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幕間 その3 続・ショコラ視点




「フハハッ! 愉快! 愉快だな!」

「くっ!? こっちはちっとも笑えないんですけど!」


 巨大な地下空間に鳴り響いて木霊する剣戟の音。

 九つの篝火が燃え盛って、大きな円を描くように置かれた赤い明かりの中、叔父様とお祖父様は刃と刃を激しく斬り結び合わせていた。


 一方、私と猫族の娘は二人の邪魔にならない明かりの外。

 上層部が天井まで届いて埋まっている塔の二階から二人の戦いを見下ろして固唾を呑んでいた。



「何を言うか! これほど愉快な事が他に有るか?」

「有るよ! 一杯、有るよ! もっと他の事にも興味を持とうよ! 年相応に盆栽とかどうかな!」

「減らず口を! 罰として、次は我が家に代々伝わる絶技の一つだ! 頼むから簡単に死んでくれるなよ!」

「ひぃっ!?」


 何故、叔父様とお祖父様が戦っているのか。

 それは夕飯後に幸せな満腹感にひたりながら皆でお茶を飲んでいた時の出来事だ。


『さて、どうする?』


 他愛もない世間話の合間、それまで黙っていたお祖父様が唐突に問いかけてきた。

 脈絡どころか、主語すら無ければ、問いかけてきた肝心のお祖父様は眼差しを手元のマグカップに落としたまま。誰に投げかけられたものかすら定かで無かったが、それが叔父様に対する問いかけであり、何を問いかけているかも明白だった。


 即ち、叔父様がこの巨大な地下空間へ訪れた理由。

 先代王妃様の救出へすぐに向かうか。それとも、ここで一晩を明かして、旅の疲れを癒やしてから向かうか。


『正直なところ、俺も、ミーヤさんも疲れが酷い。万全を期するなら、ここで一息をつくべきだと思う。

 だけど、その一息をついた結果、ここまで繋げてきた緊張が解ける方がもっと怖い。もう少し休んだから行くとするよ』

『だったら、始めるとしよう。先ほどのお前の食いっぷりを見るに腹ごなしは必要だろ?』


 こうして、始まった叔父様とお祖父様の戦い。

 しかし、それは最初の名目『腹ごなし』の域をすぐに超えて、その一撃一撃は鋭さと激しさを次第に増してゆき、今では端々に見え隠れしていた殺気が色濃くなり始めていた。


「あ、あの……。こ、これって、お稽古なんですよね?」

「ええ、そうね。だから、黙って見ていなさい」

「は、はい……。ひぃっ!?」


 おかげで、猫族の娘は気の毒なくらいに怯えまくり。

 視線を忙しなく右往左往。一時たりともジッとしていられず、身体をソワソワと落ち着き無く揺らして、剣戟の音が一際強く響き渡る度にビクビクッと震えて、先ほどから似たような質問を何度も繰り返していた。


 叔父様の紹介によると、彼女は第二王女殿下付きの筆頭侍女だとか。

 亜人の出入りを厳禁とする王城に、それも第二王女殿下付きの筆頭侍女を務めている事実は信じがたくはあるが、その主たる第二王女殿下はそもそも謎だらけの人物。もしかしたらと思えてしまう。


 なにしろ、第二王女殿下は人前に姿自体を滅多に現さない。

 幼少の頃はそうでも無かったらしいが、成長するに伴って公式行事ですら欠席するのが当たり前となり、今ではその姿を確実に見る事が出来るのは新年の祝賀パーティのみ。


 当然、その知名度は極端に低い。

 姿を人前に現さないのは、先王陛下が第二王女殿下を溺愛するあまり人前に出したがらないから。

 それに類似した噂が幾つか有るが、先王陛下が溺愛していようと知名度が極端に低くて、接触するのも困難な第二王女殿下を次代の王に擁立しようという動きは今まで一度たりとも起こらず、心無い貴族達の間で『引き篭もり姫』と影で揶揄されている。


 そんな第二王女殿下の筆頭侍女である。猫族の娘もまた王城の奥に秘蔵されていたのだろう。

 譬え、人前に出る機会が有っても、猫族は十三種族が存在すると言われている獣人種の中で姿がヒトに最も近い。


 男性は難しくても、女性なら尻尾をスカートの中に隠せる。

 特徴的な目と頬から伸びる数本の長い髭も黒くて濃いベールで隠したら解らないし、側仕えの侍女にベールを常用させている貴族の若い令嬢は珍しくない為、違和感は覚えない。


 何にせよ、第二王女殿下が住まう王城の奥は我が国で最も安全な場所。

 そこでは刃を抜く事すら許されないのだから、前方の光景に怯えてしまうのも当然だ。


 ならばこそ、彼女を宥めて落ち着かせるのが今の私の役目かも知れないが、その余裕が今の私には一欠片も無かった。

 武の道を歩もうとする者にとって、叔父様とお祖父様の戦いは正に値千金と呼ぶべきもの。目を一瞬たりとも離せず、彼女への応対がついついおざなりになっていた。


「ほう! これも受けきるか! 期待していた以上だな!」

「これ、知ってる! 俺、知ってるよ! 戦闘民族って奴だよ!」


 それにしても、叔父様は凄い。お祖父様がこうも生き生きと楽しそうに戦っているのを私は初めて見る。

 ここ数年、出兵中の叔父様の代理で我が家の毎年春恒例『試し』の主催を務め、思わぬ強敵と幾度か対峙した経験から次こそは叔父様と互角の勝負が出来るに違いないと自信を抱いていたが、残念ながらまだ及んではいなかった。


