第01話 第十三騎士団決起
「勅命である!」
今はミルトン王国戦線司令部として運用中の元領主館。
謁見の間に響き渡った声に全ての者が一斉に片跪いて頭を垂れる。
それは王族であり、ミルトン王国戦線総司令官であるジュリアスも例外では無い。
何故ならば、勅命とは拒否を許さない国王の絶対命令。
即ち、この場で立位を許されているのは勅命を王都より運んできた国王の代理人たる勅使一人のみ。私語は勿論の事、許可の無い発言は厳禁である。
「現時刻を以て、ジュリアス・デ・シプリア・レーベルマ・インランドのミルトン王国戦線における全ての任を解く! この上は王都へ可及的速やかに帰還せよ!
尚、後任として、ミルトン王国戦線総司令官は第十四騎士団団長であるオリム・デ・ロス・ウケロルが、第十三騎士団長は副団長であるメルキ・デ・ミネス・バーランドが務めよ!」
しかし、厳かさに満ちた静寂はすぐに打ち破られた。
勅使が言葉を言い終わるどころか、言葉途中でも無い。第一声を言い切った時点で誰かが驚きに『馬鹿な!』と声を漏らしたのを皮切りにして、全員が跳ね上げた顔を左右の者と見合わせながらざわめきを大きくしてゆく。
当然と言えば、当然だ。通常、こういった国家方針に大きく関わる人事は年度末前に伝えられるのが慣例である。
百歩譲って、ジュリアスがミルトン王国戦線で何らかの大きな失点を犯しているなら納得も出来るが、成果は順調そのもの。重箱の隅をつついて出てくる失点すら無い。
おまけに、どう考えても後任人事がおかしい。
第十三騎士団は慣例の兵役期間を既に満了しており、その実行力たる兵士達は帰還の徒にある。
ジュリアスのミルトン王国戦線における全ての任を解くなら、第十三騎士団そのものを解散させて然るべきだ。
ミルトン王国戦線総司令官の後任に定められている第十四騎士団の団長は武勲を欲するあまり積極的な侵攻を望んでいる。
ジュリアスが居なくなれば、侵攻再開をこれ幸いと推し進めてくるの目に見えており、現状維持を是とする俺を始めとする第十三騎士団と今以上の仲違いを生むだろう。下手したら、ミルトン王国戦線軍の運営そのものに支障をきたしかねず、敵に付け入る隙を与える事にさえもなりかねない。
それに勅使の様子も妙だった。
勅使にとって、王都より運んできた勅命を言い渡すこの瞬間こそが最大の見せ場。
それをこうも騒がれては気分が良い筈はない。眉を顰めるくらいの不快感を表情に出してもおかしくない。
ところが、俺が顔を上げてみると、勅使は口元にニンマリと勝ち誇った笑みを描いていた。
それも明らかに視線を俺に向けてだ。初対面の筈にも関わらず、その謂れなき敵愾心に『こいつ、何なの?』と怪訝に思いながら立ち上がる。
「さて、殿下。時間切れに御座います」
私語は勿論の事、許可の無い発言は厳禁なのだから、勝手に立ち上がる事は尚更に許されていない。
これが実際の国王の前で行ったなら不敬罪は確実な俺の行動に場のざわめきはより更に大きく広がってゆく。
「なっ!? 血迷ったか! コミュショー!
畏れ多くも陛下の言葉の遮るばかりか、勝手に立ち上がるとは!」
どうしてか勝ち誇っていた勅使もさすがに泡を喰らい、人差し指を俺に突きつけながら唾を飛ばしてくる。
そんな騒がしさの中、横目をチラリと向ければ、俺が名指しで問いかけたジュリアスは未だ片跪いて頭を垂れたまま。溜息が漏れそうになるのを堪えて、声を張る為に息を短く吸う。
「黙れ! 何が陛下だ! 偽王に仕える大罪人が!」
そして、人差し指を勅使に突き返しながら叫ぶと、誰もが息を飲んだ数瞬の静寂の後、ざわめきを遥かに超える巨大などよめきがあがった。
******
「おのれ、コミュショー! 貴様!
