第04話 誤算
「ふぅ……。さすがに疲れてきたな」
草むらの大地に組んだ両手を枕にして寝そべり、星々が輝く夜空の中に浮かぶ青と赤の二つの月をぼんやりと眺めて呟く。
日頃なら、とっくに寝静まっている深夜。身体には一日の疲れが有り、たまに欠伸が勝手に出てはいたが、目は爛々と冴えまくっていた。
周囲の者達も同様だ。
談笑に弾む声があちらこちらから聞こえ、目を瞑ってしまえば、それはまるで昼間の騒がしさ。
せっかくの休憩なのだから、身体を少しでも休めれば良いのに己の獲物を熱心に素振りしている者さえもいる。
当然と言えば、当然だ。俺達が決起した戦いは只の戦いでは無い。
どんなに綺麗な正義を掲げたとしても、錦の御旗は王城と王都を掌握した第一王女と第二王子の二人が持ち、俺達は反乱軍でしかない。
封建制度の社会の中に生まれた者達にとって、己が所属する国に対する反逆の決意がどれほど重大なものかなど言うまでもない。興奮が眠気を凌駕するに決まっている。
そんな時は無理に寝ようとしても寝付けず、逆に疲れるだけ。いっその事、最初から徹夜を決め込んだ方が良い。
そう考えて、俺達は日が沈んでも松明を片手に馬を走らせると、ネプルーズの街から最も近い村では夕飯を済ませる休憩だけに留め、今は次の村へと向かっていた。その到着は日の出過ぎ頃になるだろう。
しかし、その止むを得ずの行き当たりばったりとも言える旅程に俺は不満を大いに感じてもいた。
それと言うのも、俺は今日という日を予期して、敵からイニシアティブを奪う為、様々な策を講じてきたが、その中でも極めて重要になるのがジュリアスの一日、一刻、一瞬でも早いオーガスタ要塞の到着だからだ。
暗殺された前国王が論功行賞を行わず、ミルトン王国との戦いに区切りを一度も付けなかったのが大きな理由だろう。
インランド王国はミルトン王国が嘗て主張していた領土を半ば切り取るまでに至っているが、オーガスタ要塞を堺にする西は未だに敵国領内という意識が騎士や兵士の中にまだまだ色濃く残っている為、それ等の地域では第一王女か、第二王子が自ら率いる軍勢と相対しない限りは相手がインランド王国軍であろうと刃を向ける事は出来る。
だが、オーガスタ要塞より東。インランド王国西方領へ攻め入るとなったら話は違ってくる。
国に対する反逆を決意したとは言えども、免罪符となるジュリアスがそこに居なかったら刃を向けるのは難しくなる。付き纏う後ろめたさが士気を下げる結果となり、勝てる戦いも勝てない。
それ故、このジュリアスと共に第十三騎士団の集結地であるオーガスタ要塞へ向かう一行は批判が出るのを承知で身分を問わずに全員の騎乗を許可した。
行軍の速度を重視する為に荷物は各自が背負えるだけの必要最低限。道中、日の入り後に一夜を明かす街や村を明確に定めて、その際は一行の食事や寝床などの受け入れがスムーズに運ぶ様にそれ用の物資と通達を送り、準備を万端に整えておいた。
ところが、ところが、その計画をあの間抜けな勅使が台無しにしてくれた。
王都からネプルーズの街までの道のりをちんたら、ちんたらと進み、予想していたよりずっと遅れてきた事に関しては寛大な心で許してあげよう。
あのアホにとったら勅使は一世一代の大役であり、その恩恵に預かりたい気持ちは解らないでもないし、その生命は俺達がネプルーズの街を発つ際に行った決起式で大いに役立ってくれた。
しかし、ネプルーズの街へ勅命を携えて訪れた時刻。夕方前のそのタイミングが許せない。
何故ならば、勅使一行が昨夜滞在した村は俺達が先ほど遅い夕食を済ませた村であり、ネプルーズの街からそう離れていない。
子供の足でも半日程度。朝、普通に起きてさえいれば、景色を楽しむ目的に馬車をどんなにのんびりと走らせようが、ネプルーズの街には昼前に余裕で到着する。
どうして、それが夕方前まで遅くなったのか。
その理由は決まっている。昨夜、どんちゃん騒ぎの宴会を行い、昼近くまで寝ていたからだ。
この点を良く考えてみて欲しい。
翌日、王族と謁見する大事な予定を控えていながら、その前日の夜に朝寝坊が必至なほどに深酒をするものだろうか。
これは要するにジュリアスを蔑ろにしている証拠に他ならない。
待たせたって構わないし、時刻が遅くなっても構わなければ、都合を考える必要すら無い。そんな性根が見え見えである。
