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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十五章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 暗雲編 上
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幕間 その2 ミント視点




 急遽、ショコラとハイレディンが王都より旅立った翌日の夜。ニートが急な第十三騎士団残留計画に頭を悩ませている頃。

 インランド王国の王城奥にて、第二王女『ミント』は今年も最愛の兄が帰国しない現実に不満と苛立ちを募らせて、今夜もなかなか寝付けずにいた。




 ******




「ふぅ……。気持ち良い風ぇ~」


 テラスの手摺りに両肘を乗せながら上半身を保たれ、人々の営みの灯火が疎らになりつつある王都の夜景を楽しむ。

 夜空を見上げてみれば、雲がゆっくりと流れて、双月の月明かりを見え隠れさせており、世界を気まぐれに照らしている。


 ここ、王城は大きく分けると、東宮、西宮、南宮、北宮の四つの宮殿が建っている。

 それぞれが独立した宮殿で内壁によって区切られており、王城の出入口から南宮、東宮、西宮、北宮の順に繋がっている。

 南宮は行政府が、東宮は近衛騎士団本部とこの王城で働く使用人達の宿舎が、西宮は王族の住居が、北宮は国王の側室達が住まう後宮が在り、警備の厳しさは当然の事ながら奥へ行くほどに厳重となり、それと共にヒトを見かける姿も少なくなってゆく。


 それこそ、最奥の北宮となったらヒトは全く見かけない。

 これは国王であるお父様が側室を今現在は持っておらず、北宮が事実上の閉鎖状態である為だ。


 警備だって、西宮と北宮を繋ぐ渡り廊下のみ。

 側室達が五十人は軽く暮らせて、見事な噴水と四季の草花を愛でられる庭園を持つ巨大な宮殿が賑わいを見せるのは半年に一度行われる大掃除の時だけ。


 しかし、その北宮に私は専属のメイドと二人っきり。居を構えていた。

 それも奥の奥、端の端、外の景色くらいは賑やかにと王城の外壁より高い四階の部屋に。


 従って、お風呂上がりの火照った身体を冷ます為、こんな風にテラスへ全裸で出ていても問題は無い。

 望遠鏡でも持っていない限り、私の姿など王城の景色に溶け込んでしまうし、こんな夜更けにここをピンポイントで覗いている者など居ない筈だ。 

 もし、私の姿を偶然に捉えたとしたら、それくらいの幸運は許してやっても構わない。嫁入り前の身体だが、見られて恥ずかしい様な身体はしていない。


「もう夏が近いとは言え、湯冷めを致します。さあ、お召し物を着て、中へお入り下さい」


 むしろ、問題が有るとしたら、それはすぐ近くに有る。

 そろそろ言ってくるかなと思ったら、案の定だった。背後に控えていたメイドが歩み寄り、私の足元に両膝を突いて跪く。


 これはパンツを履かせるから両足を肩幅に開けという合図である。

 その気遣いは嬉しいがメイドは解っていない。普段、厳重に隠し守っている股間を無防備に曝け出して、その隙間を夜風が通り過ぎてゆくのが心地良く、まだまだ堪能したりないと言うのに。


 ちなみに、この様な人気が無い寂しい場所に専属のメイドと二人っきりで居を構えているのには勿論理由が有る。

 結論から先に言うと、それは国王であるお父様に命じられてだ。


 ご存知の通り、我がインランド王国は後継者問題という大きな難問を長年に渡って抱えている。

 それに伴う貴族達の派閥争いはメレディアお姉様とジェスターお兄様の二人が生まれた時に芽を出して、私が物心を付いた頃はもう本格化していたらしい。


 しかし、まだ幼かった頃の私はそれにちっとも気付けなかった。

 三歳、四歳の子供にそれを気付けと言うのは無理が有るが、私は気付かなければならなかった。

 ある稀有な特殊事情を持つ私はそれに気付けるだけの聡明さを幼くして既に先取りして持っていたのだから。


 ところが、当時の私はお母様に褒められるのが嬉しくて、その先取りした聡明さをこれでもかとひけらかしてしまった。

 手間要らず、躾要らずの聞き分けの良い子供ぶりを見せて、誰に教わった訳でも無いのに読み書き、計算が出来る様になるのは勿論の事、大人ですら難解な魔術書を読み解いて、その習得にまで至った。


