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第03話 別れと決意


「はっ!」


 敵との距離は約十メートル。行けると判断して、肺に溜め込んだ空気を一気に爆発。左肩を向けた半身の体勢から踏み込む。

 ところが、昨夜のにわか雨が草原の大地を緩ませていた。踏み切る寸前を滑らせてしまい、思った通りの距離と速度を得られない。


「ふっ……。」


 敵が勝ち誇ったかの様にニヤリと笑い、それまで自然体にダラリと下げていた剣を両手握りの下段に構えたのが解った。

 剣を右下から左上へと左斬上げて、俺が突き出そうとしている棒を弾き、返す刀で袈裟切る算段か。


「まだ!」


 だが、そうはさせない。刹那、力強く握っている棒の握りを完全なゼロにする。

 当然、束縛が解けた棒は前進する勢いに押されて、手の内をすっぽ抜けて突き進み、あと一歩届かなかった間合いが一気に詰まる。


「な゛っ!?」


 敵が目を大きく見開き、僅かとは言え、驚きのあまり身体を強張らせる。

 思わぬ失敗に奥の手の一つを明かす事となったが、その顔が見たかった。その隙が欲しかった。


 但し、このままでは勢いに任せた生温い一撃にしかならない。

 敵に向けて添えただけの左手を棒の柄尻が通過する手前の瞬間、手首と腕、肩を全力で内側に捻る。


 そして、お互いを弾こうとぶつかり合う剣と棒。

 軍配は俺に上がった。今先ほどの隙が敵に無かったら、まだ五分五分だったかも知れないが、それは一瞬の攻防で致命的すぎた。


「くうっ!?」


 剣が弾かれた勢いに圧されて、敵がたたら踏む。

 絶好のチャンス。すぐさま踏み止まり、棒を引き絞り戻すと共に渾身の一撃を突き出す。

 しかし、何百、何千、何万と積み重ねてきた鍛錬の賜物だろう。敵は体勢を崩しながらも左腕に固定して持つラウンドシールドを反射的に身体の前面に素早く割り込ませて、急所を既に隠していた。


「これで……。」


 だが、甘い。こちらもソレを読んでいた。最初から俺の狙いはラウンドシールドそのもの。

 その中央を棒で突き、ラウンドシールドを敵の身体に押し付けた後、即座に棒を引き戻しての二連撃目。次は棒を外側に捻りながら敵の右肩から振り下ろし、ラウンドシールドの縁を叩いて弾く。


