幕間 その6 続々々続・ショコラ視点
「さて、ショコラよ。まずは謝っておこう。
お前が秘めている才は私以上。恐らくは我が家の歴史の中でも一、二を争うものだ。
鍛錬と経験をきちんと積んでさえいれば、今頃はお前の名が遥か遠くまで届いていたに違いない。
しかし、そうと知りながら私とカーテリーナは、お前の母はその才を敢えて封じた。………済まなかったな」
「えっ!? えっ!? えっ!?」
どんな話が始まるのかと思えば、いきなりの謝罪だった。
それも言葉のみならず、頭を深々と下げての謝罪。驚きのあまり我が目と我が耳の両方を疑う。
当家『レスボス侯爵家』は誰もが認める大貴族だ。
我が国五指といわれたら微妙なところだが、十指の中には名前が確実に挙がる。
言うまでもなく、その権威は絶大。
お祖父様は家督をお母様に譲って久しいが、過去の戦場で得てきた戦歴と『剣聖』の二つ名が権威を未だ衰えさせていない。
むしろ、年齢を重ねるに従い、現役時代より増したといえるだろう。
お祖父様が頭を下げる必要があった方々は、その殆どが先代国王陛下のように亡くなっているか、様々な理由で完全に隠居。姿を公の場から消しているのが理由だ。
今、我が国で格上は先代王妃様一人のみ。同格でも宰相様とバルバロス様の二人だけ。
下はそうでもないが、地位が動きにくい上にいけばいくほど年齢による人生経験の差を覆すのは難しい。
現王たるメレディア陛下でさえ、お祖父様を儀礼的な臣下の礼で頭を下げさせる事は出来ても、お祖父様を心の底から頭を下げさせる事は出来ない。
ところが、そのお祖父様が頭を下げた。
正しく、驚天動地の出来事。初めて目の辺りにする目の前の光景に驚くなというのは無理が有る。
「お前が子供の頃によく話した我が家の初代様の話。今でも覚えているか?」
「えっ!? うん、まあ……。」
その上、心を驚愕で染めきった直後にこれである。
前でもなければ、後ろでもない。話が突拍子も無い方向に飛び、困惑がぐるぐると渦巻く。
しかし、貴族にとって、自分の先祖は尊ぶ誇り。
物心がついた頃から『今の私達が在るのはご先祖様のおかげ』と幾度も躾けられて、先祖が築き上げてきた誉れを叩き込まれた頭は困惑の最中でもお祖父様の質問に解答を出す。
我が国の隆盛と共に歩んできた当家『レスボス侯爵家』の歴史は古い。
幾人もの名だたる軍人を排出して、国の興亡を大きく賭けた戦場では常に尖兵を担い、武門の家としての地位を確立。今では『王家の剣』の称号まで賜り、それを数代に渡って不動のものとしている。
だが、その栄光の数々も初代様一人が得た栄光には勝てない。
永い時の流れの中、美化や誇張が少しづつ加えられてきてはいるだろうが、その贔屓目を差し引いても初代様に関する逸話の数々は一言でいうなら立身出世の英雄譚に他ならない。
事実、レスボス侯爵家領内の酒場で吟遊詩人達が歌う定番といったら初代様の英雄譚であり、永い時を経ながらも領民達に愛され続けている。
私自身、幼い頃は初代様の英雄譚を就寝時の子守唄代わりに語ってくれとお母様に毎晩のように強請り、その栄光の数々に胸を踊らせながら眠りについたものだ。
なにしろ、初代様の英雄譚は一介の傭兵から幕を上げる。
それも当家の伝記によると、その出自は遠い西の地あったとされる今はもう亡い国の士爵位の四男。
剣才を育てる環境は辛うじて有していたが、成人後は口減らしに放逐されて、冒険者を生業として流れてきた風来坊である。
つまり、後ろ盾を全く持たない平民が剣一本で成り上がっている。
武勲を山のように積み上げて、遂には敵国の王太子を打ち取る偉業を達成。辺境伯の爵位と共に今のレスボス侯爵家領の基礎となった広大な領地を授かるにまで至った。
正しく、末代までの誉れ。正しく、絵に描いたような立身出世物語。
その血が私の中にも流れていると考えただけで誇らしくなるし、初代様の名を汚さぬように剣の腕を今以上に磨こうという決意が燃え滾ってくる。
「断言しよう。荒唐無稽な有り得ない話だと」
「えっ!? ええぇぇ~~~っ!?」
ところがところが、前当主自らの問題発言。
驚愕のあまり目をギョギョッと見開き、言葉を失った口をパクパクと開閉させる。
「勘違いするな? 伝えられている初代様の話を疑っている訳では無い。
初代様のような武勲を……。特に敵国の王太子を討ち取るなんて、相手がよっぽどの大馬鹿か、大間抜けで無い限りは不可能だと言っている」
「うん? ……うん?」
そうかと思えば、舌の根も乾かぬ内に前言撤回をした挙げ句、矛盾に満ちた発言。
お祖父様の言いたい事が解らず、驚き、戸惑い、驚愕の順に忙しなく変化してきた頭の中がクエッションマークで満ちて溢れる。
「ショコラよ。武勲とは何だ?」
「えっ!? 戦場で敵を討ち取る事でしょ?」
「なるほど……。間違ってはいないが、正しくもない。
武勲とは騎士を、敵将を討ち取って得られるモノだ。
雑兵の首を何百、何千と列べたとしても、報奨金は得れても武勲は得られない。
だが、想像してみろ? 騎士が戦場にポツンと一人で立っていると思うか? 違うだろ?
