第02話 向けられた矛盾
「なるほど……。これは厄介だ」
地平線の果てが見える大平原にあったネプルーズの街の景色とは打って変わり、山々がとても近い高原の狭い山間地。
街道が南から西へと大きくカーブを描いている頂点付近の小高い山斜面に造られた典型的な山城が次なる攻略目標の古城『トリス砦』である。
実を言えば、俺がこの地を訪れるのはこれが二回目になる。
全ての発端となったエステルの事件が遭った後、村を追放されて、戦地へ向かう時に使った道がこの街道であり、トリス砦では一夜を明かしてもいる。
その際、前の世界で戦史好きだった俺は砦内をここぞと観光で見て回っており、砦内の内部構造に詳しかったりする。
ちなみに、トリス砦の前に古城という前置詞が付いている理由はその存在がミルトン王国の歴史より古いからだ。
この辺りは小石が目立つ荒れ地で農耕地とするには適しておらず、小さな村すらも存在しないが、ここから西に三日も進むと北部地方へ向かう街道と西部地方へ向かう街道の二手に分かれている交通の要所の為、この地を巡っての激戦が古くから幾多も繰り返されてきた。
しかし、ミルトン王国が台頭して、中部地方の支配圏を確立させると共に版図を東へ伸ばしてゆくと、トリス砦はその役目を失って放置される。
その後、豊富な水が湧いている井戸が有り、モンスターの脅威から守ってくれる石造りの城壁も存在する点から旅人達や行商人達の休息地点としての役目を担うが、ヒトの管理を失った施設の老朽化は早い。
百年を越える永い時の流れによって、トリス砦に残るのは兵舎が建っていただろう縄張り跡と所々が崩れ落ちた三重の城壁のみ。他は雑草が生い茂り、若木すら芽吹いて背を伸ばし、大自然の中に埋もれかけていた。
ところが、その約十年前の光景が今は様変わりして、見事な砦と化していた。
真新しい櫓が各要所に建ち並び、城壁は崩れ落ちていた部分に土が盛られて固められてあるばかりか、以前は無かった空堀が外郭を囲んで深く掘られており、唯一の出入口である正門を挟む二つの出城まで造られている。
難攻不落とまでいかないにしろ、実に堅牢な造り。
正面を突破するだけでも随分と骨が折れそうなのに、その先の山斜面にまだ二重の城壁が待ち構えている。
無論、砦内はこちらの侵攻速度を抑えて、戦力を分散させる為の工夫も随所に施されており、単なる力攻めで攻めるのは愚策でしかない。
最も妥当な策は兵糧攻めだが、それも難しいだろう。
前述にもあるが、水量が豊富な水場が砦内に有り、これだけの用意周到さで俺達を待ち構えていたのだから、兵糧はたっぷりと蓄えてあるに違いない。
次善策として思い浮かぶのは火攻め。
この辺りは狭い山間地である上に街道が大きくカーブを描いており、その頂点付近にあるトリス砦は風が集まりやすい筈だ。
今は夏で無風、微風の日々が続いているが、秋になったら秋風が吹く。
それに火矢を乗せて放ったら、石造りは城壁だけの急造砦の弱み。櫓などの施設は木製、兵舎はテントの為、火が面白いくらいに燃え広がり、砦を焼き尽くすだろう。
「それに魔術師まで居ると来たか……。いよいよ、アレを使う時が来たかな?」
だが、火攻めを行うのも困難と言わざるを得ない。
勇猛果敢な味方達が二つの出城から降り注ぐ矢の雨を掻い潜り、正門前まで何度も迫ってゆくが、その度に正門上の櫓から火球が放たれて、炸裂音が轟くと共に悉くが吹き飛ばされている。
その火球の発生源を単眼鏡で覗けば、宮廷魔術師と思しきローブ姿の人物が立っている。
これでは火矢は放てない。火矢を仕掛けた瞬間、風を操る魔術で向かい風を吹かされたら堪ったものではない。
嘗て、俺はトーリノ関門でロンブーツ教国の宮廷魔術師と対峙した経験が有る。
その時はこちらが防衛側であり、ロンブーツ教国の宮廷魔術師は敵の一団に守られながら出陣してきた為、その一団を半ば強引に向い撃つ事で難を逃れられた。
しかし、今度は攻撃側である。
相手は危機を察知したら簡単に砦内へ逃げる事が可能だ。
それ以前に当時と同じ手段を、槍の特殊能力を使う事自体も良策とは言えない。
おっさんの手ほどきによって、槍に秘められた特殊能力の使い勝手はかなり向上しているが、件のロンブーツ教国の宮廷魔術師を打倒した技は未だに消耗が激しすぎる。
