第06話 隠れていた真実
「ここから先は馬で進めませんから、彼等に馬を預けて下さい」
長年、追い求めていたコゼットの行方が遂に判明したあの夜から四日目。
朝食が済んで暫く経つと、元領主様はトリス砦の城門を開放して、三千人ほどのミルトン王国兵士達をトリス砦前に整列させると降伏を宣言した。
早速、ジュリアスの名代を預かるジェックスさんを正使に、俺を副使に五百人の先遣隊がトリス砦へと入場。
トリス砦がインランド王国の所有になった事実を天下へ知らしめる為、トリス砦各所に掲げられているミルトン王国旗を下ろして、インランド王国旗を代わって掲げてゆく。
その光景を眺めながら砦奥へ進む傍ら、元領主様が持つ類稀な戦略眼を改めて思い知らされる。
嘗てのトリス砦の姿を知る者なら、トリス砦が改修されたのは外観を見たら一目瞭然だが、その中身までとは考えていなかった。
建ち並んでいる兵舎や厩舎などの施設がちゃんとした木造の建物であり、戦場での陣に建てる幕舎の様な急造品とは違う。
この地は針葉樹林が生い茂る山間地である。木は有り余るほどに生い茂っており、建築作業の手も万を超える兵士が居て、家屋を作ろうと思ったら幾らでも造れるが、家屋を作る木材は一朝一夕で作る事は出来ない。
木は水を豊富に含んでいる。伐採したばかりの生木で家屋を作った場合、木の乾燥が進むにつれて、木は変形や収縮を起こしてしまい、建築構造上の不具合がどうしても生じる為、木を木材にするなら乾燥させる手間が必要になる。
しかも、建ち並んでいる家屋はどれも新しさは感じるが、新築感は感じない。
これ等の点から元領主様が随分と前から、少なくとも五年以上も前から、この地が決戦地になると見当を付けて備えていた事実が読み取れる。
「いやはや……。これはなかなかキツい階段ですな」
「足元に気を付けて下さい。慣れた者でも足を躓く事が有りますから」
また、施設の建ち並び方も素晴らしいものが有る。
侵入者の勢いを削ぐ虎口を要所、要所に置きながらも、侵入者の前へ、前へ突き進もうとする心理を利用して、施設の壁沿いに進むと砦外へ導かれる迷路の様な工夫も施されていて、その想像していた以上の堅牢さはお手本とする点が非常に多い。
もし、元領主様が降伏を決意せず、城を枕に討ち死にする覚悟で戦っていたら、勝利の為に恐ろしいほどの犠牲が必要になっていただろう。
まず間違いなく、トリス砦の玄関口である第三郭の城門を打ち破ったとしても、その最初の攻勢でトリス砦は落ちない。無理に突き進めば、被害が大きすぎる。
二度か、三度の撤退を強いられながらも内部構造をちゃんと把握しなければならない。
第二郭を目指すのはそれからとなるが、第三郭に施されていたモノが第二郭に施されていない筈が無い。
「ふぅ……。あれが第二郭の城門か。これまた攻めるには随分と固そうな城門だ」
「ありがとうございます。結局、使わずに終わりましたが、あれは私の自信作です」
「では、この砦はティミング卿が縄張りを?」
そればかりか、トリス砦は本命の第一郭までの道のりがちょっとした登山になる典型的な山城である。
麓に近い第三郭はさほどの勾配は無いが、第二郭、第一郭と奥へ進むにつれて、走るには辛いくらいに増してゆく。
当然、傾斜を利用した仕掛けも施されているに違いない。
その証拠に第三郭の虎口から第一郭がある山頂方向を見上げると、その先には第二郭か、第一郭の矢櫓が必ず配置されている。
おかげで、ジュリアスの為の人材として、能史、将軍、軍師と一人三役を任せられる元領主様がますます欲しくなった。
トリス砦自体の素材が良いのも確かだが、これほど堅牢な砦を造れるのだから、戦略眼のみならず、戦術眼にも長けているのは間違いない。
「ええ、そうです。……と言っても、この砦は歴史は我が国より古い。
百年以上も前に放棄されて、荒れ放題になっていた中身を私は改修しただけで基本的な縄張りは当時のままです」
「これほどの砦が放棄されていたとは……。それはまたどうして?」
