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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十六章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 暗雲編 下
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幕間 その1 ニャントー視点




 ニートが第十四騎士団と第十五騎士団を口説き落としている頃。

 ニャントーは風雲急を告げる事態を未だ知らず、のんびりとした仕事終わりの時を過ごしていた。




 ******




「ふんふっふっ、ふんふんふ~ん♪」


 時刻は自分の中の体感的にそろそろ夕方だが、空はまだまだ明るい。

 陽が落ちるのがすっかり遅くなった西の空を見上げながら隣を歩く犬族の男が口ずさむ鼻歌に苦笑する。


 今夜の夕飯は肉が出る上に酒が支給される週に一度の特別な日。

 今朝、ニート様から夕方前に必ず終えろとの通達が有った為、この後に何らかの予定を控えているのかも知れないが、今日の仕事自体は終わり。鼻歌が自然と出てくるのも無理は無い。


 ましてや、犬族の彼は主人を持たない軍に一山幾らで奴隷商人から貸し出された戦争奴隷だ。

 こんな日々の楽しみを持てる事自体が普通は有り得ない。俺自身、ニート様に仕える以前は戦場を渡り歩く戦争奴隷だったが、その待遇は酷いの一言。


 肉や酒を口にするなんて、一ヶ月に一度有るか、無いかの幸運。

 そもそも、食事の味そのものが二の次、三の次。食事はクズ野菜だったり、カビが生えたパンだったりと腹を満たすだけのもの。


 寝泊まりする兵舎やテントだって、それが六人用だったら、俺達は最低でも十人以上で共用する。

 言うまでもなく、快適とは程遠い。特にテントの場合は頭と足を交互に列べて寝なければならず、窮屈な上に臭い。


 唯一、まともなのは服くらいだが、それも最初の内だけ。

 着替えを持たない為、汚れと臭いが次第に目立ち始め、戦場で血飛沫を浴びれば、その部分が固くなって着心地は悪くなる。


 しかし、そんな衣食住より酷いのが戦場だ。

 大抵、俺達が行けと命じられるのは劣勢となった場面や何かを決定付ける所謂『死地』と呼ばれる場所が多い。

 その死地から骨を折り、血塗れとなって見事に生還しようが、そこで得た武勲は全て仕えている仮の主人のものとなる。

 この時、褒美に酒や肉を貰えたら良い主人、褒め言葉の一つでもかけて貰えたらマシな主人、労いすら無いのが普通の主人である。


 つまり、完全な消耗品扱い。

 命の対価は高く売れても一食分の酒と肉にしかならず、戦死したり、作戦に失敗しようものなら罵倒されて、時に殴る蹴るの暴行を受ける。


「ふんふん、ふっふっふんふ~~ん……。」


 だが、ここでは違う。ニート様が第十三騎士団内に設立した亜人隊では違う。

 ヒトの兵士達と変わらない衣食住が与えられているばかりか、報奨金が武勲によって与えられ、亜人隊の中に限っての話になるが出世さえも有り、役職による報酬までも存在する。


 断言しよう。これは異常だ。

 第一、亜人の俺達が一つに纏まって部隊を作っている時点で常識的に有り得ない。


 亜人の俺達は基本的にヒトより身体能力に優れ、種族による特性を持っている。

 例えば、猫族の俺なら闇夜でも活動が可能な夜目を持ち、犬族の彼なら鋭い嗅覚による優れた察知力を持つという様に。


 その為、結託しての反抗や逃亡を防ぐ理由で亜人の俺達は十人以上を一纏めにしないのが軍隊では当たり前の常識になっている。

 更に付け加えるなら、これはネーハイム様から聞いた話。騎士団は国から与えられた軍資金で奴隷商人から亜人の俺達を借り、それをニート様も就いている騎士団参謀長の役割の者が騎士団所属の騎士達に割り振って与えるのがインランド王国軍の慣例らしい。


 言い換えると、亜人隊はニート様の直属部隊である為、ニート様が亜人の俺達を独り占めしている形になる。

 当然、他の騎士達から不満が亜人隊の待遇も合わせて噴出したが、ニート様は不満を言ってきた騎士達にこう返したのだとか。


『俺が亜人達を甘やかす理由? ……簡単ですよ。

 ヒトは強要されるより自分で進んで何かを成した方が成果が高いからです。

 あなたは不味い飯と窮屈な部屋を与えられて、やる気が出ますか? 力が出ますか? それと一緒ですよ。

 そして、一人より二人、二人より三人です。力を合わせたら、より大きな力が得られる。

 だから、我々は敵より一兵でも多くの戦力を求める。……違いますか?

