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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十五章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 暗雲編 上
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幕間 その1 ショコラ視点




 物語は二ヶ月ほど前まで遡る。


 王都から訪れた勅使が第十三騎士団のミルトン王国戦線残留を伝え、ニート達がその命令に驚き戸惑っている頃。

 インランド王国の王都にて、『ショコラ』は王都の春の風物詩の一つに数えられているレスボス侯爵家主催の『試し』の場に立っていた。




 ******




「くふっ……。」


 沸きに沸き立って渦巻く周囲の熱狂の中、急速に尖り増してゆく正面の剣気。

 全身の肌を泡立たせて、私の勘が強い警戒を発する。勝敗を決する必殺の一撃が我が身を狙っていると。


 たまらず口角が上がり、その隙間から笑みが微かに零れる。

 試合開始の合図よりここまで十数回の剣戟を小手調べに重ね、相手がかなりの手練れだと解っている。


 それにお互いが二刀流で女同士なら、背丈も、年齢も同じくらい。

 ここまで同条件が揃うなど滅多に無いからこそ、心が踊る。私の方が強いと証明してみせる。


「いざ、参る! 絶・水月剣!」


 しかし、その一言は余計だった。

 何故、これから仕掛けるのを宣言してしまうか。それが格好良いと思っているなら興冷めと言うしか無い。


 それとも、私を格下と見たのか。

 随分と舐められたものだと上がっていた口角を下げて、口を固く結んだ次の瞬間。


「えっ!?」


 眩いばかりの閃光が私の目を焼いた。

 同時に私の意思を含まず、目が閉じられて、右腕が目を庇おうと持ち上がる。


 この瞬間、たまたま起こった偶然の産物とはとても考えられない。

 なら、狙って行われたと考えるのが妥当だ。


 目の奥にまだ残っている直前の光景から想像するに左手の小剣が怪しい。

 防御に用いるには頭上に掲げて、妙な構えだとは思ったが、その切っ先に陽の光を反射させる為だったのではなかろうか。


 試合開始前に教えて貰ったプロフィールによると、彼女は王妃様が嫁いできた国の近衛騎士団の一員らしい。

 この春、我が国に外交使節団の一人として訪れ、王妃様から当家の『試し』に関する話を聞き、是非とも私と戦いたく参加したとか。


 実際、珍しく女性の、それも同じ年頃の挑戦者だけに興味を覚えて、私と戦う前の三戦を見学させて貰ったが、その戦いぶりはいかにも名誉を重んじる近衛騎士らしい真っ直ぐなものだった。

 変則的なのは二刀流という点のみであり、その二刀流の彼女が左手に持つ小剣は防御にだけ用いられ、実質的な攻撃は右手による正統派剣術だった。


 ところが、ここへ至っての突然の曲者ぶり。

 私は大きな思い違いをしていた。彼女は本当の自分を今の今まで隠していた。


 それを卑怯とは言えない。

 勝利をもぎ取る為の立派な戦術だ。その曲者ぶりを拍手喝采で褒め称えたい。


 その意図を悟らせず、目的とする好位置に陣取った上にこちらの立ち位置も誘導する。

 一つ、一つの条件を整えるのも難しいのに、それを三つも同時に揃えるとなったらどれほど難しいか。

 少なくとも、彼女は私と戦う前の三戦を使って、陽の光を反射させる好位置を探っていたのは間違いない。


 そう考えると、私が興ざめした宣言も私の視線を攻撃の起点である右手へ誘導させる為のものか。

 実に見事と言う他は無い。私は何から何まで彼女の思うままに操られていた事となり、自分の至らなさを恥じるばかり。


 だが、『王国の剣』と呼ばれる当家の剣を舐めないで欲しい。

 戦場を一度も経験した事が無い私がこんな事を言うのはおこがましいが、当家の剣は試合の剣に非ず、戦場の剣である。


 視界を奪われたり、視界が良く効かない場合を想定した訓練は当然の事ながら行っている。

 この場合、問題なのは目が見えない事よりも、この状況下で心をいかに平静を保つかだ。


「なっ……。にっ!?」


 息がかかるほどの間近で彼女が驚愕に満ちた声を発したのに続いて、数多の男達がどよめきを一斉にあげる。

 目が焼かれた直後、敢えて前方へ一足飛び、彼女に右半身を向けながら上半身を素早く反らしたが、どうやら動揺が少し残っていたらしい。

 完璧に避けたつもりの切っ先が胸元をかすり、ブラウスとその下に着けていたサラシが斬られてしまい、きつく締め付けられていた胸が開放感に溢れて、外気を感じている。


 ここは胸を隠すのが女として正しい選択だろうが、今の私は生憎と剣士である。

 まだ回復しきらない目で無理に見ようとせず、目は閉じたままに今度は逆に動揺している彼女の気配を探り、その眼前へ左手に持つ剣の先をゆるりと突き出す。


「一本! それまで!

