第01話 我に続け!
「コゼット……。」
南東と南西の夜空に浮かぶ赤い三日月と青い三日月。
今夜は闇が濃い。二人の内、片方が立ち止まり、片方が歩き続けたとしたら、五歩で相手の姿は陰りを始め、もう五歩で完全に闇の中に飲まれてしまうくらい暗い。
ちなみに、二つの月を赤い、青いと言っているが、これは俗称の赤月、青月に因んだもの。
実際は赤くもなければ、青くもない。赤月が『そう言われてみると赤いかな?』と感じる程度の色であり、青月に至っては遠い記憶の中にある前の世界の月の色と変わらない。
恐らく、昔の誰かが赤月との比較で青月をそう呼び、そのまま便宜上で定着したのではなかろうか。
昔のヒトは偉大だ。前の世界のようにパソコンも無ければ、電卓すら無いにも関わらず、自分の頭の中の想像と難解な計算を用いて、赤月の一周期は約二十五日、青月の一周期は約三十五日と発見して、そこからこの世界が太陽の周りを約三百六十五日で回っていると発見してさえもいる。
それを踏まえて考えると、この世界と太陽の距離は前の世界の地球と酷似している事になる。
一日の時間とて、十二進法を採用した二十四時間。果たして、こんな偶然が有り得るのだろうか。
広大な宇宙という星の海の中、地球と酷似した惑星と星系が一つくらい有ってもおかしくはないが、それはどれくらいの確率なのか。
その上、前の世界では幻想上の存在だったモンスターまでいる進化と生存競争の末、地球と同様にヒトが世界の覇権を握っている。
最早、それは天文学的数字に天文学的数字をかけた確率に違いないが、その世界に俺はヒトとして二度目の人生を得ているのだから、もうゼロを書いても書いても書き足りない確率になる。
しかし、俺は自分を『選ばれた者』とは思わない。
確かに他者よりも幸運だろう点は認める。可愛いお嫁さんを貰ったばかりか、こんな俺を慕ってくれる女性が他にも居り、今や南方領を統括する大貴族の立場にまでなったのだから。
ついでに言えば、厄介事しか持って来ないが、自分の命を賭しても失いたくないと思える親友も出来た。
そいつのおかげで二度目の人生は波乱万丈。前の人生では参政権を持っていても投票に行った経験が一度も無かった俺が今では国の現政権を相手に戦い、万を超える兵士達を指揮する立場に居る。
だが、俺が今在るのは俺が選び、俺が積み上げてきた選択の結果だ。
俺はこの幸運を『運命』とは認めない。もし、認めてしまったら、俺とコゼットが別れ離れになったのも『運命』として認めなければならないからだ。
そう、俺は絶対に諦めない。諦めてなるものか。
今の俺がインランド王国の貴族なら、コゼットはアレキサンドリア大王国の貴族であり、両国が犬猿の仲を超えた怨敵同士であろうと、俺達二人が結ばれる未来がきっとある筈だと。
「ぁっ!?」
つい口走ってしまった呟きに我を取り戻して、慌てて顔を隣に振り向ける。
今がどんなに手持ち無沙汰の待ち時間とは言え、ここは戦場だ。俺が見るべきは前方であって、夜空では無い。
ましてや、これから実行する作戦は俺自身が総指揮を執る今後の戦いに大きく左右するもの。
そこから集中を途切れさせて、感傷に浸ったばかりか、声色から明らかに泣き言と解る呟きを、それも女の名前を漏らすなんて以ての外と言うしかない。
「どうかなさいましたか?」
「済まない……。忘れてくれ」
「いえ、何も聞こえませんでしたが?」
「そうか。なら、良い」
しかし、ネーハイムさんは視線を不思議そうに返してきただけだった。
この暗闇の中、お互いの表情が見えるほどの近くに居て、その素知らぬ顔を装ってくれた気遣いに感謝しながら視線を正面に戻す。
オーガスタ要塞の北東に位置する城塞都市ハイネス。