 えっ!? 甘やかした結果、反乱を起こしたらどう責任を取るかですって?

 はっはっはっ! 反乱の心配? それ、必要ですか?

 反乱を起こしてまで今より下の待遇を欲しがる奴なんて居ますかね? もし、居るなら会って話がしたいくらいです。

 ……と言うか、もう答えが出たのではありませんか?

 誰だって、虐げられれば反抗するのは当然だし、まともな評価を受ければ嬉しいんですよ。

 ブラックはいけませんよ。ブラックは……。組織たるもの、最高を求めるならブラックは駄目です。ホワイトでなければね?』


 たまにニート様が口にする最後の黒か、白かの意味は解らないが、これだけは解る。

 俺はとびきり得難い主人を得たという事だ。亜人の俺達を同じ『ヒト』と呼んで扱ってくれるヒトをニート様以外に見た事も無ければ、聞いた事も無い。


「なあ、ニャントー……。」

「んっ!? どうした?」

「その……。お前からニート様に頼んで貰えないか?

 来年の春、俺達の部隊が解散したら俺を競りで買ってくれって……。」


 だから、こういった口利きを頼まれる事は多い。

 毎日ではないが、週に二度、三度。今の様に二人だけの時を狙い、遠慮がちながらも切実に頼まれる。


 犬族の彼の鼻歌がふと止み、視線を思いつめた様に落として暫く黙り込んだ時点ですぐに察した。

 本音を言えば、しつこさや煩わしさを感じるが、自分が逆の立場だったらと考えたら、それを口にも顔にも出せない。


 亜人の俺達は売れてこそ、幸せになれる。

 主人となる者は大金を払って俺達を買う以上、軍隊の様な消耗品扱いは少なくともしない。


 それ故、亜人の俺達はどんなに劣悪な環境であろうと耐え、戦場を必死に歯を食いしばって走る。

 一つの戦場を駆け抜ける度、自分自身の価値は高まり、戦場と戦場の合間に行われる『競り』で付けられる値段は上がって、その値段に見合った待遇を主人がくれるからだ。


「すまん。何度も言っているが……。」

「解っている、解っているんだ。

 でも、それでも……。頼まずにはいられないんだ。頼む……。」


 ところが、第十三騎士団の任期が一年延び、亜人隊もそれに追従すると決まった時、通常なら『競り』のチャンスを一回逃した事を悔やむところを亜人隊の誰もが喜んだ。

 例え、自分が競りで買われようと、ニート様が亜人隊に与えてくれている今以上の高待遇は絶対に有り得ないと知っており、ニート様との繋がりを失うのを恐れたからである。


 そう、亜人隊の誰もがニート様を生涯の主人に望んでいると言っても過言でない。

 その羨望の的になっている確かな証拠が俺の利き腕の右手の甲に有る。否、より正確に言うなら『無い』と言うべきか。


 俺は亜人だが、奴隷の証である焼き印を持っていない。

 コミュショー男爵家の家臣団に名を連ねる従士の一人であり、インランド王国の上級市民である。


 この超高待遇を羨むなと言うのは無理だ。

 事実、誰かしらの視線が自分の右手に注がれているの感じる事が日常的に有る。


 それに俺の記憶が確かなら、犬族の彼は今年で二十七歳になる。

 亜人の俺達は三十歳を過ぎて売れ残った場合、軍隊以上に低待遇な鉱山行きと相場が決まっている。


 犬族の彼に残された戦場と戦場の合間に行われる『競り』のチャンスはあと一度か、二度しかない。

 十三騎士団が結成されて以来の仲だ。協力したい気持ちは強いが、ニート様への口利きはネーハイム様から固く禁じられている。


「すまん……。俺にはそうとしか言えない」

「そうか」

「すまん……。」


 その理由は語るまでもない。一人を許したが最後、全てを許さなかったら不公平になるからに他ならない。

 それにコミュショー男爵家の財布には限りが当然の事ながら有る。亜人の俺達に付けられる値段は決して安くは無い。


 だが、ニート様が亜人隊の中から新たな臣下を望むなら。

 その際に助言を俺に求められたら、俺は犬族の彼を間違いなく真っ先に推す。


 俺が亜人隊の隊長なら、犬族の彼は亜人隊の副隊長だ。

 亜人隊の主目的は戦時では偵察、平時では諜報であり、猫族の俺と犬族の彼とで不得意な部分を補っており、気心が知れた仲以上に今ではお互いに無くてはならない存在になっている。


