第02話 王都へ
「ヒヒーン……。」
「ほら、頑張れ! もう少しだ!」
大地を蹴る蹄鉄の音をリズミカルに鳴らして、草原の中の街道をひた走る。
馬が『ちょっと休もう? なっ!?』と嘶くが、逆に激を飛ばして馬の腹を鞍に跨っている右足で叩く。
「ヒンッヒヒーン!」
「キャっ!?」
鼻息をフンスと強く吹き出して、『ちっ!? やってやんよ!』と嘶いた馬が、ハミを強く噛み締める手応えと共に速度が一段と増す。
今さっきまで酷かった馬上の揺れはより酷くなり、俺の腕の中にいる第二王女の侍女であるミーヤさんが身を固く強張らせながら悲鳴をあげた。
ご存知だろうか。馬の歩法には四段階の速度があるのを。
遅い方から常歩、速歩、駈歩、襲歩と呼ばれており、その判断基準は馬が持つ四本の脚の動きによるが、簡単にざっくりと説明するとこんな感じになる。
常歩は馬が歩く速度。普段、馬に乗るといったら、この速度になる。
ヒトが歩くより速い程度だが、乗り心地は前後に軽く揺れるだけなので疲労は少ない。
速歩は馬が小走りする速度。旅などの長距離の移動で用い、常歩と混ぜて使う。
常歩の二倍は速いが、上下の強い揺れを感じる為、乗り心地は乗り手が持つ馬術次第となる。この揺れが駄目で酔ってしまう者も稀にいる。
駈歩は馬が自然に走る速度。馬を走らせるといったら、この速度になる。
前後にゆったりと大きく揺れるが、乗り心地は良い。馬に乗っていて楽しいと感じるのがこれ。
襲歩は馬が全力疾走する速度。日常ではまず使わない。
乗り心地は最悪。めちゃめちゃ揺れて、速度に見合った慣性が働く為、乗り手のバランス感覚が馬術以前に問われる。
もし、落馬したら打撲程度の軽傷で済んだら御の字。重症はおろか、死の危険すら有り、短時間ですら体力も、精神も非常に消耗する。
俺が乗馬を初めて体験したのは、おっさんと一緒に旅をしていた頃の話になる。
その時は俺が馬に乗っているのか、馬が俺を乗せているのかが解らないお粗末さだったが、十年以上が立った今ではこの四段階をきっちりと使い分けられる様になっている。
今現在、ジュリアスが北方領を目指して、軍勢を北へ進めている最中、俺は皆から離れて、今日で四日目。
昼も、夜も襲歩をメインにした超特急で東へと突き進み、昨日の明け方に西方領から中央直轄領へ入り、王都を一路目指していた。
何故、この大事な時に単独行動を行っているのか。
その理由は簡単。戦況より優先しなければならない問題が有るからだ。
それに今なら魔砲による絶対的な優位は揺るがない。
単独行動をするなら、宮廷魔術師を戦場にまだ投入していない今をおいて他は無い。
マイルズも居る。ミルトン王国戦線での三年間はいつも傍らに置き、戦略と戦術を語り合ってきた。
あと必要なのは実績と自信だけ。俺の不在を大過なく努めて、この戦いが終わる頃には俺よりずっと立派な軍師に成長している事だろう。
さて、話を戻すと、戦況より優先しなければならない問題とは何か。
それは第一王女と第二王子の二人と戦う決意をしたジュリアスがどうしても断ち切れない最後の未練。先代王妃と元王太子と元王太子妃と第二王女、この四人の存在である。
特に先代王妃の存在が大きい。
幼い頃、ジュリアスが平民から王族となり、王城にあがって以来、先代王妃はジュリアスの後見人となり、その身を公私共に守ってきた。
その恩を返したい。それがジュリアスの望みであり、今のジュリアスの起源でもある。
これを聞いたのはいつだったか。酒を二人っきりで飲んでいた時、酔いが回ったジュリアスの口からポロリと零れ落ちた話だ。
ジュリアスは成人する一年前の誕生日に先王から二つの選択肢が与えられ、それを成人する一年後の誕生日の前日までに選んでおけと求められたらしい。
一つは最終的にジュリアスが選んだ王族として生きる道。
もう一つは先王とジュリアスの母親が望んだ平民として生きる道である。
ここまで話を聞いた時点で俺は即座に言った。
どうして、王族なんかになったんだと。そのせいでお前は苦労ばっかりじゃないかと。
それに対して、ジュリアスは『解っている』と苦笑した後、『でも』と続けて理由を長々と語ってくれた。
まあ、長々といっても古今東西の何処にでもある男女の愛憎劇。インランド王国の宮廷事情が絡んだ先王を中心とした後宮物語だ。
先王は次男であり、元々は予備の存在。
