第01話 新しい故郷ともう一つの出会い
「えっ!? ……な、何だって?」
おっさんと出会ってから早いもので季節は一巡りと少し、今の季節は春。
雪深い地方で育った俺にとって、ジェシア公国とアレキサンドリア大王国の夏は暑すぎて堪えたが、冬は雪が降っても積もらず、旅は足止めを喰らう事なく順調に進んだ。
とりわけ、路銀を稼ぐ為、行商を行いながらの旅ではあったが、その仮初めの身分である商人としての顔が意外なくらい役に立った。
おっさんが半指名手配されていると言っても過言でないアレキサンドリア大王国。こちらの警戒が間抜けなくらい行く先々の村や街の入退場がすんなりと済み、怪しいと呼び止められる事も一度たりとも無かった。
但し、その代償として、かなり渋りはしたが、おっさんのトレードマークとも言える虎髯はさすがに剃って貰ったが。
もっとも、インランド王国との国境沿いにある要塞兼、関所を通過するのはさすがに無理だろうという結論に達して、随分と世話になった馬と荷馬車を売り払い、地元民しか知らない獣道の山越えを決行。
その途中、獣や魔物の襲撃に何度か遭いながらも三日目の朝。遂に峠を越えた。
「だから、そこからあそこまでが儂の領だ」
地平線が湾曲を描き、この俺達が住まう大地が惑星という球体の上に存在すると実感が出来る山の峠。
山脈は自分の後方に連なり、前方の眼下は地平線の彼方まで広がる平原。それこそが俺達の目指していたインランド王国である。
その眼下をおっさんが指し示す範囲は円をぐるりと右下手前から左上奥。即ち、左の一部分を除き、見渡す限りの土地全てがおっさんの領だと知り、開いた口が塞がらなかった。
大凡で色の割合は森が五割、草原が三割、耕地が二割くらいか。
森を切り拓いて作られた街道はこんな遙か彼方から解るほど踏み固められており、右下麓のアレキサンドリア大王国側から伸びて『Y』の字が左斜めになって描かれている。
その街道上に目視で解る限り、村と思しき集落が七つ。そのどれもが俺の育った村より明らかに大きい。
「じゃ、じゃあ……。あ、あれは?」
「うむ、儂の城だ」
しかし、何と言っても特筆すべきは『Y』の字が三つ又となっている部分に存在する巨大な街。
そして、その街の右端にある小高い丘。アレキサンドリア大王国に向けて建てられた石造りの城だろう。
左から右斜め上へと緩やかなカーブを描く大きな川を外堀に見立て、その内側に在る城と街を半包囲する高い城壁。
街の左側は街の拡張性を重視してか、城壁こそ立っていないが、人力によって作られたであろう二本の堀が川と繋がって街を二重に囲み、街全体が惣構えの形となっている。
その南に突出した堅牢な作りを一目見ただけでおっさんの血族が代々に渡り、いかにアレキサンドリア大王国と戦ってきたかが解るというもの。
しかも、おっさんの話によると、ここからは見えないが、この手前にある通り道。幅が約十キロある渓谷を石造りの高い壁で丸ごと塞いだ要塞が在るとか。
その難攻不落の要塞を突破しても、この堅牢な城の二段構え。さぞや、攻め入ってきたアレキサンドリア大王国の指揮官は戦意を落としたに違いない。
前世にて、万里の長城やピラミッドなどの巨大建築物を知っている俺だが、実物を見た経験は無い。
その建築に関する苦労も解説で知っていても遠い昔の出来事。所詮、『ふーん、大変だったんだな』と感心する程度だった。
だが、この世界に転生して、丸太一本、岩一つを運ぶのにとんでもない労力を費やすのを実感している今だからこそ、巨大建築物に関する苦労や解説が真の意味で解る。
侯爵であるおっさんの血族が幾代にも渡り、いかに巨大な権力と天文学的な金を動かして、眼下の光景を作ってきたかを。
「え、ええっと……。バ、バルバロス様?」