 お祖父様は基本的に自分から攻撃を仕掛ける事は無い。

 圧倒的な実力差によって、大抵の相手は所謂『後の先』を取るだけで足りるからだ。


 ところが、そのお祖父様が攻撃を積極的に仕掛けている。

 最初は『後の先』で応じていたが、今では『先の先』を取ろうとしており、叔父様はそれを見事に凌ぐだけではなくて、お祖父様の隙を見つけては有効打を取りかけてさえもいる。


「だが、もう十分だろう?」

「何が?」

「腹ごなしは済んだ筈だ」

「だから?」

「イケズな奴め。あくまでしらを切るつもりか?」


 その激しい打ち合いから一転しての力競べ。

 叔父様は槍の柄を、お祖父様は交差させた二剣の刃を真っ向から結ばせて、お互いに一進一退を繰り返す。


「斬ってるのはそっちでしょ? 俺は槍、突いてるんだよ」

「下らん冗談で誤魔化すな」

「もうっ……。何が言いたいのさ?」

「さっさと本気を出せといっている」

「とっくに本気ですけど! 付いてゆくのがやっとなんですけど!」


 勝敗は間もなくして着いた。

 やはり若さが軍配を上げる結果を生んだのか、叔父様が半ば戯けた口調でお祖父様を押し退ける。


 その勢いを殺さず、お祖父様は一歩、二歩、三歩とバックステップ。

 一旦、叔父様との間合いを広げて、即座に間合いを再び詰めようとする動きを一瞬だけ見せるが、そこで初めて気づいたらしい。

 押し退けられた際に弾かれた両の手と剣が万歳をするかのように掲げられており、そのまま間合いを詰めたところで叔父様に絶好の好機を与えてしまうだけの状況に。


「ぬうっ!? ……フハハハハハハハハハッ!

 よもや、ここまで成長しているとはな! 嬉しい! 嬉しいぞ!

 しかし、まだ甘い! 何故、攻めてこない! 何故、本気を出さない! 今、お前は幾らでも追撃を打てた筈だ!」

「ふぅ……。高く評価してくれるのは嬉しいけど、買いかぶり過ぎるのも困るんだけど?」


 お祖父様は完全に動きを止めた。

 頭上の二剣を茫然と見開いた目で暫く見つめた後、口元にニヤリと笑みを描きながら両の手と剣をゆっくりと下ろして構え直すと、巨大な地下空間に響き渡って木霊するほどの高笑いをあげた。


 しかし、私は愕然とするあまり笑えなかった。

 お祖父様の言葉通りなら、叔父様は今まで余力を残しながら戦っていた事になる。

 にわかに信じがたいが、実際に戦っているお祖父様がそう感じているのだから間違いない。


 一人の剣士として、思わず悔しさに下唇を噛む。

 叔父様と初めて出会い、初めて完敗を知った日から日々の鍛錬を弛まずに積み重ねてきた。

 勿論、それは叔父様も同じだろうが、差が縮まるどころか、より開いているのは何故なのかと叔父様とお祖父様の戦いから集中を途切れさせた次の瞬間だった。


「そうか……。そういう事なら仕方あるまい。

 褒められた手段では無いが、無理矢理にでも本気を出させて貰う……。ぞっ!」

「にゃっ!?」


 不意にお祖父様がこちらへと振り返り、右手の剣を一閃。

 その輝きと共に濃密な殺気が放たれ、すぐ隣で短い悲鳴があがった。




 ******




「うむ、ショコラはさすがに耐えたか」

「な、何を?」


 生まれた時から意識せずとも、眠っていても当たり前に繰り返してきた呼吸。

 それがお祖父様の殺気を浴びた瞬間、身体そのものがまるで忘れてしまったかの様に止まった。


 たまらず苦しさに顎を限界にまで上げ、慌てて気合いを自分自身に叩き込む。

 二度、三度と噎せて、肩で激しく息をする。全身に噴き出した脂汗が巨大な地下空間に流れている微風をやけに冷たく感じさせる。


「うん? 聡いお前らしくもない。

 たった今、言った筈だぞ? 無理矢理にでも本気を出させて貰うぞとな」

「なっ!?」

「それとも、まだ足りないか? 意識だけといわず、命も奪った方が良いか?」

「なっ!? なっ!? なっ!?」


 呼吸を繰り返しているのは今生きている何よりの証拠。

 だが、それが解っていながらも確かめずにはいれず、首を右手で掴んで撫でる。


 お祖父様が持つ二つの剣はマジックアイテムだ。

 距離や高低差は関係ない。もし、お祖父様がその気だったら、飛来した斬撃波によって、私は首を完全に断たれていた。


 また、お祖父様は叔父様と戦いながらも意図的に今の立ち位置を作ったに違いない。

 私から見て、二人が戦っている九つの篝火が描く円の中、お祖父様は最も手前側なら、叔父様は最も奥側。今からでもお祖父様がその気になったら、それを叔父様はどう足掻いても止められない。