嘗ての様に重傷を負いはしないだろうが、その場で失神して、最低でも三日は立ち上がれなくなる。
だが、トリス砦は正門を落としてからこそが本番。
正門は第一関門に過ぎず、その後に第二関門、第三関門がある事を考えたら寝てなどいられない。
それにおっさん曰く、あの技はとんでもない威力を持っている分、その代償に命そのものを削ってしまうらしい。
長生きをしたかったら簡単に使うなと、使う前にまだ他の手段が無いのかを良く考えて、もうどうしようもない最後の最後まで使うなと念をしつこいくらいに押されている。
ララノアが持つ弓の絶技で敵の宮廷魔術師を狙い撃つ。
これが最も試してみる価値のある手段だが、矢による狙撃は敵が最初から警戒しており、難易度は極めて高い。
その証拠に敵の宮廷魔術師が立っているのは櫓の格子窓の奥であり、すぐ傍に大盾を持つ二人の騎士が控えている。
無防備になるのは魔術を放とうと格子窓の隙間から右手を伸ばして翳す僅かな瞬間のみ。失敗したら警戒はより強まり、二度目は無い。
おまけに、敵の宮廷魔術師は一人とは限らない。
ネプルーズの街の戦いではブタが馬鹿な特攻を行ったが為、最後まで日の目を見ずに戦いが終わったが、実は宮廷魔術師が三人も居り、その三人全員がネプルーズ陥落時の脱出に成功しているのがウルザルブル男爵の証言で解っている。
こうなったら、とっておきの秘密兵器を遂に使うべきか。
腕を組みながら戦場を見据えて、そう考えていると隣に立つジェックスさんから待ったがかかった。
「いや、結論を出すのは待ってくれ。
そろそろ……。おっ!? 噂をすれば、何とやらだ」
トリス砦から高らかに鳴り響いてくるラッパの音色。
朝食後の開戦以来、三度の攻勢を仕掛けられながら固く閉ざされていた砦の正門が重い音を立てて開き、敵兵達が雄叫びを挙げながら我先にと怒涛の勢いで駆け現れる。
戦域に投入されている戦力差を比べるだけなら、軍配はこちら側に上がる。
しかし、こちらが正門の手前まで苦労して築いた橋頭堡を瞬く間に突き崩された挙句、前線があれよ、あれよと押され返し始める。防戦一方だった今までの鬱憤を晴らすかの様に敵の士気は天に登るほど高かった。
特筆すべきは敵の部隊を率いて、その先頭を突出して駆けている敵将と思しき存在。
ハーフプレートに身を包み、左腕にラウンドシールドを着けて、右手にツーハンドソード並の長身の剣を持ち、その銀閃を右に、左に走らせながら一瞬たりとも同じ場所に居らず、前方へジグザグに突き進んでいる姿は舞うが如し。
思わず見惚れてしまうほどで義父が『剣聖』の二つ名で呼ばれる以前に持っていたと言う二つ名『ソードダンサー』が頭に思い浮かぶ。
トリス砦に極めて高い武辺者は居ない。
ウルザルブル男爵からそう聞いていた為、純粋な戦術勝負になるかと思いきや、とんでもないエースが隠れていた。
敵将は遠い戦場に居り、その姿を単眼鏡越しに覗いているだけなのに肌が泡立っている。
あれはおっさんや義父にまで及ばないにしろ、その一歩か、二歩手前まで到達している者だ。
今だって、敵将を倒そうと味方の騎士が斬りかかっていったが、たった一刀のもとに斬り捨てられてしまっている。
俺の記憶が確かなら、斬り伏せられてしまった騎士は気性の荒い者達で構成された突撃隊の中隊長を務め、荒くれ者共を束ねるに相応しい武を持っていた筈だ。
おかげで、味方が完全に浮足立ち始めた。
このままでは明らかにまずい。敵将をどうにかしなければ、戦域に投入している全ての兵力が瓦解する。
「弓隊で半包囲して、矢で射掛けてみては?」
「ん~~~……。当然、そう考えるよな。俺もそう考えた。
おい、聞こえたな? あのくそったれを半包囲して、矢を撃ちまくれ」
すぐさま助言するが、ジェックスさんの反応は芳しくない。
口を『へ』の字に曲げ結んで唸ると、背後に控える副官へ振り返り、指示を溜息混じりに出した。
数呼吸の間を置いて、軍楽隊が勇ましく曲を奏で始め、その音色に隠された指示に従い、戦場の味方陣形が即座に変化してゆく。
