表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
134/140

第03話 地下の秘密




「にゃっ!?」


 手に持つランプの明かりなど容易く飲み込んで果てしなく広がる暗闇。

 夜目が効くからこそ、先行を任せたにも関わらず、ミーヤさんは斜め上を見上げてばかり。


 緩やかながらも傾斜がついた上り坂は湿り気を含んで泥濘み、先ほどから危うさを感じていたら案の定だった。

 ミーヤさんが足を滑らせて派手につんのめり、即座に距離を詰めると共に両手をミーヤさんの腰に回して抱き留める。


「おっと……。大丈夫?

 どんなに夜目が効いても足元がお留守だと意味が無いよ?」


 正に危機一髪。ミーヤさんが倒れまいと咄嗟に突き出した両手は地面すれすれ。

 もし、それを地面に叩きつけていたら泥濘を跳ねさせて、ミーヤさんは盛大に泥を浴びていた。


 この王城へ続く地下道へ入るに先立ち、俺達は一週間ぶりになる水浴びと洗濯を済ませたところ。

 それがたったの半日足らずで台無しになりかけたのだから、ミーヤさんはさぞや肝を冷やしたに違いない。


「はい、すみません」


 その証拠に謝罪の言葉の後、ミーヤさんから安堵の溜息が聞こえた。

 これを機に前方と足元に意識を集中して貰いたいが、夜目が効くからこそ、それが難しいのだろうと苦笑が漏れる。


 なにしろ、この王城へ続く地下道は只の地下道ではない。

 王城へ続く地下道の存在を初めて知った時、その王城を中心にした各出入り口の広範囲さにまず驚き、どれほど膨大な労力と莫大な費用を費やして作り上げたのかと地下の巨大なトンネル群を想像したが、実際は大きく違った。


 いや、王家所有の避暑地にあったプールの排水口に偽装した出入り口の水路は、正に想像した通り。

 ヒト一人が窮屈さを感じない程度のサイズで天井まで水が満ちており、その先に王城へ続く地下道が存在すると知らなかったら、どれほど冒険心に溢れていたとしても先に進もうとは考えない息が辛うじて続く絶妙な距離に、プールの北に建っていた屋敷の地下室が通じていた。

 その屋敷からの出入口は無く、明かりと空気を取り込む小さな窓が天井近くに一つだけある密室から伸びる中央の竪穴に水が落ちる長い長い螺旋階段を下りてゆくと、そこにあったのはなんと何百年、何千年、何万年という気が遠くなるような悠久の時をかけて、地下水が土を削り、石を運んで作り上げた巨大な地下空間だった。


 より正確に言うのなら、この世界に嘗て栄えていたと考えられる文明社会の都市遺跡だ。

 それも俺達が今暮らしている文明社会なんて比較にならないほど高度に発達した文明社会の都市遺跡である。


 一例を挙げると、俺達が最初に降り立った場所は鉄筋コンクリート製の高層ビルの一室だった。

 ビルの中央を一本の廊下が真っ直ぐに伸びて、その左右にさして広くない同じ間取りの部屋が等間隔に幾つも並ぶ。

 エレベーターが設置されていたと考えられる竪穴に用意されていた鎖と足場を使って降りてみれば、同じ構造のフロアが八層。

 最下層だけが特別な構造をしており、そのビルの半分をワンフロアが占める光景を一目見て、すぐにピンときた。このビルはホテルとして使われていたものに違いないと。


 更に特筆すべきは、そのホテルが最低でも十階建てのビルという点だ。

 俺達が最初に降り立った十階より上は地中に埋もれており、エレベーターが設置されていたと考えられる竪穴も十階のすぐ上が土で塞がっている状態。

 ここがホテルであるなら、シングル部屋の他にダブル部屋やツイン部屋、高等級の部屋が必ず有る筈であり、それを考えたら最低でも十五階建てのビルになる。


 今現在の技術でこれほど高い建築物は絶対に造れない。

 今現在の技術で同じ大きさの立方体を積み上げた場合、せいぜい三階建てが精一杯。

 それ以上の高さを求めるなら、建築強度の問題から下層より一回り小さい立方体を積み上げてゆくしかない。


 ところが、この都市遺跡には高層ビルがあちこちに建っており、低い建物でも三階建て、四階建てが当たり前。

 どう考えても百万人規模の住人が暮らしていた大都市であり、その規模から察しても前の世界以上の文明社会と推察が出来る。


 だったら、それほど高度な文明社会が滅び、地中深くに埋もれる結果となったのは何故なのか。

 実に興味深い疑問であり、この都市遺跡の調査をじっくりと行ってみたい好奇心に擽られるが、今は先約が有る。もし、調査を行うとしたら先約を成し遂げて、その後の厄介も全て済ませてからだ。