騎士は兵士達に守られて、その身も堅固な鎧を纏って守っている。
そして、その極みが王太子という存在だ。
千の騎士、万の兵士が壁を十重二十重に作って守っており、それは一人の剣技でどうにかなる問題では無い。
三枚や四枚の壁なら味方の軍勢と共に破れる。それが精鋭なら五枚、六枚もいける。
しかし、それ以上は難しい。七枚目を破れたとしても、味方が付いてこれない。一人、孤立する。
だから、その先へ更に踏み込むとなったら、よっぽどの奇策を練り、天の時、地の利、人の和の三つを揃える必要が有る。
だが、これだけのお膳立てを整えられたとしても得られるチャンスは一瞬だ。
その一撃で討ち取れなかったら、二撃目を入れようとする間に近衛が身を挺して割って入り、王太子はその隙に逃げてしまうだろうな」
そこへ質問からの解説が重ねられ、お祖父様の言いたい事がようやく解ってきた。
私は実際の戦場を知らない為に想像だけで実感は出来ないが、今まで認識していた以上に初代様は偉大だったという事実だ。
ただ、そうなると初代様は敵国の王太子をどのようにして討ち取ったのかが俄然と気になってくる。
残念ながら当家に伝わっている正確な記録は簡素な結果だけを残すのみ。時を経て、人から人へと言い伝えられてゆく内、どの逸話も肝心要の共通点は一緒だが、それを飾る前後に差異が生じており、お祖父様とお母様の二人ですら所々が微妙に違う。
それこそ、歌う事で糧を得ている吟遊詩人達は尚更だ。
全く同じでは客が付かない為だろう。先祖から受け継いできたお祖父様やお母様の口伝以上のアレンジが加えられている部分が多い。
「なら……。あっ!? 解った! 一騎打ちで!」
「はっはっはっはっはっ! 無い無い! もっと有り得んよ!」
「何で? どうして? お祖父様だって、一騎打ちで武勲を何度も挙げているじゃない?」
私なりに考えて解答を閃かすが、あっさりと一笑に付されてしまう。
お祖父様は傑作だと言わんばかりに喉の奥まで見せ、思わず唇が苛立ちに尖る。
「それは私がレスボス侯爵家の当主であり、中央軍司令代理だったからだ。
なにせ、私を討ち取っただけで勝敗が決まるのだから、敵から見たら一騎打ちを挑まない手は無い。
それに私も一騎打ちは嫌いじゃなかった。たった一人を倒しただけで味方の士気が大きく上がるのだから応じないのは損だ。
だが、名も知れぬ雑兵から一騎打ちを申し込まれて、私がそれを受けると思うか? その雑兵に一騎打ちで勝って、何かしらの意味が有ると思うか?」
「思わない」
「そうだ。受ける筈が無いし、勝っても意味は無い。
つまり、一騎打ちとは互いの格が釣り合ってこそ、初めて成立するものなのだ。
当時、初代様は名がそれなりに知られるようになって、男爵位も得ていたが所詮は国内の知名度。所詮は成り上がり。
いや、インランド王国という国自体が革命に成功したばかりで成り上がり国家だった。長い歴史を持つ国の王太子との一騎打ちが成立するなど絶対に無いと断言が出来る」
「それなら……。どうやって?」
だが、お祖父様の反論にぐうの音も出なくなる。
再び頭を懸命に悩ますも閃きはちっとも走らず、お祖父様に感じていた苛立ちがそのまま自分に対する苛立ちへと変わり、その手っ取り早い解消を求めて尋ねる。
「狂戦士だ」
「狂戦士?」
そして、返ってきた答えがこれだった。
偉大な初代様を指しているのは解るが、その不穏さしか感じさせない名称に眉を寄せながらオウム返しで問い返す。
「我々がそう呼んでいるだけの俗称だが……。
良い意味でも、悪い意味でも常識を覆して、戦況すらも覆す存在が極稀に居るのだよ。
命令も、戦況もお構いなし。血に酔いしれ、強者と相まみえる事に異常な執着を持ち、前へ前へとひたすらに突き進む。
どんなに傷を負っても満足するまで止まらない。戦場という地獄の中だけしか己の生を実感する事が出来ない破綻者の事だ」
「それが初代様だと?」
「確証は無いが、まず間違いない。
陣の奥深くに守られている王太子を討ち取るとなったら、そのチャンスは敵も、味方も指揮系統が大混乱に陥っている真っ最中しかない。
……となれば、戦況は限定されてくる。敵も、味方も真っ向からの全軍突撃による総力戦だ。
狂戦士の戦いぶりは周囲に大きな影響を良くも悪くも与える。
戦場の片隅で始まった一人の無謀な突撃に引っ張られて、全軍がなし崩し的に突撃するしかない状況に気づいたら陥っていた。そんな事がまま有る。
当然、事前に練っていた作戦は台無しにされるし、兵力の消耗も予定より大きくなる。
はっきり言って、兵を率いる者としては迷惑この上ない存在だが、その手綱を上手く握りさえすれば、負け戦を勝ち戦にひっくり返す事も出来る切り札でもある」
「へーー……。」
今、話題となっている『狂戦士』に苦い思い出が有るのだろう。
お祖父様は皺を眉間に刻みながら忌々しそうに語ると、最期に鼻を鳴らして吐き捨てた。
しかし、やはり私は実戦も知らなければ、戦場での指揮官の苦労も解らない。
幼い頃に根付いて成長すると共に育ててきた初代様への敬意の方が断然に勝り、ぼんやりとした応えしか返せない。
「難点は戦場の外にも有る。
なにしろ、戦場では誉れとなる殺人が日常では大罪。許されざる行為だ。
だから、狂戦士は戦場で得られる高揚感に似た別の何かを日常に強く求める。
その例を幾つか挙げると、単純に喧嘩っ早かったり、身体を壊すほど酒を浴びるように飲んだり……。夜な夜な、違う女と閨を交わして、浮名を流したりな」
「あっ!?」
だが、ここで閃きが走り、息をハッと飲む。
お祖父様は初代様に関してを語っていた筈がまるで自分自身を自嘲するかのようにであり、それが今の話の発端になった不可解なキーワード『血』と繋がって、こうして話している内に一度はすっきりさせた筈の身体が再び火照り始めている自身の不可解さの解答を得た気がした。