過去、ミルトン王国は幾度も越境して、インランド王国に一時的な版図を広げているが、この街を越えた例は一度も無い。
その理由は北のミシェール山脈と南のジブラー山脈から流れる二本の川にある。
この二本の川は接するほどに近づいたり、地平線の彼方に離れたりを幾度も繰り返しながら西方領と中央直轄領を流れてゆき、ようやく合流するのが大海原へ出る直前の王都手前。その姿がまるで男女の関係のようだとされ、正式名称より男川、女川の俗称で親しまれており、最初に最も接近するのがこの地なのである。
つまり、ハイネスの街は平野に存在しながらも同時に多方向から攻めるのが難しい。
それもオーガスタ要塞と繋がる西側、男川と女川の間にある距離は前の世界の単位で言ったら約三百メートル。大軍をぶつけるのも難しい。
一応、男川も、女川もまだ大河に成長する前で川幅はまだ狭く、川底もまだ浅くて渡河は可能だが、意味が無い。
ハイネスの街は両川の間に作られている為、渡河した先の北側と南側は川が天然の水堀となり、壁の高さは西側ほど高くないが、攻略の難易度は西側以上に上がる。
最も簡単な攻略手段はハイネスの街を大きく迂回した東側を攻め口とする事だが、この街を重要な戦略拠点として定めた者は馬鹿では無い。
その大きく迂回した先にハイネスの街の防衛を支える砦が待ち構えており、下手するとハイネスの街との連携で挟撃にされかねず、結局は西側を攻め口とするのが最も簡単になっている。
そういった意味ではオーガスタ要塞から見たら、ハイネスの街がインランド王国の玄関口になる。
だが、オーガスタ要塞からハイネスの街までの道中にも村はあり、そこから伸びる枝道の先にある村も合わせたら、その数は二十以上になる。
どれも寒村だ。人口はそう多くない。
西方領は北のミシェール山脈沿いと南のジブラー山脈沿いを除いたら、何処も平野。男川と女川のおかげで水が豊富なら、土地も肥えており、集落が自然と栄える要素を持ちながら、何故に寒村なのかと言ったら、それはこれ等の村々がミルトン王国の侵略を受ける事を前提としているからだ。
なにしろ、嘗てのオーガスタ要塞は正に難攻不落だった。
インランド王国は国境を越えられないが、ミルトン王国は国境を越え放題の上、西方領は城や要塞を築こうにも平野ばかりで不向き。迎撃の度に大きな犠牲を必要とした。
しかし、この地でなら話は違ってくる。
地の利を活かす為、この地より両川の上流に橋を作らなければ、今の俺達のようにミルトン王国は選択肢の少なさに悩まされる。
その一方、インランド王国は選択肢が豊富にある。
迫ってくる敵を叩くだけでも十分だが、戦いが膠着状態になったところで別働隊を密かに編成するか、前述にあるハイネスの街の防衛を支える砦から出撃して、挟撃作戦や敵の伸び切った補給路を叩く作戦などが選べる。
その為にも道が必要になる。それを行き来して維持する為の者達が必要になる。
だから、村を作った。村が在れば、ミルトン王国は占領とその後の維持を目的に兵力を割かなければならず、それがハイネスの街へ迫る兵士を一人でも減らす事に繋がる。
即ち、焦土作戦である。
ミルトン王国が越境してきた場合、オーガスタ要塞からハイネスの街までの広大な一地方は防衛を前提としていない。最初から犠牲の内に数えられている。
幸いと言うべきか、財産相続権を持たない次男、三男の悲しさ。
そこが危険な地と噂で知っていても、土地を与えると言えば、入植を希望する者は後を絶たない。侵略によって、村が壊滅したとしても再建は幾らでも可能だ。
だが、その村を治める者にとったら、そんな村を栄えさせようと努力するだけ無駄でしかない。
