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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十五章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 暗雲編 上
120/140

幕間 その4 サビーネ視点




 時は現在に戻る。

 ニートがジュリアスへミルトン王国戦線に関する自身の戦略を語っている頃。

 本国への帰還兵団を率いる『サビーネ』は今後の方針をどうするべきかと頭を悩ませていた。




 ******




「ふぅ~~……。」


 茜色の空に上ってゆく幾つもの炊煙。

 それを野外用の折り畳み椅子に腰を下ろしながら眺め、今日も無事に終わったと安堵の溜息を漏らす。


 なにしろ、今の私が率いている本国への帰還兵団の人数は一万五千を越える。

 既に最前線は遠い彼方に在り、この辺りの土地が我が国の版図に塗り替えられてから約十年が経過しているとは言え、大事は思わぬところに潜んでいるもの。王都への帰還を果たすその日まで気は抜けない。


 そもそも、私が中央で持つ軍階級は『十騎長』だ。

 十騎長が率いる兵数は原則として、最大で百人と定められている。それを十倍どころか、百五十倍もの兵士を今の私は率いているのだから、その気苦労たるや語るまでもないだろう。


 何故、この様な無茶、無謀と言える人事が採用されたのか。

 その全ての原因は中央軍司令部に有る。中央軍軍司令部の無茶ぶりは今回に始まった事では無いが、今回のはその極みと言えよう。


 外征を目的とした特設騎士団の編成期間は三年。 

 そう明確に定められてはいないが、それが貴族の兵役義務期間と合わせて慣例になっている。

 勿論、例外は有る。前線や要所を守る為だったり、大規模な侵攻を次年度に控えている場合などの理由で兵力が必要な際は延長される。


 しかし、今現在のミルトン王国戦線は総参謀長を務めるニート様の戦略方針により積極的な攻勢は行われていない。

 トリス砦を最前線と定めて、幾重の防衛ラインをネプルーズの街まで敷き、去年は版図の拡大よりも占領下統治を最優先にしており、敵もトリス砦先の間道出口に強固な陣を築いた後は積極的な攻勢は仕掛けてきていない。


 また、大規模な侵攻を次年度に控えているという様な噂も本国からは届いていなかった。

 本国へ帰還するにも多くの準備が必要な為、前線残留を告げる中央軍司令部の通達は新年を迎える前後に届くのが普通だが、それも無かった。


 ところが、ところがだ。

 いよいよ王都へ帰還する第一陣が出発する一週間前になって、中央軍司令部は第十三騎士団の前線残留を伝える勅使を早馬で送ってきた。

 それも『引き続き、ミルトン王国戦線の指揮に執れ』という漠然とした命令が告げられて、残留するのもジュリアス殿下と直臣の方々のみ。それ以外の者達は兵糧の支給が困難だから帰還しろという奇妙なものであり、当然の事ながら第十三騎士団の誰もが困惑、混乱した。


 だが、軍における上意下達は絶対である。

 王都から運ばれてきた命令書に押された王印が本物である以上、それがどんなに理不尽な命令でも私達は従う他は無い。


 ただ、前線に在りながら直属の兵力を持たないのはやはり不安が有る。

 それ以上に敵との本格的な戦いが再開された場合、他の騎士団が血と汗を流して戦っているのに指示だけを出しているのは心苦しい。

 そこで中央軍司令部の命令には従う。従うが、一部の陪臣と五千の兵力を残して、その者達の兵糧はニート様が一時的に立て替え、中央軍司令部と交渉する事に決まった。


 そう、ここまで説明したら解るだろう。

 私が帰還兵団の最高責任者を担っているのは帰還兵団に直臣の方々は一人も居らず、一万五千人の半数以上が南方領兵で占めているところが大きい。


 付け加えるなら、もう一点。

 兵士、平民にとったら、国王陛下から貴族位を叙せられた直臣も、領主貴族から貴族位を叙せられた陪臣も同じ貴族に見えるかも知れないが、その実は大きな格差は有る。


 例えば、陪臣はどんなに出世しても中央での軍階級が十騎長止まり。

 百騎長へ出世する者も極々稀にいるが、それほどの才能を持つ者は直臣に取り立てられる。


 つまり、この帰還兵団に百騎長の軍階級を持つ者は居ない。

 私が千騎長役を担っている様に他の者達も繰り上がりで自分の上役を代理で担っており、全員が全員とも経験ゼロの役を担っているのだからこれで混乱が起きない筈が無い。


 思え返せば、ネプルーズの街を出発した当初は本当に酷かった。

 私の元に集う朝、昼、晩の定時連絡が何処かで滞っているのは当たり前。上が浮足立つものだから下も浮足立ち、行軍の足並みが揃わずに狭い間道で渋滞が起きたのも一度や二度じゃない。


