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幕間 その2 ショコラ視点




『今すぐ、旅の支度をしろ。今日中に出るぞ』


 お祖父様にそう命じられて、もう日が沈もうとする頃にも関わらず、王都の屋敷を慌てて発った翌日の出来事だ。

 国王陛下が弑逆されて、第一王女殿下が玉座に座り、第二王子殿下が中央軍司令官の座に就き、れっきとした王太子殿下が存在しながらも十数年にも及んだ我が国の王位争奪戦が政治と軍事を分ける形でまさかまさかの決着が付いたのは。


 親殺しは大罪中の大罪。この世に生を受けた自分自身の否定に等しい。

 その一報を聞いた時、誰もが我が耳を疑ったに違いない。私自身がそうだった。

 冗談でも口に出してはならない打首確実の不敬罪であり、それを教えてくれた相手の口を慌てて手で塞いだほどだ。


 しかし、その誰もが現実に起きてもすぐに信じきれなかった可能性を叔父様は予測していた。

 それもミルトン王国戦線へ出兵する前に、約四年も前の時点で予測して、お母様とお祖父様に強い警戒を促していたのだとか。


 なにせ、我がレスボス侯爵家はジュリアス殿下との繋がりがとても深い。

 お祖父様はジュリアス殿下が成人するまで指南役を務め、叔父様はジュリアス殿下から自分の半身と呼ばれるくらいの間柄である。

 お祖父様も、お母様も意思を一度も明らかにした事は無いが、世間は当家がジュリアス殿下の派閥に属していると見ており、家中の者達もそうだと考えている。


 ましてや、お祖父様は軍人としての最高位たる中央軍司令官代理を現役時代に務め、現役バリバリのお母様は王都の防衛と治安維持を担う第一騎士団の騎士団長を務めている。

 非常に強い影響力を軍に持っており、玉座を力業で手に入れた第一王女と第二王子からしたら厄介者でしかない。我がレスボス侯爵家が持つ名声と国に対する貢献を考えたら、処刑されるような凶事までは及ばないだろうが、厳重な監視下による幽閉生活は最低でも免れないだろう。


 だから、お祖父様は王都から離れる決断をした。

 第二王子殿下が自身の元へ来訪して、剣での手合わせを数年ぶりに願った。その小さな手かがりを叔父様の警告と結び付けて、最善手を即座に選択しているあたり、さすがは戦場で国の命運を幾度も握りながらその全てに勝ち続けてきただけの事はあるというしかない。


『長い旅になるだろう。もしかしたら、二年、三年は帰ってこれんから、そのつもりで用意しろ』


 だが、何も知らされていなかった私にとって、その唐突さは驚きであり、戸惑いでもあった。

 百歩譲って、一ヶ月や二ヶ月の旅ならまだしも、それが漠然とすら定まっておらず、年単位に及ぶ可能性が有ると聞かされては尚更だ。


 しかし、そんな私を余所にして、険しい眼差しを交わし合うお祖父様とお母様の様子からこれだけはすぐに理解した。

 これから始まろうとしている旅が風光明媚な名所を馬車で巡るような優雅なものに非ず、自分の足で歩き、空の下で寝て、時に飢えを耐え、風雨を凌ぎ、立ち塞がる盗賊やモンスターを倒す冒険の旅になるのだろうと。


 私は旅の準備を大慌てで整えた。

 腰に愛用する二本の剣を差して、こんな時の為に用意だけはしておいたレザーアーマーに身を包み、幼少の頃から磨き続けてきた剣を実戦で振るえる喜びと初めての実戦を前にした不安を胸に抱いて。


 ところがところがである。

 王都から南東に徒歩で半日どころか、その半分。岩場に囲まれた小さな入り江の浜が、王家が所有するプライベートビーチがお祖父様の目的地だった。


 お祖父様が剣術にどれほど優れていようが、それは個人の力だ。

 国を相手に個人の力では絶対に勝てないし、国が本気を出したら逃げきるのは難しい。

 ひょっとしたら、お祖父様は向かおうとしている先は国外であり、そこで事態の推移を見極めようとしているのかも知れない。

 最悪の場合、祖国の地を二度と踏めず、レスボス侯爵家の血を残す為、私は叔父様に対する思慕を捨てなければならないかも知れない。そこまで考えていただけに拍子抜けもいいところ。


