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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十四章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 ミルトン王国戦線編 下
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第04話 戦いの裏で




「お久しぶりです。領主様」


 ここ数年は忙しさから嘗ての本業は趣味程度になってしまったが、そこは昔取った杵柄。

 森へ入って暫くもすると猟師にしか解らない目印が幾つも見つかり、ヘクターが指定した猟師小屋は苦労もせずに見つかった。

 その入口に立っていた見張り番のヘクターと挨拶を交わして、寝る為だけの狭い部屋で俺を待っていたのは予想通りの人物。俺が育ったヒッキー村を領地の中に持つ『ジェローム・ナ・ライアット・ティミング』伯爵だった。


 ヘクターに続いて、約十年ぶりになる再会。

 村を追放されるきっかけになったあの日の出来事が脳裏にまざまざと蘇り、心に苦さが広がってゆく。

 今となっては、あの頃の自分がいかに世間知らずだったかが良く解る。


 前の世界に『郷に入っては郷に従え』という諺がある。

 その意味は『風俗や習慣はその土地によって違う為、新しい土地を訪れたら、その土地の風俗や習慣に従うべきだ』となる。


 この世界は王族、貴族、平民、奴隷の四段階に大きく分かれた身分制度が存在しており、特に貴族と平民の間にある隔たりは大きい。

 最初は違ったかも知れないが、永い永い年月の流れが大きな権力を与えられた貴族達の増長を招き、平民は貴族に逆らうのは許されなくても、貴族は平民を無視するのが容易い風潮になっている。

 それは命さえもだ。具体的な例を挙げると、貴族が乗る馬車に平民が引かれた場合、その平民が死んでしまおうと貴族はいかなる理由でも罰せられず、平民の方が通行の邪魔をした事で罰せられる。


 身分制度の頂点に位置する王族と縁戚関係にある公爵家の嫡子を明確な殺意を持って殴る。

 言うまでもなく、絶対に許されざる行為である。俺の命一つで済んだら御の字であり、村人全員が連座で処せられて、地図からヒッキー村が消えてもおかしくは無かった。


 それともう一つ、ブタが死んだ後に気付かされた事がある。

 今でもブタを許すつもりは一欠片も無いし、殴ったのも後悔はしていないが、復讐を果たした事実も含めて、結局のところは俺自身の心を慰めただけに過ぎない。


 そう、俺はエステルを大切な妹だと事ある毎に公言をしていたが、そのエステルへ肝心な事は何もしていない。

 あの日の出来事の後、慰めの言葉を一つもかけていないどころか、顔を合わせてすらいない。エステルの親父さんから『今はそっとしてやっておいてくれ』と告げられたのを口実に逃げ出している。


 しかし、そんな身勝手を領主様は事情聴取を行って知っていながら許してくれた。

 大きな身分の隔たりが平民と貴族の間にある様に貴族の爵位にも有る。ブタはこれでもかと傲慢を着飾った公爵家の嫡子だった事を考えると、その交渉は決して簡単で無かった筈だ。

 何らかの譲歩を、領主様にとっての不利益を迫られた可能性が有ったに関わらず、俺の処分は村からの追放と身分の奴隷落ちだけで済んでいる。


 当時、これ等を気付こうとせず、領主様を口汚く罵った自分が恥ずかしい。

 その羞恥心とそれを上回る感謝の念から気づいたら片膝を折って、領主様へ頭を垂れていた。


「えっ!?」


 この行動に驚いたのは猟師小屋へ俺に続いて入ってきたネーハイムさんだ。

 当然だろう。今や、俺は南方領を統括するオータク侯爵家の執政であり、こうも敬意を尽くす必要がある相手は十人も居ない。


 ましてや、非公式とは言えども、俺は第十三騎士団の団長たるインランド王国第三王子のジュリアスから交渉の全権を預かり、この場を訪れている。

 降伏を申し込んできたのも含めて、頭を下げて迎えるのは領主様であって、こちらが遥かに格上である。


 また、俺がティミング伯爵を『領主様』と呼んだのもおかしい。

 俺の名前の中にある捏造された出生地『ドゥーティ村』はミルトン王国がオーガスタ要塞を所有していた頃の国境近くに存在していたが、ミルトン王国の侵攻で復興が望めないほどに破壊し尽くされて、とうの昔に廃村となっている。

 更にミルトン王国が侵攻してきた際、俺と母親はミルトン王国の兵士に連れさらわれて、オーガスタ要塞から二番目に近い村で暮らしていた過去になっているが、その地を治める領主はオーガスタ要塞の攻防戦で戦死している。