「最大の理由は我が国の領土が東へと伸び続けて、この地を防衛拠点とする価値が失われたからです。
しかし、ここは西部地方と中部地方を行き交う街道の要所。
何度か、開拓案が挙がり、実際に行われましたが、この辺りは開墾しても痩せた土地で作物が育ち難いのです」
「なるほど……。私は土地を持たない者ですから、その辺りは詳しく有りませんが、何となくは理解が出来ます」
その優秀さを伝えたら、ジュリアスも元領主様と実際に会うのを楽しみにしており、内定は決まったも同然だ。
唯一の問題は肝心の元領主様自身がそれを望んでいないっぽい点か。まだ実際に聞いて確かめてはいないが、元領主様が死を望んでいるのはまず間違いない。
今日まで俺は幾多の戦場を乗り越えてきたが、その過程で多くの将や騎士、兵士の降伏を受け入れてきた。
それ等の経験から言わせて貰うと、高い地位や身分を持つ者ほど降伏という選択肢を自分自身で選んだとしても、それを本当に納得して受け入れるまでに時間がかかる。
幾ら隠そうとしても不服さは言葉や態度の端々に自然と現れるものだが、三歩先を歩く領主様の背中に悔しさは微塵も感じられず、その歩みも淡々としたもの。国旗の揚げ代え作業とて、視線を向けたのは最初の一度っきりであり、それも短い間だった。
しかし、元領主様の望み通りにさせるつもりは毛頭ない。絶対に口説き落としてみせる。
こうして、先遣隊のメンバーに加わっているのも元領主様を口説き落とす為の糸口を探す目論見が有った。
「……と言うと、ウィローウィスプ卿は法衣貴族で?」
「はい、今は千騎長にまで出世しましたが、元は役職を持たない騎士とは名ばかりのしがない家の出です」
「何を仰るか、インランドの軍は実力重視と聞きます。だったら、大したものです」
そして、それは見つかりつつあった。
俺の見るところ、ミルトン王国の騎士達、兵士達は元領主様と反対に降伏をまだ納得しきれていない。
トリス砦へ入場してからずっと。
ミルトン王国の騎士達、兵士達が行く先々の通り道の左右に武装を解いて列び、我々を迎え入れているが、その力強い目が『俺達はまだまだ戦える』と訴えていた。
祖国の国旗が一枚、また一枚と下ろされてゆく様を悔しそうに見つめており、悔しさのあまり肩を震わせて俯いている者も少なくない。
だったら、何故に降伏を受け入れたのか。
俺達との再戦を志して、昨日まで与えていたトリス砦の明け渡し猶予期間中に離脱しなかったのか。
その答えは簡単明白だ。
彼等は忠誠を捧げて慕っている元領主様が降伏を決断したからこそ、それに従った。自分達以上に悔しいだろう元領主様が降伏の屈辱を許容しているからこそ、彼等も降伏の屈辱に耐えれるのだ。
なんと麗しき主従関係なのか。元領主様が部下達の身を案じて、降伏を決断したのなら、その部下達は元領主様の決断を信じて、身を任せているのだから。
だが、その麗しき主従関係が付け入る絶好の隙となる。
そんな俺の交渉術をジェックスさんは『容赦無い』と評し、サビーネさんに至っては『悪魔の様だ』と評するが最高の褒め言葉であろう。
「まあ、運にも恵まれましたが、ここに居るコミュショー卿と出会えたのが最大の……。
……って、大将? さっきから黙っていると思ったら、何をニヤニヤと笑っているんだ?」
「えっ!? 俺、笑ってた?」
そんな愉悦に思わず口の端がニヤリと釣り上がりそうになるのを堪えているつもりだったが、駄目だったらしい。
ジェックスさんから指摘を受けて、両頬を両手で慌てて押さえて隠す。もし、勝ち誇りの笑みと捉えられたら、不要な刺激をミルトン王国の騎士達、兵士達へ与えてしまう。
その結果、後先を考えずに激高してしまう愚か者が現れかねない。
ミルトン王国の騎士達、兵士達の様子を考えたら、一人目が現れれば、二人目、三人目が必ず現れる。
そうなったら、一大事だ。最初は小さくても、両軍を巻き込んだ大きな騒動に発展する可能性が有り、せっかく綺麗に纏まった降伏が流れてしまうだろう。
「ああ、悪巧みしてそうな顔でな。
それとも、またネプルーズのシスティーちゃんの事でも考えていたのか?