最前線で戦っていた者達が素早く後退して、後方より前進してきた弓隊の前に立ち塞がり、三日月型の陣形となった弓隊の全員が弓を引き絞り、千本を越える矢が一斉にたった一人を目指して飛んでゆく。
恐らく、敵将は左腕に着けているラウンドシールドで身を守るだろうが、千本もの矢だ。
どう足掻いても何処かしらに矢が刺さり、致命傷は避けられても敵将の勢いは確実に止まる。
「んなっ!?」
だが、立ち止まった敵将が銀閃を走らせて、手前の大地を抉り斬った次の瞬間。
まるで爆発したかの様な炸裂音が轟き、放射状に高々と舞い上がって広がった大量の土砂が壁代わりとなって、千本を越える矢が敵将へ一本も届かずに落とされてゆく。
思わず目を丸くさせながら口を驚愕に開け放つ。
慌てて単眼鏡の先を正門上の櫓へ向けるが、敵の宮廷魔術師が何かを行った様子は無い。
その明らかに不自然な現象を起こした主は敵将に他ならず、どうやって起こしたかという答えは直前の行動から自ずと知れた。
敵将が持っている剣はマジックアイテムだ。
それも俺の槍の様に飛び道具とも言える特殊能力の攻撃手段を持っている点からかなりの逸品だと解る。
余談だが、マジックアイテムとは何らかの魔術的効果が付与された永遠不変の品々を一括りで指す。
光を放つ、火が着く、音が鳴ると言った簡単なアクションしか出来ない品もマジックアイテムと呼ばれている。
ところが、その簡単なモノですら現代の技術では再現が出来ない。
各国の宮廷魔術師が再現しようと血眼になって試みているが、一時的な付与は出来ても、永続的な付与は不可能であり、マジックアイテムは冒険者が古代遺跡などで発見されたものしか存在しない。
その上、マジックアイテムが新たに発掘されるヒトの手垢が付いていない古代遺跡はヒトの生活圏から遠く離れた不便な地に有る。
そこはゴブリンやコボルト、オークとは比べ物にならない恐ろしいモンスターが住処にしている事が多く、その様な危険な場所へ冒険に行く冒険者なら、より強力な武器、防具を、より便利な道具を必要とするのが当たり前であり、第一発見者の冒険者自身が使うに決まっている為、マジックアイテムは市場になかなか出回らない。
我がコミュショー男爵家のお抱え商人であるハーリーに話を聞いたところ、マジックアイテムの価格はピンキリ。
マジックアイテムに付与されている魔術の強さでグレードが七段階に定められており、そのグレード次第で値段が違うらしい。
例えば、斬れ味と言った威力などが加味された最下位グレードの利便性の向上魔術だけが付与されたマジックアイテムなら根気良く探し歩いたら見つかるレベルであり、それがロングソードなら通常のロングソードの十倍程度の値段から買えるとか。
だが、このグレードが一つ上がって、使用者の能力向上が付与されたマジックアイテムになったら、なかなか見つからない。
値段も更に付与された魔術効果によって、それがロングソードなら通常のロングソードの百倍から三百倍という馬鹿馬鹿しい値段になるが、これが上のグレードの値段を知ると良心的に感じるそうだ。
この上のグレードは他者へ対する特殊能力の効果範囲で上がってゆき、個人、集団、軍勢、街や城塞、世界の順に列ぶ。
ここまで来ると運が良くても見つからず、ハーリーも過去に売り出されているのが一回しか見た事が無く、その集団規模に対する特殊能力を持ったロングソードに付けられた通常の二万五千倍の値段を見て、売り主の正気を疑うしかなかったと零していた。
以上の通り、グレードの三番目以上は発見数、発見率が下の二つと比べたら極めて少ない。
最上位のグレードに至っては大陸南東の地に魔族を封じている『オラシオン』なる剣と歴代の魔王が形を変えて所持していた天変地異を操る『ユグドシラル』なるアイテムの二品しか確認されていない。
こうした理由からマジックアイテムが買い求めるのは大抵が貴族であり、俺の槍がそうだった様に貴族の家で家宝として受け継がれてゆく。
特に高グレードのマジックアイテムは戦術級、戦略級の効果を持つ為に危険視されると共に国宝化され、各国の国庫に死蔵している場合が多い。
そして、普段は日の目を見ないマジックアイテムが一堂を会すのが戦場だ。
