第04話 罪と罰、その懺悔
「お待たせしました」
「お疲れ。どうだった?」
三重の城壁によって守られている王都。
王城はその中心に在り、王城自体も四区画に容易く乗り越えられない高さの壁で区切られており、王城最奥に位置するここ『北宮』はインランド王国で最も安全な場所といっても過言でない。
しかし、北宮は国王の側妃達が住まう場所。
側妃として、北宮へ足を踏み入れたが最後、その役割を終えるまで北宮からの外出が原則的に許されないのを考えると、牢獄と呼んだ方が妥当かも知れない。
無論、北宮は国王以外の男は立入禁止。
男性は親兄弟であっても側妃との面会に立会人を必要となり、その場所も北宮の手前にある王族の住居がある西宮に設けられた面談室に限定されており、西宮の運営は警備員から庭師までの全員が女性で行われている。
だが、女ばかりの閉鎖空間に閉じ込められ続けて、ストレスが溜まらない筈が無い。
そんな側妃達のストレスを緩和させて、逆に満足させる目的が有るのだろう。今は深夜の為、その姿をこの目で見る事は叶わないが、女性好みの華やかさで満ち溢れているらしい。
それにまず広い。王城全体の面積の半分を占めており、小さな村くらいの広さがある。
新鮮な水が常に流れている二本の小川が東西を並行して流れ、中央に四季の草花を楽しめる巨大な庭園を置き、北宮としては奥になる東側には夏の暑さを紛らわせて楽しみにも変えてくれる林と池まで存在する。
言うまでもなく、側妃達が住まう屋敷はどれも絢爛豪華。
三棟の巨大な屋敷がカタカナの『コ』の字型になって建ち、国王が代替わりする度、古い順から撤去と新築が繰り返されている。
つまり、どの屋敷も用いられている技術が当時最新なら資材も当時最高級。
特に窓だ。メンテナンス面でも、耐久性でも難が有り、便利と解っていても見栄の域をまだまだ超えるのは難しくて、高位貴族ですらも贅沢品に属するガラスを全ての窓に惜しみなく用いており、それが今の俺達に頼もしい味方となった。
なにしろ、今の時刻は深夜。
どの屋敷も廊下を中央の庭園側に設けた共通した設計の為、メイドさんや警備員の動きがランプの明かりで外から丸わかり。
危険察知が容易な上、その動きを注意深く観察した結果、王妃様達がどの屋敷のどの部屋に囚われているかさえも既に把握済みである。
しかも、警備員の人数が明らかに少ない。
恐らく、五人か、六人。多く見積もったとしても十人と居ない。
どう考えても北宮の広さと守るべき人物の重要度に見合っていない。
これは北宮がインランド王国で最も安全な場所であるが故の油断であり、ジュリアスがそうだったように第一王女も、第二王子も王都の下に存在する巨大な地下空間に関する秘密を知らされていない証拠だ。
当然といったら当然だが、秘密は秘密を知る者が少なければ少ないほど秘匿性は高まる。
王族であろうと知らされていない事実を考えると、王都の下に存在する巨大な地下空間に関する秘密は王位継承権と共に国王と王太子と王妃の三人に限定されて伝えられてきたのではなかろうか。
ある程度、この可能性を予測して期待もしていたが、既に王妃様奪還計画は成功したも同然だ。
巨大な地下空間と繋がる隠し通路は北宮の隅にある井戸の底に有り、その光が届かない深さにある横穴は上から覗いただけでは決して見つけられない。
実際、井戸から外へ出た際、ミーヤさんは驚きのあまり茫然と言葉を暫く失っていた。
第二王女と何年も一緒に住んでいる屋敷がすぐ目の前にあり、日頃から炊事や洗濯などで使っていた背後の井戸に重大な国家機密が実は隠されていたと知って。
明日の朝、王妃様達の不在が発覚した時、誰もが真っ先に考えるのは北宮へ侵入者を手引した裏切り者の存在の可能性だろう。
それが疑心暗鬼が種となって、不和の芽が出てくれたら俺としては最高というしかない。所詮、第一王女と第二王子の両派閥はいがみ合いを十数年に渡って続けてきた相手同士であり、今はジュリアスという共通の敵を前に手を組んでいるが、付け入る隙はちょっと探したら幾らでも有る。