「いや、俺の方こそ、悪かった。お前を困らせるつもりは無かったんだ」

「ああ、解っている。勿論、解っているさ」


 しかし、下手な希望は不幸を呼びかねず、その胸の内は明かせられない。

 会話が途切れて、お互いに気まずさを感じながら路地を曲がると、亜人隊の兵舎が立ち並んでいる区画の出入口にネーハイム様の姿が見えた。


「うん? あれ、ネーハイム様だよな?」

「走るぞ! あの感じ、何か遭ったに違いない!」

「だな!」

「おう!」


 腕を組みながら顰めっ面で同じところを足早に行ったり来たりをして、明らかに気が逸った様子。

 仕事からここまで帰ってくる道中、街は日常と変わらない賑わいを見せていたが、不意の敵襲が有ろうと冷静沈着を常とするネーハイム様がこうも焦るなんて、ニート様の身に何かが遭ったに違いない。


 前述の通り、亜人隊がニート様から与えられた平時の役目は諜報だ。

 敵に対しては勿論の事、俺達の目と耳は味方にも密かに向けられており、下町の小さな揉め事から各騎士団の不穏な動きまでありとあらゆる情報が隊長である自分の元にまず集まる仕組みになっている。


 それにも関わらず、ニート様の身に何が遭ったのかが見当も付かない。

 その不覚さが焦燥を誘い、犬族の彼も同様の心境なのだろう。お互いに目を見開いた顔を見合わせると、すぐさま駆け出した。


「ネーハイム様!」

「おお! お前達、待ちかねたぞ! 兵舎の者達にはもう伝えたが、今すぐ出立の準備しろ!」

「えっ!? 今すぐですか? 一体、何が?」

「それを説明している暇は無い! とにかく、この街にはもう戻ってこないつもりで準備をするんだ!

 但し、背嚢は可能な限り、軽くしろ! 持ってゆく物は必要最低限! 食料は三日分で十分だ!

 そして、準備が整ったら、この鑑札を持って厩舎へ行け! 全員分の馬を手配したから、南門前に騎乗して集合だ!」

「う、馬っ!? し、しかし、俺達は……。」

「なら、急げよ! 事は一刻を争うからな!」

「えっ!? ……あっ!? ちょっ!? ネ、ネーハイム様っ!?」


 ところが、ところがである。

 俺達の呼び声に応えて、ネーハイム様が表情をパッと輝かせながら振り向いたまでは良かったが、よっぽどの緊急事態らしい。

 要件だけを手短に伝えるだけ伝えると、こちらが戸惑っている隙に去ってしまい、何らかの緊急事態が発生している確信は得られるも、それがどんな緊急事態化が分からないまま。


「おいおい、どうするよ?」

「どうするって……。」


 しかも、とんでもない置き土産付き。

 ネーハイム様から渡された軍隊で共用している厩舎の馬の使用を許可する鑑札を犬族の彼と一緒に茫然と見つめて戸惑う。


 亜人の俺達は馬に乗る事を固く禁じられている。

 己の足以外で大地を行くとしたら、それは奴隷商人が引く牢馬車のみ。

 もし、馬に乗ろうものなら逃亡奴隷とみなされ、問答無用の捕縛が許可されており、逃亡を許した主人は捕縛者に礼金を支払う義務が有る。


 この常識をネーハイム様が知らない筈は無い。

 しかし、手の中にある鑑札は間違いなく本物だ。トーリノ関門時代、外にすら出れない厳しい冬季間の手慰みに読み書きを教わり、書く方は未だに不得手だが、読む方はちゃんと出来る。

 今年の春から『世の中、何が起こるか解らない。覚えていても損は無い』とニート様の一言で亜人隊は馬術の鍛錬を街から離れた人目の付かない場所で代わる代わる行っていたが、こうも早く必要になるとはまさか思いもしなかった。


 いや、今まで何度も先々を当ててきたニート様である。

 今日という日が来るのを春の段階で予測して、俺達に馬術を学ばせていたのだろう。


 今朝の通告とも符号が合う。

 今日は仕事を早めに切り上げ、夕方前には兵舎で待機していろと厳命されていたのはこの緊急事態の為だ。


「……だよな。もし、何かの手違いだったら大事だ」

「ああ、ニート様に迷惑をかけてしまう。しかし……。」


 だが、この世に生を受けて以来培い、時に殴られながらも身に叩き込まれた亜人としての常識が二の足を踏ませる。

 これが馬術の鍛錬を行っていた様な街から離れた人目の付かない場所ならまだしも、集合に指定された南門前はこの街で最も栄えている場所である。


「良し、お前の荷物は俺が用意する! こっちは任せろ!