俺の精神的な問題だけでは無い。実害も被っている。
俺の計画では今夜の遅い夕飯はこれから向かう村で摂り、そのまま一夜を明かす予定だった為、オーガスタ要塞までの旅程が必然的に一日延びた結果となる。
たった一日、そう思うかも知れないが、そのたった一日を侮ってはいけない。
数日前にネプルーズの街を先行して発ったジェックスさん達にはサビーネさんが率いる帰還兵団と合流次第、オーガスタ要塞を攻める許可と必勝の策を渡してある。
恐らく、オーガスタ要塞には第十六騎士団が駐留しており、その兵力数は一万から一万五千。
こちらの方が兵力数で勝っている点でも心配は要らないが、オーガスタ要塞が難攻不落たらしめていたのはインランド王国側の東から攻める場合だ。
ミルトン王国側の西からの攻めに対しては致命的な欠点が有る為、負ける心配は要らない。呆気ないくらいの大勝を得られる筈であり、それが今後の戦いにおける大きな弾みとなるだろう。
だが、その大勝の立役者たる彼等はネプルーズの街で起きた今日の出来事を知らない。
サビーネさんやルシルさん、ジェックスさん、マイルズといった俺に近い者達は俺を信じて、ジュリアスの到着を待てるが、それ以外の者達は違う。
オーガスタ要塞はインランド王国を半世紀に渡って苦しめてきた象徴。
攻める抵抗感は薄い。攻撃命令が発せられた際はそれに戸惑いながらも従うだろう。
しかし、戦い終わった後、その勝利を素直に喜ぶ事が出来ない。
国に対する反逆行為の後ろめたさは一日毎に大きくなり、その蝕みはジュリアスが到着するまで止まらない。下手すると、ルシルさんやジェックスさんの首を手土産に裏切ろうとする者が現れかねない。
勿論、ジュリアスの合流を待ってからオーガスタ要塞を攻めるのが最も理想的だが、その余裕は残念ながら無い。
オーガスタ要塞をとうに通過している筈の帰還兵団が未だオーガスタ要塞前でうろうろしているのは明らかに怪しい。
もし、俺が第十六騎士団の参謀長を務め、ジュリアス討伐の密命を受けている立場なら迷わずに帰還兵団の掃討を団長に進言する。
第十六騎士団も俺達と似た様な立場と言える。
第一王女派と第二王子派の尖兵となって、俺達と戦わなければならないが、王族であるジュリアスに刃を向けるのは抵抗を感じる筈だ。
だったら、ジュリアスが帰還兵団と合流する前に全てを済ませた方が良い。
兵力を奪った後、ジュリアスを捕縛して、その処遇を第一王女か、第二王子に丸投げするのがベストな選択である。
それともう一つ。忘れてはならない実害が休憩地に定めた街や村へ旅程が一日づつ遅れる旨を早急に伝えなければならない点だ。
特にこれから向かう今夜の宿を予定していた村の村長は夕方になっても先触れが訪れず、俺達の夕飯を本当に作って良いのかとさぞや気を揉んだに違いない。
だが、こんな緊急時に役立ってくれるのが亜人隊である。
種族によって、向き不向きが色々と有り、使う場所とタイミングを選ぶが、ヒトでは決して成しえない事が可能になる。
例えば、今回の場合は犬族と猫族が正に打って付け。
彼等はヒトや物を運ぶ運搬力と一週間や二週間といった長期に渡る持久力は馬に劣るが、短期間の長駆は馬に勝る。期待にきっと答えてくれるだろう。
「……にしても、里。いや、牧場だな。
その発想はさすがに無かったと言うか……。マジ引くわ。
しかも、それをヒトと亜人のどちらも許容しているんだから、教育って本当に大事なんだな」
亜人隊と言えば、ニャントーの提案には驚かされた。
俺は敵との圧倒的な兵力差を覆す為、身分開放を訴える亜人達の蜂起を策の一つに盛り込んではいたが、火の手が何処かで一度でも上がりさえしたら、それは瞬く間に大きな炎となって燃え上がるだろうと確信は有っても、その着火を確実に行う具体的な手段を実は見つけられないでいた。
用意が出来た手段と言ったら、噂を流した程度。
幸いにして、ジュリアスは身分に別け隔てが無いという風評を以前から持っていた。
ここにその別け隔ての無さは亜人にも当て嵌まるというのに加えて、ジュリアスは奴隷制度を心良く思っておらず、改革を考えている。そんな噂をミルトン王国戦線に出兵して以来、少しずつ少しずつ流してきた。
あとは決起する俺達の正当性を説き、現王である第一王女とそれに従う者達を否定した檄文の中に奴隷制度の改革っぽい事を目指している的な一文を冒頭に持ってきた事くらいか。