 しかし、それも最近は随分と改善されつつある。

 さすがにこのままではまずいと緊張感を与える為に厳しい強行軍訓練を何度も実施したのが功を奏したらしい。


 だが、世の中とは本当に儘ならない。

 強行軍訓練によって、連帯感が高まり、無様な姿を晒す事が無くなったのは歓迎するが、当然の事ながら強行軍を行った分だけ旅程が大幅に早まっていた。


「さて……。どうしたものかしらね」


 ブーツを脱いで靴下も脱ぎ、晒した素足のふくらはぎを両手で揉みほぐす。

 たちまち疲れ果てて凝りきった足にじんわりとした快感が走る。贅沢を言ったら、足湯が欲しいところ。


 強行軍の際は指揮官であっても馬から降りて歩き、駆ける。

 行軍で速度を最も妨げている原因は兵糧などの荷物であり、騎馬は貴重な運搬力となり得るからである。


 特に今日は疲れた。

 駆け足の頻度を多めにして、お昼の大休止の間に午前、午後と小休止を一回づつ。椅子へ座った今、再び立ち上がるのが億劫なほど。


 さて、普通なら旅程が早まったのだから消費する筈だった兵糧が抑えられて喜ぶべきところ。

 それを先ほど『儘ならない』と逆に嘆いたのは何故かと言ったら、私はニート様からある密命を受けているからだ。


『今回の残留命令……。どうも腑に落ちない。

 タイミングが実に絶妙と言うか、いつもの嫌がらせにしては手が込みすぎている。

 ひょっとすると、これ……。王都で政変が起こったんじゃないのか?

 もし、そうだとするなら、これはジュリアスと兵力の二つを引き離そうとする策に違いない。

 フフ……。なかなか上手い手を思い付くと敵を褒めたいところだけど、相手に疑いを持たれた時点で破綻している。

 この策を仕掛けるなら、もう一ヶ月は早く仕掛けるべきだった。それなら、俺も首を傾げるだけで今よりは納得していただろうに……。

 だが、種が解ってしまえば、対応も簡単だ。行軍を敢えて遅らせたら良い。 

 だから、サビーネさん。最低でも三ヶ月……。出来たら、三ヶ月半はオーガスタ要塞を越えない様にして貰いたい。

 もし、俺が向こう側の軍師ならオーガスタ要塞に軍勢を駐留させる。

 こっちがオーガスタ要塞を通過するのを待って、あの狭い間道を封鎖すれば、ジュリアスと兵力の二つを完全に分断。双方を孤立化させる事が出来る。

 そして、その役目は第十六騎士団が恐らくは担っている筈だ。

 オーガスタ要塞の場所はここと王都のほぼ中間地点。

 今年度、ここへ来る筈の第十六騎士団なら擦れ違うタイミングがたまたまオーガスタ要塞だったとしても不自然じゃない。それが向こうの策だと知らなかったら怪しいとも感じない。

 だったら、これを逆に利用してやろう。

 向こう……。いや、敵が王都での政権を握ったとしても、その体勢を完全に整えるまでは時間がかかる。

 だからこそ、こんな策を仕掛けてきた。第十六騎士団以外の兵力はオーガスタ要塞へすぐに送れないだろうし、送られても困る。こちらの勝ち目が無くなってしまう。

 そう、どうやらサビーネさんも解った様だね? 次の戦いで必要なのは何よりも行軍の速さだ。

 しかし、兵力は大きくなれば、大きくなるほど行軍速度は落ちる。

 二万もの兵力ではここからどんなに急いでもオーガスタ要塞まで二ヶ月半……。いや、三ヶ月はかかる。

 だけど、帰還兵団に一万五千。それをオーガスタ要塞手前の『トリオールの街』辺りまで進めておき、俺達が大義名分を手に入れた後に駆け付ければ……。

 くっくっくっ……。敵は有り難い事に絶好のチャンスを与えてくれた訳だ。妙な色気など出さなければ良かったものを……。

 でも、まあ……。これが俺の考え過ぎでいつもの嫌がらせの可能性は無くも無い。

 そこで先ほど言った通り、三ヶ月半が過ぎるか、オーガスタ要塞を越えてきた第十六騎士団と擦れ違ったら先に進んで構わない。旅程が遅れた分、叱責を王都で受けるだろうがその責任は俺が持つ』


