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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十四章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 ミルトン王国戦線編 下
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第05話 先公後私




「ホーー……。ホーー……。」


 藪と雑草が生い茂った夜の森に響き渡る梟の鳴き声。

 元領主様との交渉を終えて、猟師小屋を出て以来、俺とネーハイムさんの二人はただただ黙々と歩き続けていた。


 但し、それは味方の陣へ一刻も早く帰ろうとしてのものでは無い。

 どちらかと言ったら、その逆。お互いに歩を進めてはいるが、足取りは重くて、明らかに味方の陣へ帰るのを嫌がっていた。


 降伏の交渉は上手く行った。

 こちら側が利を大きく勝ち取っており、ほぼ満点と言える自負が持てる内容だった。


 しかし、降伏の交渉の後に問題が起きた。

 ずっと捜し続けていたコゼットの行方が解ったのである。とんでもなく衝撃的な事実を伴って。


 インランド王国の南に位置するアレキサンドリア大王国。

 両者の間には面積が南方領の半分以上に及ぶ巨大な『バビロン砂丘』が在り、お互いに兵を進めるのが非常に困難な地である為、北のロンブーツ教国や西のミルトン王国の様な継続的な戦争状態とはなっていない。


 だが、インランド王国とアレキサンドリア大王国もまた国境が接して以来の犬猿の仲である。

 特にインランド王国側の尖兵となり、常に矢面に立ってきたオータク侯爵家とその陪臣、領民達のアレキサンドリア大王国へ対する敵愾心は強くて根深い。


 これは歴代インランド国王の南へ対する野心が北と西と比べて薄いせいもある。

 過去を調べると、インランド王国が攻め入った回数よりもアレキサンドリア大王国が攻め入ってきた回数の方が圧倒的に多い。

 その為、オータク侯爵家とその陪臣、領民達から見たら、アレキサンドリア大王国は侵略者のイメージがとても強い。


 そのアレキサンドリア大王国にコゼットは居た。

 それもインランド王国側の尖兵がオータク侯爵家なら、アレキサンドリア大王国側の尖兵たるマスカット大公家に庇護されて。


 何故、平民のコゼットがアレキサンドリア大王国の大王選出権を持っている王家に等しいマスカット大公家に保護されているのか。

 ここで当然の疑問が浮かぶが、なんと俺はマスカット大公家直系の血を引く今代のマスカット大公の孫であり、親父を含むマスカット大公の子供三人は既に亡くなっており、親父以外の二人は子を成さないままに亡くなってしまったが為、現時点におけるマスカット大公家第一継承者だと言うではないか。


 青天の霹靂とは正にこの事かと言える衝撃的な事実だが、更なる驚愕がまだ有る。

 なんと、なんと、コゼットが男の子を出産済み。元領主様の話によると、今年で八歳を数え、その年齢から逆算したら父親が誰かなど言うまでもない。この俺だ。


『この戦い、アレキサンドリア大王国は何処まで関わっているんだ?』


 そう元領主様が問いかけてきたのも納得である。

 もし、俺がおっさんと出会わなかったら。もし、マスカット大公が俺の存在を何らかの形で知り、その庇護下に入っていたらと想像する。


 ヒッキー村に住んでいた頃の話だ。俺は親父に似ていると良く言われた。

 顔もそうだが、持っている雰囲気が似ているらしい。特に女性の立派な胸に目を奪われるスケベなところが良く似ていると言われ、コゼットから変なところまで似なくて良いと罵られれは良く肘打ちを受けてたり、尻を抓られていた。


 それ故、マスカット大公は俺を可愛がり、甘やかせてくれるに違いない。

 誰にとっても孫というものは格別に可愛いものらしいが、諍いの果てに出奔してしまった親父の行方を長い年月と莫大な費用をかけて捜していた事からマスカット大公の大きな後悔が窺えるし、苦労の末に見つけた筈の親父が既に亡くなっており、自分に残された唯一の直系となったら尚更だ。


