表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十三章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 ミルトン王国戦線編 上
104/140

第06話 悪の品格



「ふぅ~~……。」


 ジュリアスが額にかいた汗を右腕で拭い、疲労感を感じさせる溜息を深々と漏らす。

 だが、その口元には笑顔が浮かび、表情も達成感と満足感に溢れており、『ウルザルブル男爵』が麾下となってくれたのがよっぽど嬉しい様だ。


 考えてみれば、ジュリアスが人材を自分から欲したのはこれが初めてになる。

 嘗ては自派閥の強化どころか、関心すら持とうとせず、『要らない波風が立つのは避けたいからね』と達観する様に零していたのを考えると良い傾向だろう。


 王都を出発して以来、みんなで事ある毎に何度も焚き付けてきた甲斐があったというもの。

 旗頭たるジュリアスがその気にならなくてはやはり意味が無い。将来、兄や姉と戦うのは気が引けるだろうが、その将来は確実に刻一刻と迫っているのだから。


「休憩を少し挟みますか?」

「いや、あと一人だ。もう一踏ん張りをするとしよう」


 さて、話を目の前の現実に戻そう。

 件のウルザルブル男爵はインランド王国騎士としての叙勲を終えて、この謁見の間から既に退出済み。


 その名目は元部下達の帰順を促す為だが、本当の理由は違う。

 次の審問がウルザルブル男爵の元寄り親であるブラックバーン公爵家の嫡子『ブタ』であり、顔を合わせづらいだろうとジュリアスが気遣ったからだ。


 そう、ブタは死んでいない。

 先日の戦いにて、こちらの術中に深く侵入してきた末に囚われの身となり、まだ生きている。


 馬を乗り、敵の部隊へ突撃を行う。

 言うは易しだが、それを実行するのはなかなか難しい。


 なにしろ、その人数が十人程度ならまだしも、百人、千人となったら、それは壁である。

 壁へ全速力で突っ込んでゆくのだから、恐怖心を抱かない方がおかしい。


 それを克服する術は一つしか無い。

 鍛錬による経験を愚直に重ねて、恐怖心を飼い慣らして、恐怖を自信へと変えるのだ。


 しかし、ブタが乗る戦車を操縦していた御者はソレが圧倒的に足らなかった。

 前方に迫り来るジュリアスが率いる部隊に怯み、戦車を急旋回させるも急旋回しきれず、派手に転倒してしまい、ブタは戦車から投げ出されて、ジ・エンド。実に呆気ない幕切れである。


 もっとも、いかに戦車が突進力に優れていようが、たった一台では意味が無い。

 ブタが後続を引き離して、単騎で突出した時点で運命は決まっていた。 


 なら、その絶好の機会にブタを殺さなかったのは何故かと言ったら、そこが戦場だからに他ならない。

 俺が騎士であり、ブタも騎士である以上、戦場での死は名誉となる。例え、それが重要拠点であるネプルーズの街を失陥させた愚かな作戦行動であっても。


 下手したら、『戦いに敗れはしたが、戦場を一騎駆け! さすがはブラックバーン公爵家が嫡子! さすがは武門の血筋!』という風評が広まってしまう可能性も否定は出来ない。

 そんな名誉は絶対に認めないし、絶対に許されない。エステルや数多に存在するだろうブタの被害に遭った少女達の為にもブタは惨めに死ななければならない。


 しかも、ブタは見苦しく命乞いをしてきた。

 骨が折れていなければ、剣で斬られた切り傷も無い。戦車から投げ出された際に負った打ち身程度の怪我で痛い痛いと喚き散らして立ち上がろうともしない。

 周囲を兵士達に取り囲まれて、ようやく黙ったと思ったら、今度は涙と鼻水を垂れ流しながら土下座を何度も繰り返して、プライドというモノを持っているのかと疑うほどの怯えっぷり。


 その無様な姿に大将首を獲ろうと勇み争って駆けてきた兵士達ですら戦意を失って呆れ果て、俺自身も呆れるあまり引きつった笑みが零れた。

 村を追放されて以来、一日たりとも忘れずに憎悪を燃やし続けてきた相手がこんな情けない奴だったのかと知って泣けてもきた。


「御意……。それでは、次の審問に移る!