 王都で政変なんて、何がどうなったらそこまで突飛な話へ飛ぶのか。

 それに関する説明は第十三騎士団が王都を出発する前の出来事まで遡る為に省く。


 今、重要なのは私達が居る現在地だ。

 ニート様からの指定は三ヶ月後にミルトン王国東部地方『トリオールの街』近辺に待機。


 ところが、前線であるネプルーズの街を発って、二ヶ月と二日目。

 私達は『トリオールの街』まであと半日もかからない地点で夕方を迎えていた。


 オーガスタ要塞は『トリオールの街』から一週間程度の道のり。

 ここに至るまで何度もの強行軍を耐え抜いた兵士達への褒美に『トリオールの街』到着後は五日間の休憩滞在を予定しているが、それを加味しても指定された日数より三週間も早く到着してしまっていた。


 だからと言って、『トリオールの街』に一ヶ月も滞在は出来ない。

 旅程が大幅に早まった分、それだけの蓄えは十分に有るが、確たる理由が無くては不自然が過ぎる。

 敵の策を利用するにはこちらが敵の罠に引っかかっていると見せかけねばならない。警戒を呼び、オーガスタ要塞に余計な兵も呼ばれてはこちらの勝ち目が少なくなる。


 しかし、私は一万五千の兵力を率いる指揮官として、出発当初の無様な有り様をとても放ってはおけなかった。

 ニート様からの密命は極秘中の極秘である。帰還兵団の誰もがあとは王都へ帰るだけと気楽に考えているだろうが、私達の戦いは終わっていない。


 むしろ、これからが本番と言える。

 兵が弱兵であっては満足に戦えない。精強さを維持しておく必要があった。


 だが、私の要求する水準が高かったのか、出発当初の混乱状態が酷すぎたのか。

 これ以上、旅程を早めるのは駄目だと解っていながらも皆のだらしなさに我慢がならず、ついつい強行軍を連発した挙句にとうとうここまで来てしまった。


「あはははは……。本当にどうしたら良いの?」


 自分の愚かさに顔が引きつり、乾いた笑みが零れる。

 今にして思えば、ニート様の傍を離れようとしないネーハイム殿は無理にしても、タムズ殿を秘密の共有者として同行させるべきだった。


 一応、秘密の共有者がこの帰還兵団にもう一人居るが、そいつは最初から思考を放棄した脳筋でまるで役に立たない。

 今回の一件も無駄だと思いながらも相談したら『難しい事は解らん! だから、姉御に任せた!』と即答で言い放ち、私へ丸投げしている。

 栄えあるオータク侯爵家騎士団の副団長でありながら情けない限り。その怪力から繰り出される武は非常に頼れるが、兵法というものを少しでも学んで欲しい。


 その点、タムズ殿は名を馳せた元冒険者なだけあって思慮深い人物だ。

 それにタムズ殿が居たら、モンスター退治を名目とした練兵が可能になり、日数を稼ぐ意味でも使えた。


 しかし、全ては後の祭り。

 こうなったら、ニート様の密命とは反対にオーガスタ要塞を一気に目指すと言うのはどうだろうか。


 そして、風病を装い、病気療養を名目に暫く滞在する。

 ここまで何度も語った通り、帰還兵団の指揮系統は私が居なくては機能が鈍い。必然的に私と一緒に駐留せざるを得ない。


 それと希望的観測をするなら、第十六騎士団もまた強行軍を交えての行軍を行っていない限り、オーガスタ要塞への到着はまだまだ先の筈。

 要塞の収容人数の関係上、こちらが先んじてしまえば、第十六騎士団は要塞外に野営する他は無いし、その目的を考えたら野営は本国側で行って、要塞を越えようとしないだろう。