「どうやら、その顔は解ったようだな。
狂戦士、それこそがレスボス侯爵家の血の中に脈々と受け継がれている初代様の呪いだ。
そして、この初代様の呪いは血が直系に近れば近いほど、剣の才を有していれば有しているほど強く現れる」
「う、嘘……。」
一拍の間の後、お祖父様は苦笑を漏らして深く頷いた。
当たって欲しくない仮定が当たってしまい、茫然と目を見開きながら絶望が心に広がってゆくのを感じる。
私はお祖父様を尊敬しているが、一人の女として見た場合、その度を超えすぎた女好きの部分はやはり好きになれない。
叔父様のように血を残す為の努力なら我慢はまだ効く。ちょっと人数が多いと感じるが、新興貴族故の焦りを理解が出来るからだ。
しかし、本人すら自分の子供が世の中に何人居るのかを把握すら出来ないのはどうか。
今でこそ、お祖父様は妾、愛人の元へ通う頻度が週に一度か、二度程度だが、若い頃は違う女性と夜な夜などころか、昼と夜で違う事もざらにあったとか。
よくぞ、それだけ同時多数を相手にしながら派手な諍いを一度も起こさなかったのは感心も、呆れもする。
だが、それが実は初代様から引き継がれた血の業であり、私の中にも色濃く流れているというなら、もう眉をひそめるだけの他人事ではいられない。
私は叔父様以外の男性を受け入れる気はこれっぽっちも持っていないが、叔父様は東へ、西へと多忙な人だ。いつも傍に居るとは限らない。
今、世間を騒がせている王位争奪戦がジュリアス殿下側の勝利で終結すれば、叔父様に対するジュリアス殿下の信頼はより強くなり、今以上に叔父様は多忙の身となるのは想像に難くない。
その時、私はどうしたら良いのか。
正直に言って、先ほどまで感じていた狂おしいほどの衝動は耐え難い。
こうなったら御用商人が密かに勧めてきたアレを購入して、ティラミスに協力して貰うか。
そっちの趣味は持っていないが、ティラミスが相手なら構わない。事情を話せば、きっと協力してくれる筈だし、叔父様も相手がティラミスなら許してくれるだろう。
それにとても重大な問題がまだ有る。
私が把握している限り、ティラミスを筆頭に叔父様の好みは明らかに大人しい女性だ。
毎晩のように欲求不満を覚えて、その欲望に耐えきれず、自分から閨に誘うエッチな女は大丈夫だろうか。
もし、拒絶されたり、引かれでもしたら、私はどうしたら良いのかが本当にわからなくなる。心に広がりきった絶望の中心で不安がぐるぐると渦巻く。
「嘘だと思うのなら、今の騒動が落ち着いたら我が家の系譜を調べてみろ。
軍人として、名を挙げた者達は妾を必ず抱えている。それも複数人だ。
もっとも、男ならそう問題にならない。私のように浮世を幾ら流そうが、その評価はヒトそれぞれ。好評にも、悪評にもなる。
しかし、女は駄目だ。悪評にしかならず、それは家名にまで影響を及ぼす。
だから、お前が何処まで伸びるか。駄目だ駄目だと解っていながらも、その誘惑に駆られる一方でカーテリーナと相談して、初代様の呪いを封じた」
「えっ!? 封じたって……。どうやって?」
そんな私へと差し込む希望の光。
説明する上で順番は有ると解っていながらも、それを先に言って欲しかった。
表情を輝かせながら知らず知らずの内に落ちていた視線を勢い良く跳ね上げて食い付く。
「簡単な事だ。お前を戦場から遠ざけたら良い。
領内の盗賊退治や山賊退治ですら、何かと理由を付けてはお前を参加させなかったのはそういった理由からだ」
「じゃあ、お母様はっ!? ザッハはっ!?」
しかし、それは今まで私が抱えていた不満でもあった。
私は戦場を知らない。別にヒトを殺めたい訳ではないが、やはり幼い頃から研鑽を重ねてきた剣の腕を実戦で試してみたい欲求は常に心の底に有った。
女だから、嫁入り前だから、顔に傷を負ったら一大事だから。
そう言われては納得するしか無くて、不満を飲み込んでいたが、まさかまさかの真実に納得が出来なくて声を荒げる。
「今、言った筈だ。剣の才を有していれば有しているほど強く現れると……。
残念だが、お前の弟は二流が良いところ。どちらかと言えば、父親と同じで文官寄りだ。
性格も大人しくて、良い領主にはなれるかも知れないが、軍人にも、剣士にも向いていない。
カーテリーナは軍才の花を見事に咲かせたが、剣士としてはあと一歩届かなかった。一流半といったところだ。
しかし、そのカーテリーナでさえ、私やお前ほどではないにしろ、駄目だった。
初陣は大丈夫だった。次の戦も問題は無かった。
その後も半年ほど幾度かの戦を経ても問題は現れず、すっかり安心しきっていたところにお前の父が憔悴しきった顔で私の前に現れて、こう告げてきた。
大事なお嬢様を傷物にしてしまいました。三ヶ月ほど前から関係に有ります。誰にも漏らしてはいませんし、身分違いなのは承知しています。どうか、斬り捨てて下さいと」
「ええっ!? 嘘っ!?」
「そう、嘘だ。お前の父は剣の腕は三流だが、計数と軍略に長けた生真面目な奴だ。
そして、何よりも周囲が新たな出会いを勧めても、病で亡くした幼馴染の婚約者を頑なに想い続けていた奴でもある。
だから、カーテリーナの副官に付けたのだし、すぐに嘘だとも解った。
案の定、すぐにカーテリーナを呼んで問い詰めてみれば、カーテリーナの方から誘ったと言うべきか、襲ったと言うべきか……。
やはり戦いの後は欲情を抑えきれず、関係を結ぶまでは一人遊びで済ませていたそうだ。
しかし、その現場をたまたま報告を届けに訪れたお前の父に目撃されて、盛り上がっている最中だった事もあり、タガが外れてしまったらしい。
しかも、しかもだ。カーテリーナの奴め……。悪びれるどころか、あっけらかんとこうも言ってくれた。