 だが、俺とミーヤさんでは見えている世界が文字通りに違う。

 この深い深い暗闇の中、俺の世界はランプの明かりが届く狭い範囲内であり、暗闇の先に想像力を掻き立てられるが、それは不安と表裏一体のもの。それが好奇心を抑えてくれている。


 しかし、太陽の下で見る色とは違うらしいが、ミーヤさんはこの深い深い暗闇の中でも視力の限りを見通せる。

 これでは好奇心を抑えるのは難しいし、その見えている光景が高度に発達した文明社会の都市遺跡となったら尚更だ。


 それでも、夜目が効くミーヤさんの存在はやはり大きい。

 要所、要所に進むべき方向を案内する目印が建物の壁などに描かれているが、ミーヤさんのおかげで発見が早い。

 もし、俺だけだったら、今以上に慎重を要する手探り状態で進むしかない為、進む速度は今の半分以下になり、下手すると迷った挙げ句に今来た道を引き返すハメになっていたかも知れない。


 とにかく、この地下空間は巨大だ。

 路地を何度も曲がり、時には建物の中を上下して通り、真っ直ぐに進んではいないとはいえ、既に体感で半日は歩いているにも関わらず、地下空間の最端となる壁に一度もぶつかっていない。

 途中、休憩の為に立ち寄った六階建てのビルの屋上から四方をミーヤさんに探って貰ったが、端と思しき壁は何処にも見当たらず、天井が頭上に無かったら、ここが地上だと疑わないほど巨大らしい。


 余談だが、ランプについて。

 表向きは別の役職に就きながらも、この地下空間を極秘裏に管理する役目を歴代に渡って帯びた家がきっと存在しているのだろう。

 俺達が使った出入り口の地下室にはランプが、要所には補充のオイルが用意されており、黒パンや干し肉といった非常食が用意されている場所もあった。


 ただ、今代の管理者は性格がずぼらなのか。それとも、いつ来ると知れぬその日を待つのに疲れたのか。

 どれもこれも数年分の埃が積り、非常食に至ってはとても食べる気になれない状態。最初はそれが何なのかが解らなかったくらいだ。


 また、埃が積もっている事実で解る通り、この巨大な地下空間には肌を微かに擽る程度の空気の流れが時たま有る。

 それは俺が持っている知識と違わず、この巨大な地下空間の出入口が複数ある証でもあり、管理のずさんさからモンスターが侵入して、それ等の根城化を最初は心配したが、俺達の前に姿を現したのは、ネズミやコウモリといった小動物。それと各所から流れ込む地下水が作っている川を泳ぐ魚くらい。


 さすがに出入り口の管理はしっかりと行っているらしい。

 ここまでの道中、モンスターの気配は全く感じなかったし、ミーヤさんも目撃していない。


「男爵?」

「んっ!? どうしたの?」

「これ、何だと思います?」


 ふとミーヤさんが立ち止まった。

 今度は何だろうか。その人差し指が向けられた方向と見上げる顔を左右に振る範囲からよっぽど大きなモノだと解る。

 ランプのツマミを捻り、明るさを最大にした後、ランプの持ち手を槍の石突きに引っ掛けて、ランプを頭上高くに掲げる。


「う~~~ん……。多分、この形は船だね」


 その結果、一つの確信を得た。

 実を言うと、案内の目印通りに進んでいるにも関わらず、俺達が歩いている道は随分と前から妙だった。

 唐突に足元がコンクリート、アスファルトから粘土質の土に変わって、道と呼ぶにはとても幅広くなり、いつの間にか先ほどまで歩いていた都市遺跡のビル群は行く手の左右に建ち連なる高い壁の上に姿を移していた。


 その上、壁が間隔を徐々に狭めているような気がしていたところ、道が大きく何度も蛇行。

 大都市を造る上で求められる道の利便性とはかけ離れており、これはもしかすると案内の目印を何処かで見落としてしまい、侵入者に対する罠へ誘い込まれているのかと俺は危機感を抱きかけていた。


 しかし、杞憂に過ぎなかった。

 ミーヤさんが指さす先に鎮座する赤茶の巨大な物体。それはこちらに甲板を見せて倒れる錆びきった鉄製の船だ。


 それも只の船では無い。どう見ても砲身と砲塔にしか見えない装備を着けた軍艦と呼ぶべき船である。

 俺は軍艦に関する知識を詳しく持っていないが、前の世界の大戦時を基準とするなら巡洋艦クラスの軍艦だろうか。


 つまり、軍艦が地上に置かれている筈が無い為、俺達が今歩いている場所は元々が川だった場所に違いない。

 川であるなら道が蛇行しているのも、足元が粘土質の土なのも頷ける。行く手の左右に建ち連なる高い壁は堤防であり、その幅が間隔を徐々に狭めているのは俺達が上流へ向かっているからだ。


