第05話 真実の価値は
「♪~……。」
ジュリアスが何処に居るのか。それは森の中へ歩を踏み入れて、すぐに解った。
森の木々とその外の騒がしさ壁となって遮っていた横笛の音色が森の奥から聞こえてきたからだ。
親しい者の前でしか披露しない為、世間的には知られていないが、ジュリアスは横笛を嗜む。
それも絶対音感の持ち主なのか、俺が前の世界の楽曲を鼻歌で口ずさめば、その聞いた傍から『こうかな? こうかな?』と首を傾げながらも音符に変換して奏でられる腕前すら持っている。
だが、ジュリアスに言わせると、王太子たる第一王子の腕前と比べたら足元にも及ばないらしい。
それもその筈、ジュリアスの横笛の先生は第一王子であり、俺は一度も聞いた事は無いが、その演奏を聞いた経験が有る者に尋ねると口を揃えて世辞抜きに絶賛するほどだ。
そうまで言われると自分も聞いてみたくなるのが当然の心理。
しかし、成人するのは難しいと言われ、成人後は誕生日を迎える毎に奇跡と医師に言われ続けてきた第一王子の病状が去年の冬にいよいよ悪化。
一時は昏睡状態に陥って、今ではベッドから完全に起き上がれなくなり、唯一の趣味である横笛すらも一曲を通しての演奏が難しい状態にまでなっているとか。
それ故、第一王女が前国王を暗殺して政権を握るという強引な手段を選んだのは第一王子の身に何かが起きた可能性も捨てきれない。
一応、第一王子に関する急報は届いていないが、今年の年度末を前後して王都から届いた公式情報が全て信じられない今、兄弟の中でも特に第一王子を慕っているジュリアスがその可能性を考えない筈が無い。
つまり、ジュリアスが今抱えている悩みとはそれに違いない。
森の奥から聞こえてくる横笛の物悲しい音色もそれを如実に物語っている。
それともう一つ。第一王女と第二王子との対決を決意したのに伴っての悩み。
王位争奪戦に名乗りを挙げるという事は王太子たる第一王子を蔑ろにする事と同義であり、ジュリアスは庶子である自分の生まれを含めて、この葛藤が以前から非常に大きかった。
「相変わらず、見事なもんだな」
そして、横笛の音色の発生源へ辿り着いた時、思わず息を飲んだ。
森の隙間から降り注いでいる月のスポットライト。それを浴びながら倒木の上に横笛を奏でる両腕を支える様に右膝を立てて腰掛け、両の眼を瞑想するかの様に閉じているジュリアスの姿がまるで宗教画の一枚の様に思えたからだ。
俺が同様の姿でそこに居ても絶対にこうはならない。
二十代半ばを迎えながらも未だに美少女、美少女な容姿を持つジュリアスならでは。
その神聖さについつい魅入られかけるが、今は残念ながら時間があまり無い。
顔を左右に強く振って我を取り戻すと、横笛の音色以上の拍手を調べの上に重ねる。
「わわっ!? ……って、何だ。ニートか」
よっぽど横笛の演奏に集中していたのだろう。
ジュリアスは過剰なまでに身体をビクッと震わせて立ち上がり、こちらに横笛を武器代わりに構えてみせた後、演奏を中断させた無粋な奴の正体が俺だと解るや、安堵の溜息を深々と漏らしながら強張った身体を弛緩させた。
どうやら自分の置かれた立場は忘れていなかったらしい。
その点は安心したが、やはり単独行動は止めて欲しいし、その行き先が暗殺にもってこいの森なんて以ての外だ。
「どれ、ここは一つ。耳を楽しませて貰ったお礼に昔話を聞かせてやろう」
「へっ!? ……む、昔話?」
「昔、昔、あるところに……。」
「えっと……。あの……。ニート?」
「良いから、黙って聞け」
「えっ!? あっ!? ……は、はい」
だが、それを叱ったところで同じ事をすぐに繰り返すのは目に見えている。
口まで出かかった小言を飲み込み、ジュリアスが今抱えている悩みを解決する為、脈絡が無く始まった昔話に戸惑うジュリアスを強引に黙らせて言葉を重ねてゆく。
******
昔、昔、あるところに一人の剣士が居ました。
彼は広大な領地を持つ大貴族の次男坊。剣の腕前は幼い頃から同世代に負け知らず、師からは成人を前にもう教える事は何も無いと言わしめた天才です。
しかし、彼本人は剣に興味を持てず、試合に勝っても面白さや嬉しさを感じた事は一度も有りませんでした。
彼が剣の鍛錬を続けていたのは只の惰性。彼の家が軍人の家系であり、それを誰も止めろと言わなかったからに過ぎません。
そんな彼ですから成人後は流されるままに騎士となり、国が定める兵役義務にも文句を一言も漏らさず、命じられるがままに戦場へと向かいました。
彼の父と彼の兄は彼の身を危ぶみました。
誰もが彼ほどの剣士なら武勲は挙げ放題と褒め称えましたが、彼は剣士としての才能は持っていても戦場で生き残る為に最も必要な覇気が致命的も欠けていると彼の父も、彼の兄も知っていたからです。
だから、それが悪い事と知りながらも彼の父と彼の兄は裏から手を回しました。
権力を使った上にお金を積み上げ、北の地と既に決まっていた彼の任地を南の地へと変えたのです。
だって、南なら安心です。心配は要りません。
北の地での戦争は毎年の様に起こっていますが、南の地での戦争は断続的です。