実を言うと、私は子供の頃からずっと不思議に思っていました。何故、父上は母上を泣かせてまで外に女を作ってばかりいるのかと。
しかし、経験して、初めて解りました。男女のまぐわい、あれは素晴らしい。とても素晴らしい。
自慰では決して得られないあの欠けていたモノが満たされるような感覚。昨夜は四度も達しましたが、父上が夢中になるのも頷けます。
ですが、私は彼一人で十分です。どう相談しようかと悩んでいましたが、これで結婚を認めてくれますよね? はっはっはっはっ、と笑ってな。
もう怒る気が失せたというか、カーテリーナの隣で青い顔を俯かせながらブルブルと震えているお前の父が気の毒で気の毒で仕方なくて、仲を認めるしか無かった」
「へ、へぇぇ~~~……。」
その結果、身分違いの大恋愛と聞いていた両親の馴れ初めが嘘だったと発覚。
知りたくなかった現実を知ると共に自分の近未来をそこに見たようで顔が引きつるのを止められなかった。
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「元々、妻は身体が弱くてな。二人目を産んだ時点で三人目は危険だと医者に諌められ、その時点でカーテリーナが私の跡を継ぐのが決まった。
レスボス侯爵家の当主となる以上、戦場に立たねばならない。そう考えて、男同然に鍛えた。
だが、お前の叔母達は違う。所詮、嗜む程度だ。いざという時は剣を持ち、自分自身を守って逃げられるくらいのな。
お前も最初はそのつもりだった。……いいや、違うな。私は関わる気すら持っていなかった。
先ほどもいったが、カーテリーナは剣士としてはあと一歩届かなかった。レスボス侯爵家は継いでくれたが、私の剣は継げなかった。
そして、それは春の馬鹿騒ぎ『試し』でも同じだった。
それまで私の子を名乗り、その証拠も持つ男が何人か現れていたが、これはと思える者は一人も居らず、私は自分の剣を継いでくれる者がこの世の何処にも居ないのだと諦めていたからだ」
話が両親の馴れ初めで脇道に逸れて、すっかりと緩んでしまった空気。
それを払拭するように溜息を深々と漏らすと、お祖父様は一呼吸の間を空けてから再び語り始めた。
「なら、どうして?」
剣の師は誰かと問われたら、私は迷わずお祖父様の名を挙げる。
鍛錬の時間を一緒に積み重ねてきた時間を比較したら、お母様の方が断然に多い。お祖父様との鍛錬は週に一度有るか、無いかの上に時間も短かった。
だが、どちらかといったら、お母様は私が鍛錬をサボったり、手を抜いたりさせない為の見張り役。
週に一度有るか、無いかの上に短い時間でも、その一時に込められたお祖父様の熱気は本物であり、サボるなんて以ての外。手を抜く余裕すら与えて貰えなかっただけにお祖父様の言葉は意外だった。
「カーテリーナに強く頼まれたからだ。
稽古を一度でも良いから付けてやって欲しい。あの娘は私を遥かに超える天才だからとな」
「お母様が……。」
思わず驚愕に目を見開く。またもや、意外だった。
我が家での褒め役はお父様と決まっており、お母様はお祖父様に似て、滅多に褒めない。
譬え、褒めたとしても『まあまあだな』が関の山。これが最大級の褒め言葉である。
子供の頃、鍛錬の時に罵詈雑言を色々と聞かされたが、その実は誰よりも私の才能を認めてくれていたのだと感動する。
「当時のお前は五歳を迎えて、剣を振り始めたばかり。才能を見極めるには早すぎる。
男勝りに育ててしまったのは私自身だが、親馬鹿になる程度の母性は持っていたのだとつい笑ってしまったよ。
しかし、当時のお前と対峙してみて、すぐに思い違いだと悟った。
無論、まだ五歳だ。素振りすらお粗末なものだったが、私の剣を半ば見切り、お前は目と勘が抜群に良かった。
それに大抵の子供は軽くいなしただけで簡単に泣き喚くところをお前は笑ってみせた。
いなす勢いを強めれば強めるほど目をキラキラと輝かせて、私へ何度も何度も挑んできてな。
戦士にとって、不屈さは最も大事な要素だ。これを無くして、大成は決して無い。
この時点で既にお前を育てる気になっていたが……。つい欲が出たんだろうな。私はお前に本気の殺気をぶつけてみた」
「さすがに大人気なくない?」
しかし、その感動にお祖父様があっさりと水を差す。
ぽかぽかと暖かくなった胸の内は瞬く間に冷え、白けた目をお祖父様へ向ける。
お祖父様の本気の殺気を浴びて、猫族の娘がどんな目に遭ったか。
こんな事は言いたくないが、亜人故にきっと辛い経験を重ねてきた大人の彼女ですらアレだ。当時の出来事は幼すぎて記憶にこれっぽっちも残っていないが、どうなったかは想像に難くない。
「だが、収穫は有った。
お前は腰を抜かして、失禁を……。いや、脱糞もしていたな」
「ちょっ!?」
「まあ、それはどうでも良いんだが」
「どうでも良いなら、わざわざ言わないでよ! もうっ!」
ところが、お祖父様は肩を震わせながらクツクツと笑って、私の過去を赤裸々に暴露。
反省どころか、後悔すらも許されない幼少期の身に覚えが無い恥ほど無慈悲で残酷なものは無い。
しかも、その場面に居合わせた人生の先達は良き思い出として悪びれなく語るのだからタチが悪い。
声を幾ら荒げたところで無駄であり、逆に喜ばせるだけと知りながらもたまらず唾を飛ばして怒鳴る。
「くっくっくっ……。すまん、すまん。話を戻そう。
当然、カーテリーナは私を責めた。それが言葉になっていないくらい猛烈な剣幕でな。
ところが、肝心のお前ときたら……。くっくっくっ……。
私から庇って慰めようと抱き締めるカーテリーナを押し退けて、こう言ったのだ。
お祖父様、今のは何? 何なの? もっとやって! もっとやって! ……とな。
卒倒しないだけでも十分過ぎる驚きだというのに、私も、カーテリーナもお前のはしゃぎように言葉を失ったよ。
しかも、しかもだ。私に斬りかかれば、殺気をまた浴びせてくれると思ったのだろうな。