特に第二王子の派閥の者達が抱えている不満は大きい筈だ。
俺達との戦いで実際の矢面に立つのは軍部に多い彼等であり、彼等の指揮を実際に執るのは中央軍総司令官の第二王子であっても、第二王子に戦えと命じるのは国家元首たる国王の第一王女なのだから。
これは国を運営する上で覆せないシステム。
第一王女と第二王子の二人がお互いに納得して同等の権威を有していたとしても、第一王女の派閥の者達は第二王子の派閥の者達に優越感を感じ、逆に第二王子の派閥の者達は第一王女の派閥の者達に屈辱感を感じてしまうのは避けられない。
それでいて、今回の政変は先代国王の暗殺に端を発しているというミーヤさんの確かな目撃証言が有る。
順当に考えるなら、国王となるべきは手を汚した第二王子であるにも関わらず、実際に国王となったのは第一王女である。
真夜中の出来事とはいえ、仮にも一国の王だ。決して、第二王子の単独犯ではあるまい。
今回の政変に関わったのが近い者ほど複雑な思いを、第一王女の派閥の者なら引け目を、第二王子の派閥の者ならやはり不満を抱いている筈だ。
「はい、男爵が仰る通りでした。今、詰め所に居るのは六人。
その内の三人は仮眠を取ると言って、奥の部屋へ。残る三人はカードゲームを詰め所で始めて、西宮側にも、此方側にも立ち番を立てていません」
「くっくっ……。なら、さっきのが今夜最後の巡回で間違いないね。
まあ、次が有ったとしても、その様子なら問題は無い。
多分、単独で嫌々……。ああ、そうか。その役を誰がやるかを賭けて、カードゲームをやっているのかな?」
そして、更に嬉しい報告が届き、笑みが自然と零れる。
ヒト以上に夜目が効き、北宮の住人。偵察役として、これ以上の人選は無いミーヤさんに警備員達の様子を探りに行ってもらったが、案の定の結果だった。
警備員達のモチベーションが著しく低い。
そう気づいたのは井戸から外へ出て、すぐの事だった。
身を隠せる手頃な藪の中から北宮全体を窺ってみれば、庭園を行くランプの明かりの様子がどうもおかしい。
走るまではいかないが、明らかに足早な歩調。時にその場で忙しなく足踏みをして、進んでは止まるを繰り返しているではないか。
しかし、その奇妙な行動理由について、すぐにピーンと閃いた。
ふとランプの明かりが暫く微動だにしなくなったと思ったら、その場にしゃがみ込み、庭園の垣根の中に埋もれたからだ。
ここは北宮。本来なら、国王の側妃達が住まう場所である。
もう十年以上、先王は側妃を持っておらず、今現在の役割を考えたら男性の立ち入りを禁止する必要性は無いが、国王たる第一王女が女性という点を考えたら、それを踏襲している可能性は非常に高い。北宮の警備員は全員が女性騎士だろう。
なら、自ずと答えは見えてくる。
女性は用を足す際、そこに便座が無かったら、その場にしゃがむのが一般的だ。
ヒトもまた生物である以上、生理的欲求には勝てない。俺が奇妙と感じた様子で察するにかなり我慢した末の決断だったに違いない。
だが、有り得ない。断じて、有り得ない。
彼女は北宮の庭園を巡回する任務の真っ最中。巡回前に用をきちんと済ませておくべきだった。
特に女性はパンツを膝か、足首まで下ろさなければならず、敵がその最中に攻撃を仕掛けてきたら、それだけで命取りになる。緊張感が足りない証拠としか言うしか無い。
それこそ、最前線では敵と睨み合っている時は男も、女も垂れ流すのが当たり前。
百歩譲っても『立って』済ますべきであり、女性が『立って』などと思うかも知れないが、これも軍隊では当たり前。
ルシルさん曰く、ソレは女性騎士としての必須技術らしい。
先輩の女性騎士からソレを新兵の時期に叩き込まれ、女性用の騎士服がミニのプリーツスカートをデザインに採用しているのもソレを済ませやすくする為だとか。
しかし、彼女を庇うつもりは無いが、その気持ちは解らないでもない。