 だから、本当に俺達が馬に乗って良いのか! お前はそれをニート様に確かめてくるんだ!」

「そう、そうだな! それが一番だな!」


 しかし、今は一刻を争うだろう緊急事態。悩んでいる暇は無い。

 焦燥を無駄に募らせて出てきた答えは、ニート様とネーハイム様の期待をある意味で裏切る考えだったが、どうしても俺達はそれしか選べなかった。




 ******




「あっ!? ブラニッカ様!」


 幸いにして、ニート様の所在は解っていた。

 第十三騎士団の参謀長であるニート様は責任を持つ立場として、その日の朝に午前と午後の予定を明かしているからだ。


 だが、ここ『司令部』を訪れるのは気が重かった。何度、訪れても落ち着かない。

 当然だ。俺はニート様に仕える従士として許されているが、ここは亜人の立ち入りを禁止している場所。どんな用件が有っても、裏門前で待たなければならない場所である。


 だから、向かっている先の曲がり角に良く知るブラニッカ様の顔が見えた時は心底に胸をほっと撫で下ろした。

 ニート様を筆頭にジュリアス殿下やバーランド様といった第十三騎士団の上層部の方々は亜人に対する当たりが柔らかいせいか、第十三騎士団全体の亜人に対する当たりも柔らかい。

  特にブラニッカ様は気さくな方であり、個人的にも酒を何度も酌み交わした仲である。おっかなびっくりだった歩みは自然と小走りになり、ブラニッカ様が俺の呼び声にこちらを振り向き、あと数歩のところまで迫った次の瞬間。


「おっと……。残念だが、ここは通行止めだ」


 ブラニッカ様が右手を腰に挿す剣に伸ばした。

 その鋭い眼差しはあと一歩でも近づいたら本気で斬るぞと訴えており、慌てて立ち止まる。


「なっ!? 何故ですか? お願いします! 今すぐ、ニート様に……。うっ!?」

「黙れ、静かにしろ」


 しかし、今は緊急事態。俺が入ってきた裏門からここまでは一本道で迂回路は存在しない。

 司令部の立ち入りをニート様に仕える従士として許されているとは言え、亜人の俺が正門から入るのはさすがに憚れる。

 目的地であるニート様の執務室へ行くにはブラニッカ様が立ち塞がっている曲がり角を通る必要が有り、たまらず非難の声をあげると、ブラニッカ様の眼差しがより鋭さを増した。


 昨日まで感じていた気さくさはまやかしだったのか。

 何故、何故、何故と戸惑い、ぶつけたい言葉は数多に有ったが、押し黙りながら一歩後退する。

 これでは亜人の俺達に理不尽だけを振りまく者達と変わらない。音をゴクリと立てて飲み込んだ生唾の苦味が心を冷やしてゆく。


「うむ……。どうやら少しは頭が冷えた様だな」

「えっ!?」

「今、コミュショー卿は大勝負の真っ最中だ。

 だから、無理を通させて貰った。さっきまでのお前を通したら、それを台無しにしかねなかったからな」


 だが、それは勘違いだった。

 足をもう一歩下げた途端、肌を突き刺していた殺気が急に緩み、ブラニッカ様は剣から右手を離すと、その右手をバツが悪そうに苦笑する表情の前に立てた。


「ほら、何をしている? コミュショー卿に用が有るんだろ?」

「あっ!? ……は、はい!」

「但し、連れて行くだけだ。コミュショー卿の邪魔は絶対にするなよ?」


 直前と直後の緩急の落差に目をパチパチと瞬き。

 茫然としたままに促され、ブラニッカ様の背中を追って先ほどまで進めなかった曲がり角を曲がり、今度は驚愕に目を見退く。


 第十三騎士団の騎士様達が廊下にずらりと列んでいた。

 その人数は二十を超え、次の曲がり角まで居り、ブラニッカ様もそうだが、一人一人がチェーンメイルやレザーアーマーといった自前の防具を着込み、まるで戦いを目の前にした様なピリピリとした緊張感を放っている。