 もっとも、魔術の素質は別として、それ等は先取りした聡明さに過ぎない。

 いずれは頭打ちになってしまう紛い物だったが、それは私を神輿とする新たな派閥が誕生してしまう危機感をお父様に覚えさせるには十分過ぎるモノだった。


 その結果、私は成人するまで人前に出る事を禁じられた。

 可能な限り、お母様の傍に居る事を命じられ、西宮から出る時はお父様とお母様のどちらかが私に必ず付き添う様になった。


 無論、魔術の使用は厳禁である。

 私の教育はお父様が最も信頼する家臣であるこの国の宰相にして、筆頭宮廷魔術師を務める『ホォルーダ伯爵』一人が多忙な合間を縫って務める事となり、その全てが秘密裏に行われる様になった。


「ミント様?」

「んっ……。」

「はい、何でしょう?」


 メイドが私を見上げながら、その表情に戸惑いを浮かべる。

 私が振り返って向き合ったにも関わらず、肝心の両足をいつまで経っても肩幅に開こうとしない私を不思議に思ったのだろう。

 そんな彼女の目の前に返した右手の人差し指を置いて、二度、三度と手招き。無言のままに立ち上がれと合図を出す。


 お父様の目論見は見事に成功した。

 今や、私に興味を持っている者は一人も居ない。

 成人した王族は陳情を受け付ける為、南宮にそれぞれ設けられた謁見室で控えていなければならない義務が有るが、私はお茶だけを飲んで帰ってくる毎日である。


 最近、多い縁談だって、その嫁ぎ先は他国ばかり。

 将来の禍根となり得る私を早く厄介払いしたい魂胆がみえみえだった。


 私に価値を見出すとするのなら、私がお父様のお気に入りという点くらいか。

 お父様はおねだりした訳でもないのにドレスや装飾品を事ある毎に与えてくれ、メレディアお姉様が『私の時とは全然違う! ミントは狡い!』と愚痴るほど私になにかと甘い。


 しかし、その甘さは私を『箱入り娘』化させる目論見で演じた親バカぶりも含まれている。

 そんなものはメレディアお姉様やジェスターお兄様、ジュリアスお兄様が自ら成し遂げた数々の国益と比べたら無価値に等しい。


 時たま、この現状を心苦しそうにお父様とお母様が謝罪してくるが、私としてはこれで大正解である。

 日々、お父様の苦労を間近で見ている身としては政治も、軍事も携わりたいとはちっとも思わない。ノーサンキューだ。


 午前中はお茶をのんびりと飲み、午後からは趣味のお料理か、魔術の研究。夜、眠くなったら寝る。

 王族だからこそ、人並み以上の生活を許されている身としては心苦しさを少し覚えるが、今の自由気ままな生活は捨て難い。


 それに今の立場が在るからこそ、私はこの世間と隔絶した北宮に住んでいられる。

 ここに居れば、変な目で見られたりしない。この世界の異端者たる私はここでしか生きられないのだから。


 私がこの北宮で暮らす様になったのは十三歳の冬頃から。

 それまでは人前に出る事を禁じられはしたが、お母様と一緒に西宮で暮らしていた。


 だが、十三歳の冬。

 毎年、冬になると訪れていた避寒地『ワイハ』で私は運命と出会い、この北宮に居を移しざるを得なくなった。


「えっ!? ……んんっ!?」


 メイドが立ち上がった瞬間を狙い、その腰を素早く抱いて引き寄せる。

 同時にメイドを中心に立ち位置をくるりと回って入れ替え、目を白黒させながらも非難を何か訴えようと開きかけたメイドの口に唇を重ねた上に舌を差し入れて強引に黙らせる。


 すぐさまメイドは私を押しのけようと藻掻くが、それは無駄な努力というもの。

 背を手摺りに押し付けられて、上半身を仰け反らせながら踵を上げた体勢では踏ん張りが効かず、声にならない叫びをあげる際の荒い鼻息だけが私の頬を擽る。


 そう、私は物心付いた頃から男性にこれっぽっちも興味が持てない同性愛者だ。

 これも実は前述の稀有な特殊事情が深く関係しており、私なりにずっとひた隠してきたつもりだったが、お母様にはとっくにバレていたらしい。


 十三歳の冬にカミングアウトをした際、お母様から『今更?』という言葉と共にこれでもかと深い溜息を返された。

 おまけに、メイド達のスカートの中に潜るのは止めろだの、我が子ながらお風呂へ一緒に入った時の目が怖かっただの、とても有り難いお説教もたくさん貰った。


 しかし、この性癖が北宮に住んでいる理由では無い。

 今挙げたお母様の反応で解る通り、理解を示してくれる者は少ないながらも居る。世間的に少数派の為に市民権は得ていないが、異端者と呼ばれるほどでは無い。


 モラルを説く七大教会の各聖典も祝福はしていないが禁忌もしていない。

 それどころか、表沙汰にこそはならないが、教会や軍隊などの同性率が大きく偏った場所では同性愛者が多いと聞く。


 では、何を以って、私は異端者なのか。

 実を言うと、その最たる理由は私より目の前に有った。


「フフッ……。さてさて、どうしよっか?