 勝者、赤! ショコラ・デ・ミディルリ・レスボス!」


 この勝負の明暗を分けた理由は二つ。

 彼女は見事な曲者ぶりを披露しながらも近衛騎士らしい正統派の剣術を変えず、私の目を焼いた後の一撃に正々堂々とした解り易い真っ直ぐな突きを選んでしまったのが一つ。


「ぬ、抜かったわぁぁ~~!」


 そして、もう一つは私が必殺技宣言で彼女を見下して慢心した様に、彼女もまた私の目を焼いた事で勝利の確信に慢心した事だ。




 ******




「ふぅぅ~~~……。」


 まだ空は明るくて、夕方にもなっていないが、ざぶんと一風呂。やはり汗をかいた後はこれに限る。

 両手をバスタブの縁に置きながら背を保たれ、肌を刺す様な熱い湯加減の至福さに溜息が自然と漏れる。


 四年に一度、ミルトン王国王都で開催される剣術大会。

 その歴史はとても古く、我が国と長らく戦争中でありながらも絶えず行われており、剣術大会と言ったらその名が挙げられるほど抜群の知名度を誇る。


 剣の道を歩んでいる者の一人として、それに参加してみたい気持ちは当然有る。

 だが、我がレスボス侯爵家の隆盛は先祖代々がミルトン王国との戦争で挙げた武勲によるモノが大きい。さぞや恨みを買っているに違いない。

 参加は出来たとしても正体を隠さなければならず、正体がバレようものなら立ちどころに捕まる。残念ながら絶対に叶わない願いだ。


 しかし、私は恵まれている。

 毎年、春になると当家の『試し』に挑戦しようと国内のみならず、時には名前すら聞いた事が無い遠方の国からも腕自慢達が集ってくれるのだから。


 しかも、お祖父様から叔父様へと主催が変わって以降、その在り方はより武術大会らしいモノへと変わっている。

 エンターテイメント化を前面に打ち出して、知名度はミルトン王国の剣術大会に負けないくらいになり、今や挑戦者の数は十年前の数倍に達している。


 嘗ての『試し』はその名の通り、お祖父様自身が挑戦者達の一人、一人と戦うのが基本だった。

 暦の上で春が始まって終わるまでを限定として、お祖父様の都合が合う限りは毎日実施され、多くの挑戦者達が毎朝、毎朝、当家の前に集っていた。


 だが、今は違う。叔父様は挑戦者同士の競い合いを前提に置き、その勝利者一人とだけ戦う形式に変更した。

 これに伴い、一開催あたりの挑戦者数を増やす為に募集期間を一週間に伸ばして、その翌週に予選、本戦、決勝を一週間かけて行う長丁場な戦いに変わってもいる。


 そして、最大の変更点が王都の中央広場を借り切って行われる八人によるトーナメント戦の決勝だ。

 嘗ては当家が貴族街に在るとあって、あまり騒がしくしてはならないという配慮から見物人が居る場合はその人数を制限していたが、今は試合が行われる舞台をグルリと囲む特設の階段席が当日に設けられ、誰もが気軽に見学が出来る様になった。


 それこそ、当日はまるで王都中のヒト達が集ったのではと思うくらいに大賑わい。

 特設の階段席が満席なのは当然として、立ち見どころか、中央広場に面した屋根の上まで観客が居り、挑戦者達は決勝に出場するだけで大きな名誉を得られる様に変わった。


 こう言っては何だが、嘗ては『試し』に挑んでも得れるモノは何も無かった。

 お祖父様という高すぎる壁に自信を失い、肩を落として帰る者ばかりだった過去を考えたら、今の挑戦者達は『試し』に挑むまでの過程自体が高い壁になったが、それを超える意味と価値が生まれたのだから断然に恵まれている。


 あまつさえ、決勝における優勝者と準優勝者には賞金が授与される。

 その金額たるや、優勝なら三年、準優勝でも一年は平民なら遊んで暮らせる数字であり、それを初めて知った時は目が飛び出るほどに驚き、叔父様へ『私も予選から参加しちゃ駄目かな?』と全力でお願いしてしまったくらい。