茫然と見開いた目をおっさんに向けると、朝の薄暗闇に上ってきた朝日がおっさんの背を照らしていた。
それはまるで後光が差しているかの様であり、自分とは隔絶した明確な身分差を急に感じて、その呼び名を改める。
この一年間、俺とおっさんの関係はあくまで対等だった。
突然、それを改めるのは難しい。はっきり言って、染み付いてしまっている。
だからこそ、旅の終わりまであと二、三日の猶予がある今から始めなければいけないと考えた。
やはり前世での影響が大きいのか、庶民と貴族の身分差を未だ本当の意味で理解しきれているとは言えないが、『郷に入っては郷に従え』の諺通り、それでやっていかなければならない。
今も自分は間違っていなかったと胸を張って言えても、あのエステルの事件で理不尽な格差を身を以て味わったのだから。
「何だ? 藪から棒に?」
「い、いや、言葉使いを改めた方が良いと思って……。お、思いまして」
「何を今更……。無理に変える必要など有るまい」
「で、でもさ?」
ところが、おっさんは鳩が豆鉄砲を喰らったかの様に目を丸くさせて、その目をパチパチと瞬き。
一拍の間の後、肩を少し震わせながら苦笑を漏らすと、そんな気遣いは要らないと言い張った。
その上、俺が反論を言い募ろうとするのを遮り、おっさんは真剣な眼差しを俺に向けながら語り出した。
「小僧……。いや、ニートよ。儂はお前に感謝しているのだ。
当初の儂は腕になまじ自信があったせいか、今回の旅を甘く見過ぎていた。自分一人とて、故郷に帰る事など容易いと……。
だが、現実は違った。森での生活を舐めていた。左足の傷も含めて、大樹海すら抜けられずに野垂れ死んでいたのは間違いない。儂の幸運はお前に出会えた事だ」
「よ、止せよ……。お、お互い様だろ?」
その突然の告白にたちまち顔が熱く火照ってゆく。
たまらない気恥ずかしさに顔を背けて思わず後退り、おっさんに開いた両掌を突き出しながら左右に振る。
「いいや、言わせてくれ。
儂は侯爵だ。だから、城に着いたら、もう言えなくなる。だから、今の内に言わせてくれ。
ニート、お前が居たからこそ、ここまで辿り着けた。お前は命の恩人だ。本当に感謝している。……この通りだ」
「ちょっ!? いきなり何をっ!?」
だが、おっさんは止まらない。踵を揃えて、一呼吸を置いたかと思ったら、折り目正しく頭を深々と垂れた。
最早、驚きを通り越して、目をこれ以上なく見開きながら口もあんぐりと大きく開けての茫然自失。
一瞬、時が止まったかの様な錯覚すら覚えるも慌てて我に帰り、おっさんの元に駆け戻って、その下げた肩を掴んで強引に上げさせる。
こんな人が通る筈も無い山奥の峠だが、侯爵様が庶民に頭を下げているところを他者に見られたら一大事である。
しかし、それ以前に俺自身の感情として、ソレをまともに見ていられなかった。見たくなかったと言い換えても良い。
この世界での旅は危険が多くて、その歩みも遅い。
その為、どんな些細な事でも協力し合い、寝食と苦楽を丸ごと共にするせいか、ヘクターとの旅もそうだったが、仲が深まりやすい。
おっさんと出会って、一年と三ヶ月。これほど濃密な時を一緒に過ごした相手は、やっぱり旅を一緒に行ったヘクターしか居ない。
この旅を重ねると共に積もり育んでゆくモノを『戦友』と言うのだろうか。定住している中で育んでゆく親愛とは別なものを感じる。
それが何にせよ、親子どころか、祖父と孫ほどに歳が離れているおっさんに対して、俺は親友と呼ぶ以上の友情を感じていた。
だからこそ、頭を下げられても困る。
困っている人が居り、それを助ける術を持っているなら助ける。それが人の道であり、その相手が友人であるなら尚更というもの。
それに加えて、おっさんは俺に明確な目標を与えてくれた。