 もし、オーガスタ要塞を越えたら、それはニート様の心配が杞憂に終わった証拠である。

 暫くは様子を見守り、『トリオールの街』の街を完全に越えるのを待ってから、私達は本国への帰還を再開しても問題は無いだろう。


 よし、この策でいこう。災い転じて、福となすだ。

 欠点を挙げるとするなら、今度はオーガスタ要塞へ一日でも早く到着しなければならない為、明日から予定していた『トリオールの街』での五日間の休憩滞在を中止しなければならない点か。


 明日から五日間の休憩滞在は兵士達へ既に三日も前から告知されており、それを誰もが楽しみにしているだろうと思ったら気が重い。

 今ですら、本来なら和気藹々としたピクニック気分の帰還路を地獄の強行軍に何度も変えて、兵士達から鬼だの、悪魔だのと密かに呼ばれている私の悪評が更に高まるのは間違いない。


 だが、これもニート様の為であり、ティラミスの為でもある。

 今一度、溜息を深々と漏らす一方で気持ちを切り替え、自然と下がっていた顔を上げたその時だった。


「サビーネ様も一日お疲れ様です!

 はい、今夜は豪華にお肉たっぷりのスープですよ!」


 明るく元気な声と共に今夜の夕飯が目の前に差し出され、暖かそうな湯気と一緒に上ってきたスープの匂いにお腹がクゥ~と音を鳴らした。




 ******




「あっ、美味しい……。

 でも、この鼻に抜けてくる香りは何かしら? 何て言うか、独特な香りね?」


 行軍の際に主食となる黒パンは岩の様に固い。

 頬張った途端、口の中の水分が瞬く間に奪われてしまう為、まずはスープを一掬いして飲むとこれが実に美味しい。


 特に一呼吸遅れて鼻腔を擽る柑橘類の様な香りが良い。

 肉がたっぷり入ったスープだけあって、脂もたっぷりと浮いているが、その香りのおかげで獣の脂臭さをちっとも感じさせない。


 しかし、私は残念ながら料理に疎い。

 その香りの正体が解らず、スープを調理しただろう隣に座る女性へ視線を向ける。


「それ、ゼイットって言うハーブです。

 お昼にトイレへ行った時、目の前に咲いていたんで採っておいたんですよ」

「えっ!? ……目の前?」

「はい……。

 ……って、ああ! もうっ、やだな。サビーネ様ったら……。

 フフ……。勿論、ちゃんと避けて採ってきましたから安心して下さい。私も食べるんだから当たり前じゃないですか」

「そう、そうよね。ごめんなさい」

「いいえ~」


 彼女の名前は『システィー・ネプルーズ・コミュショー』、その三つの名前と末尾の地名で解るようにニート様の新たな妾である。

 但し、新たなと言っても一年ほど前の事になる。ネプルーズの街のとある娼館で働いていた彼女をどうしても身請けしたいとニート様が訴え、ティラミスから一度は駄目だと断られるも諦めず、長々とした二通目、三通目の手紙を送った末にようやく許された経緯を持つ。


 癖の無い赤みがかった茶髪の長い髪を背中で結わえ垂らしており、ちょっとタレ目な青い瞳と左目元の泣きぼくろがチャームポイント。

 着痩せする上にゆったり目の服を好む為、普段の姿からは想像も付かないが、その実はエステルに次ぐスタイルの持ち主であり、元娼婦だけに閨での活躍は不動のトップを誇り、何も知らなかった私達に『あんな事』や『こんな事』どころか、『えっ!? 嘘っ!? そんな事までしちゃうの!』を教えてくれた先生だったする。


 今となっては互いに良好な関係を気づいているが、私も女である。それなりに嫉妬心は持っている。

 心の中を正直に語るなら、エステルの時もそうだったが、システィーがニート様の新たな妾に加わった当初は面白くなかったし、歓迎は出来なかった。


 だが、エステルも、システィーも良い娘だから困る。とても嫌いになれない。

 これが性悪だったり、浪費癖などの悪癖が有ったら、それを理由に追い出せたかも知れないが、エステルも、システィーもそうした部分が無い。


 例えば、この帰還兵団に加わっている事自体が正にそれだ。

 王都での政変はまだ疑惑の段階に過ぎず、ニート様は皆へ要らぬ心配をかけてはならないと仰り、帰還兵団の真の目的を知っているのはオータク侯爵家とコミュショー男爵家の最高幹部のみ。


