第02話 お客様待遇
「ふっふ、ふふっふんふーん」
馬房の汚れた藁を熊手で掻き取り、真新しい干し藁を満遍なく床に敷き詰めてゆく。
やはり自分の仕事具合が明確に見て取れる整理整頓はまだ肌寒い早朝の新鮮な空気と相まって気持ちが良い。いつの間にか、ハミングが零れている。
「ヒヒーン」
馬房の主たる姫様『ティラミス』の馬も嬉しいのか、鼻息をフンスと吹き出して嘶くと、綺麗になった床へ待ってましたと早くも座り込む。
相変わらず、実に賢い馬だ。掃除の最中、俺の邪魔にならぬ様に位置を常に変えて、大人しく待っているのだから。
「ブヒヒ!」
「はいはい、解ってるよ。次はお前の番だから」
それに引き換え、隣の馬房の主たるおっさんの馬ときたら、我が儘で落ち着きが無い。厩舎に来る度、いつもいつも『俺を見ろ』と言わんばかりに何度も嘶いて五月蠅い。
今だって、馬房の中をウロウロと歩き回り、たまに馬房柵から頭を出してはこちらの馬房を覗き込み、頻りに『俺のところも掃除しろ』と鼻息荒く嘶いている。
もっとも、おっさんの馬は戦場を駆ける為の戦馬。これくらい気性が荒くて丁度良いのかも知れない。
俺とおっさんはカールダの街で馬車を手に入れ、行く先々で行商を行ってきたが、その道中で馬という生き物が意外なくらい臆病だと思い知った。
盗賊や山賊、魔物。街道は外敵に事欠かない。
だが、俺とおっさんの二人。それに加えて、行き先を共にする冒険者達を同行者を集えば、余程の相手でない限りは楽勝だった。
それこそ、寄り道ついでにと盗賊団、山賊団のアジトを襲撃して、路銀の足しにした経験は数え切れない。
しかし、そうした日々の中で苦労したのが馬車を引いている二頭の馬の扱い。
外敵の襲撃がある度、酷く興奮してしまい、襲撃者退治より馬達を宥めて落ち着かせる方に必死だった。
そんな苦労もあって、旅始めは乗馬の経験も、馬車操作の経験も無かった俺だが、今ではそれなりの腕前を持っていた。
それどころか、ついでの暇潰しにとおっさんから教わった馬上戦闘の心得すら持っていたりするのだが、良く考えてみたら、俺は庶民。戦争に参加する事になったとしても、単なる一歩兵であって、戦場の花形とも言える騎兵に所属するなど有り得ない。
あの何度も落馬しては痣を作り、打撲の痛みに苦しんだ日々は何だったのだろうか。それを今更ながらに思わずいられない。
「ブヒ! ブヒヒーン!」
「だから、解ってるって……。今、用意しているところだろ?」
隣の馬房から改めての催促。そのしつこさに思わず溜息を漏らすが、ここで気は抜けない。
なにしろ、前世では有り触れたゴムタイヤ。それがこの世界ではまだ発明されていない為、馬糞と古藁を満載した手押しの一輪車の車輪は木車であり、バランスがちょっとでも崩れると一輪車は簡単にひっくり返る。
だから、荷物を荷台に積むのにもコツが要り、一輪車を押すのはもっとコツが要る。ひっくり返してしまい、二度手間となるのは御免だった。
「ふっふ、ふふっふんふーん」
そうした注意さえ怠らなければ、あとは鼻歌混じり。一輪車をすいすいと押して、厩舎外にあるゴミ集積所へ向かう。
無論、木車はちょっとした段差にすら弱い。その行く手に石などが無いかを確かめながらにである。
さて、今更ながらではあるが、猟師である俺が何故に馬丁の真似事をしているのか。
それは俺が職を馬丁に鞍替えしたからでは無い。全ての原因は無責任なおっさんにある。
この城に帰還した日から三日間、約一年半の留守中に溜まった案件を解決する為、おっさんは執務室に籠もりきった。
そして、次の三日間はのんびりと過ごして、長旅の疲れを癒すと、七日目の朝食の席にて、『ちょっと出かけてくる』と告げて出かけた。
その軽い口調に城下町へ出かけるのかと考え、こちらも『土産を期待している』と軽く見送った。