「終わりだ!」


 最早、勝敗は決した。剣と盾、両腕を外側に連続して弾かれては体勢を崩すしかなく、敵が尻餅をつく。

 その完全に無防備となった敵へ向けて、本命の三連撃目を全力全開で解き放つ。どんな強者とて、そこだけは鍛える事が出来ない生物共通の弱点『喉元』を狙って。


「……ま、参った」


 緊迫感が漂う静寂の中、一拍の間を空けて、敵『ヘクター』が生唾をゴクリと鳴らして飲み込む。

 その際、ヘクターの喉仏が棒の先端に触れるのが解った。


「ふぅぅ~~~……。」


 勝敗が決すると共に強いられていた緊迫感が解けて、思わず大きく深呼吸。ヘクターの喉元から棒を外す。

 決定打は寸止めと予め決めていたルールとは言え、実戦と変わらない殺気のやり取りを行った為に疲労が著しい。

 たった一分も満たない時間だったが、毎朝の鍛錬以上に汗を掻き、息を肩でしているのが解る。


 いつの間にか、この毎朝の鍛錬後に習慣化したヘクターとの実戦さながらの試合。

 やはり、森の獣達とは違う。力や素早さでは劣るが、それを補って余るほどの多彩な技を人間は持っている。

 俺にとって、それは新鮮であり、確かな経験ともなり、今まで生活の糧の為だけだった毎朝の鍛錬に格段の遣り甲斐と面白さが加わった。


「おい、最初のアレは何だ? いきなり手元で伸びたぞ? どんなカラクリだ?」


 そして、それはヘクターも同様っぽい。

 早速、尻餅から立ち上がると、決定的な敗因となった初手の技に関してを悔しそうに尋ねてくる。


「ふっ……。それは教えられないな。秘密だ」


 その質問に思わず吹き出しそうになる。

 実のところ、ヘクターが気にしている初手は実に単純な技なのだが、剣のみを武器として扱うヘクターには想像が付かないらしい。

 しかし、不敵に笑い、敢えて種明かしはしない。その方が何となく格好良いからである。


「くっ……。秘伝という奴か。なら、仕方がないな」


 案の定、ますます顔を顰めて悔しそうなヘクター。

 だが、剣を鞘に収めて、何やら一人納得すると、今度は感心して、腕を組みながらウンウンと頷き始める。


「さあ、飯にしよう。俺は水を汲んでくるから、そっちを頼む」

「おう、そうだな。解った」


 笑いを堪えるのに表情筋と腹筋が痛い。

 もっとも、まず初見でしか効かず、そう何度も使える技でも無い為、奥の手なのは確か。今日から秘伝という事にしておこう。




 ******




「う~~~ん……。なあ、お前の親父さんの名前、フォートだったよな?」

「んっ!? ああ、そうだけど?」


 鍋などの旅道具が詰まったリュックの重さが少し煩わしく感じる勾配のきつい峠道。

 朝食以来、ヘクターは頻りに唸り、何を考え込んでいるのかと思ったら唐突な質問。そう言えば、親父の名前を教えたっけかなと戸惑いながらも頷く。


「悪いが、まるで聞き覚えがないんだよなぁ~~?」

「はっ!? 当然だろ? うちの親父は確かにちょっとは名が知れていたけど、それはうちの村の周辺でだぞ?」


 だが、それに返ってきたヘクターの言葉はますます戸惑うものだった。

 何を言っているんだと思わず隣を歩くヘクターの様子を見ると、ヘクターは右肘を左手で持ちながら顎を支え持ち、納得がいかない表情を傾げていた。


 ヘクターとの旅で思い知った事がある。

 田舎だとは思っていたが、俺が育ち住んでいた村は本当に田舎の村であり、それもド田舎と言って良いほどの田舎だった。


 前世の地図と比べたら、お粗末すぎる子供の落書きの様なものではあったが、この国をおおよそに記した地図を見る経験が一度だけ有った。

 その地図で俺達が歩いてきた道を辿ると、うちの村はこの国の最北西。山脈が北西から南東へ伸び、東と南に分かれる間。例えるなら、前の世界の漢字『入』の字の一画目先端がうちの村であり、地図に名前すら載っていなかった。

 そんなド田舎の村である。時たま、手強い害獣や魔物が現れた際、親父が周辺の村々で頼りにされているとは言え、所詮は村勇者レベルでしかなく、その名が遠い遠い王都まで遙々と届いている訳が無い。