 つまり、私達を人質にした用意周到な罠である。

 端的に言って、下衆な手段だ。お祖父様らしくない。


 だからこそ、叔父様は戸惑ってもいれば、憤ってもいる。

 その感情を鎮める為にだろう。叔父様はお祖父様から視線を外して、天井を暫く見上げると、ここまで聞こえてくる大きな溜息を漏らした。


「何故、そこまで?」

「何故だと? ……無粋な。

 戦士と戦士が戦場で相まみえたら、そこに存在するのは勝つか、負けるかの命の奪い合い。ただただ純粋な闘争だ。

 相手がどんな大義を持っているかなど無用の長物。余計な考えは迷いを招き、隙を招いて、死をも招く。……違うか?」

「それは同意する。でも、それはお互いが敵同士の場合であって、俺達は違うだろ!」


 そして、らしくない手段を用いてまで我を強引に突き通そうとする理由を問いた。

 槍の柄尻で大地を叩いて、自身の目の前に槍を突き立てた後、腕を組みながらお祖父様を真っ直ぐに見据えて。


 思わず『さすが、叔父様』と呟いて感心する。

 お祖父様が渇望しているのは叔父様との命を賭した真剣勝負であって、叔父様の命ではない。

 こうも『理由を教えてくれ、納得しなければ、本気を出して戦う以前に戦わない』と明確な意思表示をされてしまったら、お祖父様は答えざるを得ない。お祖父様が持つ『剣聖』の二つ名とその誇りが刃を無防備な叔父様に向ける事を許さないからだ。


「ふんっ……。やむを得んか。

 ならば、理由が必要というのなら話してやろう。お前自身に深く関わる事でもあるしな」

「俺自身に?」


 しかし、らしくない手段まで用いた手前、バツが悪いに違いない。

 お祖父様は鼻を鳴らして、叔父様同様に両手の剣を大地に突き立てると、そっぽを向きながら語り始めた。


「お前も知っていよう。お前とあいつが……。バルバロスが初めて出会い、旅をしていた頃の話だ。 

 一騎駆けを見事に成功させて、ミルトンとの戦況を痛み分けたまでは良かったが、直轄の兵達はほぼ全滅。

 本人も帰還せず、捕虜となった身代金要求もミルトンから届かず、あいつが戦死したという噂が流れて、一時は首を取られるのをこの目で見たとぬかす馬鹿まで現れたのを」

「ああ、サビーネさんから聞いているよ。

 オータク侯爵家を乗っ取ろうとする輩が次から次へと現れて、本当に大変だったともね」

「……だろうな。またとないチャンスだったからな。

 だが、私は信じもしなかった。噂を耳にした時、一笑に付したくらいだ。

 あいつが死ぬなんて冗談にもならない。もし、あいつが死ぬとしたら、それは私の剣によってだとな。

 だから、王都の屋敷へ訪れた時、そこに行方不明だった筈のあいつが居て、勝手に秘蔵のブランデーを飲んで寛いでいても驚きはしなかった。

 あいつが私の元へ唐突に押しかけてくるのも、あいつの無遠慮さもその時に始まった事では無い。せいぜい、帰ってくるのが随分と遅かったなと嫌味を言った程度だった」


 だが、実を言うと、その理由までは推し量れなかったが、私は漠然と察していた。

お祖父様が私をこの巨大な地下空間へ連れて来た最大の目的。それが叔父様との命を賭した真剣勝負にあると。


 私が王家門外不出の秘密を知ったあの日。

 王都の政変に対して、ジュリアス殿下が反乱決起するだろうと予言した。


 私は即座に『まさか!』と返して信じられなかった。

 第一王女殿下が第二王子殿下と結託して、非合法な手段を用いて王位を簒奪した。

 そんな噂がまことしやかに水面下で流布しているが、第一王女殿下は光の協会の教皇様から王冠を授かり、正式な王位を認められている。


 歴史を紐解けば、確かに同族による血で血を洗う跡目争いは大なり小なり幾らでも存在する。

 しかし、まさかまさかである。自分達の世代が当事者になるなんてと言葉を失っている私にお祖父様はこう言った。


『もし、ジュリアス殿下がメレディア殿下の王位を認めてしまったら、それはその後の人生を諦めたも同義だ。

 良くて、離島に一生幽閉。最悪、幽閉された後、その名が話題にすら上らなくなった頃に暗殺されるだろうな。

 ……というのも、この未来はジュリアス殿下に野心が有るとか無いとか、メレディア殿下に害意が有るとか無いとかの問題では無い。

 貴族達がそう望むからだ。新たな政権にとって、ジュリアス殿下の人気は災いの芽でしかないからな。

 しかし、良く考えてもみろ? お前の惚れた男がこれを許すと思うか? 時を置いた分だけ不利になると解っていて、座して待つような男か?