ところが、陽が沈んでも帰ってこないおっさんを不思議に思い、その行き先を夕飯の席で尋ねてみたところ、なんと王都へ向かったとの答え。
重ねて尋ねてみれば、この街から王都までの片道が馬車で約二ヶ月。
しかも、旅の道中で何度も聞かされた話によると、おっさんはこの国における軍の重要人物であり、国王の信頼も深いらしい。
だったら、敗戦後に行方知れずとなっていたおっさんの帰還報告である。祝賀会などが催される事を考えたら、その王都滞在が二、三日で済む筈が無い。
『最低でも、一ヶ月か、二ヶ月? もしかしたら、半年くらいかかるかも知れませんね』
姫様は人差し指を顎にあてながら首を傾げて、そう可愛く予想してくれた。
つまり、その予想通りなら、この街と王都の往復旅程を足して、おっさんと次に会うのは一年後となる計算。
愕然とするしかなかった。
おっさんの帰りを一年も待たなければならないなんて、そんな冗談は止してくれと叫びたかった。
いや、実際にすぐさま王都が在る方角を教えて貰い、この城の一番高い尖塔の窓からあらん限りの声でおっさんを罵った。
勿論、おっさんの留守を預かる城代の『サビーネ』さんからしこたま叱られたが、俺は悪くない。
「ふぁ~~あ……。今日も一日が始まりましたよっと……。
……って、のわっ!? お、お止め下さい! そ、その様な事は我々が致しますので!」
その理由と言うのがこれである。
まだ寝足りないのか、後頭部をボリボリと掻きむしりながら大欠伸をして現れた若い馬丁。
彼は俺の姿を見るなり、寝ぼけ眼をギョッと見開き、数瞬ほど信じられないモノを見るかのに絶句したままの口をパクパクと開閉すると、俺の元に血相を変えて駆け寄り、俺の手から半ば強引に一輪車を奪い取った。
「いや、馬を何度も借りさせて貰っているんだから、これくらいは……。」
「滅相も御座いません! お客様に馬房の掃除などさせたと知られたら、大旦那様が帰ってきた時に私が叱られます!」
「大丈夫だって……。俺が好きでやっているんだからさ」
「そうは参りません! さあ、お任せ下さい!」
「そお? ……悪いね?」
「いいえ、これが仕事ですからお気になさらず! 馬もすぐにご用意します!」
すぐに反論して、一輪車を奪い返すが、彼も負けじと奪い返す。
そうこう反論をしている内、荷台から馬糞と古藁がボロボロと零れ落ち、これ以上は彼の仕事を余計に増やすだけだと諦めて、彼に一輪車を預ける。
「じゃあ、その辺を適当にブラついているから」
「解りました! 準備が出来たら、お呼びさせて頂きますので!」
その際、心底に安堵したかの様な彼の短い溜息が聞こえ、ちょっぴり傷つく。
だが、気づかないフリをしながらも俺が居ては仕事がやり難いだろうと気を効かせて、その場をやや足早に離れる。
そう、おっさんから『儂に仕えぬか?』と誘われて、この地まで旅をしてきたが、おっさんは俺に役目を与えるのを忘れたまま王都へ旅立ってしまい、今の俺は無役であり、この城の客人のままだった。
それもおっさんが俺を命の恩人だと最初に紹介したが為、最上級の賓客待遇である。
朝晩を庶民の俺が貴族の姫様と一緒のテーブルで食事を摂り、寝泊まりする部屋は寝室のみならず、リビングと執務室、応接室まである豪華な客室。
もちろん、バス、トイレどころか、ちょっと年上の美人な専属メイドさんまで付いており、掃除から洗濯、お風呂の用意まで至れり尽くせり。
それだけで飽きたらず、この金で生活に不足している物を用立ててくれとサビーネさんから渡された革袋はずっしりとした重さ。
あまつさえ、おっさんが王都に旅立った翌日の夜の事。ベットに『さあ、寝るか』と入ったところ、専属のメイドさんが服をおもむろに脱ぎ始めたかと思ったら、妖しい笑みを浮かべながら『夜伽をさせて頂きます』と迫ってきた。