 だが、この賞金に関して驚くべきはもっと別のところに有る。

 挑戦者達の王都滞在費や負傷した場合の治療費、より武術大会らしくなった上に大規模となった為に必要な運営費なども合わせて、当家は一銅貨たりとも出資しておらず、これ等全てが王都の商人達からの提供で成り立っているという事実だ。


 王都の中央広場を大々的に借り切る件もそうだが、何をどうやって、どうしたら、そんな仕組みが出来上がってしまうのか。

 タマル叔母様曰く、『あいつは貴族などならず、商人になったら良かったんだ。そうすれば、私も無駄な苦労などしないのに』である。


 余談だが、お祖父様は叔父様に後任を丸投げすると、それ以後は『試し』との関わりを完全に断っている。

 恐らく、そう聞いて尋ねた訳では無いが、叔父様の存在に満足してしまったか、二十年以上も『試し』を行いながらも叔父様一人しか合格者が出なかった過去に諦めてしまったのだろう。


 その為、最近は嘗ての意義であるお祖父様の落胤探しが随分と薄れ、今はもう予選開始時の合図の中に残るのみ。事実上の有名無実化しつつあった。

 挑戦者達も嘗てはほぼ全員が無茶を承知で自分はお祖父様の落胤だと名乗っていたものだが、叔父様が主催となってからはその数を急激に減らしてゆき、今年はとうとう一人も名乗る者は現れないままに今日という春の終わりを迎えていた。


「……って言うか、これ。

 自業自得だけど……。消えるよね? 大丈夫だよね?」


 お湯にぷかりと浮かぶ無駄に大きく育った胸。

 自分の慢心が作った傷とは言え、戦いを終えたら私も一人の女である。二つのポッチの上にうっすらと刻まれた極細の斬線に不安が募る。


 しかし、それ以上に今年も無事に叔父様の代理を果たせた事が嬉しい。

 叔父様はレスボス家の一員でありながら、コミュショー男爵家当主であり、オータク侯爵家執政でもある。

 今現在とて、ミルトン王国へ長期出兵しており、何かと多忙な身の為、主催は行っていても毎年の参加は難しい。

 だから、私から代理を申し出たし、叔父様も私ならと任せてくれた。一度でも負けようものなら叔父様に合わせる顔が無い。


 それに私が主催代理を務めている『試し』に限り、前々から頭をちょっと悩ませている問題も有る。

 いつの頃からか、私に勝ったら、私と結婚が出来る。そんな噂が湧いて流れ、今まで何度も否定を明言しているにも関わらず、一向に消えないどころか、ますます広がるばかり。


 それどころか、『試し』に挑む挑戦者が男性の場合、どんなプロポーズを私へ捧げるかもちょっとした見ものにすらなってさえいる。

 何千という観衆が見守る中でのプローポーズである。ここまで大事になってしまったら、それが根も葉もない噂であっても引くに引けず、自分の為にも必ずや勝たねばならなかった。


 もっとも、叔父様の代理をこれまで何度か務めたが、今日の様にヒヤリとする事は有っても、お祖父様という高すぎる頂きを知っている私に負けは無い。

 もし、私が負けるとするなら、それは叔父様の様な強さを持った相手になるだろうが、そう言った相手は残念ながら叔父様以外にまだ一度も会えていない。


 では、叔父様が持つ強さとは何なのか。

 それは決して才能では無い。才能で計ったら、叔父様は贔屓目に見ても二流よりマシな程度でしかない。


 ところが、叔父様と初めて出会った時の出来事だ。

 私は挨拶より先に勝負を意気揚々と挑んだ挙句、あっさりと負けた。勝負開始の合図と同時に一撃で負かそうと放った突きを剣もろごとに弾き飛ばされて、槍先を逆に眼前へ突き付けられる完敗の完敗で。

 当時、私は十四歳。国王陛下から頼まれて、たまにお祖父様が稽古を付けていた強者揃いの近衛騎士団の面々にも危なげなく常勝する様になり、お母様とも五分の戦いが出来る様になっていた私がだ。