もう止めてくれよ? 娼館へ行く言い訳に俺を使うのはさ。エスカ嬢に怒られるのは俺なんだからな」
「いや、あれはその……。マイルズの為であって、俺は別に……。」
「そう言う割に足繁く通っていたじゃないか?」
「だって、また来てねって言うんだよ? 帰り際に涙を浮かべながらさ。だったら、また行くしかないじゃないか!」
「ティミング卿、御覧下さい。この情けない男が俺を引き立ててくれた男です」
「ははは……。英雄、色を好むと昔から言いますからな」
しかし、肩の荷が下りて、気分は自然と軽くなり、口も軽くなれば、足取りも軽くなる。
侵入者の勢いを削ぐ為に敢えて踏み板の幅と高さがヒトの平均的な歩幅と合っておらず、駆け上がるどころか、歩きにくさを感じさせる階段もへっちゃらにスイスイと進んでゆく。
「なっ!?」
だが、それも階段を上りきるまでだった。
これまた侵入者の勢いを削ぐ為に天井を敢えて低く作られた第二郭へ通ずる門を通り抜けて、屈めていた上半身を起こした次の瞬間。
その視線の先にあった光景に息を飲み、俺とジェックスさんは揃って立ち止まると共に言葉を失った。
ここでもミルトン王国の騎士達、兵士達が通路の左右に武装を解いて列んでいる様は第三郭と変わらない。
ところが、その半数が兵士と呼ぶには明らかに若すぎる少年兵か、明らかに初老の域に達した老兵であり、それは最前線に有り得ない光景だった。
極論を言うなら、戦場とは走って、走って、走りまくる体力勝負の場である。
一旦、戦いの火蓋が切って落とされたら、戦場で立ち止まって休む暇など有りはしない。
立ち止まったら、立ち止まったで今度は目の前の敵を打ち倒して、自分自身の身を守る為、武器を力尽きるまでブンブンと振り回さなければならない。
戦場で生き延びる為に一番必要な要素は運だが、その自分ではどうしようもない要素を少しでも補えるのが体力だ。
亜人なら話も違ってくるが、身体がまだ出来上がっていない少年兵や体力が衰えてしまった老兵は戦場で真っ先に狙われる存在であり、端的に言ったら役に立たない。
おっさんが年老いながらも未だ現役でいられるのは貴族にして、騎士というこの二点が大きい。
子供の頃から栄養価が高い充実した食生活を送り、毎日の鍛錬を怠らない。それが基礎体力の違いと衰えを防いでいる。
だからこそ、この最前線のトリス砦に少年兵、老兵がこれほども多く居るのは明らかにおかしい。
軍の中には若い頃に兵士を生業に選び、数多の戦場を乗り越えてきた老兵が確かに存在するが、彼等は最前線へ基本的に配置されない。
彼等は長年の功労者として扱われ、体力を比較的に必要としない倉庫番などの後方勤務を与えられるし、戦役に駆り出されたとしても兵站部隊の後方任務に就く。
少年兵はたまに最前線で見かける事はあっても、それは従卒としての参戦である。仕える騎士の身の回りの世話を行うのが役目であって、戦場で戦う戦力に数えられず、その数も極めて少ない。
なにしろ、第二郭の入口ですら、この人数だ。
元領主様の人となりを考えたら、戦場での弱者たる少年兵と老兵を守る為、その配置は奥へ進むに従い、その数は多くなってゆくだろう事は想像に難くなかった。
もっとも、目の前の光景をある程度は予想していた。
ネプルーズの街を攻略するにあたり、街の偵察を行ったニャントーからミルトン王国軍に少年兵と老兵の存在が多いと聞いていたからである。
この砦の守備兵にネプルーズの街から撤退してきた兵士が多く含まれているだろう以上、そうなのだろうと予想はしていたが、俺は甘く見ていた。これほどまでに多いとは思ってもみなかった。
だが、その驚きもジェックスさんに比べたら遥かに小さい。
事実、ジェックスさんは思わずといった様子で右足を後ずらせている。
ジェックスさんはミルトン王国が少年兵と老兵を運用している事実を知らされていない。
所謂、これは『need to know』という奴だ。俺とバーランド卿の二人で相談して、そう決めた。
ヒトが獣となり、命を奪い合うルール無用の戦争の中にも小さいながらも仁義は存在する。
戦場の弱者たる少年兵や老兵を敢えて選んで戦うのもそれに当たり、これに背いた者は外道の汚名を着る。
しかし、俺達は勝ち続けなければならない。
ミルトン王国が少年兵や老兵を戦力の主体とするのなら、心を鬼にして戦わなければならない。
だから、この事実は伏せられた。
もし、この事実が知れ渡ったら、大きな影響を全軍の士気に与えかねないと判断して。
この事実を知っていたのは、俺とバーランド卿、ニャントー達の偵察部隊、ウルザルブル男爵を筆頭とするミルトン王国からの帰順者の限られた者だけであり、ジュリアスすら知らない極秘事項となっていた。
「ふっ……。驚かれましたか?
