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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十三章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 ミルトン王国戦線編 上
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第05話 真実はいつもひとつ




「どうだろう? 私の臣となっては貰えないだろうか?」

「はっ!?」


 インランド王国王都の王城の様な華美と広さには届かないが、商業で栄える主要都市の領主館に相応しい謁見の間。

 その上座、床より一段高いステージに置かれた豪華な椅子に座るジュリアスから放たれた言葉は衝撃を与え、部屋の両脇に居並び立つ者達からざわめきを湧かせた。


 当然の反応だろう。それはジュリアスの手前にて、両手を腰で縛られながら跪いている敗将『ジール・ナ・ヴィア・ウルザルブル』子爵へ向けられたもの。

 身分的にもだが、勝利者が敗者へ謙っているのだから有り得ない。通常なら、インランド王国の王族として、戦いの勝利者として、自分の意を一方的に告げるのが当たり前だ。


 帰順を申し込まれた本人、ウルザルブル子爵に至っては驚きで言葉を失っている。

 名を呼ばれて、この謁見の間へ入ってきて以来、敗将ながらも堂々とした態度を見せていたが、今は目を大きく見開き、口を間抜けにポカーンと開け放っている。


 しかし、その謙虚さが実にジュリアスらしい。

 本音を言ったら、俺達を束ねる長としての威厳を見せて欲しいと思う反面、威厳が溢れるジュリアスなど想像が出来ず、思わず口元が苦笑に緩む。


 ふとジュリアスの右隣へ視線を移してみれば、バーランド卿もまた苦笑いを浮かべている。

 もしかしたら、俺と同じ事を考えているのかも知れない。そう思ったら、ますます苦笑が深まった。


「勝った、負けたで言ったら、確かに貴方は敗者だ。

 しかし、此度の戦い。その敗因が貴方に有るかと言ったら、それは違う。敗因が貴方以外に有るのは誰の目にも明らかだ。

 むしろ、私は一人でも多くの味方を救おうとした貴方の行動と勇気を讃えたいし……。そんな貴方だからこそ、是非とも私の配下となって欲しい」

「殿下の温かな御言葉、敗残となった今の我が身に染み入る様で御座います。されど……。」


 ネプルーズの街を舞台とした戦いは幕を閉じた。

 今や、インランド王国の国旗が街を取り囲んで守る城壁に幾つも靡いており、このネプルーズの街がインランド王国の所有になった事実を堂々と告げている。

 数年間、停滞していた最前線がようやく前進して、戦上手の第二王子ですら撤退を余儀なくされたネプルーズの街を陥落させたとあって、戦いから既に三日が経過しているが未だ興奮の熱が冷めず、誰もが喜びに湧いていたが、俺一人だけが心の底から素直に喜べないでいた。


 その原因となっているのが目の前に跪くウルザルブル子爵である。

 ララノアを餌とした美人計でブタをまんまと釣り上げ、それに引きずられた敵部隊が街道に細長く伸びきったところを見計らい、森に配置した伏兵よる攻撃を開始したところまでは完全な思惑通りだった。


 敵部隊は我々の正面と左右からの三包囲攻撃に混乱を極めて、同士討ちすら始める始末。

 本来なら、そこは混乱をいち早く収めて、撤退するのが定石だが、敵部隊の騎士達は俺達の挑発行為を堪えきれずに出陣してきた短慮な者達ばかり。

 正面の部隊を率いるジュリアスという大武勲を目の前にして、逆に無謀な突撃を何度も木霊させると、戦いの行方は一方的な殲滅戦となった。


 それを救おうと、ネプルーズの街から援軍が出陣する。

 これも想定内だったが、その援軍を率いたウルザルブル子爵の冴えた指揮ぶりと兵士達の屈強さは敵ながらも見事と讃えるほどに素晴らしく、俺の思惑の上を超えた。


 大混乱の直中に突入してくると、ブタの救出こそは成らなかったが、混乱を瞬く間に収めると共に兵士達を掌握。

 なんと我等が陣営随一の突破力を持つルシルさんが率いるエスカ隊の突撃を受け止めながらも血路をこじ開けて、多くの敵兵士達の命を救ったばかりか、ネプルーズの街に残った守備兵達へ出陣前に全面撤退を命じ、これも街の西側にある港から川を下っての脱出を成功させたのである。