 私は暫く茫然自失に陥って我を取り戻すなり、即座に再戦を挑んだ。

 それも勝敗が簡単に決し過ぎた為に実力差が解らず、自分を下げる行為と気づかずにマグレだ、偶然だと無様に散々叫んで。


 その結果、惨めな敗北を重ねた。

 攻める事は出来ても有効打を取れないばかりか、攻めれば、攻めるほどに攻め口が次第に無くなってゆき、最後は攻める事すら出来なくなって負けた。


 戦っている最中も、戦い終わった後も何故に勝てないのか、何故に負けたのかが解らなかった。

 一撃、一撃の重さは男女の性差故に仕方が無いとして、技の早さも、鋭さも、巧みさも全てが圧倒的に勝っていながら、その内容は完敗だったが為に。


 当然、敗因が何処に有るのかが知りたくなり、その日から私は叔父様が何処へ行くにもその後を付け回した。

 鍛錬の時間は勿論の事、お風呂も一緒に入ったし、同じベッドでも寝た。トイレの時ですら、トイレの前に立ち、叔父様が出てくるのを待った。


 今でも、その時の光景をはっきりと色褪せずに覚えている。

 叔父様の後を付け回す様になって、六日目。前夜から降り出したザーザーの土砂降り雨が続いて、その日は朝から強い雨が降っていた。


 大抵、武の道を歩む者達は早起きの習慣を持っている。

 朝食を摂った後では動きがどうしても鈍る為、朝食前に鍛錬を行い、その日の調子を知ると共に整える目的が有るからだ。


 しかし、その日の朝。意識を覚醒させる途中、窓や屋根を叩きつける強い雨音に私は二度寝を決め込んだ。

 鍛錬は大事だが、さすがに雨が降っていてはやる気が薄れるし、調子を逆に崩してしまう可能性が高い。そう自分自身に言い訳をして。


 だが、微睡みの至福を感じながら、ふと抱き枕にしていた叔父様が居ないのに気づいて飛び起きた。

 秘密の鍛錬を行うなら、悪天候の中は正に打ってつけである。叔父様の秘密を遂に暴く事が出来ると期待して、私は寝間着のまま走った。


 その甲斐あって、叔父様が鍛錬を行っている最中には間に合ったが、そこに私の期待したモノは何も無かった。

 叔父様は上半身を裸にさせて、ずぶ濡れになるのを受け入れながら槍を一心不乱に振り、いつもと変わらない鍛錬を行っているだけだった。


 しかし、日常とは違う土砂降り一歩手前の大雨の中だからこそ、その異常性にすぐ気づいた。

 突き、払い、巻きの三動作が美しいまでの完全一致を描いて繰り返されているのを。


 通常、二回や三回ならまだしも、全くブレを感じさせずに何十回も繰り返すなど不可能だ。

 どれほどの鍛錬を重ねに重ねたら、それが可能になるのか。私とて、幼い頃から剣を振っているが、それは叔父様との年齢差を考慮しても辿り着けない境地だった。


 だったら、答えは一つしか無い。

 叔父様は百の技を覚えるよりもたった一つの技を磨く方を選び、ただただひたすらに突き、払い、巻きの三動作を磨き続けてきたに違いない。


 一方、当時の私は百の技を覚える方を選択した剣士。

 勝てる筈が無かった。引き出しの多さは有っても、叔父様の究極の一に届く筈が無い。


 そう、叔父様の強さとは究極の一である。

 槍の基本動作の三種に過ぎないが、基本動作だからこそ、それはあらゆる技に通じ、その攻めは恐ろしく鋭く、その守りは驚くほどに固い。


 いつしか、私はその姿に魅入られて目が離せなくなっていた。

 雨の中に在りながら汗を滴らせて、湯気を上らせる姿に胸は早鐘を打ち、身体は熱を帯びて、女の芯が疼いて堪らなくなった。


 端的に言ってしまえば、私は叔父様の鍛錬する姿に欲情を催した。

 それは動物のメスが強いオスを求める本能の様なモノであり、初めての恋の始まりでもあった。


「あぅっ……。」


 熱い吐息がバスルームに響き渡る。

 胸の傷痕を人差し指でなぞり擦りながら叔父様の事を考えていたらイケナイ気分になってきた。


 このバスルームは私しか居ないが、バスルームと繋がる自室は解らない。

 お風呂を用意してくれたメイドが着替えの準備にまだ残っている可能性が有り、その様子を思わず息を潜めて探る。


 恋とは不思議なもの。

 それを自覚した途端、昨日までお風呂へ一緒に入るのも、同じベッドで寝るのも平気だったのが急に恥ずかしくなってしまうのだから。


 だが、それ以上に不思議なのは相手の欠点すらも次第に許容してしまうところだ。

 当初、私も人並みに独占欲を持っていた。ティラミスと叔父様を巡っての口喧嘩も良くしたし、昨夜は叔父様がお祖父様と一緒に娼館へ隠れて行ったと知ったら猛烈に腹を立ててもいた。