国に上納する税金は低く設定されているが、それを加味しても経営が軌道に乗るまでは赤字投資を強いられるにも関わらず、いずれは戦場となるのが解っていて、村が破壊されないとしても最大の財産である住人達は奴隷として連れて行かれるのが解っているのだから。
もし、努力する者がいたら、それは変人と言うしかないが、その変人が実はすぐ身近にいたりする。
ジュリアスである。ジュリアスの名前『ジュリアス・デ・シプリア・レーベルマ・インランド』の中にある『レーベルマ』とは、この地の南に位置するジブラー山脈沿いにある地域の名前であり、そこがジュリアスの所領である事を意味している。
これだけでもジュリアスに向けられた宮廷の冷遇ぶりが良く解る。
今や、ミルトン王国戦線は大きく前進した為、努力は無駄にならない。苦味の後に旨味が必ず出てくるが、ジュリアスがレーベルマ領を得た当時は違う。
ミルトン王国戦線はオーガスタ要塞より前にあったが、戦況はまだまだ不安定だった。誰かが下手を打てば、戦線は大きく後退して、オーガスタ要塞をミルトン王国に取り戻される可能性は幾らでもあった。
旨味が出る前の苦味しか味わえない土地など欲しがる者は居ない為、オーガスタ要塞からハイネスの街までの広大な一地方は代官を治める国王の直轄領とされ、これ等の地に赴任する事は左遷地の代名詞だった。
とても王族に与えられる領地とは考えられない。
王太子はランベルグ、第一王女はリーダ、第二王子はフォリオと中央直轄領の中に、それも大都市として完成された街を所領内に持ち、その差があまりにも大きすぎる。これならまだ領地を与えない方が優しいと感じてしまうくらいの露骨な待遇差だ。
しかし、ジュリアス自身は宮廷の冷遇に不満は持っていても、レーベルマ領に関しては不満を持っていない。
約四年前の出来事だ。ミルトン王国戦線へ向かう道中、近くまで来たのだからレーベルマ領にどうしても立ち寄りたいというジュリアスの我儘に付き合い、たまに領地経営の相談を受けてはいたが、その予想を超えるレーベルマ領の貧しさを目の当たりにして、怒りを露わにする俺にジュリアスはこう笑って応えた。
『ううん、僕にはこれくらいが丁度良いのさ。
むしろ、大領を与えられても困っちゃうよ。失敗したら、どうしようってね?
それにニートも知っていると思うけど、小さいからこそ、領民の一人、一人を憶えられる良さが有るんだ。
そうだ! 今年、生まれた子供達をニートに紹介してあげるよ! 手紙では三人生まれたって……。ほら、こっちこっち!』
そんなジュリアスだから人気があるのだろう。
オーガスタ要塞からここまでの道中、志願兵を募ったらレーベルマ領を中心とするその近郊から千人以上が集まった。
村々の人口を考えたら驚異的な数字である。
言い方は悪いが、こんな見捨てられた地でもジュリアスに期待しているヒト達が居る。彼等の為にも絶対に負けられない戦いだ。
「ニート様、準備が整いました」
「では、これより作戦を開始する」
決意を新たにしていると待ちに待った言葉が耳朶を遂に打った。
前方を見据えたままに頷き、指を揃えた右手を夜空に向かって大きく掲げる。
今夜は俺達が軍勢をこの地へ進めて、最初の夜。
今頃、ハイネスの街の防衛司令官は高いびきで夢の中。就寝前にこう考えたに違いない。
オーガスタ要塞が難攻不落と呼ばれたのは過去の話。
今は二度と我が国に牙を向けないように一旦壊されて、新たな砦に改築している真っ最中。
それを守備していた第十六騎士団が腰抜け揃いではたった一日であっさり陥落するのも仕方がない。
だが、ハイネスの街はミルトン王国の侵攻を幾度も防いできた城塞都市。
腰抜け揃いで食い扶持は増えたが、敗残の第十六騎士団も加えて、こちらの兵力は四万を超える。負ける要素は何処にも見当たらない。