その間隔は十年に一度、五年に一度と言われており、戦争は一年前に起きたばかり。彼が兵役を終えるまでの三年間は戦争が起こらない計算になるからです。
ところが、運命とは皮肉なもの。
南の地の先にある国が十年に一度、五年に一度と言われている前例を打ち破り、戦火の炎を南の地に二年連続で燃え上がらせたのです。
しかも、その炎の激しさたるや、昨年以上の天をも焦がす勢い。
その最初の一報が王都へ届けられた時、王様が玉座から飛び上がって驚いたほどです。
勿論、彼の父と彼の兄も驚きました。
王都から派遣される援軍の一員に名乗りを挙げて加わり、彼がまだ生き残っている事を必死に祈りながら南の地へ馬をひた走らせました。
そして、彼の父と彼の兄は目の当たりにしたのです。
この世の地獄の中、彼が同年代と思しき槍を振るう青年と背中合わせになりながら家族ですら見た事が無い生き生きとした表情で剣を振るい、襲いかかってくる敵を次から次へと葬っているのを。
そう、彼は出会ったのです。
剣と槍。武器の違いは有れども自分と同等の武才を持ち、己に土の味を初めて知らしめた存在に。
そう、彼は魅入られたのです。
反則も無ければ、場外も、待ったも、判定も無い。ただ有るのは最後まで立っていた者が正義というシンプルな戦場という世界に。
それから、彼は変わりました。
今まで惰性で続けていた剣を本気で打ち込む様になり、剣を雨の日も、風の日も振り続けました。
以前ですら、天才と称されていた彼です。
その天才が本気になったのですから、腕前がめきめきと上がっていったのは言うまでも有りません。
その上、彼は貪欲なまでに強者を求める様になりました。
親友であり、好敵手である槍の青年に勝利する為、兵役義務を満了した後に予定していた父の幕下に入らず、国軍にそのまま残り続けて、その身を率先して戦火の中へ投じたのです。
そんな彼に次の運命が訪れたのは二十二歳の時。
国軍に所属して、七年目の春。千騎長への昇進と共に新設された騎士団を任され、海を隔てた向こう側にある同盟国『オルハン』へ派遣された際の出来事でした。
******
「あっ!? 知ってる!
そのオルハンって、ロンブーツ教国に攻め滅ぼされた国だよね?」
最初は戸惑っていたが、すぐに興味津々に食いつき、昔話を黙って聞いていたジュリアスがここで口を初めて挟んだ。
恐らく、その輝きまくった笑顔と言い、そのホップ、ステップ、ジャンプな声を弾みっぷりと言い、それまで抽象的な単語ばかりだった昔話の中に自分が知っている単語が初めて出てきて嬉しいのだろう。
だが、話し手としては腰を折られた上にネタバレである。
その冷え切った興冷めの不愉快さから舌打ちをこれ見よがしに鳴らして、ジュリアスを横目で鋭くギロリと睨み付ける。
「ご、ごめんなさい……。
も、もう喋りません。だ、黙って聞きます。ど、どうぞ、話を続けて下さい」
たちまちジュリアスは笑顔を引きつらせて黙り込み、そのしょぼくれた様子に満足して頷くと共に途切れた昔話を再開させる。
******
オルハンでの戦い。それは最初から勝ち目などない負け戦でした。
彼の国も最初からそれが解っていながら同盟国の義務を果たす為の援軍派遣。一年か、二年の時間稼ぎが出来たら儲けもの程度の思惑でした。
それでも、彼と彼の騎士団は奮闘しました。
勝ち目の無い戦いと知りながらも命を捧げて、オルハンという国の延命に尽くしました。
その最中、彼は初めての恋をします。
相手はオルハン王族の一人。王位継承権を二番目に持つお姫様です。
勿論、その恋が許されないものと彼も、彼女も承知していました。
しかし、恋とは不思議なモノです。許されないからこそ、二人の恋は燃え上がり、オルハンの命数が縮まれば縮まるほどに加熱させていったのです。
やがて、彼は決意します。
残り少ないオルハンの命数の為、彼女の命を一日、一刻でも長らえさせる為、剣を振るおうと。
ところが、やはり運命とは皮肉なもの。
彼がオルハンの地を踏んでから、三年目の暑い夏。彼の国がオルハンをとうとう見限り、彼と彼の騎士団に撤退命令を下します。
当然、彼はその命令に声を大にして憤りました。
しかし、命令と共に届いた彼の父親からの手紙。彼の兄が別の戦場で戦死したという凶報を知り、すぐに言葉を失いました。
気ままな自由が許されていたのは彼が次男坊だからです。
兄弟は兄以外に妹が居ましたが、既に嫁いでおり、彼が家を継がなかったらお家は断絶です。
彼は自分の中に流れている貴族の血を捨てきれませんでした。
彼女もまた同様に王族の血を捨てきれず、二人の恋はこうして終焉を迎えたのです。
だけど、彼は彼女に対する未練を捨てきれませんでした。
家の為に婚姻を結んだ妻とは仲が良好で翌年には子宝に恵まれましたが、ふと気づくと街中で彼女の姿を追い求め、彼女に似た女性を探してしまう毎日。妻に申し訳無さを感じながらも不貞を幾度も重ねてしまいます。
貴族社会において、不貞の話はそう珍しいものではありません。