今、インランド王国は前代未聞の政変からの内乱に突入して、前線では一人でも多くの指揮官を必要としており、出世のチャンスが幾らでも転がっているにも関わらず、誰かが担わなければならない大事な役目とはいえ、最後方の警備任務。どう考えても、誰が見ても、閑職以外の何ものでもない。
それにこの北宮は王城の最奥。王城出入口から北宮へ至るまでの警備網は厚い。
何らかの騒ぎが起こるとしたら、北宮よりもっと前の段階であり、その報告が届いてから緊張感を持っても遅くはない。
だが、そうした緊張感の欠如は他者へ影響を及ぼして、組織全体に蔓延し易い。
もしかしたら、彼女のみならず、北宮を警護する者達もそうなのだろうかと期待したが、期待以上だ。
あとは王妃様奪還計画を粛々と進めるのみ。
向こうが油断しているからといって、こちらも油断しては意味が無い。ここから先は今まで以上に気を引き締める必要が有る。
「いずれにせよ、俺達にとっては都合が良い。
さあ、始めよう。さっき話し合った通り、俺は王妃様、ミーヤさんは第二王女殿下、ショコラちゃんは王太子殿下と王太子妃様だ」
「はい!」
そう決意して頷くと、ミーヤさんと新たに王妃様奪還計画のメンバーに加わったショコラちゃんの二人の揃った返事が綺麗に返ってきた。
******
「良しっと……。」
窓からの月明かりが差し込み、静寂に満ちた長い廊下。
腰を落とした小走りで影から影へと渡り、曲がり角では目と声と指をさす動作の三つで安全を確認して進んで行く。
目指すべき目的地は解っている。
この屋敷を先ほどまで行き来していたランプの明かりの動きがそれを教えてくれた。
常識的に考えたら、北宮には三棟の屋敷が在るのだから王妃様、第二王女、王太子と王太子妃の三組をそれぞれの屋敷に分散させた方が逃亡されるリスクは減る。
だが、逃亡の可能性をはなから考えておらず、北宮を少ない人数で警備する手間を少しでも省こうという思惑だろう。王妃様達は通称『百合館』と呼ばれる三棟の内の北側に立つ屋敷に集められて、それぞれが一階、二階、三階と分けているようだ。
なら、誰がどの階に囚われているか。
それが次の問題になるのが、ヒトとは身分の高い者を不思議と高い場所に置きたがるもの。
王妃様が最上階の三階、王太子と王太子妃が二階、第二王女が一階と考えるのが妥当なところ。
しかし、百合館は第二王女が元々住んでいた屋敷だとミーヤさんの情報提供で解っている。
先ほどまで一階と二階はランプの明かりが中央辺りを活発に動いていたが、三階だけは東側の端を動いていた。
そこは正に第二王女が居を構えていた場所と一致しており、警備の手間を省いておきながら引っ越しの手間はわざわざかけない筈であり、第二王女が三階、王妃様が二階、王太子と王太子妃が一階だろうと予測を立てた。
「そ、それでは……。し、失礼しまぁ~す」
そして、抜き足、差し足、忍び足で遂に目的地である部屋の前へ到着。
北宮の屋敷はどの部屋も国王の来訪をいついかなる時も拒まないという理由からドアに鍵が設けられていない。
右手をドアノブに伸ばして、ドアを必要最低限分だけゆっくりと開け、その出来た隙間へ息を殺しながら横向きにした身体を滑り込ませてゆく。
三棟の屋敷と北宮の出入口にある警備員達の詰め所は、酷い風雨の時でも往来が出来るようにそれぞれが渡り廊下で繋がれている。
その間に遮るものは何も存在しない為、耳に痛いほどの静けさが満ちる深夜の今、物音を立てたら、それは警備員達の元へ届いてしまう可能性が有る。
今夜の王妃様奪還計画において、重要なのは一に早さ、二に慎重さ。
廊下に敷き詰められた赤い絨毯へ沈む足音にすら細心の注意を払い、巨大な地下空間と繋がる井戸の底へ一瞬でも早く戻らなければならない。
だが、その過程で王太子の存在が大きなネックとなる。
ジュリアスの話によると、今や王太子はベッドから起き上がるのがやっと。何をするにしても介護が必要な容態らしい。
当然、車椅子が自室からの外出時に必需品となる為、王太子が今住んでいる部屋にも備えられているだろうが、それを用いる事は出来ない。