本人も王位に興味を持っていなかったが、宮廷は下手な野心を抱かないように念を入れ、伯爵家の大人しい令嬢を婚姻の相手に選んでいる。
それが第一王女の母親である。
二人は成人すると共に結婚。幼い頃から婚約が結ばれていた事もあって、誰もがベストカップルと認めるほどの仲睦まじさだった。
だが、先王の兄である王太子がミルトン王国との戦いでまさかの戦死。
その報を聞くや、先王の父は卒倒した後、その数日後に四十代半ばの若さで亡くなってしまい、状況は一変。先王は予備の存在から格上げされて王位に就く。
先王も困ったが、宮廷はもっと困った。
インランド王国という大国の正妃として、第一王女の母親の家では格が低すぎたのである。
急遽、同盟国の王族から正妃に相応しい娘を受け入れる事となり、第一王女の母親は正妻から側妻の立場に落とされてしまう。
その代償として、第一王女の家は伯爵家から侯爵家に格上げ、当代は公爵の爵位を得たが、これに焦ったのが軍部だった。
第一王女の母親の家は代々が宮廷の財務官を務めており、近い将来に財務のトップになるだろう当代は軍事費の削減を前々から声高に叫んでいた為、西方領侯爵家の娘を先王の後宮にゴリ押しで入れた。
それが第二王子の母親である。
即ち、先代王妃は結婚式を挙げる前から側室が二人居り、第一王女の母親は幸せな日常を奪われ、第二王子の母親は先代王妃と第一王女の母親の二人と競い合わされる目的の為に側室となった。
これで良好な関係が築ける筈が無い。三人の仲はじわりじわりと険悪化してゆく。
但し、悪口を言い合ったり、意地悪をし合ったり、髪を引っ張り合う乱闘をしたりなどの後宮物語が綴られた訳では無い。
先代王妃が後から割って入った遠慮なら、第一王女の母親は三人の中では身分が最も低い故の我慢であり、第二王子の母親は義務を果たそうとするだけの無関心。
おっさんの話によると、こんな感じに表立っての争いは無かったが、当時の王城は三人の影響でいつ行ってもギスギスとした雰囲気で用事が無かったら近づきたくない場所だったらしい。
しかし、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
そう、先王の愛人が、ジュリアスの母親の存在が発覚するまでは。
なにしろ、ジュリアスの母親は真実はどうあれ、その身分は平民である。
それも先王が自分から望んだ初めての女性であり、国王となった為に与えられた女性とも違う。
第一王女の母親からしたら、これはとんでもない裏切りでしかない。
自分は今まで誰の為に、何の為に我慢を重ねてきたのかと、嫉妬の炎を燃え上がらせて、それは歪な形となって現れる。
最初は癇癪を起こして周囲に当たり散らす程度だったが、その頃には宮廷財務閥の長となっていた父親ですら苦言を呈するほどに富貴を貪るようになり、その甘い汁を啜ろうと集った愚か者達の囁きに頷き、やがてはジュリアスの母親を殺害するにまで至る。それが一匹の復讐鬼を生むと知らずに。
義父が陣頭指揮を執ったジュリアスの母親が変死した事件の捜査は凄惨を極めた。
前の世界と違い、この世界に科学捜査なんてものは存在しない。自白こそが捜査の進展と解決を握っている。
疑わしきは全て罰する。その精神で義父は豪腕を振るい、どんな高位貴族であろうと屋敷に押し入ると、最初は不遜な者も最後は殺してくれと泣いて懇願するほどの拷問を老若男女を問わずにかけた。
この様に義父がアクセルを踏み切った場合、通常は先王とおっさんの二人がブレーキ役になっていた。
だが、先王は悲嘆に暮れるあまり公の場に暫く出てこなくなり、おっさんは南方領でアレキサンドリア大王国を相手に大忙し。ブレーキが効かなかった。
その結果、連日に渡り、王都の広場に拷問を受けた後の死体が見せしめに晒され、六つの家がインランド王国の貴族名簿から完全に削除された。
第一王女の母親は側妃という立場に守られながらも次は自分の番と怯える毎日だったのだろう。事件から半年が過ぎた頃、乱心した末に王城のある尖塔から飛び降り自殺を図っている。
それ故、あくまで推定有罪である。主犯は未だに捕まっていない。
ジュリアスの母親が変死した事件についてを語ると、妻達が危ういバランスの上に建っていながら愛人を作った先王の責任は非常に大きい。
しかし、その気持ちが解らないでもない。
あのおっさんですら、王城へ用事が無かったら近づきたくないと感じたのだから、そこに居を構えていた先王は尚更だろう。