家の為の結婚と本当の恋愛は別ものである。そんな風潮さえも少なからず貴族社会には有りますが、彼ほど開けっぴろげな者は居らず、昨夜と今夜では相手が違う様な者もそうそう居ません。
何事も過ぎたるは及ばざるが如し。こうなってくると醜聞です。
いつしか、それは誰もが知るところになり、これはさすがに放ってはおけないと王様が彼を叱りますが、彼は浮き名を流す事を止めようとはしませんでした。
いや、止める事が出来なかったと言うべきでしょう。
彼が家を継いで三年目。オルハンという国が遂に地図上から消えてしまい、彼女を含む王族が悉く処刑されたという風の便りが彼の元に届いたからです。
それに醜聞を補って余るほどの剣の才能が彼には有りました。
彼女に似た女性を探す一方、彼は以前にも増して貪欲に強者を求める様になりました。
常に戦場の先頭に立ち、一人でも多くの敵を斬ろうと剣を左手にも持って、困難と言われる二刀流を極めるにまで至り、その鬼神さながらの戦いぶりから『戦狂い』の二つ名で呼ばれる様になってゆきます。
そう、その頃の彼は正に『狂っていた』のです。
二刀流を極めたとは言え、それは攻撃に比重を大きく置いた捨て身の戦法。死に場所を戦場に求めた戦い方でした。
誰もが彼の武勇を頼もしく思いながら、その姿を痛ましく思いました。
特に親友であり、好敵手である槍の青年に至っては彼の醜聞も合わせて大憤慨です。
彼を王城の正門で待ち構えて、『死にたいなら俺が殺してやる。ベッドで頭を少し冷やせ』と本気も本気の大立ち回りを繰り広げたのですから、さあ大変。
なにしろ、彼も、槍の青年も国を代表する武勇の持ち主です。
すぐに王様は二人の捕縛を命じましたが、そう簡単に捕まる筈が有りませんし、二人の争いのとばっちりを受けた犠牲者を重ねるだけでした。
おまけに、そんな大騒動を起こしながら肝心の彼が変わる事は無かったのですから、犠牲者達は正に骨折り損のくたびれ儲け。王様の財布が労災費用で軽くなっただけです。
しかし、時は神様がくれた心を癒やす特効薬。
時が五年、十年と過ぎてゆく内、女癖の悪さはさほど治りませんでしたが、我が身を省みない命を投げ出す様な戦場での戦い方は次第に鳴りを潜めてゆき、彼は彼女との思い出にようやく決着を付けて、その思い出を笑える様になったのです。
そして、彼女との別れから十五年が過ぎて、彼が軍人の臣位としては最高の『中央軍司令代理』の座に就いた時、第三の運命は巡ってきました。
オルハンでの戦いでは轡を幾度も並べ、彼女の寝所へ忍び込む時は敵となって何度も立ち塞がり、最後は国と命運を共にしたオルハン王家親衛隊隊長の忘れ形見が彼の元へ訪ねてきたのです。
彼は忘れ形見を喜んで迎えました。
その日の夜、剣を教えてくれと請いた幼い頃の面影を確かに残しながら逞しく成長した忘れ形見と酒を酌み交わして、大いに語り合いました。
やはりオルハンという国が滅んだ後は苦労の連続だった様です。
忘れ形見の家はオルハンの中堅貴族。故国に留まる事は出来ず、各地を転々する難民暮らし。
今でこそ、そこそこの成功を冒険者として収め、日々の生活に困らなくなったが、定住を未だ持てないでいるとの事でした。
それを聞き、彼は迷わず提案しました。
知らない仲ではないし、冒険者として成功しているなら尚更安心だ。私に仕えないかと。
その条件に対して、忘れ形見は条件を出しました。
妹に会って欲しい。妹に会って尚、同じ気持ちなら受けさせて貰うと。
彼は二つ返事で受けてくれると考えていた事も合わせて妙だと感じました。
正直に胸の内を明かすと、その身の上を聞き、忘れ形見が旧知の自分の元を訪れたのは士官を望んでの事と思っていたからです。
その上、条件が忘れ形見の妹との面会。
彼の記憶が確かなら、忘れ形見は一人っ子だった筈と首を傾げます。
ところが、ここで彼の自他とも認める女好きの悪い癖が出てしまいました。
馬鹿に付ける薬は無いとは正にこの事を言うのでしょう。翌日、疑問より興味の方が圧倒的に勝った彼は忘れ形見が案内する後をホイホイと付いていきました。
着いた先は王都下町のとある安宿。
促されるままに部屋のドアをノックして、その中から朗らかな声と共に現れた少女の姿を一目見るなり、彼は息をするのも忘れて愕然としました。
何故ならば、そこに死んだ筈の彼女が当時のままに立っていたからです。
即座に直感で確信しました。忘れ形見が妹と呼ぶ少女が彼女の血を受け継ぐ子供であり、その父親が自分であると。
年齢を確認してみると間違いありません。
それも彼女が身籠りの自覚を彼がオルハンを去る以前に持っていた筈だと解ったのです。
何故、気づいてやれなかったのか。
彼は自分自身の愚かさをこれでもかと罵りました。
何故、教えてくれなかったのか。
彼は思い出の中の彼女に問いましたが、彼女は困った様に笑うだけで何も応えてくれませんでした。
忘れ形見は激しい動揺に我を保てない彼に言いました。
貴方を困らせるつもりは無いし、真実を今更教えるつもりも無い。ただ妹に一目だけでも会わせてあげたかっただけだと。
彼は慌てて待ったをかけました。