 ミルトン王国がブラックバーン公爵家嫡子、フロム・ナ・ヴィニア・ブラックバーン殿、入られよ!」


 バーランド卿がブタには勿体なさ過ぎる立派な名前を呼び上げた瞬間、心臓が痛いほどにドキリと跳ねた。

 ブタが謁見の間へ入ってくる。そう考えたら、何食わぬ顔を装ってはいるが、俺の心は複雑に彩られて渦巻いてゆく。


 ブラックバーン公爵家の嫡子として、王族以外の誰からも傅かれ、それがどんな愚行でも罰せられず、望んだら望むままに生きてきたブタである。

 先日の戦いからまだ三日しか経っていないが、不自由を強いられる捕虜としての生活はブタの心を更に追い詰めて、この場でも無様な姿をさぞや晒してくれるに違いない。

 この約十年間、その姿を一日千秋の思いで待ち望んでいたにも関わらず、三日前の命乞いの場でもそうだったが、気分はスカッと晴れない。何かが違うと俺の心が訴えていた。


 だからと言って、復讐心が萎えた訳では無い。

 むしろ、本物のブタを実際に目の当たりにして、逆により燃え上がっている。


 おかげで、この矛盾する感情に苛立ちが募るばかり。

 この三日間はブタに関わるどころか、ブタの事をなるべく考えない様にしていた。


「ふん! やっとか。随分と待ったぞ」


 ところが、ところがである。両手を腰に突いて、ふんぞり返り、この鼻を鳴らしての第一声。

 俺の苦悩に反して、出入口の二枚扉が重い音を立てながら両開くと、その向こう側に待ち構えていたブタは俺が知っているブタだった。


 今や、ここは敵地であり、自分が捕虜となっているのを忘れたかの様なふてぶてしさ。

 前述にあるブタの無様な命乞いは知れ渡っており、この審問を始める前に今日はどんな命乞いを見せてくれるかが笑い話となっていただけに誰もが唖然と言葉を失う。


 ジュリアスへ向かって歩き出した姿も傲慢そのもの。

 大物気取りに闊歩して、胸を張るどころか、首との境界線が定かでない贅肉に弛んだ顎をやや上げて、その口元にニヤニヤとした笑みを乗せており、この捕虜審問を見下しているのは明らか。


 俺自身もこのブタの劇的な変化に唖然と言葉を失ったが、これこそがブタの真の姿であり、それを唯一知っている為だろう。

 謁見の間がまだ驚きに染まっている中、誰よりも早く我を取り戻すと、驚きのあまり間抜けに半開いていた口を閉じて、顔を左右にやれやれと振りながら溜息を漏らす。


 どうやら、俺は思い出の中のブタを美化し過ぎていたらしい。

 己が成す悪を悪事と自覚して、その悪を誇りとする一流の悪かと思いきや、インランド王都に幾らでも居る十把一絡げの三流の悪と同じだ。ただ単に公爵家という威を借っているに過ぎない。


 どうして、それが解ったか。

 そのヒントはブタの身なりが捕虜でありながら小綺麗な点に隠されている。


 戦場において、捕まった者は所持している武器や鎧、装飾品などの財産が没収される。

 その後、身分は仮の捕虜となり、この審問が終わるまで一定の場所に監禁されて、食べる、寝る、排泄する以外の自由を奪われる。


 その為、捕縛から審問までの日数が空けば、空くほどに身なりは汚れて、男なら髭が伸びてくる。

 実際、たった三日間とは言えども、暑さが目立ってきた夏前の今は入浴が出来ないときつい。戦場での血と汗と泥に汚れた服を着たままのブタ以前の捕虜達は少なからずの異臭を放っていた。


 しかし、今のブタにそれが全く感じられない。

 第一、着ている服が違う。俺の記憶が確かなら、ブタが先日の戦いでチェーンメイルの下に着ていた服は青だった筈だが、今着ている服は黄色であり、その生地は上等なモノで真新しさすら感じる。

 どう見ても似合わず、滑稽なマッシュルームカットにも櫛がきちんと入って整っており、頬も、鼻下も、顎もつるつるで無精髭すら生えておらず、この点が特におかしい。


 この世界にカミソリは存在しても、安全カミソリはまだ存在しない。

 今にして思えば、安全カミソリは誰でも簡単に髭が剃る事が出来て、本当に便利な道具だった。


 それに比べると、カミソリは非常に扱いづらい。

 下の毛が生え始めた頃から男の嗜みとして用いているが、手鏡という高価な日常品を持つようになった今ですら肌を切ってしまう事がたまに有り、その扱いには習熟を必要とする。