 つまり、俺が『領主様』と呼ぶ人物はこの世界に存在しない。居てしまったら、捏造された経歴と食い違ってしまう。

 それは同時に俺が何処の誰なのかという疑問となり、その先に有るのはネーハイムさんを十年に渡って欺いていた事実になる。


 だが、ネーハイムさんは激高して叫んだりはしなかった。

 正確に言うと、慌てて口を手で塞いだのだろう。息を飲んだ直後、何かを言いかけて、それをすぐに飲み込んでいる。


 何が有ろうと交渉が済むまでは黙っていて欲しい。

 予め、そうお願いしてあったのもあるが、口を挟んだところで場を無駄に乱すだけと自分の立場を弁えたのだろう。

 本音は真相を知りたくて仕方が無い筈なのにさすがはネーハイムさんである。いつもながら俺には勿体無いくらいの人材だ。


 前述の通り、俺はこの猟師小屋で待っているのは領主様だと予想していた。

 当然、俺の本当の経歴が交渉の中の話題で出てしまうのも避けられないと予想していた。


 その為、この交渉にあたっての同行者は俺の捏造された経歴を知っていて、深く関わってもいるサビーネんさんが最も相応しい。

 しかし、知識と交渉能力に幾ら秀でていようが、サビーネさんは女性である。危険な夜の森を歩かせる訳にはいかない。


 それ以上にこの交渉は俺とヘクターの間にある友情を前提に設けられたもの。

 俺以外にヘクターと知己が有る者は味方に居らず、この交渉が俺を誘き出す罠かも知れないと言われたら、荒事に不向きなサビーネさんは同行者に選べない。

 その結果、アホな事にジュリアスまでもが名乗りを挙げて、誰が同行するかで揉めたが、やはり俺が悩みに悩んだ末に選んだのはネーハイムさんだった。


 無論、この交渉が済んだら、ちゃんと話し合う必要は有る。

 だが、俺の選択肢は間違っていなかったと自信を持って言える。


 背後にて、ネーハイムさんがしゃがんだ気配を感じる。

 事情が解っていないにも関わらず、俺の顔を立てて、頭を共に垂れてくれているのだろう。

 今一度、重ねて言おう。さすがはネーハイムさんである。


「いいえ、違います。過去はどうあれ、今の貴方はインランド王国『デ』の称号を持つ御方。

 なら、貴方がそうも頭を下げて良いのはインランド王の一人のみ。

 むしろ、頭を下げなければならないのはこちらの方です。

 こんな夜遅くに、こんな場所へ来て頂けるとは……。私を信用して頂き、誠にありがとう御座います。

 さあ、お立ち下さい。インランド王国第三王子の懐刀と呼ばれて名高い貴方がその様にされていては私が困ってしまいます」


 そして、『領主様』を改め、『元領主様』も敬意を捧げるに相応しいヒトだ。

 元領主様から見たら、俺は元領民であり、平民でしかない。今の俺は嫉妬を覚えてもおかしくない存在でもある。


 事実、平騎士からオータク侯爵家の執政まで成り上がった俺を嫉妬する者は多い。

 特に名門と呼ばれる古い歴史を持つ貴族ほどソレが顕著であり、侮蔑の視線すら向けてくる。

 同国の貴族ですら、そうだと言うのに元領主様は今の俺をきちんと見てくれているばかりか、俺の前に片跪くと俺の肩を掴んで持ち上げ、頭を俺よりも下に垂れる姿勢を見せてくれた。


「解りました。では、お言葉に甘えて、ティミング卿と呼ばさせて頂きます。

 ただ、年上の貴方にそうも敬われてはどうにもこそばゆい。言葉遣いだけでも戻して頂けませんか?」

「ですが……。」

「是非、お願いします。それが交渉を始めるにあたっての条件です」

「解りました。……いや、解った。

 では、茶も出せずに申し訳ないが座ってくれ。早速、交渉に入ろう」


 これ以上、元領主様に頭を下げさせていては心苦しい。

 今度は俺が元領主様の肩を掴んで持ち上げると、お互いに立ち上がり、どちらともなく十年ぶりとなる再会に笑みを零した。




 ******




「では、降伏の条件を纏めると……。

 一、明日から三日間の停戦。

 二、一の停戦中に限り、故郷へ帰りたいと望む者達のトリス砦の離脱許可。

 三、降伏する兵士達の身分の保証。

 四、トリス砦に蓄えられている物資と兵糧の貴国返還。……と言ったところですか?」

「そうだ」


 この猟師小屋で待っていた人物が予想通りなら、申し込んできた交渉内容も予想通りで降伏の申し込みだった。

 人生とは本当に解らないものだ。もう二度と会う事は無いと思っていた人物と思わぬ場所で再開を果たして、その過去の縁がこの交渉に結びついているのだから。


 ただ、文句を言わせて貰うと、この猟師小屋は密談を行うのに持って来いの場所だが、やっぱり狭すぎる。

 ヘクターが事前に話していた通り、三畳程度の小屋はたったの四人で満室。それもベッド脇に置かれたサイドテーブルを小屋の外へ運び出してだ。


 椅子は無い。本来の住人はベッドを椅子代わりにしているのだろう。

 だからと言って、ベッドに隣り合って座るのは明らかに変な為、俺と元領主様はベッドの上に胡座をかいて座っている状態。

 ネーハイムさんとヘクターの二人はベット脇のスペースに立ち、定員一名の猟師小屋は交渉が白熱するまでもなく熱気に満ちていた。


「なら、結論から言います。一と二の二つに関して、問題は有りませんが、三は駄目です。

 我が国の法では身代金を支払った上での身分保証と帰国は認めていますが、それ以外は一律で奴隷になるのが決まっています。

 第一、トリス砦の兵士達だけを優遇したら、これまでの戦いで既に捕虜となり、奴隷となっている者達から不満が出るのは明らかです」

「むぅ……。」

「しかし、身分を回復させる手段は用意させて頂きます」

「……と言うと?」


 元領主様から提示されたトリス砦を明け渡す降伏の条件は取り分けて厳しいものは無い。

 局地戦における交渉とは言え、国同士の外交は初体験な俺はホッと一安心。ジュリアスの元へ満足して帰れる。


 また、その内容で感じられるのが、元領主様の貴族としての気高さだ。

 ヒッキー村に住んでいた頃、俺は半人前の猟師であり、元領主様とは年に二度、三度、村へ訪れた際に挨拶を交わす程度でその姿を遠巻きから見ていただけの関係と呼べない関係だったが、コゼットと幼馴染で村長一家と親しかった為、その人となりは良く耳にしていた。


