幕間 その1 バルバロス視点
ニートが新兵受付の審査を行っている頃。
川の向こう側、小高い丘に設営された敵陣のある天幕にて、最高司令官『バルバロス』は腕を組んで椅子に座り、卓上の地図を睨み付けながら頭を悩ませていた。
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「むぅ~~……。」
名案は出てこず、出てくるのは唸り声ばかり。
今日も今日とて、突破口が何処かに無いかと穴が空くほどに地図を眺めるが何処を探しても見つからない。
約半世紀もの間、膠着状態となっていた西の国との争い。
ところが、敵国境の要であったオーガスタ要塞の陥落。そのバランスは一気に傾き、陛下の野心に火を点けた。
今現在、戦争状態に至ってはいないとは言え、隣接する他四国に対する防御を手薄にしての増援に継ぐ、増援。少々、無謀と言える手段で今は我が国のモノとなったオーガスタ要塞に兵を集めた。
その後、我が軍は連戦連勝。幾つかの村を征圧。統治下に置いた。
しかし、そのいずれもが小さな村。とても拠点となり得ず、我が軍は街道を深く突き進む事を強いられた。
そして、ようやく拠点となり得る街の手前まで辿り着いたと思ったら、川を間に挟み、陣をお互いに構えて、既に二週間。快進撃はピタリと止まり、睨み合いが続いていた。
それまでの道中、どうも抵抗が温いなとは思っていたが、もし最初からこれを狙ってたとするなら、敵もなかなかのやるではないか。
なにせ、もう一ヶ月もしたら、この辺りは雪が降ってくると言う。
そうなったら、こちらは最寄りの拠点であるオーガスタ要塞からどんなに急いでも二週間に対して、敵は三日程度。補給路が圧倒的に短い分、敵が有利になる。
また、我が軍は各方面から集められた混成軍という欠点もあった。
快進撃を続けている間は良かったが、こうして戦況が動かなくなった途端、ストレスが溜まり、兵士達の間で諍いが多くなり始めている。
もっとも、そう言った問題は煩わしくあったが、この睨み合いが自分にとって、都合の良い休養となっているのも事実だった。
親不孝にも三人居た息子達はいずれもが年若くして逝ってしまった為、家督を再び預かり、こうして軍役に就いてはいるが、やはり六十を越えた身としては辛い。
陛下の信頼を得て、一軍を預かる将として、その様な弱音を部下達に見せられず、何食わぬ顔で振る舞っているが、疲労は溜まるばかりで抜けない。日に日に溜息が勝手に漏れるのが多くなっている。
事実、鏡を見てみると、若き頃から敵を威圧する為に生やしている自慢の虎髯にすら、最近は白髪が混じり始めて、老いは隠せなくなっていた。
「むっ!? そろそろか?」
「はい、敵の陣に炊煙が上がりました」
開きっぱなしになっている天幕の出入口。射し込む光がふと遮られ、地図から顔を上げると、赤い皮鎧に身を包んだ少女が立っていた。
そう、年老いた儂が最前線に立つだけの気力を常に保っていられるのは、彼女のおかげであった。
今年で十九歳となる彼女の名前は『サビーネ』、髪型は眉上でバッサリと切り揃えた栗色のセミロング。
眼鏡をかけており、そのきつめな黒い目で好みが分かれるかもしれないが、知性を漂わす美人であるのは間違いない。
実際、十年に一人とまで呼ばれた才媛で王都の大学を主席卒業しており、その進路が注目されたほどに将来を各方面から期待された。
ところが、サビーネは一人娘だった為に家督と共に先祖の忠を継ぎ、敢えて十騎長という低い地位に留まり、我が家に仕えてくれていた。
今回の遠征が初任務であり、最初こそは新兵らしい気負いもあったが、今や儂の副官として立派に役立っており、正に痒いところに手が届く存在でもう手放せないほど。
軍略に深い造詣を持っていて、よき相談相手ともなり、さすがにまだまだ経験が伴っておらず、机上論が目立ってはいるもの。経験をきちんと積ませていけば、将来は優秀な軍師となり得るだろう。
しかし、有り難く感じている一方で本音を言えば、こんな遠い異国の地にサビーネを付き従わせるのは反対だった。