これをネプルーズの街を発つ際、街の住人達やインランド王国各地から集った商人達の前で大々的に発表すると共に現王である第一王女とインランド王国有力貴族、周辺各国に宛てて送りつけてあるから、これもすぐに噂となって広がる筈だ。
だが、その噂を亜人達がどう受け止めて、どんな反応を返すかは解らない。
こちらは一方的に発信する事しか出来ず、第十四騎士団と第十五騎士団の幹部達の前で語った通り、俺は亜人達が持つ誇りを信じるしかなかった。
なにしろ、俺が持っている亜人の伝手は一本のみ。
ララノアを介したララノアの父親が長老を務めるエルフの一部族だけであり、その彼等も大樹海の何処かに暮らしていると知っているだけで正確な所在地は知らない。
いや、俺だけでは無い。長年、広大な南方領を統括してきたおっさんですらだ。
誰もが奴隷である亜人は目にした事はあっても、その亜人が奴隷になる以前は何処で暮らしていたかを全く知らない。
その答えを持っているとしたら、それは奴隷商人だが、彼等が飯の種である供給源を明かす筈が無い。
今まで何度もそれとなく尋ねてみたが、話を濁すばかり。どいつも、こいつも森の奥で捕らえたと最終的に言葉を揃えるが、この答えは明らかにおかしい。
普通はこの答えで満足するか、引き下がるしかないだろうが、俺は森の事なら奴隷商人や冒険者よりも詳しい元猟師である。
貴族になった今でもたまの息抜きに森へ入って狩りを行うが、トーリノ関門でも、王都でも、南方領でも、コミュショー領でも、ネプルーズの街でも、森の中で亜人と出会った経験はおっさんと大樹海を旅していた時の一度きり。前述の伝手でも挙げたララノアの父親しか居ない。
だからと言って、亜人本人であるニャントー達に答えを求めるのは躊躇いを強く感じた。
ニャントー達にとって、それは同胞を売るのと同義であり、元主人として強要している様で嫌だったし、彼等に失望されるのはもっと怖かった。
だが、それは大きな間違いだった。
ニャントーや亜人隊の者達とお互いに腹を割って話し合っておくべきだったと後悔する出来事がネプルーズの街を発つ前にあった。
その際、ニャントーが超ハイレベルな『ジャンピング土下座』を披露するという驚愕的な出来事とそれをニャントー達に最高位の敬意の表し方として冗談で教えた昔の俺を後悔させる出来事も同時に起きたが、それに関しては完全に余談なので割愛する。
『ニート様、お願いします! 今、皆様に語った話を亜人隊の皆にもお願いします!
今の話を聞きさえすれば、目が醒めます! 俺達は立ち上がります!
いえ、俺が絶対に立ち上がらせてみせます! ニート様のお役に必ずや立ってみせます!』
この涙ながらに語られたニャントーの提案は正に願ったり叶ったり。
最初は感情が先走り過ぎて、その意味がいまいち解らなかったが、ニャントーを落ち着かせて詳しく尋ねてみるとこういう事だった。
千年の永きに渡り、亜人達の心を縛り付けている鎖は俺が考えている以上に固い。
亜人達は身分開放を強く願ってはいてもそれは祈りの様なもの。とても残念だが、俺が流した噂くらいでは希望を見出しても自ら立ち上がる可能性は難しいと言わざるを得ない。
しかし、俺の亜人に対する見解を聞きさえすれば、亜人達は誇りを取り戻して絶対に立ち上がる。
その為にも亜人隊の者達にそれぞれが生まれ育った『里』へ一時帰る許可が欲しい。俺の言葉を伝えて説き、同胞達を必ずやジュリアスの旗の下へ馳せ参じてみせる。
これこそ、俺が欲していた具体的な手段。この『里』こそ、俺が欲していた情報。
断る理由は無かった。これで策は成ったも同然であり、懸念を強いて挙げるならインランド王国内も、ミルトン王国内も戦時下の厳戒態勢で一般の移動は厳しいが、亜人の彼等なら何とかなるだろう。
それに敢えて詳しくは聞かなかったが、恐らくは何らかの理由で逃亡する必要性に迫られた時の為に違いない。
猟師には猟師にだけ解る目印が森に存在する様に、亜人には亜人にだけ解る目印や密かなネットワークが有り、それが密かな移動を助けてくれるらしい。
逆に詳しく聞いたのが『里』に関してだが、これが聞けば聞くほどに嫌悪感を感じさせるものだった。
俺と一緒に聞いていた第十四騎士団と第十五騎士団の幹部達の中にさえ、顔を嫌悪感に顰めている者が数人居たほどだ。