 どんな種がこの都市遺跡を築いたのか。

 それは解らないが、やはり文明とは大きな川沿いに栄えるものらしい。

 歴史的なロマンを感じずにはおれず、下ろしたランプの明るさを元に戻しながらウンウンと頷いて感動する。


「船? ……でも、この赤茶は錆ですよね? なら、鉄ですよね?」

「そうだね。だから、鉄の船だね」

「にゃっふっ!? 男爵、知らないんですか? 鉄は水に沈むんですよ?

 それにミント様に仕える以前、私は色々な港を見てきましたけど、こんな大きな船は一度も見た事が有りませんよ?」


 ところが、その感動にミーヤさんが水を差す。

 大きく見開いた目で俺をマジマジと見つめた後、思いっきり吹き出すと、口元を右拳で隠しながら上目遣いにクスクスと笑い始めた。


 そのまるで幼子を諭すかのような口調に思わず眉がピクリと跳ねる。

 だが、前方に鎮座する赤茶の巨大な物体を軍艦と推察が出来たのは、それを俺が前の世界の知識で知っていたからこそ。

 そうかといって、自分の正しさを証明するのは困難な上、そもそも証明する意味が無い。苛立ちと反論の言葉をぐっと飲み込む。


「そうだよね。鉄は沈むよね。こんな大きな船なんて有り得ないよね」

「にゃっ!? その言い方……。棘というか、馬鹿にされているような気がするんですけど?」


 但し、その代償に溜息をつい漏らしてしまったのは失敗だった。

 今度はミーヤさんが眉をピクリと跳ねさせて、今さっきとは違った意味で俺をマジマジと見つめた後、唇を尖らせた。


「気のせいだって、馬鹿になんかしてないって」

「いいえ、しました。今、私を馬鹿にしましたよね?」

「してない、してない。気のせい、気のせい」

「しました、しました! 絶対に気のせいじゃありません~!」


 古今東西、こういった状況に陥った時、男は女にまず勝てないと相場が決まっている。

 即撤退か、全面降伏の二者択一が傷口を広げない最善手であり、俺は前者を選んで再び歩き出すが、ミーヤさんは俺の行く手に両手を広げて立ち塞がり、尚も食いついてきた。


 苦笑が漏れそうになるのを懸命に堪える。

 言葉にしたら怒るのは間違いない為、それを指摘する事は出来ないが、尻尾を大きく左右にバタバタと振り、苛立ちを無意識に表しているところが正に猫っぽくて可愛い。


 猫っぽいといえば、気性もそうだ。

 初対面から王城潜入作戦の旅に出るまでの間、ミーヤさんの俺に対する態度は素っ気なかった。

 接する機会が多忙に追われて少なかったのもあるが、接する機会をせっかく作っても余所余所しくて、第二王女との仲を知ってからは男嫌いなのかと考えていた。


 しかし、王城潜入作戦の旅に出発してから変わった。

 ただひたすらに昼も夜も先を急ぎ、常に馬上で密着して二人っきり。苦楽を共にしている内、こちらを探るように心を少しずつ開き始めてくれた。


 特にこの王城へ続く地下道に突入する前の出来事。

 俺も、ミーヤさんもストレスが過酷な旅で限界に達していると解り、相互協力によるストレス発散を行い、お互いの恥ずかしいところを曝け出し合ってからは劇的に変わった。


 今でこそ、男爵位を持つ貴族になったが、生まれも育ちも小市民な俺である。

 みんなの目が有る公の場は仕方ないとしても、普段は気安く接してくれた方がこちらも気楽で良い。


 だが、それを求める以上、権威でねじ伏せて黙らせるような真似は出来ない。

 ミーヤさんの追求をどう躱すかを悩みながら、差し当たってはミーヤさん自身を躱して先に進む。


「えっ!?」


 ところがところがである。

 歩いて間もなく、明かりの先に壁が現れ、目を驚きに見開いて立ち止まる。


 その昔、ここは川だった。俺の推察が正しいとするなら、壁が有るのはおかしい。

 水門だろうかと先ほどのように明かりを強くして掲げると、壁だと思ったソレは嘗ての水面まで建っていただろう土台であり、土台の上には石造りの『塔』が建っていた。


「えっ!?」


 二度目の驚きが口から思わず漏れた。

 何故、川の中に塔が建っているのか。何故、鉄筋コンクリート製のビル群を作る技術を持ちながら、前方のソレだけが石造りの『塔』なのか。