 初めて使い始めた頃は肌を何度も、何度も切ってしまい、薬草で作った軟膏をいつも顔に塗っていた為、コゼットに『臭いから近寄るな』と良く言われたものだ。


 その自分自身の経験を踏まえると、今まで何の不自由も無く傅かれて生きてきたブタがカミソリを扱えるとはとても考えられない。

 武器になり得るカミソリを仮の捕虜へ与える馬鹿は居ないと思うが、それが百歩譲って居たとしてもだ。


 だが、それ等以前にブタが大手を振って歩いている時点でおかしい。

 その傲慢な態度があまりにも自然なのと先日の無様な命乞いとのギャップ差に驚き、俺も最初はうっかりと見逃してしまったが、捕虜が捕虜収容所の敷地外へ出る時は両手が縛られていなければならない。


 つまり、ブタの身なりが小奇麗なのも、ブタの両手が縛られていないのも、何者かがブタへ便宜を図っている証拠に他ならない。

 端的に言ったら、賄賂だ。ブタは隠し持っていた何らかの財産を代価として、命の保証と捕虜生活中の優遇を得ているに違いない。


 正しく、これこそが三流の悪に共通する特徴である。

 立っている場所が安全圏なら威を狩りて威張れるが、そこから一歩でも離れてしまうと頼れるモノを何も持っておらず、無様な姿をただただ晒す。


「衛兵、何をやっている!

 捕虜が拘束もされず、殿下へ近づいているんだぞ! 今すぐ、取り押さえろ!」


 それが解ったからにはもう躊躇わないし、戸惑いもしない。

 ここが安全圏だと勘違いしているブタの虚勢を剥がすべく前へ進み出ると、ジュリアスを守る様にブタの行く手に立ち塞がり、左の腰に下げた剣を鞘走らせて、その切っ先をブタへと向けた。




 ******




「お呼びとの事で……。えっ!?」


 その謁見の間に小走りで現れた男はジュリアスの前へ進み出る途中、驚きに目を見開きながら歩を止めた。

 当然の反応だろう。彼は捕虜収監の責任者であり、その管理する捕虜の中でも最重要人物のブタが自分の与り知らないところで両脇を衛兵に掴まれて拘束されているのだから。


 そんな彼がこの場へ呼ばれた理由は言うまでもない。

 彼が捕虜収監責任者である以上、ブタが生活面での優遇を受けている事実と理由を知らない筈が無いからだ。


 しかし、それを問う前に確信した。

 彼こそがブタから賄賂を受け取り、ブタへ生活面での優遇を許している張本人だと。


 ほんの一瞬ではあったが、ブタと目線での会話を交わして、彼の目が戸惑いに揺れたのを俺は見逃さなかった。

 恐らく、文字に直すとしたら、こんなところではなかろうか。


『おい、これはどうなっている? 約束と違うぞ!』

『申し訳ありません。ですが、私にも何が何だか……。』


 今現在、ミルトン王国戦線における総司令官は第十三騎士団の団長を務めるジュリアスだが、ミルトン王国戦線に参加している構成員は第十三騎士団だけでは無い。

 第十三騎士団の前年度に出兵した第十二騎士団との混成であり、第十三騎士団の直臣騎士達の大半が第三王子派なら、第十二騎士団の直臣騎士達の大半は第二王子派である。


 だからと言って、ジュリアスは首脳部から第二王子派を閉め出したりする狭量な男では無い。

 逆に第十二騎士団の者達を先任として重用しており、この謁見の間に居並んでいる者達の半数以上がそれにあたる。

 彼もまた一年前まではこの場に列ぶ資格を有していたが、何かと事ある毎に嫌味ばかりを言い、常に否定的であった為、会議がいつも捗らず、ヒトが良いジュリアスですら疎み始めた結果、こちらから提案するまでもなく第十二騎士団の面々が動き、彼の姿はこの場からいつの間にか消えていた。


 だが、彼の反骨精神はその後も留まらず、外野に置かれて、声はより大きくなり、先のモンスター肉の一件でも反対意見の首謀者となっていたのが彼である。

 これが代案を持っていての反対なら、その心も理解がまだ出来るし、代案の検討も出来るのだが、彼の場合は常にただ反対するのみ。


『やれやれ、彼も哀れだね。ほんの少しだけ同情してしまうよ。

 敵愾心を抱いている相手の眼に自分が映っていないどころか、記憶にも留めて貰えていないのだからさ』


 どうして、そんな思春期に有りがちなガキ臭い反抗態度を取るのかが長らく不思議で仕方が無かったが、その答えが最近になって解った。

 酒での席の事、つい彼へ対する愚痴がぽろりと零れてしまった際、ジュリアスが呆れ混じりに答えを教えてくれた。


 なんと彼は俺とジュリアスの騎士受勲同期の者であり、叙勲式後の懇談会でイチャモンをふっかけてきた第二王子派の二人組の片割れ。伯爵家三男のボンクラだったのである。

 答えが解ってしまえば、実に馬鹿馬鹿しくも幼稚な反抗理由と言うしかない。多分、当時の事を今でも根に持っており、ただ単に俺のやる事、なす事の全てが気に入らないだけなのだろう。


「まあ、見ての通りだが……。

 この件について、そなたを呼んだのは殿下では無い。コミュショー卿だ」

「……コミュショー卿が?