 厳しさの中に優しさを持ち、平民の心を知っている公明正大な領民思いの理想の貴族。

 正しく、その通りだ。元領主様が語った内容はそのどれもが捕虜となる兵士達を心配してのものばかり。

 自分達、貴族階級に属する者達は身分の保証はおろか、命の保証すら訴えていない。


『王家は城、貴族は石垣、騎士は堀である。貴き者達よ、民衆の盾であれ』


 前の世界の戦国時代に名を馳せた『武田信玄』の名言に良く似ているが、これはインランド王国を建国した高祖の言葉。

 騎士叙勲式の際、この言葉が国王から必ず最初に訓示され、新人達の誰もが誓うと宣言するのだが、どれだけの者がこの言葉を十年後も胸に刻んでいるだろうか。


 なにしろ、貴族は誘惑が多い。酒池肉林など余裕のよっちゃん。

 常に自制を心がけていなければ、あっという間に堕落してしまう。前述に有る貴族と平民の間にある身分差がそうさせている。


 だが、元領主様は違う。

 誰もが平等で身分差を持たない前の世界を知っている俺とは違い、生粋のこの世界の住人でありながら、それを実践している。

 奇縁に恵まれて、思ってもみなかった貴族に、それも大きな権力を持つ者に今はなってしまった俺が目指すべき理想の姿が目の前にあった。


「貴国が作戦の都合上で放棄したネプルーズの街より東一帯の復興です」

「そうか……。それなら、文句は無い」


 そんな元領主様の視線がふと落ちた。

 今まで目と目を合わせて喋り、その態度も降将でありながらそれを感じさせない力強さを感じさせていたが、それが短く漏らした溜息と共に霧散した。


 その姿にまるで仕事に疲れ切ったサラリーマン。

 深夜の駅のホームを懸命に駆けて、最終電車に危うく飛び乗り、座席でホッと一息を漏らす姿を連想させた。


「四は論外です。認められません。

 戦争とは国土の奪い合いのみならず、物資や兵糧を奪い合うもの。……違いますか?」

「いや、違わない。その通りだ」

「ただ、貴国の苦しい事情も解ります。

 ですから、返還は認めませんが、トリス砦から離脱する者達が勝手に持ち出す分は見逃しましょう」

「……済まない」

「なら、決まりですね。

 明日の朝、正式な使者をこちらから出します。そちらからは出し辛いでしょうから」

「重ね重ね、済まない。私の面子まで考えてくれるとは」


 すぐに戻ってきた目線も今までの様な鋭さは感じず、浮かべた笑みも苦笑いに近い。

 その様子と今の会話からある確信を抱き、心の中だけでガッツポーズをするつもりが嬉しさのあまり胡座をかく膝の上に置いていた両手を握り締める。


 なにせ、その確信は俺がミルトン王国戦線に参戦して以来ずっと抱えている懸念を晴らすもの。

 しかし、確信はあくまで確信に過ぎず、正解では無い。懸念を完全に晴らす為には正解を知る必要がある。

 降伏に関する交渉も大事だが、その懸念を晴らす事こそが実は俺にとっての本命だった。


「いえいえ……。では、話が纏まったところで降伏の件とは別の質問が有るのですが……。」

「んっ!? 何だろう?」

「今、話に出たネプルーズの街より東一帯の件です。

 この国土を放棄した上に街や村を我々に利用させなくする焦土作戦を立案したのは……。ティミング卿、貴方ですね?」


 そして、その懸念を晴らすタイミングは今を置いて他に無い。

 胸を期待に膨らませながら単刀直入に切り出した。


 ブラックバーン公爵が失脚しただろう今、この質問に元領主様が頷きさえすれば、ミルトン王国に警戒すべき人材はもう居ない。

 両国が国境を接して以来、永らく続いていた争いに終止符が打たれるのは時間の問題。王手、或いはチェックメイトの状況となる。


「あれはブラックバーン公爵が……。

 いや、今となっては隠しても意味は無いか。そう、あの作戦は私が考えた」


 斯くして、元領主様は頷いた。

 目を見開いて息を飲み、一旦は表向きに知られている嘘を通そうとしたが、すぐに疲れ果てた溜息を深々と漏らしながらしっかりと頷いた。


 その喜びに胸が弾みまくって、鼻息が興奮にフンフンと荒くなるのを止められない。

 もし、ここが自室なら奇声をあげながら飛び跳ねていただろう。もし、傍に居るのがティラミスか、ルシルさんか、サビーネさんか、ララノアの誰かだったら抱き締めながらグルグルと回っていただろう。