 真っ先に『塔』が橋の支柱だった可能性が頭に思い浮かぶが、橋の支柱にしては『塔』と呼べるくらいにその作りが太すぎるし、高すぎる。

 鉄筋コンクリート製のビル群を作れるほどの技術を持つ文明なら、石造りで敢えて作るとしても、もっとスマートな作りになっていて然るべきだろう。


 しかし、それ等の疑問以上の疑問が俺の中に湧いていた。

 それは塔を見上げて、小塔を四辺に置いた四角錐のてっぺんを目にした瞬間から漠然と感じている既視感だ。


 言うまでもなく、俺がこの場所へ訪れたのは初めて。

 だが、塔を眺めれば眺めるほど有り得ない筈の既視感は強くなってゆく。


「あーー……。この塔、不思議ですよね。

 ドワーフって、私達より背がずっと低いのに……。入り口をあんな高い位置にわざわざ作って、何がしたかったんでしょうね?


 戸惑いが心に渦巻き、言い知れぬ恐怖感が生まれ始める。

 右隣に立ち、ミーヤさんが塔を俺同様に見上げながら問いかけてきたが、それに応える余裕は無かった。


 ちなみに、ミーヤさんがドワーフを話題に挙げている理由はこの都市遺跡を解説するに辺り、俺が『ドワーフが作ったんじゃない?』と適当に言ったからだ。

 ドワーフは闇に生きる種ではないが、夜目の特性を持ち、鉱山などの穴掘りが上手くて、器用な手先とヒトより優れた技術を持っている為、ミーヤさんは俺のずさんな嘘をあっさりと信じてくれた。


「……って、あっ!? 何処へ行くんです?

 私、気に障るような事を何か言いましたか? ねぇ、無視しないで下さいよ?」


 胸に渦巻く戸惑いを放置する事も、無視する事も出来なかった。

 前方の塔が橋の支柱であるなら、川幅と今立っている位置から対になるもう一本が建っている筈であり、その方向へと全速力で駆ける。


 そして、その予想は間違っていなかった。

 悠久の年月によって、到るところが朽ちかけていても先ほどと瓜二つの塔を見上げて、やはり小塔を四辺に置いた四角錐のてっぺんを目にした次の瞬間。


「えっ!? ……そ、そうか! た、タワーブリッジだ!

 ミ、ミーヤさん! こ、これって、絶対にタワーブリッジだよ!」


 三度目の驚愕が俺を襲い、頭の中に広がっていた濃い霧が一気に晴れ渡り、既視感の正体が明らかとなった。




 ******




「駄目だ……。さっぱり解らない」


 俺の目には見えないが、暗闇の先にある筈の土の天井を見上げながら溜息を深々と漏らす。

 幾ら考えたところで答えは見つからないと解ってはいても、頭を悩ませるのを止めれれなかった。


 前の世界の日本を中心に置いた世界地図の左上にある島、グレートブリテン島。

 その通称『イギリス』と呼ばれる国の首都『ロンドン』のど真ん中を流れるテームズ川に架かる跳開橋。それが『タワーブリッジ』だ。

 交通の要所であると共にロンドンのシンボルモニュメントの一つで観光の定番スポットになっており、第二次世界大戦当時は大型の外洋船が停泊可能な港湾施設がすぐ上流に存在した為、ドイツ空軍の重要攻撃目標に定められ、ロケット弾が命中して被災した逸話を持つ。


 但し、俺は実物を見た事は無い。

 海外に旅行した経験自体を持たなければ、イギリスという国に縁も無ければ、特別な愛着も持っていない。


 なら、朽ちかけていながらもそれがタワーブリッジだと見ただけで判断が出来て、それなりの解説も出来るのは何故か。

 それは前の世界の大学時代に所属していたサークル『戦史研究会』の仲間の中に第二次世界大戦に詳しい奴が居て、そいつが色々と熱く語ってくれたからだが、それ以上の理由がもう一つ有る。


 超人と呼ばれる牛丼好きの主人公が活躍する某プロレス漫画の影響だ。

 この漫画は二十世紀末に一世を風靡。少年漫画でありながら女性でも主人公の名前を知っているほどの国民的人気を誇る。

 直撃世代は俺達の上の世代だが、俺達の世代も男ならこの漫画を一度は手に取った経験が有る筈であり、その作中に登場するのだ。イギリス出身で『タワーブリッジ』という名の必殺技を使う主人公と陣営を同じくするキャラクターが。