 我々が討ち取った敵兵数は推定で約八千人。

 ネプルーズの街を守っていた戦力が約二万五千人だった事を考えると、三割以上の大打撃を与えた大勝利となるが、戦いの後に捕虜となった敵兵数は千人足らず。


 即ち、約一万五千人もの敵兵を取り逃げした計算となり、その戦力が再び立ち向かってくる近い未来を考えたら戦略的な勝利を得られたとは言えない。

 俺の思惑ではこの戦いでミルトン王国自体の士気を折って、こちらが今度はネプルーズの街に引き篭もり、ミルトン王国の消耗と疲弊を誘う作戦予定でいた。


 だが、この戦果では更なる進軍が必要だ。

 新たに最前線基地となったネプルーズの街と最前線基地から後方基地となったレッドヤードの街、この二つの街の間が焦土地帯だけに補給線を延ばすのはあまり得策と言えないが致し方無い。


 その焦土地帯の復興に捕虜の労働力を当て込んでいたのも痛い。

 この街の住人達を用いるという手段も有るが、この街の住人達の殆どは国家総動員令で集められた者達であり、その大半が老人や女子供な為、労働力の問題も然ることながら、モンスターランド化している焦土地帯へ送るのはどうしても気が引ける。


 戦略上、無視も、放置も出来ないが、版図に組み入れても収益は得られず、逆に出費を強いられる焦土地帯。

 本当に上手く考えられた百年の計である。そこにあった街や村が元の豊かさを取り戻すまで一世代から三世代はかかるだろう。


「男爵の爵位と百騎長の地位を保証する。そう言っても駄目だろうか?」

「なっ!?」

「勿論、それに相応しい領地もだ。

 いつ、父がこの戦いの論功行賞を開くかは定かではないが、ジュリアス・デ・シプリア・レーベルマ・インランドの名において約束しよう。

 本音を言ったら、貴方ほどの将を迎えるのに今以上の待遇どころか、今以下の待遇でしか迎えられない自分が恥ずかしいのだが、私の精一杯だ。ウルザルブル卿、受けては貰えないか?」


 先ほど以上のざわめきが湧き、ウルザルブル子爵もまた先ほど以上の驚きを見せる。

 これも当然の反応だ。ジュリアスがウルザルブル子爵へ提示した帰順の条件は敗将へ対するものとしては破格と言える。


 もし、ウルザルブル子爵が応じれば、彼は一気に第三王子派の幹部入りになる。

 ジュリアスがウルザルブル子爵をいかに高く評価しているかが良く解る。


 今更、語るまでもないが、第一王女派と第二王子派の両派閥に比べたら、我等が第三王子派は次期王位争奪戦レースに大きく出遅れている。

 この度、ネプルーズの街を陥落させた武勲は誰もが認める大きな武勲だが、これだけでは両派閥へ追いつくにはまだまだ足りない。


 我等が第三王子派の最大の欠点は派閥力の弱さであり、人材が不足している点に尽きる。

 俺も、バーランド卿も、中立派や両派閥のどちらかに属しながらも中立派寄りの者達を積極的に口説いているが、第一王女派と第二王子派の圧倒的な派閥力に肩を列べるのはどう足掻いても難しい。

 国王のジュリアスへ対する心証が今回の武勲で上向きとなり、幾人かは第三王子派になってくれるかも知れないが、所詮は幾人か程度だ。


 内に限界がある以上、俺達は外へ求めるしか無い。

 これがこのミルトン王国出兵における我等が第三王子派の密かな目的である。


 また、第一王女派と第二王子派に派閥力が及ばないからと言って、勝ち目が無い訳でも無い。第一王女派と第二王子派の弱点は中央に大きく固執し過ぎている点にある。

 地方領主達は王都から離れれば、離れるほどに中央の風当たりを嫌うのと我が身の可愛さから、その殆どが次期王位争奪戦レースの趨勢を見極めて、勝馬に乗ろうとする中立派や両派閥のどちらかに属しながらも中立派寄りの者が多い。