しかし、第一郭へ行けば、もっと驚きますよ? 第一郭には女性が……。いや、女の子すら居ますからね」
だが、『しかし』である。
俺達より少し遅れて立ち止まり、背中を向けたままに横顔だけを振り向かせた元領主様の口から俺とバーランド卿の二人が必死に伏せていた事実すらも遥かに凌駕する更なる衝撃が放たれた。
「何っ……。だとっ!?」
最早、驚きを通り越して、唖然、茫然。
俺とジェックスさんは元領主様が浮かべる自嘲に満ち溢れた苦笑へ揃った異口同音しか返せなかった。
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「それにしても、この目で実際に見た今でも信じられません。
あの様な下の毛がまだ生え揃ってもいないだろう女の子まで戦争に駆り立てているなど……。」
「残念ながら、それが我が国の今の現状……。お恥ずかしい限りです」
案内された第一郭最奥に建つ本営を兼ねた総司令官官舎の応接室。
最前線の砦ではあるが、女性が居る為だろうか。掃除が隅々まで行き届いているばかりか、野花がテーブルに生けられており、細やかな気配りが感じられる。
応接セットは一人掛けのソファーが部屋の奥側に二脚列び、その対面に三人掛けの長ソファーが一脚。
トリス砦がインランド王国の所有となった今、その上座に座るのはジュリアスの名代を務めるジェックスさんである。
今朝までトリス砦の主だった元領主様は客席になる三人掛けの長ソファー中央に座り、その二人の会話を耳にしながら、俺は元領主様から先ほど渡されたトリス砦に関する譲渡目録をジェックスさんの左隣で黙々と読み耽っていた。
「何故、兵力が多く、士気も充実していながら降伏するのか。
我々の多くがそれを悩みました。それこそ、罠の可能性を訴える者も居ましたが……。納得です。
あれでは戦えない。いや、戦ってはいけない。
綺麗事を言わせて貰うなら、私達は戦争をして、命の奪い合いを行っていますが、その片方でああいった子供や年寄りを守る為に戦っているのですから」
目録の一枚目に書かれている捕虜の総数は約一万五千人。
目録から除外されて書かれていないが、元領主様の話よると昨日までの退去猶予期間中にトリス砦を去った者達の数が約七千人。
即ち、この二つの数字を合わせた約二万二千人。これがトリス砦を守っていた実際の兵力数となり、三割にも及ぶ者達が降伏に応じなかったのが解る。
やはりと言うべきか、長年に渡って争い続けてきたインランド王国とミルトン王国の間にある溝は深い。思わず溜息が漏れそうになるのを堪える。
何故ならば、国家総動員令が過去に二度も発令している今、平民に帰る場所は無い。
帰ったところで戦場へすぐに戻されるだけの話。下手したら、臆病者、裏切り者と罵られ、酷い扱いを受ける可能性が有る。
ミルトン王国へ帰れる者はそれなりの地位を持つ貴族とその貴族に従う者達だけ。
昨日までの三日間、トリス砦を監視させていた者達の報告によれば、ミルトン王国方面の西へ向かった者達は五百人程度しか居ない。
実際、捕虜名簿の中に男爵以上の爵位を持つ者は元領主様を合わせて、たったの四人。
残留をちょっと期待していた宮廷魔術師に至っては一人も居らず、騎士の人数も約二万二千人の兵力を運用するには少なすぎて、軍勢が軍勢として機能しない。
だったら、残りの者達は何処へ行ったのかと行ったら、その答えは南だ。
誰もが寝静まった深夜、単独か、または数人程度の小集団で明かりを持たずに俺達の陣の前を通り抜けて、南へと夜逃げする姿を夜警担当のニャントー達が確認している。
正直なところ、その選択肢はとても賢いと言えない。
捕虜となる事を拒み、生まれ故郷へ帰らない事を選んだ彼等の身分は『流民』となるが、今は戦争の真っ只中である。
ここまでの地を占領下に置いたとは言え、支配はまだ完全に確立していない為、中部地方全域は厳戒態勢が敷かれており、その土地土地の住人ですら街や村の入退場を厳しく制限され、街道の往来に至っては厳しい審査とその審査に合格した証の許可証を所持していなければならない。
流民の様な身元不明者は問答無用で取り締まりの対象だ。
例え、取り締まりが比較的に緩い東部地方まで辿り着けたとしても、身分を持っていなかったら世間の目は非常に冷たい。生きてゆく為に身分を得る必要が有る。