それに年長の第一王女とジュリアスの年齢差を考えれば、先王がいかに苦労したかも伺える。
水をせっせと撒いても実を結ぶどころか、芽すらも一向に出てこず、疲れ切っている時に優しい言葉をかけられたら誰だって嬉しくなるものだ。
ちなみに、第二王子の母親もまた義父を恐れた。
第二王子を産んで義務は果たしたし、私は先代王妃と争うつもりは無い。この二つの意思表示だろう。
第一王女の母親の喪が開けると、王都近くの小島にある王家の離宮へと移り住み、姿を表舞台から完全に消している。
四年前、俺達がミルトン王国戦線へ王都を発つ時点では存命中。先王とは逢瀬を一ヶ月に一回は交わす仲を保っていたと聞く。
これ等の影響があってか、先代王妃は第一王女と第二王子の二人とも仲が良いとは決して言えないらしい。
それぞれの母親と比べたら、マシと言える程度。顔を合わせたら挨拶も交わすし、世間話も交わすが、食事を一緒に摂ったり、何処かへ一緒に出かけたりと仲を深め合う仲ではない。
ジュリアス曰く、その仲を何度も取り持ったが何をやっても駄目だった。
先代王妃は二人の母親に持っていた遠慮と苦手意識を引きずって拭いきれず、第一王女と第二王子の二人は先代王妃との仲をそもそも必要としていないのだとか。
だが、その人となりを考えたら、第一王女と第二王子の二人が先代王妃をどうこうする気は無い筈だ。
先代王妃が嫁いできた同盟国との友好関係もあるし、先王を暗殺した負い目から逆に厚遇する可能性も有る。
問題は二人の家臣達にあり、ジュリアスの心配と弱点はそこに有る。
この時点で既に事実上の人質だ。ジュリアスと先代王妃の二人が本当の親子のように仲が良いのは有名であり、これを利用しない手は無い。
俺が向う側の陣営の一人なら、先代王妃の近況をジュリアスに敢えて知らせる。
それを知らせなくてもジュリアスの不安を誘えるだろうが、それを知らせる事で不安をもっと誘えるからだ。
たった一枚の手紙が戦況を大きく変える可能性を秘めているのだから、これ以上に安上がりな策は無い。
先代王妃の筆跡を偽造して、反乱を諌める手紙を出すのも面白い。ジュリアスは軍勢を王都へ近づければ近づけるほどに不安を大きくしてゆくに違いない。
だが、『しかし』である。
やはりジュリアスは持っている。天運と呼ばれるモノを感じる。
もし、先代王妃を救出するとなったら、その所在がまず問題となるが、それは考えるまでもない。
間違いなく、王城最奥の北宮だ。そこは当代王の側室達とその子供達が住まう場所であり、先代王妃の一時離宮として格は申し分ない。
それに外部と繋がる唯一の手段。当代王と王妃の家族が暮らす西宮と繋がる渡り廊下を封鎖すれば、簡単に閉じ込める事が出来て、監視と警備の手も少なくて済む。
つまり、先代王妃を救出する上で絶対に不可決なモノは二つ。
厳戒態勢の王都へ忍び込む手段と王妃が囚われているだろう王城最奥の北宮までの知識だ。
そして、俺はどんなに厳戒態勢だろうと王都へ簡単に忍び込む手段を持っていた。
しかし、王城は行政府がある南宮しか踏み入れた事が無い。侵入者対策が盛り沢山の王城で誰にも見つからず、それも短時間で先代王妃のもとまで辿り着くのは不可能である。
その可能性を持つとしたら、王城に誰よりも詳しいジュリアス一人しか居ないが、それは論じるまでもなく却下だ。
もし、ジュリアスが捕まりでもしたら、そこで俺達は全てが終わる為、俺はジュリアスに涙を飲んで貰うつもりでいた。
だが、唐突に絶好のカードが舞い込んできた。
正に目的地の北宮に第二王女と一緒に住んでいたミーヤさんの存在である。
絶対に揃わないと思っていた双方が揃った以上、俺は先代王妃救出を実行するべきだと考え、ミーヤさんと共に王都へ急ぎ向かっていた。
ところがところがである。
出発して、すぐに新たな問題が発生。今や、それは深刻な問題となっていた。
魔砲の優位性は暫く続くだろうが、その暫くが経つ前に俺は皆のもとへ戻らなくてはならない。
最前線から敗退の報告が王都へ相次いで届き、敵が侮っていたこちらの認識を改めるのに二週間。宮廷魔術師が最前線に到着するまで二週間。
合計一ヶ月、それが王女救出作戦に許された時間であり、王都までの道のりは昼夜を問わずに馬を走り続ける必要が、それも襲歩をメインにした超特急で走り続ける必要があった。