二食、豪華なお部屋で昼寝付き。使い切れないお小遣いと眠れない退屈な夜を満喫させてくれる女の子のオマケも有り。
もし、俺が前世の記憶を持っていなかったら、この働かずに日々の生活費を他者に依存して食っちゃ寝する『ニート』な毎日に遠慮無く甘んじていただろう。
しかし、俺は前世での末路が『ニート』だった事に嫌悪と後悔を未だ抱いている為、今世での名前『ニート』を呼ばれる度に心が苛まれて、この人が聞いたら絶対に羨む贅沢三昧な『ニート』の毎日はとても落ち着かないモノだった。
ところが、仕事を貰えないかと申し出てみたが、この城に仕えている使用人達も、城下町に住んでいる住人達も、滅相もないと二つ返事でお断り。
それならと自分で仕事を見つけて行ってみれば、先ほどの若い馬丁の様に見つかった途端、仕事を取り上げられる始末。
何故だと思い悩み、ふと閃いた。
おっさんが不在の今、この城における最上位の二人。おっさんの孫娘である姫様とおっさんの代理であるサビーネさんが俺を様付けで呼んでいるせいだと。
その為、皆は俺の事を何処かの貴族と勘違いしているに違いないと。
『ニート様はニート様でありましょう? もしや、家名の方が?
えっ!? 呼び捨てで良い? ……そ、そんな! と、殿方を呼び捨てにするなんて! 私達にはまだ早すぎます!』
『貴方様がバルバロス様の恩人である事実は変わりません。ですから、私はそう呼ばせて頂いています』
だが、二人に呼称の訂正は応じて貰えなかった。
姫様は何故だか恥ずかしそうに顔を紅く染めて逃げてしまい、サビーネさんは下らない事に時間を取らせるなと言わんばかりに吐き捨てて。
『これから会う人、会う人に自分は平民だと言ってまわる気でしたら御止め下さい。
それはバルバロス様の格が下がる事に繋がります。
もし、その様な事をなさったら、バルバロス様の恩人である貴方様とは言えども絶対に許しはしません』
しかも、サビーネさんからは勘違いを訂正するのを固く禁じられた。
その結果、仕事を求めて彷徨い歩く俺はすっかり腫れ物でも扱う様な扱い。最近は目が合っただけで逃げられる事もある。
それでも、俺は諦めなかった。
そもそも、俺は猟師である。今度は街の外に仕事を求めた。
但し、この城下町の猟師達の領分は侵せない。
その旨を申し出て、サビーネさんから本来は禁猟区となっているおっさんが所有する狩り場の使用許可を得たまでは良かったが、その歩いてゆくには遠すぎる狩り場までの距離が今度は問題となった。
ただ行って帰ってくるだけで半日ちょっと。
使用許可に付随してきた『街の正門が閉じる日没まで』という門限を考えると、日の出と共に出発しても狩りを現地で行っている時間など到底無かった。
『是非、私の馬を使って下さい。
ご存じの通り、私は身体が弱くて、あまり乗ってあげられません。ですから、ニート様に乗って頂けたら、あの子もきっと喜ぶ筈です』
そう言って、解決の道を示してくれたのが姫様だった。
だったら、借りている馬の世話くらいはと考えて、今朝は出発前に厩舎の掃除を行っていたのが、ここまでの経緯である。
「はぁぁ~~~……。」
溜息が知らず知らずの内に漏れている。
おっさんが所有する狩り場は禁猟区だけあって、獲物は豊富。毎日が入れ食い状態。
この城のエンゲル係数低下にかなり貢献が出来て、過分に賓客扱いされる心苦しさも多少は減ったが、どう考えても釣り合っていない。
もっと、もっと仕事をくれと叫びたくなる時がある。
ある意味、贅沢な悩みだが、この上に根元を同じくする更なる悩みが最近になって増え、それがまた俺のストレスを増やしている。
「良かった! 今朝は間に合いました!」
「げっ!?」
突然の叫び声。何事かと振り向くと、正に俺の新たな悩みの一因がこちらに向かって駆けてきた。