 はてさて、何の御用でしょうか? この私が参謀長のお役に立てれば良いのですが?」


 今だって、そうだ。バーランド卿が俺へ話を振った途端、ボンクラはジュリアスを前に敬っていた態度を豹変させた。

 まずは俺を睨み付けて、舌を鳴らすのは当たり前。続いて、鼻で一笑いすると、最後は敬語を吐きつつも口元に嘲り笑いを薄っすらと乗せながら両掌を上に肩を竦めるオマケ付き。


「そこに居るフロム殿に関してだ。

 何故、拘束が解かれていたのか? 何故、他の捕虜と扱いが違い、風呂や着替えが許されているのか? それが聞きたい」


 その露骨に俺を馬鹿にした態度に思わず溜息が漏れそうになるのを堪える。

 今や、オータク侯爵家の執政となった俺である。権威の大きさで比べたら、ボンクラが威を借っている父親の伯爵より俺の方が圧倒的に勝っているのだが、それすらも理解が出来ないボンクラだから本当に困る。


 このミルトン王国戦線に限っての話だが、第二王子派の面々とは関係がとても良好だけに同情心を覚える。

 対面に居並んでいる第二王子派の面々の様子を窺えば、俺へ喧嘩を売っているボンクラの態度に動揺を隠せず、隣同士と忙しなく目線で会話を交わし合っている。


 その反面、ボンクラがいつまで笑っていられるかが楽しみでもあった。

 今まで突っかかってきても相手にせず、気にも止めていなかった為、捕虜収監責任者の役目に就いていたのも知らなかったが、今度ばかりは致命的な失敗をした。


 ジュリアスは世の中にある必要悪をある程度は許容しているが、基本的に法を順守しようとする善性の心の持ち主である。

 特にこのネプルーズの街を占領した直後、ジュリアスは街の住人達へ対する略奪などの非道な行為は絶対に許さないと、全軍に『奪うな、殺すな、犯すな』の三か条を掲げた綱紀粛正を直々に強く行っている。

 そのジュリアスの面子を潰したばかりか、このミルトン王国戦線に大きく関わるブタの取り扱いを間違えたのだから極刑は免れない。


「おやおや、参謀長はお忘れですか? フロム殿はミルトン王国の公爵家嫡子ですよ?

 だったら、いかに長年を争ってきた敵対国とは言えども、賓客として扱うのが当然の礼儀ではありませんか?」

「なるほど……。フロム殿にかけられるだろう身代金の額を考えたら、確かに少しくらいの優遇は当然だな。

 解放後はミルトン王国へ我が国の良さと強さを伝えて貰う為にも、その方がフロム殿も協力してくれるかも知れない」

「でしょう? 正しく、その通りです」


 ますます深まってゆくボンクラの嘲り笑い。

 返って来た答えにウンウンと頷き、敢えて感心したフリを装うと、ボンクラは歯まで見せてくれる喜びぶり。初めて、俺の先を行った事がよっぽど嬉しいらしい。


「だが、誰がそれを命じた。俺の知る限り、殿下はその様な事を命じてはいない」

「そうだな。私も命じた覚えは無い」

「えっ!? い、いや、しかし……。さ、参謀長が今言っていた通り……。」


 ところが、鋭くさせた視線と口調でボンクラの独断専行を責め、それをジュリアスが同意に頷いた次の瞬間。

 ボンクラは俺からジュリアスへと顔を勢い良く振り向けて、玉座から注がれている冷たい眼差しに今更ながら気づくと、笑みを瞬く間に凍らせて、顔色を真っ青に変えた。


 まだまだ俺の反撃は始まったばかり。この程度で動揺をあっさりと漏らすなんて、歯応えが無さ過ぎる。

 所詮、こそこそと隠れた悪巧みしか出来ない小悪党か。ブタが三流の悪なら、ボンクラは四流、五流と言ったところ。


 俺に敵愾心を抱くのなら、ブタを少しは見習って欲しい。

 三流の悪ではあるが、自分の共謀者が目の前で窮地に追い込まれようとしているにも関わらず、完全な部外者面。一瞬、眉をピクリと跳ねさせただけ。


「そもそも、前提が間違っている。今、言ったのはフロム殿が正式な捕虜となった場合での話だ。

 そして、その審査を行うのがこの場であって、最終的な決定権は殿下だけが有している! 