それに奴隷は逃亡の助けとなる馬を用いてはならない。それがこの世界の掟だ。
ミーヤさんが単独で騎乗していたら、それだけで目立つ上に問題となる為、必然的に二人乗りでの旅になったのだが、ここに大きな問題が潜んでいた。
通常、馬の二人乗りといったら騎手が前に座る。
だが、この旅は襲歩をメインにした超特急の上、ミーヤさんは乗馬経験を持っていない。安全性を考えたら、ミーヤさんが前に乗った方が断然に良い。
この場合、当然の事ながら多少の操作性を失う事となるが、その程度は敵陣へ突撃を仕掛ける時に比べたら造作も無い。俺にとって、問題にはならない。
問題は俺とミーヤさんの身長差と馬上の狭さにある。
ミーヤさんが前に座り、俺がその後ろに密着して座ると、俺の鼻がミーヤさんの髪の中に埋まって、とても良い匂いがしてしまうのだ。
しかも、俺達は出発以来、風呂は勿論の事、水浴びすら行っていない。
日を重ねる毎、その芳醇さを増してゆくミーヤさんを俺は半ば抱き締めた状態でいるのだから、俺の男の部分が勝手にガオーッと雄叫びをあげてしまうのも当然の理である。
恐らく、ミーヤさんもソレに気づいている。
俺がそうなる度、初日は身体をビクッと震わせていたし、今も座り心地が悪そうにお尻を左右に振るものだから、こっちは余計に辛抱が堪らない。
「見えた! 次の街だ!」
「男爵は本当に目が良いですね。猫族の私ですら、言われて微かに解るくらいなのに」
「ヒッヒッヒッ! ヒヒーン!」
そんな俺に今出来る事は唯一つ。
セクハラ野郎の汚名を少しでも雪ぐ為、遥か遠くの景色を眺めて、気をちょっとでも鎮める事だった。
******
「じゃあ、ミーヤさん。嫌な事があるかも知れないけど我慢してね?」
「はい、承知しております。何度も言ってますが、慣れているので気にしないで下さい」
街が近づいてくると、長蛇の列が見えてきた。
ぱっと見て、千人は居る。俺達が挙げた反乱の狼煙は噂となって既に広く伝わっており、その戦火から逃れようと西方領から溢れ出ていた難民達の行列である。
彼等の大多数が目指しているのは王都だ。
しかし、それは俺達の目指す最終目的地でもある。ちょっと考えたら、一番危険な場所と解りそうなものだが、三重の城壁に守られた王都なら安全に違いないという気持ちがやはり強いのだろう。
「退け! 退け、退け、退け! 退けぇぇ~~~っ!」
その難民の列に向かって叫び、槍の穂の根本に付けた白い旗を高々と掲げる。
街へ入場する為の身元確認と持ち物検査の順番待ちで城門から行列を作っている難民達は、待ち疲れた表情を振り向かせるなり、目をギョッと見開きながら慌てて街道の外へ逃げてゆく。
襲歩で駆ける馬に轢かれたら重症必至。最悪、命を落としかねない。
何の為に持てる財産以外と住み慣れた土地を捨てて、難民になったのか。こんなところで命を落としては笑い話にすらならない。
「ヒヒヒヒーンッ!」
おかげで、こちらは城門前へ待ち時間ゼロで到着。
手綱を思いっ切り引き絞って馬首を返すと共に二本立ち。馬を緊急停止させる。
「伝令! 伝れぇぇ~~~いぃぃぃぃぃっ!」
何故、こんな無茶とズルが許されるかと言ったら、その答えがこれだ。
今の俺は王家の紋章が描かれた白い旗を掲げて、エリートの証である白いサーコートに身を包み、何処からどう見ても風雲急を告げに街道をひた走る伝令官だからである。
「お役目、ご苦労! 身分証を見せてくれ!」
「おう、これだ!」
詰め所から慌てて駆け出てきた門番長らしき中年の男性が身分証の提示を求めて、馬から下りた俺に右手を差し出す。
だが、旗も、サーコートも、紐を通して首にかけている薄くて小さな鉄製の身分証も全てが本物。焦る必要は一欠片も無い。
なにせ、今は敵味方に分かれてしまったが、つい二週間前まで俺達は同じ旗を掲げるインランド王国軍だった。
精巧な偽物を苦労して作るまでもなく、本物を持っているのだから、これを使わない手は無い。王族であろうと行く手を立ち塞がるのは禁じられている伝令官の立場は、王都を目指す上で実に都合が良かった。
唯一、身分証に刻まれた名前が偽物だが、それもネプルーズの街に所属する実在の伝令官のもの。
それにこの世界では写真がまだ発明されていない。俺は自分が今ではそれなりの有名人だと自覚しているが、俺の名前を知っていても俺の容姿まで知っている者はそう居ない。