騎士達は少しでも多くの武勲を立てようと、各々が先祖伝来の武器、防具を手に戦場へ集うが、それ等はやはりグレードの二番目まで。
バーランド卿が持つグレートソードですらグレードは二番目であり、グレードの三番目以上のマジックアイテムを所持するのは味方陣営で俺とジュリアスの二人しか居ない。
さて、話を敵将に戻すと、今先ほどの不自然な現象を見る限り、あの剣は明らかにグレードの三番目以上のマジックアイテムで間違いない。
グレードの三番目以上のマジックアイテムの強みは担い手の任意で付与されている属性の力場を全方位に発生させて、それを魔術的な盾として用いられる点にあり、実は俺やおっさんがちょっと無茶めな一騎駆けが出来るのはこの魔術的な盾のおかげによるところが大きい。
なにせ、この魔術的な盾はグレードの三番目以上のマジックアイテムを持つ者同士なら相殺は出来るが、通常の武器やグレードの二番目以下では影響を受ける。
簡単に言うと、剣や矢の刃はちゃんと届くが、腕を断ち切る筈だった斬撃は骨で止まり、プレートメイルを貫く筈だった矢の一撃は弾かれると言った様に本来の威力を発揮させない。
つまり、敵将とまともに戦い合えるのは俺とジュリアスの二人だけ。
複数人が休む間を与えずに挑み、敵将が魔術的な盾を使えなくなるまで疲労させるという手段もあるが、これは苦肉の策でしかない。
敵将の技量を考えたら犠牲が大きすぎて使えず、総大将たるジュリアスが対峙するのも有り得ず、俺が敵将と戦う選択肢だけが残される。
「なっ!? 解っただろ?
あのくそったれのせいで騎士がもう五人も……。いや、さっきのを合わせたら六人だな。どいつもそれなりの腕を持っていた奴だ。
おかげで、あのくそったれが出てくると兵士達が弱腰になる。まずはあいつをどうにかしないと先へ進めないが、先へ進んだところで今度は宮廷魔術師が待っているときたもんだ」
「はい……。こいつは本当に厄介だ」
ジェックスさんが溜息を改めて漏らしたのに合わせて、俺も溜息を漏らす。
只でさえ、トリス砦は堅牢な造りをしており、そこに最強の矛たるマジックアイテムを使う敵将と最強の盾たる宮廷魔術師が揃っているのだから溜息も自然と漏れるというもの。
味方の大半を占めている南方領兵はミルトン王国の寒い冬に弱い。
冬が到来する前に決着を着けたかったが、今は攻める策すら見当たらず、勝利のビジョンが思い浮かべられない。
当初の計画ではネプルーズの街を攻略するに辺り、最低でも一年はかかると予定していた為、トリス砦を今年の内に攻める視野は持っていなかった。
だが、ネプルーズの街を巡る戦いを鮮やかに短期間で済ませたせいか、士気が必要以上に上がってしまい、上層部のみならず、下からも『更なる進軍するべし』の声が挙がり、それに圧される形でトリス砦を目指す進軍が決まった。
俺自身、少なからずの不安はあったが、最終的に賛成票を入れている。
ミルトン王国軍がネプルーズの街に蓄えていた兵糧を得た事によりレッドヤードの街との補給路に未だ不安は有っても、ネプルーズの街からの補給路はウルザルブル男爵が提供してくれた中部地方の地図のおかげで進軍の不安は無いばかりか、ミルトン王国軍の苦しい内情が解っていたからだ。
トリス砦へ至るまでの街や村を守る実質的な兵力はゼロ。
ミルトン王国軍が対応策を打ち出す前に兵をただ進めるだけで中部地方の七割を得られるのだから進軍しない手は無い。
それに更なるミルトン王国国土を奪えば、ネプルーズの街を失陥させた責任で失脚するだろうブラックバーン公爵の政治的立場をより追い詰めて、その失脚の度合いを大きく出来る。
俺個人としてはこれが最大の理由だ。おっさんすら警戒するブラックバーン公爵とは戦いを何が何でも避けたかった。
こうして、俺達はレッドヤードの街から補給物資を運んできた後続部隊の半分を兵力に加えて、春の終わり頃に進軍を開始。
二万の兵力を本隊が一万、分隊が五千づつの三隊に分けて、本隊はジュリアスが、分隊は俺とバーランド卿が司令官を担い、ネプルーズの街から伸びている三本の街道を同時に進み、それぞれが道中の街や村を占領下においてきた。
俺が担当した街道は、ヒトの往来を阻む中部地方北東に連なる山脈沿いを通る北路。