 余談だが、親父とマスカット大公の間にどんな諍いがあったかは知らないが、諍いが有った事だけは知っている。

 あれはいつだったか、親父が珍しく深酒をし過ぎて酔っぱらい、それまで一度も喋った事が無かった親兄弟の存在を少しだけ漏らした事が有った。

 その時は『当たり前だが、俺にも祖父が居るんだな』と言う程度の軽い気持ちしか抱かなかったが、その祖父がマスカット大公とは予想外にも程が有る。


 しかし、アレキサンドリア大王国に在って、俺は遠く離れた地で育った完全な余所者だ。

 その点では今と解らないが、今の俺はおっさんの手助けとジュリアスのコネが有ったとは言え、最下の士爵位から実績を重ねて、オータク侯爵家の執政まで成り上がっているところが大きく違う。

 これがレスボス家の庶子になるまでは同じとして、その後は大した実績を得られないままにおっさんの鶴の一言でティラミスと結婚していたら、どうなっていたか。


 まず間違いなく、オータク侯爵家は少なくない求心力を失う事となる。

 オータク侯爵家陪臣達と南方領の領主達の双方から不満の声が挙がり、おっさんは前者を抑えられるとしても、後者までは抑えきれない。


 無論、俺がオータク侯爵家執政の地位に就く事も有り得ない。

 あくまでオータク侯爵家の顔はティラミスであって、俺は政治も、軍事も手出しどころか、口出しすら出来ない只の種馬扱い。


 それでも、オータク侯爵家でなら救いはまだ有る。

 アレキサンドリア大王国が攻めてきたら、夫である俺はティラミスの陣代として戦場に立たなければならず、そこで武勲を打ち立ててゆけば、基本的に武人気質を持つ者が多い南方領の面々の事だ。すぐには無理でも次第に俺を認める様になってゆくだろう。


 事実、おっさんが考えていた当初の思惑はこれに近い。

 トーリノ関門での兵役後、俺をオータク侯爵家領に近い国王直轄領の代官に任じさせて、その統治実績とアレキサンドリア大王国との戦いでの武勲を以って、ティラミスと婚約、結婚させるつもりだったらしい。

 おっさん曰く、トーリノ関門での武勲はさすがに予想外だったが、これくらいの実績と武勲は俺なら挙げられる筈とこれっぽっちも心配していなかったとか。


 だが、その救いすら、マスカット大公家では無いに違いない。

 なにせ、マスカット大公はおっさん以上に高齢であり、俺はマスカット大公家直系に残った唯一の孫である。

 マスカット大公は命の危険性が高い戦場に出したがらず、出したとしても絶対に安全な後方で置物として飾られるのが関の山だ。

 そんな立ち位置で得た武勲など武勲とは言えないし、政治面でもド田舎の猟師だった者の言葉に耳を貸す者など居る筈が無い。


 しかし、俺がよっぽどのヘマをしない限り、マスカット大公は俺を可愛がり、次代のマスカット大公に就かそうとする。

 臣下にとって、これほど扱い難い主は居ない。権威だけは燦然と輝いており、俺の機嫌を下手に損ねたら、マスカット大公の怒りを呼んで身の破滅が待っているかも知れないのだから。


 まだ問題は有る。俺の存在が発見される以前に居ただろうマスカット大公の地位を継ぐ筈だった者の存在だ。

 その者の人となりと選択次第によって、今代のマスカット大公の死後、マスカット大公家領を割る大きな内乱が起こる可能性が有る。


 だったら、マスカット大公家の血を活かして、俺を外交手段に用いた方が断然に良い。

 即ち、婚姻による他国との関係強化、或いは関係改善である。それも俺が他国へ婿入する形でだ。


 その相手にオータク侯爵家はこれ以上ない良縁と言える。

 爵位は格下になるが、俺が平民として育ったマイナス点を考えたら格的に問題は無い。


 幸いにして、俺とコゼットの間に生まれた男の子が居る。

 この生まれからマスカット大公領で育った子の方がぽっと出の俺より次代のマスカット大公としては何倍も理解が得られる。


 強いて問題点を挙げるとするなら、コゼットが平民である為、その扱いが庶子になるが、それも俺の様にコゼットの経歴を捏造してしまったら問題は無くなる。

 実際、その手段を既に用いている。元領主様の話によると、コゼットは元領主様のティミング伯爵家分家の養子となり、今はマスカット大公家直臣の男爵になっているらしい。


 その結果、俺はコゼットと会う為にマスカット大公家領を、夫婦の義務を果たす為にオータク侯爵家領を交互に訪れる忙しない年月を送る様になるが、実質的な人質である俺が双方を交互に移動する以上、インランド王国とアレキサンドリア大王国の間に確実な平和が実現する事となる。