 ジュリアス殿下が勝利を得るには初動の速さが全て。

 だったら、ジュリアス殿下やそれに付き従う者達が国に反旗を翻す事をどんなに躊躇っても、ニートはその尻を強かに蹴り飛ばして立ち上がらせるさ』


 しかし、ジュリアス殿下は非情になりきれない。

 自分が生き残る為、切り捨てなければならないモノを切り捨てられない性格である以上、敗北は必至だとも語った。


 そして、こうも続けて語った。

 その切り捨てられないモノ『先代王妃様』を奪いに王城へ潜入する為、叔父様がこの巨大な地下空間へいずれ訪れると。

 そう、お祖父様が王家門外不出の秘密であるこの巨大な地下空間を知っているだけでも驚愕の事実にも関わらず、叔父様もまた知っているというのだから開いた口が塞がらない。


 どうして、叔父様も知っているのか。

 その当然の事ながら湧いた疑問を真っ先に尋ねてみると、こういう事らしい。


 叔父様とジュリアス殿下の二人が北の国境『トーリノ関門』にまだ赴任していた頃の話。

 お祖父様に先代王妃様からこの巨大な地下空間の地図を作成してくれという依頼があった。


 だが、この巨大な地下空間は本来なら国王と王妃の二人だけが知る国の最重要機密。

 ひょんな事から知る立場となったが、記録として残す事自体が秘密の露見に繋がる可能性がある為、お祖父様はこの依頼を当初は固辞した。


 しかし、先代王妃様はお祖父様に説いた。

 先代陛下は立場が悪いジュリアス殿下の身が立つようにあれこれと苦心しているが、先代陛下が健在の内で目を光らせている内はまだしも、その後はどう転んでも明るいものにはならない可能性が高い。


 だから、最悪の事態を避ける為の保険が欲しい。

 この巨大な地下空間の秘密をジュリアス殿下に明かそうと最初は考えたが、その性格を考えたら意味が無い。

 譬え、王城に軟禁されて、明日に処刑を待つ身になろうと、ジュリアス殿下は身の潔白を証明しようとするばかりで脱出手段を持っていたとしても、それを使おうとは考えないに違いない。


 だが、叔父様は違う。叔父様なら期待が出来る。

 トーリノ関門を奪還した見事な手際とその一時は全てを失っても再起を図ろうとする不屈の精神。

 それに加えて、トーリノ関門から毎月届く手紙の中に書かれている二人の仲の様子とジュリアス殿下が『我が半身』と呼ぶ叔父様なら、ジュリアス殿下を安心して託せる。


 勿論、最終的な判断は叔父様と直接会って、話して、自身の眼で判断するが、それを待ってから地図を作るようでは遅い。

 叔父様と面会が出来るチャンスは、叔父様が兵役義務を終えた直後のみ。トーリノ関門の奪還という奇跡を成し遂げた若き英雄と話がしてみたいという浮ついた名目が立つ内しか無い。


 叔父様とジュリアス殿下の仲が世間に知れ渡った後、面会を求めては貴族達に要らぬ詮索を持たれかねない。

 下手したら、この巨大な地下空間の秘密まで嗅ぎ付かれるかも知れない。それだけは絶対に防がなければならない。


 そう切々に訴えられ、最後は涙を零されて、お祖父様は折れるしかなかった。

 この巨大な地下空間の調査から製図まで全て一人で行い、叔父様がトーリノ関門から帰ってきた年の春に先代王妃様を介して、その地図は叔父様へ晴れて渡ったのだとか。


 余談だが、潜伏生活を行う場所として、この巨大な地下空間はこれ以上ない場所だが、大きな難点が有る。

 それは完全な真っ暗闇である為、何日も籠もりっぱなしでいると身体的にも、精神的にも悪影響を及ぼしてしまう点だ。


 そこで私とお祖父様はここと王家のプライベートビーチを二日交代で行き来して、叔父様の到着を待つ事にした。

 お祖父様の話によると、この塔を登った先に王城へ唯一通じる階段が有り、先代王妃様を救出する為にはここを必ず通らなければならないらしい。


 長ければ、二年、三年は待つ事になるだろうから、そう覚悟しろ。

 そう告げられていたが、叔父様はたったの二ヶ月半で来訪。これには私も、お祖父様もびっくりである。

 ただ、こんなに早く来るとは思ってもみなかった為、私は叔父様に背後から抑え込まれて、それを私達を捕まえに来た追跡者だと勘違い。叔父様の大事なところを躊躇いなく全力で痛打してしまった。


 女の私にその痛みは解らない。

 叔父様は結構な時間を立ち上がれず、その後は真っ青な顔を引きつらせながら笑って許してくれたが、今でも申し訳なくって仕方がない。


「だが、しかし……。しかしだ。

 あいつが用を足しにソファーから立ち上がった時、私は愕然とした。

 いや、違うな……。絶望したと言った方が正しいか。

 あいつは懸命に隠していたが、左膝を庇って歩き、重心がずれているのがひと目で解ったからだ。

 否が応でも悟るしかなかった……。あいつの全力をこの目で見る事はもう二度と叶わない。お前もまた私を置いて去ってゆくのかとな」


 当初、私はお祖父様の目的はレスボス侯爵家の存続に有ると考えていた。

 政変の勃発を事前に察知して、王都を慌てて発ったのは新政権による弾劾を逃れる為であり、この巨大な地下空間へ訪れたのは王都に程近くて事態の推移を見守るのにうってつけの潜伏場所だから。