もし、知っていたとしても髪や眼の色などの簡単な特徴程度。
しかし、それすらも今現在のように髪を黒く染めて、黒い付け髭を顎にぺたりと貼り付けたら問題にならない。先入観が有る分、こんな簡単な変装で俺とは解らなくなる。
「うむ、確かに! 今、代わりが来る! ゆっくり休んでくれ!」
事実、この通りである。
門番長は身分証と俺の顔を交互に何度か見た後、頷きながら身分証を返してきた。
ここまでの道中に通ってきた他の街や村の門番長達と同様に俺が本物の伝令官だと疑ってもいない。
問題はここからだ。
伝令官を解り易い例で喩えるなら、前の世界のスポーツ『駅伝』のランナーだ。
緊急事態の知らせというバトンを幾人もが繋ぎ、それを指定された場所まで馬を走らせて運ぶ。
だが、俺達は見た目は伝令官に成りすましていても、フルマラソンのランナー。
王都まで走る必要が有り、ここで役目を代わられても非常に困る為、一芝居を打たなければならず、俺の演技力に全てがかかっていた。
「いや、このまま俺が走る。代わりの馬と道中で食べられるようなモノをくれ」
「ええっ!? ……どういう事だ? 説明を頼む」
当然、門番長は俺の不可解な申し出に戸惑いを表情に浮かべた。
しかし、その一方で部下に目配せを送り、俺の要求に応えるよう準備を促している。
どうやら、この街の門番長はなかなか優秀なようだ。
伝令官に求められるモノは緊急事態を届ける速さ。俺が本物の伝令官なら自分の事情を説明している暇すら惜しい点をちゃんと理解している。
ここまでの道中に通ってきた他の街や村の門番長達は違った。
俺が作った脚本を一から十までとは言わないが、最低でも五くらいまで聞いて、ようやく準備に動き出していた。
但し、それは門番の役目上の慎重さとは違う。
単なる興味本位からだが、門番の過酷さを考えると、それも仕方がないと苦笑を誘う。
これはあくまで俺の体験談。
前の世界の大学時代、俺はパチンコ屋が空に浮かべたアドバルーンを監視するアルバイトをした経験がある。
そのパチンコ屋の店長さんは大らかな性格をしており、アドバルーンの常時監視が義務付けられてはいたが、漫画を持ち込んで読み放題なら携帯ゲームも遊び放題。屋上の陽射しはきついだろうとビーチパラソルまで用意してくれた。
それでいて、日給が高額なこのアルバイトを友人に話すと、決まって彼等はこう言って羨んだ。
そんな楽で美味しいアルバイトが有るのか。もし、空きが有るなら、俺にも紹介しろ。お前ばっかり狡いと。
だが、二週間の期限付きだったから最後までやり遂げたが、俺は二度と御免だった。
楽しいと感じたのは最初の三日間だけ。それ以降はただただ時間が早く過ぎないかと考え、適度な暇は心の潤いになっても暇だらけなのは心が乾いてゆくと知った。
その点が門番の仕事は良く似ている。
特にこの街のような最前線から遠く離れた小さな街はそうだ。
今は難民の処理で多忙を極めているが、普段はヒトが出かける朝とヒトが帰ってくる夕方以外の時間は往来が滅多に無い為、暇をひたすらに潰さなければならない。
その癖、軽視は絶対に出来ない。
突然、モンスターの大群が何らかの理由で森から溢れ出す可能性がこの世界では何処にでも有る。
その万が一に備えて、誰かが監視の目を城門から常に光らせていなければならない。毎日毎日、朝も昼も夜も、延々と。
だったら、伝令官が運ぶ緊急事態の知らせは格好の暇潰し。
対岸の火事とはいえ、野次馬根性を丸出しにするのはどうかと思うが、速報を街の誰よりもいち早く知る事が出来るという優越感も得られる。
ところが、その興味本位をこの街の門番長は感じさせない。
暇が多い職場に有りがちな達観しただらけも見えず、己の役目に対する真摯さを感じる。
偉そうな事を言わせて貰うと、俺的評価に値する。
難民の行列だって、ここまでの道中に通ってきた他の街や村と比べたら短い。
たまたまそういうタイミングなのかと視線を門番長の奥に向ければ、俺がここへ到着した直後は何事かとこちらに顔を振り向けた部下達は、今はもう難民の処理作業に戻っている。規律がしっかりしている証拠だ。
先ほど見せた身分証に刻まれている階級は十騎長。
それを確認した後も口調がタメ口から変わらない点から察すると、門番長も十騎長なのだろう。
世襲で就いているなら話は別だが、こんな小さな街の門番長に十騎長を据えているなんて、人材の無駄遣いでしかない。