 その最たる例が十年前までの北方領と南方領だろう。

 北方領主達の殆どは中立派であり、南方領も南方領を統括するおっさんが派閥に興味を持たず、強いて言うなら国王派だった為、国王派よりの中立派、両派閥のどちらかに属しながらも中立派寄りが混在する状態だった。


 しかし、今現在は違う。

 北方領の代表格であるバーランド卿とスアリエ卿が第三王子派に属して、二人が他の北方領主達へ積極的な勧誘を行った結果、中央から離れるほどに第三王子派の色が濃い。

 南方領も同様だ。ジュリアスと強い友誼を結んでいる俺がティラミスと婚約した事で第三王子派の色が広がり始め、ティラミスと結婚した今では南方領の半分が明確に第三王子派の色で染まっている。


 この現状にミルトン王国の敵将を帰順させて、旧ミルトン王国版図の新領土に領地を持たせる。

 これで中央に対する三包囲の完成だ。第一王女派と第二王子派の派閥力に勝てなくても、地政学的な影響力で対抗が可能となり、いざという時が来ても実行力を伴った優位性が得られる。


 但し、それだけに帰順させる敵将は重要な役割を担う為、ぼんくらでは意味が無い。

 一廉の能力の持つのは当然として、インランド王国へ対してでは無く、ジュリアス個人へ対しての忠誠を強く抱き、金品や地位、異性といった懐柔で第一王女派、第二王子派へ絶対に寝返らない者でなくてはならない。