ここで少女を手放してしまったら、もう二度と会う事は出来ない。忘れ形見と少女が明日にでも街を離れようとしているのは確認しなくても明白だったからです。
しかし、少女を手元に置いたら、彼は自分が普通でいられない自覚が有りました。
それがお家騒動を巻き起こしかねない可能性を秘めている事もです。彼は悩みに悩み、一つの結論を出します。
王都下町の廃業寸前だった冒険者相手の宿屋兼酒場を買い取り、それを忘れ形見と少女に与えて経営をさせたのです。
幸いにして、忘れ形見は元貴族の嫡子。
読み書きと計数が出来て、やや畑違いで最初は戸惑いましたが、経営の知識を持っていました。
そんな兄を一生懸命に手伝う少女の愛嬌たっぷりの可愛らしさも看板娘として評判となり、その宿屋兼酒場は次第に繁盛してゆきます。
そこへ常連客として通い、カウンターの指定席で酒をゆるりと一人楽しむ。
少女を付かず離れずの位置から見守り、過度な干渉は行わない。こうして、彼は失った筈の幸せを手に入れたのです。
******
「めでたし、めでたし……。」
どうやら先ほどの睨みがまだ効いているらしい。
昔話を結び終えたが、ジュリアスは上唇と下唇を強く吸って、口を固く閉ざしたまま。
その代わり、目で『もう良い? もう良いよね? もう喋って良いよね?』と必死に発言の許可を求めていた。
「ねえ、その彼ってさ。どう考えても、先生の事で……。
忘れ形見は伯父さん、少女は……。僕の母さんの事だよね?」
「さて、どうだろうな?
残念ながら登場人物が誰なのかは明かせない。この昔話を教えてくれたヒトの名前も合わせて、そういう約束になっているんだ」
たまらず苦笑しながら頷くと、ジュリアスの回答はズバリ大正解。
しかし、それを肯定も、否定も出来ない事情がある為、肩を大げさに竦めてだけみせる。
この昔話を俺が知ったのはミルトン王国戦線へ出兵する数日前。
レスボス侯爵家の王都屋敷を訪ね、俺達が出兵している間に王都で政変が起こる可能性を説いた際、その礼に酒を誘われて、お互いに随分と酔った後に『ジュリアスを頼む』という前置きと共に重い口をやっと開いた本人から聞いたものだ。
余談だが、この昔話はまだまだ続きが有る。
次に抱腹絶倒の『第四の運命、お忍びの上司を馴染みの宿屋兼酒場に連れてきたら、上司と少女が恋仲になっちゃったよ。怒りの鉄拳、パパ王城大暴れ編』と続き、その次は心がほっこりと和む『第五の運命、上司と少女の間に子供が生まれたよ。パパ、初孫にデレデレ編』と続き、とてもジュリアスには聞かせられない凄惨な『第六の運命、少女がある女の嫉妬の果てに殺害される。復讐鬼、六族根絶やし編』を経て、最後に呆れて苦笑するしかない『第七の運命、俺の孫はきっと世界一の天才に違いない。孫馬鹿爺さんの英才教育編』で結び閉じられる。
だが、いずれはこれ等も語る日が来るかも知れないが、今のジュリアスには無いだろう。
今のジュリアスに必要なのは自分自身のルーツであり、それを公言する事が出来ないだけで血統を比べるなら兄弟達に決して劣っていないと知る点だ。
ただ、この続きを知ると、実はジュリアスの血統に関するヒントが密かに既存の情報の中に散りばめられていたと気づく。
例えば、第四の運命。王族のお忍びと聞き、前の世界の有名古典映画『某パスタの国首都の休日』を連想するが、実際は王族が街中を一人でこっそりと散策なんて許されない。
この世界は最も治安が良い王都でさえも安心が出来るのは表通りのみ。王族がお忍びをする際は護衛が必ず同行して、これから向かう先に危険や問題は無いかを先立ってのチェックが行われ、その向かう先も計画で予め定められている。
だったら、ジュリアスの母親が働いていた宿屋兼酒場へお忍び中の前国王が偶然にふらりと立ち寄ったというのは有り得ない。
剣と女性の二つは熱心だが、それ以外は面倒くさがり屋な義父の事である。お忍びの計画を立てるのが面倒なら、立ち寄り先の安全確認も面倒だったに違いない。
自分が密かに出資している馴染みの店なら安全は確認するまでもないし、ゼベクさんはそれなりに名を馳せた元冒険者で問題が起こったとしても荒事に慣れていて安心も出来る。
つまり、前国王とジュリアスの母親は出会うべきして出会った。
第五の運命で解る通り、義父は二人の恋が発覚して怒り狂っているが、二人を出会わせた義父のミスに他ならない。
なにしろ、前国王はイケメンだ。
ゼベクさん曰く、ジュリアスは母親似らしいから、ジュリアスの母親もかなりの美少女なのだろう。
窮屈な貴族社会で育ったイケメンが自由奔放な美少女に恋をするのが当然なら、粗野な冒険者達の中で育った美少女が物腰が上品でスマートなイケメンに恋をするのも当然である。
もう一つのヒントは第七の運命。
義父は第二王子から直々に師事を何度も請われて断っておきながら、ジュリアスの師事は国王から頼まれると簡単に了承している。
これは派閥の力関係を考えた高度な政治判断だと言われていたが、その実は面倒臭さを上回った孫可愛さだったのである。本音を言ったら呆れるしかない。
「えっ!? ……と言う事は、と言う事はだよ?