インランド王国は国境に問題を常に抱えつつも中央は長年の太平の世にどっぷりと浸かり、宮廷も、軍部も腐敗が進んでいる。
ひょっとしたら、嘗てのジェックスさんがそうだったように能力が有りながらも上から何らかの理由で疎まれ、不当な評価を受けているのかも知れない。
だが、俺達の反乱が成功すれば、宮廷も、軍部も数多のポストが空く。
優秀な人材は一人でも多く必要だ。この街の門番長の事を心のメモに書き留めておこう。
しかし、まずはこの場を切り抜けなければならない。
ここで捕まってしまったら、取らぬ狸の皮算用でしかない。優秀ならばこそ、今まで以上に俺の演技力が試される。
「それが実は俺もよく知らんのだ。……と言うのも、俺が預かったのは文じゃない。言葉だ。
そして、俺以外にも四人。王都へ別のルートで向かっている。直接、ウォーチ公爵へ届ける為にな」
首を左右にゆっくりと振り、肩をやや大げさに竦めながら溜息を深々と漏らす。
事情の説明を求められても解らない。こんな事はこちらも初めてで困っているというアピールだ。
軍隊には相手を問答無用で黙らせる手段『軍事機密』がある。
それっぽい大物の名前を出して、それっぽい事を匂わせれば、あとは相手が勝手にあれこれと想像してくれる。
ましてや、正確な数字は解らないが、王都での政変からまだ二ヶ月も経っていない。
その上、俺達の反乱を起こして、まさかのオーガスタ要塞の陥落とまさかまさかの城塞都市ハイネスの陥落。大変動が立て続けに起き、今や真偽の情報が錯綜して、インランド王国内はどこもかしこも不安と混乱が蔓延っている。
「ウォーチ公爵? 第一王女殿下の……。宮廷閥の長にか?」
「ああ、そうだ。多分、ウォーチ公爵はジュリアス殿下の反乱を予期していたのだろうな。
詳しくは言えないが、預かった言葉から考えると、何かしらの合図だと思う。
だから、その時が来たら、この合図を第十五騎士団長に送るよう命じてあったんじゃないだろうか?」
「なるほど……。いや、待てっ!? 第十五騎士団長っ!?
……って事は、お前っ!? ミルトンからここまで走ってきたのかっ!?」
「よくぞ、聞いてくれた。昼も、夜も走り続けて、もう十日目だ。
正直、代わって貰えるなら代わって貰いたいが、これも役目だからな。仕方がないさ」
「昼も、夜も……。それで夜目が効く猫族か」
「まあ、アレでも俺が寝ている間の手綱は握れるからな」
その結果、門番長は二度の驚きを交えながらも俺の嘘を信じた。
それも最大の難関『何故、猫族の娘と一緒に居るのか?』を説明するまでもなく正解に自力で辿り着いてもいる。
過去に獣人を部下に持った経験が有るのか。
この門番長はやはり優秀だ。獣人の特性をきちんと理解している。
獣人を奴隷として扱い、ヒトとして尊重しない歴史が長すぎたのだろう。
獣人がヒトより身体能力に優れているのは理解しているが、猫族も、犬族も、馬族も、牛族も、その他の種族も一括りにして、認識がそこで完結している者は非常に多い。
あのバーランド卿ですら、出会った当初はそうだった。
極端な例を挙げると、俊敏な猫族と鈍重な牛族を一緒の部隊で運用する。どう考えても足並みが揃わないチグハグな部隊編成が当たり前にまかり通っている。
実際、ここまでの道中に通ってきた他の街や村の門番長達は『何故、猫族の娘と一緒に居るのか』と必ず質問してきたし、それを理解させるのに多少の手間を必要とした。
「じゃあ、女と言うか……。メイドの格好をしているのはどうしてなんだ?」
「お前、よく考えてもみろよ? 二週間も一緒に、それも自分の前にずっと座らせるんだぞ?」
「はっはっはっはっはっ! そいつは違いない! どうせなら可愛い娘の方が良いよな!」
ミーヤさんを一人の女性として見ている点も好感が持てる。
今、門番長が喉の奥が見えるくらい朗らかに笑ったのが、その証だ。この感覚を獣人に対して持っている者もなかなか居ない。
そういった偏見を踏まえて、今の会話を一般的なものに置き換えるとこうなる。
『じゃあ、メスと言うか……。メイドの格好をしているのはどうしてなんだ?』
『お前、よく考えてもみろよ? 二週間も一緒に、それも自分の前にずっと座らせるんだぞ?』
『でも、ネコだろ? う~~~ん……。まあ、オスよりマシかなぁ~?』
恐らく、その原因は見た目に有るのではなかろうか。獣人にはヒトとの明確な違いが存在する。