 それもティラミスとの間に子供が生まれた後は異母兄弟となるが、兄がマスカット大公家を、弟がオータク侯爵家を継ぎ、二代に渡る平和が最低でも保証されており、これは両国にとっての大きなメリットになる。


 だが、それは絶対に実現不可能な夢物語に過ぎない。

 前述にも有るが、元領主様は知らない。南方領では誰しもが間柄の近い、遠いは有れども友人や恋人、親兄弟や身内をアレキサンドリア大王国との戦いで失っており、強くて根強い敵愾心をマスカット大公領に抱いているのを。


 そんな領民達の心を蔑ろにして、オータク侯爵家がマスカット大公家と婚姻関係を結ぶなど太陽が西から上るくらい有り得ない。

 もし、オータク侯爵家とマスカット大公家が婚姻関係を結ぶとするなら、それは最低でも五十年はかかる。インランド王国とアレキサンドリア大王国が不可侵条約を結び、その平和な時が親、子、孫の三代を経て、今ある敵愾心が綺麗サッパリと消えた後での話になる。


 だからこそ、俺がマスカット大公家直系の孫という事実は冗談にしても笑えない。笑えたら幸せだった。

 この事実を元領主様から聞いた時、俺とネーハイムさんは言葉を完全に失い、口をアングリと開け放った間抜けな顔をお互いに見合わせたほど。


 なにしろ、この世界より文明と文化が進んだ前の世界ですら、人は血統という価値観の呪縛から逃れられていなかった。

 その良い例が政治家だ。世襲政治から民主政治を勝ち取っていながら、人は生き様である筈の政治家を職業と勘違いして世襲を許していた。


 当然、政治どころか、ほぼ全ての職が世襲のこの世界において、血統の価値観はもっと強い。

 親父から教えられず、知る由も無かったとは言えども、この事実が知られたら大スキャンダルである。

 オータク侯爵家執政という絶大な権力を得た俺だが、それはまだまだ不安定な立場であり、その足場が一気に崩れかねない。


 とにかく、この事実は秘密にする他は無い。

 ただ、俺一人の胸に抱え込んでおく秘密としては大き過ぎる。万が一の時、対応が一人では困難な為、まずは政治面での右腕であるサビーネさんに明かしておく必要が有る。


 おっさんとティラミスの二人はバカルディの街へ帰ってからだ。

 とても手紙では伝えられない。コミュショー男爵家とオータク侯爵家の二つの紋章で蝋印された封印を破る馬鹿は居ないと思うが、安心は決して出来ない。


 今、それ以外で秘密を共有しているのは元領主様とヘクターとネーハイムさんの三人。

 元領主様とヘクターは別れ際に口外をせぬ様に固く約束してきた。二人の人となりを考えたら、これでまず大丈夫だろう。


 しかし、ネーハイムさんに対しては経歴を偽って騙していた負い目が有る。

 騙していた以上、俺とネーハイムさんの間にあった主従関係は無効となり、これまでの様にただ命じる事は出来ない。

 でも、ネーハイムさんもその人となりを考えたら口外しない様に頼みさえすれば、ネーハイムさんは主従関係を抜きに秘密を墓まで持っていってくれるに違いない。


 だが、この秘密以前の問題。ネーハイムさんが俺から離れてしまうのが辛い。

 小市民の俺が紛いなりにも数千、数万の兵士を率いる指揮官を今までやってこれたのはネーハイムさんの存在が有ってこそだ。


 暗闇しか見えなかった木々の隙間に明かりがちらほらと見え始める。

 それは味方の陣へ近づいている証であると共にネーハイムさんと二人っきりで誰にも邪魔されずに話せる時間切れが近づいている証でもある。


「さて……。ここらにするか」

「えっ!?」

「多分、解っているとは思うけど、小屋での話は半分も持ち帰れない。

 だから、ここでじっくりと話し合って……。わだかまりを捨てていこう」


 もう悩んでいる暇など有りはしない。そう決心して立ち止まり、俺の前を先行するネーハイムさんを呼び止めた。