 誰かさんはさっさと着替えて、もう寝ろって言っていたけど……。どうしよっかなぁ~?」


 メイドが抵抗を次第に弱めてゆき、遂に身体を脱力させる。

 これで軍配は上がったも同然。唇を離して、笑みをニヤニヤと浮かべながら腕の中の勝ち取った戦果を目でじっくり、ねっとりと上から下まで愉しむ。


 月明かりを集めて、色情に濡れて光る虹彩。

 ホワイトブリムの奥に見え隠れして震える黒い短毛に覆われた尖った耳。

 メイド服の膝上十五センチのミニスカートをたくし上げるほどに逆立った黒い尻尾。


 このヒトが持たない三つの特徴を挙げたら解るだろう。

 彼女の名前は『ミーヤ』、私より二歳年上の黒髪、黒目の猫族の女性である。


 私は猫が好きだ。めちゃめちゃ大好きだ。

 ここへ来たら餌が貰えると知って、既に数多くの野良猫達が北宮に住み着いているが、まだまだ満足が出来ない。いつか、この北宮を猫で満たして、猫にゃん王国を建設したいくらい大好きだ。


 私は女の子が好きだ。めちゃめちゃ大好きだ。

 腕を組んだり、抱き合ったり、胸を揉み合ったり、女の子同士なら当たり前のスキンシップですら表向きは平静を装っているが、その実は胸がドキドキと弾み、たまにパンツがヤバい事になってしまうほど大好きだ。


 猫と女の子、その二つが合わさったら、それはもう奇跡のコラボレーションと言うしかない。

 特にミーヤは私の好みにばっちり合っており、そのちょっとキツめな容姿も、その真面目でクールな性格も、全てが愛おしくて堪らない。


 ところが、この奇跡のコラボレーションを私はミーヤと初めて出会うまで知らなかった。

 エルフやドワーフ、獣人といった生まれながらにして奴隷の存在は知っていたが、その姿は人間とかけ離れたものだと漠然と思っていた。


 例えば、猫が二足歩行をして、そのサイズがヒトと同じだったら、それはもう化け猫だ。

 猫は小さいから可愛いのであって、大きい猫はと言うか、虎はいかに猫好きの私でも怖いし、とても愛せない。


 だが、真実は違った。

 猫族と言っても内面的な違いは多々あれど、ヒトとの見た目の違いは先ほど特徴で挙げた三点くらい。正しく、猫とヒトのいいとこ取りである。


 どうして、こんな勘違いをしていたのか。

 それはこの王城には奴隷が一人たりとも存在せず、ただ単純にその姿を実際に一度も見た事が無かったからだ。


 王城は原則的に男爵の爵位以上の者しか入退場を許されていない。

 王族に仕える使用人達と王族を守る近衛騎士団はその全てが貴族子弟で構成されており、余所なら奴隷が担うトイレ掃除や糞尿の運搬回収作業の様なきつい、汚い、危険な役目も彼等が担っている。

 時たま、お父様やお母様に連れられて外出した際は近衛騎士団が周囲を厳重に守り、奴隷どころか、平民ですら徹底して近づけさせない。視界の端にようやく見かける程度だ。


 しかし、避寒で訪れるワイハは非日常のリゾート地。

 近衛騎士団だって、浮かれもする。警備が少しくらい緩んでしまうのも仕方が無い。


 ましてや、私達王族が滞在する屋敷はワイハすぐ傍の小島に在り、周囲全てがプライベートビーチになっている。

 広大な海を隙間無く警備しろと言うのは無理が有り、その日の朝に私がたまたま誰よりも早起きして、浜辺を暇潰しに散歩していたという偶然も重なって、本来なら運命が交じり合う筈が無かった私とミーヤは出会った。