何故ならば、この世界の車椅子は前の世界で見知りした車椅子とは比較にならないくらいお粗末な代物だ。
階段は言うに及ばず、小さな段差すらも越えられず、木製の車輪は接地面の衝撃をダイレクトに座椅子へと伝えて、乗り心地は最悪。
車輪が回る度、負荷と摩擦が最も生じる鉄製の車軸とその受け皿部分が音をキイキイと鳴らして、それは速度を上げれば上げるほどに大きくなる為、隠密行動の上で不向きでしかない。
だから、しがみつくのがやっとな王太子を背負って運ぶ必要が有る。
それも負担を可能な限り減らして、常に王太子が体調を崩さぬように気を配り続けながら。
しかも、王太子だけに関して言うと、巨大な地下空間と繋がる井戸の底へ着いてからが本番。
ヒトに本能的な恐れを抱かせる巨大な地下空間の深すぎる暗闇はただそこに居るだけで心を消耗させてゆく為、俺達以上に王太子は長居が出来ない。地上へ一刻も早く出る必要が有る。
そもそも、本来なら就寝中の深夜に無茶を強いるのだ。
この一点だけでも大きな不安材料であり、復路は往路以上に早く進まなければならず、王太子を背負う者の負担はとても大きい。
それに地上へ出た後も問題は有る。
今回の政変、俺は早期の決着を望んでいるし、遅くても来年の春までに決着をつける腹積もりでいるが、未来は誰にも解らない。
果たして、そのいつ訪れると知れぬ日まで王太子は持ちこたえられるか。
いたれりつくせりの王城とは違う。日々の体調を整えてくれる医師も居なければ、苦しい時に祈りを捧げてくれる神官も居ないのだから。
はっきり言って、厄介な存在でしかない。
正直に言うと、敵の駒として利用されるくらいなら、毒による自決を促す案も考えたが、それでは意味が無い。
王妃様と第二王女、王太子と王太子妃、この四人揃っての奪還を成功させて、ジュリアスは余裕を心に取り戻せる。
地上へ出た後の問題は王太子の頑張りに期待するしかない。
心苦しくはあるが、俺の仕事はそこまでだ。その後は気持ちを切り替えて、ジュリアスとの合流を急がなければならない。
それ故、当初の予定では俺が王太子を背負うつもりだった。
亜人がヒトより身体能力に優れているとはいえ、ミーヤさんの本職はメイドさんである。鍛錬を日々重ねている俺とは比べるまでもなく持久力は劣る。
それに主人である第二王女との再会を間近に控えて、その嬉しさから気が昂り、見た目には感じられないが、実は今日までの強行軍による疲労がかなり酷い。この上、王太子を背負って、半日歩くのは難しい以前に無理だ。
俺とて、心と身体がいい加減にもう休ませてくれと悲鳴をあげているがやむを得ない。
交互に背負うのは王太子に負担を欠けてしまうだろうし、普段から長距離を歩くなどの体力作りとは無縁な王妃様や王太子妃、第二王女に至っては最初から期待が出来ない。
ところが、嬉しい誤算が発生。
義父と行動を共にするとばかり思っていたショコラちゃんが俺達に合流した。
剣士として、日々鍛えているショコラちゃんなら安心して任せられる。
それに三人なら迎えに行く部屋も一階、二階、三階と離れた三箇所の為、それぞれが分散して担当する事で北宮での滞在時間を減らせるのも大きい。
但し、予想外な誤算もあった。
それはショコラちゃんが俺達と合流する事になった理由『初代様の呪い』の解呪というか、治療というか、とにもかくにもソレを行った結果、俺とショコラちゃんは叔父と姪の関係以上の深い関係になってしまった点だ。
改めて説明するまでもないが、レスボス侯爵家はインランド王国の歴史と共に歩んできた由緒正しき家。
その令嬢と深い関係を結んでしまった以上、責任は取らなければならない。叔父と姪だからとか、やむを得ない事情があったとか、最初に押し倒されたのは俺の方だったとかは責任逃れの理由にすらならない。
しかし、ショコラちゃんとティラミスは自他とも認める大親友の関係にある。
果たして、ティラミスは許してくれるだろうか。よりにもよって、大親友に手を出してしまった俺を。