 つまり、この帰還兵団に参加する。それは前線に残留するニート様と最低一年は会えない事を意味している。

 最悪、それっきりという可能性も否定は出来ない。前線では何が起こるかなど解らないし、特にニート様は陣頭に立つのを好むヒトだ。


 それがどんなに辛いかなど語るまでもない。

 実際、ミルトン王国戦線へ来てからの三年間。ティラミスからニート様へ届く手紙の中には書かれていないが、私宛へ届く手紙の中には日々の寂しさと不安が切々に語られていた。


 ところが、ニート様から本国へ帰還するか、前線に残留するかを問われ、エステルも、システィーも前者を選んだ。

 何故かと問いてみれば、ニート様の新しい妾として、奥様への、ティラミスへの挨拶を一日も早くする事こそが筋であり、礼儀だからと言うではないか。


 その答えに私は自分を恥じた。

 彼女達はニート様の妾であって、軍属では無い。必ずしも帰還兵団に加わる必要が無く、その立場を羨ましく感じていたからだ。


 もっとも、エステルは最終的に希望が取り下げられて、今も前線に残っている。

 これはニート様の身の回りの世話を行う者達の殆どが帰還兵団に組み込まれた為、その不足を補うのにメイドとしての能力に長けているエステルが選ばれたからである。


「わはははは! ちゃかぽこ、ちゃかぽこ!」

「おいおい、そんなペースで大丈夫か?」

「平気、平気! 明日は昼に街へ着くって話だ!」

「それに明日からは休みだしな!」

「それもそうだな! 明日からは休みだ!」

「おう! お前も飲め、飲め!」


 早速、まだ陽が落ちきっていないと言うのにお酒を飲み始めた連中が居るらしい。

 賑やかな声があちらこちらから聞こえてくる。つい先ほどまで疲労困憊に静まりきっていたが食事を始めた途端にこれである。


 しかし、周りの賑やかさとは裏腹に私の心は沈み、美味しい筈の食事の手がいつしか止まっていた。

 今頃、ニート様も夕飯を食べているのだろうか。エステルの事を思い出していたら、そう自然と思ってしまい、どうにも寂しくなってきた。


 三年前に王都を発って以来、傍に居るのが当たり前になり過ぎたせいか。

 別れてから既に二ヶ月も経っているのに寂しさは消えないどころか、日に日に増すと共に今の様にふとした時にニート様を想う時間が増えていた。


 ニート様と出会う以前、王都の大学へ通っていた頃の話。

 奥手な私は知り合い達の恋愛を横目に羨みながらも『男なんて、一生要らない』と強がり、無二の親友と生涯独身を誓い合ってさえもいた。


 その無二の親友が結婚したという話は届いていない。

 彼女が私とニート様の関係を知ったら、きっと大声で裏切り者と罵るに違いない。絶交宣言だって有り得る。


 だが、今の私は今の自分がちっとも嫌じゃない。

 どんなに罵られようが、彼女へ恋愛の素晴らしさを教えてあげたい。彼女にも幸せになって貰いたい。


 ただ、ニート様の元を離れた途端、この胸に巣食い始めた寂しさに困っていた。

 夜、寝ようと目を瞑れば、寂しさのあまり身体が勝手にキュンキュンと疼いて堪らなかった。


「ねぇ、シス……。」

「あの! サビーネ様!」

「んっ!? 何かしら?」

「明日からの五日間、お休みなんですよね!」


 その辺りをシスティーはどう折り合いを付けているのだろうか。

 ダイレクトに尋ねるのは憚りがある話題故、それとなく尋ねようと口を開きかけるも、システィーが先んじて言葉を被せてきた。


 つい先ほどまでの和やかな雰囲気とは打って変わり、いつになく強い口調と強い眼差し。

 その様子に目を軽く見開く一方、システィーが私以上の何かを悩み、その解決策を私へ求めて頼ってきた事を同時に悟り、自分の質問を飲み込んで更に続いた再確認の問いかけに返事も飲み込む。