我が国は建国以来、女性の家督相続を認めてはいるが、実際は長男の家督相続が一般的であり、女性の家督相続は極めて希。
ましてや、軍隊は男社会の色合いが濃く、まだ年若いサビーネが最高司令官たる儂の副官を務めるに関して、やっかみを持つ者は非常に多い。
これが領内なら儂の目も行き届くが、この混成軍ではそれもままならず、その中には聞くに耐えない女性としての尊厳を辱めるモノすらあった。
勿論、サビーネはおくびにも出さず、逆にそう言った者達を鼻で笑い返しているが、その実は違う。
作戦会議の満座にて、ある騎士の心無い言葉に感情を爆発させて怒鳴り、その場をすぐに退去。心配して追ってみると、自分の天幕で声を押し殺して泣いていた。
但し、その一度のみ。それ以後、涙は勿論の事、弱音すら決して吐こうとせず、気丈な態度を貫いている。
ならばこそ、老いを理由に弱音を吐ける筈も無い。
身に着けている赤いプレートメイルとお揃いの赤い兜を被り、これまた赤い我が愛槍を手に持ち、戦意を燃え上がらせながら、いざ天幕を出ようとしたその時だった。
「何っ!?」
最高司令官たる儂の命令を無くして、攻撃命令の銅鑼が盛んに鳴り響き、慌てて何事かと走る。
そして、天幕を出るなり、目をこれ以上なく見開き、驚愕のあまり思わず言葉を失った。
実を言うと、我々は今日まで時を無為に過ごしていた訳ではない。
敵と睨み合いになった時、サビーネよりある献策がなされ、それを実行する為に機をずっと待ち続けていた。
その作戦内容は、伏兵を敵陣の左右にある森の中に配置させた後、本陣からの攻勢に合わせて、敵陣を三方向から攻めるというもの。
だが、伏兵を送り込むのにネックとなったのが河原。一人、二人ならまだしも、何百人が河原を渡るとなったら、どうしても敷き詰まった石が音を鳴らす。
しかし、天は我らに味方した。昨夜、待ち続けていた機『雨』が、それも強い土砂降りが降ったのである。
この激しい雨音によって、河原を渡る音は見事に打ち消され、敵陣左右の森にそれぞれ五百の兵士達がまんまと伏兵に成功した。
あとは土砂降りの中、強行軍を行った伏兵部隊の疲労回復を待つ意味合いも兼ね、敵の昼飯時を狙うばかりとなっていた。
ところが、ところがである。
ここは敵陣を真正面に捉えた小高い丘の頂上。眼下に広がる戦場は思い描いていたモノとは大きく違った。
こちらの合図を待たずして、敵陣の後方右で著しい混乱が見えた。恐らく、敵陣右の森に潜んでいた伏兵部隊が何らかの理由で暴発してしまっただろう。
そう言った理由なら、先ほどの攻撃命令は納得である。いつも作戦通りに行くとは限らず、現場の指揮官とは臨機応変に徹するべきなのだから。
しかし、我が陣で動いているのは、我が本隊の前に配置してある左翼部隊のみ。儂直属の本隊は仕方ないにしても、右翼部隊は何をやっているのか。
また、敵陣左の森に潜んでいる伏兵部隊も何故に動かない。伏兵の意味はとうに消滅しており、この程度の簡単な仕掛けどころさえ解らないと言うのか。
おかげで、その攻勢が完全にちぐはぐなモノとなっている。
このままでは敵陣右の森に潜んでいた伏兵部隊が孤立して全滅するのは時間の問題。同時にこの場における戦いの決着もついた瞬間だった。
「バルバロス様、このままでは!」
「解っておる! 全軍に対して、突撃命令を出せ!」
その結果を経験は無くとも、知識と計算で導き出したのだろう。サビーネが血相を変えた顔を振り向ける。
さすがだと感心して頷きながらも、すぐさま傍に控えている伝令官へ指示を出す。
高らかに鳴り響く突撃ラッパの音色。
ようやく右翼部隊が左翼部隊を追いかける様に動き出し、敵陣左の森に潜んでいる伏兵部隊も動き出したのか、敵陣の後方左で小さな混乱が見え始める。
だが、全てが遅すぎる。こうなってしまった以上、伏兵部隊を助ける為、敵陣の奥深くまで斬り込み、こちら側が圧倒的に分が悪い消耗戦を仕掛けるしか他に術は無い。
それは詰まるところ、我が軍の負けである。