今日は顔見せだけで済ませたが、明日からが本番。
約二倍もの兵力差があるのだから、一気呵成に攻めるのも良ければ、定石通りに迎え撃つのに徹するのも良し。それを選択する勝利までの時間は幾らでも存在すると。
「カウントダウン! ……5! ……4! ……3! ……2! ……1!」
だったら、その身をもって教えてあげよう。
お前等が俺達に勝つとしたら、それは今日一日だけ。日が暮れるまでの短い間しか無かったと。
圧倒的な兵力差の優位に驕らず、俺達がこの地に現れて、長期戦と見せかけての陣を築いている間に攻撃を仕掛けるべきだったと。
第十六騎士団の大半が無傷で逃げられたのは戦いの総指揮を執ったジェックスさんにそうするように命じ、この瞬間の為の油断を誘う為だったと。
そして、とくと見よ。
これまでの戦術を根底から覆して、歴史を一気に前進させる一撃を。
「撃てえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえっ!」
闇夜の静寂が満ちる中、昂ぶりまくる興奮のままに声を思いっきり張ると共に右手をハイネスの街へ向かって勢い良く振り下ろした。
******
「おおっ……。」
大気を震わす轟音と共に思わず手を目の前に翳してしまうほどの強い閃光。
次の瞬間、光が一条の軌跡を描いて前方の夜空へと伸び、それが巨大な炎の花をハイネスの街の上空で咲かせる。
こう表現すると花火のようだが、残念ながら色も単色なら、炎の散り方もばらばら。
しかし、花火を見た経験を持たないこの世界の者達にとって、それは幻想的で美しく感じられたのだろう。
背後からはどよめきがあがり、こうなると前もって知っていた筈のネーハイムさんですら隣で感嘆の声を漏らしている。
「続けて、三射! 撃て、撃て、撃てぇぇぇぇぇえっ!」
だが、ハイネスの街の者達から見たら、安眠しているところにまさかの悪夢。
ここ数日、雨が降っておらず、空気は乾燥している上に今夜はやや強い風が吹いている。天から降り注いだ炎は家屋を燃え移り、その勢いを瞬く間に広げてゆくに違いない。
しかも、それが更に三連発である。
阿鼻叫喚の地獄絵図となってゆくハイネスの街の様子が目に浮かぶ。
「次、本命だ! あの忌々しい城壁をぶちこわせ!」
そして、トドメの一撃。
それは先の四射とは違い、一条の光の軌跡を大地とほぼ水平に描いて、ハイネスの街を守る城壁に衝突。凄まじい轟音と共に大地を微かに揺らして、城壁に巨大な穴を作り上げた。
数拍の間の後、穴の上に残る城壁が自重で崩れ落ち、それ等の石と土が直下に積み重なって、ハイネスの街へフリーパスで入れる門が出来上がる。この時点で勝ったも同然であり、あとは仕上げにかかるだけ。
「良し! 良し! 良し、良し、良ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおし!」
だが、喜び沸く暇くらいは有る筈だと力強く握った両拳を勝利の雄叫びに合わせて前後に動かす。
頭の中では脳内物質がガンガンと出まくり。鼻息はフンフンと荒く、胸はドキドキと高鳴って、股間が痛いくらいにギンギンと荒ぶり猛る。
俺達の戦力には致命的な弱点が有る。
それは手札に宮廷魔術師というカードを持っていない点だ。
なにせ、宮廷魔術師は戦略兵器といえる存在。
運用が難しくて、高いコストを必要とするが、どんな劣勢も使い方次第で覆す事が可能であり、その威力も然ることながら士気に与える影響が大きい。
兵役が満了すれば、大半が一般市民に戻る兵士達にとって、魔術は日常で触れる事のない摩訶不思議な現象。