「しかし……。」

「えっ!?」


 だが、元領主様が腕を組んで目を静かに瞑り、一呼吸の間を開けて、その閉じた目を開いた次の瞬間だった。

 ひとまずは降伏の交渉が済んで緩みかけていた場の雰囲気が瞬時に引き締まり、降伏の交渉を行っていた時以上の緊迫感が狭い猟師小屋に満ち溢れた。


 すぐ隣でガタリと音が鳴る。

 顎先だけを僅かに動かして、視線は真っ直ぐに元領主様を捉えながら右手側を見れば、ヘクターとネーハイムさんが思わずと言った様子で身構えている。


 元領主様が放つ殺気にも似た緊迫感がそうさせたのだろう。

 俺自身も胡座から立ち上がる直前、後方へ飛び退こうと両手を突いた前傾姿勢になっていた。


「あの作戦の立案者が私だと知っているのは一人だけ。

 その一人の公爵が誰かに漏らしたとはとても思えない。何故、私だと解った」


 俺を吟味するかの様な元領主様の真っ直ぐな眼差し。

 目的は解らないが、試されている。そう感じて、問いかけの言葉を纏める為、まずは心を落ち着けるべく体勢を戻して胡座を座り直した。




 ******




「それは貴方が領民から慕われる真の貴族だからです」

「うん? 嬉しい評価ではあるが、どういう意味だろうか?」


 たっぷりと三十秒ほど口を固く結んで考え込み、ようやく纏まった考えを明かすが、元領主様の反応は鈍かった。

 一呼吸の間を空けてから首を傾げ、眉を寄せた表情には苦笑を、言葉には困惑を乗せて問い返してきた。


 しかし、慌てないで欲しい。

 急いては事を仕損じる。慌てる蟹は穴の入口で死に、ネズミは穴に入れず、乞食は貰いが少ないだ。

 この答えは結論であり、その背景には幾つもの状況証拠が絡み合っていて、それを順番に説明していかなければならない。


「では、順番に説明します。

 まず最初に作戦の立案者とされているブラックバーン公爵に関してですが……。

 公爵は一将軍として戦場を駆けたら無類の強さを誇りますが、将の将は不向き。

 目の前の戦場は隅々まで見通せる千里眼を持っていても、戦場の外はまるで見えていない。

 これだけが原因ではありませんが、その戦略眼の無さに我が国は何度も助けられ、公爵は勝利を重ねながらもオーガスタ要塞へ撤退を強いられている。

 果たして、その様な人物が十年先、二十年先を見据えた遠大な戦略を考えられるかと言ったら無理です。だったら、立案者は別の誰かと考えるのが妥当かと」


 まず紐解くのはネプルーズの街とレッドヤードの街の間にある広大な土地に仕掛けられた焦土作戦の立案者がブラックバーン公爵だと知られている違和感。

 残念ながら、この違和感はあくまで俺一人の持論であり、参謀部では『そう言われたら、そうかも知れない』という程度の認識しか持たれていない。


 だが、これは仕方が無い。ブラックバーン公爵の戦歴が凄すぎるのだ。

 インランドの騎士達は『ブラックバーン公爵なら、それくらいは考えつくだろう』と必要以上に巨大な像を抱いて恐れ、そこで思考停止をしてしまっている感が大きい。


 更に言うと、この世界での戦争は情報とその分析がそれほど重要視されていない。

 戦術レベルでの情報を得ようとする者は居ても、戦略レベルでの情報を得ようとする者は少なく、それを活かしきれる者はもっと少ない。


 この状況に焦土作戦という思い切った策を敵が打ってきたものだから最悪である。

 焦土となった広大な土地が情報を遮断して、こちらは戦力で勝りながら情報戦に挑む事すら出来ずに負けてしまい、防戦一方を強いられていた。


「ところが、公爵の周囲を見ても、貴国の陣容を見渡しても、名を馳せた軍師、策士は存在しない。

 より正確に言うなら、嘗ては存在したが、この十年の間にその全てが戦死しているか、我が国の捕虜になっています。

 なら、新たな若い英雄が誕生したのかと言えば、これも違う。

 焦土作戦の実行から年月が経っていて、その間も我が国は貴国を攻め続けているが、そんな英雄の存在は話題どころか、噂にもなっていません」


 俺はミルトン王国戦線の参戦をジュリアスから求められた直後からミルトン王国の情報収集を始めている。

 インランド王国が持っている情報は勿論の事、冒険者ギルド、魔術ギルド、商業ギルドを通じて、ミルトン王国に関する情報はどんな些細な事でも役立つと思ったら集めていたし、集めさせた。


 特に重要視したのは、やはり実際に戦場で戦うだろう指揮官レベルの騎士に関してだ。

 それこそ、知名度を少しでも持つ騎士は本人のみならず、その家族まで徹底的に調べた。


「私はこのブラックバーン公爵の影に隠れた策士が気になって仕方が有りませんでした。

 去年、最前線へ訪れた時、その存在を初めて知り、それが誰なのかをずっと探っていました。

 なにせ、敢えて守るべき国土を放棄して、防衛に徹する。矛盾とも言える発想の逆転はこちらの野心を見事に擽り、疲弊を誘っていた。

 戦線があと五年……。いや、三年も膠着し続ければ、確実に厭戦ムードが高まって、停戦の声も挙がっていた。

 そして、策士の狙いはそこにある。正しく、十年先を見据えた天下国家の計です。最も警戒していたブラックバーン公爵を戦わずに封殺は出来ましたが、この謎の策士が居る限り……。」


 だからこそ、俺は焦土作戦を立案した策士を恐れた。

 その壮大な戦略を編み出せる発想力も然る事ながら、その策士が男か、女かすらも解らない状況が恐ろしかった。


 おっさんと出会うきっかけになった初陣。

 あの時は恐怖と混乱のあまり脱糞までした俺だが、今では戦場を緊張はあっても恐怖を持たず駆けれる様になっている。

 それは毎日の鍛錬とおっさんの教え、幾度も越えてきた戦場での経験が自信になっているからだ。


 しかし、戦場の劣勢を覆せるほどの無類の武を極めようが、戦略という大きなうねりの前に個人の武など意味が無い。

 前の世界の歴史を紐解けば、そうした例は幾らでも有る。すぐにぱっと思い浮かぶ例として、中国の楚漢戦争で活躍した項羽と三国時代に活躍した呂布が挙げられ、そのどちらもが国士無双とまで謳われる武を持ち、戦場で常勝を重ねながらも大きな戦略の前に敗北を期して滅んでいる。


 そもそも、俺は自分が凡人だと知っている。

 トーリノ関門の奪還に始まり、先のネプルーズ攻めでも策が見事に嵌ったせいか、ジュリアスやバーランド卿は俺を稀代の策士と呼んで褒めるがそれは大きな誤りだ。


 俺は只の戦史好きに過ぎない。

 前の世界で見たり、聞いたり、読んだりした戦史を教本にして、目の前の戦いに似た戦いを選び、その勝者が用いた策をアレンジして用いているに過ぎない。


 夜、不安と恐怖から生じた気の高ぶりに眠れず、それを抑える為に槍を振っていたら朝になっていたなんて事は一度や二度じゃない。

 ネプルーズの街があっさりと簡単に陥落したのさえ、実は策の内なのではと疑っていたほどだ。


 だが、それも昨日までの話。

 謎の策士が元領主様と解り、その牙がこちらへ向けられる心配も降伏する事で無くなり、今夜からは枕を高くして眠れる。


 今夜の閨番はルシルさんだったか。

 夜を共にする以上、ルシルさんとサビーネさん、ララノアの三人には色々と心配させてしまったが、その御礼に今夜からはハッスルしちゃおう。

 差し当たって、今夜はルシルさんがもう許してと頼んできても俺が眠らせないぜ。


「ま、待ってくれ! ちょ、ちょっと待ってくれ!