そして、私が喜々と向かってくるお前をどうしたものかと何度か受け流していると、とうとう表れた。
目は恍惚に潤み、頬を赤らめながら息をはぁはぁと荒げて、五歳の幼子が完全に女の顔だ。
まさかと疑いながらも直感で理解した。それが初代様の呪いだと……。
おまけに、行為の意味は解らなくても身体が本能的に求めたのだろう。
意識と右手の木剣は私へしっかりと向けながらも、左手は捲り上げたスカートの中の股間を貪って、一人遊びを……。」
「あーーーっ! あーーーっ! 聞こえない、聞こえない! 何も聞こえないったら、聞こえなぁぁーーーい!」
だが、お祖父様はやはり反省の色がゼロな上、新たな暴露を投入してくる始末。
その先は言わせてなるものかとお祖父様の声を叫んで掻き消すと、お祖父様は再び肩を震わせながらクツクツと笑い、それを憎々しく睨み付けるもこれまた効果無し。せめての抵抗に腕を組みながら顔をプイっと背ける。
「くっくっくっ……。私は確信したよ。
五歳にして、こうまでも血が濃く表れるいるのだから、剣才もまた極上に違いないと。
実際、成長して、身体が出来上がり始めると、お前は腕をめきめきと上げていった。
一時期、慢心から熱意を半ば失いかけていた時期もあったようだが、他の追従を許さないほどに。
だが、今だから明かそう。当時のお前は世間体を気にして本気を出さない周囲に強い不満を持ち、実力だけが物を言う戦場に期待して、成人したら騎士になると公言して憚らなかったが、そのまま騎士になっていたら、お前の人生はお世辞にも幸せとはいえなかっただろう」
しかし、それすらも別の意味で無駄な抵抗だった。
お祖父様の話に関心を持てずにはいられず、顔が勝手に正面へと戻ってしまう。
詰まるところ、お祖父様の話は私が叔父様と出会わないか、叔父様を好きにならなかった場合の話だ。
当時の私は自分が騎士になる事こそが絶対に自分の幸せになると考えていただけに当然の事ながら気になる。
それにお祖父様の言葉を大袈裟と思わないでもない。
お祖父様の根拠には話の流れ的にやはり初代様の呪いが関係しているに違いないが、お父様とお母様が運命的な出会いを果たしたように、私も叔父様以外のお父様的存在と出会っていたらの可能性を考えられないだろうか。
「どうして? やっぱり初代様の呪いで?」
「それも原因に違いないが、それ以前にお前の願いは絶対に叶わなかったからだ」
「どういう事?」
「もし、お前が騎士になっていたら、第二王女の親衛隊が新設されて、お前はそこに配属される事が決まっていた」
「第二王女殿下の? ……あっ!?」
だが、私の考えは甘かった。
私は初代様の呪いとどう付き合ってゆくかを考えていたが、お祖父様は初代様の呪いそのものを完全に封じる手段を考えていた。それを第二王女殿下の親衛隊に配属される予定だったと聞いた瞬間、即座に解った。
第二王女殿下は成人後も王城の奥へ引き籠もり、公式行事にすら姿を滅多に現さない御人だ。
なら、その親衛隊の役目は必然的にこの国で最も安全な王城奥の警備となり、戦場へ出るどころか、剣を鞘から抜く機会すら与えられなくなる。
しかし、王族の親衛隊に所属する。それは大変な名誉である。
その進路が示されたら辞退は許されないし、一旦でも所属したら転属を願い出る事も許されない。
親衛隊という縛りから開放されるとしたら、その可能性はただ一つ。
第二王女殿下が結婚して、役割を終えた親衛隊が解散する時以外に無いが、国は王城奥という最高機密を知る親衛隊隊員を放り出したりはしないだろう。
そもそも、女の騎士自体が貴重な存在だ。
親衛隊解散後もそのまま王城の警備役か、名ばかりの暇な名誉職に就かされて、海外からの女性貴人を相手する役目を担う未来が待っているに違いない。
正しく、お祖父様の言う通りだ。
他者は安全で高給な上に名誉まで兼ね備えた親衛隊の役目を羨むに違いないが、当時の私の価値観から見たら不幸でしかない人生だと断言が出来る。
余談だが、第二王女殿下の親衛隊が新設されたという話は耳にした事が無い。
ひょっとして、私が騎士の道へ進まなかった為、ぽしゃってしまったのだろうか。
もし、そうだとするのなら同僚になるかも知れなかった候補者として名前が挙がっていただろう私以外の面々にちょっとだけ心苦しさを感じてしまう。
「教えたら教えただけ成長するお前が何処まで強くなるのか。
私は駄目だと承知していながら興が乗り、次々と課題を与えて、お前を鍛えすぎた。
その結果、国王の耳にすらお前の名前が届くようになり、それを誇らしく感じる一方、私とカーテリーナは困り果てた。
軍部と陪臣達の両方から強く望まれ、お前自身も望んでいる以上、お前を騎士にせざるを得なくなったからだ。
そこで苦渋の選択として出てきたのが第二王女の親衛隊案だったが、この案を私も、カーテリーナも出来るものなら避けたかった。
当然だ。家の為とはいえ、その先に待ち構えているのが苦難と知りながら、自分の孫に進ませたがる奴が何処に居る。
だが、お前も、周囲の者達も納得させるだけの理由を、お前を騎士にさせない理由を私も、カーテリーナも見つけ出せないでいた。
だから、お前が騎士になるのを止めると突然言い出した時は私も、カーテリーナも驚き、同時に心の底から良かったと安堵もした。
……というのも、お前が騎士にならない理由として、お前とニートの結婚は正に誰もが納得するしかないこれ以上は無い理由だったからだ」
「叔父様が? それはどうして?」
先ほどまでの軽い口調とは打って変わり、苦悩を滲ませたお祖父様の声。
それは当時に感じた疑問の答えであり、ようやく長年の疑問が解けた瞬間だった。
私は騎士になって、初代様のような武勲を挙げる。
レスボス侯爵家は弟のザッハが継ぐが、お母様が若い頃に得ていた二つ名『修羅姫』は私が継ぐ。