今まで拮抗していたバランスが崩れてしまい、今日の戦いを引き分けたとしても、明日以降はここを保持するだけの戦力は無くなる。
そうなったら、先ほども悩んでいたが、補給路の長短の関係上、オーガスタ要塞まで退くしかない。
「サビーネ、お前に全権を預ける! 頃合いを見て、退け!」
「な゛っ!? では、バルバロス様はっ!?」
なら、陛下より八千の兵を預かり、この場を任された最高司令官として行うべき役目は只一つ、一人でも多くの兵を逃がす事のみ。
馬丁が引いてきた愛馬に飛び乗り、その為の指示を与えると、サビーネは息を飲んで絶句した後、恐らくは答えが解っていながら問いてきた。
「儂は敵陣に突撃をかける!」
その期待にニヤリと笑って応え、我が愛槍の先で敵陣のど真ん中を指し示す。
愛馬も決死の戦いを感じてか、鼻息を荒く嘶いて、出番はまだか、まだかと土を前足で掘り、その興奮を収めるべく手綱を絞る。
「馬鹿な! それなら、その役目は私が!」
しかし、サビーネは己の胸を開いた右掌で勢い良く叩き、冗談じゃないと言わんばかりに目を剥きながら半ば怒鳴る様に叫ぶ。
その忠誠と献身が心に浸み、思わず目頭が熱くなるが、この役目だけは譲れなかった。
なにしろ、これから仕掛ける突撃はほぼ一方通行。帰還の可能性は極めて低い。
だからこそ、まだ年若いサビーネを行かせたら恥でしかない。何事にも順番というモノがある。
第一、サビーネは女。その優れた器量を考えると、捕縛された場合は生きるよりも辛い屈辱を受ける可能性が大いにある。
無論、それはサビーネも重々承知の上での発言だろうが、その言葉だけで十分過ぎた。
「その意気込みは買うが、お前では力不足だ。
いや、聡いお前の事、自分が一番承知しておろう? なら、適材適所と言う奴よ」
そして、それ以上の理由として、サビーネが敵陣に突撃したところで無駄な一言。
無駄な犠牲を増やすだけであり、敵陣を突破するどころか、切り崩しさえもままならないに違いない。
サビーネが扱う武器はレイピアと呼ばれる細剣。
その実力は男顔負けの目を見張るモノがあるが、レイピアは護身、または決闘用の武器。戦場における乱戦向きの武器では無い。
部隊を率いる指揮官としては、まだまだ圧倒的に経験不足。
そもそも、これから行う突撃は兵士の一人、一人が修羅となり、一死一殺以上を望む決死隊。
年若い女性である上に経験も、実績も少ない無名のサビーネでは残念ながら兵士は誰も付いてこない。
その名がそこそこ知れており、一軍を預かる最高司令官である儂が決死の覚悟となって突撃するからこそ、敢えて兵士達は死地に付き従うのである。
「ぐっ……。バルバロス様……。」
それを告げると、サビーネは言葉を悔しそうに詰まらせると、下唇を噛み締めて、馬上の儂を見あげる上目遣いに涙を溜め始めた。
年甲斐もなく、胸がドキリと高鳴った。やはり男は歳を幾ら重ねても、女の涙というモノは堪えるらしい。
だが、それは良いきっかけともなった。
そのサビーネの泣き顔が出征前に見せた孫娘の泣き顔と重なり、まだまだ絶対に死ねないという気概に繋がった。
それと共に気付かされる。この程度の絶望的状況の戦いなど、長い人生の中で何度もあったと言うにいつの間にやら弱気となって、死さえも覚悟していた事を。
もしや、これも老いだと言うのか。
嘗て、赤備えのバルバロスと言えば、近隣諸国でも名がちょっとは知られ、雑兵共は儂の姿を見ただけで逃げ出したと言うのになんと情けない。
しかし、その若き日を思い出した今の儂に恐れは何も無かった。必ず帰ってくると言う自信に満ち溢れていた。
「なぁ~に、まだ死ぬつもりは毛頭も無い! だから、安心せえ!
そうよ! 曾孫の顔を見るまではな! ……わぁ~っはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
手綱を緩めて、鞭を打ち、愛馬を敵陣へと思うがままに走らせる。殊更、儂はここに居るぞと言わんばかりに高笑いを響かせて。