 ******







「まずはごめん。この十年間、知り合ってからずっと騙していたのを謝る」


 森の暗闇の中、お互いの顔が解る程度の距離で向かい合う事暫し。

 開口一番と共に踵を揃えながら姿勢を正して、頭を九十度の角度で深々と下げる。


「止して下さい! ニート様が頭を下げる必要なんて有りません!」


 しかし、頭を下げきる前に息を飲む声が聞こえた。

 ネーハイムさんが俺との距離を素早く詰めて、俺の両肩を押し止める。


「だけど、これはケジメだ」


 そう言われても今まで騙していた過去が取り消せない以上、誠意を見せる他は無い。

 これからも共に居て欲しい未来を語る前にまずは謝罪を受け取って貰わなくてはならず、ネーハイムさんの力を押し切る為に力を腹筋に込める。


「確かに出会ったばかりの頃でしたら、騙していたなと声を大にして怒鳴っていたでしょうが……。

 今の私が忠誠を捧げているのはニート様とコミュショー男爵家であって、レスボス侯爵家では有りません。今となってはどうでも良い事です」

「えっ!? ……どうでも良いの?」


 だが、レスボス家へ対する意外なまでの軽い扱いがネーハイムさんの口から告げられて拍子抜け。

 力も一緒に抜けて、頭を下げるのとは逆に上げ戻して、思わず目をパチパチと瞬きさせていると、ネーハイムさんは息をホッと短く漏らして、元の位置まで後退った。


「はい、私は今の自分に満足しています。

 尊敬が出来る主と気の合う同僚と仲間、やり甲斐のある毎日……。

 この三つが揃っていながら不満だと言うのなら、それは贅沢というものです。

 ですから、安心して下さい。学の薄い私でも先ほどの話がニート様の足元を危うくするものだと承知しています。口外は絶対に致しません」


 どうやら、俺はネーハイムさんを見誤っていた様だ。

 その忠誠心の深さは前々から承知していたが、それはレスボス侯爵家へ、義父へ対する忠誠心が核となっていて、その上に俺へ対する忠誠心が有るものだとばかり考えていた。


 ネーハイムさんの忠誠心は俺だけに捧げられた純粋なもの。

 今を語るネーハイムさんの表情は誇らしくも嬉しそうであり、レスボス家へ対する忠誠心は完全に嘗てのものとなっていた。


「それは……。つまり、これからも俺に仕えてくれると?」

「無論です。ただ、やはり心の内は知っておきたい。

 知っておかなければ、私もどう動いて良いのかが解りませんから……。」


 しかも、その忠誠心は俺が考えていた以上に厚くて堅い。

 俺の問い掛けにしっかりと頷いたのもそうだが、この口ぶりから察すると、俺が今持っている全てを投げ捨てて、コゼットの元へ走る意思が有るなら、その逃避行にさえも付き従う用意が有るらしい。


 ここまでの献身を見せられて、感動を覚えない筈が無い。

 尚更、見誤っていた今までを謝罪したいが、心が感動に打ち震えるあまり上手い言葉が見つからない。

 喉から何度も出かかるも今の感動を伝えるに足りていないと飲み込み、喘ぐ様な醜態を結果的に晒してしまう。


「どうするおつもりですか? 会いに行かれますか?」

「いや、それは無い」


 だが、この質問に対しては即答が出来た。

 ここまでの道中、考えに考え抜いた末の決断だ。


 同時にそれを口にする事で僅かに残っていた迷いも晴れた。

 これが正しいのか、間違っているのか、今はまだ解らないが、この決断を俺はもう悩まないし、後悔もしない。


「何故です! この十年間、ずっと捜して! それでやっと見つかったと言うのに!」


 すると今度はネーハイムさんが瞬きをパチパチと繰り返した。

 一拍の間の後、右足を半歩踏み出しながら信じられないと言わんばかりに声を張り上げると、その大声に驚いたのだろう。少し離れた藪の中から俺達の様子を窺っていたらしい小動物達が藪をあちらこちらでガサゴソと鳴らして遠のいてゆく。