 最早、明日から予定していた五日間の休憩滞在の中止は私の中で決定して揺るがない。

 兵士達への正式な通達は夕食が済んだ後に行う各大隊長を集めての会議後になるが、システィーへ今告げたところで問題は無い。


 しかし、言えない。とても言い出せなかった。

 こうも熱意を向けてくるのだ。周りの賑やかさを聞いていて感じたが、システィーもまた明日からの休日を楽しみにしていたのは疑いようがない。


「ああ……。うん……。それね。それなんだけれど……。」

「私に馬を! 馬を貸して頂けませんか!」

「はっ!? 馬? 馬なんか、どうして?」


 どうするかを悩んでいると、システィーは私の応えを待たずに脈絡の無い事を唐突に言い出した。

 システィーは遠乗りを楽しむ様な趣味は持っていない。何故、それが明日からの休日と結びつくのかが解らずに首を傾げる。


「実は……。その……。私の生まれ故郷が近くに……。

 ええっと……。名前の生まれはネプルーズになっていますけど……。

 本当は……。トリオールの街から歩いて、三日くらいの場所に在りまして……。

 まあ、十年前に何もかも焼かれちゃったんですけど……。

 でも、あれから十年……。村の誰かが……。もしかしたら、知り合いが戻ってきているかも……。

 だから、最後に一目だけでも見ておきたいんです。

 ニート様のご領地は遠い、遠いところと聞いています。もう二度と戻ってこれませんから。

 サビーネ様、お願いです! 馬を貸して下さい! 馬で急げば、五日で帰ってこれます! 出発までに必ず帰ってきますから行かせて下さい!」


 そんな私にシスティーは切々に訴えた。

 最初はたどたどしかった口調を次第に早くさせると、椅子から立ち上がったのを機に最後は捲し立てる様に。


 そして、それを聞き終えた瞬間、私の頭の中で閃きが走った。

 何故、システィーが偽名を用い、出身地を偽っていたかは解らない。今、問題にするべき点はそこじゃない。


 約十年前、オーガスタ要塞が陥落した直後、我が国の軍が巻き起こした大狂乱。

 あろう事か、敵対国とは言えども国を、平民を守る筈の軍が熱狂のままにオーガスタ要塞に近い幾つかの村が次々と焼き尽くして、その村々の住人達を虐殺する悲しい事件があった。


 今はその出自が証明されて、我が国の男爵位に叙せられているが、ニート様がその犠牲になりかけた一人だ。

 恐らく、システィーもそうなのだろう。女である事に加えて、当時の年齢を今の年齢から逆算して考えると、ネプルーズの街まで逃げ延びる道のりはさぞや苦難の連続だったに違いない。


 ニート様は昔の事を語ってはくれない。同郷のエステル共々、あまり良い思い出を持っていないらしい。

 ミルトン王国へ対する戦略が積極的攻勢から占領下統治へと切り替わった頃、ニート様の生まれ故郷である『ドゥーテイ村』を復興させるか、どうかの是非を一度だけ問いた時、もう昔の事だと短く言って捨てると、嘗ての村を復興するより新しい名前の村を造るのはどうかと聞き返してきた。


 他の村も『ドゥーテイ村』同様に主要街道から外れている事もあって、十年が経った今も復興は遂げていない。 

 一応、とうの昔に復興計画自体は立てられたが、話が会議で持ち上がる度にいつも予算の関係上で先送りされていると小耳に挟んだ記憶が有る。


 だったら、システィーの里帰りに私達も同行して、荒れ果てているだろう村を復興させるという案はどうだろうか。

 作業を一万五千人で行ったらあっという間に終えてしまう為、一万人は訓練を名目にトリオールの街に残して、敢えて五千人に限定する。これで二週間は簡単に時間が稼げる筈だ。