 そ、それでは何か? こ、公爵がネプルーズをタイミング悪く離れていたのは……。こ、公爵が失脚してしまったのは……。」


 そんな高揚感から言葉が自然と弾んで舌も滑らかになり始めた矢先、今まで問いかけてきた時のままの厳しい表情を浮かべて、俺の話を黙って聞いていた元領主様が急に声を荒げて割り込んできた。

 それも目をギョッと見開きながら身体をビクッと震わせた上、開いた右掌を俺の目の前に勢い良く突き出した居ても立ってもいられない様子で。


 一方、こちらは目をパチパチと瞬き。

 目の前に勢い良く突き出された元領主様の開いた右掌に驚いた訳ではなくて、その元領主が血相を変えている意味が解らなかった。


 ふと隣を見れば、ヘクターも口をポカーンと開けた間抜けな顔で驚いている。

 その隣ではネーハイムさんがウンウンと頷き、何やらしたり顔をヘクターへ向けていた。


「フフフ……。まさか、偶然ですよ。ええ、偶然です」


 この三者の反応は何なのか、首を傾げようとして、それが唐突に閃き解った。

 どうやら、三人はブラックバーン公爵と言う駒が置かれる前に戦場という盤上から取り除かれた現在を俺の策と勘違いしているらしい。


 どうして、そんなに評価が高いのか。買い被りも良いところだ。

 それは偶然が上手い具合に積み重なった結果に過ぎず、俺は何もやっていない。


 一応、共謀者たるジョシア公国商人のルビンさんへミルトン王国宮廷に鼻薬が効きそうな者が居たら賄賂を送り、ブラックバーン公爵を戦場から遠ざける様に頼んで欲しいと依頼はしてあるが、その成果が解るのはバカルディの街へ帰還してから。

 電話やインターネットの様なリアルタイムの情報伝達手段が無い以上、これは仕方が無い。何の対策も行わないよりは何かの対策を行った方がマシ程度の期待しかしていない。


 しかし、それを馬鹿正直に明かす必要は無い。

 口元を右拳で隠しながら顎を引いて、元領主様へ上目遣いを向けながら恰もそうだったかの様に微笑を零して振る舞う。


「私は何を……。ドラゴンをトカゲと間違って……。」


 すると元領主様はもっと意味不明な事を呟いて脱力。突き出していた右掌を落とすと共に視線を伏して、肩まで落とした。

 放っていた殺気にも似た緊迫感も霧散して無くなり、先ほどが仕事に疲れ切ったサラリーマンの姿なら、今度はリストラされたのを家族へ告げられず、お昼を公園で過ごしているスーツ姿のお父さんの様な印象に居た堪れなくなる。


「話を戻します。ずっと気になっていた策士ですが……。

 ヘクターから降伏の申込みがあった時、ピーンと来ました。その正体がティミング卿、貴方だと」


 だが、ここまで来たら最後まで語りたい。

 躊躇いを少し感じながらも話を再開させると、元領主様は大きく深呼吸して、俺へ視線を戻すが、そこに先ほどまでの力はやはり失われていた。


「今は私も貴族になり、世の中の事が少しは解ってきました。

 例えば、貴族と一括りに言っても、二種類に大きく分かれます。領地を持たない法衣貴族と領地を持つ領主貴族です。

 そして、法衣貴族と領主貴族では求めているモノが違う。

 法衣貴族は名誉や現職以上の役職を求めますが、領主貴族が求めるのは自分の領地の利益。その為なら名誉を捨てる事も厭わない。

 これを踏まえて考えるとおかしいんです。ティミング卿、貴方が降伏を申し出てくるのは……。

 だって、そうじゃありませんか? 貴方の領地はここでは無い。

 貴方の領地は北部地方の北西、戦火が届くには遠い。そこまで戦火が燃え広がる前に王都の方が先に落ちます。

 なら、トリス砦が落ちたところで貴方の懐は痛まない。降伏を申し出るタイミングでも無い。

 申し出るとしたら、それはもう少し先です。我々の軍勢が西部地方へ入り、王都を視野に入れる直前。この永きに渡る戦争の趨勢が決まる一歩手前が最善の筈です」


 沈みきった場の雰囲気を変える為、言葉を重ねる傍ら、ネーハイムさんへ合図を送り、出入口のドアを少し開けさせる。

 灯しているランプの明かりが漏れてしまうが、この猟師小屋は森深い場所に在る。ドアを全開にするならまだしも、少し開ける程度なら敵味方の陣から発見される心配は無いだろう。


「では、このタイミングで降伏を決意したのは何故か?