「なら、爺さんの名前は? 何処の生まれとか、聞いていないのか?」

「爺さんか……。その手の話は一度も聞いた事が無いな」

「おいおい、自分の家だろ? 重要な事じゃないか?」

「そうは言ってもなぁ~~?」


 ところが、ヘクターの奇妙な質問は更に続く。

 その意図はさっぱり解らなかったが、それは実に興味深い質問でもあった。


 ここに俺が存在していると言う事は祖父、祖母が居る、または居た筈なのである。

 しかし、父方の祖父母も、母方の祖父母も、それに関する記憶が何処を探しても見つからない。


 ヘクターが眉を寄せて呆れるが、俺からしてみれば、今までは村での生活が全てだった。

 正直に言うと、興味も、感心も持っていなかった。たった今、ヘクターから言われて、初めて『そう言えば』と考えたくらい。

 ましてや、我が家は猟師の家であって、ヘクターの家の様に血統を気にする様な家系でも無い。


「親父さん、元冒険者だったんだよな?」

「ああ、それは間違いない。子供の頃、色々な街や村を回っていた記憶がある」

「だったら、お前の家も何処かの騎士の家系で……。親父さんも俺と同じで次男、三男だったのかもな?」

「えっ!? 親父がっ!? ……いや、無い無い、有り得ない」


 だが、その気にする様な家系なのかも知れないとヘクターは言った。

 そう言えば、この旅を始めた頃、ヘクターが貧乏貴族の嘆き話を語り、貧乏貴族の次男、三男は兵士や冒険者になる事が多いと言っていたが、うちの親父だけは有り得ない。


 ふとした際、ヘクターを見ていて感じるが、やはり貴族の家系というのはさり気ない仕草に品が少なからずある。

 しかし、うちの親父は外面だけは良くて、若い女性達から格好良いと持て囃されたが、その実は屁を平気で放ったりと品の欠片も無かった。

 母親が眉を顰めて叱っていたのを良く憶えているし、コゼットが居るのに気付かず、デカい屁をかましやがって、俺自身も恥を掻いた経験がある。

 その苦くて懐かしい記憶を思い出して、顔を引きつらせながら手を顔の前で左右に振る。


「なら、王都の武術大会を知っているか?」

「うん? ……ああ、聞いた事がある。四年に一度あって、凄いお祭り騒ぎになるんだろ?」


 するとヘクターは腕を組んで眉間に皺を刻むと、今度は脈絡もなく話題を変えてきた。

 相槌を打って、返事を返すが、さすがにそろそろ焦れてきた。ヘクターは本当に何を言いたいのか。


 四年に一度、この国の王都に在るコロシアムで大々的に開催される武術大会。

 その噂は村を訪れていた行商人のおっちゃんから土産話に何度か聞いた事があった。

 この国の建国以来の伝統であり、開催数は既に百回を超え、その数を重ねた権威もあって、周辺国からは勿論の事、大陸中から腕自慢が集まるとか。

 当然、見物客やそれを目当てにした商人も集まり、武術大会が開催される前後の二週間は王都の人口が二倍から三倍まで膨れあがる為、王都の外に一ヶ月限りの臨時の街が造られるほど。


 武術大会のルールは基本的に何でも有り。

 剣を使おうが、槍を使おうが、弓を使おうが、とにかく自由。試合相手を殺してしまう以外は許される。

 俺も男であり、今や武術をちょっとは囓った身。一度は見物に行きたいものだと心の内には有ったが、それが何なのだろうかと考えていたら、驚愕の事実がヘクターから告げられる。