 かなり高望みな条件だが、やはりジュリアスは運が良い。

 これ等の条件を全て兼ね備えているウルザルブル子爵という大当たりを初っ端から引き当てている。


 前述の通り、俺の思惑を崩してくれた点は悔しいが、それも味方となってくれるなら心強さに変わる。

 ジュリアスは特にウルザルブル子爵が先日の戦いで見せた兵士達の命を第一とする姿勢が気に入ったらしい。

 こちらが推薦するまでもなく、ジュリアスから事前にどうやったらウルザルブル子爵が帰順してくれるかの相談を受けていた。


「……申し訳御座いません。

 殿下の申し出は誠に嬉しくはありますが、それを受ける訳には参りません」

「何故、と尋ねても?」

「我がウルザルブル子爵家は武門の名家たるブラックバーン公爵家を寄り親とする軍人の家系。

父も、祖父も、曽祖父も、貴国との戦いの中で生き、墓は有れども地中の棺に躯は有らず、その身を戦場の土に変えてきました。

 だったら、私自身もいずれは戦いの中で果てるのだろう。そう考えながら、今日という日まで生きながらえてきました。

 どうして、それを今更になって捨てる事が出来ましょうや。第一、先の戦いで命を散らした者達へ言い訳が立ちません。この上は我が首を断って頂くのが願いに御座います」


 だが、やはりと言うべきか、ウルザルブル子爵は気高い精神と厚い忠義の持ち主の様だ。

 己の死を受け入れて、頭を厳かに垂れるウルザルブル子爵の姿に誰もが魅入られ、場がシーンと静まり返る。


 もし、ここで首を縦にあっさりと振る様なら俺の評価は大きく下がっていた。

 さすが、ブタを救出する為、死地へ敢えて飛び込んできただけの事はある。ますます欲しくなってくる。


 ジュリアスも同様らしい。

 誘いを断られて、落胆するどころか、そのウルザルブル子爵を見る目は喜びにキラキラと輝いている。


「殿下、ウルザルブル子爵の決意は金剛石の如く固い様子……。

 ならば、これ以上の説得はウルザルブル子爵を侮辱する事となり、殿下御自身を下げる行為にも繋がります」


 しかし、その意志を覆すのは難しい。バーランド卿が首を左右に振りながら溜息を無念そうに漏らす。

 それはこの場に居る全員も同様であり、ジュリアスが諦めきれず、期待の篭った視線を左右へ向けるが、誰もが視線を伏して黙りこんだまま。


 だったら、俺の出番だ。

 俺自身も相談された際は無理だと告げたが、屁理屈なら任せてくれ。


 駄目だと諦める前にまずはやってみるのが営業。

 売れるモノを売るのは誰でも出来る。売れないモノを売ってみせるのが営業。

 前の世界のブラック企業時代に鍛えぬかれた舌が火を吹くぜ。


「お待ち下さい。ウルザルブル子爵の潔さは誠に見事……。

 ですが、先祖への孝と兵士達への義を語るなら、ここで死を求めるは大きな誤り。どちらにも罪を重ねる事になると私は考えます」

「……と言うと?」


 右手を肩まで持ち上げて、発言を意思表示。

 ジュリアスを始めとする全員の視線が集まるのを待ってから、まずはウルザルブル子爵の決断を真っ向から否定する。


「貴族としての最大の義務。それは己の血を次代へと残す事です。

 ところが、ウルザルブル子爵は跡継ぎをまだ設けていない。

 即ち、ウルザルブル子爵の死はウルザルブル子爵家の断絶へ繋がり、これは明らかに……。」

「しかし!」


 だが、それを語り切る前にウルザルブル子爵が叫ぶ。

 紙一重で堪えた様だが、こちらへ身体を振り向かせると共に右膝を立てて、腰を一瞬だけ浮かせる激昂ぶり。


 死すらも受け入れた決断を汚されては当たり前の反応だが、その憤った表情の中に焦りが垣間見える。

 恐らく、ウルザルブル子爵も自家の断絶を気にしていたに違いない。攻めどころはここだと心のメモに書き加えながら、ウルザルブル子爵が反論してくる前に次なる一手を放つ。


「加えて、ここで死ぬは汚名しか残りません。

 ミルトン王国の宮廷は貴方をこぞって非難するでしょう。この無能が、と」


 すると憤りに強張っていたウルザルブル子爵の表情が緩み、微かな苦笑いが口元に浮かんだ。

 騎士、貴族にとって、大事な名誉が汚されると言うのにも関わらず、それがどうしたと言わんばかり。


 その様子にやはりと確信を得る。

 実を言うと、この捕虜審問を行う前、事前に取られたウルザルブル子爵の調書を読んだ時から妙な引っ掛かりを覚えていた。


 先日の戦いでは死地へと果敢に飛び込み、その身を犠牲にしながらも多くの味方を救い、囚われの身となった今は死を潔く望む。

 正しく、それは忠義の士と呼ぶに相応しい姿であり、まるで子供達へ聞かせるお伽話の中だけに登場する騎士そのもの。ウルザルブル子爵を主役に据えて、先日の戦いを題材とした歌を吟遊詩人達に酒場で唄わせたら、たちまち流行歌になるのは間違いない。


 しかし、調書の中のウルザルブル子爵は印象がちょっと違う。

 ミルトン王国の軍事に関しての質問は口を固く閉ざしているが、ミルトン王国の政治に関しての質問は協力的に答えているばかりか、ミルトン王国の宮廷へ対する批判と愚痴を多く零しており、忠義の士と呼べる様な高い忠誠心は感じられない。


 どんな清流も一処に留まってしまえば濁る。

 これは政治も同様だ。国が成長期を越えて、長い安定期に入ると、政治中枢たる宮廷、議会は必ず腐敗する。それを前の世界の歴史が証明している。


 それ故、囚われの身となり、国という枠組みから外れた為、その開放感から批判と愚痴がつい零れてしまったのかと考えていたが違う。

 ウルザルブル子爵はミルトン王国へ対する忠誠心をあまり抱いていない。むしろ、逆に低いと俺は今微かに漏れた苦笑いから直感で感じた。


「もっとも、それこそがウルザルブル子爵の狙いなのかも知れません。

 だが、しかしです。その選択は最良と言えるでしょうか?