 最初に出会ったのがブラニッカ様で本当に良かった。

 第十三騎士団全体の亜人に対する当たりが柔らかいと言っても他の騎士団に比べてだ。この様子では脅す以上の手段で制止させられていた可能性が高い。


 それにブラニッカ様が言った『大勝負』も気になる。

 間違いなく、ネーハイム様のあの慌てようも、亜人隊に下された常識破りの騎乗許可も、この臨戦態勢も、その『大勝負』が関係しているのだろう。


 一体全体、この司令部で何が起きているのか。

 突き刺さる数多の視線に居心地の悪さを感じて、視線を伏しながら廊下を進み、次の曲がり角を曲がったその時だった。


「ふっ……。亜人の身分開放です」


 ニート様の声が耳朶を打ち、その聞き捨てならない言葉の衝撃に俺の足は床に縫い付けられたかの様にピタリと止まった。




 ******




「亜人は呪われた種であり、呪われているが故に生まれながらに奴隷。

 さて、この誰もが知る常識……。誰が定め、誰が彼等を呪ったのでしょうか?」


 誰に語り、誰に問いかけているのだろうか。

 三階まで吹き抜けのエントランスホールの壁の随所に埋め込まれたガラスと呼ばれる透明な板を通して降り注いでいる光を浴び、ニート様は扉が開け放たれた謁見の間の前に腕を組んで立っていた。


「何を言うかと思えば、信仰心が足りない様ですね。

 それは神に決まっています。コミュショー卿、子供ですら知っている話ですよ?」


 ニート様を小馬鹿にする幾つかの失笑が謁見の間から湧く。

 思わずむかっ腹が立つが、その態度は別にして、謁見の間の誰かが応えた言葉自体は俺が持つ答えと変わらない。


 天と大地を支える樹『世界樹』に実る赤い果実。

 その絶対に食してはならぬと戒められた神々が食す果実を俺達の始祖は誘惑に負けて齧ったが為、俺達の始祖はヒトから亜人となり、ヒトが持たない亜人の特性を得た代償に神々の怒りを買い、地上の楽園を追放される。


 だが、楽園の外は生きてゆくのさえも過酷な世界。

 それを憐れみたヒトが神に願い、俺達の始祖は楽園に戻る事を許される。


 但し、大罪を二度と犯させない。

 ヒトは神と結んだ契約の為、亜人の監視と管理を担い、亜人は奴隷として始祖の贖罪の積み上げる定めとなった。


 そう俺は子供の頃に母親からは諭され、奴隷商人からは殴られて教わった。

 正しく、子供ですら知っている話であり、実際に聞いて確かめた訳ではないが、この教えはヒトも変わらない筈だ。


「いいえ、違います。神はそう定めてもいなければ、呪ったりもしていません。

 その証拠として、七大教会の聖典。その七冊のいずれにもその様な記載は有りません。

 亜人が登場するのは創世記の項目のみ。

 神はヒトを創る前に亜人を創り、地上の楽園を彼等にも与えている。

 亜人を奴隷にする。そう解釈が出来る記載は一句たりとも存在しない。神はそんな事を言っていない」

「では、神で無いとしたら誰だと言うのです!」


 しかし、その子供の頃から信じてきた教えが間違っているとニート様は言う。

 ざわめきが謁見の間から溢れ、俺とブラニッカ様は驚愕に目を見開いた顔を見合わせる。


「その答えは勇者伝説にあります。

 最初の勇者『サクラ』、彼女が成した偉業は誰もが認める比類なきものですが……。

 彼女が打倒した相手は天変地異を操り、大地を砕き、海を裂き、天から星を落としたとされる最初の魔王。

 決して、それは彼女一人の力で成し得たものでは無い筈です。

 ところが、今の世にも伝えられている彼女の仲間の名前はかのバビロン帝国最終皇帝『シャオリー』のみ。

 次の勇者も、三度の勇者も、魔王討伐の旅を共にした仲間はその名が全てが伝えられているのにです。

 しかし、見つけました! なんと王都の光の教会の大聖堂に有ったんですよ!

 次に出かける機会があったら是非見て下さい! 良く観察して下さい!

 祭壇真上の天井画に最初の勇者『サクラ』とバビロン帝国最終皇帝『シャオリー』の二人と共に描かれている人物を!

 一人は耳が横に細長く尖っており、一人は虎柄の尻尾が伸びていますから!

 そう、初代勇者『サクラ』の隠された仲間はエルフと虎族の獣人! 即ち、亜人です!

 これ等の事実から導き出した私の答えはこうです!