 だって、王家が所有するプライベートビーチである。

 実際に使用する機会は年に一度有るか、無いかだろうが、いつでも使えるように設備は完璧に整えられている。

 浜風を防ぐ為に植樹されたと考えられる防風林に囲まれて、泳ぎ疲れた身体を休める休憩所と呼ぶには立派な屋敷が建っており、新鮮な冷たい水が掛け流されている水場も有れば、薪などの燃料も二人分で計算するなら一年は余裕で暮らせるだけの備蓄が有り、寝室のベッドはびっくりするくらいにふっかふか。そこに有る全てが超一級品で普段の暮らしより豪華ときている。


 食料の心配も要らない。

 夕方、城門が閉まるまでに王都へ辿り着けなかった商人や旅人、冒険者を相手にした宿場町が近くにある。

 日々訪れる人数は多くて、入れ替わりも激しい為、髪型を変えるなどのちょっとした変装は必要だし、購入先をその都度その都度に変える面倒臭さは有っても、そう簡単に私が私だとバレたりはしない。


 その点、王都を発つのにあたり、冒険者っぽい装いを選んだのは大正解だった。

 街の外での活動を生業とする冒険者なら一週間分の食料を買い込んでも不自然さは感じさせない。


 難点を挙げるとするなら、身の回りの世話を行ってくれる使用人が居ないところ。

 一応、お母様の教育方針で家事全般をそれなりに仕込まれてはいるが、やはり私はこの方面に才能を持っていないらしい。


 潜伏生活が二週間を過ぎた頃から、お祖父様がたまには別のモノを作れと食事の度に五月蝿い。

 洗濯も最初は毎日行っていたが、億劫さから二日毎、三日毎になり、最近は同じパンツを三日履いていても気にならなくなってしまい、お祖父様から軍人や冒険者としては合格でも女としては失格だと落第点を押されている。


 また、ヒトは前方に細心の注意を払えても足元は注意を疎かにし易い。敢えて懐に留まって潜伏するのは妙策といえる。

 今、国は大混乱の真っ最中。これから夏は暑い盛りを迎えて、海水浴を楽しめるシーズンへ突入するが、この王家が所有するプライベートビーチを常日頃から管理している者ですら忙しさに追われて訪れる可能性は低い。


 その上、ここの入り江は潮と浜風が長い年月をかけて作った天然の要塞だ。

 囲まれた岩場はロープを使っても上り下りが危険な高さの絶壁であり、出入り口は正面の海のみ。手漕ぎの小舟で入ってくるしか手段が無い為、海から浜辺まで時間がかかる上に警戒が一方向だけで済む。


 しかし、私は不満だった。とても不満だった。

 叔父様がバルバロス様と共に歩んだミルトン王国から大樹海を越えての逃避行の旅。

 その何度もせがんでは叔父様から語って貰った旅に強い憧れをずっと持ち続けて、そんな旅を私もこれから経験するのだと王都を発つ時に期待していただけに。


 もっとも、その不満はすぐに吹き飛んだ。

 お祖父様が教えてくれた。叔父様の旅に負けない冒険の種がこの王家が所有するプライベートビーチにも有ると。


 普段は海の中に埋もれているが、干潮時にそれだと指し示されてやっと解る程度に姿を僅かに覗かせる洞窟。

 入り江の最も窪んだ場所に有るその先へ潜って進むと、絶壁の壁を一枚挟んだ向こう側は天井の高さが満潮時でも顔を水面から出せるように加工が明らかに施されており、その先へ更に暫く進み、海水のしょっぱさが不意に感じなくなったと思ったら、なんとそこには巨大な地下空間が広がっているではないか。