 ウルザルブル子爵、貴方はお気づきか? この汚名があまりにも大きなモノへと育つ可能性を秘めている事を?」


 だが、ウルザルブル子爵が忠義の士なのは間違いない。

 あの先の戦いで見せた自己犠牲とも言える行為は己の事しか考えない者にはとても出来ない。


 では、その忠義は誰に捧げられているかと言えば、その答えをウルザルブル子爵が先ほど言っている。

 大事な己の系譜を語る際にすら寄り親たるブラックバーン公爵の名を出してきたところから察するに、その忠義はブラックバーン公爵個人へ全力で捧げられていると考えて間違いない。


 それが正しいとするなら辻褄が合い、ウルザルブル子爵の思惑が見えてくる。

 ここで死を願う最大の理由は先日の戦いの真相を有耶無耶にして、ブラックバーン公爵を失脚させない為だ。


 ちなみに、この真相とは先日の戦いが誰によって引き起こされたかという問題。

 当事者の俺達から見たら、その答えはブタに決まっているが、実は驚くべき事実がこの三日間の調査で判明している。


 先日の戦いにて、ブタが突撃を仕掛ける為に率いた兵力は約一万人。

 ところが、ブタは役職を何も持っておらず、軍での階級は平騎士であり、突撃に参加した騎士の中に千騎長は居らず、一万の兵力を動かせる役職者も居なかったのである。


 つまり、ブタはブラックバーン公爵家嫡子という立場を利用して、自分に許されている権限を大きく超えた行為を行った事となる。

 どう考えても、これは軍規に背く重大な罪となり、その責任は当然の事ながら親であると共に敵軍の総司令官でもあるブラックバーン公爵へ及ぶ。


 只でさえ、ブタは約十年前にオーガスタ要塞を失陥させるという大失態を犯している。

 その時、ブラックバーン公爵は一時的に失脚したが、先日の戦いの真相がミルトン王国の宮廷へ伝われば、今が国家存亡の時で頼りになるのがブラックバーン公爵だけがあっても失脚は免れない。それも今代では立ち直れないほどに失脚する筈だ。


 それを少しでも肩代わりしようというのがウルザルブル子爵の思惑に違いない。

 捕虜達の証言によれば、先日の戦いはウルザルブル子爵の判断によるものとなっており、ウルザルブル子爵がここで真相を明かさずに死んだら真実は有耶無耶になる。


「国家総動員令を二度も発令している時点でミルトン王国がいかに追い詰められているかは明白です。

 そう、我々に奪われた東部地方を取り戻す為の反撃作戦に打って出るどころか、現状維持が精一杯なほどに……。

 だから、あなた方はこの地より東を捨てて、焦土作戦という大胆な手段を用いた。我々の消耗と疲弊を誘う為にね。

 なら、この地を巡る戦いは単なる一都市を巡る戦いに非ず、ミルトン王国という国家の存亡そのものを賭けた戦い。

 ここを突破されたら、あとは守備兵を満足に置いていない街や村ばかり。我々は兵を進めるだけで悉くを占領下に置ける。……違いますか?」


 しかし、その思惑が解ったからには断固として死なせない。

 是非とも、ウルザルブル子爵には生きて、その才能をジュリアスの下で奮って貰う。


 先々の事を考えたら、おっさんですら警戒するブラックバーン公爵が失脚するのは大いに望むところ。

 そもそも、ウルザルブル子爵ほどの人物がブラックバーン公爵の為とは言えども、ブタが原因で死ぬのは納得が出来ないし、俺が許さない。


「だったら、貴方は祖国が滅亡する一因を招いた事になる。果たして、それが先祖へ対する孝と言えるでしょうか?