 まかり間違っても、お前が勝手に決めて良い事では無い! お前は軍の命令系統を無視したばかりか、殿下の存在を蔑ろにしたのだ!」

「なっ!? も、申し訳御座いません! で、ですが、私は……。」


 威を借りて威張り散らす者は借りている威以上の権威に弱い。

 慌ててボンクラはその場に額を擦り付けての土下座を行うが、ジュリアスを知る俺から言わせて貰ったら、それは悪手でしかない。


 案の定、ジュリアスの苛立ちは増した。

 一見すると変化は解らないが、奥歯を噛みしめるあまり顎の根本が強張っており、駆られる激情に耐えているのが解る。


 このまま放っておいたら、ジュリアスがボンクラを怒鳴り付けての断罪に走ってしまうのは必定。

 その場合、ボンクラの親である伯爵の怒りの矛先がジュリアスへ向かう可能性が大いに有り、それは第三王子派の一員として頂けない。


 バーランド卿と視線を素早く交わして、お互いに顎先だけを微かに頷かせる。

 ジュリアスを下らない宮廷闘争に巻き込んではならない。皆の注目を集めるべく殊更に鼻を大きく鳴らして、右の人差し指をボンクラへ突き付けながら怒鳴って糾弾する。


「白々しいぞ! それとも、はっきりとこう言って欲しいのか! お前は賄賂と引き換えにフロム殿へ様々な便宜を図っていると!」

「と、突然、何を言っている! よ、世迷い言だ! ら、乱心したか!」

「衛兵、この男を捕まえろ! 罪状は収賄罪だ!」

「ば、馬鹿な! わ、私の父が誰だと思っているんだ!」


 ボンクラが泡を食って立ち上がり、声を完全に上擦らせながらも必死に反論しようとするも遮って言わせない。

 すぐさまブタを拘束している衛兵の一人がボンクラの元へ駆け寄り、その腕を掴みかけると、ボンクラは追い詰められた小悪党が決まって用いる伝家の宝刀を遂に抜いた。


「西方領内で上から四番目に大きい領地を持つ伯爵様だろ?

 ついでに言えば、長男は第四騎士団の副団長で、次男は財務の巡検使長を務めており、軍政の両方に大きな影響力を持っている」

「そ、そこまで解っているのなら!」

「だから、何だ? 今、ここに居るお前と王都に居るだろう父親と兄弟が何の関係があるんだ?」


 最早、語るに落ちた。

 威を狩りて、相手を強引に捩じ伏せる。裏を返せば、それは自白したも同然である。


 第一、そんなモノは俺に通用しない。

 更に重ねて言えば、持っている権威で比べたら、今は俺の方が断然に勝っている。


 いい加減、それを理解して欲しいのだが、ボンクラの時間はあの騎士叙勲式後の懇談会で止まっているのだろう。

 あの時の事を反省しておらず、克服もしようとせずに腐ったままでいるから出世が遅い。今、言った長男と次男の二人と比べたら、歴然とした差が付いている。


 普通、大事な役目ではあるが、捕虜収監責任者など誰もやりたがらない役目だ。

 異国の地まで遥々来ておきながら後方勤務に就いてしまったら、命の安全は有っても戦場へ出れないのだから武勲は立てるチャンスを得られない。

 俺の勝手な予想だが、第十二騎士団の中ですら厄介者の扱いをされており、今の役目を押し付けられたのだろう事を考えると、少し哀れに感じなくもない。


「ぐっ……。口が上手いだけの竿師風情が! その調子でオータク侯爵家のご令嬢を閨で誑かしたのか!」


 挙げ句の果て、ボンクラは言い返せない苦しまぎれに口汚く罵ってきた。

 このボンクラが言う『竿師』とはレスボス家の庶子から始まり、たった十年でインランド王国を代表するオータク侯爵家に婿入りして、その執政に就いた俺を揶揄するあだ名である。