 近い将来、先代王妃様を得る為、この巨大な地下空間へ訪れるだろう叔父様と合流した後はジュリアス殿下の陣営に加わり、王都を守る第一騎士団騎士団長であるお母様と敵同士になったとしても、どちらかが生き残っていたらレスボス侯爵家もまた生き残る。それがお祖父様の思惑だと考えていた。


 しかし、違う。鍛錬以外は何もする事が無くて、ここでの暇を持て余す生活の中で色々と考えている内、お祖父様にしてはやり口がまどろっこしすぎると気付かされた。

 もし、お祖父様がジュリアス殿下の陣営に加わる意思を持っているなら、叔父様との合流を待つよりも、この巨大な地下空間での潜伏生活を年単位で覚悟するよりも、王都を発った後は西へと真っ直ぐに進み、ジュリアス殿下の元へ馳せ参じる方がお祖父様らしい。


 その証拠がレスボス侯爵家に代々伝わる剣術の秘伝だ。

 王家のプライベートビーチとこの巨大な地下空間を交互に行き来する生活に慣れ始めた頃から、お祖父様はそれまで存在すら知らなかったソレを私に教え始めた。


 そう、まるで自分の死期を悟り、自分が生きた証を残すかのように。

 今ではその全てを学び、あとは研鑽を積み重ねて自分のモノに昇華させるだけになっている。

 思い返せば、お祖父様は王都を発つ際に『レスボスの剣は残さなければならない』と言っていた。この言葉こそ、明らかな証拠ではなかろうか。


 ここまで解れば、答えは自ずと出てくる。

 お祖父様は叔父様を待ち構えて、その障害となって立ち塞がる気だと。


 それ故、お祖父様が食後に手合わせを叔父様に誘った時、胸がドキリと跳ねて、『ああ、その時が遂に来てしまった』と複雑な思いだった。

 私が叔父様の実力を見誤っていた先ほどまでは良かった。叔父様は善戦していたが、お祖父様が本気を出すまでに達しておらず、決着はそう酷いものにはならないだろうと安心していた。


 だが、叔父様が隠していた実力がお祖父様の中にある合格点に達しているとしたら、その結果は考えたくもない。

 私が知る限り、お祖父様が全力を出して戦った相手で今も生者なのはバルバロス様一人のみ。それ以外、全員が黄泉路へと旅立っている。


「だから、嬉しかったぞ。あいつがお前という希望を私の前に連れて来た時は……。

 今だから言うが、お前を私の息子にしてくれとあいつから頼まれた時、私はお前がどんな奴であろうと構わなかった。

 まあ、ボンクラはさすがに困るが、あいつの推薦だ。その辺りは問題無いだろうし、そこそこの実力を持ってさえいたら、私の息子にしてやろうと考えていた。

 なにせ、あいつには返せそうに無い大きな借りが有ったからな……。その借りを返せるなら、息子が一人増えるくらい安いものだ。知っての通り、自分の子が増えるのは今更だったしな」


 私にとって、叔父様は大事なヒトだ。

 叔父様がどんなに腕を上げたからといって、お祖父様に勝てる筈が無い。

 不興を買うのを承知で叫び声を今すぐあげて、二人の勝負を止めなければならない。


 しかし、止められない。止める事が出来ない。

 嘗て、私自身も患っていた強者故の孤独。その寂しさを滲ませて語るお祖父様の嘆きを理解してしまったからだ。


「ところが、お前ときたら……。くっくっくっ……。

 技も稚拙なら、才能もそう感じられない。

 しかし、突きだけは超一級品。……この驚きが解るか?

 たった一つ、基本中の基本だけとはいえ、成人したばかりの小僧が研鑽を五十年以上積んできたあいつの突きに届きかけていたんだぞ?

