第01話 槍と出会い
書籍版『無色騎士の英雄譚』から此方へ訪れた皆様へ。
一部の固有名詞が書籍版となろう掲載版では違います。
例)書籍版:アルビオン王国 > なろう掲載版:インランド王国
その辺りを脳内変換してお楽しみ下さい。
「ガウウ!」
村などの集落が近くに存在しないせいか、この森は獣の宝庫だった。
探して歩くまでもなく大物の猪と遭遇。それを捌いていると、今度は熊まで現れた。
「ひょっとして、サーロインやヒレの方が良かったか? でも、それは贅沢ってもんだろ?」
必要以上は採らない。それが猟師の掟である。
猪の腿肉を遠くに放り投げて、それで我慢しろと訴えたが、冬眠前の熊はソレをペロリと平らげると、貪欲にもお代わりを所望して襲いかかってきた。
こうなってしまっては止むを得ない。無用な殺生ではあるが、槍を手に持って立ち上がり、背後に突進してくる熊を目がけて振り向き様に突き出す。
「せい!」
いつも通り、気合いと共に腕の捻りを加えた渾身の一撃。
見事、それは狙いを違わず、跳びかかり立ち上がろうと熊の喉元に命中する。
本来なら、心臓を続けざまに狙って突き、熊の動きを一瞬でも止めるのが、親父から受け継いだ必勝パターン。
しかし、今の俺が持つ武器は棒ではなく、鋭い切っ先が付いた槍。それも槍頭の根元に鎌の様な片刃が付いた品。
「……えっ!?」
その為、インパクトの瞬間、棒であるなら跳ね返ってくる手応えは非ず、そのまま突き抜ける。
しかも、捻りの回転によって、槍頭の根元の片刃が熊の喉元周囲の皮と肉を切り裂くと共に抉り取り、熊の喉元に大きな穴が空く。
その結果、辛うじて繋がっていた喉元両端の肉も余った勢いに引き千切られ、熊の頭が宙に飛び、その切断面から血が噴水の様に噴き出す。
返り血を浴びせられては堪らない。慌ててバックステップで後退して、首無しの熊との距離を取る。
「これが……。槍か」
一拍の間を置き、首無しの熊は膝を折ると、そのまま前倒しに倒れ、重い音を鳴り響かせながら大地を揺らす。
それでも、まだ心臓は動いているのか、首の切断面から噴き出す血の勢いは盛んであり、手足はピクピクと痙攣を繰り返している。
明らかなオーバーキル。棒と何ら変わらない扱いを行っているのに、この桁違いの威力。
警戒と構えを解きながら手の内の槍をまじまじと見つめて思う。猟師が扱う武器として、槍はあまりにも度が過ぎている。
なにしろ、目の前の熊の様に首と胴体が離れてしまっては毛皮の価値が極端に下がってしまう。
熊の毛皮に求められるのは全身丸々の毛皮。うちの村を訪れていた行商人のおっちゃん曰く、剥製や敷物にして売るらしい。
ましてや、どんな肉や毛皮などよりも高値で取引されている熊の胆嚢を槍で傷つけてしまったら泣くしかない。後悔の日々が何日も続くのは間違いなし。
実を言えば、猪の際も槍の威力がやはり大きすぎて、肉をかなり無駄に削いでしまっていた。
猪と熊、この二つしか経験はまだ無いが、親父が狩りの手段として棒を選んだのは納得である。槍より圧倒的に技量を必要とするが、棒なら獲物を傷つけて損なうという事がない。
また、俺が親父から学んでいたのは『棒に非ず、槍』と言うヘクターの推論は当たっているかも知れない。
なにせ、初めて手に取った武器であるにも関わらず、槍を使っていても違和感を全く感じない。
それどころか、槍先の鉄の重みが加わった事により、一つ、一つの動作に鋭さが逆に増しており、槍を振っていて心地良いくらい。
だからこそ、あの戦いの中を生き延びる事が出来た。
この槍は敵軍の騎士と思しき男を打ち倒して奪ったモノである。
有り得ない筈の森からの奇襲で始まった昨日の戦い。それは実に酷いものだった。
戦えと逃げろ、その相反する二つの命令が連呼されて、もう誰が味方で誰が敵なのかが解らず、同士討ちすらも始まり、味方は混乱大パニック。
その上、敵軍の一斉突撃。あの赤いフルプレートメイルの奴が目の前に現れた時は生きた心地がしなかった。
そいつを中心に十重二十重の輪を作り、その首を取ろうと何人もが襲いかかるが、ちぎっては投げ、ちぎっては投げの大立ち回り。
その強さを例えるなら、プレイしているゲームがまるで違う状態。俺達が戦国乱世のシミュレーションゲームなら、そいつだけはSENGOKUのアクションゲーム。
あれこそが絶対にチートの持ち主。
実際、そいつが槍を一振りすると、俺達雑兵は四、五人が軽く吹っ飛び、輪の壁はガリガリと削られてゆくのだから堪ったものじゃない。
俺自身、ちょっと調子に乗って、皆と一緒に襲いかかってみたが、あっさりと吹き飛ばされている。
おかげで、その時に打たれた左脇が息をする度に痛い。今は応急処置として、布を切り裂いて、左脇をテーピングで締め固めているが、骨が折れていないのを祈るのみ。
挙げ句の果て、味方の最高司令官が我先にと一目散に逃げ出す始末。
燻り収まりかけていた混乱の火種は再び一気に燃え上がり、それは味方全体に飛び火して、大混乱の敗走が始まった。
敵の突撃はここぞと勢いを増し、俺も無我夢中となって逃げた。逃げて、逃げて、その先は憶えていない。ふと目を醒ましたら、この森に居た。