例えば、それが火矢程度の炎なら怯みはしないだろうが、自分ほどの巨大な炎が襲ってきたら、すわ天変地異かと錯覚して武器を投げ捨てて逃げ出すし、その影響は日を跨いでもなかなか拭い去れずに逃げ腰となる。
だから、宮廷魔術師を戦場で確認したら、一瞬でも早い打倒が命題となる。
だが、それは敵も承知しており、宮廷魔術師を堅牢に守っている為、その打倒は大きな犠牲を前提とした捨て身の突撃が必要になる。
もっとも、これは片方の陣営のみに宮廷魔術師がいる場合の話。
魔術には光、闇、火、水、風、金、土の七属性が有り、火は金に強いが、水に弱いといったジャンケンの様な相性が有る。
これは宮廷魔術師の力量だけでは覆せない魔術の摂理であり、双方の陣営に宮廷魔術師がいる場合は常に後出しジャンケンを狙った睨み合いとなり、それが結果的に魔術が行使されない戦場を生む。
官軍たる第一王女と第二王子の陣営は宮廷魔術師を国として抱えている。
唯でさえ、俺達は総兵力数で劣っており、この上に宮廷魔術師の面でも劣ったら絶対に勝てない。
しかし、魔術は読み書きや計数などと比較にならない高難易度の学問。
そもそも魔術は誰もが学べるものに非ず、素質を必要とする上にその窓口は基本的に秘匿されている。王族であろうと魔術師に見込まれない限りは学びたくても学べないのが魔術である。
当然、その総人口は少ない。
魔術の難易度は七段階に分かれているが、冒険者の間では最低の一段階のみの習得者ですら持て囃され、三段階にもなると引く手数多でパーティを選べる立場になるらしい。
では、国家に雇われて、宮廷魔術師と呼ばれるのに必要な習得段階は幾つかと言ったら、それは国家によって違うが、インランド王国の場合は四段階だ。
但し、魔術師から聞いた話によると、一段階から三段階までは本人の研鑽次第で習得は可能だが、三段階と四段階の間にはとても大きな壁が有り、凡才では決して手が届かない領域なのだとか。
ここまで対象の数が減ると砂漠でダイアの一粒を探すのと同じ。自力で探すのは無理だ。
なら、餅は餅屋。南方領守備の為、ミルトン王国戦線には連れてこれなかったオータク侯爵家が抱えている宮廷魔術師の爺様に紹介を頼んでみたが、これも無理だった。
曰く、自分のように一門代々で仕えている者や富貴を求める者はとっくに自分から進んで宮廷魔術師になっている。
四段階どころか、五段階の魔術を習得している知己は居るが、高段階の魔術を習得している者ほど更なる高みを目指しており、基本的に自分の研鑽と魔術の研究が第一。金を幾ら積もうと首は縦に振らない。
だが、諦める事は出来なかった。
当初は王位争奪戦の為では無かったが、宮廷魔術師の脅威をトーリノ関門で初めて目の当たりにした時から一年、二年、三年と悩み続け、ヒントは意外なところで見つかった。
バルデラ村にて今も行っているジブラー山脈貫通トンネルの工事現場。
ここでは掘削作業の速度を上げる為、ファイヤーボールの爆発魔術をダイナマイト代わりに用いているのだが、その使用の度にトンネル出入口から外へ向かって凄まじい轟音と爆風が放たれる様子から閃いた。
そう、大砲だ。大砲なら遠距離から城壁をも破壊する攻撃が可能になる。
目的としていた宮廷魔術師の睨み合いによる後出しジャンケンは成立しないが、既存の攻城兵器とは比較にならない破壊力が有り、見た目だけなら宮廷魔術師が行使するファイヤーボールの魔術と変わらないし、こちらも似た様な事が出来るなら魔術を一方的に撃たれるよりは兵士達の士気は下がらない筈だ。
むしろ、数を揃えれば、こちらの方が有利になる。
魔術師が魔術を行使するには事前の精神集中と呪文の詠唱が必要であり、その隙は大魔術であるほど大きくなる。