 しかも、そのキャラクターは読者人気がとても高い。

 当初は主人公を引き立てる為のワンエピソードで退場する噛ませ犬キャラクターだったっぽいが、読者人気に支えられて、何度も再登場。最終的に主人公陣営の隊長を務める物語に欠かせない重要なキャラクターにまで成長する。


 その上、このタワーブリッジという名の必殺技は実際のプロレスでも『アルゼンチン式バックブリーカー』の名で実際に存在する。

 自分の肩の上に相手を仰向けに乗せて、顎と腿を掴みながら自分の首を支点に相手の背中を弓なりに反らせる事で背骨を痛めつける技であり、漫画の作者はその姿をタワー・ブリッジの跳ね橋が上がってゆく様子に例えたのである。


 そう、タワーブリッジは実現が可能な技。

 物語が進むにつれ、派手さと格好良さを重視して作られた実現不可能な技とは違う。

 だから、男の子達はプロレスごっこをして遊ぶ時、誰もがタワーブリッジに一度は挑戦する。


 自信を持って、断言しよう。

 この某プロレス漫画を読破した経験を持つ男達は、イギリスの世界的に有名なストーンヘンジ、ビックペン、フィッシュアンドチップスを知らなくても、その三つよりマイナーなタワーブリッジは絶対に知っていると。


 また、俺が子供の頃は海外を調べるとなったら結構な手間を必要としたが、インターネットが急速に発達、普及してからはそれがとても手軽になった。

 そこが国家機密に指定されている場所か、よっぽどの僻地でない限り、世界中の地図を開いて、衛星写真からの様子はおろか、それを立体視させたり、目線の高さで撮影した現地のパノラマ写真を見る事が出来た。


 言い換えるなら、誰もが家に居ながら簡単に旅行気分を軽く味わえるようになった。

 これを利用して、俺は実物のタワーブリッジを知っていた。そのついでにタワー・ブリッジのすぐ傍にある観光名所『ロンドン塔』と『巡洋艦ベルファスト記念艦』の存在も。


 だからこそ、嘗ての川の中に建つ塔がタワーブリッジに酷似していると解った瞬間、俺は居ても立ってもいられなくなった。

 もし、あれがタワーブリッジなら、先ほど見つけた軍艦は本来の位置とは違う為に何らかの理由で繋留が外れて沈んだ巡洋艦ベルファスト記念艦であり、すぐ近くにはロンドン塔が有る筈だと。


 幸いにして、歩いていた川底から上がるのは簡単だった。

 恐らく、タワーブリッジに架かっていた橋が崩落した際に川縁の堤防もまた崩落したのだろう。それ等の残骸が上手い具合に踏み場となっていた。


そして、息を切らして川底から上がると、そこにあった。

 当初は要塞として造られたが、国王が居住する宮殿、造幣所、天文台、動物園、身分の高い政治犯を収監する監獄、博物館と役割を変えながらも千年という永きに渡り、イギリスの象徴で有り続けた『ロンドン塔』が確かに存在した。


「でも、これ……。どう見ても、ロンドン塔だよな」


 視線を下ろして、前方のソレを改めて眺めるが、俺にはロンドン塔にしか見えない。

 タワーブリッジほど記憶にしっかりと残っていないが、石造り故にほぼ形を残している城壁など正にはヨーロッパ的なそれ。ランプの明かりでは露わとなるのは一角の為、わざわざ周囲をグルリと歩いて回って確かめてもある。


 手頃な石に座って暫く考え込み、絞りきれた可能性は四つ。

 一つ目は単純に俺の記憶違い、二つ目は単なる偶然の一致、三つ目は俺以外の転生者の存在、四つ目は俺が異世界と思い込んでいたこの世界が実は未来の地球だったという衝撃の事実。


 一つ目に関して、これが最も可能性が高くて納得も出来る。

 だが、某プロレス漫画を熱く愛する俺の心が叫んで譲らない。前方のロンドン塔と錆の塊になって鎮座していた巡洋艦ベルファスト記念艦は別として、嘗ての川の中に建つ二つの塔は絶対にタワーブリッジで間違いないと。