あの日、あの時、あの場所でおっさんと出会わず、インランド王国を目指していなければ、どうなっていた事やら。
そう、結論を言えば、先ほど言った通り、ここまで来られたのはお互い様に尽きる。
それ故、おっさんに頭を下げられる理由は無い。
「どうだ? いきなり様付けされた儂の気持ちが解ったか?」
「……へっ!?」
どうやら、それはおっさんも同じだったらしい。
おっさんは顔をあっさりと上げると、してやったりと言わんばかりに歯を見せて笑い、その緩急に着いてゆけず、思わず茫然と目が点。
「まあ、さすがに人前では言葉遣いを改めて貰わんと困るが、二人だけの時は今まで通りで構わんぞ?」
「それで良いのか?」
「この儂が言うのだから構わん。……と言うか、頼む。そうしてくれ」
「解った。おっさんがそう言うなら……。」
だが、その意味がゆっくりと解り、固まっていた表情も緩んで笑顔が自然と浮かんでくる。
おっさんが急に手の届かない遠い人になった様な気がしただけに嬉しさが心の奥底から込み上げてくる。
「さあ、あと三日とかかるまい! 最後の一踏ん張りと行くか!」
「おう!」
今一度、これから暮らす事になるだろう街を眼下に眺める。その足取りは軽く、胸は夢と希望に膨らんだ。
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「それにしても、この城……。遠くから見ても凄かったが、中から見るともっと凄いな」
おっさんのトレードマークだった虎髯。
それがすっかりと剃られて無いせいか、ちょっとした一悶着が城門前であったが、おっさんが名乗りを挙げた途端、上に、下にの大騒ぎとなった。
当然である。一年以上の間、行方不明となって戦死すら噂されただろう領主が遂に帰還したのだから。
城代として、おっさんの留守を預かっていたと言う少し年上っぽいお姉さんなど特に凄かった。
おっさんを一目見るなり、その場に腰が抜けたかの様にヘナヘナと崩れ落ちると、人目も憚らずに声をわんわんと挙げて泣き始め、あの魔物の襲撃にすら顔色を一つ変えないおっさんがオロオロと困り果てたくらい。
そして、今や城内の何処に居ても、誰かが駆ける音が聞こえてくるほどに活気付いていた。
おっさんも帰還して早々、不在中に貯まっていた領内統治の緊急案件を処理する為、執務室に籠もって仕事中。
つまり、この城で今暇なのはおっさんからまだ役目を貰っておらず、部外者な俺一人のみ。
当初、案内された応接室にて、おっさんの仕事が終わるのを素直に待っていた。
だが、煌びやかな装飾品が列ぶ応接室はどうも居心地が悪く、おっさんが言い残した言葉『暇だったら、城を見物がてらにぶらついていても良いぞ』に甘えて、今は城の一角にある庭園を散策していた。
ところが、この庭園。普通の庭園とは趣が違った。
色鮮やかに咲き誇る花は何処にも見当たらず、有るのは掘り返された土と幾つも列んだ畝。それは明らかに畑であり、強いて言うなら巨大な家庭菜園だった。
庭園の中央にある丸い水場も噴水かと期待して近寄ってみれば、畑に水を撒く為のただの貯水槽。情緒の欠片も無い。
恐らく、籠城戦になった際、兵糧の負担を少しでも軽くしようという思惑なのだろう。
ようやく端っこに花を付けている草花を見つけるが、良く観察してみると、それは薬草ばかり。
どうやら、おっさんの家は貴族ではあるが、その前に何処までも武人らしい。『治に居て、乱を忘れず』の精神もここまで徹底されると感心する。
「んっ!?」
しかし、庭園にも関わらず、見るべき場所が何処にも無いのは如何なものか。
庭園の役割とは応接室の装飾品と変わらない。待たせている客を目で楽しませて、待っている苛立ちを感じさせずに暇を潰す場所である。