 それもただ巨大なだけでは無い。

 遥かな古の昔に栄えていたと思しき都市遺跡が存在しており、それは正に私の冒険心を十分過ぎるほど満足させるものがあった。


 しかも、それが王城と繋がっており、王家の危機に備えた秘密の脱出路の役目を担っているというのだから驚くしかない。

 私達が入ってきた洞窟は王都周辺に幾つも存在する出入り口の一つに過ぎず、その全てを知るのは国王と王妃のたった二人だけ。

 我が国の国王は歴代に渡り、王位継承時にその秘密も一緒に継承して、この巨大な地下空間を国王自ら管理。王妃は存在を知るだけで詳細を知らず、一子相伝の秘密として受け継いできたのだとか。


 だったら、その極秘中の極秘をお祖父様が知っているのは何故なのか。

 当然の疑問を問わずにはいられずに問うと、お祖父様は荒い鼻息をフンスと一吹き。皺を眉間に深く刻み、憤りを言葉の端々に撒き散らしながらもこう応えてくれた。


『ふん! 私には知る当然の権利が有ったからな!

 あのボンクラめ! さんざん問い詰めて、ようやく白状しおった! この地下道を使って、逢引をしていたとな!」


 先王陛下は名君と呼べるほどの施政者では無かったが、愚王や暴君でも決して無かった。

 それにお祖父様は先王陛下と年の離れた友人のような関係ながらも確かな忠誠を捧げていた筈だ。


 何故、それがこうも憎しみを露わにしてまで憤るのか。

 重ねて感じた疑問の答えは言葉を濁して教えてくれなかったが、最初の疑問の答えは要するにこういう事らしい。


 町娘がお忍び中の王様、王子様に見初められて、身分差による艱難辛苦の末にめでたく結ばれ、誰がも羨む幸せを手に入れる。

 王都を散策していると、辻に立つ吟遊詩人がたまにそういった題材の歌を唄っており、私も子供の頃は心をときめかせたものだが、現実には有り得ない。所詮、乙女相手に脚色された甘い夢でしかない。


 そもそも侯爵家の私ですら気軽に会えないし、勝手に話しかけられないのが王族だ。

 叔父様とジュリアス殿下は今では誰もが認める親友の間柄だが、二人は例外中の例外。

 通常、王族の交友関係は血筋や派閥などの条件から厳選を重ねられ、その選ばれた者達が周囲を固めて、他の者を寄せ付けようとさせない。


 断言しよう。平民が王族と恋仲になれるチャンスなんて無い。

 もし、それが実現したら奇跡と言うしかないが、その奇跡を成し遂げたのがジュリアス殿下のお母様であり、先王陛下との恋仲が発覚した時、王都は上に下にの大騒ぎとなったらしい。


 なにしろ、二人の仲が発覚したのはジュリアス殿下が王族として王城に迎い入れられた後の出来事。

 即ち、ジュリアス殿下のお母様の死後であり、数年に渡って隠し続けてきた二人のラブロマンスと若くして非業の最後を遂げたジュリアス殿下の母親に関するミステリアスな事件。この二つが王都の民衆の興味を強く惹き、様々な憶測を呼んだからだ。