 当然と言えば、当然の反応だ。

 この十年間、寝室での時間を除いたら、俺の傍に居て、時間を最も共有しているのは副官を務めるネーハイムさんである。

 それだけに俺がコゼットをどれほど想っているのか、その行方を捜すのにどれだけの苦労を重ねて、どれだけ再会を願っていたのかを全て知っている。


 だから、語らなければならない。

 何故、コゼットの元へ会いに行かないのか。その選択をした理由を語らなければ、この十年の間に俺が語ってきた言葉の全てが嘘になる。


「そうだね。本音を言ってしまえば、今すぐにでもコゼットに会いたい。子供の顔だって、この目で見たい。

 多分、ネーハイムさんと初めて出会った頃の俺だったら、これっぽっちの迷いも持たず、善は急げとアレキサンドリアへ飛んで行っただろう。

 だけど、今の俺はその頃の俺とは違う。もう俺はヒッキー村に住んでいた頃の只のニートじゃない。

 今の俺はニート・デ・ドゥーティ・コミュショー・ナ・オータク……。オータク侯爵家の執政であると共にコミュショーを治める男爵だ。

 おっさんやティラミスを始めとする多くのヒト達が俺に期待している。その期待を裏切る訳にはいかないし、裏切ったら俺は自分自身を許せそうに無い」


 護身の為に持っている愛槍を大地に突き刺して、腕を組む。

 ネーハイムさんを暫く見据えた後、上を見上げると、木々の合間に見える夜空に星々が美しく瞬いていた。


 最近は忙しさが過ぎて、その暇が無かった。

 空を見上げるのですら、進軍や作戦の為に明日の天気を占う業務の一環だった。


 こうして、夜空をゆっくりと見上げるのはいつ以来になるか。

 この地がミルトン王国であり、俺が育ったヒッキー村に近づいたせいか、頭上の夜空は子供の頃に何度も飽きるほど見上げた夜空に良く似ている様な気がした。


「第一、今まで死んでいった者達へ申し訳が立たない。

 ヒトが命を賭して、国同士の争いにわざわざ身を投じる理由は千差万別だ。千人居たら、千の理由が存在するだろう。

 でも、たった一つだけ……。誰もが持っている共通の思いが有る。

 それは国の為なんかじゃない。自分と身近な誰かの為で……。

 敵も、味方も、 今日までの戦いの中で死んでいった者達は今日よりも明日が少しでも良い日になります様にと願って死んでいったんだ。

 その願いが有るからこそ、ヒトは戦える。死地にすら飛び込んで行ける。……俺はそう考えている。

 だったら、戦いに生き残った者は命を奪った数だけの願いを背負って生きてゆくのが義務だ。それが重いからと言って、勝手に下ろす事は許されない」

「ニート様……。」


 村を追放されてから、今日までの十年間。本当に様々な事があった。

 ド田舎の猟師に過ぎなかった俺が貴族に、それも一国の政治にすら影響を及ぼす大貴族になるなんて、誰が想像しただろうか。


 それはコゼットに関しても同様だ。

 奇しくも、俺と同じ男爵位との事だが、貴族をちゃんと上手くやれているのかと心配になる。


 しかし、それ以上に心配なのが、今のコゼットが幸せでいるのかどうか。

 コゼットは今年で二十四歳になる。俺の思い出の中のコゼットは歳を取らずに少女のままでいるが、今はきっと綺麗な女性に成長しているのだろう。


 絶世とまでは言えないが、少女の頃から足りないのは胸くらいで美女になる要素は十分に持っていた。

 もしかしたら、その問題点の大平原に等しい小山も奇跡が起きて、大きく立派に成長しているかも知れない。


 当然、コゼットへ想いを寄せる男が現れてもおかしくは無い。

 そう考えると居ても立ってもいられなくなる反面、居なかったら居なかったでコゼット周辺の男達の見る目の無さに怒りを覚える。


 そして、何と言っても気になるのが、やはり俺とコゼットの間に生まれた男の子の存在だ。

 目は、髪は何色なのか、痩せているのか、太っているのか、俺似なのか、コゼット似なのか。ありとありえる全てが気になって、気になって仕方が無い。


 俺似なら、その容姿は残念かも知れない。