 いや、それ以前の問題か……。貴方がここで死してしまったら、その答えを先祖へ問い質す事すら出来なくなるのだから」


 それにブラックバーン公爵の未来を案じるあまり、ウルザルブル子爵は自身の未来をこれっぽっちも見ていない。

 望み通り、ここで死んでしまったら、自身の未来がどうなるのかをはっきりと解らせてあげる必要が有る。あくまで数多に有る可能性の一つに過ぎないが、最も高い確率で起こる可能性の一つを。


 ポイントはブラックバーン公爵に関する事柄を避ける事。

 肯定的、否定的、そのどちらに語ってもブラックバーン公爵へ対する忠義から悪影響しか与えない。


「今、ミルトン王国は追い詰められていると言いましたが、ミルトン王国の国民はもっと追い詰められている。

 この三日間、街の各所を見て回ったが誰も彼もが疲れきっている。

 貴方が言った通り、我々は祖父、曽祖父の代から戦い続けていると言うのに、街の住人達は驚くほどに従順だ。

 反抗心、復讐心よりも安堵感の上回っている。もう戦わないで済むんだというね。

 しかし、この街を奪われた以上、ミルトン王国は三度目の国家総動員令を強いられる。それを実施しなければ、国を守り切れない。

 当然、国民の不満は更に高まる。俺達がここまで我慢していると言うのに国は何をやっているんだ。これ以上の我慢をまだ強いるのか、とね」


 その効果はすぐに現れ、ウルザルブル子爵が顔を顰める。

 さすがに三度目の国家総動員令が発令されるだろう未来は予想していたらしい。視線を気まずそうに伏す。


「その不満を逸らす為、ミルトン王国の宮廷は我々の打倒を訴えるでしょうが……。

 今更過ぎる。幾ら声高に叫ぼうが、国民はとうの昔に聞き飽きていて、まず効果は無い。

 では、どうするか? 民衆へ新しい怒りのぶつけどころを……。贄を用意したら良い。

 そして、その贄に選ばれるのが……。ウルザルブル子爵、貴方です。

 なにしろ、死人に口は無し。その上、貴方には跡継ぎが居らず、面倒が無い。贄としては貴方以上の適任者は他に居ない」


 それなら、その先はどうかと言葉を進めてゆく。

 暫くして、ウルザルブル子爵は伏していた視線を弾く様に上げると、たちまち顔色を青く変えた。


「贄……。だと?」


 心なしか、その問い返してきた声が震えている。

 恐らく、答えが解ったのだろう。ようやく解ってくれたかと一呼吸の間を空けて頷き、ウルザルブル子爵へ人差し指を勢い良く突きつけながら可能性の一つを告げる。


「ええ、贄です。

 真実を知る術を持たない国民は簡単に騙され、貴方を憎しみと共にこう呼んで呪うでしょう。国を滅ぼした大罪人、と」

「ぁがっ!?」


 その瞬間、ウルザルブル子爵が身体をビクッと震え跳ねさせて喘いだ。

 まるで矢が胸に突き刺さったかの様に目を剥き出して開き、口をこれでもかと開ききったままに固まった。


 なにしろ、どんなに先祖代々が功を積み上げていようが、それ等を一切合切に吹き飛ばして余る究極の汚名。

 忠義の士であるからこそ、ウルザルブル子爵は凄まじいショックを受けた筈だ。


「公的な罰として、ウルザルブル子爵家そのものがミルトン王国の貴族名簿から抹消されるでしょうが、その程度で国民の不満は収まらない。

 しかし、その不満をぶつける貴方は死んでいる。……なら、どうするか? 決まっています。

 貴方の屋敷や貴方に仕えていた者達が攻撃の対象となり、最後は先祖代々の墓までもが破壊し尽くされる。これが先ほど答えを先祖へ問い質す事すら出来なくなると言った答えです」