そう公言して憚らなかったのが突然の心変わり。
お祖父様とお母様はきっと激怒して、その説得に苦労すると思いきや、酷く驚いて戸惑いはしたが、最初の三日は顔を合わせる度に、その後は十日くらい朝晩の食事の度に意思の再確認を何度も確かるだけで怒る事は一度も無かった。
むしろ、あまりのしつこさに私の方が逆に怒ったくらいだ。
ただ、叔父様がここに関係してくるのが解らない。解らないが、そう言われてみるとその通りかも知れない。
当時、私が騎士になるのを止めたと知って驚き、それを惜しみはしても、それを引き留めようとする者は確かに少なかった。
「私とあいつは長年の腐れ縁だし、カーテリーナとあいつの三男も……。
いや、これはお前に言うべきでは無いのかも知れないが、お前を一人前の女と認めて明かすと……。
その昔、カーテリーナとあいつの三男は恋仲でな。あいつと親戚になるのは忌々しかったが、婚約寸前まで話が進んでいた頃があったのだ」
「ええっ!?」
「詳しい事情は省くが、それが互いの家の事情で駄目になってな。
その時、自分達は結ばれなかったが、自分達の子供同士を結ばせて、その時こそは望んだ形とは違うかも知れないが固く結ばれよう。そう二人は誓い合ったのだ」
今日はもう驚いてばかりだ。
目をこれ以上ないくらいに見開き、口もあんぐりと大きく開け放つ。
お祖父様が呼ぶ『あいつ』とはバルバロス様に他ならず、その三男といったらティラミスの父親である。
そういう背景が有ったなら、誰もが納得したのが頷ける。
形が複雑ではあるが、叔父様がオータク侯爵家に婿入りした上で私が叔父様と結ばれれば、約束を確かに果たしているのだから。
それにしても、こんなロマンチックなところがお母様に有るなんて思いもしなかった。
恐らく、先ほど知ったお父様との馴れ初めから推測すると、ティラミスの父親と恋仲だったのは成人する以前の話だろう。
普段はさばさばとした男らしい性格のお母様だが、少女の頃はちゃんと女の子らしい恋をしていたのだと心がほっこりと暖かくなってくる。
「ちなみに、私がそれをどうして知っているのかと言ったら、王城の大通路のど真ん中だったからだ」
「えっ!? どういう意味?」
「恐らく、未練を断ち切ろうと努力していたのだろうな。
破談になった後、あいつの三男はカーテリーナの前から姿を消した。
また来たのかと嫌味が出るくらい頻繁に訪れていた我が家は当然として、ありとあらゆる場所から……。
それならとカーテリーナが向こうの屋敷へ出向いてみれば、何日も何日も居留守を使い、居座ったら居座ったで裏口から逃げてな。
私が心の整理が付くまでそっとしてやれと何度か忠告したが……。駄目だった。
結婚は出来なくなったが、ずっと友人で在り続けよう。
そう言ってきたのは向こうの方だと憤り、二週間くらいは我慢していたようだが、業を煮やしたカーテリーナはとんでもない暴挙に出た」
「まさか? 王城の大通路のど真ん中って……。」
「そうだ。追っても逃げるなら、絶対に通らなければならない場所で待ち構えたら良い。
カーテリーナは正門が開く朝一番に登城すると、大通路のど真ん中で腕を組み、あいつの三男がやって来るのを待ち続けた。
そして、朝のヒトがごった返す中、あいつの三男がカーテリーナの横を何食わぬ顔で通り過ぎようとしたが、その肩を掴んで止めると大通路の隅々まで響き渡るほどの大声で叫んだのだ」
「や、やだっ……。お、お母様ってば、男前すぎ」
だが、お母様はやっぱりお母様だった。
たまらず顔を引きつらせる一方、世間を今騒がせている王位争奪戦が無事に済んだら、当時の話を詳しく聞かせて貰おうと心のメモにしっかりと刻んでおく。
但し、話を聞く相手はお母様よりお父様の方が適任だろう。
この一件でも解る通り、お母様は男前すぎる。包み隠さずに教えてくれるに違いないが、そこに照れといった甘酸っぱい色はきっと感じられない。
私は歴史を知りたいのではない。どうせなら恋話に心をときめかせて、ティラミスと当事者に関わる者同士でキャーキャーと盛り上がりたいのだ。
「知っての通り、カーテリーナはスカートを今でも滅多に履かない。
それもそう育てた私に原因が有るのだが、当時は今のように髪を伸ばしておらず、ショートカットでな。
胸だって、お前を生むまでそう育っておらず、軍服を着るともう完全に線の細い青年にしか見えなかった。
そして、あいつの三男も二枚目の良い男だった。二人が並んで立つと、何でもない日常の光景ですら実に絵になったものだ。
ただ、絵になり過ぎたというか、何というか……。そのだな……。
お前は違うと信じているが……。どうして、女はああも男同士の恋愛にキャーキャーと騒ぐのだろうな。教会が定める禁忌の一つと知っている筈なのに」
「ああ……。解った。その話、凄く有名なんだね? 私達は知らなくても、お母様の世代以上には」
もう一つ、新たな事実がここで判明した。
当時、王城へ登城すると見知らぬ女性から叔父様との仲を祝福される事が多くて戸惑ったが、こういう背景があったのか。
性癖に分類されるのか、嗜好に分類されるのか。
自分が女でありながら男性同士の恋愛に心をときめかす。私はその適性を持っていない。
しかし、それを『古き良き伝統』と隠語で呼び、貴婦人の嗜みと定める女性達が居るのは知っている。
それも結構な人数が居り、王都には同好者が集う女性限定完全紹介制の秘密クラブが古い歴史を持って存在しており、とても大きなネットワークを持っているのも知っている。
実を言うと、私の親しい友人がこの秘密クラブの会員で入会を一度だけ誘われた過去が有る。
その時、彼女から『これ、凄い尊いから』と、『これ、凄い使えるから』と勝手に捏造されたお祖父様とバルバロス様の恋愛劇を描いた本を貸して貰ったが、私には何が尊いのか、どの辺りをどう使えるのかがさっぱり解らなかった。