 魔族が去った後の世界を制したヒトは隣人だった亜人をも制して、神話を捻じ曲げて、今ある常識を世界に根付かせたのです! 自分達より力で勝る亜人を恐れて!」

「我々が亜人を恐れて? 馬鹿な! 有り得ない!」


 しかも、驚きはそれだけで留まらなかった。

 俄には信じがたい見解がニート様の口から飛び出して、たちまち謁見の間は蜂の巣をつついたかの様な大騒ぎ。


 ブラニッカ様から『どう思う?』と小声で問われ、言葉を口の中で濁しながら視線を伏す。

 亜人の俺がどう応えても角が立つ。そう考えた末の答えだったが、自分の卑屈さに思わず苦笑が口の端に漏れる。


 だが、これが亜人である俺達の処世術。

 心に広がるモヤモヤを無理矢理に打ち消すと共に視線をニート様に戻して、その姿に三度目の愕然に陥る。


 ニート様は勢いを増す罵詈雑言に等しい数多の批判を浴びながらも一歩も退いていなかった。

 罵詈雑言の嵐をそよ風の如く受け止めて、腕を組んで微笑みさえも浮かべて堂々と立っていた。


「では、皆さんにお聞きしたい。

 亜人の力を戦争で頼りながら、その力を束ねようとしないのは何故です?

 聞いた話によると、鉱山でも作業編成を十人以下と定めて、その配置もバラバラにするのだとか。

 これって、反抗を恐れているからですよね?

 なにせ、彼等は我々より身体能力に優れ、種族による特性まで持っている。

 その使いどころ次第によって、ヒトの二人分、三人分の力を発揮するのだから、これほど恐ろしい存在は無い。

 事実、私が第十三騎士団内に作った亜人隊は目覚ましい戦果を挙げています。

 私の策が成ったのも彼等の存在があってこそ。たった二百人程度ですが、正に鬼札とも言える存在だ。

 ヒトでは無理な場面を何度も突破して、或いは支えてくれました。

 他にも、ほら……。トーリノ関門が一度は陥落したのも亜人の活躍が大きいのは騎士の皆さんならご存知ですよね?」


 そして、罵詈雑言の勢いが衰えたのを見計らって反論を重ねると、遂に謁見の間は押し黙った。

 その光景に四度目の目を見開き、ニート様の偉大さを改めて思い知ると共に自分の情けなさを思い知る。


 ニート様はヒトでありながらも亜人側に立ち、数多の相手を真っ向から勇敢に戦った。

 それに対して、俺はどうだ。自身が亜人であるにも関わらず、たった一人を相手に怯え、主人を見捨てて逃げたのだから、これを情けないと言わずして何と言う。


「うん、なるほど……。辺境の農村部ならまだしも、都市部には亜人が必ず居る。

 それも大きな都市ほど亜人は多い。その亜人達が反乱を各地で起こしたら大変だ。

 しかも、その反乱が敵の手によるものである以上、ただ鎮圧するだけでは済まない。

 再発と誘発を防ぐ為、監視する兵力をあちこちに割く必要が有る。

 それでいて、ジュリアス殿下の軍勢が迫れば、憂いを内側に抱えながら防衛戦を行わなければならない」


 それにしても、いつもながら不思議に感じる事がある。

 それはニート様の亜人に対すると言うか、奴隷そのものに対する考えだ。


 奴隷はモノであって、ヒトでは無い。

 そう教えられてきたし、そういう扱いを受けてきたが、ニート様は違う。

 あくまで俺の私見だが、ニート様は奴隷を数多く有る職業の一つとして捉えている様に感じる。


 それ故、その扱いはヒトと変わらないし、理不尽な命令は絶対に出さない。

 あまつさえ、自分に非が有ると感じれば、男爵位を持つ貴族でありながら奴隷相手にも頭を下げて謝罪する。


 こんな貴族は他に居ない。

 ニート様に近い考えを持つのが、ジュリアス殿下だろう。


 だが、身分の隔意は感じる。隣のブラニッカ様も、第十三騎士団の騎士様達もそうだ。

 亜人の俺達に対する当たりは緩いと言っても、決して同等では無い。接し方に身分の差が有る。


「その通りです。更に付け加えるなら、そういった事情が有る為、亜人を戦力に加えるのも難しくなる。

 もし、この手間を省こうとするのなら、それはもう亜人達を一人残らず虐殺するしかない。

 しかし、これが最も選んではならない悪手。この手段を選んだが最後、反乱のうねりはより大きくなってゆく」


 例えば、つい最近もこんな出来事が有った。

 亜人隊のある者が道を歩いていたら、第十五騎士団の騎士達に『亜人が道の真ん中を歩くな』と難癖を付けられて殴る、蹴るの暴行を受けた。


 その者達はきっと何らかの理由で虫の居所が悪かったのだろう。

 理不尽な言い分である上、実際は道の端を歩いていたらしいが、亜人である俺達にとっては珍しく無い話であり、運が悪かったで済ます話である。


 しかし、ニート様がその日の午後に亜人隊の視察をたまたま予定していた為に事態は思わぬ方向に発展した。

 暴行を受けた彼は痛みによく耐えていたが、ニート様が訓示を行っている整列中に倒れてしまい、ここで事件が発覚。ニート様は猛烈に激怒すると、亜人隊がその日に予定していた活動を即座に中止して、亜人隊全員による暴行事件の犯人捜索を行った。