後程、おっさんに苦言しようと心のノートにメモしながら、次は目の前にそびえ立って影を作っている城壁に上ってみるかと歩を進めたところ。
石階段の途中にある踊り場。その誰も居ないと思った場所にしゃがみ込んでいる女の子の後ろ姿があった。
「猫、ニャー? 猫、ニャー? ニャンニャンニャン? ニャンニャンニャー?」
この城に仕えている侍女か、黒と白のエプロンドレスを着て、金髪の髪を後ろでシニヨン巻き。
何をしているのかと背伸びして、その背中越しを見ると、階段に丸まっている三毛猫の前足を両手に持ち、ダンスする様に左右に振りながら猫と楽しそうに会話をしていた。
一方、三毛猫はきっと眠いのだろう。
嫌がってこそはいないが、大欠伸をして、『やれやれ』と言わんばかりの迷惑そうな表情で女の子の相手をしている。
「ぷっ!?」
それが堪らなく可笑しくて、女の子の不思議少女っぷりも合わせて思わず吹き出す。
その瞬間、ようやく俺の存在に気付いたらしく、一人と一匹の蒼い目が同時にこちらを振り向く。
「えっ!? ……あっ!?」
「くっくっくっくっくっ……。」
「う゛っ……。」
それがまた余計に可笑しくて堪らず、初対面で悪いとは感じたが、腹を抱えて笑いを懸命に噛み殺すと、たちまち少女は耳まで真っ赤っかに染めて俯いた。
やや間を空けて、三毛猫が少女を慰める様に『ニャー』と小さく鳴き、それに後押しされたのか、少女が上目遣いを怖ず怖ずと向ける。
「……み、見ました?」
「うん、バッチリとね」
何と言うか、ゆるり、ふわりな雰囲気を持った癒し系。これがおっさんの孫娘『ティラミス』との出会いだった。
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後世、無色の騎士として名高いニート。
インランド帝国とは隣国であり、敵対国でもあったアレキサンドリア大王国。その公爵家に連なるコゼット男爵夫人と彼の悲恋はあまりにも有名である。
遙かな時が経った今でも色褪せずに語り継がれており、様々なアレンジが加えられて、歌や小説、演劇といった題材となり、多くの者の涙を誘っている。
しかし、彼が愛して、愛された女性はコゼット男爵夫人、一人だけでは無い。
現代において、それは不誠実だと言われるかも知れないが、伝記や語録などの記録を確認する限り、ニートが情を交わした相手は両手で足りないほどに存在する。
だが、清廉潔白な英雄としてだけではなく、いつの時代でも、何処にでも居そうな浮気性の男。その等身大の姿こそ、ニートの人気が絶えない大きな要因ではなかろうか。
この点はインランド帝国三英雄の一人として先に挙げたエドワード八世にも通じるものがある。
そして、ここで決して忘れてはならないのが、ニートの正妻『ティラミス』の存在である。
ニートが数多くの女性を愛せたのは、彼女が浮気に寛容だったからに他ならない。
しかし、これはニートとティラミスの関係が冷え込んでいた訳では無い。
むしろ、二人の夫婦仲は終生に至るまで良好であった。
なら、どうしてかと言えば、当時の記録を紐解くと、ティラミスは病弱だった為、ニートとの夜の生活が思うままにならなかったからではないかと推測が出来る。
実際、結婚して間もなく、ティラミスからの懇願でニートは正式な妾を迎えている。
もっとも、ティラミスは浮気には寛容だったが、隠し事は許さなかった。
いつの世も男は女に弱いらしく、それは英雄と名高いニートも一緒だったらしい。
隠していた浮気がバレてしまい、夫婦喧嘩となった記録が幾つも残されており、そのどれもが滑稽で別の意味で涙を誘う。
つまり、ニートという英雄の人生を物語とするのなら、コゼット男爵夫人は悲劇として物語を彩り、ティラミスは喜劇として物語を彩っていると言えるだろう。