「だったら、話は早い。その武術大会でな。

 俺の親父の爺さんの爺さんの……。ええっと……。

 親父だったかな? 爺さんだったかな? ともかく、うちのご先祖様が優勝しているんだ。それも六回連続でだぞ」

「う、嘘っ!? マ、マジで?」


 思わず目を見開ききって輝かす。

 四年に一度の大会で六回連続と言ったら、その王座を二十年間も守り抜いてきた事となる。

 初優勝が二十歳の時と考えても、六連覇した時は四十歳である。それだけで想像を絶する強さが解る。


 人間、体力と気力が最も充実しているのは、やはり二十代だろう。

 だらしないニートな生活をしていたせいもあるが、前世では三十歳を境にして、体力と気力が落ちているなと自覚する事が多々あった。

 ちょっと走っただけで息が切れてしまい、駅の階段を上り下りするのも一苦労。大学時代の様に酒を浴びる様に飲むのも、徹夜で遊ぶのも辛くなった。

 それが四十歳となったら尚更だろうにも関わらず、名を挙げようとする血気盛んな若者達を退けての優勝である。驚くなと言うのが無理な話。


「ああ、我が家唯一の自慢だな。

 当時の国王様から『剣聖』の称号と一緒に名剣を下賜されて、その剣を一番上の兄貴が実際に継いでいる。

 ……と言うか、ここが我が家の始まりだ。そのご先祖様も無役世襲位の三男坊でな。

 最初に優勝した時は世襲位を、次は十騎長を、その次は百騎長を、その次は国の剣術指南役をとトントン拍子に出世したんだってよ」

「おおっ……。

 ……って、あれ? ヘクターの家、無役だったんじゃ?」


 ご先祖様を褒められて嬉しいのだろう。ヘクターはご先祖様の武勲を満面の笑顔で揚々と語った。

 だが、すぐに気付く。その輝かしい栄光とヘクターが以前に語ってくれた家の貧しさがあまりに食い違っているのを。


「そう、自慢はここまでなんだ。

 先祖の恥になるから、詳しい内容は省くが……。要は世渡りが下手だったんだろうな。

 まあ、そのご先祖様以降、武術大会で優勝が出来なかったと言うのが、一番の原因なのだろうが……。

 うちは代を重ねる毎、あれよあれよと没落してな。とうとう、俺の爺さんの代で世襲位だけが残ったという訳だ」


 それを指摘した途端、ヘクターの口調は一気にトーンダウン。

 その上、この短い説明の中に三度も溜息を混ぜて、肩までガックリと落として項垂れる有り様。


 勝手な想像だが、ヘクターの家は成り上がりこそはしたが、そのご先祖様以来、武人らしく厳しく躾られ、代々が一本気な性格だったのではなかろうか。

 事実、目の前のヘクターが良い例である。本来なら、公爵という身分違いに恐れるところ、それを怯まずに諫言した結果、あのブタ貴族に疎まれて左遷している。


「……でな。俺が何を言いたいかと言えばだ。

 我が家は没落こそしたが、ご先祖様の剣術だけはちゃんと代々で受け継いでいるんだよ。

 道場だって、雨漏りの酷いボロ小屋だが持っているし、門下生も少ないが居る。

 当然、俺も子供の頃から剣の腕を磨いてきた。

 実際、兄弟の中では一番強かった。そこいらの雑魚に負けない自信もあって、百人長まで出世が出来た。

 ところがだ。武器の違いは有るとは言え、その俺とお前は五分以上で勝っているんだぞ?

 しかも、お前の話だと、お前の親父はもっと強いと言う。どう考えても、一代、二代限りのモノとは思えないんだよ」

「そうは言ってもなぁ~~……。」


 そして、ここでようやく話が最初と繋がる。

 つまり、誇りと自信を持っているご先祖様の剣が負けて悔しい。きっと秘密が何かある筈だと言ったところか。


「この際だから、ついでに教えてやる。

 お前が使っている技は『棒』じゃない。明らかに『槍』だ。

 その証拠にお前の構えは必ず棒先を敵に向けて、突きを主眼に置いている。

 それは棒の戦い方じゃない。棒は叩くのがメインであって、突くのは手段の一つに過ぎない。

 そして、槍術を教えるのは騎士の家だ。それも槍となったら、馬か、戦車に乗る様な高い身分の家の可能性があるぞ?」


 ヘクターの推論は『なるほど』と頷けるものだったが、そう言われても『だから?』と言うしかないのが本音。

 何故ならば、ご先祖様がどんなに凄くて偉い人であろうとも、俺の親父は猟師、今の俺は罪人。その事実は変わらず、何の影響も与えないからである。


「う~~~ん……。でも、まあ……。

 うちのご先祖様はともかくとして、お前にそう言って貰えて、少しは自信が持てたよ」


 だが、ヘクターには申し訳ないが、その大事にしているご先祖様の剣術に勝てたという実績は俺の自信に繋がった。

 親父から受け継いだモノが世間にちゃんと通用して、それも高い水準を持っているという大きな自信である。


「おっ!? なら、決めたか?」

「ああ、決めた。このまま進むよ。あのトリオールに」


 その俺の心境を表すかの様にきつかった登り坂が終わり、遂に峠を越える。

 ここから先は歩くのは楽だが、注意が少し必要な下り坂。広大な平原が眼下に広がっており、その中心に俺達が目指していた街『トリオール』が見える。


 そう、あの進むか、逃げるかを提示された日以来、その選択を今の今までずっと迷い、決断を下せずにいた。

 せっかく、領主様が粋な計らいをしてくれ、進む先は戦地なのだから、どう考えても逃げた方が上手な生き方と言えた。


 しかし、奴隷と言えども、軍隊では武勲を挙げれば、出世が望める。その二者択一に悩む俺へ告げてくれたヘクターの言葉は希望だった。

 即ち、何らかの役職を得ると共に軍属となり、奴隷の身分から解放されて、市民権を得られるのである。

 同時に兵役義務も生じて、数年間は国の命令に従わなければならないが、市民権を再び得られれば、村に大手を振って帰れる。もう二度と逢えないのを半ば覚悟していたコゼットとの再会も、その先にある結婚も叶う。