 ところが、叔父様は誰もご存知の通り、大の女好き。

 極寒の過酷な地と聞くトーリノ関門へ兵役に赴いていながら、恋人を三人も作って帰ってくるくらいに。


 嫉妬しても、嫉妬しても追いつかず、いつしか私の考えはこう変わっていた。

 あのお祖父様の血を引いているのだから、女好きは当然の事であり、叔父様を愛するのに最も必要なのは浮気を笑い飛ばせる寛容さだと。


 それでも、叔父様とティラミスが結婚した時は二人を祝福して、この想いを一度は諦めようとした。

 だが、結局は駄目だった。慣れないドレスを着て、舞踏会に出席したり、ずっと断り続けていたお見合いに応じてみたりしたが、どんな好青年が目の前に現れようが私の心はときめく事が一度たりとも無かった。


 そんな私を見かねたのか。

 去年の秋、私と叔父様の結婚を断固として許さなかったタマル叔母様が遂に折れた。


 そこからはトントン拍子に話が進んだ。

 お母様からタマル叔母様の気が変わらぬ内にさっさと行って来いと促されて、その翌日にオータク侯爵領へ出発。ティラミスへ叔父様との結婚を恐る恐る申し込むと笑顔で『やっとですか、遅いですよ』と叱られた。


 正直、泣いた。声をあげて泣いた。

 エスカ男爵が叔父様と婚約して、第二夫人となるのが既に内定しているが、ティラミスは私を第二夫人と考えて、自分の結婚式を王都であげた時から私が叔父様との結婚を申し込んでくるのをずっと待っていてくれたらしい。


 それ故、今年の秋頃。叔父様がミルトン王国戦線から王都へ帰ってきたら、私は叔父様と遂に婚約を交わす予定だった。

 本音を言ったら、婚約と言わずに結婚式をすぐに挙げたいが、第三夫人としてはやはり第二夫人を立てなければならない。

 まずは叔父様とエスカ男爵の結婚式を挙げて、その半年後となる来年の春に私と叔父様の結婚式を挙げる段取りが当家とコミュショー男爵家、オータク侯爵家、エスカ男爵家の四家の間で交わされていた。


 しかし、それがパアである。

 叔父様の任期は一年延びてしまい、それ等の予定も必然的に一年延期となった。

 任期が延びたという事は叔父様がそれだけ評価されている証だが、今だけはちっとも嬉しくない。国王陛下を恨むのは不敬と解っていても恨む。


「はぁぁ~~~……。」


 盛り上がっていた気分が一気に消沈。溜息が深々と漏れる。

 胸の二つのポッチは辛抱堪らんと未だ訴えていたが、危ういところへ伸ばしていた右手を戻して、お風呂から上がろうとバスタブの縁を両手で持ったその時だった。


「えっ!?」


 突如、二つの強烈な剣気が全身の肌を突き刺した。

 昼間の『試し』で挑戦者が向けてきた剣気など比較にもならないソレに身体がビクッと震えて強張り、中腰の体勢で固まる。


 先ほども言ったが、このバスルームには私しか居ない。

 それも二階でありながら、毛穴という毛穴が全て開き、冷や汗が湯に火照った身体を急速に冷ましてゆく。


 挙げ句の果て、強張りが数拍の間を空けて解けると、小水が私の意思とは関係なく湯をチョロリと打った。

 こうまでも私に恐怖を感じさせるとは何が起きているのか。二つの剣気の内、片方はお祖父様で間違いないが、もう片方は誰なのか。


「誰か! 私の剣を!」


 どの道、ここにこのまま留まっているのは愚かな選択だ。

 バスタブから出て、身体から滴り落ちる水滴が床を濡らすのを構わず、まずは着るものを求める為に自室へと急いだ。




 ******




「今すぐ、ここを固めるんだ! お前は巡回使のところへ走れ!」


 階段を駆け下りてゆくと、誰もが普段は走る事を禁じられている廊下を駆け回り、一階は騒然としていた。

 指揮を執るお母様の怒鳴る様な声は遠くに聞こえながらも常に動いており、その様子から察するに屋敷の守りを皆に固めさせて、自身は渦中へ飛び込む気でいるらしい。


 当主として、それはどうなのか。

 まず斥候を送り、情報を得るべきなのではと考えるが、やはりお母様も当主である前に剣士なのだろう。独り占めされてはなるまいと駆けるピッチを上げる。


 目指す目的地は屋敷裏の鍛錬場。

 もっと正確に言うなら、防風と景観を兼ねて作られた鍛錬場と隣接する当家敷地内にある林だ。

 日頃、お祖父様はそこで鍛錬を好んで行っているし、賊が当家に忍び込むとなったら、そこが正に格好の場所と言えるから間違いない。


「良いな! 絶対に単独で行動するな!