街を破壊してしまうくらいの大魔術が存在するのかは知らないし、それを行使されたらお手上げだが、俺が今まで見てきた魔術であるなら、発射工程が短い大砲の方が兵士の士気を挫けさせる最大の要因である轟音の数で勝てる。
しかし、喝采をあげて喜んだのは一瞬だけだった。
大砲は作れても、大砲から砲弾を飛ばす為に不可欠な『火薬』の製法を俺は知らなかった。
辛うじて、前の世界の戦国時代に関する鉄砲の知識で『硝石』を材料の一つとするのは憶えていたが、それ以外は見当すらつかない。
当然と言えば、当然だ。化学を専攻して学んでいるか、花火職人のような火薬に携わる職業に就いている者以外の一般人が火薬の製法を知っていたら、それは危険人物の可能性が有る。
だが、俺は大砲を諦めなかった。これ以外はもう無いといえる光明だけに諦めきれなかった。
この世界に火薬はまだ存在しないのか、火薬が存在しないなら代用が出来る何かが無いかと、それをどんなに時間がかかろうが探し続ける決意をした。
ところが、ところがである。
その何かは即座に見つかった。俺が喜び沸き、落ち込み、右拳を天に掲げて決意しているすぐ横に答えはあった。
それが『氷石』と呼ばれる鉱石だ。
この鉱石は多い、少ないの差は有れども山を掘ると必ず出てくる鉱石であり、その名が表す通りに透明な美しさを持つが、陽の光を浴びるとみるみる内に小さくなり、最後は跡形もなくなる性質が有る。
それでいて、高密度なのだろう。ツルハシ泣かせな硬度を持ち、別の同じ大きさの鉱石と比べて明らかに重い。
穴掘りを得意とするドワーフの間ではそれ等の性質から『残念ダイア』と呼ばれ、坑道では掘削にも、運搬にも手間がかかる厄介者。陽の光さえ浴びせたら消えてなくなるので置き場に困らないのが唯一の救いといえるゴミだった。
しかし、このゴミはとんでもない性質を更に持っていた。
俺にはさっぱり解らないが、氷石自体が魔力と呼ばれるモノを放っていて、それが魔術の力を増幅させる効果が持ち、魔術師が魔術の研究実験を行う際に触媒として扱われているのだとか。
『えっ!? 知らなかったのですか?
これを知っていたから、コミュショー様は私を雇ったのだとばかり思っていました。ええ、上手い手を考えたなと……。』
火薬に代わる品はこれだ。そうはしゃぐ俺を不思議そうに眺め、バルデラ村のトンネル工事の為に雇った魔術師がこう応えた後に教えてくれた。
どうやらトンネルの掘削スケジュールが俺の予想よりも早く進んでいたのは、この氷石がジブラー山脈に多く含んでいるのが最大の理由であり、ファイヤーボールの魔術による掘削を効果的にしていたらしい。
だったら、こんな素晴らしいモノがゴミ扱いを受けてきたのは何故か。
その理由は簡単だ。先ほど挙げた氷石の性質そのものがその答えに他ならない。
魔術の力を増幅させると言っても、片手で握れる小石程度の大きさでは意味が無い。
宮廷魔術師の実力に届かない三段階の魔術師が宮廷魔術師並のファイヤーボールを撃つとなったら、最低でもバスケットボールほどの大きさが必要になる。
ところが、この大きさになると非常に重い。
力自慢の者なら背負えるだろうが、ちょっとでも油断したらひっくり返り倒れて動けなくなるほど。
それに最大の欠点として、陽の光を当てた途端に消えてなくなる扱いの難しさがある。
気温による変化は無いようだが、密閉した木箱の中に入れて、それに針先ほどの穴を空けると、バスケットボールほどの大きさの氷石が百を数えない内に姿を消してしまう。
例え、その穴をすぐに塞いだとしても陽の光を一度でも浴びたら駄目。