「そ、そんな……。」

「んっ!? あれ? あれあれ? あれぇ~~?」

「ち、違います! ち、違いますから!」


 私が眺めているだけで次の行動に移そうとしないのを焦れたのだろう。

 先ほどまでの激しい抵抗ぶりは何処へやら、ミーヤが私をきつく抱きしめながら身悶え、その耳元で囁かれた甘くも切なそうな声に背筋がゾクゾクと震え、胸がキュンキュンと高鳴る。


 その上、右足の爪先を手摺りの下柵に置いて、持ち上げた左膝をミーヤの両脚の間に割り入れてみれば、なんとミーヤはスカートの中でパンツを密かにお湿りさせているではないか。

 思わず眉を跳ね上げさせると、ミーヤは間近に見える白い首筋を真っ赤に染めながら首を左右にイヤイヤと振り、その羞恥に耐える姿に口の端を吊り上げたニヤリとした笑みが零れ、私自身も身体の芯から加速的に湧き出るモノを感じる。


 私自身、女だから断言が出来る。

 キスをした程度でこうもお漏らしをしたかの様なお湿り具合はならない。


 これはミーヤがかなり前から今の状況を期待していた確かな証拠だ。

 きっと私の入浴の世話を行いながら、その一方で今の状況を想像して、身体を火照らせていたに違いない。


 何処で生まれ、何処から来たのか。

 それはミーヤ本人ですら解らない。生まれ育った地はただ『里』と呼ばれ、森の奥深く山間の地にひっそりと在ったらしい。


 住人は獣人のみ。人口は二百人程度。

 各世代が満遍なく居り、老人も、赤ちゃんも居たとの事だから、数世代は続いた隠れ里だったのだろう。

 ヒトへ対する恐怖を物心付いた頃から徹底的に教え込まれ、ヒトへ対する監視網も有ったとの事だが、大規模な奴隷狩りを襲われ、その里は壊滅。住人のほぼ全員が捕らえられてしまう。


 奴隷商人の手によって、親兄弟、親戚、知り合いが次々と売られてゆく中、ミーヤが幸運だったのは幼さを少し残しながらも将来に期待が十分に持てる容姿の持ち主であり、まだ生娘だったところだ。

 奴隷商人はミーヤを即座に売ろうとせず、より価値を高めようと最低限の教養と礼儀作法を学ばせると、右足を鎖で繋がれた監禁生活ではあるが、衣食の待遇面は話を聞く限りでは奴隷としては上等なものが与えられている。


 その教育期間が二年ほど続いた後、ミーヤは『タチバナ侯爵』なる中年の貴族に買われている。

 この『タチバナ侯爵』に関して、かなり遠方の国の貴族と思われる。残念ながら先生から暗記を強要された周辺諸国の貴族家名の中には見当たらない。

 ミーヤ曰く、買われた後は各地を船旅で転々として、寄港先では数週間程度の滞在をしていたとの事だから、我が国の様に海を持つ国の外交官を務めていたのではなかろうかと推測が出来る。


 何にせよ、何処の誰だかを知る術はもう無い。

 その『タチバナ侯爵』なる中年の貴族に一年ほど仕えて、ミーヤの心に忠誠が生まれかけた頃、大海原のど真ん中でモンスターの襲撃に遭い、乗っていた船が沈没。ミーヤは海へ投げ出されてしまう。


 その後、船の残骸に掴まりながら海を漂流して、飲まず食わずの一週間。

 ミーヤがもう駄目だと死を受け入れて、船の残骸を意識と共に手放してしまうが、ワイハの私達王族が滞在する小島へ運良く漂着。たまたま早起きして、浜辺を散歩していた私に発見された。


 今度こそ、私が北宮に住んでいる理由が解った筈だ。

 本来なら、王城に存在してはならない奴隷を、それも獣人のミーヤを私の傍に置く為である。


 言うまでもなく、その結論に至るまですったもんだの大揉めがあった。

 お母様は溜息を漏らしながらも仕方が無いとすぐに認めてくれたが、お父様は猛反対した。朝から晩まで、お願い、駄目、お願い、駄目、お願い、駄目の繰り返し。


 なにせ、ヒトにとって、奴隷はモノであり、普通はモノへ愛情を注ごうとする者は居ない。

 そのモノへ愛情を注ぎ、建国以来の慣例を破ろうというのだから、お父様の気持ちは理解が出来たが、私は譲らなかった。


 私とお父様の言い争いはワイハから王都へ戻ってきても続き、最終的にお父様が折れる形で決着が着いた。

 人前に出る事を禁じられている私がミーヤの仮住まいとなった先生の屋敷へ日参していては意味が無かった為だ。


 ただ、ミーヤが私をどう想っているか。

 出会ってから八年、こんな唇を付けたところはお互いに何処も無い関係になってから五年が経ちながらも今の生活が心地良さ過ぎて、それが怖くて問えない。

 