常識的に考えて、獣や魔物の領域である森を逃亡先に選ぶ奴はいない。
しかし、俺は猟師。森こそ、最も慣れ親しんだ場所であるが故、ここを無心ながらも逃亡先に選んだのだろう。
その結果、俺を追う者も居らず、命が助かったのでは無かろうか。
だったら、せっかく繋いだ命。コゼットと再会するその日まで死ぬ訳にはいかない。
無用な殺生となってしまった熊に合掌すると、猪から剥ぎ取った毛皮を風呂敷代わりにして、猪の肉を手早く纏めて持ち、この場を素早く去る事にする。
「さて……。戻るとするか」
暫くすると背後にて、血の臭いに誘われたのだろう。野犬共の遠吠えが聞こえた。
******
「おっ!?」
この森で目を醒まして、まず求めたのは水だった。
幸いにして、水場を探す術は親父から教わっていた為、小川を見つけるのにさほどの苦労は無かった。
その小川を見渡すと、あちらこちらに靴や布切れなどが河原に流れ付き、その真新しさから、戦場となった敵味方の陣の間に流れていた小川の下流なのだろう。
やはり同様に川幅に対して、河原が大きく、好奇心に惹かれて木に登ってみれば、川は地平の彼方まで続いていた。
早速、喉を潤すと、次に行った事と言えば、ズボンとパンツの洗濯だった。
実を言うと、戦争中は必死で気付いてさえもいなかったが、どうやら小どころか、大までもブリブリと漏らしていたらしい。
前世での精神年齢を加えたら、四十代後半。この歳になって、おミソ漏らしはさすがにヘコんだ。
もちろん、洗剤など有りはせず、一日が経過して固く乾いたソレはなかなか落ちず、川の水に浸して洗いながら少し泣いた。
ともあれ、そう言った事情から、今の俺は下半身裸のアレがぶらんぶらん状態。
そんな情けない格好で味方が集結しているだろう場所に帰れず、手頃な木に洗濯したズボンとパンツを引っ掛けて干すと、今度は空腹を感じて、狩りに出かけたところだった。
そして、太陽の位置を頼りにして軽く走り、1時間ちょっと。微かに聞こえてきた小川のせせらぎ。
その方向に歩を進めると、目印とも言える干されたズボンとパンツが見つかり、胸をホッと撫で下ろす。
あまり心配はしていなかったが、ここは初めての森。迷わないとは言い切れない。
「ふぁっ!?」
しかし、最後の藪を掻き分けて、撫で下ろした胸を飛び跳ねさせる。
先客が居た。と言っても、俯せに倒れているだけなのだが、その姿に問題があった。
赤いフルプレートメイル、あの無双野郎である。昨日の恐怖がまざまざと蘇り、ぶらんぶらんと揺れていた俺のアレがキュッと縮こまる。
その背中が微かに上下しているところから生きているのが解る。
恐らく、状況から察すると、俺同様に水を求めて、ここに辿り着いたが、小川に達する前で気を失ってしまったのだろう。
今先ほど思わず出してしまった悲鳴もそうだが、その際に背負っていた猪の肉が藪の中に落ち、結構な音を立てたが、その音にすらピクリとも反応しない。
念の為、無双野郎から精一杯に離れた上、木の後ろに隠れ、槍の石突きで二度、三度と突いてみる。
だが、やはり反応は返ってこず、無双野郎は俯せに倒れたまま。
「何だよ。脅かすなよなぁ~……。」
そうと解れば、何も怖くはない。大きく安堵の溜息を漏らしながら無双野郎の元に歩み寄った。
******
後世、無色の騎士と名高いニート。
だが、その存在はインランド王国末期に名将と呼ばれたバルバロスの存在無くして有り得ない。
では、バルバロスはニートという当時はまだ無名の英雄をいつ、何処で見出したのか。
その記録は残されていないが、この年に行われたミルトン王国第一次遠征の最終決戦の最中ではなかろうかと言われている。
この第一次遠征にて、インランド王国はミルトン王国領内を破竹の勢いで進軍。トリオールの街に至るまでの三つの村と五つの集落を占領している。
だが、肝心な拠点となり得るトリオールの街を目の前にして、オーガスタ要塞に撤退。その最大の敗因は第一次遠征の最終決戦における奇襲作戦の失敗にある。
この時、第一次遠征の最高司令官たるバルバロスは敵中に孤立した伏兵部隊を救う為、無謀とも言える突撃を敢行しているのだが、軍監が記した記録にこうある。
嘗ての赤備え、健在なり。敵兵は恐れ慄き、敵陣を堂々と無人の荒野を行くが如し。
しかし、その歩みを阻む者有り。其はボロを纏った奴隷なり。槍を将軍に突きつけて、一騎打ちが始まる。両軍、大いに沸き立つ。
残念ながら、この奴隷に関しての名前は解らない。
ミルトン王国側の記録にも、ただ奴隷とのみ記載されている。
だが、インランド帝国は否定しているが、ニートが元奴隷であるのは公然の秘密であり、彼が槍の名手であったのはあまりにも有名な話。
また、この戦いの後、バルバロスは行方不明となり、一時は戦死扱いとなるが、約一年後に自領へ帰郷した時、ニートを従者として連れている。
つまり、この時の奴隷こそがニートではないだろうか。
武人同士、一騎打ちの末に何か通じるものがあり、バルバロスがニートという英雄をインランド王国に導いたのではないだろうか。
全ては憶測に過ぎないが、そう考えると辻褄が合い、これがインランド史における定説となっている。