それ故、頭が少し回る者は冒険者ギルドが在る街を目指そうとするだろう。
冒険者という身分は驚くほど簡単な審査で手に入り、冒険者ギルドが小さくても社会的な地位を保証してくれる。
「ええ、その通りです。
守るべき存在を戦わせては本末転倒でしかない。越えてはならない一線です」
ところが、その冒険者ギルドが在る街までが遠い。
最寄りですら、東部地方の中程まで目指さなければならない。
嘗ては中部地方にも冒険者ギルドは点在していた。
だが、オーガスタ要塞が陥落して、インランド王国がその版図を広げてくると、各地の冒険者ギルドは閉鎖を余儀なくされる。
結局、国から見たら、流民よりマシな程度で冒険者もまた根無し草である。
その様な者達が自由に行き交っていては軍としては都合が悪い。戦火が近づき始めた街から順々に冒険者達が締め出されていった結果だ。
果たして、どれだけの者が冒険者ギルドまで辿り着けるだろうか。
目録を読む限り、思った以上に兵糧が少ない点から考えるに元領主様は離脱者へ糧食を多めに渡した様だが、一人、一人が持ち運べる量を考えたら、どんなに節約して、どんなに休みなく早く歩いたとしても冒険者ギルドが在る街へ辿り着く前に尽きる。
運が良ければ、各村や各街の住人が元ミルトン王国民の誼で食料を支援してくれるかも知れない。
しかし、誰もが日々の生活に余裕を持っている訳では無い。支援が出来る様な者はそう多くないし、その量も満足には得られないだろう。
幸いにして、季節はもうすぐ秋を迎え、森は山の恵みで溢れ出す。
それを手に入れられたら飢えに悩みなどしないが、この世界の森を支配しているのはモンスターだ。
おまけに御存知の通り、中部地方南は焦土作戦の影響でモンスターランド化の真っ最中。
主要街道の南ルートは補給路確保の為に定期的な巡回を行わせて、往来の安全を徐々に回復しつつあるが、北ルートと中央ルートは未だ使えない。
むしろ、南ルートから追い出されたモンスター達が移動して、北ルートと中央ルートの危険度はより増している。
百人で構成された十部隊を北ルートと中央ルートの調査にそれぞれ向かわせたが、三部隊が残念ながら未帰還となり、残りの部隊も三割から五割の被害を出しての帰還という目も当てられない結果を出ている。
ここまで至ってしまうと、我々としては手に負えないし、関わっている暇も無い。
餅は餅屋である。トリス砦の降伏に関する業務が一段落したら、冒険者ギルドと提携した公共事業にして、冒険者達の大々的な誘致と北ルートと中央ルートからのモンスター駆除を実施する予定でいる。
だが、これ等の事情をトリス砦から離脱した者達は知る由もない。
その上、彼等は捕虜となるのを拒んだのだから、我々から必然的に逃れようとする筈であり、その殆どが東部地方を目指すにあたり、我々が定期巡回を行っている比較的に安全な南ルートより北ルートか、中央ルートのどちらかを選ぶだろう。
「ですが、それを選ぶのはとても難しい。
ましてや、貴方は伯爵だ。失ってしまうモノは多かった筈なのに、それを実際に選んだ貴方を私は心から尊敬します」
しかし、彼等自身が選んだ事だ。仕方が無い。
降伏交渉において、あれほど捕虜となった者達の待遇とその後を気にしていた元領主様がこちらの提示したその内容を伝えていない筈が無いのだから。
確かに捕虜となった者達は身分を『奴隷』に落とされる。
従事させる予定である焦土地帯の廃墟となった村や街の復興作業はほぼゼロからの開拓も同然。決して楽な毎日では無い。
だが、奴隷と一括りに言っても、この場合の奴隷は奴隷商人が扱う奴隷と大きく違う。
奴隷商人が商品として扱う奴隷は奴隷が奴隷たる証の焼き印を利き手の甲に焼き入れられ、奴隷商人か、購入主の許可が無い限り、その身分は死ぬまで奴隷のままだが、捕虜の場合は奴隷印が刻まれず、身分回復の手段も最初から用意されている。
戦場で武勲を挙げる。これなど身分回復の最たる例だ。
それなりの地位を持つ者の目に何らかの理由で止まり、軍が認めさえすれば、その時から身分はインランド王国民となる。
それが駄目だった場合でも奴隷となった時に与えられた数年間の兵役や苦役を遂げたら少ないながらも餞別金が与えられて、インランド王国民となるか、ならないかを選べる。