とにかく、陽の光が反応を起こしているようであり、炎の明かりは大丈夫だが、太陽の照り返しである月明かりさえも消えるまでの時間が明度によって長くなるだけ。
その上、氷石の有用性を扱えるのは総人口が少ない魔術師のみ。
それも用途が魔術の研究実験の触媒だけとなったら需要は無いに等しい。これではゴミ扱いされるのは当たり前である。
冒険者を生業としている魔術師なら、いざという時の為に小さな氷石でも備えていたら有用ではなかろうかと考えたが、この世界はゲームとは違う。
冒険者だからこそ、いざという時の為にいつでも動けるように荷物は最小限に留めなければならず、無駄に扱いが難しい氷石を荷物に加える隙間は無い。
前の世界のゲーム機で遊んだ一般的なロールプレイングゲームのように剣を何本も所持したり、バックパックにポーションを九十九個も入れる事は出来ない。
しかし、軍隊なら扱いを厳重にしても運べる。
欠点を挙げるとするなら、魔術師が運用に必須となり、砲弾となる氷石がバスケットボールほどの大きさになる為、大砲が巨大になってしまう点だ。
試行錯誤の末、作り上げた大砲の全長は約七メートル。
おぼろ気な記憶を頼りに前の世界の具体例で言うなら、マイクロバスくらいの大きさか。
こうも巨大になると鉄製は無理だ。
当初は砲身を鉄で作ろうと考えていたが、費用がかかり過ぎるのと実際に作らなくても重すぎて運用に難が有りすぎると解って実用的で無かった。
それ故、木製の大砲だが、組み立てと分解が可能になった分、運用性は高い。
その反面、所詮は木製。どんなに砲身を肉厚にしようが、砲身を縄でぐるぐる巻きに補強しようが、強度がすぐに落ちて使い物にならなくなる。
下手すると、その場で砲身が炸裂して大事故を起こしかねない為、過去の実験から基本的に使用限度は一度っきりの使い捨て。止むを得ない場合の連続使用は三度までと定めている。
俺はこの大砲と魔術が融合した新兵器を『魔砲』と名付けた。
魔砲の素晴らしい点は何と言っても砲弾が一種類で済む汎用性だ。ご覧の通り、魔術師が行使する魔術によって、城壁に穴を空ける徹甲弾にも、炎を撒き散らすナパーム弾にもなる。
それに木製だから現地で簡単に作れるのも素晴らしい。
扱いが難しい氷石だって、鉱山が戦場近くにあったら入手は簡単だ。
だからこそ、魔砲を敵に鹵獲されてはならないし、魔砲に関する情報も奪われてはならない。
魔砲は端的に言うと宮廷魔術師の代用品。宮廷魔術師の実力に届かない三段階の魔術師が宮廷魔術師並の魔術を撃てる兵器だ。
もし、宮廷魔術師が魔砲を用いたら、その威力は計り知れない。
今、炎の海と化しつつあるハイネスの街なんて比較にならない。たった一発でハイネスの街を灰燼と化しかねない。
だが、その心配は必要無いだろう。
俺はこの王位争奪戦に二年、三年と長い時間をかけるつもりは無い。
鹵獲されたとしても、情報を奪われたとしても、魔砲を理解される前に王位争奪戦そのものを終わらせるつもりでいる。
それを考えると、魔砲の出番がミルトン王国戦線で巡ってこなくて本当に良かった。
戦いに負けては意味が無い為、いざとなったら使うつもりでいたが、使っていたら魔砲の情報は確実に第一王女派と第二王子派に伝わり、国王への献上を名目に現品を奪われていた筈だ。
しかし、俺の予想では魔砲の砲身は宮廷魔術師の魔術に耐えられない。
恐らく、これは砲身を鉄製に変えても同じ。威力が強すぎて、砲身は確実に破裂する。
宮廷魔術師の魔術に耐えられる砲身を作るとしたら、ヒトが持つ製鉄技術をもう一ランクも、二ランクも上がるのを待たなければならないだろう。
いずれにせよ、今の俺達が欲しい只の勝利では無い。圧倒的な大勝利だ。
その圧倒的な大勝利が兵力差で劣っている俺達に機運を呼び、世論をジュリアスの王座に傾かせる。