 二つ目に関して、その天文学的な数字になる確率を考えたら納得が出来ない。

 敢えて可能性として挙げたが、対象は巨大な建築物である。百歩譲って、酷似したモノが一つだけならまだしも、それが三つも存在するなんて有り得ない。


 三つ目に関して、可能性が二番目に高いのはこれだろう。

 俺は前の世界の記憶を引き継いでいる自分を特別な存在とは考えていない。

 俺という例が有る以上、前の世界の記憶を引き継ぎ、この世界に転生している者が他にも居てもおかしくないと考えている。


 即ち、ロンドン出身の元イギリス人がその昔に居た。

 都市計画を主導するほどの絶大な権力を握った彼、彼女は前の世界の故郷を懐かしみ、ロンドンに真似た街をこの地に作った可能性である。


 しかし、一つ目の可能性と重なるが、記憶には限界、劣化、改変がある。

 遠い昔の記憶だけを頼りにして、複雑な建築物を瓜二つに造り上げるなんて可能だろうか。

 それにいずれの建築物も一人では造れない。所謂『伝言ゲーム』で解る通り、人づての難しさがある。


 どう足掻いても似て非なるモノが完成する筈だ。

 原型を知っている第三者が一目見て、その正解を当てるのは難しく、答えを教えられて初めて頷ける程度の完成度になるのではなかろうか。


 四つ目に関して、これも敢えて可能性として挙げたが論外である。

 もし、この可能性を是とするなら、それ以前に解決しなければならない難問があまりにも多すぎる。

 何故に魔術が存在するのか、何故に二つの月が夜空に浮かんでいるのか、何故に獣人やエルフ、ドワーフ、モンスターといった種が存在するのか。ちょっと考えただけでもこれだけ出てくる。


「あーーー……。イライラするぅ~~っ!」


 物証が目の前に有りながら考えれば考えた分だけ否定が浮かんでくる。

 頭を乱暴にガリガリと掻き毟るがもどかしさは発散されず、足元の小石を拾って、それを暗闇が流れる前方の川へ力の限り投げようとしたその時だった。


「男爵!」


 ちょっと辺りを探索してきます。そう言って、恐らくは用を足しに行ったミーヤさんが小走りで帰ってきた。

 ここ一週間の前例から考えて、大は言うに及ばず、小にしても帰ってくるのが早い。その声を潜めながらも切羽詰まった呼び声に、きっと『さあ、これから』という時に拭くモノを持参していない事実に気づき、慌てて帰ってきたのだろうと悟る。


 この世界のトイレ事情は場所や身分による。

 王都のような街ではソレ用の壺に室内で済ませて、後処理は使い古した布を用い、その中身は所定の場所に捨てに行く。


 だが、言うまでもないが、溜まるほど重く、臭くなってゆく壺を好き好んで運びたがる者は居ない。

 もし、勝手な投棄をした場合、一回目は罰金、二回目は罰金と棒刑、三回目は市民権剥奪と街からの強制退去。厳しい罰則が待っている。


 それ故、裕福な者は奴隷にそれを行わせるし、もっと裕福で立地に恵まれた者はソレ用の壺を運ぶ必要が無い水洗である。

 オータク侯爵家の王都屋敷にも水洗と言うか、常に水が流れているトイレが一つだけ有り、各トイレで溜まったソレ用の壺の中身もそこへ捨てられている。


 田舎な村は大らかなもの。

 悪天候の場合や緊急事態に備えて、ソレ用の壺は用意されているが、基本的に野外で済ます。


 後処理だって、その場に生えている草や木の枝。

 大抵、住んでいる家に近くもなければ、遠くもないお気に入りのポイントを個人個人で持っており、大の場合は掘った穴に放ち、その後は埋めるのが大事なマナーになっている。


 それは野外生活でも同様だが、ここは地下空間。草も木も生えていない。

 放出する事は容易くても、拭くモノが無かったら、その後にパンツを履くのはとても勇気が要る。そこに老若男女も、古今東西も、貴賤も無い。


「やあ、気が利かずにごめん。これを使うと良いよ」

「はい?」

「デリケートなところを拭くのはちょっと躊躇うかもだけど、拭かないよりはマシだろ?」

「えっ!? デリケートなところ? 拭く? ……あっ!?」

「痛っ!?」

「お、お馬鹿さん! お、お馬鹿さん! お、お馬鹿さん! 

 ち、違いますよ! そ、その予定も有りましたけど違いますよ! も、もうっ、男爵のお馬鹿さん!」

「なら、何なのさぁ~?」


 しかし、ミーヤさんはランプの明かりでも解るほど顔を真っ赤に染めると、差し出した俺の右手を強かに痛打。ボロ布の受け取りを拒否した。

 もしかしたら、何かに使えるかも知れない。そう考えて回収していたが、この王城へ続く地下道を管理している者が設置しただろう数年前の、下手したら十数年前の干し肉を包んでいたボロ布はカビが生えており、やはり拒否感が強かったか。