ニートと僕は親戚っ!? ニートは僕の叔父さんになるのっ!?」
そして、ジュリアスの不安に揺れかけていた眼が大きく開いた。
どうやら真実の先にある当然の疑問に気づいたらしい。その驚き様ときたら、王都での政変を知った時以上である。
「ああ、安心しろ。それは違うから」
「でも! だってさ!」
「嘘だからな」
決断は一瞬。躊躇いは無かった。
ジュリアス本人すら知らなかった真実を暴いておきながら自分の真実を隠したままの卑怯者にはなりたくない。
今までずっと、ずっと打ち明けようと思いながらも、その重大さに口から出てこなかった言葉が拍子抜けするほど簡単に出てきた。
ようやく重い肩の荷が下りた様な気がした。
気分は晴れ晴れと爽快。笑みが自然と浮かんでいる。
もし、この先の詳細を教えて、ジュリアスが態度を変えてしまうならそれまでだ。
しかし、俺とジュリアスが積み上げてきた約十年間はもっと重い。その確かな自負がある。
「へっ!? ……う、嘘?
もうっ! 一体、何なのさ! 長々と話しておいて、嘘って!」
「勘違いするな。そして、落ち着け……。
今の話は嘘じゃない。実際にあった本当の話だ」
「じゃあ!」
ところが、肝心な事を告げる前にせっかちなジュリアスは勘違い。
鼻息を荒くさせながら頬を膨らませて怒り、そのプンスカという擬音が聞こえてきそうな子供っぽい仕草に笑顔を苦笑に変えて訂正を入れる。
「嘘ってのは俺の方だ。
記録上、俺は庶子になっているが、只の養子。俺の中にレスボスの血は一滴も流れていない」
「えっ!? ……えっ!?」
「まあ、この事情も説明すると長くなるから簡単に言うと……。
おっさんがどうしても俺とティラミスを結婚させたがってな。その為の手段に過ぎない。
本当の俺はミルトン王国のど田舎の村に住んでいた猟師の倅だ。
もっとも、公爵家の馬鹿息子を殴ったせいで村を追放された挙げ句、身分を奴隷に落とされたがな」
「ど、奴隷っ!? ニ、ニートがっ!?」
たちまちジュリアスはビックリ仰天。
驚きのあまり目を大きく見開いて、半開きの口をパクパクと開閉させる。
だが、これで満足して貰っては困る。次こそが真の驚き。
心の中で『喰らえ!』と叫び、初めて聞いた時は俺自身も驚いた衝撃の真実を告げる。
「ああ、奴隷だ。正確に言うと、犯罪奴隷に当て嵌まるのかな?
それで戦地へ送られたんだが……。おっさんとはそこで出会ってな。運良く拾って貰い、今に至るって訳さ。
でも、二年前……。いや、三年前か。猟師の倅ってのも実は嘘だって解ったんだ。
聞いて驚くなよ? 覚悟は良いか? だけど、驚きすぎて漏らすなよ?
なんと、なんと俺は元から貴族の生まれ。アレキサンドリア大王国の三大公家の一つ、マスカット大公家の三男坊と風の教会の巫女姫の間に生まれたスーパーエリートだったんだよ!」
「ええっ!? ……ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
俺の言葉をすぐに理解が出来なかったのだろう。
ジュリアスはキョトンとした不思議そうな表情で暫し固まった後、目も、口もこれでもかと開いての大絶叫。身体を仰け反らせながら右足を半歩下げた。
「はっはっはっ! これからは私の事は『様』を付けて呼びたまえ?
私は世が世なら大公様どころか、大王様だったかも知れないのだからね?
もし、私が大王様なら、インランド王国など片手間のチョチョイのチョイだよ? 君ぃ~?」
その期待していた以上の驚きっぷりに嬉しくなり、こちらも身体を仰け反らせての大笑い。
あたかも立派なカイゼル髭が生えているかの様にソレを撫で付けて、偉ぶった大王様気分を戯けてみせる。
******
「……で、どうだ?