 二人以上で必ず行動しろ! 一人は足止め! 一人はザッハに報告だ!」  


 その道中、すれ違う者達が例外なく茫然自失。

 この非常時に目をギョッと見開いた上に口をあんぐりと開ききって立ち止まり、ある者に至っては持っていた剣を落としてしまう失態ぶりを披露しているが、それを叱り飛ばす資格は私に無い。


 なにしろ、今の私の格好ときたら髪はお風呂上がりで濡れたままなら身に着けているのはバスローブのみ。

 そんな格好で全力疾走しているのだから、当然の事ながら足どころか、太腿まで丸見え。とても結婚前の貴族令嬢が人前で見せる姿ではない。


 おまけに、パンツを履いている時間すら惜しかった為、ノーパンである。

 ひょっとしたら、私の大事なトコロもチラリ、チラリと見えている可能性も有るが、今は先を急ぐのが最優先だ。


 だから、行く手にある曲がり角の窓が風を通す為に開いているのを知り、チャンスを感じた。

 このまま道順に進むより窓を潜り抜けた方が断然に早い。目的地までの距離を大幅にショートカットが出来る。


 ただ、窓を潜り抜ける為には腰より少し高い位置にある窓縁に足を大きく開いて乗せなければならない。

 そうなったら、私の利き足は右足であり、曲がり角が左へ延びている以上、その先に誰かが居たら私の大事なトコロは完全に目撃される。


「あ、姉上っ!? そ、その格好はっ!?

 ……って、うえっ!? あおっ!? いうっ!? えあっ!?」


 しかし、躊躇いは一欠片も無かった。

 まずは邪魔になる両手の剣を窓の向こう側へ投げ捨ててから、次に窓縁に乗せた両手と右足の力を目一杯に使い、窓から外へと勢い良く飛び出す。


 二本の剣を拾い、遠ざかってゆく背後にて、弟のザッハが何やら慌てふためいて叫んでいるが気にしない。

 でも、あとで念の為に殴っておこう。あいつは叔父様の気を惹く為に私の事を何でも告げ口をする悪い癖が有るから口封じが必要だ。


「お母様!」

「おう! お前も来たか!」


 裸足故の足裏に感じるチクチク感。

 たまに痛さも感じて、明日からは鍛錬の中に外を裸足で歩く課題も混ぜるべきか。


 そんな事を考えながら走っていると、ようやくお母様に追いついた。

 走る速度を少し上げて、その隣を並走するが、お母様はこちらへ視線だけをチラリと向けて、不敵な笑みを浮かべるのみ。


 さすが、お母様である。

 私の今の格好を全く気に留めないのは一人の母親として失格だが、その笑みに頼もしさを感じる。


 剣気は目的地の林へ近づけば、近づくほどに強烈なモノとなり、心の弱い者ならそれを感じただけで足が竦んでしまうくらいになっている。

 鍛錬場を通り過ぎて、いよいよ目的地の林が目前に迫り、お母様に負けてなるものかと心を奮い立たせて、両手の剣の握りを強くしたその時だった。


「えっ!?」

「むっ!?」


 激しくぶつかり合っていた二つの剣気がより大きく膨らんだかと思ったら、不意に萎んで消えた。

 鍛錬場へ入った辺りから聞こえていた絶え間ない剣戟の音も止まり、私も、お母様も思わず立ち止まる。


 恐らく、決着が付いたのだろうが、それにしては様子が妙だった。

 私は戦場の経験は無いが、ヒトの生き死には知っている。十三歳の時にお祖父様から命じられて、重罪人をこの手で斬ったのを初めとして、この屋敷に忍び込んだ間者や領内での盗賊、山賊退治で奪った命の数はもう数えきれない。


 その経験から言うと、ヒトは死に間際に生へ対する未練を残す。

 自分の死を素直に受け入れられる者など滅多に居らず、自分の命を奪った者に生へ対する未練を呪詛に変えて投げ付けてくる。


 例えるなら、それはザラザラとしながらもねっとりとしたモノなのだが、それが全く感じられない。

 前方の林から感じ取れるのは強者同士が全力を出し合い、ぶつかり合った試合の後の清々しさだった。


 もし、その私の感覚が正しいとするなら、わざわざ林の中で戦っていたのは何故なのか。

 お祖父様が鍛錬の場として用いている林の中にある広場は鍛錬を一人で行うには十分な広さだが、二人が剣を交えて戦うには狭い。

 すぐ近くに、私達の背後にもっと戦い易く、試合を行うのに適した鍛錬所を使わない理由が解らない。


 それに前方で行われていた戦いが最初から試合であるとするなら、その対戦者はお祖父様の客人になる。

 客人である以上、当家の主たるお母様がその存在を知っていないのはおかしい。それは表から入って来ず、非合法の手段で裏から入ってきた事実に繋がり、対戦者の正体は必然的に賊となる。