 だが、今は絹に勝る極上品だ。これ以外に拭けるモノは無い。

 これが嫌なら自分が履いているパンツを生贄に捧げ、その後はノーパンで過ごすしかないが、それはあくまで禁断の最終手段である。


 それとも、このカビたボロ布も嫌なら、自分のパンツで拭くのも嫌だから、俺が今履いているパンツを渡せとでもいうのか。

 まさかまさか、ミーヤさんがそんな我儘お嬢様だとは思ってもみなかった。眉を不愉快に顰めながら上半身を屈め、大地に落ちたボロ布を拾う。


「明かりです! 明かりがこちらへ近づいています!」

「何っ!?」


 しかし、ミーヤさんの次の一言がボロ布よりも、この都市遺跡の謎よりも大事な事が有った筈だと俺の曇っていた目を瞬時に醒まさせた。




 ******




「それじゃあ、再確認だ」

「は、はい!」

「まず俺が不意打ちを仕掛ける。これで済めば良いけど、問題は済まなかった場合だ」

「は、はい!」

「この時、相手が立ち向かってくるか、逃げるかで対応が変わってくる」

「は、はい!」


 確実にこちらへと近づいてくる明かり。

 ミーヤさんの偵察によると、その何者かは細身で小柄。帯剣をしているらしい。


 この都市遺跡を利用した王城へ続く地下道を管理している者に違いない。

 ここの秘密を知る者は極めて限られている。ジュリアスですら存在自体を知らなかった。


 身を何処かに隠して、やり過ごす事も考えたが、俺達は王城へ潜入するのが目的では無い。

 王城へ潜入した後、先代王妃達を連れて、今来た道を戻り、戦火が及ばない安全な場所へと送り届けるのが俺達の目的だ。


 第一、王族である先代王妃達が歩き慣れているとは考えられない。

 特に病弱な王太子は今やベッドから起き上がれない身体と聞くから、俺が背負わなければならない。

 時間が往路以上にかかり、発見される可能性も今以上に高まる。面倒は見つけてしまった以上、それを済ませておく必要が有ったし、あくまで希望的観測に過ぎないが、管理者が協力してくれる可能性も考えられた。


 その理由はこの巨大な地下空間そのものだ。

 当初、俺が想像していたような地下通路なら無理だが、これだけ巨大な地下空間なら戦力と呼べる兵数を王城へ直接送り、新国王となった第一王女を奇襲で打ち取るのは容易い。


 だが、出入口は封鎖されていなかった。

 これは第一王女も、第二王子もジュリアス同様に王城へ続く地下道の存在自体を知らない証拠ではなかろうか。


 つまり、管理者は新王たる第一王女に伝えるべき王城へ続く地下道の存在を意図的に伝えていない。

 暗殺された先王に忠誠を未だ捧げ、新王たる第一王女を認めていないのか。それとも、まさかまさかの第三王子派なのか。

 この巨大な地下空間を知り尽くしている管理者が協力してくれるなら、これほど心強い者はない。先代王妃達の救出は成功したも同然といえる。


 いずれにせよ、接触する必要が有った。

 その為に明かりを消して、俺達はロンドン塔を囲む城壁の上に伏せて潜み、管理者が下の道を通過するのを今か今かと待ち構えていた。


「俺達にとって、逃げられるのが一番まずい」

「は、はい!」

「でも、相手がここをどんなに知り尽くしていようが、ミーヤさんの目には絶対に勝てない」

「は、はい!」

「だからと言って、焦って無茶をする必要は無い。

 大事なのは相手がこの地下から出る前に仕留める事。時間はたっぷり有る」

「は、はい! か、確実に追い詰めて、疲れきったところを仕掛けるんですよね!」

「そう、その通りだ。俺は下手に動いたら合流が二度と出来なくなりそうだから、ここで待っている事しか出来ないけど、ミーヤさんなら出来ると確信している。吉報を待っているよ」