それは街道から大きく外れた先、存在そのものは当然として、山の奥や森の奥に辿り着く道さえも厳重に隠されて在ると言う。
ここまでの説明を聞き、前の世界で言うところの平家の落ち武者達が作った隠れ里を俺は頭に思い浮かべたが違う。辺鄙な場所に在るのは違いないが、その住人数は数千を数えると言うではないか。
そこまでの規模になるともう立派な街である。
その上、王都の城壁にも負けない高さの石壁が街を囲んでいると聞いて更に驚いたが、その目的が外敵を防ぐよりも街の住人達を逃さない為と聞いて、俺の心は瞬く間に冷えた。
そう、ニャントーが『里』と呼ぶ街は住人全体の一割にも満たないヒトが残りの九割を超える亜人を生産、管理、出荷する『牧場』と呼ぶのが相応しい場所だった。
その暮らしぶりは聞けば聞くほど正に家畜扱いで酷いの一言。特に話題が生産に及んだ時など吐き気を覚える嫌悪感に『もう十分だ! 止めろ!』と思わず怒鳴って話の腰を折ったくらいだ。
しかし、倫理観を無視するなら上手いシステムではある。
養殖による供給の安定化と在庫の調整が効く上、その養殖対象が亜人だけに意思疎通が可能で融通が何事にも効く。
具体的に言うなら、衣食住。
魚や動物ならそれをヒトがせっせと世話して気を使わなければならないが、その必要が無い。
それそのものを亜人達に任せて、ヒトはそれを眺めているだけで足り、時に暴言や暴力で躾けるだけ。
なるほど、ニャントーの言う通りだ。俺が流した噂程度では難しいどころか、無理に違いない。
自由に生きていたところを捕らえられて奴隷になってしまったならまだしも、こんな閉鎖された空間で正に生まれながら奴隷としての精神を植え付けられてしまったら、ヒトに反抗心を持つ事自体が無理と言わざるを得ない。
しかも、この『里』が意外なくらい彼方此方にあると知って驚いた。
一国に一つか、二つ。ニャントーの話を聞きながら漠然とそう考えていたが、一地方に一つは必ず存在すると言うではないか。
だが、おっさんですら知らなかった『里』の存在。
ニャントーから出身の『里』が北方領のある子爵家領内の山奥に在ると教えられ、この件をおっさんと似た様な立場である北方領の盟主的存在のバーランド卿に尋ねてみると、バーランド卿はまず息を飲んだ後、次に『ようやく得心した』と応えながら溜息を漏らした。
曰く、北方領はトーリノ関門へ近づけば近づくほどに冬が厳しい。
当然、農作物は限定されて、その収穫量も少ない為、領主も、貴族も、平民も決して裕福とは言えないが、件の子爵家だけはこれといった特産品を持っていないのに代々に渡って昔から何かと羽振りが良くて、それをバーランド卿のみならず、北方領の領主達はずっと不思議に感じていたのだとか。
これを聞いて、俺も納得した。
先ほども言ったが、ニャントーが『里』と呼ぶ奴隷牧場は手間要らずの養殖産業であり、奴隷はこの苦労と不便が多い世界にとって決して尽きない需要でもある。
こんな美味しい儲け話が他に有る筈が無いし、余所に真似されては堪らない。
奴隷牧場である『里』を所有する領主とその『里』の商品を扱う奴隷商人の両者は結託して、その存在を先祖代々の永きに渡って厳しく秘匿してきたのだろう。
それを踏まえて考えると、俺が企んでいる亜人の蜂起は一つの産業を潰す事と同義である。
だが、バーランド卿の話によれば、北方領の領主でありながら聞き覚えの無い件の子爵は第一王女派の者らしいので問題は無い。俺の心はこれっぽっちも傷まない。
俺が心を痛めるとしたら、それは亜人達に対してだ。
亜人隊の者達と接している様子を見る限り、ジュリアスが亜人にも身分差の垣根を持っていないのは本当だが、ジュリアスは奴隷制度の改革など考えてはいない。
俺が根も葉もない噂を勝手に流して、檄文でもそれっぽい事を書いているだけであり、ジュリアスが第一王女と第二王子の二人との戦いに勝ったとしても公約にはならない。
端的に言うと、俺はジュリアスが勝つ為に亜人達を利用しているに過ぎない。
無論、自分で火を点けた以上、亜人の身分開放政策を自分の領内だけでも実施するつもりだが、それもジュリアスが勝てたらの話だ。確かな約束にはならない。
『俺達を利用する? 良いじゃありませんか。
俺達だって、ジュリアス殿下を利用するんですから……。
これって、奴隷の俺達が王族のジュリアス殿下と対等な関係って事ですよね? 最高じゃないですか!