 だが、お父さんだって、美人のお母さんを捕まえられたのだから安心しろ。そう慰めてやりたい。


 コゼット似なら、将来はイケメンリア充は確定している。

 どんな美人のお嫁さんを連れてくるのかが今から楽しみだ。


「それともう一つ……。やっぱり、俺はジュリアスを見捨てられない。

 もし、俺がここで手を引いてしまったら、善戦は出来たとしても善戦止まり。第三王子派はまず勝てない。

 バーランド卿とスアリエ卿の二人は頼もしい存在だが、第二王子派と第一王女派のどちらと戦うにも格が足りない。

 今はこちらへ顔を向けていても、日和見する奴が土壇場で絶対に現れる。

 だから、その時が来るまで俺はオータク侯爵家の執政で在らねばならない。俺はジュリアスを玉座に座らせるとそう決めたんだ。

 あとは肝心要のジュリアスが首を縦に振ってさえくれたらだが……。あいつは優しいからな。

 この話をしても、いつもの様に兄弟同士で争うなんてと嫌がるだろうし、自分には向いていないと聞く耳を持とうとしないだろう。 

 だけど、あいつは馬鹿じゃない。とっくに解っている筈なんだ。

 最早、本人達の意思など関係無い。次の玉座を賭けた争いは血を塗らずして終わらないと。

 なら、今は目の前の事だけに集中しなければならない。それが玉座への近道なのだから……。

 そして、ジュリアスが玉座に座りさえすれば、俺の地位は揺るぎないものになる。

 そうなったら、胸を堂々と張って、コゼットの元へ行ける。ああ、そうさ……。今まで十年も待ったんだ。もう十年くらい待てるさ」


 しかし、今はまだ二人とは会えない。

 その理由は今語った通りだ。断腸の思いだが、俺は待つ事を選ぶ。


 行方不明だった今までと比べたら、俺は待てる。

 再会の日を楽しみにして、それを励みにして、俺は待つ事が出来る。


 それにネーハイムさんへ十年と今言ったが、実際はそう遠くない未来だと俺は予想している。

 恐らく、ジュリアスが玉座に座る為のチャンスがこの先、五年の内に必ず訪れる。もしかしたら、明日にでも訪れる可能性さえも有る。


 その時の為にも今は他の事を見ている余裕は無い。

 俺達はレッドヤードの街からこのトリス砦までのミルトン王国中部地方の七割を占領したが、その内情はまだまだ危うい。完全な支配圏を確立する為にやる事は多い。


「ただ、コゼットにはコゼットの人生が有る。

 もしかしたら、コゼットの隣に誰かが居るかも知れないけど、それは俺だって……。って、あれ?」


 心の内を全て語りきり、これで納得して貰えただろうかと視線を正面へ戻すが、つい先ほどまで目の前に居た筈のネーハイムさんの姿が見当たらない。

 思わず顔を左右に振り向けて、その姿を探していると、左でも、右でもない直下から嗚咽に濡れた声が聞こえてきた。


「貴方に付いてきて、本当に良かった。

 このネーハイム・グラーシ・ブレーム。さしたる知恵も無ければ、自慢が出来るほどの武芸も持ってはいません。

 しかし、貴方が切り拓く道の一助になれればと……。貴方に何処までも付いて行きます。今後も同行をお許し下さい」


 ネーハイムさんは俺の足元に居た。

 頭を垂れながら右拳を大地に突き、左腕は片跪いた膝の上に乗せて。


 むしろ、一緒に来てくれと頭を下げて頼むのはこちらの方であり、その姿とその言葉に再び心が感動に打ち震える。

 慌てて下げた視線を勢い良く跳ね上げるが、夜空の星々の輝きは滲んでいくばかり。


「ああ、一緒に行こう! 今、この瞬間が俺達の再出発だ!」

「はい、ありがとうございます!」

「なら、早く帰ろう! そろそろ、帰りが遅いとジュリアスが騒ぎ出しそうだからな!」

「はっはっ! そうですね!」


 もう俺達に言葉は要らなかった。

 藪と雑草が生い茂った夜の森に梟の鳴き声だけが響き渡る中、俺達は俺達が帰る場所へ帰る為に今度は足早に歩き出した。




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