但し、北路は目的地のトリス砦と至っておらず、そのまま進むと北部地方へ向かう為、険しい峠越えが連続する手前の枝道から中路へ進路を変えているのだが、この枝道へ入る際にちょっとした一悶着が起こっている。
その地には峠越え前の宿場町が在り、領主の『ヌミートル男爵』の手腕が優れているのだろう。
国家総動員令が二度も発令されて、街の住人数は確かに少ないが、俺が北路で占領下に置いてきたどの街や村よりも人々の顔に笑顔があり、市場は活気に溢れていた。
更にヌミートル男爵は気高い精神を持つ貴族でもあった。
俺が率いる軍勢が街に迫ると、両手を縄で縛りながら首吊り用の縄を首に下げて、開け放った城門の前に堂々と立ち、家族と領民の安全を自分の命と引き換えに無条件降伏を申し込んできたのである。
これこそ、正にノブレス・オブリージュ。俺は感服するしか無かった。
この様な人物を死なすのは国家の損失だ。俺は代官は置くが監督役に留めて、統治権はヌミートル男爵そのままに降伏を受け入れた。
しかし、ヌミートル男爵は親馬鹿なパパさんでもあった。
ネプルーズの街を巡る戦いにて、敗れ散ったとばかり思っていた愛娘のシルヴィス嬢が生きていたと知って喜ぶも束の間、その愛娘から自分とさほど年齢が変わらないウルザルブル男爵を夫だと知らされるや激怒しまくり。一旦は纏まった降伏の話を覆して、徹底抗戦を叫び訴えてきた。
だが、他者から見たら、それは戦うより祝うべき慶事。
こちらの事情としても、ウルザルブル男爵とシルヴィス嬢の仲は王族のジュリアスが認めたもの。今更、駄目だと言われても困る。
ヌミートル男爵は味方を一人も得られず、自室に引き篭もっての籠城戦を行うが、シルヴィス嬢を始めとするヌミートル男爵一家の懸命な説得によって、五日後に再び降伏する。
この結果、足止めを食らった俺達は良い休養となったが、その反面で旅程の遅れに繋がり、ジュリアスとバーランド卿よりトリス砦到着が一週間も遅れている。
昨日までに二度のトリス砦攻めが既に試みられており、目の前で今行われている戦いは遅参した俺に見せる為の戦いであって、トリス砦を本気で落とそうとする総力戦に非ず、あくまで小手調べに過ぎない。
なら、もう十分に見せて貰った。
これ以上の戦いは意味が無い。被害が拡大しない内に撤退して、今後の策を練るべきだ。
「どうする? 今日のところはこれで止めにするか?」
その引き際がジェックスさんほどの指揮者なら解らない筈が無い。
ところが、ジャックスさんは横目を向けて、微笑を口元に乗せながら継戦の是非を問いてきた。
この発言に込められた意味は明白だ。
是非のどちらを選んでも不正解であり、実は『どうせなら、小手調べついでに敵将へ挑んでみないか?』と言葉外に誘っているのが真実の問いかけ。
それは全体を考えて、敢えて飲み込んだ第三の選択肢であり、俺としては望むところ。
いつの間にか、集っている数多の視線に応えて、まずは鼻で不敵に笑ってみせると、一呼吸の間を勿体ぶる様に置いて、前の世界の漫画、アニメ、ゲームで登場した男だったら一度は言ってみたいセリフを今の状況に合わせたアレンジを加えて言い放つ。
「ふっ……。そうですね。
試してみるのは良いですけど……。別にアレを倒してしまっても構わないんですよね?」
その途端、熱気の籠もったどよめきが沸き上がり、それが鎮まりきる前に誰もが俺の名前を連呼して溢れてゆく。
数少ない女性騎士からは『素敵! 抱いて!』と言わんばかりの熱視線が注がれており、頬が緩みそうになるのを口を固く結んで懸命に堪える。
ハズしてしまったら、この上なく恥ずかしかったが、決まった。ばっちりと決まった。
熱狂とも言える周囲の沸き上がってゆく熱さに呼応して、俺の戦意も高まり漲ってゆき、勝利をもぎ取ってみせる自信が湧いてくる。
「良し! 大将がその気なら派手に行くか! 敵に奪われた士気を取り戻さなくちゃならんからな!」
どの道、立ち塞がる相手なら、今か、後かの違いでしか無い。絶対に負けられない戦いがここにある。
前の世界では結婚すら夢のまた夢だった俺の子供を産んでくれたティラミスとアリサを残しては逝けない。二人の子供の顔を見ずして、この俺が死ねる筈が無かった。