 あいつから楽しみにしていろと、絶対に驚くぞと聞いてはいたが、驚くどころの騒ぎでは無かった。

 しかも、その技の一つ、一つに微かながらもあいつの息吹を確かに感じるではないか。

 あいつには三人の息子が居て、いずれも高い武を持っていたが、あいつを真似ているだけでそれを感じる事は無かった。お前こそがあいつの後継者だと私は確信した。

 それだけでは無い。私を相手にどう足掻いても勝てない状況でありながら屈せず、我が身を犠牲にしても仲間を逃そうとする精神まで持ち合わせているときた。

 今まで私は多くの部下を持ったが、お前のような奴は悪運が強い。どんな厳しい戦いでも生き残り、その苦境を糧に大きく成長する傾向が有る。

 私は歓喜に震えたよ! 十年後、二十年後の将来、お前がどんな戦士に育っているかを想像して! お前ならあいつに匹敵する……。いや、あいつを超えられると信じて!」


 それに私もまた叔父様を好敵手として希望を見出した一人でもある。

 言ってみれば、同じ穴の狢。どうして、お祖父様を止める事が出来るだろうか。

 第一、私の中にある剣士の魂が度し難い事に叔父様の本気をこの目で見たいと強く切望していた。


 こうなったら、猫族の娘の出番到来だ。

 ここは一発、とにかく何でも良いから叫んで欲しいところ。


 だが、先ほどまでの小うるささは何処へやら。今はめっきり静か。

 自分勝手な苛立ちを自覚しながら視線を傍らに向けて、顔をこれでもかと引きつらせた。


「その期待が正しかったと確信したのは、お前がトーリノ関門から帰ってきた時だ。

 どれほど成長したかを測ろうと『試し』の前座を任せてみれば、これが全勝。

 その殆どは有象無象とはいえ、稀に紛れている綺羅星を相手にしてさえ、私の出番が無かったのはさすがに予想外だった。

 無論、まだまだ甘いところも、ヒヤリとした場面も多々有ったが、トーリノ関門へ行く以前のお前ではこうも上手くいかなかった筈だ」


 どうやら先ほどお祖父様の殺気を浴びた際に卒倒してしまったらしい。

 猫族の娘は喉の奥が見えるくらいに口をあんぐりと開けて、白目を剥いて倒れていた。


 その上、卒倒した時、まず膝が折れて、次に尻餅を付き、そのまま背中から倒れたのだろう。

 頭を強かに打つのは防げたかも知れないが、両方の膝を外側に軽く曲げての大股開き。メイド服にしては丈が短いスカートが完全に捲れて、パンツが丸見えになっている。


 おまけに、そのやや色合いが薄い黒のパンツの中心に濃い染みを作り、水溜りが広がっていた。

 この巨大な地下空間を探検してみると、天井から滴り落ちた水滴が作った水溜りをあちこちで見つける事が出来るが、ここは塔の中の一室。先ほどまでそこに水溜りは無かった筈だと記憶している。


「しかし、その後が頂けない。

 お前は領地を得たが、そこは辺境中の辺境。歴代の代官達がやりたい放題をやり尽くして、まともな税収が見込めない貧しい土地。

 言ってみれば、貧乏くじを引かされたようなものだ。

 それなりの暮らしがしたかったら、歴代の代官達がそうしたように重税を課すしかないが、お前はそれをやれる性格ではない。

 むしろ、その逆。税収は基準値より少し低くして、将来の税収を増やそうと足掻くのがお前だ。それも自分の為というよりは領民の為に。

 だが、それも元手になる税収すら望めない以上、外に頼るしか無い。

 まあ、まずはあいつを頼るだろうが、次に頼るとしたら私だ。そう考えて、私はお前の席を用意して、お前が頼ってくるのを今か今かと待っていた。

 そう、金が欲しかったら、武勲を戦場で挙げさえしたら良い。それを積み重ねて成り上がってゆくのが貴族本来の本質だ。

 当時は宮廷も、軍部もミルトンを滅ぼせと一色に染まり、団長、副団長は無理だとしても、その下の席くらいなら私の口利きで幾らでもねじ込めたからな」


 同じ女として、同情を禁じえない。

 どう考えても、年頃の娘が人前で見せてはならない間抜けな顔であり、無様な姿である。


 不幸中の幸いは小さい方だけで済んでいる点に尽きる。

 今のところ、それっぽい臭いは感じない。もし、大きい方まで漏らしていたら目も当てられなかった。


 いずれにせよ、知ってしまった以上、無視する事は出来ない。

 叔父様とお祖父様の二人から目を片時も離したくなかったが、意識を耳に集中させながら猫族の娘の顔と姿を整える。


 意識を失った者は意外なくらい重い。

 この場から退かして、適当な場所に背を寄りかからせて座らせてあげたいが、私の力では猫族の娘を引きずってしか動かせず、それは完全な無防備状態を意味する。


 お祖父様はやる時は躊躇わずにやるヒトだ。自分自身と猫族の娘を守る為、それは出来ない。

 これ以上、私に出来る事といったら、猫族の娘が目を醒ました時、漏らしてしまった件を知られていると悟られたとしても知らぬフリを徹する事だ。


「ところが、お前は幾ら待っても私を頼ってこない。

 領主になって、二年目。アレキサンドリアが南方領へ攻め入り、その戦費で悲鳴をあげている筈なのにだ。

 おかしいおかしいと思って調べさせてみれば、どんな手口を使ったかまでは解らなかったが、名だたる商人を幾人も口八丁手八丁で丸め込み、我が家以上の莫大な金を動かしているというではないか」