むぐっ!? ……むむっむ~~っ!? むぼっ!?」
衛兵とは事前の打ち合わせが済んでいた為、事はスムーズに運んだ。
今や、勅使は衛兵二人に拘束され、腰に回した両手を荒縄で縛り付けられている。
それにしても、この勅使。一体、誰なのか。
拘束する前から敵愾心を、拘束した今は憎しみを俺に飛ばしまくっているが、心当たりがさっぱり無い。
ヒトの顔を名前を一致させて憶えるのが必須スキルだった元営業マンの俺が心当たりすら無いのだから、きっと覚える必要性が無かった人物だったのだろう。
誰にせよ、五月蝿くて仕方が無い。手っ取り早く黙って頂こう。
目配せを送ると、正に匠の技。衛兵の一人が勅使の口に猿ぐつわを速やかに噛ませた後、もう一人の衛兵が鍛錬とは無縁そうな弛んだ勅使の横腹に当て身を一発。勅使はたちまち静かになった。
「ええっと……。当然、説明をして頂けるんですよね?」
一方、場のざわめきは収まっていない。
勅使を捕縛した上、日頃では間違っても用いたりしない『偽王』という表現を使ったのだから当然だ。
第十三騎士団の幹部達が列んでいる正面、上座に置かれた領主の椅子を背に立つジュリアスの左手側。
第十四騎士団と第十五騎士団の幹部達が列ぶ先頭に立つ第十五騎士団団長『ジャン・デ・シヤウユ・ヒシホー』がざわめきを制する様に右手を小さく挙げて進み出てくる。
但し、右手とは反対の左手は後頭部を掻き、これも役目だから仕方ないといった相変わらずの飄々とした態度。
それでいて、目の色の輝きは驚きや戸惑いよりも好奇心が見え隠れしており、その余裕とも取れる態度が俺の中の警戒心をざわつかせる。
「勿論です。そして、落ち着いて聞いて下さい。
今から約一ヶ月前の事になります。陛下がお隠れになりました」
「なっ!? ……えっ!? へ、陛下がお隠れに?」
「はい、残念ながら確かな事です」
「し、しかし、陛下はまだ五十を数えておらず……。
しゅ、酒量の度がやや過ぎるという噂は耳にしますが、ここ最近は病を患ったなどという話は聞いた事が有りません。な、何故、それが急に?」
「暗殺です」
「あ、暗殺っ!?」
だが、それは杞憂に過ぎなかった。
約一ヶ月前、王都で起こった政変を告げた途端、第十五騎士団団長は目を見開いて、たっぷりと一呼吸ほど絶句。その後に取り戻した声は動揺を露わに震え、最終的に口をポカーンと開け放ったまま固まった。
もし、これが演技だったら大したもの。
騙されても文句は言えないどころか、拍手喝采を捧げられるほどの演技力だが、似た様な反応を見せている第十五騎士団の幹部達の様子を見る限りは違う。
「犯人は第二王子。ジェスター・デ・マールス・フォリオ・インランドです」
「そ、そんな……。う、嘘だっ!? で、出鱈目だっ!?」
第十五騎士団の幹部達だけでは無い。第十四騎士団の幹部達も同様だった。
国王を弑逆した犯人の名を明かすと、俺に集中していた視線が一斉に第二王子派の派閥の者達で多く占める第十四騎士団のこの場の最上位者に集まり、その圧力に第十四騎士団の副団長が目をこれでもかと見開きながら身体を仰け反らせて半歩後ずさる。
それ等の様子に『ああ、やっぱり』と確信を抱く。
第二王女の筆頭女官『ミーヤ』さんが俺の元に訪れてから約二週間。第十四騎士団と第十五騎士団の幹部達を秘密裏に監視させていたが、怪しい動きも無ければ、王都からの接触は無かった。
ミーヤさんは猫族の女性だ。