本当の俺の血統を知る前と今、何かが変わったか?
こう……。酷いや! 僕やみんなを今まで騙していたんだね!
それにアレキサンドリアって言ったら、敵じゃないか! 絶対に許せないよ! ……みたいな」
頭上の木々の隙間に輝く星々を暫く眺め、そろそろ落ち着いただろうと視線をジュリアスに戻して問いかける。
そんなつもりは無かったのにジュリアスの口調をやや大げさに真似ての冗談を加えた辺り、ジュリアスが真実を知っても態度を変えないという確信は有ったが、小さな恐怖心も奥底に有ったのかも知れない。
「ううん、別に。勿論、驚きはしたけどね」
「そう、何も変わらない。俺は俺だ。
俺は自分の中にマスカット大公家の血が流れていると知っても、顔も知らない祖父よりも俺はおっさんやティラミスの方が大事だ。
アレキサンドリアが南方領へ攻めてくるなら、俺はおっさんやティラミスを守る為に槍を持って戦うし、そこに躊躇いなんて有りはしない。
お前はどうだ? もし、オルハン王家の血がお前の中に流れているとして、ロンブーツ教国から旧オルハン王家領を取り戻して、王家を再興する気になるか?」
「ううん、ならない」
しかし、やはり無用な心配だった。
ジュリアスは口元を右拳で隠しながら俺の下手なモノマネをクスクスと笑い、俺に対する態度を変えなかった。
「だろ? 結局、今は何も変わらないんだよ。
血統に意味が有るとしたら、それは潜在的な信用……。いや、ちょっと違うな。
う~~~ん……。期待って言った方が妥当かな? そんなモノじゃないかと俺は考えている」
「ええっと……。どういう意味かな?」
胸の内から込み上げてくる嬉しさに口元が笑みを描く。
ジュリアスは俺の見解に立てた人差し指を顎に当てながら首を傾げ、普段なら『いい歳して、その乙女チックな仕草は止めろ!』と叱るところだが、今は上機嫌に許して解説する。
「当たり前の事だが、初対面や付き合いが浅い相手ってのはどんな奴かは解らない。
だから、こんな奴だろうって、その指標にしやすいのが血統だ。
例えば……。お前、俺と知り合う前、俺の事を噂で初めて聞いた時、きっと凄い剣術の使い手だろうと思わなかったか?」
「それはそうさ。レスボス侯爵家は剣で有名な家だしね」
「父親が剣の達人だからと言って、息子も剣の達人とは限らない。
むしろ、そうじゃない例を多く知っている筈なのに、親がそうなら息子もそうだと何故か期待してしまうもんなんだよ。ヒトって奴は……。
その最たる例がトーリノ関門の奪還作戦だ。
だって、そうだろ? 考えてもみろよ? 今にも敵の大軍が押し寄せてこようという絶体絶命の中、海とも山とも知れない猟師の倅の言葉にみんなが従うと思うか?」
「そうか……。そうだよね」
「……だろ? 従う筈が無い。従うどころか、聞く耳すら持って貰えない。
だけど、レスボス侯爵家はインランド王国の騎士なら誰でも知っている。
義父は言うに及ばず、長女様も現役の第一騎士団の団長。過去にも名だたる軍人を何人も輩出している武門の家だ。
レスボス侯爵家の者なら武勇に優れている筈だ。軍略を学んでいる筈だ。筈だ、筈だと初対面の俺に期待を無意識に抱いたって訳さ」
「うん、僕も君をトーリノ関門の司令代理に任じたのもそうだしね」
どうやら納得して貰えたらしい。
ジュリアスが腕を組み、真剣な面持ちで何度もウンウンと頷く。
実を言ったら、俺自身も血統の意味や意義は良く理解してはいない。
なにせ、身分制度が撤廃された前の世界ですら、所謂『上流階級』と呼ばれる家は血統を重んじ、上流階級は上流階級同士で血統を維持しようと努力をしていた事実が有る。
それ故、俺がジュリアスに説いた言葉は前の世界で営業マン時代に得た経験則に近い。
営業とはただ闇雲に飛び込み営業を仕掛けても相手は話を聞いてくれない。百人中、九十人が門前払いをして、残りの十人が玄関を開けてくれるだけ。
もし、話を一人でも聞いてくれたらラッキー、その一人が契約を真剣に考えてくれたら超ラッキー、その場で契約が取れようものなら奇跡である。会社でその月の締め日まで自慢が出来るし、英雄として讃えられる。
だが、ほぼ十割の確率で門前払いを防ぎ、話を聞いてくれる確率を五分五分にまで引き上げる秘技がある。
それが自分が持っている知己や既存客からの営業先紹介だ。紹介を持っていなかった時は胡散臭そうに追っ払っていたのが、紹介を得た途端、あの人の紹介ならと迎え入れてくれる様になる。
契約の確率だって、紹介元と紹介先の友好度次第で高まる。
特に紹介元が医師や教育者、聖職者といったその土地の名士なら契約の確率は極めて高くなる。
しかし、この秘技は諸刃の剣でもある。
契約を得た場合、紹介元と紹介先に失礼が有ってはならない。契約後こそ、神経を何かと尖らせる必要性が生じ、決して油断は出来なくなる。