 溜息を深々と漏らしながら視線を叔父様とお祖父様に戻す。

 これも怪我の功名というのだろうか。猫族の娘のみっともない姿に呆れたおかげで焦燥にかられていた心が随分と落ち着いた。


 最早、私では止められず、猫族の娘もアテにならない、

 この上はなりゆきを黙って見守ろう。先ほどですら名勝負といえたのだから、これから始めるだろう勝負はもっと素晴らしいものになる筈だ。


 私以外、それを見守る者が居らず、人知れずに行われるのはあまりにも惜しい。

 これから始まるだろう名勝負を伝える立会人となる為、どんな些細な動きも見逃さないように意識を今まで以上に集中させる。


 いざとなったら、二人の間にいつでも割って入れるように膝を軽く曲げた右足を前に出して。

 お祖父様は激怒するだろうが、叔父様を失うよりは断然にマシだ。もし、叔父様を失ってしまったら、私はティラミスに会わせる顔が無くなり、親友も一緒に失ってしまう。


「知っての通り、アレキサンドリアの侵攻を阻む為、南方領の領主はバカルディの防衛が最大の義務になっている。

 国王が総動員令を発しない限り、南方領を統括するオータク侯爵家の許可と領主本人の意思が無かったら、領主とその兵は中央軍司令部でも動かせない。

 私は焦ったよ。お前は類稀な軍才を持ち、天が味方をしているとしか思えない強運まで持ち合わせているが、その本質は争い事を好んでいない。

 放っておいたら、お前は領地経営に没頭して引き篭もり、お前の心が戦場から離れてゆくのは目に見えていた。そこで私は一計を講じて、別の方向からアプローチを試みる事にした」

「待った! ……ひょっとして、ジュリアスが第十三騎士団の団長に選ばれたのって?」


 そう決意を固めていると、叔父様が眉をピクリと跳ねさせた。

 組んでいた腕を素早く解くと共に身をやや乗り出して、いかにも堪らず口を挟んだ様子で。


「ほう……。さすがだな。

 私が何週間も頭を悩ませて、やっと解いた難題を一瞬で解き明かしてみせるとは」


 お祖父様も同様に眉をピクリと跳ねさせた。

 叔父様をまじまじと暫く見つめた後、口元にニヤリとした笑みを浮かべながらウンウンと頷いて褒め称えた。


「俺、言ったよね? ジュリアスが武勲を大きく挙げた場合、政変が起こる可能性が高いって?