身体能力が基本的にヒトより優れており、特に自身の身長程度は難なく跳べる瞬発力を持ち、微かな光を集めて輝く虹彩は闇夜の活動を可能とする。
しかし、主要の街や村毎にバトンタッチして駆ける早馬の速度には勝てない。
いかにミーヤさんが昼夜を休みなく走ろうと、王都を先に出発した一日程度のリードが有ったとしても勝てない。
それを考えると、第十四騎士団と第十五騎士団の幹部達の反応はおかしい。
もし、俺が敵陣営に属しているなら、国王の暗殺と政権の獲得に成功した時点で早馬を送る。
その理由は簡単。 今、このネプルーズの街には第十三騎士団の騎士達は居ても、その実行力である兵士は少ない。
政敵のジュリアスを簡単に封じる事も出来れば、将来の禍根を断つ事も出来る。王都から手が届き難い元ミルトン王国新領における心配が無くなるのは大きい。
ところが、そうした行動が今のこの瞬間に至っても無かった。
いざという時に備えて、街からの脱出策を練っていた俺としては拍子抜けである。
つまり、第十四騎士団も、第十五騎士団も王都での政変を意図的に伝えられていないとみるべきだ。
では、逆にミーヤさんから王都の政変を伝えられていながら俺達が今日まで動かなかった理由は何故か。
「本当です。証人が居ます。……ミーヤさん」
「はい」
「獣人? その耳は猫族か! 信用など出来るか!」
それはご覧の通り、第十四騎士団の副団長の態度が全てを物語っている。
俺の呼び声に応え、第十三騎士団の幹部達が列ぶ背後のカーテンの影からミーヤさんが姿を現すと、第十四騎士団の副団長はつい今さっきまでの動揺は何処へやら、怒鳴り飛ばして鼻を鳴らした。
「彼女は第二王女が直々に送ってきた使者。第二王女の筆頭女官と聞いても同じ事を言えますか?」
「えっ!?」
「本当だ。コミュショー卿が言う通り、彼女はミントの筆頭女官だ」
「なんと……。第二王女が猫族の娘を……。」
そう、この世界では生まれながら奴隷と定められた亜人の証言価値は極めて低い。
こうして、その身分をジュリアスが保証しても、王族が亜人を側仕えにしていたというスキャンダル的な驚きの方が優先される。
その上、この世の生きとし生けるもの全ての倫理に反するのみならず、血を尊ぶ貴族社会にあってはならない大罪『親殺し』である。
ミーヤさんから国王暗殺の報を聞いたその日の夜、第十三騎士団の幹部達を緊急招集。その事実を伝えたが誰もが半信半疑で完全な納得は得られず、即決起とはいかなかった。
無論、それで素直に引き下がる俺では無い。
ジュリアスの身辺警護を厳しくするなどの打てる手は打ち、第十三騎士団の幹部達の前で予言した。国王暗殺の報が正しければ、不可解な勅命がすぐに届く筈だと。
そして、その不可解な勅命が先ほど届いた。
恐らく、勅使が持つ権威を利用して、各地で接待や賄賂をせびり、王都から優雅な旅を楽しんできたのだろう。
遅くても一週間前に到着するだろうと予想していた勅使が現れず、ここ数日はつい焦りからの苛立ちを重ねる毎日だったのがようやく報われた。
勅命の不可解さは当然として、勅命に必ず記載されている発行日から生じる国王が暗殺された日時との矛盾は偽王討伐の大義名分になる。あと必要なのは俺達の主であるジュリアスの号令のみ。
「陛下がお隠れになり、王太子様が居ながら王位を継いだという知らせは届かず、お隠れになった筈の陛下から勅命が届く!
これ等の事実が意味するものはたった一つ……。そう、王位の簒奪です!
さあ、殿下! 臣にお命じ下さい!
