんなんて、近年希に見る快挙だと狂喜乱舞していた。
おまけに、国王から笑顔での『期待している。せいぜい励め』という直接のお声掛かり。
はっきり言って、超目立ちまくり。
経歴が真っ赤の嘘なだけに小市民の俺はガクブルに緊張しまくりだった。
なにせ、国王が叙任式で声をかけたのは俺と第三王子の二人のみ。今年の叙任式に出席した数多の正真正銘の貴族達の中でだ。
もしかしたら、同期の叙任に第三王子が居なかったら、俺が代表の宣誓を行っていたか知れない。そう考えると、今でも背筋がゾッと震える。
ちなみに、俺の新たな名前は『ニート・デ・ドゥーテイ・レンボス』と言う。
ちょっと発音が気になる出身地を表す『ドゥーティ』は、ミルトン王国との国境近くにあった村の名前であり、約十年ほど前にあったミルトン王国の大規模な侵攻の際に滅んでしまっている。
但し、まだ中央軍司令代理として現役だった頃のハイレディンが過去にミルトン王国との戦いに何度も赴き、前線基地を好んで設けていた地がドゥーティの村。その村長の娘を見初めた末に現地妻としていたという事実もちゃんとある。
要するに俺の出生を調べようとする者がもし居たとしても、その村は既に何処にも在らず、件の村長の娘も既に亡くなっていて、数少ない村の生き残りもとうの昔に散り散りとなって行方不明。真相に辿り着けず、調べるほどに俺がハイレディンの庶子である信憑性が増す仕組みとなっている。
勿論、この新たな名前を受け入れると言う事は、この世界に俺を産んでくれた実父、実母との繋がりを捨てると言う事。当然の事ながら、その抵抗は強かった。
しかし、『騎士』である。剣と魔法の、それも中世っぽいファンタジーな世界に転生したのだから、それを男として憧れない筈がない。その誘惑の方が大きかった。
あと付け加えて言うのなら、流されるがままにレスボス家の一員となった俺だが、叙任式の時に今更ながら『あれ?』と不思議に思った。
俺が仕えたのはおっさんであって、この王都に来て、顔と名前を初めて知り、忠誠心の欠片も抱いていないインランド国王では決して無い。
『まあ、任せておけ。悪い様にはせん。
義務兵役の三年間はさすがの儂も自由にならんが、それさえ終わったら儂の元に呼んでやる。
ついでに言えば、三年もあれば、コゼット嬢もこっちに来ているだろうから、それを励みに我慢せえ』
叙任後、おっさんに尋ねたら、こんな事を言っていた。
だが、俺が知りたいのはわざわざ直臣になった理由。それを更に尋ねたら、おっさんは『それだと儂の都合が悪い』とだけしか応えてくれず、その後はごにょごにょと言葉を濁して、肝心の都合とやらを教えてくれない。
何となく嫌な予感は覚えたが、やはり騎士となった興奮の方が勝った為、その件は有耶無耶となった。
なにしろ、十騎長である。何もせずに寝て過ごしていても、十人扶持の年金が国から支給される。
これだけ有れば、コゼットと結婚して、子供が二人、三人くらい居ても、余裕の溢れる生活を持てる。
その為なら、三年の義務兵役など問題にならない。
おっさんが言う通り、その三年が過ぎれば、コゼットに出した手紙も届き、その返事と共にコゼットがおっさんの領に到着しているだろう事は確か。
それを考えたら三年後が楽しみで仕方がない。
「……って、あれ? あそこ、村だと思うけど、煙が上ってない?」
「さすがですな。残念ながら、私には見えません」
ネーハイムさんから手綱を受け取り、馬の背に乗ったところでふと気付く。
ラクトパスの街から国境へと繋がる一本道の街道。その先に視線を辿ってみると、地平線間際にある森が切り拓らかれている村らしき場所から煙っぽいモノが上っているのが微かに見えた。
しかし、ネーハイムさんは見えないらしい。
右手を目線の上に翳しながら皺を眉間に刻み、首を二度、三度と傾げる後、俺がしっかりと乗馬したのを確認してから、自分の馬に飛び乗った。
この通り、ネーハイムさんが俺の前に立つのは危険が有った時のみ。
食事だって、俺が手を付けるのを待ったりと、俺を必ず立ててくれ、今のところは副官と言うよりは執事と言った方が妥当かも知れない。