 だが、手は緩めない。緩めては意味が無い。

 忠義の士を悪く言い換えると、融通が利かない頭の堅い奴となる。


 その凝りに凝った固さを柔らかくするどころか、一旦は破壊するべく容赦なく攻めまくる。

 バーランド卿がもう止せと目線で訴えてくるが、見なかったフリを決め込み、ウルザルブル子爵の心を言葉の刃でグサグサと斬り裂いてゆく。


「ところが、そこまでされて尚、貴方の汚名は消えない。

 何故ならば、記録は消せても、形は壊しても、記憶は残るからです。

 貴方は国を滅ぼした大罪人として、親から子へ、子から孫へと語り継がれ、その記憶が風化して消えるその日まで……。」

「止めろ! もう止めてくれ!」


 その結果、切ないほどの慟哭が俺の言葉を遮って放たれるのにさほどの時間は必要としなかった。

 ウルザルブル子爵が身体を蹲らせて、額を床に押し付けながら肩を震わす。両手が腰で縛られていなければ、その男泣きする顔をきっと隠したかったに違いない。


 そんなウルザルブル子爵に感化されて、皆の非難めいた視線が俺へ集うが、勘違いしないで欲しい。

 交渉の基本は『上げたら下げて、下げたら上げる』であって、今までの責め苦は前振りにしか過ぎない。本番はこれからだ。


「だったら、貴方は生きなければならない。

 残念ながら、ミルトン王国に貴方の居場所はもう存在しない。身代金を支払って戻ったとしても、過程は変わっても同じ結果が待っている可能性が高い。

 しかし、我々と共に在るなら違う。嘗ての仲間達から裏切り者と謗られるでしょうが、大罪人に仕立て上げられるよりは遥かにマシな筈です。

 それに生きていてこそ、花は咲くもの。例え、貴方が咲かせられなくても、貴方の子が、貴方の子孫がウルザルブル家に今よりも大きな花を咲かせてくれる筈です」


 我ながらあざといと思いながらも優しく微笑む。

 今まで言葉が厳しければ、口調も厳しかったのを一変させて、今度は優しい言葉と優しい口調で説いてゆくと、思わぬ援護が入る。


「そうですよ! ウルザルブル卿、私達と一緒に戦いましょう!

 貴方ほどの武人がここで死ぬのは不本意な筈! 私が貴方を推挙します!」


 ジュリアスから見て、右側の列に立ち、その先頭に立つ俺とは席次が離れている為、姿は見えないがルシルさんだ。

 その『推挙』という言葉に誰もが驚き、ざわめきがたちまち湧き溢れる。ウルザルブル子爵ですら伏していた泣き顔を勢い良く跳ね上げて、驚愕に丸くした目をルシルさんの方向へ向けている。