 行き場が無かったミーヤに生きる術と住む場所を与えたと言ったら聞こえは良いが、裏を返したら弱みに付け込んだに過ぎない。

 あまつさえ、ジュリアスお兄様がトーリノ関門へ赴任した際、私はその寂しさを埋めようとミーヤの肌に手を付けている。女同士の関係について、ミーヤがどんな考えを持っているのかを聞かないままに。


 余談だが、ミーヤの『初めて』は私が頂いたと明言しておこう。

 ミーヤが奴隷商人から与えられた教育の中にはそっち方面の技と知識も有ったが、どうやら『タチバナ侯爵』なる中年の貴族はとても紳士だったらしい。


「はいはい、そうだね。違うね、違うよねっと」

「ふにゃっ!?」

「くふふっ! 可愛い声!」


 右手をミーヤのスカートの中へ差し入れて、まずはお尻をパンツの上から一揉み、二揉み。

 続けて、その私が持っていない尻尾の付け根を軽く握り締めると、ミーヤは足の爪先から背筋、首筋、手の指先まで真っ直ぐにピーンと跳ねさせた。


 猫族にとって、尻尾はバランスを取る大事な場所である。

 尻尾が有るからこそ、人間より秀でた跳躍力を活かして、高所での歩行を思うがままに可能とする。


 その為、猫族は他者に尻尾を絶対に触らせない。

 特に尻尾の付け根はとても敏感な場所であり、親兄弟ですら触らせないものなのだとか。


 なにしろ、軽く一握りしただけでこの反応だ。

 そのとても敏感な場所を握るどころか、握りに強弱をつけながら上下に擦ったら、ミーヤはマタタビを嗅いだ以上にアヘアヘのヘロヘロになってしまう。


「はううっ……。ミ、ミントしゃまぁ~~……。」

「たっぷり可愛がってあげるからね!」

「ら、らめぇ~~……。」


 しかし、ミーヤがソレを望むのなら私も吝かではない。

 その涙をうるうると潤ませかけている瞳の中にミーヤの覚悟を感じて決断する。


 身体を強張らせながらも首先を左右にダメダメと微かに、懸命に振っている様な気もするがきっと気の所為に違いない。

 一緒に暮らしている私が言うのだから、そうに決まっている。


「はい! 早速の一らめぇを頂きました!

 ミーヤ選手、今夜は新記録に挑戦です! ……って、んっ!?」


 だが、ソレをいざ実行しようとして、その手を直前で止める。

 ふと視界の端、眼下の城壁の向こう側にある北公園の林の中に小さな明かりを見つけて。


 こんな夜更けに誰だろう、何だろう。

 そう考えて、その答えをすぐに思い当り、もう一ヶ月が経ったのかと感慨にふける。


 王城の北、城壁を隔てて隣接して在る北公園。

 正式な名称は『王立戦勝記念公園』であり、その名が示す通りに我がインランド王国が滅ぼした国々の名前と日付が刻まれた記念碑が彼方此方に建ち並ぶ場所として有名だが、そこは王家の墓地でもある。


 その墓地がある区画の端の端にジュリアスお兄様の実母の分骨されたお墓が在る。

 本来は王族と歴代国王の正妃のみが眠る事を許された墓地だが、お父様たっての願いにより建てられている。

 特例中の特例である為、他の墓碑と比べたら装飾はされておらず、とても小さくて、知らない者にはただの角石にしか見えないが、その名が確かに刻まれている。


 そして、今日はジュリアスお兄様の実母の月命日。

 あの小さな明かりの正体はお墓参り中のお父様が持つ燭台の灯火だ。


 私が知っている限り、何らかの所用で王都を離れている時以外、お父様は祥月命日のお墓参りは勿論の事、月命日のお墓参りを欠かした事が無い。

 どんなに悪天候であろうと、どんなに仕事が忙しくて夜遅くなろうが、その夜はお墓参りへ必ず赴く。歴代の王族の誰かか、この北宮に住んでいた側室の誰かが城壁をこつこつと削り掘って作ったと思われる大人一人が四つん這いになって辛うじて通れる藪の中に隠された古びた秘密の抜け穴を使って。