 ならさ、責任が有ると思うんだ。うん……。直接では無いけど、現状の一因に関わっているといえなくも無いんだから、俺達に協力する責任がさ」


 だが、逆に叔父様は苛立ちを露わにした。

 一拍の間を空けて返された言葉は端々が尖り、その目つきは鋭くて、皺を眉間に刻んでさえもいる。


 正しく、叔父様の言う通りだ。

 今回の政変を全く予期していなかったならまだしも、その警告を受けていたのだから。


「そうだな。お前から政変が起こり得る可能性を聞いた時、そうなった場合は私もそれを考えていた。

 とうの昔に隠居の身だが、まだ影響力はそれなりに持っている。

 私がジュリアス殿下の陣営に加わったのが明らかとなれば、旗色を変える奴が現れるだろう。

 それで戦力の劣勢は今よりずっと楽になる筈だ。上手く事を運べば、五分五分にまで持っていけるかも知れない」

「それが解ってるなら!」

「しかし、それ以外で私を頼ろうとしても無駄だ。

 私は戦場から離れて久しい。後方での指揮は執れるが、前線は無理だ。勘を取り戻すのを待っていたら手遅れになる。

 第一、私では影響力が強すぎる。今、一つに固まっている結束に罅を入れてしまう。私は一歩引いた立場でなければならない。

 だから、お前が倒さなければならない。お前は勝ってみせなければならない。

 類稀な軍才を持つお前以上の才能の持ち主。戦神の申し子というしかないジェスター殿下にな。

 それも只の勝利では駄目だ。小さな勝利を積み重ねたところで意味が無い。

 その結果として、ジュリアス殿下が王冠を戴いたとしても、その玉座はハリボテ。最悪、国が割れるだろう。

 そう、お前は誰の目にも明らかなくらい文句の付けようがない完全な勝利をジェスター殿下を相手に得なければならない。

 だが、それを成し遂げるのは困難であり、困難であるからこそ、その経験は血となり、肉となり、お前を確実に強くする。それこそが私の思い描いていた未来だ」

「だったら、その時で良いじゃないか! 今、戦う必要なんて無いだろ!」


 しかも、それをお祖父様は承知していたというではないか。

 これではやっている事と言っている事が違う。叔父様が激高するあまり唾を飛ばしてまで怒鳴るのも無理は無い。


 この場は叔父様とお祖父様の二人の舞台だけに堪えたが、私も怒鳴りたかった。

 その発散されなかった『それが解っているなら何故』という疑問が私の内側でぐるぐると渦巻き、それが苛立ちを加速させてゆく。


「残念だが、そうもいかなくなった。

 去年の暮れの事だ。鍛錬が済ませて、いつものように剣の手入れを行っていたら、右手の親指を切ってしまってな」

「えっ!? ……えっ!?」


 しかし、その加速がお祖父様の脈絡のない発言でピタリと止まる。

 私も、叔父様も茫然と目が点。一呼吸の間を置き、お祖父様の言葉を頭の中で反芻させて目をパチパチと瞬きさせる。


「我が目を疑ったよ。親指から流れる血を眺めたまま暫く動けなかった。

 私にとって、剣は手足も同然ではない。手足そのものだ。

 物心を付く前に父から与えられて、常に私の人生の傍らに有り、どんな女よりも苦楽を分かち合ってきた。

 その自分自身の身体が思うように動かない。……これは明らかに老いだ。それを悟った時の私の絶望が解るか?」


 だが、ここで全てが繋がった。

 老いによる衰え。それこそがお祖父様の焦りの正体だった。


 それが理由なんて、若い私達に気付ける筈が無い。

 悔しさを声に滲ませて理解を求められても、若い私達に解る筈が無い。

 叔父様が言葉を詰まらせていると、お祖父様は目をクワッと大きく見開かせながら叫んだ。


「剣一筋に! そう、剣一筋に生きてきた!

 あいつと出会い、あいつに打ち負かされて以来、あいつを倒す事だけを目指して、私は今まで生きてきた!

 それが老い衰えて、やがては剣も満足に振れなくなり、歩く事すら覚束なくなる未来など私は願い下げだ!

 だから、私自身が最高だと認められる今だ! 今を逃したら勝っても負けても言い訳が残る! 今しかない! 

 戦え! さあ、戦え! 死力を尽くして、私と戦え! お前があいつの後継だと言うのなら見せてみろ! その槍の煌めきを!」


 巨大な地下空間に響き渡ったお祖父様の悲痛な嘆き。

 若い頃から当代一と称えられ、いつの頃からか『剣聖』の二つ名で呼ばれるようになり、剣を持てば負けなし。

 軍人としても臣の最高位『中央軍総司令官代理』に至り、その戦績は常勝と呼べるもので誉れ高く、歴代の中で五指に数えられるほど。

 家督をお母様に譲ってからも社交的で初老となった今も若々しくてダンディ。孫の私より年下の愛人が居り、男性としては現役ばりばり。

 そんなお祖父様にとって、神以外の何人も抗えない時間の経過と共に今まで積み上げてきた全てが崩れ去ってゆく老いは受け入れ難いのだろう。


 叫び終えて、肩で荒く息をするお祖父様の姿からそれがひしひしと伝わってくる。

 お祖父様がその胸の内を吐露する前。ひょっとしたら、二人の真剣勝負が叔父様の切り返し次第で避けられるかも知れないと期待を淡く抱き始めていたが、もう駄目だ。


 どんなに美辞麗句を並べたとしても、それは全て侮辱にしかならない。

 叔父様とお祖父様はお互いに黙り込んで暫く見合っていたが、最初に音を上げたのは叔父様だった。

 問答を行う前、そうしたように天井を見上げながら溜息を深々と漏らして、それを二回、三回と繰り返した後、大地に突き立てていた槍を手に取った。


「貴方には恩が有る……。この国に俺の居場所を作ってくれた大きな大きな恩だ。

 当然、貴方に足を向けて寝れないし、刃を向けるなんて以ての外。恩を仇で返すようなもの。

 でも、俺は貴方以上にジュリアスが大事だ。あいつにはいつも笑っていて欲しい。

 だけど、この国はあいつに報いてくれない。あいつはいつも息苦しそうにして、無理に笑ってばかりいる。

 だから、その風通しを良くしようと、俺はジュリアスを王にすると決めた。

 その決意の前に貴方が立ち塞がるというのなら……。俺は戦える! 忘恩の徒と蔑まれようが貴方に刃を向ける事が出来る!」


 その瞬間、槍が緑色に淡く輝き、微風しか吹かない筈のこの巨大な地下空間に風が舞った。

 叔父様が言葉を重ねてゆくと共にその強い決意を表すかのように風もまた強くなり、叔父様とお祖父様の二人を囲む九つの篝火が炎を揺らして、火の粉を盛んに散らす。


 音をバサバサと鳴らして翻るスカートを押さえながら、これが叔父様の本気かと乾いた唇を舐めて潤す。

 お祖父様のが全身全面に圧力を浴びるような殺気なら、叔父様のは胸に突き刺さって貫かれたような殺気。胸がドキドキと高鳴り、呼吸が普段より早くなっているのを自覚する。


「はっはっはっはっはっ! 良い! 良いぞ! それで良い!」


 しかし、その殺気を浴び、お祖父様は心地良さそうに肩を震わせながら高笑いをあげた。

 大地に突き立てていた二本の剣を手に取ると、それを合図に二本の剣が黄色く淡く輝き、お祖父様の周囲に音をバチバチッと鳴らす小さな雷光が瞬き始める。


「我が名はニート! ヒッキー村のニート!

 父、フィートに槍を学び、バルバロスの槍を継ぐ者にして、剣聖たる貴方を倒す者だ!」

「我が名はハイレディン・デ・ミディルリ・レスボス!

 最早、言葉は語り尽くした! この先へ進みたければ、私の屍を越えて征けぇいっ!」


 叔父様の名乗りに気になる点は有った。

 だが、それを気にする余裕が今は有る筈も無く、叔父様とお祖父様の命を賭した真剣勝負が始まった。




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