ちなみに、彼女からの情報によると、最近は叔父様とジュリアス殿下のカップリングが秘密クラブで嘗て無いほどの盛り上がりをみせているらしい。
やはりと言うべきか、ジュリアス殿下の成人しても声は高いままで美少女然とした容姿は『古き良き伝統』に薄い興味しか持っていない者でも受け入れやすいのだろう。
秘密クラブは入会者数を増やして、半年毎に発行している既刊8巻の物語は写本が追いつかないほどに売り切れているとか。私も実はその本だけは興味が少し有ったりする。
「そういう事だ。だから、お前が思っている以上の者達がお前を見ている。
お前の醜聞はレスボス侯爵家のみならず、カーテリーナとあいつの三男も蔑まれる種になると心得るんだ。
そして、お前が剣を振るうのは自衛の最終手段。そう肝に銘じよ。
どうしても腕試しをしたくなったら、その時はニートに頼め。ニートならお前の強さも、初代様の呪いも受け止められる。解ったな?」
お祖父様は暗闇の天井を見上て、首を左右にやれやれと言わんばかりに振っての一溜息。
更に一呼吸の間の後、顔を下ろすと、力強い眼差しを向けて説き、最後により力強い眼差しを向けた。
「はい!」
この点に関しては言われずともだ。しっかりと頷いて応える。
初代様の呪いを実感したのはまだ一度っきり。不安が無いといったら嘘になるが、叔父様と一緒なら大丈夫と固く信じている。
「では、走れ。今すぐ、ニートに抱いて貰うのだ」
「えっ!? ……えっ!? ええぇぇ~~~っ!?」
しかし、すぐに続いた言葉はさすがに頷けなかった。
せっかちが過ぎるお祖父様にびっくり仰天。地下空間に木霊を響かすほどの叫び声をあげた。
******
「い、いきなりっ!? い、いきなり、何を言ってるのよっ!? もうっ!?」
お祖父様がいう『抱いて貰う』はただ抱擁を交わすだけでは無い。
言い方は色々と存在するが、要は男と女が文字通りに一心同体になっちゃうアレの事だ。
だが、私は『王国の剣』で呼ばれるレスボス侯爵家の長女。
叔父様から強く求められたとしても、私自身が強く願っても、婚前交渉はご法度。ソレだけは結婚初夜を絶対に待たなければならない。
貞操を散らしたなら絶縁、貞操を奪われたなら舌を噛んで死ね。
そう私の身体が女らしい成長を始めた頃から何度も何度も言い聞かされてきた。
その戒めを前当主が破れと言っているのだから意味が解らない。何を考えているのか。
「まだ理解していないようだな。初代様の呪いは一人遊び程度で治まるものではない。
それにお前自身もとっくに気づいている筈だ。つい先ほど解消したばかりの欲望がもう身体を熱くさせ始めているのを」
「うっ……。」
しかし、お祖父様の言う通りだった。
胸をギクリと高鳴らせながら反論すら出来ずに言葉を詰まらせる。
お祖父様と話し始めた頃は気のせいだと感じていたが明らかに違う。
私の女の部分が今では完全に疼きを発しており、ソコをお祖父様が居る前でまさか掻きむしる訳にもいかず、それを少しでも解消しようと足の重心を右に、左にと切り替えてはいたが酷くなるばかり。
「祖父でもない。剣の師でもない。同じ苦しみに悩んだ者として忠告する。
また自分で慰めたら平気だと考えているなら甘い。それで済んだなら、私も苦労はしなかった。
そもそも、戦場での気が昂りから異性を欲しくなる者は多い。
だが、誰もそれを呪いなどと大袈裟に呼んだりはしない。お前がそうしたように気の昂りを晴らしたら、それで済むからだ。
しかし、初代様の呪いは違う。自分で慰めたところで治まらない。確かに暫くは大丈夫だが、すぐに前以上の昂りが襲ってくる」
「前以上……。の?」
喉をゴクリと鳴らして生唾を飲み込む。
先ほど叔父様の前で感じていた身を焦がすほどの衝動ですらギリギリ寸前だったにも関わらず、それ以上になったら私はどうなってしまうのか。
更に付け加えるなら、先ほどの衝動を開放した時に得られた素晴らしさは今まで経験してきた中でダントツの一番だった。
それを踏まえて考えると、先ほど以上の衝動を開放したら、その素晴らしさはどれほどのモノになってしまうのかと好奇心が湧く。
「そうだ。自分で慰めている限り、昂りはどんどん酷くなってゆく。
それが次第に苛立ちへと変わり、やがては誰であろうと見境なくヒトを斬ってしまいたくなる衝動へと変わる」
「なっ!?」
「つまり、初代様の呪いは殺意と性欲が表裏一体。一人では満足を決して得られない。
満足を得るには相手が必要であり、その相手をベッドの上で屈服させてこそ、満足を初めて得られるのだ」
だが、それは浅はかな考えだったとすぐに思い知る。
恐怖心が心に広がりかけていた好奇心を塗り潰して、内腿を伝い落ちてゆく滴を冷たく感じさせる。
「それを考慮した上で聞くが、正直に応えろ」
「何?」
「ショコラ……。お前、処女で間違いないな?」
「あ、当たり前じゃない! わ、私はずっと叔父様一筋なんだから!」
そうかと思ったら、これだ。
気持ちを切り替えて、お祖父様の問いかけを真剣に待った私が馬鹿だった。お腹の底から叫び、最後に『失敬な!』と吐き捨てる。
「うむ……。ならば、良し」
「良くないわよ! 何なの! ちゃんと意味を教えてよ!」
「解らんのか? 鈍い奴め……。
相手をベッドの上で屈服させてこそ、満足を初めて得られるなら、その逆に屈服させられたらどうなるのかと言う事だ。
言い換えるなら、斬り掛かっておきながら返り討ちに遭う訳だ。ひょっとしたら、初代様の呪いを今回限りで済ませられるかも知れん」
「本当っ!?」
しかし、またもや浅はかな考えだったと思い知らされる。
お祖父様の仮説はなるほどと納得が十分に出来る。心へ差し込んできた一条の光に目が輝く。
叔父様は女好きの百戦錬磨だ。