そもそも、俺は既にエステルとシスティーの二人を愛人にしている。
ミルトン王国戦線へ出兵する前、ティラミスから浮気は駄目だとしつこいくらいに念を押されたにも関わらず。
だが、ティラミスは許してくれた。
その俺の元へ届いた手紙には次は本当に駄目だからと書かれており、俺自身も絶対にもう二度と欲望には負けないと固く誓ったのにだ。
今から家へ帰るのが怖い。
もし、俺が何かを言えるとしたら、それはショコラちゃんがとても情熱的で凄かったという事くらいか。
つい俺はソレに関しては新兵のショコラちゃんに負けてなるものかと大ハッスル。
連続三回の激戦の果て、『初代様の呪い』とやらの解呪は無事成功したが、隣の部屋にいながらその存在をすっかり忘却の彼方に置いていたミーヤさんから白い目で見られてしまった。
それともう一つ。大きな懸念が有る。
ハッスルし過ぎたせいか、義父との戦いの中で負い、ポーションの治癒効果で塞がった筈の左脇腹の傷が先ほどから針を刺すような痛みをチリチリと内側から発し始めている点だ。
ショコラちゃん曰く、姫巫女が自ら祝福を授けたポーション。
戦いの勝利者権利であるその半分を義父へ譲った事について、今でも後悔は微塵も感じていない。
しかし、その時はショコラちゃんとの戦いがその後に待っているとは考えもしなかった。
今にして思えば、各所に負った傷の治療よりも気力と体力の回復を優先して、その殆どを服用したのは失敗だった。
なにしろ、ハッスルする上でとにかく大事なのは腰だ。
そのすぐ隣に治療したばかりの傷があるのだから治るどころか、悪化して当然である。一度、そうなってしまったら立ち止まれない男の本能が実に悲しい。
「右、良し……。左、良し……。正面、良し……。」
大げさなまでに顔を振り向けながら指差しして、部屋の間取りを確認する。
ミーヤさんからの情報提供によると、三棟の屋敷はどの部屋も大小は有れども基本的な間取りは一緒らしい。
さしあたって、廊下と繋がるこの部屋を何と呼ぶべきか。
鍵が出入口のドアに設けられていない理由を先ほど語ったが、その実は建て前に過ぎない。
ヒトとは大なり小なり見栄を張りたがるもの。
その相手が歓心を買いたい愛する者なら尚更だし、特に女性は何かと準備に時間がかかる傾向が強い。
実際のところ、国王が不意にやって来たら困ってしまう現実的な本音があり、まさか国王を廊下で待たせる訳にもいかず、この部屋が設けられている。
この北宮も、この部屋に住まう側妃も所有者は国王になる為、その国王を客扱いするのは変かも知れないが、やはり『応接室』と呼ぶのが妥当なところか。
ただ、応接室といっても国王を待たせる場所である。
ソファーは勿論の事、どの調度品も一級品。庶民なら一家族が余裕を持って暮らせるだけの広さが有り、それが応接室というひと目での印象を薄くさせていた。
俺だったら、ここで待てと言われても静かに待っていられない。
そわそわと落ち着かず、調度品を鑑賞するフリをして、ソファーを立ったり座ったりを繰り返すに違いない。
また、国王を待たせるのだから接待の必要性が有る。
その為、この応接室には常にメイドさんが控えており、お茶を淹れるなどの軽食が作れるキッチンが左手側に、メイドさんが寝泊まりする部屋が右手側にある。
しかし、この応接室にも、左右のどちらの部屋にもメイドさんは今居ない。
現在、この北宮は本来とは違った目的で扱われているが、この部屋に今滞在していると考えられる人物は王妃様であり、専属のメイドさんが二十四時間体制で控えていて然るべき筈がだ。
上手く考えたものだ。
王城へ他者を呼び付けるだけで全てが足りる王妃様達は世間に関する知識は持っていても経験は持っていない。
北宮から逃亡を企むとしたら夜だが、王城からの脱出に上手く出来たとしても、その先は第三者の協力が必要不可欠である為、たったこれだけの事で逃亡を簡単に防げる。
事実、警備員達が今夜最後と思しき一斉巡回を行うのに先んじて、百合館各階のメイドさん達が次々と移動を開始。