 なにせ、容姿端麗な女性が男性に見初められて、玉の輿に乗る話はたまに聞くが、その逆は滅多に無い。

 ましてや、俺レベルの玉の輿となったら、滅多どころの騒ぎじゃない。それだけに俺とおっさんの関係を知らない者達から見たら、そう見られても仕方が無い。


 更に言うなら、ルシルさんとサビーネさんとララノア。

 自分の女を三人も遠征先に連れて来る馬鹿は俺以外にまず居ないし、毎晩の様にハッスルしているアホも俺以外にまず居ない。


 ただ、俺だけならまだしも、ティラミスまで罵ったのは許せない。

 即座に堪忍袋の緒が切れて、右拳を力一杯に握り締めながらボンクラへ向かって踏み出す。


「貴様! 言うに事書いて、何だ! 言い草は! 恥を知れ! 恥を!」

「ひぃっ!? も、申し訳御座いません、申し訳御座いません、申し訳御座いません!」


 だが、それよりも早く、ジュリアスが肘置きを叩きながら玉座を蹴って立ち上がった。

 思わず驚いて動きを止めると、ジュリアスは顔を真っ赤に唾を飛ばして怒鳴り、ボンクラは悲鳴を短く上げて、慌てて土下座。頭を何度もペコペコと下げる。


「僕へ謝って、どうする! 謝るなら、ニートへだろう!」

「ぬぐっ……。で、ですが……。」

「何が『ですが』だ! さあ、早くしろ!」


 その様子に烈火の如く燃え上がった怒りが瞬く間に鎮火してゆき、小さな笑みがクスリと零れる。

 ボンクラへ対する怒り以上にジュリアスが俺の為に怒ってくれているのが嬉しかった。心の余裕を取り戻すには十分過ぎる嬉しさだった。


「まあまあ、よろしいではありませんか。殿下」

「何がよろしいんだ! 君も少しは怒りなよ! 奥さんの事だって、馬鹿にされたんだぞ!」

「それについては思うところも有りますが……。

 寛大な心で許してあげましょう。所詮、追い詰められた者の戯言。只の負・け・惜・し・み・ですよ」


 二人の間に割って入り、ジュリアスへ満面のニコニコとした笑みを向けた後、ボンクラをニヤニヤと嘲り笑いながら見下ろす。

 それも言葉最後の『負け惜しみ』の発音を一文字毎に一音の区切りを入れた上に半音を上げ、これでもかと強調して。


「そ、そこまで言うからには証拠が有るんだろうな! しょ、証拠が!」


 その結果、ボンクラは俺が最も待ち望んでいた致命的な言葉を放ってしまう。

 これも裏を返したら、証拠が有るなら罪を認めるという意味になり、その証拠の在り処に俺は絶対の確信を持っていた。


 前述でも説明したが、敵は捕まった際に身体検査を受けて、所有している武器や鎧、財産が全て没収される。

 その為、賄賂となる様な品は持っていない筈なのだが、抜け道は幾らでも有る。例えば、賄賂となり得る小さなモノを発見し難い場所に隠し持つなどの手段でだ。


 実を言うと、ミルトン王国戦線に参加するに辺り、俺も衣服の各所に数枚の銀貨を常に隠し持つ様にしている。

 敵に負ける気はさらさら無いが、それは嘗てのおっさんも同じだった筈で有り、万が一という事も有り得る。備えあれば憂いなし、おっさんと約十年前に旅をした時に得た教訓である。


 だったら、それは賄賂を受け取る側にも同じ事が言える。

 懐へ忍ばせられる様な小さな品なら、肌身離さずに持っているのが最も安全であり、最も安心を得られる。


 ここが何年も住み慣れた街なら、安全と安心をより得られる自宅を隠し場所に選ぶだろうが、このネプルーズの街は占領してからまだ三日間しか経っていない。

 ミルトン王国軍が使っていた兵舎をそのまま利用して、騎士や兵士に住居を与えてはあるが、三日程度では外泊気分がまだまだ抜けきらず、そんな場所に大事なモノを隠すなんて普通は有り得ない。


 即ち、証拠を自分自身で今正に持っていながら、証拠の所在を問いているのだから間抜け以外の何者でもない。

 それに無自覚な行為なのだろう。先ほどから事ある毎に左腕の襟口を頻りに触っているのが特に怪しい。


「良し、本人の許可が出たぞ。……剥け!」


 口の端をニヤリと釣り上げた笑みを漏らしながら衛兵へ命じると、さすがはジュリアスの最も近い位置に侍る親衛隊隊員の一人である。

 一瞬にして、ボンクラを俯せに倒して、その腰の上に馬乗り、一呼吸後にはボンクラの両手を腰に回して、縄での拘束を始めている。実に鮮やかな手並み。


「なっ!? よ、止せ! な、何をするか! は、放せ!」


 それでも、ボンクラは無駄な足掻きに身体を藻掻かせていると、謁見の間にドンと言う大きな音が鳴り響いた。

 何事かと発生源である背後を反射的に振り向けば、玉座へ座り直したジュリアスが肘置きに置いた右拳を力余るほどに握り締めて震わせている。今の音は肘置きを叩いた音か。


「何をそんなに狼狽えている? 疚しい事が何も無いのなら、素直に従ったら良いじゃないか?