 無論、お祖父様を始めとする重臣達はそれ以前から二人の仲を知っていた。

 だが、二人の仲を知った時、既にジュリアス殿下のお母様はジュリアス殿下を身籠っていたそうだ。


 王族とは国を興した初代まで血を明確に遡る事が可能な貴種中の貴種である。

 言い換えるなら、その土地に住まう誰よりも素性が確かな一族。歴代に渡り、その血をより貴きものにする為、結び付ける血を選び抜き続けてきた。


 だからこそ、貴族は自分達より貴い国王と王族に頭を垂れる。

 だからこそ、貴族はそこに何処の馬とも知れぬ平民の血が混じっては困る。


 父親、或いは母親が平民であろうと、王家の血が半分流れている以上は王族。

 しかし、逆に言ったら平民でもあり、平民から傅かれている存在の貴族にとって、その矛盾は認めがたい。


 お祖父の話によると、ここまで至ってしまった場合の選択肢は四つ。

 出産以前の堕胎か、出産後の死産を装った暗殺か、出産と同時の僧籍入りか、出生を秘されての養子縁組か。

 どれが選ばれるかは母親の身分で大きく左右され、どれが選ばれても将来の禍根を断つ為、その子供は王族の籍に入らない。


 だが、母親の身分が平民だった場合、前者二つのどちらかが選択される筈のところ。

 ジュリアス殿下のお母様はジュリアス殿下を出産。ジュリアス殿下もまた王族として認められて、特例ともいえる選択が成されている。


 これは何故かといったら、王太子殿下が幼少の頃から病弱だった為である。

 当時、先王陛下の子供は王太子殿下と第一王女、第二王子の三人。我が国は女の家督継承を認めているが、女王が過去に誕生した例は一度も無くて、次期王位継承にかこつけた貴族間の派閥争いも生じておらず、実質的な王太子は第二王子で『予備』が居らず、王妃と側妃達に慶事の兆しが長らく現れていない状態だった。

 そういった事情から出産後にその性別が解ってからでも判断は遅くないとされたのに加え、ジュリアス殿下のお母様の出産と引き換えにして、先王陛下は先代王妃様との間に子供を重臣達の要求で設けたが、生まれてきた子供は女児。重臣達は次を期待するも、ジュリアス殿下のお母様が何者かに殺害された後、悲嘆に暮れた先王陛下が『もう子供は要らない』と宣言したからだ。


 そして、先王陛下とジュリアス殿下のお母様の恋仲が妊娠に至るまで発覚しなかった理由こそ、この巨大な地下空間にある。

 なんと先王陛下は王城最奥の秘密の地下道を通り、ジュリアス殿下のお母様は王都下町にある公衆トイレ裏の秘密の地下道を通って、夜な夜な逢引をこの巨大な地下空間で行っていたのだとか。


 同じ女として、ジュリアス殿下のお母様が羨ましい。

 王家が一子相伝で受け継いできた秘密を破ってまで自分に逢いたいといってくれていたのだから、これ以上に熱烈なアプローチは無い。


 王都の散策中、進退を窮めて、公衆トイレを利用した経験が何度か有るが、とにかく臭くて汚い。

 表通りですらそうなのだから、下町の公衆トイレとなったらもっと酷いに違いない。進退が窮まったとしても絶対に使いたくない。


 しかし、その先に愛する男が自分を今か今かと待っている。

 そう思えば、臭さも汚さも気にならないし、満面の笑顔で深呼吸さえも出来るだろう。


 私だって、叔父様からそうも熱烈に迫られたら二つ返事で許しちゃう。

 出来るだけ一生の思い出になるだろう『初めて』はロマンチックな場所で経験したいが、そこが物置だろうと、馬小屋だろうと構わない。

 それこそ、何度も迫られた結果、おめでた結婚になってしまい、皆から『侯爵家の娘がはしたない』と罵られようが、後ろ指をさされようが笑顔を返せる自信が有る。 


「にゃっ!? それ、最後のお楽しみに取っておいた奴ですよ!」

「えっ!? そうなの? てっきり嫌いなのかと……。」

「酷いです! どうしてくれるんですか!」

「じゃあ、これを代わりに進呈しよう」

「にゃにゃっ!? これ、私の嫌いなネギターマじゃないですか! 男爵の意地悪!」

「はっはっはっ! 好き嫌いは良くないぞ? たんとお食べ?」


 それなのにそれなのに、叔父様は数年ぶりの再会にも関わらず、私の事をおざなりにして、見知らぬ猫族の娘を構ってばかり。

 焚き火を間に挟んだ向こう側。お互いの肩が触れ合うほどに隣り合って座り、食事を摂っている叔父様と猫族の娘の和気藹々とした雰囲気に苛立ちを隠しきれず、私は奥歯をギリリと強く噛み締めた。




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