そのランプの明かりの行方を追ってみれば、全員が一旦は一箇所に集められた後、北宮そのものから退出させられている。
つまり、この瞬間、この部屋に居るのは俺と王妃様の二人だけ。
王妃様は健康に、食事に気を使っているのだろう。その実年齢を知らない者から見たら、三十代前半か、二十代後半に見えるくらい若々しい。
勿論、王妃に選ばれるだけあって、容姿端麗であり、そんな女性の部屋へ、それも夫をつい最近に亡くしたばかりの未亡人の部屋へ真夜中に忍び込むという背徳を感じさせるシチュエーションが俺の鼓動をドキドキと加速させてゆく。
「し、失礼しまぁ~~す……。」
正面へ進み、ドアの前で生唾をゴクリと飲む。
ドアノブに伸ばした右手は汗ばみ、罪悪感からつい出てしまった声が震える。
真夜中の静寂の中に響き渡ったドアの軋む音に息を飲むが、躊躇っている暇は無い。
作ったドアの隙間に半身を滑り込ませてゆくと、女性が暮らす部屋特有の匂いが次第に濃くなり、その男だったら本能的に無視が出来ない匂いに鼻息まで荒くなって、より鼓動は煩さを感じるほどに早まる。
「これはジュリアスの為……。これはジュリアスの為……。これはジュリアスの為……。」
ベランダと接する正面は一面がガラス張りの壁。そこから月明かりが差し込む薄暗いリビングルーム。
まずは視線を左に向けると、ここもミーヤさんの情報通り。バス・トイレルームとドレスルームらしき二つのドアが並んでいる。
ここまで遂に辿り着いた。
今、振り向いている顔の反対側にあるだろうドアこそ、目的地のベッドルームだ。
だが、胸の内は達成感より背徳感が圧倒的に勝り、震える膝が足を重くさせていたが、ここで立ち止まる選択肢は無い。
いつしか、心の中で唱えていた筈の呪文が口から勝手に飛び出して、顔を右側に振り向けながら足を一歩踏み出したその時だった。
「な、何者です?」
「のわっ、んぐぐっ!?」
冷たい夜風と共にか細い声が正面から届き、俺の胸はドッキーンと張り裂けんばかりに高鳴り、慌てて驚愕が飛び出しかかった口を両手で塞いだ。
******
「深夜の無礼をお許し下さい。コミュショーに御座います」
ここに至って騒がれては溜まらない。
前へ五歩。窓から月明かりがぎりぎり届いている場所まで素早く進み出て、その場に跪きながら名乗りを上げる。
「えっ!? 男爵? ……何故、貴方がここに? どうやって?」
過去、王妃様と私的に談笑した経験はたったの三度しか無いが、俺はジュリアスの友人という事で信用は得ているらしい。
王妃様は見開ききった目をパチパチと瞬き。俺の姿を確認すると、その不安を鎮めるように右手を胸に置きながら安堵の溜息をゆっくりと漏らした。
警備員達は随分と前に詰め所へ戻っている。
たまたま寝付きが悪かったのか。とっくに寝ているだろうとばかり思っていた王妃様が何故にまだ起きていて、ベランダに居たのかは解らない。
確かなのは夜ふかしをするつもりは無くて、一度は寝ようとベッドに入ったのだろう。
開いたガラスドアの向こう側、ベランダに立つ王妃様は髪を解き下ろしたネグリジェ姿。それもこれから暑さを増してくる夏の夜でも寝苦しさを感じさせない見た目も涼し気な白い薄布のネグリジェ姿である。
そんな格好で月明かりを背に立っているから、身体のラインがこれでもかとくっきりはっきり状態。
おまけに、胸を右手で押さえているせいで二つのぽっちが丸見えに浮き出ており、股間と閉じた両腿の間に作られた黄金の隙間から漏れる月明かりが王妃様は就寝時にパンツを履かない派だと俺に教えてくれていた。
これ以上の直視は目の毒と判断して、慌てて視線を伏す。
危機一髪だった。もし、王妃様に立てと言われても、背筋を伸ばして立てなくなるところだった。
「お忘れですか? いつぞやのチェリーパイです」
「ああ……。そう、そうでしたね。地下のアレを貴方に教えたのは私でしたね。
なら、男爵がここへ現れたのは……。フフ、おかしなものね。あの子を助けるつもりが逆に助けられるなんて」