偽王に仕え、我等を偽勅によって惑わそうとした大罪人を剣で裁けと! 我等、第十三騎士団は殿下が歩む道を何処までも付き従います!」
少し照れ臭いが、これは必要な儀式だ。
皆の注目を集める為、マントを芝居がかった仕草でバサリと音を立てながら翻して、ジュリアスと正対。その場に片跪いて頭を深々と垂れ、決起の口上を声高らかに響かせる。
第十三騎士団の幹部達もすぐさま俺に遅れてなるものかと続いた。
片跪く音が続々と聞こえ、殿下、殿下とジュリアスを呼ぶ声で溢れる。
一応の警戒に横目をチラリと向けてみれば、目まぐるしい展開に付いてこれないらしい。
第十四騎士団の幹部達も、第十五騎士団の幹部達も茫然と目を見開き、いつもは飄々としている第十五騎士団の団長ですら口をパクパクと開閉している。
だが、『しかし』である。肝心のジュリアスからの反応が無い。
顔を伏せたままの上目遣いに様子を伺うと、ジュリアスは顔を深く俯かせていた。
あまり間を空けてはまずい。
片跪く為に右膝を立てる一方、床に突いている左拳の親指で人差し指を二度、三度と弾き、ジュリアスだけに聞こえる床を叩く音で返事を促す。
「ニート、僕は……。」
それでも、ジュリアスは顔を伏したまま。
返事だけは返してくれたがその声はか細くて躊躇いに満ちており、聞かなくても解るその先を言わせてなるものかと慌てて立ち上がる。
案の定、顔を反射的に上げたジュリアスの俺に向けられた眼差しは力強さなど欠片も感じさせない今にも泣き出しそうな縋る眼差しだった。
国王暗殺という袂を分かつ決定打に至って、まだ兄弟同士で剣を交えて戦う迷いが有るらしい。
視線を下げてみれば、決意が出来ないもどかしさを物語る様にジュリアスの下げられた両手が握ったり、開いたりを繰り返している。
「ジュリアス、こんな勅命が送られてきたのは何故だと思う」
「えっ!?」
「だって、そうだろ?
こっちの事情をちょっとでも知っていたら納得がいかない命令だ。おかしいとは思わないか?」
「うん、確かに……。」
もう何度目か、溜息を漏らしたくなるのを堪えて説く。
公式の場でありながら普段の言葉遣いに敢えて切り替えたのは、そうしないと俺の心が届かないと思ったからだ。
そもそも、ジュリアスは王位を望んでいない。
王位を望んでいないからこそ、第一王女も、第二王子も腹を割って話し合ったら全て解決すると期待している。
それが根本的な間違いだ。
インランド王国における王位争奪戦は王太子である第一王子の病弱さ故の不安さから始まった貴族達の利権が絡んだ代理戦争。最初から本人達の意志はあまり関係ない。
王位争奪戦を回避する手段は一つ。
それは国王の明確な意志と言葉だったが、国王は貴族間のバランスを崩すのを恐れたのか、第一王子を王太子に据えながらも貴族達の王位争奪戦に絡む派閥争いを諌めないままに暗殺されて先王と呼ばれる存在になってしまった。
王都では新たな王が既に立っているだろう。
だが、所詮は仮初の王に過ぎない。向こうもそれを承知しているからこそ、こんな勅命を送ってきた。
「この際だから、はっきり言ってやる。
俺が向こう側の陣営の軍師なら、こんなまどろっこしい手段は取らない。
国王……。いや、自分の親ですら暗殺したんだ。この上、弟のお前を暗殺するのに何を躊躇う必要が有る。
これこそが最上策。流れる血だって、最少で済む。その手段を相手が敢えて取らなかったという事はだ。お前は生かされたんだよ」
最早、戦いは避けられない。
今日、この時、この瞬間の為、俺は数え切れないほどに何度もジュリアスに決意を促してきた。
トーリノ関門で共に過ごしていた頃はそれとなく、男爵位を賜ってからはやんわりと、このミルトン王国戦線に参戦してからは明確に。手を変え、品を変え、あの手、この手を使って。
しかし、ジュリアスはその度に決断を先延ばしにしてきた。
その兄弟を想う優しさはジュリアスの美点だが、賽は投げられた。相手が決意した以上、ジュリアスも決意しなければならない。
もし、この決定的な場面で覚悟を決められなかったら、ジュリアスは完全に終わる。
第三王子派そのものである第十三騎士団の幹部や騎士の大半はジュリアスを見限って仰ぐ旗を変えるだろう。
どんなにジュリアスが人柄に優れていようが、ここぞという時の決断力に乏しくては未来を預ける事は出来ない。下手したら、その未来と引き換えに裏切る者が現れかねない。
それ以上に今ですら相手との戦力差が大きいのだから、第十三騎士団の幹部や騎士の離反は致命的だ。
もう戦う、戦わない以前の問題になる。戦力的に戦ったら負けは必定であり、それ以外のどんな選択肢を選ぼうがジリ貧だけの悪循環に陥ってゆく。
その結果、最終的に待っている最善の策は国外逃亡。
そうなったら、何もかも捨てて逃げなければならない。ジュリアスが最も大事にしている王妃や王太子、王太子妃、第二王女すらも。
そこまで言及した事は今まで無いが、ジュリアスは馬鹿では無い。
言われなくても解っているに違いない。その可能性を過去に一度くらいは考えた事がある筈だ。
「なら、これは『舞台は整えた。雌雄を決しよう』という相手からのメッセージ、挑戦状だ。
だったら、それに応えないでどうする? こうもお膳立てをされて、何を躊躇う必要が有る?