 北公園は王城ほどでないにしろ、その周囲を越えるには高い壁で囲まれており、王都の各城門が閉ざされると同時に閉園する。

 閉園後の北公園を自由に歩ける者が居るとしたら、それは北公園を管理している家の者達だが、その者達が住む屋敷は墓地が在る区画とは随分と離れている。


 また、あの小さな明かりはこのテラスを中心とした狭い範囲からしか見えない。

 一般の入場が禁止されている墓地区画は立入禁止の目安に林で囲まれており、少しでも位置と角度がズレてしまうと林の木々が邪魔をする。


 それに自分自身の影響力を考えてだろう。

 一回、一部始終をこっそりと覗いた事があるが、お父様はこのお墓参りを秘密裏に行っている感が見て取れた。

 お墓参りを行うのは夜更けに、西宮を夜間巡回している近衛騎士達の隙を突いて行われ、前述の北公園へ抜ける秘密の抜け穴を通るまで小走り、その間は燭台に明かりを灯さないところから間違いない。


 それだけに日付は解っていても、いつ訪れるかはお父様次第のタイミングを考えたら、このお父様の習慣を発見するのは偶然でも難しい。

 事実、最も発見率が高い私ですら、あの小さな明かりを見つけたのはこの北宮に住んで一年以上が経過してからだ。


 恐らく、このお父様の習慣を知っているのは私とお母様の二人のみ。

 お母様はお父様と寝室を今でも共にしている。雨が降っていたら濡れて帰ってくるお父様を知らない筈が無い。


 ジュリアスお兄様は知らないらしい。

 以前、それとなく濁して尋ねてみたが、知っている様子は感じられなかった。


「ど、どうしたんですか? や、やるならひとおもいに……。じ、焦らさないで下さい」

「ごめん、ごめん……。ぇっ!?」


 ところが、今夜はその場所にお父様以外のもう一人が現れた。

 たまたま夜空の雲が晴れて、その姿が月明かりの下にはっきりと見えた。


 しかも、銀閃が真っ直ぐに走ったかと思ったら、お父様がその場にゆっくりと崩れ落ちてゆく。

 その際、手に持っていた燭台を落としたのだろう。数拍の間を置いて、周囲を淡く照らしていた明かりが小さくなって消えてゆく。


 それが意味するモノはたったひとつ。

 驚きのあまり思わず息を飲みながらも悲鳴をあげなかった自分を褒めたい。


 しかし、こちらからあちらが見えると言う事はあちらからもこちらが見えるという事だ。

 即座にミーヤの両肩を力強く掴み、その場へしゃがみ込む。


 その姿を見たのは遠目にほんの数瞬。それも燭台の灯火が消えた後の月明かりの下だったが、あの特徴的なシルエットはジェスターお兄様で間違いない。

 ジェスターお兄様は武芸の達人だけあって、勘も良ければ、気配にも鋭い。距離がかなり離れているからと言って、姿を隠したからと言って、とても安心は出来ない。


 怖かった。怖くて、怖くて堪らなかった。

 身体がブルブルと震えて、歯がカチカチと鳴り、それをジェスターお兄様に気付かれまいと必死に堪らえようとするも堪えきれず、恐怖の上に焦燥までもが加わり始めたその時だった。


「ミント様、大丈夫です。私が居ます。

 だから、落ち着いて、何があったか仰って下さい。私はミント様の為なら何でも致します」


 その只ならぬ様子に何かを悟ったミーヤの両手が私の背中に回り、引き寄せられた私の顔がミーアの胸の中にふわりと優しく包まれる。

 穏やかにトクン、トクンとリズムを刻んでいる間近の音に落ち着きが心にゆっくりと染み渡ってゆき、それと共に冷静さも取り戻してゆく。


 この温もりを失いたくは無かった。

 失いたくは無いからこそ、私は即座に決断した。


 ジェスターお兄様の目的は明白だ。王位の簒奪に他ならない。

 どうして、今というタイミングを選んだのか、もっと別の方法は無かったのか、王位など親殺しという業を背負ってまで価値が有るものなのか。疑問は多々有るが、それ等を考えている暇は無い。