 だが、そうなると矛盾が生じて、前提が崩れてしまい、疑問は堂々巡り。

 お母様も同様の袋小路に陥ったらしく、お互いに眉を寄せた思案顔を見合わせる。


「どう思う?」

「何にせよ、行けば解るさ」


 そして、林の入口から二十歩ほど歩いたところ。木々の隙間に見つけた。

 お祖父様に恭しく礼をして、林の奥へと去ってゆく長身の男性の姿を。


 その横顔は遠目に一瞬しか見えなかったが、あの特徴的な細面の切れ長な目とオールバックの黒い長髪は間違いない。

 我等がインランド王国貴族が仕える王族の一人にして、第二王子の『ジェスター・デ・マールス・フォリオ・インランド』殿下だ。


「あっ!? あれって!」

「しっ!」


 驚愕に見開いた目を隣へ勢い良く振り向けると、お母様が右人差し指を口に素早く立てた。

 一呼吸の間を空けて、その意味を理解して頷く。


 そう、前述の疑問に引っかかってくるのだ。

 もし、先ほどの男性が殿下だとするなら、当家に訪問を拒む理由は無い。正面から堂々と入ってきたら良い。


 無論、派閥に関わる政治的な問題も有るが、当家はお祖父様と叔父様の縁で第三王子派と言われているだけ。

 当主たるお母様は胸の内を明言した事は今まで一度も無いし、殿下も派閥を気にする様な質では無い。


 しかし、裏から無許可で入ってきた以上、殿下の行為は不法侵入となる。

 当家は殿下を訴える必要が生まれ、そうなったら色々と面倒事になるのは目に見えていた。


 だが、気になるものは気になる。

 強烈な剣気に惹き付けられ、意気込んで駆け付けてみれば、この歯切れの悪いモヤモヤとした結果である。耐え難いものがあった。


「やはり来たか。仕方の無い奴等め」

「なにしろ、父上の娘と孫ですからな」

「くっくっ……。言いおるわ」


 お祖父様がこちらを振り向き、林の奥から声がかかる。

 殿下の気配が完全に消えてから私達を呼ぶあたり、私が抱いている疑問の答えを素直に教えてくれそうに無く、お母様の後を付き従って歩きながら殿下が去った方向を見つめる。


 殿下は剣、槍、弓、馬術などの武に関連する腕前は何であれ、国内十指に数えられる実力を持った武人である。

 その才能は幼い頃より発揮され、同世代に負け無し。成人してからも、その連勝記録は破られておらず、戦場では名だたる敵将の首を幾つも挙げている。


 また、指揮官としても優れた手腕を持っており、兵を率いても負け無し。

 北のトーリノ関門でも、西のミルトン王国戦線でも大きな武勲を挙げ、その功績が認められて、今現在は家格と実力の両方を兼ね備えていなければ決してなれない近衛騎士団団長の座に在る。