 先ほども言ったが、奴隷はモノであって、ヒトでは無い。

 モノだからこそ、奴隷はその主人の財産である。他人の奴隷を殺したり、致命的な後遺症や酷い重症を負わせた場合、損害賠償が発生する。


 だが、件の彼が受けた程度の暴行なら問題にはならない。

 それが明らかになろうものなら、逆に『恥をかかせるな!』と罵られて、主人からも下手すると殴る、蹴るの暴行を受ける。


 ところが、ところが、ニート様はどちらの手段も選ばなかった。

 ニート様が犯人の第十五騎士団の騎士達に求めたものは、暴行を受けた彼に対する謝罪と軍律に則った士爵位の没収と苦役刑だった。


 当然、犯人の第十五騎士団の騎士達は戸惑った。

 それは暴行を受けた彼が市民なら妥当だが、奴隷なら不当だからだ。


 その結果、犯人の第十五騎士団の騎士達はニート様という人物を大いに見誤った。

 彼等が上位貴族の次男、三男、四男であり、役職を持たない士爵位の平騎士ながらも金銭的に余裕を持っていたのも災いした。

 彼等は損害賠償をせしめようとしていると勘違いして、不貞腐れながら『この程度で大人気ないですね。幾ら欲しいんですか?』とニート様に面と向かって尋ねた。


 気づいたら、ニート様は彼等に殴りかかっていた。

 言うまでもなく、実戦経験を持たない新人騎士が数多の戦場を駆け抜けてきたニート様に勝てる筈が無い。俺達が慌てて我に帰り、ネーハイム様の指示でニート様を止めるまでの間に彼等はボコボコである。


 最終的にこの騒ぎを聞きつけたジュリアス殿下の裁きで喧嘩両成敗。

 ニート様と犯人の第十五騎士団の騎士達は一週間の謹慎処分で決着が付いている。


 しかし、ニート様はこの結果が不服だった様だ。

 普段は呆れるくらい仲が良いジュリアス殿下を無視して居ないかの様に扱い、その子供っぽい仕返しと無視されて目に見えて落ち込むジュリアス殿下を見かねた周囲が仲介するまでの三日間を続けた。


 余談だが、犯人の第十五騎士団の騎士達のその後は解らない。

 彼等は謹慎明けのその日に第十五騎士団を退団している。王都へ帰ったのだろう。


 また、謹慎明けのその日。ニート様が真っ先に訪れたのが暴行を受けた彼のところ。

 普通に立って歩けても走るのはまだ難しい彼を労り、頭を下げての謝罪に続いて、決して少なくない治療費を『この程度で気が晴れるとは思わなけど』という言葉と共に渡している。


 いつだったか、亜人隊の誰かがこんな事を酒の席で言っていたのを今でも良く憶えている。

 所詮、奴隷の惨めさは奴隷にしか解らないと思っていたが、ニート様は違う。俺達を解ってくれていると。


 そのしみじみと語られた言葉に誰もが深く頷く中、誰かがこう返した。

 ひょっとして、ニート様は元奴隷でその頃の辛さを知っているからこそ、俺達に良くしてくれるのではないかと。


 彼はしんみりとした場を盛り上げる冗談でそれを言ったらしい。

 勿論、荒唐無稽な話だし、冗談だとしても不敬な話だったが、それを咎める事を忘れて俺は『まさか』と思ってしまったし、皆も同じ心境だったのか、場は逆に暫く静まり返った。


 何にせよ、改めて言おう。こんな貴族はニート様の他に一人として居ない。

 もし、ニート様の身に危機が迫ったなら、亜人隊の誰もがその身を喜んで投げ出すに違いない。


「参謀長……。あなたは恐ろしいヒトだ。

 今、ようやく理解しましたよ。この策は我が国の内乱だけに留まるものじゃない。

 周辺諸国にも影響を及ぼして、他国の内乱介入を防ぐ目的も含んでいるんですね?」

「まあ、上手く言ったらの話ですけどね」

「そう、それです。この策の成否は亜人次第。果たして、亜人達は反乱を起こすでしょうか?