「そして、それを容認するのなら、その期待に応えるか、応えようとする努力を怠ってはならない。
即ち、レスボス侯爵家の権威を用いるなら、レスボス侯爵家に相応しい結果を得ようとしなければならない。
だから、俺は嫌いなんだよ。自分を磨かず、威張り散らすのだけは一人前以上で先祖の功績を自分の功績と勘違いした奴がな」
「ああ、なるほど……。僕も好きじゃないけど、ニートが特に厳しいのはそういう理由だったんだね」
「なにしろ、教育ってのは富める者だけに許された特権だ。
お前も知っているだろ? 田舎の平民は読み書きも出来なければ、計数も出来ないのを」
「うん、初めて知った時は驚いたよ」
「王都の様な大都市ならまだしも、田舎は必要が無いからな。
俺が育った村もそうだった。文字なんて触れる機会が無いし、計数なんて両手の指で十分だ。
そもそも、それを習う暇が無い。幼い子供ですら、その日その日を生きてゆく為の仕事が山ほど有る。
村長と名主くらいだな。記録を残す為に読み書きと計数が必要になるのは……。
だから、俺はやっぱり嫌いなんだよ。平民の無知さに付け込み、税を必要以上に奪って、富貴を無駄に貪る奴がな」
「……だよね。田舎は外との交流も少ないから他と比べられない。黙って我慢するしかないしね」
それとこの世界、今の時代を限定とする血統の意味がこれだ。
今言った通り、教育が富める者だけに許された特権というのが非常に大きい。
どんなに優秀な素質を持っていようが、辺境の平民は学ぶ機会すら与えられずに埋もれてゆく。
王都などの栄えた都市部の平民なら日常生活に読み書きと計数が必要になる為、最低限を学ぶが、その最低限から先は学習費用の問題が大きく立ち塞がる。
この世界の紙『羊皮紙』は高価な品物。
当然、その高価な品を何十、何百と束ね、そこに知識をペンで一文字、一文字を書き記す労力を必要とする本はもっと高価である。
なら、そこで得た知識をそう簡単に、そう安価に教える筈が無い。
前の世界なら小学校を卒業した時点で一般常識の『九九』ですら、この世界では秘伝の計算術なのだから。
「そういう答えがすぐに出てくる辺り、お前は文句無しで合格だよ。
足りない部分も多いけど、お前は努力を決して怠らない。それを知っているから、みんなはお前を支えようとする。
そう、お前に期待しているんだ。それを裏切るつもりか? もし、そうなら俺はお前を許さないぞ?
それに良い機会だから言わせて貰うが、庶子だからどうだって言うんだ?
お前は自分の父親と母親を誇れないのか? 庶子だから、庶子だからって嘆くのは両親を貶す事と同じだって解っているか?」
言いたい事は全て言った。あとはジュリアスの心の革命を促すだけ。
身分が厳しく定められた世界にジュリアスにとって、それはとても難しい事だろうがやり遂げて貰わなかったら困る。ジュリアスの真正面に立ち位置を変え、ジュリアスの瞳の奥を覗き込む。
「そもそもの話。血統に拘るって言うなら、良く考えてもみろ。
インランド王国を造り、その王朝を立てた始祖は貴族でも無ければ、市民でも無かった。
王国史では色々と綺麗に飾り立てられて書かれているが、要するに通りすがりの冒険者だ。
街の夜間警備を戦争中の人手不足で一時雇いされ、その同時期に雇われた中で腕が少し立つから少人数ながらも指揮する立場になっただけの。
だけど、王家の始まりなんて、所詮はそんなものなんだよ。時流に上手く乗り、結果的に王家となったに過ぎない。
それこそ、その始まりが盗賊、山賊、海賊ってのも珍しくない。オータク侯爵家もこれだ。
だから、血統に拘るのも、自分が庶子だって卑下するのはもう止めろ。もっと自分に自信を持て……。この俺が保証してやるよ。お前なら絶対に出来るってな」
その瞬間、ジュリアスが怯えた様に右足を下げようとしたが逃さない。
届かなくなる前に両手を素早く伸ばして、その肩を力強く掴む。ジュリアスは身体をビクッと震わせた後、下唇を噛みながら瞳を揺らして俯いた。
森に入ってから、既にかなりの時間を費やしている。
そろそろ休憩を終えて、再出発しなければならないが、今だけはジュリアスを急かしたくはない。
この問題はジュリアスが自分できちんと処理して、この場に捨ててゆく必要が有る。ジュリアスの返事を黙って待ち続ける。
「でも……。」
「ああん? 何だって? 声は大きくはっきりと! 子供の頃にそう教えられなかったか!」
しかし、待ち続ける焦れったさと退屈さに心の中でカウントを取り、それが五十を過ぎた頃。
ようやくジュリアスが声を取り戻すが、随分と待たせた割にボソボソとした小さな声の上に俯いたままで聞き取れず、その苛立ちに思わずジュリアスを揺すって怒鳴り付けた次の瞬間だった。
「それでも、僕は不安なんだよ!