 既に事は起こってしまったが、今はもう夜更け。

 お父様の死が世間に明るみとなり、ジェスターお兄様が王位に就くのは明日になるだろうが、ジェスターお兄様はすぐにでも私の元を訪れるだろう。


 ジェスターお兄様にとって、私は邪魔な存在でしかない。

 その力を持っていなくても、その意思を持っていなくても、王族の身分を持っている以上、それは小さくても立派な反乱の芽となり得る。


 ジェスターお兄様の性格を考えると、いきなり殺したりはしない筈だ。

 今とは比較にならない厳重な監視下に置かれ、北宮と西宮どころか、定められた一室から出れない窮屈な幽閉生活は少なくとも強いられる。


 だが、結局のところは近い将来に死が待っている。

 これが正式な手段で手に入れた王位なら話はまだ違ってくるが、何であろうと悪事に手を染めた者は猜疑心が強くなる。

 自分が非合法を用いてしまった以上、自分もまた非合法を用いられるのを恐れるようになり、私はいずれ毒殺でもされるだろう。


 もし、生き続ける努力を行うとしたら、何も持たない私が差し出せるのはこの身体しか無い。

 自分で言うのも何だが、容姿とスタイルには自信が有る。前述でも語ったある稀有な特殊事情により私は女でありながらも男がどんな女の仕草や態度を好み、或いは弱いかを知っており、ジェスターお兄様は無理でも、ジェスターお兄様に影響を持つ近しい者を虜にする自信も有る。