もう、お前が望んでいた話し合いは通じない。次に話し合えるとしたら、それは勝者と敗者の立場に分かれてだ。
さあ、ジュリアス! 俺達に命じてくれ! 偽王を討てと! お前がその一言を言ってくれさえしたら、俺達は戦える! 戦えるんだ!」
だが、ジュリアスは顔を俯かせたまま。
視界の隅では第十三騎士団の幹部達の最前列に片跪くバーランド卿が『何とかしろ、早くしろ』と無言の視線を俺に突き刺している。
かくなる上は最終手段だ。
これ以上、損得や道理、大義名分などを幾ら吐いたところで無駄だろう。
この期に及んで煮え切らないジュリアスに苛立ちを感じ始めた心を落ち着かせる為、息をゆっくりと大きく吐き出す。
前述の通り、俺はジュリアスの決意を促す為、手を変え、品を変え、あの手、この手を使ってきたが、心の奥に秘めた単純な本音だけは隠してきた。その飾り気なしの直球勝負を放つ。
「もし、どうしても……。
どうしても、決断が出来ないって言うのなら……。ジュリアス、俺の為に戦ってくれないか?」
「えっ!? ……えっ!?」
ジュリアスは俯いていた顔を跳ね上げて、目をパチパチと瞬き。
それまで背負っていた悲壮感を一気に霧散。一拍の間を置き、キョトンとした不思議そうな顔を傾げた。
「お前が居なくなってしまったら、この先の俺の人生がつまらなくなるからな。俺はお前を死なせたくはないんだ」
どうして、こいつはこんな場面でも乙女チックな仕草をしてしまうのか。
丸裸の本音を告げたせいもあるが、その見た目だけは完璧な美少女然とした眼差しにまじまじと見つめられ、熱くなった顔をジュリアスから背ける。
「ぷっ!? 何だよ、それ……。フフフっ……。」
その途端、ジュリアスが吹き出した。
背けた顔の先ではバーランド卿もニヤニヤと笑っており、たまらず反対側に顔を背けてみれば、第十五騎士団の団長もニヤニヤと笑っているではないか。
「くっ……。
……って、ちょっ!? お、お前っ!?」
ここに味方は居ないのか。左も駄目で右も駄目なら正面に戻すしかない。
どの道、返事を聞く必要が有り、顔を改めて正面に戻して、目をギョギョッと見開く。
ジュリアスは笑いながらも泣いていた。
口を握った右手で隠しつつ肩を微かに震わせて笑い、その涙は隠さずに顔を上げたままで泣いていた。
「でも、そっか……。うん、そうだね。
おかげで、やっとわかったよ。単純な事だったんだ。あはは……。」
思わず手と足が出かかったが、すぐに戻す。
独り言の様に呟いたジュリアスの言葉に決意を感じたからだ。
これ以上の無粋な真似は必要ない。あとはジュリアスの気持ちが収まるのを待つだけ。
「ごめん、待たせたね」
「何年も待ったんだ。少しくらいどうって事ないさ」
「決めたよ! 僕は僕の為だけじゃない! みんなの為に戦うよ!