それにしても、やはり王妃様は聡明な方だ。
落ち着きを取り戻してみれば、多くを語らなくてもたった一つのキーワードを聞いただけで俺の目的を瞬時に察してくれた。砂時計の砂を一粒たりとも無駄に出来ない今、とても助かる。
「では、ご同行を願えますね?」
「いえ、それは出来ません」
「何故……。とお聞きしても?」
だが、伏した視線の先まで延びる王妃様の影は首を左右に振った。
ここまでの苦労を即答で無下にされて、つい舌打ちを鳴らしたい衝動に駆られるが、実はその答えを十中八九で予想していた。
なにせ、王都の下に存在する巨大な地下空間の秘密を俺に教えてくれたのは王妃様に他ならない。
王妃様が持つ権威を用いれば、協力者を作る事は容易い。その気を強く持ってさえいたら、北宮から脱出するチャンスは幾らでも作れた筈だ。
だから、その気を持てない理由が問題になる。
予想される幾つかの理由を考えて、それを崩す反論も用意してあるが、それ以外の場合は仕方がない。不要な時間を費やしていられない為、強引な手段を取るしかない。
「夫を亡くしたのです……。
今だって、他に手段は無かったのかと声を荒げて罵りたい気持ちは有ります。
でも、いつかはこんな日が来るかも知れないと覚悟はしていました。
だから、私は貴方に王都の秘密を……。ジュリアスを託したのです。
そう、私はずっと見て見ぬフリを続けてきた。夫が国策を誤っていると知りながら、それを正そうとせずに……。
もし、今回の一件が騒動が貴族達の主導で行われたものなら、私も抵抗する事を考えたでしょう。
だけど、違う。メレディアも、ジェスターも汚名を着るのを厭わず、国をより良くしようと自ら立ち上がったのです。
決して褒められた手段では有りませんが、私とは大違い……。立派です。
だったら、私が信じてあげなくてどうするんですか? 二人は私がお腹を痛めて生んだ子ではありませんが、私は二人の母親なのですから」
しかし、心配は無用だった。
王妃様が哀愁を滲ませて語る懺悔こそ、俺が最も可能性が高いと考えていた理由そのものだった。
たまらず笑みがニヤリと漏れている表情を引き締め直して上げる。
少し涙ぐんで憂いを全身に帯び、王妃様の目の毒さはますます強まっているが、ここで目を逸してはならない。力を込めた視線を王妃様へ真っ直ぐに叩きつける。
「王妃様の子を思う親心。感服する他は有りません。
しかし、恐れながら申し上げます。王妃様、貴女は矛盾している。
その理屈で言うのなら、ジュリアス殿下もまた貴女のお子様ではありませんか?
何故、メレディア殿下とジェスター殿下の肩入れは出来ても、ジュリアス殿下の肩入れは出来ないのですか?」
「肩入れなど……。私はそんなつもり……。」
「なるほど、あくまで解らないフリを続けなさる?
もし、そうであるなら今は時間が惜しい。不興を買うのを承知で諫言させて頂きます。
正確な話は聞かされていないでしょうが、人の口に戸は立てられない。
ましてや、ここは渦中のど真ん中。王妃様、貴女はとっくにご存知の筈だ。ジュリアス殿下が偽王討伐の兵を挙げたのを……。
だったら、これもご存知の筈だ。貴女がジュリアス殿下の行く末を案じているように、ジュリアス殿下もまた貴女の行く末を案じており、貴方がここに居てはジュリアス殿下が本気で戦えないのを」
「そ、それは……。」
今度は王妃様が顔を伏せる番だった。
最初は居心地を悪そうにしながらも俺との視線を交えていたが、視線を次第に落としてゆき、最後は完全に項垂れた。
そこから心の中でゆっくりと十カウント。
これ見よがしに溜息を深々と漏らして立ち上がり、心苦しさを本音では感じながらも表情に薄く嘲り笑う仮面を被って、王妃様の心をグサリとえぐり刺す一撃を放つ。
「そこまで承知しておきながら、まだ傍観を望む。
貴女はまた過ちを繰り返すつもりですか? ジュリアスの母親が殺害された時のように?」
王妃様の肩がビクリと大きく跳ねた。