猫族のミーヤさんで例を挙げると、光を集める虹彩の瞳、黒い短毛に覆われた尖った耳、左右の頬に生えた猫髭、黒い尻尾がそうだ。
だが、同じ亜人でもエルフとドワーフは違う。
エルフとドワーフは見た目がヒトとそう変わらず、エルフは耳が長いヒト、ドワーフは身長が低いヒトと置き換えられるせいか、ヒトと同じ扱いを受けている。
それに付け加えて、獣人は数え方すらヒト扱いを受けていない。一匹、二匹、三匹である。
獣人達は自分達の祖ではあるが、このネコ扱い、イヌ扱いを奴隷の身分以上に屈辱と密かに感じているらしい。いつだったか、ニャントーが『俺だから教えるが』と前置き、この秘密を明かしてくれた。
「それに獣人を馬に乗せるんだぞ? 要らぬ誤解を受けたら面倒だ。
だけど、メイドの服を着ていれば、俺が主人って一目で解るだろ? それでだよ」
「なるほど……。上手く考えたもんだ。二週間とはいえ、役得だな」
「ふっ……。」
「えっ!? ……ま、まさかっ!?」
「次男とはいえ、さすがは伯爵家。金ってのは有るところには有るんだな。
無理強いする代わりの褒美って事でな。俺もとうとう奴隷持ちの身分って訳さ」
「かぁーーーーっ!? こんな可愛い娘をか! 羨ましいな!」
逆に言えば、ヒト扱いされる事になれておらず、その為だろう。
只でさえ、獣人が馬に乗って現れた驚愕の出来事に注目を浴びている中、門番長が可愛い可愛いと連呼するから注目をますます浴び、ミーヤさんは照れまくり。
本人は微動だにせず、何食わぬ顔を装っているでも、紅く染まった顔と左右に忙しなく動く尻尾の先でばればれであり、その様子に超特急の長駆に疲れ切った心がほっこりと和む。
ついでに、もう一つ。ヒトと獣人の恋愛はアブノーマル扱いである。
その為、獣人の女性が在籍する娼館は少ない。マニアが訪れる専門店として、王都のような大きな都市でないと存在せず、その場所も奥まった場所にある。
俺はこれがどうしても理解が出来ない。
ニャントー達をヒトの嬢だけが在籍する娼館へ連れてゆくと、入店を拒まれたり、割増料金を取られる為、俺も一緒に獣人の嬢が在籍する娼館へ何度も訪れた経験を持つが、彼女達はヒトと何も変わらない。
しかし、亜人は生まれながらに奴隷。
そう定められた今の世の中ではヒトと獣人の恋愛が不幸な結果しか生まないのも事実だ。
また、この偏見がここ数年の悩みの種にもなっている。
俺はニャントー達に譜代の家臣になって貰いたいと考えているが、肝心の嫁のアテが無い。
一人か、二人くらい居るだろうと考え、コミュショー領の留守番を任せたバラリス卿に領内を捜すように手紙で頼んだが、梨の礫。それに関する返事は三年待っても帰ってこない。
そこへ現れたミーヤさんは正に希望の存在だった。
同じ猫族であり、奴隷の身分から開放されて、ニャントー達同様に市民権まで持っているのだから。
だが、とてもとても残念な話。
ミーヤさんは第二王女と一緒にアブノーマル以上の修羅の道を歩んでいるらしい。
上手くいったら儲けもの。そう考えて、エステルにまずは好みの男のタイプを探らせてみたら、まさかまさかの答えが返ってきた。
ネーハイムさんは言う。
奴隷商人から猫族の娘を数人買い、その中からニャントー達に選ばせたらどうかと。
しかし、それは俺の中で何かが違うような気がしてならない。
その手段を取ったとしても俺が全面的に出資する見合いパーティのようなモノであり、考えすぎとも解っているが、どうしても躊躇いを捨てきれなかった。
「お待たせ致しました!」
「おう、ご苦労!」
そんな事を考えながら門番長と他愛もない世間話を交わしていると準備が整った様だ。
小走りで駆けてきた兵士から夕飯が入っていると思われる風呂敷包みと新たな馬の手綱を受け取る。
ところが、二人乗りする都合上、先に騎乗して貰わないと困る前座席のミーヤさんが馬に乗ろうとしない。
猫族の跳躍力なら補助を必要とせずに馬の背に乗るなんて容易い筈が、馬の横に立ち、その背に跳び乗ろうと両手を乗せたまま。
どうしたのかと理由を問うまでもなければ、心配を抱く必要も無い。
ミーヤさんが着用しているメイド服は所謂『フレンチメイド式』であり、そのフレアスカートの丈は膝までしかない。
馬に跨る際、どうしても脚を大きく開く必要が有り、その時にパンツがバッチリ過ぎるほどに周囲の者達に見られてしまうからだ。
この旅を始めるに先立って、俺はちゃんと忠告している。