 それは貴方が領民から慕われる真の貴族だから……。ここで最初に言った言葉が繋がります。

 ティミング卿、貴方はかなり早い段階で……。恐らく、オーガスタ要塞が陥落した時点で既に自国の敗北を悟り、焦土作戦を立案していますね?」

「ああ……。その通りだ。我が国がインランドと対等以上に戦えていたのはオーガスタ要塞があってこそだ」


 猟師小屋に籠もっていた熱気と入れ替わり、涼しい風が肌を擽ってゆく。

 それに刺激されてか、返事を返してきた元領主様の眼に力が少し戻る。作戦は成功したらしい。


「やはり……。これで辻褄が合いました。

 どうせ、身を切って戦うなら早い方が良いに決っている。

 ところが、焦土作戦が実行されたのは我が国の軍勢が東部地方に深く入り込んでから……。ここにヒントが有ります。

 そう、焦土作戦が実行される直前に公布された二回目の国家総動員令です。

 つまり、誰もが国家総動員令は兵力の補充を目的としたものと考えていましたが、その実は違う。

 いや、その目的もあったのでしょうが、本命は焦土作戦の実行を目的としたもの。

 ……であるなら、焦土作戦は一回目の国家総動員令後に焦土作戦は実行される筈だった。

 しかし、貴方はその直前になって躊躇ってしまった。

 守るべき存在の民衆を、それも戦う力を持たない女、子供、老人を国の為に犠牲を強いても良いのかと……。

 だが、貴方が躊躇っている内に戦況は急転する。

 我が国の威信を賭けた陛下の親征によって、焦土作戦を実行する以上の犠牲が出てしまい、貴方は遂に大を生かす為に小を犠牲にする覚悟を決めた」

「ああ……。」

「だが、しかし……。多大な犠牲を強いた乾坤一擲の策は破れ、貴方の心は折れてしまった」


 しかし、それも束の間。二度目に返って来た頷きは重々しい溜め息混じり。

 その打ちひしがれた声に理解した。元領主様が戦犯として裁かれて、その先に死を望んでいると。


 だが、死なせる訳にはいかない。元領主様は得難い人材だ。

 俺が到着するまでのトリス砦攻防戦において、元領主様は一度も出陣していない。

 そこから察するに武力と統率力は秀でていないのだろうが、その戦略眼は類稀なモノが有る。


 領主としての経営手腕も決して悪くないに違いない。

 俺の育ったヒッキー村は僻地の僻地。主産業はあまり旨味の無い林業だったが、決して貧乏な寒村では無かった。どの家もたまのちょっとした贅沢が出来るくらいの蓄えを持っていた。


 それは元領主様が平民の目線を持ち、税を軽くする一方で経営努力を行っていたからに他ならない。

 ヘクターと旅をしていた時の話。元領主様の領外へ出た途端、北部地方の村々は何処も貧しくて驚いたのを今でも憶えている。


「恐ろしいな……。まるで私の様子をずっと傍で見ていた様だ。正しく、その通りだよ。

 私には見えてしまった。どう足掻いても、我が国がそう遠くない未来に滅んでしまう様が……。

 この砦とネプルーズの間にある平野は我が国の生命線だ。

 オーガスタ要塞がこちらの手にあった時でさえ、その税収は我が国の三割を占めていた。

 逆に言えば、そこさえ有ったら戦える。事実、苦しいながらも戦えていた。

 しかし……。もう駄目だ。そこを奪われては戦えない。

 オーガスタ要塞がインランドの手に落ちてからの約十年、我が国は持っている国力以上の戦費を費やして戦ってきた。

 おかげで、物価の上昇が止まらない。特に兵糧として消費される麦の高騰が著しい。

 そこへ来て、生命線だった平野が奪われた。来年、麦の値段が更に跳ね上がるだろう。

 だが、中部地方を取り戻せるだけの兵力はもう無い。兵力を整えたとしても、その兵力を維持する兵糧が無い。

 兵糧を得るとなったら、税収が落ちているのだから税を上げるしかない。 

 国家総動員令を既に二回も発令して、生産力が限界まで落ちている今、そんな馬鹿な事をしてみろ。国が破綻するのは確実だ。

 だったら、これ以上の戦いは無駄な犠牲を増やすだけ。一人でも多くの民を残した方が断然に良い……。そう考えて、降伏を決意した」


 それ等を考えると、是非ともジュリアスの臣下になって貰わなくては困る。

 まるで神へ懺悔をするかの様に語る元領主様の言葉を聞きながら、どうやったら自分達の陣営へ引き込めるかを考える。


 その話を聞く限り、元領主様は俺が思っていた以上に焦土作戦を立案した事に責任を感じている。

 焦土作戦を実行した地域の領主に推挙して、その地を復興させる。元領主様の良心を突いて説得するのはどうだろうか。


 降伏するに辺り、このトリス砦とは離れた領地で暮らしているだろう家族をどうするのかはまだ聞いていないが、奥さんと子供が二人居た筈だ。

 その家族の為にまだ生きなければならないと説くのも悪くない。


 何にせよ、元領主様は降伏したのだから、これからは幾らでも会える。

 ウルザルブル男爵以上に説得は難しそうだが、慌てる必要は無い。

 

「なるほど……。しかし、どうしても解らない事が一つだけ有ります。

 何故、わざわざブラックバーン公爵の影に隠れる様な面倒臭い真似を?

 貴方と公爵の二人が手をちゃんと組んでいたら、もっと違った未来は有った筈です」


 それよりも今はこの疑問の答えが知りたかった。

 もし、元領主様とブラックバーン公爵の二人が組んでいたら、ミルトン王国最強コンビが誕生する。

 インランド国王が親征してきた時の圧倒的な兵力には戦線の後退を余儀なくされて、東部地方の半分は明け渡していただろうが、焦土作戦という過酷な手段を実行しなくても中部地方の侵入は許していなかったに違いない。