今回の場合、復興した村や街に住人が居なかったら復興させた意味が無い為、その地に住んで貰い、食い扶持になる土地を退職金代わりにする予定でいる。
無論、彼等は奴隷であっても大切な戦力であり、労力である。衣食住はきちんと与えられる。
この辺りは奴隷を扱う者の裁量で程度は変わるが、俺とジュリアスの下では一般兵士との差は付けていない。明確な差と言ったら、功績による報奨金は出ても日々の給金が出ない点か。
これ等を考えたら、前述の捕虜とならなかった場合の先に待っているだろう未来よりは断然に明るい。
もし、冒険者の身分を手に入れる前に取り締まりで捕まってしまったら、結局のところは『奴隷』である。
その際は言うまでもないが、素直に恭順を現時点で示した捕虜達とは同列に扱えない。待遇の差が悪い方に生まれるのは当然の理だ。
それこそ、飢えるあまり食料を強奪するなどの犯罪に手を染めて捕まったらもう終わりだ。
まだ人権思想が発達どころか、発生してもいないだろうこの世界において、刑罰とは拷問でしかない。
反省を促す禁固刑なんて、よっぽどの軽犯罪にしか適応されない。
最低でも棒叩きとなるが、飢えるあまり犯罪を犯した者が百回も、二百回も棒で叩かれて無事な筈が無い。
例え、棒叩きの刑罰を乗り越えられたとしても、そこで得た傷も、失った体力も回復が出来ずに野垂れ死ぬだけ。
俺としては『彼等の未来に幸あれ』と祈る事しか出来ない。
幸運がこれでもかと何度も重なり、冒険者として大成する奇跡だって、か細いながらも可能性としては有るのだから。
「ありがとうございます。
しかし、降伏した私がこう言うのも何ですが……。これで勝ったとは思わないで頂きたい。
この先、あなた方が王都を目指そうと言うなら、これまで以上に用心してかかる事です。
西部地方へ足を踏み入れたら、あなた方を本気で迎え撃とうと無傷の精鋭が重い腰を上げて出てきます」
「無傷の精鋭? それはどういう意味で?」
それより、今は別の問題で頭が痛い。
捕虜となった約一万五千人の内、五千人弱も居る少年、少女、老人の扱いを早々に決めなければならない。
彼等、彼女等に重労働な復興作業は難しい。
だからと言って、職を与えずにただ食べさせられるほどの余裕は無い。
特に女の子達の扱いに困る。
前の世界で言ったら、小学生中学年。年齢を聞いて確かめた訳では無いが、それくらいの女の子さえもが何人も居た。
俺も、ジェックスさんも、元領主様から予め教えられていたにも関わらず、その異常な光景に眩暈を覚えて、思わず目線を手で覆うしか無かった。
彼女等を俺にどうしろと言うのだ。
少年なら騎士へ対する憧れもあるだろうから、取り敢えずは兵站部隊などの後方勤務を従事させると共に数年先を見越した兵士として鍛えれば良い。
老人ならこれまで生きてきた人生経験があるから、復興作業を行う者達を纏めたり、知恵袋的な存在としての活躍が見込める。
ところが、女性と女の子はそうもいかない。いかに奴隷商人が扱う奴隷とは違うと言っても、奴隷は奴隷である。
彼女達がソレな役目を自分から申し出てくれるなら問題は無いが、下手に兵士達の中に置いたら、彼女達がどういう扱いを受けるかなど想像に容易い。
取り敢えず、今後も女性の捕虜が増える可能性も考えて、何処か適当な場所に収容所を作り、そこで農作業に従事して貰うか。
ただ、これだと地方の村に住んでいる平民の暮らしと何ら変わらず、どう考えても彼女達以外から不満の声が出そうな予感がする。
そもそも、こんな事態は前代未聞だ。
大きな街が占領されたら、捕虜となる女性は千人単位で居るだろうが、その場合は市民が捕虜となるのであって、兵士が捕虜となるのでは扱いが違う。
恐らく、前例など無いだろうし、俺が前例になってしまうのだろう。
それだけに彼女達の扱いは慎重にならざるを得ない。本音を言ったら、誰かに丸投げしたいが、誰も受けてくれないのは目に見えている。
「オーガスタ要塞が陥落して、今日までの十年間。
我々はあなた方と戦い続けてきましたが、その戦力の殆どは北部地方、中部地方、東部地方の三つから捻出されたものです。
完全にゼロとまでは言いませんが、ゼロと言っても良いくらいに西部地方の戦力は投入されていません。
西部地方の戦力は各地で続出している流民を取り締まる組織の人員として運用されています。