「は、はい! お、お任せ下さい!」


 不安を挙げるとするなら、ミーヤさんの存在だ。

 先ほどから歯をカチカチと鳴らして、その姿が暗闇で見えなくても解るくらい初体験になる荒事を前に緊張していた。


 しかし、失敗は許されない。

 せっかくの優位を無駄には出来ない。嫌だと言っても手伝って貰う。


 それにこればっかりは自分自身で折り合いを付けるしかない。

 俺の経験上、言葉を幾らかけても気休めにしかならず、事が始まってしまったら緊張がどうのなんて言ってられなくなるのだから。


 俺の出番が有るとするなら、それはミーヤさんが初めて奪ったヒトの命の重さに苦悩して苛まれた時だ。

 だが、俺は男、ミーヤさんは女。匙加減を誤ったら大事になりかねない為、その役目は恋人の第二王女に譲った方が無難だろう。


「逆に立ち向かってきた場合、どんな状況になろうと俺が合図をするまでの間、ミーヤさんは絶対に声を出してはならない」

「は、はい……。」

「最悪、刺し違える覚悟でいるけど……。

 俺が不利だと判断した時点で、この場を即離脱。王妃様達の救出に向かうんだ」

「は、はい……。」

「良いね? 俺達にとって、一番大事なのは王妃様達の救出だ。

 その為に苦労して、ここまでやって来た。判断を誤ったら駄目だよ?」

「は、はい……。」


 それにしても、腑抜けていたというしかない。

 前の世界のロンドンと酷似した街がこの巨大な地下空間に存在するのは確かに気になるが、その答えが解ったところでどうだと言うのか。


 今の俺達にとって大事なのは先代王妃達の救出。それ、唯一つである。

 しかし、俺はタワーブリッジを目にした途端、その大事な使命を忘れるばかりか、自分の興味を最優先にして、時間を小一時間近く無駄にした挙げ句、最低限の警戒すら怠っていた。


 そう、俺は俺を信じて送り出してくれたジュリアス達の期待を危うく裏切るところだった。

 ミーヤさんが用を足しに出かけた際、たまたま管理者と思しき明かりを発見して、難を事前に察知する事が出来たが、ここで全てが終わってしまう可能性すら有ったのだから。


 その猛省を胸に抱いて、音を立てないようにゆっくりと立ち上がる。

 俺達の真下へと近づいてくる明かりの歩幅でカウントを取り、仕掛けるタイミングを知らせる左掌をミーヤさんに突き出す。


 そして、カウントダウンをスタート。開いた指を親指から順々に折ってゆき、最後の人差し指を折った次の瞬間。

 ミーヤさんが小石を明かりの前方に投げ放ち、それがコンクリートとぶつかり合い、静寂の世界に小さな音ながらも強烈な存在感を放った。


「えっ!?」


 明かりが驚愕を口から漏らして、思わずといった様子で辺りをキョロキョロと見渡す。

 間一髪を入れず、そのすぐ背後へ飛び下り、右手に持つ槍を着地と同時に後方へ放った後、着地で屈めた脚を伸ばす勢いを利用して、背後から明かりを一気に拘束する。


 ところが、ここで想定外が発生した。

 細身で小柄とは聞いていたが、立ち上がってみると、俺よりも頭一つは小さかったのである。


 明かりの口を塞ごうとしていた左手は咄嗟の軌道修正に成功した。

 しかし、明かりの腰を掴もうとしていた右手は軌道修正に失敗したばかりか、明かりの胸を掴んだ右手の中に素敵な柔らかさを感じて動揺が走った。


「お、女っ!?」

「不届き者が!」

「うごっ!?」


 その隙を見逃さず、明かりが即座に動いた。

 俺の股間を何かが強烈に痛打。腰が跳ねると共に息が詰まり、目が飛び出そうなくらいの激痛が襲う。


 恐らく、腰に差す剣の柄を上から叩き、鞘を吊るすベルトを支点に鞘尻を跳ね上げたのだろう。

 女性でありながら不意に胸を見ず知らずの男に掴まれて、身を竦めず、悲鳴もあげず、冷静な対処が出来る。間違いなく、とんでもない手練れだ。


 形勢は一気に逆転した。このままではまずい。

 脂汗が全身の毛穴から噴き出して、その場に蹲りたいのを必死に歯を食いしばってのバックステップ。一旦は捨てた槍を拾って構える。


 だが、俺の視界はグニャリと歪んで数多の星が輝き、普段なら身体の一部になっている槍が異常に重い。

 目の前の手練れを相手にこんな体たらくでは戦いにすらならない。立ち直る時間を一瞬でも多く稼ぐ為、朦朧として働かない頭を左右に強く振ったその時だった。


「ま、まさか……。お、叔父様?」

「へっ!?」

「や、やっぱり!」


 聞き覚えがある声が間近で聞こえた。

 いつの間にか、地面に落ちていた視線を慌てて跳ね上げると、そこに剣を構えた男装姿のショコラちゃんが居るではないか。


「おえっ……。」

「キャーーっ!? ご、ごめんなさい、ごめんなさい! わ、私ったら、叔父様とは知らずに思いっきり!」

「お、お願い。こ、腰を……。こ、腰をゲンコツで叩いてくれないかな?」

「わ、解りました! こ、腰ですね! こ、こうですか!」

「おおうっ……。そ、そう、その調子で何度もお願い……。」


 どうして、こんな場所にショコラちゃんが居るのか。今、そんな些細な事はどうでも良かった。

 ショコラちゃんとの久々の再会に安心感を得る一方、激痛を誤魔化していた気力が根こそぎ失われ、その場に四つん這いとなりながら込み上げてくる吐き気を堪えるので精一杯だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