「ふっ……。さすがのお前もそこまでは解らなかったか。少し安心したよ。

 だが、無理もない。それは我が国特有の事情に絡んだ問題で……。一言で言ったら、原因はオーガスタ要塞に有る」

「オーガスタ要塞……。ですか?」


 その疑問に対して、領主様は苦笑をまずは漏らすと、次に苦虫を潰した様な表情を浮かべた。

 こちらはどんな答えが返ってくるかと思いきや、『オーガスタ要塞』という脈絡の無い単語が飛び出して、思わず眉を寄せて困惑する。


「あの地は天然の要害だ。要塞が有ろうと、無かろうとインランド側からあの地を落とすのは難しい。

 ……と言うのも、あの地は見た限りでは平らだが、実はインランド王国側からは上り坂になっている。

 樽を横に置いたら、勝手に転がり始めて、勢いが増してゆくほどのな。

 だから、攻める際は知らず知らずの内に体力を多く使い、その感覚のズレが兵士を弱くさせる。

 しかも、その昔は採石場だったらしく、大きな石がゴロゴロと転がっていて、騎馬で一気に駆け抜けるのも難しい。

 なら、巨大な攻城兵器を運ぶなんて、もっと難しい。

 そんな場所に要塞が在るんだ。それもインランド王国側の一方向に攻撃面を特化させて。

 実物を初めて目の当たりにした時、思ったよ。これほど『難攻不落』の代名詞が相応しい要塞は他にないだろうと。

 そこで聞きたい。お前がオーガスタ要塞を攻めるとなったら、どう仕掛ける? 但し、十年前の様な内部崩壊の手段を除いてだ」


 そこへ問いかけられる難問。

 口元を右手で覆い隠しながら天井を見上げて、去年の夏の始まり頃に通過してきたオーガスタ要塞の姿を思い出しながら思案する。


 今現在、嘗てのオーガスタ要塞は存在していない。

 長年に渡る敗北の恨みがそうさせたのか。驚くほどの早さで破壊という名の改修工事が施されて、姿形をすっかりと変えている。

 元領主様の解説の中にあるインランド王国側の一方向に攻撃面を特化させていた出城が崩されて、その石材を要塞の左右に積み伸ばして、山間の行き交いを堰き止める『オーガスタ関門』と呼んだ方が相応しい姿になっている。


 しかし、あの地は元領主様が言う通り、オーガスタ要塞が存在しなくても天然の要害である。

 岩肌を見せる切り立った山間の地で戦域は狭く、一度の攻勢で投入が可能な兵力は一万がやっと。

 その癖、オーガスタ要塞が在る山間地の手前には扇状に広がった五万以上の兵力が滞陣可能な場所が有り、ひょっとしたらと攻め手の野心を誘っているから実に悪どい。


 ここに元領主様が明かした上り坂の秘密を加えたら、幾度も攻められながらも正攻法で一度も落ちなかったのは納得の一言。

 その嘗てのオーガスタ要塞を攻略するとなったら、それはもう奇策に頼るしか無い。まだ明かしていない秘密兵器を用いた作戦も実は有るが、それはここで明かす必要は無い。


 やはり最も成功率が高い策は離間の計などを使い、敵中に味方を作る内部崩壊だ。

 だが、それが封じ手になると、あとは火攻めか、水攻めの二つとなり、後者は川などの水源がそもそも近くに無い為に使えない。


「そうですね。詳しく調べていませんし、一度だけ通った時の印象になりますが……。

 あの両サイドの険しい山を迂回するのはどう考えても無理っぽいですから、やっぱり火攻めですね。

 侵攻口から要塞へ向けての東南の風が吹く時期を狙い、オーガスタ要塞を含む山間地を丸ごと焼き払うくらいしか方法は無いと思います」

「うん、私も同意見だ。その方法しか無いと考えた。

 ところが、あそこは逆の西北の風しか吹かない。

 ミシェール巨山がある北の大山脈から吹き下ろす風がそうさせているのだろう。

 稀に吹く事が有るかも知れないが、東南の風が決まって吹くのは春先の二週間足らずしか無い。

 だったら、特別な警戒が必要なのは一年の中でその二週間だけ。それ以外は武勲の取り放題だ。

 だから、オーガスタ要塞に駐留する者達はインランドが攻めてくれば、攻めてくるほどに出世をしてゆく。

 そして、勝利の美酒は何度飲んでも飲み飽きない。勝利の朗報が王都へ届く度、民衆は喜び沸き、軍の人気は高まる」


 ところが、火攻めも困難だと解る。

 正しく、難攻不落の要塞である。今は戦略上の価値を失ったが、あの山間地に要塞の建設を考えた人物が誰なのかは知らないが、その戦略は天晴と褒め称えるべきだろう。


「なるほど……。大体、解りました。

 宮廷が嫌がったんですね? 貴方とブラックバーン公爵の二人が結び付くのを」


 同時に元領主様から出題された難問の答えは解らなくても俺が求めていた疑問の答えが解った。

 ミルトン王国内の派閥争いだ。今の自分自身の立場を考えて、何処の国も変わらないなと溜息をげんなりと漏らす。


「ああ、私が北部地方の領主閥を纏める立場なら、公爵は軍閥を纏める立場だったからな。

 お互い、表向きは対立して見せていたが、実際は裏で繋がっていた。

 私が家督を継ぐ前、公爵の副官を初陣で務めた時からの付き合いになるから、もう二十年以上の付き合いになる。

 だが、こうでもしないと国軍と領主軍が纏まらず、インランドとの戦争はもっと酷いものになったいた。

 お前に愚痴っても仕方が無いし、今更の話になるが……。

 宮廷の連中は未だに解っていない。

 我が国はオーガスタ要塞の存在が在ったからこそ、負けていないだけだったのを……。

 その証拠に我が国は過去に何度もインランドへ攻め入っているが、その版図を一時的に刈り取っても結局は奪い返されている。

 王都からインランドは遠い。援軍や物資を送っても間に合わず、戦線を維持するだけの力が無いのは明らかだ。

 片や、インランドが戦争しているのは我が国だけじゃない。

 北のロンブーツ教国と南のアレキサンドリア大王国、この二つの大国とも戦争をしながら我が国と戦う力を持っている。

 なら、オーガスタ要塞が失われたら、どうなるかなど簡単に思い付く。

 しかし、宮廷の連中はそれが解らない! 何故、負け続けているかを考えない!

 嘗てはオーガスタ要塞の存在を忌々しく思っていながら、その時の栄光を忘れられずにいる!