 無論、明日から五日間の休憩滞在も約束通りに実施する。

 これにシスティーの生まれ故郷への往復日数を合わせたら、ニート様から指定された三ヶ月の数字に達する。


 よし、これこそが最上策だ。下手な仮病を装う苦し紛れの策より断然に良い。

 村を復興させる理由としても、そこがシスティーの生まれ故郷であり、システィーがニート様の妾である二つの事実がもっともらしい口実になる。


「何故、それをもっと早く言わないの!」

「キャっ!?」

「あっ!? ごほんっ……。」


 その天啓とも言える考えの素晴らしさに興奮が過ぎた様だ。

 叫びながら椅子を蹴って立ち上がると、システィーは驚いて尻餅をつき、私の大声に周囲の注目が一斉に集った。


 頬が熱い。きっと今の私の顔は夕焼け空の下でも解るくらい紅く染まっているに違いない。

 これ見よがしの咳払いで皆の視線を散らした後、倒してしまった椅子に座り直すと、システィーへ椅子に座る様に右手で促す。


 確かにシスティーのお願いは上手い具合に天啓となり得たが、それはたまたまに過ぎない。

 本来なら、システィーのお願いは決して許されない浅慮なものである。それをきつく諭す必要があった。


「あなたと初めて会った時、私はこう言った筈よ?

 あなたが食べるもの、着ている服や身に着けている装飾品はニート様からの戴き物。

 そして、それ等の費用は領民達から得た税金で全て賄われている。だから、決して無駄な浪費を行ってはならないと」

「はい……。言われました」


 たちまちシスティーはしょんぼりと項垂れた。

 怒っているのだから当然と言ったら当然だが、反省するのはまだ早いし、馬を借りる事も出来ないと考えたのだろうが、話はまだ半分も済んでいない。


「話は最後まで聞きなさい。その時、私はこうも言った筈よ?

 ニート様の妾となった以上、誰もがあなたを見ている。あなたが思っている以上にあなたは注目されている。

 いつ、いかなる時もまず考えてから喋り、行動しなさい。あなたの恥はニート様の恥にもなるのだから、ニート様の妾として相応しい自覚を持ちなさいと。

 今回の場合、あなたはネプルーズの街を発つ前に自分の希望を、帰りの道中に生まれ故郷へどうしても立ち寄りたいとニート様へきちんと言うべきだった。

 そのチャンスが無かったとは言わせないわ。それにニート様だって、嫌とは言わない筈……。いいえ、喜んで応じるんじゃないかしら?

 まあ、あなたの事だから迷惑を自分の都合でかけるのはまずいと遠慮して、こんなギリギリになるまで言い出せなかったのでしょうが大きな間違いよ。

 今回は皆の頑張りもあって、旅程が大幅に早まっているから、その褒美に明日からの五日間を休みにしたけど、それが無かったらどうするつもりだったの?

 第一、馬を借りたいって……。まさか、一人で行く気? もしもの時はどうするの? あなたに何かが遭ったらニート様が悲しむと思わないの? とても一人でなんか行かせられないわ」


 小言を重ねてゆくと、システィーはすっかり意気消沈。

 辛うじて向けられていた上目遣いも伏せて、肩を次第に震わせ始め、とうとう堪えるも堪えきれない嗚咽にしゃくり上げ出す。


 ふと周囲を見渡せば、同情的な視線がシスティーへ集い、私には非難めいた視線が幾つも向けられている。

 私自身、心が苦しくて痛むがこれは必要な事であり、大事な事である。心を鬼にして、小言を更に重ねてゆく。


 綺羅びやかな世界に生きて、群がる男達に媚を売り、いかに金品を巻き上げようかと企む。

 勝手ながら私は娼婦という人種にこんなイメージを持っていた。それだけにニート様が娼婦を身請けすると言った時、猛烈に反対した。


 だが、システィーは違った。 五年ほど娼館で働いていたという割に先ほども言った通り、そう言ったところがちっとも無い。

 端的に言ったら、娼婦としての教育で礼儀作法は身に付いているが、娼婦になる以前の只の村娘の感覚が抜け切れていない。それは美徳であると同時にニート様の妾としては欠点である事も多々有り、今回の一件はそれに当たった。


 ちなみに、エステルはティミング卿に長らく仕えていた経験を持っている為だろう。

 アリサ様同様にメイド服を着て、使用人の真似事を行っている点は感心しないが、ニート様の妾としての感覚をしっかりと育てつつある。


「それともう一つ、里帰りがどうの以前の話。

 何故、出生を偽っていたのかは知らないけど……。ニート様だけには本当の事を打ち明けておくべきだったわ。

 ……と言うのも、この辺りはまだ戦時占領下の直轄領で陛下の代理人たるジュリアス殿下が治めているけど、その権限はニート様へ一任されているの。

 だけど、いずれは論功行賞が行われて、あなたが生まれ育った村を治める領主が決まるわ。

 その時、あなたが何らかの理由で村の出身者だと知られたとしたら、その領主はきっとこう考える筈よ。

 ニートなる男は妾を娶っておきながら、その出身の村への配慮を怠り、復興もせずに放っておいたとは義理に欠ける奴だ。あまり信用はしない方が良いかも知れないな。……ってね?」