「……して、随分と珍しい客がいらしていた様ですが?」

「そうだな。十年……。いや、それ以上か? 政治とは本当に厄介なものだ。

 その点、剣は単純明快で良い。斬り結びさえしたら、それだけで解るのだからな」

「ほう、解りましたか?」

「ああ、想像していた以上だったが……。まだ少し早かったな」


 ところが、その負け無しの殿下に唯一の黒星を付けた者が居る。

 それがお祖父様だ。当時を知るお母様の話によると、負けを認めずに何度も挑みかかってくる殿下に格の違いを見せつけて、これでもかと完膚なきまでに負かしたらしい。


 但し、これは殿下が八歳の頃の話。

 お祖父様が大人気なく戦ったのとて、国王陛下から生まれ持った高い才能に胡座をかいて怠ける事を憶え始めた殿下を懲らしめてくれと頼まれたからだとか。


「では、何故?」

「仕方あるまい。どうやら、殿下は腹を決めた様だからな」

「腹を決めた?」

「解らぬか? あいつが出兵前にそうなるだろうと言っていただろ?」


 実に耳が痛い話である。

 そんな時期が私にもあった。私の場合は十歳の頃だったか。


 武勇を鍛える目的は人それぞれだが、根底にある目的は競い合い以外の何ものでもない。

 その為、世界の広さを知らない子供は同世代に負け知らずとなり、上の世代にも勝てる様になってくると満足を得てしまい、鍛錬が急に退屈なものになる。

 最初は手を抜きがちになるだけだが、それは次第に鍛錬そのものをサボるまでにエスカレートしてゆき、その頻度が多くなってゆく。


 だったら、大人達へ挑んだら良いという提案はナンセンスだ。

 お祖父様が殿下へ行った仕打ちを『大人気なく』と表現したので解る通り、大人は子供相手にそもそも本気を出さない。


 第一、身分がどうしても邪魔をする。

 子供同士ならまだしも、大人が子供に怪我を負わせたとなったら責任問題になる。気遣いという名の手加減が加わり、本気を出してこない。

 侯爵家の私ですらそうだったのだから、王族の殿下は尚更だった違いないし、それだけにお祖父様からこてんぱんにされながらも嬉しかった筈だ。


 実際、殿下は自分に酷い目を遭わせたお祖父様へ剣の師事を願っている。

 お祖父様に何度も断られながらも諦めず、国王陛下へ強請るほど。


「ま、まさかっ!?」

「だから、ここへ来たのだろう。

 未練を……。いや、儂との約束を果たしにな。だから、儂も相手をした。

 だが、これはあくまで儂の勘だ。殿下自身は何も仰ってはいない。……故に決して動いてはならんぞ?」

「何故ですか!」


 しかし、この願いが叶う事は無かった。

 お母様曰く、当時のお祖父様は軍人としての最高位である中央軍総司令官代理の座に在り、お祖父様と殿下の二人が結び付くのを多くの者達が嫌った結果らしい。


 それでも、殿下は諦めなかった。

 直接の師事が駄目なら、その他大勢と一緒にという方便の元、お祖父様が調練指導する兵士達に混じって剣を振り、それはお祖父様が中央軍総司令官代理の座を退くまで続いた。


 その後、殿下は政治を知る年頃になり、お祖父様との距離を置く様になる。

 呼び方も『レスボス師』から『レスボス老』と変えたが、お祖父様を師として敬い、その態度だけは変えなかった。


 そして、年に一度。インランド王国の貴族達が王都に集う春。

 お祖父様が挨拶の為に王城へ登城すると、国王陛下が当家の『試し』の話題を必ず上らせた後に殿下へ話を振り、殿下がお祖父様へ手合わせを申し込み、それをお祖父様が断るのが毎年の恒例になっていた。


「駄目だ。お前は儂に似て、謀や政治に疎い。

 タマルが領地へ出向いて居ない今、下手に動いたら事が事だけにどうなるかすら見当が付かん。それが解らぬお前では或るまい」

「くっ……。」

「だが、当主はお前だ。その時が来たらお前が思う通りに動け」

「はい……。」


 だからこそ、どうしても解らない。今年も件の恒例は繰り返されたと聞いている。

 お祖父様と殿下の二人の性格を考えたら、それを唐突に破るなんて有り得ない。


 ましてや、こんな人目が無い場所でひっそりとなんて、もっと有り得ない。

 お祖父様と殿下の二人が手合わせを行うとするなら、それはお祖父様が持つ二つ名『剣聖』の争奪戦となる。

 国王陛下が立ち合う公式的な場で行われるのが最も望ましいし、お祖父様と殿下の二人もいつかはそれを望んでいた筈だ。


 だが、私だけでは幾ら考えたところで答えは見つからない。

 お母様がお祖父様へ色々と問いかけてはいるが、どちらも言葉を濁して、意味自体が今ひとつ解らない。


「ただ、レスボスの剣は何としても残さねばならない。ショコラは儂が貰ってゆくぞ」

「えっ!? えっ!? えっ!?」

「今すぐ、旅の支度をしろ。今日中に出るぞ」

「ええっ!? きょ、今日中に?」


 こうなったら会話に割り込み、お祖父様へ単刀直入に尋ねてみるかと悩んでいたら、いきなり話を振られて戸惑う。

 それどころか、突然の旅行宣言。それも提案ではなくて、命令であり、お母様へ救いを求めて視線を向けるが、お母様は神妙な顔つきでただ黙って頷くのみ。


「なに、そう多い荷物は要らん。

 今、お前が持っている二本の剣と三日程度の着替えがあれば十分だ。

 だが、長い旅になるだろう。もしかしたら、二年、三年は帰ってこれんから、そのつもりで用意しろ」


 謎が謎を呼び、そのどれもが解決しないままで何が何やらさっぱり解らない。

 唯一、確かなのはお祖父様とお母様の二人の会話は不穏な空気が見え隠れしており、これから何か大きな出来事が起きそうな予感を感じさせるものだった。




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