誠に心苦しいが、ハイネスの街の者達にはその為の生贄として今夜はこの世の地獄を味わって貰う。
もし恨むなら、俺達を侮って最初から宮廷魔術師を派遣しなかった中央軍司令部と接敵初日に様子見を選んだハイネスの街を防衛する司令官を恨んで欲しい。
「最後に照明弾! 放てぇぇぇぇぇえっ!」
轟音と共にハイネスの上空に小さな太陽が突如にして現れたかのような輝きが放たれる。
ハイネスの街は既に燃え盛り、闇夜を赤く照らして進む方向を間違える心配は無いが、これで足元の心配も要らなくなった。
「全軍、突撃開始! 我に続けえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえっ!」
呆然とする味方達の目を醒ます為、大きき息を吸い込んでから声を思いっきり張り上げると、俺は槍を掲げながら我先にとハイネスの街へ駆け出した。
******
以前、ニートが偉大な発明家の一面も持っていた話を語ったのを憶えているだろうか。
その発明品は日常生活に密接した道具から戦場での兵器まで多岐に渡るが、最大の発明はやはり『魔砲』だ。
このたった一つの発明の前に彼以前の発明家も、彼以後の発明家もニートに平伏するしかないほど世界と歴史に影響を大きく与えている。
まず魔砲が発明される以前、魔術を習得するのはとても困難だった。
これは魔術の習得難易度を指しての意味では無い。魔術を習得する為、その教えを請う先達の魔術師を見つけるのが困難だったという意味だ。
それに徒弟制の性質上、同じ効果を発揮する魔術でも力ある言葉『呪文』は相伝によって千差万別。学問としての体系がまるで整っていなかった。
しかし、魔砲が世界に広まりをみせると、魔術師の需要は加速的に高まった。
国々は在野に求める方針を自らの育成に切り替えて、魔術を教える機関を設立。その過程で魔術は体系が整えられてゆき、素質を持つ者なら誰もが学べる学問となった。
次にそれまで捨てるだけだったゴミ『氷石』を資源『魔石』に変えた事。
当時は陽の光に当てると消滅してしまう魔石の扱いはとても難しかったようだが、製鉄技術が進んで容易に密閉が可能になるとその用途は魔砲以外にも多様化し始める。
また、先に挙げた魔術の学問化と並行して、国々による魔石研究の競い合いが起こってもいる。
その結果、時代の流れと共に小型化、高性能化してゆき、魔石の加工に魔術師は今も必要不可欠だが、遂に魔石のエネルギー起動の際に魔術師を必要としなくなり、誰でも容易に扱える品となったのである。
最後にご存知だろうか。銃身が只の筒では大気の影響を受けて、弾丸は真っ直ぐに飛ばず、発射する度に明後日の方向へ飛ぶのを。
弾丸を砲身から真っ直ぐに狙った方向へ飛ばす為には溝を銃身内部に刻んだ『ライフリング』と呼ばれる技術が必要であり、これをニートは魔砲を発明した時点で発明している。
つまり、魔砲は現代における兵器『銃』の祖である紛れもない事実だ。
戦場での主役が剣から銃に変わり、戦争はより凄惨さを増したが、その一方で安全と自由をヒトに与えてもいる。
今となっては信じられないが、銃が世に現れるまでヒトはモンスターの脅威に怯え、どんな小さな村でも安全を得る為に村の外周を壁で囲み、そこから外に一歩でも出る事は死を覚悟しなければならなかった。
しかし、銃がありとあらゆる村や街から壁を取り除き、ヒトは広がった生活圏と共に産めよ増やせと人口を増加。世界の覇者としての地位を完全に確立させた。
大げさかも知れないが、ニートが存在しなかったら今の我々の繁栄は無かったかも知れないし、モンスターの脅威に未だ怯えて暮らしていたのかも知れない。