みんなが姉さんや兄さんの方が良かった! そう言うんじゃないかって、不安で不安で堪らないんだよ!」
ジュリアスが顔を勢い良く跳ね上げて思いの丈を怒鳴る様に叫んだ。
これから始まる骨肉の争いを前にして、玉座を目指そうとする者として、その情けない心の内に溜息が深々と漏れるが、改めてジュリアスの顔を覗き込んで怯む。
ジュリアスは目を真っ赤に腫らしながら涙をポロポロと零して泣いていた。
実際は男と解っていても見た目が美少女だけにタチが悪い。それは反則だろうと言いたいが、その反論さえも許されないのが女の涙である。
「お、お前、馬鹿だな。さ、さっき言ったばかりだろ?
お、お前に足りない部分が多いのは承知している。そ、その為にみんなが居るって」
「だったら……。だったら、ニートもだよね? そのみんなの中にニートも居るんだよね?」
「ば、馬鹿っ……。お、お前は本当に馬鹿だな!」
「何さ、馬鹿、馬鹿って! 僕は真剣に聞いているんだよ! 酷いよ!」
激しい動揺にたまらず顔を背けるもジュリアスの追撃は止まらない。
それもど真ん中のストレート勝負を仕掛けてきた。前の世界の察しと思いやりの文化で育った価値観を持つ者としては直接的な表現はとても辛いし、とても照れる。
「それも昼に言っただろうが!
お前が居なくなったら、この先の俺の人生がつまらなくなるって! 居るに決っているだろ!」
「本当? ずっと僕の傍に居てくれる?」
「ああ、本当だ! もう絶対に二度と言わないからちゃんと憶えておけ!」
だが、これは乗り越えなければならない壁。ちゃんと応えなかったら、ジュリアスは納得しない。
恥ずかしさのあまり紅く染まった顔を背けるだけでは足らず、身体も後ろに振り向けながら半ば自棄になって叫ぶ。
「本当の本当? この世が闇に包まれて、月の光しか見えなくなっても?」
それでも、ジュリアスは納得してくれなかった。
納得するどころか、今度は詩的表現まで用いて再確認を問いてきた。
「本当の本当の本当だ! 空が落ちてきても、山が崩れても、海に沈んでもだ!」
恥ずかしい奴め。こうなったら完全に自棄だ。
火傷をしそうなくらい耳まで熱々になった顔を正面に戻して、これで満足かとこちらも詩的表現を返す。
「そっか……。なら、頑張らないとね。
うん、泣かない。僕はもう泣かないよ。涙を流したりはしない。
君が僕の傍に居てくれる限り……。ニート、僕はずっと君に居て欲しいんだ」
ジュリアスが花をパッと咲かせた様に笑う。
その心の底からの安心と嬉しさがひしひしと感じられる泣き笑顔をまともに見れず、真っ赤に染まった顔を再び背ける。
「ああ、ずっと傍に居るよ! 約束するよ!
……って、何だ。これ? まるでプロポーズみたいじゃないか?」
しかし、はたと重大な事実に気づき、目をギョギョッと見開く。
どうして、俺が男相手に照れなければならないのかと。今、この場を誰かに見られていたら妙な誤解をされるのではないかと。
「や、やだ! プ、プロポーズって……。ニ、ニートったら、何を言ってるのさ!」
ところが、ところがである。
それを指摘した途端、肝心要のジュリアスはキョトンと不思議そうな顔をした後、真っ赤っかに染めた顔を俯かせて、身体をモジモジと身じろぎさせながら俺に上目遣いを向けてくる始末。
「おい、おい、おい! 待て、待て、待て! ここは笑うところだろうが!
それを何なんだよ! 顔を赤らめて、その乙女チックな反応は!
お前の場合、シャレにならないっていつも言っているだろう! 頼むから止めてくれよな!」
居ても立ってもいられずに叫んだ。森に響き渡るほどの大声で叫んだ。
それが草や木、虫や獣であろうと誤解されては堪らない。俺は胸が張り裂けそうな大声で必死に訴えた。
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結論から言おう。俺は大失敗した。
俺達の帰りが遅いと心配したゼベクさんとネーハイムさんが近くに潜んでいたらしい。
ジュリアスの説得に集中していたとは言えども、森を最も得意とする元猟師でありながら不覚と言うしかない。。
その結果、ゼベクさんも、ネーハイムさんも誤解した。
幸いにして、俺の血統に関しての会話は聞かれなかったが、俺とジュリアスのプロポーズめいた会話はばっちりと聞かれてしまい、二人は少しだけ余所余所しくなった。
無論、その誤解は俺の懸命な努力ですぐに払拭されるが、この時の俺はまだ知る由も無かった。
そう遠くない将来において、ジュリアスのイメージアップ作戦の為、俺とジュリアスのプロポーズめいた会話が酒場の吟遊詩人達によって唄われて世界中に広まってゆくのを。
そして、それは時代すらも越え、俺とジュリアスの物語を語る上で絶対に欠かせない名場面になるのを。
遥か遥か遠い遠い未来において、一部の発酵したお嬢様方に黄色い悲鳴をキャーキャーとあげられる濡れ場になるのを。