そして、彼等はまともな兵士であり、まともな軍隊です。我々の様な女、子供、老人にすら頼らなければならなかった軍とは違います」
「何故、その様な……。」
戦場において、女性の数は極めて少ない。
家の事情などで騎士となる女性は少ないながらも存在するが、大抵は後方勤務に任命される。
前線勤務に任命されたとしても思わぬ遭遇戦でも無い限り、実際に剣を戦場で振る事は少ない。サビーネさんの様に陣や拠点で兵の指揮に徹するのが普通である。
ルシルさんの様に戦場を駆け抜け、武勲を自分の手でもぎ取れる武将としての活躍が出来る女性は極めて稀な例と言える。
その理由は簡単明白。性差の問題だ。
一般的に女性は男性と比べたら、力と体力の両面でやはり劣る。
これだけでも大きなハンデになっているが、この上の女性は女性たる証の月一事情を避けられない。
その症状は軽い、重いの個人差が有れども体調に悪影響を及ぼす以上、これが更なるハンデになっている。
ルシルさんとて、これは例外で無い。
その症状は軽い方らしいが、その時ばかりはルシルさんを作戦から外して、最近はマイルズがルシルさんの部隊は率いる決まりになっている。
逆に言えば、ルシルさんは陣営随一の突撃力を誇る要の存在だけに大事な作戦がその時に重なったら、急く理由が無い限りは作戦自体を延期してさえいる。
これに加えて、もう一つ。
女性が戦場に極めて少ない最大の理由が存在するが、それは女性の尊厳に関するもの。敢えて説明するまでも無いだろう。
「それを説明するには我が国の恥を語らねばなりませんが……。
簡単に言うのなら、宮廷の連中にとって、大事なのは自分の栄達と自家の繁栄。それ以外はどうでも良いのです。
しかし、自分達が住んでいる王都が落ちたら全てを失う。
だから、王家を守る為でも無ければ、国民を守る為でも無い。自分と自分の家を守る為、ここまで国土を失っていながらも戦力を未だに出し惜しみしているのです」
「……馬鹿な」
そういった事情から徴兵を命じられても、村や街から女性が兵士として送られてくるなど普通は有り得ない。
少年や老人も同様だ。軍は戦える者を、戦力を求めているのであって、満足に戦えない者を兵士として送り、数だけ揃えられても意味が無い。
その場合、少年や少女、老人を兵士として送り出すのを容認した領主、代官が罰の対象となる。
しかし、領主、代官にも領主、代官なりの事情が有り、軍が要求を飲めない時が有る。
通常、そういった場合は冒険者ギルドを介して冒険者を傭兵として雇い、それを送るのが慣例になっている。
具体例を挙げると、このミルトン王国戦線におけるジュリアスへ提供した南方領の兵力の二割近くが実はソレに当たり、その内情に実は複雑な南方領の政治事情があるのだが、今は関係無いので説明は省く。
ところが、俺の見た限りはこのトリス砦に傭兵は一人も見当たらなかった。
傭兵は土地に根付かない気ままな生活がそうさせているのが、独特の雰囲気を持っており、兵士とは一目で違うと解る為にまず間違いない。
トリス砦が降伏する故に雇用契約が同時に切れて、昨日までの退去猶予期間中にトリス砦を去ったのかと考えたが、恐らくは違う。
傭兵は戦いを日々の糧に選んだ者達だけに強くて頼りになる存在だが、同時に彼等は命が第一、金が第二の者達でもあり、敗戦色が濃くなった途端に弱腰となり、逃げ出すのが特徴だ。
そんな彼等から見たら、この少年や少女、老人が居るトリス砦は契約金を三倍は支払って貰わなければ割に合わない戦場。元々、傭兵は居なかったと考えるのが妥当ではなかろうか。
つまり、元領主様が今言った言葉と合わせて考えると、このトリス砦の現状はミルトン王国西部地方以外そのもの。
各地の村や街は疲弊しきり、少年や少女、老人を戦場へ送るしかない狂った状況に陥っており、その地を治める領主は傭兵を雇える余裕が無くなって、この狂った現状をミルトン王国軍は黙認している。
解りやすく例えたら、大飢饉に襲われて、領主からの救済援助を望めず、各地の街や村が口減らしを行っている様なものか。
村や街というコミュニティを維持してゆくには必要最低限の働き手が必要になる為、犠牲を真っ先に強いられるとしたら、それは満足な働き手となりえない弱者たる少年や少女、老人から選ばれてゆくに決っている。
「そう、馬鹿なのです。我々とて、その戦力さえ有ったら戦い方はまだ幾らでも有った。