 兵を集めて、それを前線へ送りさえしたら無条件で勝てると思っている! 挽回が幾らでも効くと思っている!

 度し難い愚か者だ! あいつ等が見ているのは宮廷の中だけ! 王都の外どころか、王都の中すら見ていないし、見ようとすらしていない!

 その目が少しでも有ったら解る筈なのだ! 今や、王都の民ですら生活が厳しくなり、誰もが貧しい思いをしているのを! この国が滅びに向かっているのを!」


 さぞや、今まで苦労を重ねてきたのだろう。

 領主様の口から愚痴が怒涛の勢いで放たれて止まらず、それは次第に感情を帯びて、最後は完全な怒鳴り声となり、右拳を握りしめての身振り手振りまで加わった。


「ミルトン王はどうしているんですか?」

「元々、身体があまり丈夫で無くてな。

 八年ほど前になるか、相次ぐ敗戦の報告に心労がたたって倒れられてしまい、それ以来ずっと寝込んでおられる」

「では、王太子は?」

「残念ながら、あいつ等に唆されて、酒浸り、女浸りの毎日だ。

 子供の頃は優秀だったし、摂政を始めた時も熱意に燃えていたが……。

 やはり相次ぐ敗戦の報告に癇癪を段々と起こす様になって、私の様な諫言する者はすぐに遠ざけられたよ。

 だから、私と公爵は第一王女へ立ち上がってくれる様に何度も願ったのだが……。結局、最後まで首を縦に振ってくれなかった」

「うわぁ~……。」


 ミルトン王国の宮廷が酷いのは良く解った。

 だが、国政の頂点である国王は元領主様の愚痴に登場はしていない。


 当然、国王に関してが気になって尋ねてみたら、あまりに酷い答えが返って来た。

 今現在の戦況も合わせて考えると、典型的な滅亡寸前の国と言う他は無い。ブラックバーン公爵や元領主様の様などんなに優秀な人材が居ようともミルトン王国は滅びるべきして滅ぶ国に違いない。


 もう返す言葉が幾ら探しても見つからない。

 元領主様は国に忠誠を誓い、滅亡を阻止しようと奔走に奔走を重ねた半生を、俺の年齢と同じくらいの年月を諦めなければならず、それを俺は勝者として受け入れる側なのだから見つかる筈が無い。


「しかし、驚いたよ。お前がこれほどの見識を持っているとは思ってもみなかった。

 盛り場の吟遊詩人達が歌うトーリノの奇跡。あれは良く出来た作り話だと思っていたが、本当の事だったんだな」


 気まずい沈黙が漂い、それが猟師小屋に満ちてゆく。

 その責任を感じてか、元領主様は柏手を打ち、笑みを浮かべながら声を弾ませて話題転換を図ってきた。


「いや、あれは俺であって、俺でないと言うか、何と言うか……。」

「ふっ……。謙遜するな。

 読み書きが出来て、計数も達者と聞いてはいたが、やはりフィート殿の教えなのか?」


「ええ……。まあ、そんなところです」


 しかし、それも応えられない話題だから困る。言葉を濁して、苦笑しか出来ない。

 酒場の吟遊詩人達が歌っている歌の中の俺は俺でありながら俺でないイケメン英雄であり、俺が持っている知識は前の世界で得たもの。前者を語るのは気恥ずかしいし、後者はそもそも語る事自体が出来ない。


「さて、次はこちらが質問をしても構わないか?」

「はい」


 元領主様にとったら、褒めた筈がちっとも話に乗ってこず、不思議に思うのは当たり前。

 アテが外れたと言った表情を一瞬だけ見せると、三度目の話題転換を計り、今度は表情を真剣なものへと変えた。


 気遣いで提供された話題に二度も乗れなかった引け目から考えなしに頷いてしまったが、すぐに自分の失敗を悟る。

 せっかく、親父の話題が、ヒッキー村の話題が出たのだから、それに乗じた形でコゼットの行方を聞くべきだった。


 この世界において、その土地土地に住まう民は領主、或いは国王のもの。

 税の源たる民は領地からの外出を原則的に禁じられており、領外へ出る際は領主の許可が必要となり、大きな街や国境などの関所では入退場の際に領主が発行した身分証が必要となる。

 もし、その身分証を所持していない場合は流民の扱いを受けて、入退場を断られるか、金銭を求められるかを求められ、その他にも商人との取引の際に足元を見られたり、不利益を様々な面で被る。


 それを村長の娘であるコゼットが知らない筈は無い。

 なら、元領主様はコゼットの行方を絶対に知っている筈なのだ。


 本音を明かすと、コゼットの行方に関する情報を真っ先に元領主様へ聞きたかった。

 だが、今の俺はインランド王国の貴族であり、この場をジュリアスの代理で訪れている以上、私を優先して、公を蔑ろには出来ない。


 また、そろそろ時間切れでもある。

 俺の帰りを待っているジュリアスをあまり待たせると余計な心配を起こす。救出隊、捜索隊などを組まれでもしたら面倒な事になる。

 唯でさえ、出発前はアレコレと煩いくらいに心配して、お前は俺の奥さんか、母親かと怒鳴ったほどだ。


 もう今夜はコゼットの行方に関する情報は諦めよう。

 先ほども言ったが、慌てる必要は無い。これから元領主様とは幾らでも会えるのだから。


「なら、教えてくれ。この戦い、アレキサンドリア大王国は何処まで関わっているんだ?」

「へっ!? アレキサンドリア? どうして、アレキサンドリアが?」

「どうしてって……。こうして、お前がここに居る以上、関わっていると考えるのが妥当だろ?」

「……えっ!?」


 しかし、元領主様が次に尋ねてきた予想外が過ぎる質問。それこそがコゼットの行方に関する重要な手がかりだった。




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