 こう言っては何ですが、ヒトの奴隷が反乱を起こした例は歴史に有りますが、亜人が反乱を起こした例は見つからない」


 だが、『しかし』である。ニート様を知らない者達はどうだろうか。

 ニート様が目論んでいる計画を知り、皺を眉に刻む。反対はしないが、難しいと率直に考える。


 何故ならば、亜人の俺達は子供の頃からヒトに逆らうな、黙って従えと教え叩き込まれている。

 それは心に刻まれた呪いであり、条件反射とも言えるもの。正に俺自身が先ほど日和ってしまったのがそれを物語っている。


 いや、先ほどの事だけでは無い。

 騎乗を許された鑑札を渡されながらも己が持つ常識との差異に不安を感じて、この司令部を訪れた事自体もそうだ。


「それは今の世界を制しているのがヒトだからです。

 例え、反乱に成功したとしても、それは一時の勝利でしかない。

 圧倒的多数のヒトという種に囲まれていては援軍が来ない籠城戦を挑む様なもの。

 しかし、ヒトの中に亜人と並び立とうとする者が居るのなら……。

 それもその志を持つ者が一国の最上位者なら……。亜人達は必ずや立ち上がる。

 いや、ここで立ち上がらなかったら嘘だ。私は亜人という種全体を軽蔑するしかない。

 だって、そうじゃありませんか?

 ヒトが持つ有史以来、亜人は千年もの永き時を奴隷として虐げられてきた。

 だったら、亜人の彼等にとって、これは千年目にして訪れたチャンス。 

 もし、ここで立ち上がらない様なら、それはこの先の千年も奴隷である事を許容したのと同義だ。

 千年の呪縛は重くて固い。自由を欲するのなら、それは自らの手で……。そう、世界を革命するしかない!」


 しかし、『しかし』だ。

 ニート様の言葉を聞いている内、俺の心の中に沸々と沸き上がるモノが起こり始めた。

 ヒトであるニート様が亜人を信じているにも関わらず、亜人である俺が同胞を信じないでどうするのか。

 軽蔑するという言葉に胸がグサリと痛みを伴って高鳴り、世界を革命するという言葉に胸がドキリと熱さを放って高鳴る。


 小さくても贖罪の石を一人一人が積み上げていけば、いつかは天に届く。

 その時、始祖が犯した大罪は許されて、辛苦から解き放たれる未来が必ず来る。

 自分が駄目でも次の世代の為、次の世代が駄目でもその次の世代の為、間違っても先祖達が積み上げてきた石を崩す様な真似はするな。


 そう教えられて信じてきたが、現実はどうだ。

 千年も待ったが、何も変わっていない。亜人の俺達は千年前から変わらずに下を向いて歩いている。

 ニート様が仰る通り、上から恵みが降り注いでくるのをただ待っているだけでは駄目だ。俺達は自分自身の手で革命を起こさなければ、この世界は変わらない。


 三度、言おう。ニート様の様なヒトを他に俺は知らないし、誰かから聞いた事が無い。

 亜人の俺達にとって、ニート様は千年目にして現れた救世主に違いない。それを一人でも多くの同胞に伝えるのが、ニート様と誰よりも早く知り合った俺の使命だと感じた。


「但し、ここで勘違いしないで頂きたい。

 私は奴隷の身分とその制度を否定するつもりは有りません。

 我々の社会において、奴隷は必要不可欠な存在です。

 戦場でも、鉱山でも奴隷が居なくては成り立たない職種は多い。

 それに何らかの選択の結果として、身分を奴隷に落とすのも本人の責任です。

 特に自分の身を担保にする手段が失われたら、今の世界の経済は破綻してしまいます。

 ところが、ところがです。亜人はこの世に生を受けた時点で奴隷……。

 どうしても、これが私は納得がいかない。誰にだって、チャンスは等しく与えられるべきだ」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」


 いつしか、心は熱く燃え滾り、身体までもが実際に熱くなっていた。

 その衝動に居ても立ってもいられなくなり、天に向かって吠えながら全力で駆け出す。


 背後でブラニッカ様が制止を叫んでいたが、この衝動は止まらないし、止められない。

 ホップ、ステップ、ジャンプして、前方三回転宙返り。着地と同時にニート様の足元に土下座する。


 その昔、ニート様に教えて貰った土下座の最上位『ジャンピング土下座』だ。

 この身を熱く焦がす様な敬いを表すには只の土下座では到底足りない。そう考えたら身体が自然と動いた。


「ほわっ!? びっくりした!

 ……って、どうして、ここに? 出立の準備の方が良いのか?」

「その謝罪は後ほど! まずは私の話を聞いて頂けませんか!」

「お、おう……。わ、解った。

 で、でも、その前に立ったら? ……と、と言うか、痛くないの?」


 無論、着地時に顔や足を強かに打った痛みはあったが、今の俺にはそれすら甘美で心地良いものだった。




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