少なくとも、あなた方をネプルーズから素通りさせる様な真似はさせなかった。
だが、援軍を幾ら求めても梨の礫。……と申し訳ない。今更、詮無き愚痴を聞かせてしまい」
「いえ、私も似た様な経験を過去に何度も持っていますから、そのお気持ちは良く解ります」
元領主様が抱いているミルトン王国政府へ対する怒りを理解せざるを得ない。
コゼットの行方を捜す過程で俺が育ったヒッキー村が廃村になったのは知っていたが、この十年の間にミルトン王国内でどれだけの数の村や街が無くなっているのだろうか。
このままでは未来が無さ過ぎる。
各地の村や街から働き手の男達が消えて、女性ばかりが目立つ様子が目に浮かぶ。
ある意味、男にとっての理想郷と言える状況だが、ヒトの女性は一度に一人しか子を成せない。双子や三つ子が生まれる事も有るが、それは稀だ。
その上、この世界の医学は前の世界と比較にならないほど劣っている。
神聖魔法という便利な手段が弊害となって進化を妨げているのか、その殆どが原始的ものや迷信的なものばかり。
ここに貧しい食生活事情も加わり、平民の子供は風邪をちょっと拗らせただけで簡単に死ぬ。
俺が育った村も同世代がインフルエンザっぽい流行病で命を軒並みに落としており、俺は男友達が一人も居なかった。
挙げ句の果て、ヒトという生き物は一人前の大人になるまで十年、二十年の長い年月がかかる。
この先、ミルトン王国は最低でも二十年から三十年は国力の低迷が続き、民衆の生活はとても厳しいものになるのは確実だ。
「とにかく、何かにつけて、万事がこの調子です。
西部地方はいつも優遇を受けて、それ以外は割を食った上に尻拭いをさせられる。
もう祖父の代よりずっと前から……。
そして、この不公平を宮廷の連中は恰も神聖不可侵の様にこう呼ぶのです。伝統と……。」
人生とは本当に不思議なもの。
どちらが幸せなのか、その答えは出せそうに無いが、約十年前のあの日、あの場所、あの瞬間に何事も起こらなかったら、俺はこちら側に居なかった。
そちら側で元領主様と共に戦い、今日の降伏を悔しさに迎えているか。コゼットの手を握り締めて、暗い未来しか見えないミルトン王国から逃げていたか。
溜息を堪えきれずに深々と漏らして、沈んだ気分を変える為に疲れ目の瞼を揉みほぐそうとしたその時だった。
「と、特盛りぃっ!」
窓からの光が遮られて、視線が注がれている手元の書面に影が差した。
字が必然的に読み難くなった小さな不愉快に皺を眉間に刻み、それを伝えようと視線を上げるなり、愕然と目をこれでもかと見開いた。
いつの間に応接室へ入ってきたのだろうか。
俺のすぐ左隣にティーワゴンと一緒にメイドさんが立っていた。
ティーポットからお茶を注ぎ、そのティーカップをテーブルの上へ置く。
応接セット特有の天板の低さの為、上半身を屈めながら。
たった、それだけの動作にも関わらず、メイドさんの胸は揺れた。
擬音で表現するなら、『プルン、プルプルルルン』とたわわに実ったソレが上下に弾んで揺れた。
メイドさんが着ている服はメイドさんだけにメイド服である。決して、薄着でも無ければ、胸を強調する様な服でも無いのに揺れた。
何という瑞々しさに満ち溢れた張りにして、ビックなサイズ。
これを胸、或いはおっぱいと呼んではいけない。健全な男なら、敬って崇め奉らねばならない『御胸様』である。
その神々しさのあまり気づいたらソファーから立ち上がって叫んでいた。
「えっ!?」
だが、今まで会話に混ざらず、目録を黙々と読み耽っていた奴がいきなり立ち上がって叫んだら、当然の事ながら注目を浴びる。
元領主様とジェックスさんが何事かと顔を勢い良く振り向け、メイドさんもすぐ傍で叫ばれた驚きに上半身を素早く戻して後退った。
その際も御胸様は『プルルン』と揺れてしまうのだから実に素晴らしい。
しかし、女性の胸を凝視するのは紳士として有るまじき行為なのは言うまでもない。
いつまでも見ていたいが、いつまでも見てはいれず、耐え難い名残惜しさを感じながら視線を御胸様から上げて気づいた。
「い、いや……。そ、その……。
えっ!? ……もしかして、エステル? エステルだよな?」
約十年前、全ての始まりのきっかけとなった事件。その被害者であり、俺の妹分だったエステルの面影を目の前のメイドさんに感じるのを。