 しかし、男に抱かれるなんて冗談じゃない。考えただけで怖気が走り、反吐が出る。

 いつかは王族の義務に従って、何処ぞの男性の元へ嫁ぎ、その者の子供を最低でも一人は生まなければならない未来を覚悟していたが、自分自身の為なら話は別だ。


 自分自身の捻じ曲げて生きる努力をするくらいなら、私はジェスターお兄様と対峙した上で生きる努力を選ぶ。

 何の力も持っていない私でもたった一つだけ出来る事が有る。今はそれがどんなに細い糸だとしても必ずや太い活路になると信じて、私は決断した。


「なら、聞いて……。

 たった今、お父様がジェスターお兄様に殺されたわ」


 名残惜しいが、私に残された時間は少ない。

 いつまでも感じていたかった温もりの中から離れ、ミーヤの目を真っ直ぐに見据えながら今先ほど見た衝撃の事実を告げる。


「なっ!?」

「だから、お願い。今すぐ、この件をオータク侯爵家へ届けて頂戴。

 私には無理でも、猫族の貴女なら私の魔術で身体強化を施せば、あの城壁だって越えられる筈。出来るわよね?」

「はい、解りました。お任せ下さい」


 当然、ミーヤは驚きのあまり息を飲んで絶句する。

 だが、風雲急を告げる事態に驚いている暇すら無いと理解して、私の要求に驚きも、何もかも全てを飲み込み、真剣な面持ちで力強く頷いてくれた。


 次期王位争奪戦について、私は誰かに協力を仰がれたとしても関与するつもりは毛頭無かった。

 母親は違えども私達は同じ兄弟であり、その一点においては平等である為、誰か一人に肩入れしたら公平でないと考えていたからだ。


 しかし、何事にも序列がある様に同じ兄弟でも私の中には序列が有る。

 この場合、親愛の序列か。兄弟の中で最も親しいのは誰かと言ったら、私はジュリアスお兄様を真っ先に挙げる。


 いや、この際だから心の内をはっきりと明かそう。

 私にとって、見た目は美少女でありながら身体は男性のジュリアスお兄様は理想の相手であり、初恋の相手でもある。


 私はジュリアスお兄様を愛しちゃっている。

 眠れない夜、ジュリアスお兄様を想いながら火照った身体を一人で慰めた回数は数えきれない。


 ジュリアスお兄様が私を抱きたいと望んでくれるのなら、私は今すぐにでも処女を捧げる覚悟が有る。

 贅沢を言うなら、その時は女装をしてくれたら天に昇るほど嬉しい。ジュリアスお兄様なら間違いなく可愛いに決っているし、私も張り切っちゃう。


 ところが、悲しいかな私達は兄妹だ。

 ジュリアスお兄様は私が同性愛者である事を理解してくれているが、それ以上を望む事は出来ない。

 それ以上を望んだ結果、ジュリアスお兄様の心から私が離れてしまうくらいなら、軽いキスは冗談半分で交わせる今の関係のままが良い。


 だから、私はお兄様の味方をする事に決めた。

 ジェスターお兄様にとって、ジュリアスお兄様は私以上に邪魔な存在である。絶対に生かしておく筈が無い。


 幸いにして、ジュリアスお兄様は遥か遠くの地に居り、今は大軍を率いている。

 その大軍を以って、この王都へ攻め入り、ジュリアスお兄様がジェスターお兄様を打倒さえしたら全てが丸く収まる。


 勿論、それがどんなに険しくも困難な道のりかくらいは承知している。

 この王都を守る兵力だけを比べても、ジュリアスお兄様が率いている兵力の数倍はあり、その指揮を執るのが軍事の天才と言われるジェスターお兄様なのだから。


 だが、可能性は決してゼロでは無い。

 それにジュリアスお兄様の元にはあの穀潰し野郎が居る。


 どんな魔法をかけたのか、ジュリアスお兄様の心を掴んで離さないのは憎々しくも気に入らないが、その軍略の才能だけは本物だ。

 今まで劣勢を何度も覆してきた実績も有り、あの穀潰し野郎ならと期待させるモノが有る。ジュリアスお兄様は言うに及ばず、お父様もかなり高く評価していた。


 悔しいが、今も期待を抱いてしまっている。

 ひょっとしたら、あの穀潰し野郎なら今の事態を想定して、何らかの対抗策を講じているのではないかと。


 その期待感が私に唯一持っているカード『ミーヤ』を切る決断をさせた。

 もし、今の事態を想定して、何らかの対抗策を講じているとするなら、お父様の死を一日でも早く、一刻でも早く、一瞬でも早く知りたい筈だ。


「だけど、オータク侯爵家がジェスターお兄様の手の者で既に取り囲まれている場合……。

 いえ、ジェスターお兄様の事ですもの。そうなっていると考えるべきね。

 その場合、かなり苦労をかける事になってしまうけど、ジュリアスお兄様のところまで走って頂戴」

「しかし、それでは!」


 但し、それを選んでしまった今、次にミーヤと再会が出来るのは全てが成った後になる。

 一年先になるか、二年先になるか。最悪、これっきりになってしまう可能性だって大いに有り得る。


 果たして、その寂しさに耐えられるのか。

 本音と言うか、弱音を吐くと、それが不安であり、心配だった。


「なら、こう言い換えるわ。魔術が効いている時間はそう長くは無い。

 だから、オータク侯爵家へ伝える事が出来たとしても、ここへ戻ってくる必要は無いわ。そのまま貴族街の壁を越えて、朝まで下町に潜んだ後は人混みに紛れて王都から出なさい」

「嫌です! ミント様もご一緒に!」


 それを伝えた途端、私の願いを一旦は承諾した筈のミーヤが不服を強く訴え始めた。

 まずは目を大きく見開くと、その瞳に涙を溜めて、髪を振り乱すほどに首を左右に振って。


 こんな時に不謹慎かも知れないが、ミーヤが私の為に泣いてくれて、私と同じ気持ちでいるのが嬉しかった。

 つい今さっきまであった不安と心配がゆっくりと消えてゆく。私はミーヤと再会するその日を楽しみに耐えていけるし、決して屈したりもしない。


「最初に言った筈よ? 私には無理だって……。

 勿論、貴女が私を抱えるのも無理。魔術はそこまで万能では無いわ。

 それにお母様とアムリウスお兄様、お義姉様の三人を残しては行けない。誰かが矢面に立たなければならないなら、それは私の役目よ」


 なら、今度は私の番だ。貰った勇気を返さなければならない。

 向けていた鋭い眼差しを緩めて、私の今の嬉しさが少しでも伝わる様に両手をミーヤの肩に乗せながら微笑んで諭す。


「ですが……。私は、私は……。」


 しかし、反対する勢いは失ったが、ミーヤは首を縦に振ろうとしない。

 とうとう涙をぽろぽろと零し始めて、視線を伏して、顔も伏した。


 こうなったら仕方が無い。

 タイムリミットは刻一刻と迫っており、言葉で駄目なら行動で示す他は無い。


「大丈夫。きっとまた会えるわ。だから……。」

「んぐっ!?」 


 ミーヤの顔を両手で優しく持ち上げて、その唇に唇を重ねる。

 当分、味わえないミーヤ成分の補充も兼ねて、口から口へと勇気をたっぷりと直接注いでゆく。


「だから、この続きはお預け。その時はたっぷりと可愛がってあげるから覚悟してね?」


 数拍の間の後、ミーヤの両手が私の背中に回り、私をギュッと抱きしめたところでストップ。

 思わず右手がミーヤの胸へ伸びかけたが、それを断腸の思いで我慢。最後の仕上げに右目をパチリとウインクさせた。




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