 そして、身の潔白を証明した上で今度はお前がコミュショー卿を訴えたら良い。この満座で恥をかかされたんだ。それ相応の罰を与えると約束しよう」


 ボンクラは床からジュリアスを仰ぎ見て、そこにあった冷たい眼差しに身体をビクッと大きく震わせると、顔を深々と伏して、喚き散らす事も、身体を藻掻かせる事も止めた。




 ******




「うっううっ……。ううっうっ……。うううっ……。」


 両腕を衛兵二人に抱えられたボンクラの咽び泣く声が遠のいてゆく。

 やがて、それは出入口の扉が閉じられると共に消え、謁見の間に重苦しい雰囲気が漂う。


 全ては俺が予想した通りだった。

 ボンクラが着ていた上着の左腕袖口の中に五枚の金貨が隠されており、それが賄賂の決定的証拠となった。

 当初、ボンクラは五枚の金貨を自分の所有物だと言い張ったが、この世界の通貨事情を考えたら、それは考え難い。


 金貨、銀貨、大銅貨、小銅貨、インランド王国とその近隣諸国で扱われている通貨はこの四種類。

 但し、一般的に流通している通貨は銀貨、大銅貨、小銅貨の三種類であり、銀貨が最も大きい価値を持っている。


 金貨はよっぽど大きな取引の時しか用いられない。

 それも王都やバカルディの街といった大都市の中でしか扱われず、自分の財産であっても大量の金貨を町の外へ勝手に持ち出す事は許されていない。国王、または領主の許可を事前に必要とするほど厳重な取り扱いが定められている。


 そうは言っても、たったの五枚である。伯爵家の三男なら所持していてもおかしくはない。

 実際、ボンクラも父親から出兵前に貰ったと言い張ったが、その五枚の金貨はミルトン王国発行の品であり、ボンクラの嘘はあっさりと露見した。


 この結果、ボンクラの罪状は国家反逆罪による死罪。

 賄賂云々よりも綱紀粛正を強く訴えたジュリアスの意向を無視した点が重要視されての結果である。


 なにしろ、俺が知る限り、この世界の国は王を頂点とする封建社会。

 王、または王族の意向を無視するという事は秩序の崩壊と社会の否定に繋がり、ひいては貴族である自分自身の否定にも繋がる。


 しかも、ジュリアスが綱紀粛正を強く訴えてから、まだ三日しか経っていない。

 これがまだ一ヶ月、二ヶ月と経っていたら、第十二騎士団の面々も多少はボンクラを庇えただろうが、たった三日ではお話にならない。ジュリアスを裁判長とした裁判は速やかに決した。


 また、裁判が速やかなら、その執行も速やかに行われる。

 ボンクラは今日の内に亡骸となって、火葬された後、その遺骨は近日中に王都へと送られる。


 この迅速さは一つの裁判に十年、二十年とかかる前の世界の裁判を知っている俺としては爽快さを覚える。

 だが、それだけ権力者が大きな権力を持っている証であり、その大きな権力がボンクラの様な人間を作ってしまうのだから、社会の在り方とは難しいものだ。


「いやはや、申し訳ありません。随分と待たせてしまいました」


 それはさておき、重苦しい雰囲気を咳払いで改め、ボンクラの裁判中は邪魔とならない様に謁見の間の隅へ置いていたブタへ視線を向ける。

 そう、ボンクラの裁判は前座に過ぎない。中断していたブタの審問こそが本命である。


「ほら、放せ! それと俺は知らん! 知らんぞ! あんな奴!」


 すると意外や意外、両手を腰で縛られたブタは右腕を抱えている衛兵を振り払い、ジュリアスの前へ自ら進み出てきた。

 ボンクラとの関係をシラを切って喚く声にも力が有り、未だ虚勢が剥がれ落ちていないのが良く解る。


 右肘を左手で持ち、口元を右手で隠しながら『おかしい……。』と呟く。

 俺の思惑では賄賂の贈与が暴かれた今、虚勢が剥がれ落ち、先日の戦いの時の様に無様な命乞いを晒すだろう。そう考えていた。


 第三の魔王が倒されて、小国が春のタケノコの様に各地で数多に興った世界が群雄割拠の時代。

 戦争の目的が食料の奪い合いを主としていた為、相手国の国力をダイレクトに低下させる手段として、戦争での捕虜の扱いは騎士なら斬首、兵士なら奴隷となるのが常識だったらしい。