費用は俺が出す。スカートは馬に乗る上で丈が長くても、短くても不向きだからズボンを買ってこいと。
だが、それを頑なに拒んだのはミーヤさん本人である。
この服は第二王女の元を離れた時に着ていたモノだから、再会する時も同じ自分でありたいと。
さすがはアブノーマル以上の修羅の道を歩んでいるだけの事は有る。
第二王女に対する忠誠以上の深い愛情を感じさせる。その申し出を拒む事は出来なかった。
なら、ここも第二王女に対する愛で乗り越えて欲しい。
芝居が上手くいったとはいえ、一刻の猶予も無い。時を浪費すればするほどにボロが出てしまう可能性は高まる。
「ほら、ボサっとしてるな! さっさと乗れ!」
ここは心を鬼にして、背後からミーヤさんの両脇に手を入れて持ち上げ、馬に跨がりざるを得ない状況へと追い込む。
この時、指先が素敵な柔らかさを感じてしまうのが不可抗力なら、ミーヤさんのお尻が目の前の位置となり、乙女の秘密を特等席で鑑賞する権利を得てしまうのも不可抗力である。
「ふにゃーっ!?」
たちまちミーヤさんは悲鳴をあげてのご立腹。
毛を逆立てた尻尾を左右に素早く揺らして、俺の頬を鞭のようにピシピシと叩きまくり。
「……ったく、デカいケツしやがって! さっさと乗れって言ってるだろうが!」
「にゃにゃっ!?」
しかし、無駄の一言。逆にその可愛らしい抗議に俺の心はぴょんぴょんと跳ねまくり。
両手が塞がっており、たまらずニヤニヤと緩む顔を周囲から隠す目的も有り、ミーヤさんのお尻に埋めた顔で下から上へと文字通りに駄目押しすると、ようやく観念したらしい。ミーヤさんはアダルトな黒いパンツをご披露して馬に跨った。
そのパンツもまた第二王女のもとを離れた時に着用していたモノなのだろうか。
ミーヤさんが王都を上手く落ち延びる事は出来たのは、国王が暗殺された直後であり、その時間が真夜中だったからと聞く。
もう寝るだけの真夜中にアダルトな黒いパンツをわざわざ履き、国王暗殺の現場を見たというベランダで第二王女とナニをしていたのだろうかと妄想を捗らせつつ、俺も間を置かずに足を鐙にかけて飛び取り、この場をさっさと去るべく馬の腹を足で叩こうとしたその時だった。
「おっと……。言い忘れていた事が一つあった」
「うん? どうした?」
門番長が手招きして、その右手を口の横に立てる。
機先を制された苛立ちに思わず眉を寄せるが、その耳を貸せという注文を断る訳にもいかず、腰を横に大きく曲げて、馬上から耳を門番長の口元に寄せる。
「付け髭が外れかかっていますよ?」
「なっ!?」
そして、衝撃の事実を知らされ、心臓をドキンと強く跳ねさせると共に曲げた上半身を勢い良く跳ね戻す。
左手が考えるよりも早く反射的に動き、顎を素早く隠せば、付け髭が外れかかってる感触が確かに有り、目をギョッと見開かせる。
全身の毛穴が開き、汗が一斉にブワリと噴き出す。
既に馬も、食事も得た。斯くなる上は押し通るしかない。
それを予期してか、ミーヤさんがいきなりの襲歩に振り落とされないよう身体を強張らせる。
視線を左右に走らせて、槍を握る右手に力を込め、そのタイミングを図ろうとした瞬間、門番長が悪意を感じさせない苦笑を浮かべた。
「ご安心を……。以前、貴方に救われた者とだけ言っておきます。
しかし、これで恩は返しました。もし、次に出会うのが戦場なら、その時はお覚悟を」
その俺だけに聞こえる声と口調を変えた言葉に思わず茫然と見開いた目をパチパチと瞬きさせる。
数拍の間の後、目の前のミーヤさんが首筋に吹きかけられて、身体をブルルッと震わせるほどの安堵の溜息を深く漏らして気づく。
いつからなのかは解らない。ひょっとしたら、門番長は最初から俺の正体を知っていて、芝居にわざわざ付き合ってくれ、騙すつもりが騙されていたのだと。
門番長の顔を改めて確認するが、その顔に見覚えは残念ながら無い。
だが、過去の何らかの行為が巡りに巡って、今を助けている事実。それは俺が今までやってきた事が間違っていなかった証であり、その実感に胸が熱くなると共に頬が緩む。
「くっくっくっ……。ああ、また会おう! その時まで壮健あれ!」
門番長の名前がますます知りたくなった。
しかし、その楽しみは次の機会にして、叶うのならその時は戦場に非ず、全てが済んだ後の王城である事を願いながら馬の腹を蹴り、俺達は王都への旅を再開させた。