 但し、奴隷が向かう戦地である。当然、後方配置は有り得ず、最前線の激戦区となるだろう。

 その最前線で生き残り、更には武勲を挙げる。それが心配であり、自信の無さに繋がっていたが、そんな俺をヘクターが後押ししてくれた。


 こうなったら、もう迷いは何処にも無い。

 村に錦を飾って帰り、コゼットと結婚。エステルが村に居辛いと言うのなら引き取り、右にコゼット、左にエステルをはべらしてのウハウハなハーレム生活も悪くない。

 そんな薔薇色の未来図を想像して、杖代わりにして歩いている棒を決意に力強く握り締めながら眼下の街を睨み付ける。


「やっぱりか……。なら、俺も戻るとするか。

 ……と言うか、俺だけが逃げたら、サマにならないからな」

「ごめん……。」


 その答えを予想していたのか、ヘクターが寂しそうに苦笑を漏らす。

 言葉に詰まり、何と言葉を返そうかを迷うが、結局は謝罪の言葉しか出てこなかった。


 ヘクターは俺が逃亡するのを望んでいたし、逃亡後は冒険者を一緒にやらないかと誘い、それを随分と楽しみにしていた。

 実際、ヘクターとは相性が合い、この二ヶ月半の旅は面白かった。盗賊や魔物に何度か襲われもしたが、その悉くを打倒しており、俺達は冒険者としても十分にやっていけそうな気がした。

 だが、コゼットは幸せにすると自分自身に誓った相手。その誓いを裏切る事は出来なかった。


「でも、本当に良いのか?

 お前も聞いている筈だ。これから、お前が向かおうとしている戦い。その激しさが増しているって話を……。」

「勿論だ。せいぜい用心するさ」


 しかし、心を自信や希望で幾ら塗り固めても、その中心には不安がどうしても残る。

 ヘクターが口を真一文字に結んだ厳しい表情で再確認を問いてきた噂こそ、その不安の原因となっているものだった。


 それは前方の街『トリオール』に近づけば、近づくほど、いやがおうにも勝手に聞こえてきた。

 あのブタ貴族が失陥させてしまった『オーガスタ要塞』は俺が考えていた以上に国防の重要な要だったらしい。

 その難攻不落とまで呼ばれた要塞を逆に得て、東の国はここぞと勢い付き、冬を前に増援、増援を繰り返して、戦線を攻め上げ、俺達の旅が出発した時は最前線後方基地だった筈の『トリオール』の街は今や前線基地となっていた。

 当然、我が国も黙ってはおらず、徴兵範囲を拡げて、『トリオール』の街に兵を続々と集結させており、今も街に向かう長い行列が眼下に見えている。


 つい不安が心に渦巻きかけるが、もう決心したのだから選択は変えない。ヘクターに笑顔を空元気で返す。

 ここから街までの距離を考えると、遅くとも今日の夕方には別れが待っている。もう二度と会えないだろうヘクターに無用な心残りを残してはおけない。


「解った……。なら、半年だ。半年間、必死に生き延びろ。

 どの道、俺はあのブタに嫌われている。多分、俺もトンボ帰りでここに戻ってくるだろう。

 だから、俺が戻ってくるまで生き延びろ。

 お前の名前を名簿に見つけたら、俺の副官にしてやる。それくらいの権限は持っているし、出世するには有能な副官が必要だからな」

「……ヘクター」


 ところが、ヘクターは再会を約束すると、右手を差し出してきた。

 たまらず涙が潤み、それを零すまいと天を仰ぐが、溢れ出て止まらない涙が脇から零れ落ちてゆく。


 たった二ヶ月半とは言え、その二ヶ月半を丸々と寝食、苦楽を共にして、ヘクターとは長い旅路を歩いてきた。

 年上だが、タメ口で良いと言ってくれ、村では同世代が居なかった為、ヘクターはこの世界における俺の初めての男友達と言って良い。


 前世にて、友人は何人か居たが、高校時代の友人も、大学時代の友人も、進学や就職で疎遠となった。

 結局、残ったのは地元の小中学校の友人だけだが、その友人達も結婚を機にして、死に間際は少しずつ疎遠になり始めていた。

 もっとも、それ等は自分自身の行動の結果に過ぎないのだが、友好を結んでいる最中でも、ここまで言ってくれる友人は果たして居ただろうか。


「もう一度、言うぞ? 俺が戻ってくるまで絶対に死ぬなよ?」

「当然だ! 死んでたまるものか!」


 もう泣き顔を見られるなど、どうでも良かった。

 ヘクターの顔を真っ直ぐに見据えながら泣き笑い、その差し出された右手を両手で包み握り返した。




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