確証を持たない俺の勝手な予想だったが、その解り易すぎる反応に心の中で『やはり』と呟き、俺の予想が正しかったと知る。
俺がこの場へ訪れた理由を瞬時に察した件のみらなず、過去に交わした会話の端々から王妃様の聡明さは感じていた。
いずれは他国の王族か、自国の有力貴族に嫁ぐ事を定められて、その夫のサポートと自国の国益を得る為に幼い頃から学ばされたのだろう。自分の価値は素よりそれを活かす術や色々な意味での政治を良く知っている。
だからこそ、ジュリアスは今日まで生きてこれた。
もし、王妃様がジュリアスの後見人になっておらず、その権威を各方面に働きかけていなかったら、ジュリアスはとっくに暗殺されていただろう事実が俺の調査で解っている。
そんな王妃様が事前にジュリアスの母親が殺害される予兆や企てを知らなかったなんて有り得るだろうか。
政治的な理由で結ばれた自分とは違い、事件の加害者も、被害者も夫である先王が自ら望んだ相手なのだから、その動向を注意深く気にしていて、当然と考えられないだろうか。
但し、恋敵が殺されて、王妃様は『ざまあみろ』と切って捨てられる性格では無い。
王妃様は他者を思いやれる優しいヒトだ。当時は激しい葛藤を、事件直後から今日に至るまで猛烈な罪悪感を抱き続けてきたに違いない。
「黙りなさい……。」
沈黙が暫く続き、俺が更に追い詰めようと口を開きかけるが、その機先を制するように王妃様がポツリと呟いた。
十数年に渡り、己の内に抱え秘めていた思い。それを一欠片たりとも漏らすまいと堪え、下げている両手を力強く握り締めながら肩を微かにワナワナと震わせて。
「貴女が贖罪なら、ジュリアスは代償。
どちらもまやかしから始まった関係ですが、もう今の貴女達は血より濃い絆で結ばれた本当の親子だ。
だったら、次は後悔だけでは済みませんよ? 後悔以上の絶望を味わう事になる。気にかけてはいても結局は憎い恋敵を見捨てた時とは違ってね?」
だが、その願いは聞けない。ここで止めては意味が無い。
他者の心の内を土足でずげずけと踏み荒らす申し訳無さを感じる一方、心を鬼にした容赦ない追撃を加えた次の瞬間。
「黙りなさい! そのような事、貴方に言われずとも解っています!
でも、どうしたら……。どうしたら良いのか! それが解らなくて困っているのではありませんか!」
王妃様が涙をポロポロと零す顔を跳ね上げて激高した。
今も王妃様はベランダに立ったまま。その怒鳴り声は深夜の北宮に響き渡り、ここから遠く離れた警備員達の詰め所まで届いた可能性を否定は出来ない。
当然、俺の胸は早鐘を乱れ打ち、ドッキドキのバックバク状態。
この場から今すぐ逃げ出したい衝動を必死に堪えて、余裕たっぷりの笑顔で右手の人差し指を口に立てる。
「王妃様、しぃーーっ……。」
「あっ!?」
王妃様が目をハッと見開いて、慌てて口を両手で塞ぐ。
その反応から激高したのは俺に煽られての我を忘れた結果であり、警備員達がこの現場へ駆け付けてくるのを俺同様に嫌がっていると解る。
最早、王妃様の説得に成功したも同然だ。
下げに下げきった今、あとは上げるだけ。交渉事における基本である。
「大丈夫、ご安心を……。
そのどうしたらを解決する為、私はここへ来たのです」
「ですが……。」
「おっと、慌てないで下さい。そして、勘違いはならさないで下さい。
私はジュリアスの味方になって欲しいとも、三人の仲介をして欲しいとも申しません。
第一、それを試みたところでどうにもなりません。残念ながら、そのタイミングはとうに過ぎています。
この国の歴史は血を欲している。その流れに逆らうのは愚でしかなく、もう誰にも止められない。
即ち、私が王妃様に望むのはどちらの味方にもならない中立的な立場。
世俗から離れて、そこで心安らかに過ごして頂き、世が平穏を取り戻したその時は勝利者を祝福して労って頂きたいのです」
俺は右足を引き、左手を横へ水平に差し出すと、ゆっくりとしたオーバーアクションで右手を胸に添えながら王妃様へ頭を下げた。