それに確かな約束にはならないと言っても、俺達が立ち上がったっていう結果は確かに残ります。
なら、俺達が失敗しても次の俺達が、それが失敗しても次の次の俺達が……。
これって、騎士様達が戦いの中でよく叫んでいる『末代までの誉れ』って奴ですよね?
何も持っていない奴隷の俺達が末代までの誉れを持てるんですよ? やっぱり、最高じゃないですか!』
その心の内を暴露すると、ニャントーは嬉しそうな笑顔でこう応えてくれた。
おかげで、負けられない理由がまた一つ増えてしまった。責任の重大さに押し潰されそうになるが、その伸し掛かるプレッシャーが不思議と心地良かった。
身体が思わずブルリと震える。
本格的な夏を目の前に控えた今、その理由が寒さでないのは明白。居ても立ってもいられない衝動に俺も槍の素振りを始めるかと考えたその時だった。
「休んでいるところを済まない。少し良いだろうか?」
「はい、構いませんよ。どうしました?」
「いや……。実はその……。」
頭上から遠慮がちな声と一緒に影が伸びて覆いかぶさった。
慌てて上半身を起き上がらせて振り向くと、ゼベクさんが浮かない顔をして立っていた。
この時点で即座にゼベクさんがどんな悩みを持って訪れたのかが解り、思わず苦笑が漏らしながら立ち上がる。
俺がジュリアスの親友なら、ゼベクさんはジュリアスの叔父。
知り合って以来、俺達は同志と言える存在であり、俺は親友の立場で、ゼベクさんは叔父の立場でジュリアスの精神的なフォローは俺達二人がずっと担ってきた。
日頃の話題はジュリアスに関する事柄で占め、酒を二人で酌み交わしていても酒の肴はジュリアスに関するボヤきで占める俺達である。その悩みもジュリアスに関するものに決まっていた。
「ああ、ジュリアスですね。今、何処に?」
「少しだけ一人になりたいとあの森に……。」
「いやいや、一人にしちゃ駄目ですよ。
暗殺の可能性はまず無いと言っても、あくまで『まず』なんですから」
案の定だった。ゼベクさんが頷いて背後にある森を右の親指で背中越しに指す。
苦笑はますます深まり、大地に寝そべる傍らに置いていた剣を拾って腰のベルトに挿す。森の安全は休憩前に確認されているが、念の為だ。
暗殺という非合法は最後の手段。選んだとしても、それは一度きり。
一度なら驚きだけで済むが、二度は不信を、三度は疑心を抱かせてしまい、それを選択する度にヒトの心は大きく離れてゆく。
ましてや、第一王女は謀略に長けるが、その方向性は基本的に正道である。
第二王子に関しては言うまでもない。真っ向からの勝負を望む武人であり、この三つの理由からジュリアスの暗殺は有り得ないというのが俺の持論だ。
しかし、二人の人となりも、非合法のリスクも理解せず、前国王の暗殺に味を占めた短絡的なアホが居ないとは限らない。
暗殺の可能性がゼロで無い以上、今日からは寝ている時は勿論の事、トイレの時や閨の時ですら、ジュリアスの傍に誰かしらが必ず付き従う事にする。そう夕飯を摂りながらの緊急幹部会議で決めたばかりにも関わらず、それをトップと腹心中の腹心が早速破っているのだからどうしようもない。
「勿論、解っている。解っている、解っているんだが……。」
「……ですね。お互い、あいつには甘いですもんね」
「そういう事だ。頼めるだろうか?」
「はい、承りましょう。多分、それは俺の役目でしょうから」
「助かる」
だが、その気持ちが解らないでもない。
第一王女と第二王子の二人との対決を決起して、俺達ですらこうも興奮して眠れないのだから、その中心たるジュリアスは尚更だ。
周囲の喧騒から離れて、一人静かに考えたい事がきっと有るだろうし、そうジュリアスに何かを強く望まれてはいつも許してしまうのが俺達であり、それを助け合うのが俺達二人の関係なのだから。