この分なら、任地到着後は副官としても期待が間違いなく持てるだろう。
ただ、やはり俺としてはもう少し気楽にしてくれたら嬉しいのだが、『そうは参りません』と言って聞く耳を持たず、最近は諦めている。
馬に乗るのとて、最初は随分と拒み、旅の日程が倍になると訴えて、半ば無理矢理に納得させた。
それでも、街や村が近づくと、その手前でわざわざ下馬して歩き、町中では馬に乗らない辺り、生真面目と言うしかない。
「もしかして、敵襲とか?」
「まさか……。トーリノ関門が築かれて、八年。それ以来、教国の侵略を許していないと聞いています」
「だよね。俺もそう聞いたよ」
そんなネーハイムさんが乗馬するのを待って、馬の腹を軽く蹴り、下り坂となった道を進む。
そして、それは間もなくの出来事だった。
「御免! 感謝する!」
前方より土煙を舞い上げながら全速力で駆けてくる騎兵。
遠目にも目立つ白いサーコートは伝令官の証。その役目を邪魔する訳にもいかず、ネーハイムさんと共に街道の脇に避けて道を譲る。
それに対して、伝令官は礼を叫んで通り過ぎるが、こちらには目もくれない。
だが、憤りは沸かない。横を通り過ぎる際、一瞬だけ見えた顔が歯を食いしばる必死の形相だったが故に。
その背中を見送り、他人事ながらも大丈夫だろうかと心配する。
俺達が一日かけて登ってきた坂は結構な急勾配である。馬に乗って、それを全速力で駆けてゆくなど、もし転びでもしたら大怪我は間違いない。
当然、伝令官がここまで急ぐ理由。それが何なのかが気になる。
峠道を全速力で登ってくるなど、高価な馬を使い潰す行為に他ならない。
「何かさ……。嫌な予感しない?」
「正直に申しますと、多少……。」
その姿はあっと言う間に豆粒となり、俺とネーハイムさんは思わず顔を見合わせて、空は青空でも前途に広がり始めた暗雲に顔を引きつらせた。
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歴史上、英雄と呼ばれる存在は不運、または苦境の中から生まれ、その不運、または苦境を覆したからこそ、英雄と呼ばれる。
事実、英雄と後世に永く語られるニートもまたそうだった。
大陸歴第三期238年、インランド王国歴354年の春。
彼が英雄としての産声を挙げたのは、インランド王国の北方に存在した宗教国家『ロンブーツ教国』による侵攻の最中である。
今も現存して、観光名所にもなっているトーリノ関門。
当時、その国境を守る重要拠点だった要塞が陥落。ロンブーツ教国軍、五万という軍勢がインランド王国内に侵攻していた。
次の戦場となる地はトーリノ関門の後方基地として栄えていたラクトパスの街。
しかし、駐留する五千の兵では相手にならないと防衛を担う指揮官は籠城戦を行わないまま、味方との合流を急ぐ為に撤退をしている。
ところが、驚くべき事に街の民衆は捨て置かれた。
迫り来る驚異に街の民衆達の誰もが怯える中、ニートは従者を一人引き連れて、混乱極まるラクトパスの街に現れる。
そして、守ってくれる筈の軍隊に逃げられて、絶望と悲嘆に暮れる民衆達を前に毅然とこう言ったとされる。
『私は約束をしよう! ここは貴方達の土地だと!
だから、二ヶ月! 二ヶ月だ! 私に貴方達の財産である土地を二ヶ月だけ貸して欲しい!
そして、二ヶ月後に必ず返す! 敵から頂いた利子も添えて必ず返す! 今、ここに約束をしよう!』
当時のニートはまだ十七歳。その年の春、騎士になったばかりで誇れる実績も持っていなかった。
だが、その声に人を惹き付ける何らかの魅力があったのかも知れない。歴史上、英雄と呼ばれる者達の声はそう言った例が多い。
何にせよ、ラクトパスの民衆達はニートの約束を信じ、あの歴史上にも名高く、後世の殆どの軍学者達が賞賛する『ラクトパスの逆転』と呼ばれる戦いが始まる。
その結果、ニートはラクトパスの民衆達との約束を見事に果たして、その名をインランド王国中に轟かす事となる。
余談だが、記録が残されていない為、真偽は定かでは無いが、この時にニートが連れていた従者こそ、ニートに仕えた八将軍の一人『鉄壁のネーハイム』だと言われている。