でも、僕一人の力だけじゃ駄目だ! みんな、僕に力を貸してくれ!」
「ああ、その言葉が聞きたかった!」
やがて、三十ほど数えた頃、ジュリアスが瞳に溜まった涙を人差し指で拭い、凛々しい表情の中に決意を満ちた瞳を輝かせた。
それに応えて力強く頷き、マントを勢い良くバサリと音を立てながら翻すと共に背後を振り返り、開いた右掌を突き出して声高らかに宣言する。
「志を共にする者達よ! 我等が主の決断は成された! これより第十三騎士団は偽王討伐の兵を挙げる!
直ちに出立の準備を済ませて、南門前に集合せよ! その後、まずはこの大罪人の首を断ち、それを偽王討伐の狼煙とする!」
敵との戦力差は大凡で四倍。まともに戦ったら勝てる筈が無い。
しかし、第十三騎士団の幹部達から返ってきた声は戦意に満ち溢れ、誰もが自分達の勝利を信じて疑っていなかった。
******
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』
歴史を学ぶ上で誰もが必ず一度は耳にする『世界奴隷解放宣言』と呼ばれるこの言葉。
奴隷解放の父と呼ばれるルター牧師が演説で用いたものとして有名だが、実はインランド帝国初代皇帝のジュリアスが『インランドの変』で挙兵する際、国内諸侯と近隣各国へ向けて発した檄文の冒頭に書かれた言葉である。
だが、おかしいと感じないだろうか。
当時の社会は絶対的な身分制度に基づく封建制だ。
ましてや、ジュリアスはその頂点に立つ皇帝である。
帝位に就いた後は皇帝の力を強め、歴代の皇帝もジュリアスに倣っている。
だったら、この言葉は自己否定、社会否定でしかない。
では、ジュリアスは何を思い、この言葉を自分の未来を左右する大事な挙兵の檄文の冒頭に使ったのか。
その解釈には諸説が有る。
古くから最も有力とされている説は『地位に相応しい責任を持て。持たない者、持とうとしない者は断じる』と自分に続く皇族や帝国に仕える貴族を戒めたもの。
なるほど、確かにインランド王国末期の貴族は所謂『ノブレス・オブリージュ』を軽んじる者が多かった。
そもそもの話。『インランドの変』は己の利益に目がくらんだ貴族達の派閥争いに端を発しており、頷ける点は大きい。
事実、ジュリアスは『インランドの変』に勝利した後、自分に敵対していた貴族達に苛烈な処断を下している。
当時の正確な文献が残っていない為に推測でしかないが、インランド王国末期とインランド帝国建国時では貴族の数が半分に減ったとさえ言われている。
なら、ルター牧師の『神の前に身分の差は無い』という解釈は誤りなのかと言ったら、それは違う。
ジュリアスがその御代で行った先進的、革命的な政策の数々。それ等が盟友たるニートの影響を多大に受けていたのは残された資料から明らかである。
そして、ニートはジュリアスが『インランドの変』で勝利した直後、亜人の身分開放政策を自領で行っている。
今では誰もが平等な世の中でそれが常識だが、当時は誰が定めたかも解らないほどにヒトが持つ有史以来を生まれながらに奴隷とされていた亜人をだ。
この常識を根底から覆す思想。
やはりニートは時代の寵児だと言わざるを得ない。
また、ジュリアスの檄文が届かなくても、その言葉は希望となって全世界に広まったに違いない。
数世紀に渡り、亜人達が世界中からインランド帝国を目指しており、それを捕まえたという記録が世界各地に数多く残されている。
当時、持てる財産は自分の身一つだけの亜人達にとって、その旅はさぞや苦難に満ちた旅だったに違いない。
それでも、彼等は自由を目指さずにはおれず、遂に辿り着いた理想郷で初めての財産を作り、それは人口の爆発と産業の発展を巻き起こして、長年の戦争続きで疲弊しきっていた国力をいち早く取り戻す原動力となってゆく。
やがて、ニートの所領で始まった亜人に対する意識改革はその有用性と共に広がってゆき、遂に百年後。
第四代皇帝が帝位に就いた際の初勅によって、インランド帝国は国家としての亜人の身分開放を世界で初めて実現させている。