 やがて、大国が弱肉強食の果てに出来上がると、食料を奪い合う必要性は無くなるが、戦争は無くならず、その理由は国王の野心や隣国同士の因縁によるものとなってゆく。

 大国同士の戦争はお互いが大国であるが故に長引き、相手国を滅ぼすのが困難となり、停戦、休戦、和睦の外交手段が何度も用いられる様になってゆき、その過程で捕虜交換、捕虜返還も行われる様になっていった。


 今の時代、戦争で捕虜となった場合、騎士も、兵士も命を奪われる事はまず無い。

 身分や名声に応じた身代金を払うか、戦争奴隷となるかの選択権が捕虜に有り、前者なら身代金と引き換えに開放されるし、後者でも武勲を積むなどの手段で市民に戻れる可能性が有る。


 しかし、その二つの選択肢が必ずしも与えられる訳では無い。

 恨みを買っている者や生きていられては厄介な者、そう言った者達はこの捕虜審問の場で死が命じられて、大抵の場合はその遺体が無残に晒される。


 ところが、ブタは一欠片も自分が死ぬなんて考えていない。

 その余裕は何処から来ているのか。どうやら、まだまだ探る必要が有る様だ。


「その辺りはこの後で訴えて頂くとして、まずは……。そこで跪いて頂けませんか?」

「はぁ?」


 取りあえず、審問再開の第一手目は決まっている。

 敗者としての自覚を促す為に謙りながらも命じると、ブタは眉を不愉快そうに寄せて、半音を上げた声で問い返してきた。


「跪けと言ったんです。聞こえませんでしたか?」


 ブタ相手に謙っているだけでも俺の精神は一杯、一杯にも関わらず、その小馬鹿にした態度。

 頬がピクピクと引きつり、思うがままにブタを殴りたい心境に駆られるが、耳元へ届いたジュリアスの『抑えて、抑えて』という苦笑が入り混じった呟き声に奥歯をギリリと噛み締めて、怒りを懸命に堪える。


「はんっ! 冗談は休み休みに言え! どうして、俺が跪かなければならない!

 俺は建国以来の名門、ブラックバーン公爵家の正統な跡取りだぞ! 王族とは言え、庶子の……。」


 しかし、ブタがジュリアスの事を蔑もうとした次の瞬間。

 火花が目の奥でバチバチと飛び散り、怒気どころか、全身全霊の殺気を放っていた。


「跪け!」


 謁見の間の各所で鳴り響く鞘鳴りの音。

 それをきっかけに我を取り戻して、周囲を見渡してみれば、バーランド卿がジュリアスを守る様に両手を広げて立ち塞がっており、幾人もの者達が剣に手を伸ばして、いつでも動ける様に腰を落としていた。


 いきなり驚かせてしまったのを心の中で詫び、怒りはそのままに殺気だけは解いて、視線をブタへ改めて向ける。

 その途端、ブタは息を飲みながら身体をビクッと跳ねさせて、後退ろうと利き足の右足を下げるが、その膝がカクンと力無く折れて、そのまま尻餅をついた。


「ひぃっ!? ……ひぃぃっ!?」


 一拍の間を置き、不快極まる音がブリブリブリッと連続的にブタから放たれ、思わず眉を顰めてしまう悪臭がブタを中心にして漂うと共に濡れ染みが赤い絨毯の上に広がってゆく。

 普段なら慌てて遠ざかろうとするソレが今ばかりは気にもならず、誰もが鼻を摘みながら壁際まで避難を始めている中、俺だけがブタを睨み付けて歩み寄る。


「この街はもうインランドのモノなんだよ。

 そして、今のお前は只の敗残兵……。生かすも、殺すも、与えるも、奪うも、全てがこっちの思いのまま」

「ひっひぃっ!? ひっふっ!? はっふ~~っ!?」


 ブタは俺から逃れようと後退ろうとするが、その場から少しも動けない。

 腰が抜けている上、その醜く肥えきった身体は重すぎて、手足を虚しくバタつかせるだけ。


 おまけに、過呼吸を起こしているらしい。

 剥き出しになった目からは涙を、忙しなく開閉する鼻からは鼻水を、顎が外れそうなくらい開いた口からはヨダレを垂らし放題。


「だったら、頭を少しは働かせたらどうなんだ?

 それとも、この首から上は帽子を乗せる台座か? 要らないなら、俺が貰ってやっても良いんだぞ?」


 そんなブタの髪の毛を無造作に掴んで腰を屈め、文字通りの目の前にあるブタの目を覗き込みながら思う。

 妙に遠回りをしてしまったが、最初からこうやっていた方が手っ取り早かったと。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