ティラミスの話によると、叔父様はティラミスとサビーネさんの同時二人がかりですら勝てないらしいのだから、どう考えてもソロの経験しか持たない私が勝てる筈が無い。
それともう一つ。重大な事実に気づいた。
自分自身の事ばかりを考えて、今の今まで気づこうともしなかったが、叔父様もまた初代様の呪いに苦しめられている一人であり、それ故の女好きなのだと。
なら、初代様の呪いを宿す身同士として、私の役目はその理解を示す事だ。
きっと叔父様の事だから妾の一人や二人をミルトン王国戦線で作っているに違いないし、ティラミスは意外と嫉妬深いから、その仲介をするのが私の差し当たっての仕事かも知れない。
「あくまで私の推測だがな。……しかし、その可能性は十分に有る。
ここは戦場でも無ければ、お前はその手で実際にヒトを殺めたのとも違う。
私とニートの戦いを目の当たりにして、そこに戦場の空気を感じ取ったに過ぎないからな」
ふと何か重いものが落ちたような音が近くでドサリと鳴った。
何事かと釣られて振り向けば、叔父様との決着の際に肩口から断たれたお祖父様の左腕が剣を握り締めるのを止めて、地面に落ちている。
それはまるで俺の事を忘れていないかと責めているようであり、少し軽くなった心が口元に笑みを浮かばせる。
お祖父様の左腕は勿論の事、剣も貴重なマジックアイテムだ。どちらもそのままという訳にもいかず、回収する為に歩み寄る。
「それにもっと上手くいけば、来年の今頃にはお前とニートの子供が生まれている可能性だって有る。
くっくっくっ………。心残りを敢えて言うとするなら、それだ。
もし、お前達二人の才能をどちらも継いだら、どれほどの戦士に育つか。それを考えただけでワクワクしてこないか?」
だが、お祖父様の上機嫌な問いかけに思わず動きがピタリと止まった。
地面に突き刺さった剣を引き抜こうと、剣の柄を両手で逆手持ちながらお祖父様へ背中を見せている位置で助かった。
今、この瞬間なら力む前に動きを止めたようで不自然さは感じられないし、瞬く間に凍った笑顔もお祖父様からは見えない。
当然といったら当然だが、叔父様は私の叔父であり、私は叔父様の姪である。
私達が結婚したら近親婚となり、近親婚の間で生まれる子供は短命か、生まれながらに障害を持つか、或いはその両方の確率が非常に強いとされている。
それ故、近親婚で結ばれた場合、その二人の間に子供を設けず、養子を嫡子とするのが一般的になっている。
私もそのつもりでいた。既にティラミスと約束を交わしており、最初に産まれた女の子を私の養子とするのが決まっている。
本音を言ってしまえば、自分自身の子供が欲しい。当初は叔父様との間に子供を作るのも躊躇っていなかった。
しかし、ティラミスから将来を問われて、両親は近親婚では無かったが、嘗ては身体が弱くて日常的に寝込む事が多かったティラミスの実体験を聞き、考えを改めざるを得なかった。
こればかりはどうする事も出来ない問題だ。
叔父様が自分の叔父と承知していながらも好きになるのを止められなかったのは私自身である。
もし、叔父様が自分の叔父でなかったらと有り得ない可能性を何度も考えた事も有るが、これ等を今のお祖父様にぼやいたところで意味が無い。
「ああ……。うん、そうだね」
それにお祖父様の命数はあと僅か。
最後くらいはせっかくの上機嫌を曇らせたくはない。自分の暗雲を飲み込んで返事を返す。
「ん? 気のない返事だな? ああ……。血の濃さを気にしているのか。
そうだな。お前には言わねばなるまい。記録上、お前とニートは姪と叔父の関係だが、本当は他人だ」
「へっ!?」
「あいつがどうしても自分の娘とニートの二人を結婚させたいと言ってな。
それで『試し』を利用して、私の子にしたのだ。私とニートの間に血の繋がりは一滴も無い」
「そ、そうなの?」
ところがところが、そんな私に今日一番の驚きがここで襲った。
あまりの衝撃に茫然と目が点。叔父様を好きになって以来、ずっと抱えてきた私の悩みは何だったのか。
「だから、安心して、強い子を産め。
だが、この事実を知っているのは数人だ。カーテリーナさえも知らん。
無論、他言無用。ニートも含めて、お前の頭に知っているだろうと今浮かんだ者達とも、この秘密についてを話題にするな。
長年、騙されていたという怒りが有るかも知れないが、それはここに捨てておけ。それ以外は胸の内に全て収めて、墓まで持っていくんだ」
「うん!」
しかし、お祖父様と血が繋がっていないなら、叔父様のあの女好きは何なのか。
それを考えると眉が眉間に寄りそうだが、今は素直に喜ぼう。将来、叔父様との間に子供が出来ても心配は要らないのだから。
「さて……。話したい事は全て話した。
その剣はレスボス侯爵家のものだ。宝物庫へ返しておいてくれ。
しかし、この剣は私自身が若い頃に異国で手に入れたものだ。持ってゆくぞ」
「それは良いけど……。何処へ?」
重そうな音がドスリと背後で鳴った。
慌てて剣を大地から引き抜いて、お祖父様の左腕も拾って振り向くと、お祖父様は既に背中を向けて歩き出しており、私の足元にはお祖父様が腰に挿していた二本の鞘の片方が落ちていた。
「ふっ……。孫とはいえ、お前は女だ。
そして、男は女の前で格好を付けたがる生き物なのだよ。
それに墓で祀られるなど性に合わん。強いていうなら、このヒト知れぬ地下が私の墓標だ」
「お祖父様……。」
「いざとなったら、レスボス侯爵家など捨てても構わんからな。
ヒトも滅びれば、国も滅びる。なら、家もいつかは滅びるのも道理だ。それよりも幸せになれ」
地下空間の暗闇の中へと消えてゆくお祖父様の姿。
これが今生の別れと頭を深々と垂れて、その場に暫く佇んでいたが、自分の心にやはり嘘は付けない。頭を上げるや否や、すぐさま私は心を弾ませながら叔父様の元へ駆け出した。