「そ、そんなっ!? わ、私はっ!?」


 システィーが伏せていた顔を勢い良く跳ね上げる。

 その顔は涙に濡れているばかりか、鼻水まで垂らしており、せっかく美貌が台無し。


「ええ、あなたにそのつもりが無かったのは解っているわ。

 でも、貴族の妾になるという事はそういう事なの。良く覚えておきなさい」

「はい……。」


 しかし、そうまで反省したのだから、己の浅慮がニート様を評判を下げかけたのは解ってくれた筈だ。

 贅沢を言うなら、ここは皆の目が有る。鼻水を垂らしてしまう無様な姿は晒して欲しく無かったが、それを窘めるのは今度の機会にしておこう。


「だから、私も一緒に行くわ」

「えっ!?」

「それとも、私が一緒だと嫌かしら?」

「まさか! 是非、是非!

 うちの村、あまり知られていませんけど温泉が有るんですよ! きっと気に入って貰えます!」

「温泉か……。それは楽しみになってきたわね」


 今の私に出来る事は只一つ。

 軍服の胸ポケットからハンカチを取り出して、皆が気づいてしまう前にシスティーの涙と鼻水を手早く拭ってあげる事だけだった。




 ******




 結論から言うと、さすがはニート様だ。

 私達がシスティーの生まれ故郷へ足を運ぶと、そこにあったのは大量の建材だった。


 どうやら、ニート様はシスティーを妾にした時点で既にシスティーの生まれ故郷の村に復興支援を密かに行っていたらしい。

 但し、復興の為の建材は支援が出来ても人員は用意が出来なかった為、建材の大半が手付かずのまま。生まれ故郷へ戻ってきた三十人ほどの村人達の手で遅々とながらも復興が進んでいた。


 ちなみに、ニート様がシスティーの生まれ故郷の村を知り得ていた疑問に関して。

 改めて紹介すると、システィーの名前は『システィー・ネプルーズ・コミュショー』である。

 出自を表す箇所がミルトン王国中部地方のネプルーズの街になっており、私はシスティーがその実はミルトン王国東部地方の出身地というのさえも知らなかった。


 その理由について尋ねると、システィーは少し言い辛そうにこう応えてくれた。

 娼婦になりたくて、娼婦になった者はまず居ない。大抵は何らかの理由で強いられて、娼婦は娼婦になる。


 だから、娼婦は自分の過去を語りたがらない。

 娼婦は過去を捨てて生まれ変わるという意味で名前を変えるのが娼婦になる際の風習なのだとか。


 つまり、実は『システィー』という名前すらも真実の名前では無い。

 真実の名前を知るのはシスティー自身のみであり、ニート様にすら真実の名前を明かしていない。そう断言して、システィーはこう続けて語った。


 ニート様が馴染みの客になりかけていた頃の出来事。

 職業柄上、お酒は飲みなれているが、お酒自体はあまり好きではないシスティーは前後不覚になるほど飲んだ事は一度も無かった。

 しかし、ニート様が差し入れてくれたお酒が美味しくて、ついつい仕事を忘れて飲んでしまい、その時の記憶が完全に飛ぶほど酔っ払った経験が一度だけ有った。もしかしたら、その時に口を滑らせたのかも知れないと。


 それが正解なのか、今すぐに確かめる術は無い。

 だが、システィーはそうに違いないと決めつけて、酔っぱらいの戯言かも知れなければ、客の気を惹く為の作り話かも知れなかった自分の告白をニート様が信じてくれて、それをちゃんと憶えてくれていた事実を感激しまくり。


 その上、抑えていたニート様熱を再燃。

 暫くの間、昼は事ある毎にニート様、ニート様と五月蝿く、夜は夜で寝ている私のすぐ隣で身じろいをもぞもぞとさせながらニート様の名前と一緒にあん、あんと喘いで五月蝿くて仕方なかった。




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