 なにせ、この世界の人事において、『推薦』と『推挙』は同じ意味合いを持ちながらも、その言葉に込められている重みは圧倒的に違う。

 どちらも人物の起用に用いられるが、『推薦』はただ起用を推めるだけであって、選考基準の一助にしかならない。


 しかし、『推挙』は起用に責任が生じ、推挙された者が起用された場合、推挙した者と推挙された者は一蓮托生な関係となる。

 推挙された者が罪を犯せば、推挙した者にも責任が及び、逆に推挙された者が功績を挙げれば、推挙した者にも功績が及ぶという具合に。


 その為、対象が自分に近い親族であっても『推挙』は滅多に行使されない。

 だが、ルシルさんは先日の戦いでウルザルブル子爵と刃を実際に交えた唯一の者として、何か通じるものがあったのかも知れない。


 決して、衝動的に放った言葉では無い筈だ。

 俺自身も驚きのあまり思わず言葉を失ったし、その今は敵ながらも繋がった絆に少なからずの嫉妬を覚える。


「最後に大事な事を一つ……。貴方が成した先日の突撃は実に見事でした。

 その一点が私の思惑通りにならず、些か悔しい思いをさせられましたが、素直に賞賛します。

 だからこそ、貴方が先ほど言った言葉『先の戦いで命を散らした者達へ言い訳が立たない』がいかに間違っているかを知って下さい」


 慌てて我に帰り、皆の関心をこちらへ咳払いで向ける。

 ルシルさんの援護は実に効果的だったが、ウルザルブル子爵がルシルさんへ妙な感情を抱いて貰っては困る。


 ここは攻めて、攻めて、一気に攻めまくる。

 ルシルさんの事など考えられないくらいに攻める。


「貴方に率いられた兵士達は貴方を信じて戦ったのです。貴方が今日よりも良い明日を作ってくれると信じてね。

 そうでなければ、我が陣営随一の突破力を持つエスカ卿の軍勢を受け止めるなど不可能だ。一人、一人が死兵となってみせなければ、あの光景は完成しない。

 それなのに貴方が死んでどうする? 明日を託されていながら、ここで死を望むのはあの戦いで死んでいった者達へ対する侮辱であり、大きな裏切りだ。

 貴方は生きるべきだ。泥を啜ってでも、より良い明日を作る為に生きなければならない。生きて、生きて、死をいずれ迎えた時、先に逝った者達へ貴方が作った明日をどうだと誇ってみせなければならない」


 やがて、ウルザルブル子爵はガックリと力無く項垂れた。

 先ほどとは違って、今度は泣き顔を隠そうとしない。その二つの瞼からこぼれ落ちた涙が床を濡らし、幾つもの染みを赤い絨毯に作ってゆく。


 今こそ、伏せていた切り札を出す時。

 ウルザルブル子爵の前まで進み出て片跪き、その両肩に両手を乗せながらソレを告げる。


「ウルザルブル子爵、貴方は昨日ばかりを見るあまり、今日という今に目を向けておらず、生き残った部下達も居るのを忘れていませんか?

 実を言うと、貴方の部下達から数多くの貴方へ対する助命嘆願が申し込まれています。

 貴方の副官、シルヴィス嬢に至っては自分の父を必ず説得してみせると、こちらが頼まずとも自家の寝返りを助命嘆願の条件に入れてきたくらいです」


 先日の戦いにおいて、華々しく行われた戦いの裏にもう一つの逸話が有る。この街の西にある港で起こった出来事だ。

 前述にもあるが、ウルザルブル子爵は出陣前に戦況次第で全面撤退しろとネプルーズの街に残る守備隊へ命じてあった。

 しかし、守備隊の戦力は約一万人。そう簡単に撤退が出来る筈も無く、この街へ我々の軍勢の先遣隊が最初に入場した時、その撤退はまだ三割も終えていなかったらしい。


 先遣隊は当然の事ながら撤退を阻止しようと港へ急行した。

 だが、その前に立ち塞がったのがウルザルブル子爵の副官『シルヴィス・ナ・ファーノ・ヌミートル』嬢だった。


 但し、シルヴィス嬢が抵抗する術に選んだのは武力では無い。

 その真逆の無抵抗であり、なんとシルヴィス嬢はうら若き乙女でありながら一糸纏わぬ姿で現れると、生まれたままの姿を余すところ無く見せ付ける様に両手を大きく広げて、武装する騎士達や兵士達の前に立ち塞がったのである。

 この時、先遣隊を率いていたのが同性のルシルさんなら話も違っていただろうが、先遣隊を率いていたのが童貞疑惑の強いマイルズでは相手が悪すぎた。


 マイルズは同世代の女の子の裸に見事なくらい狼狽えた。

 支離滅裂な報告が本隊へ何度も届けられ、俺やジュリアスは首を傾げるばかり。

 マイルズに付き従っていたエスカ隊の猛者達も無抵抗な全裸の少女へ刃を向けては名折れと扱いに困り果て、そうこうしている内に時間だけが無駄に過ぎてゆき、敵兵士達の撤退が遂に完了する。


 シルヴィス嬢は最後の脱出船へ乗るのを拒み、その最後の脱出船が出港するのを見送ると、その場で失禁しながら気絶して倒れてしまうが、その無様な姿を誰一人として笑う事は無かった。

 一部始終を見守っていた街の住人達のみならず、先遣隊の面々からもシルヴィス嬢の勇気を讃えた拍手が自然と湧き起こり、誰が最初にそう呼んだのか、彼女には『ネプルーズの聖女』という二つ名が付けられた。


 本来なら、占領下の街において、この手の美談は反乱や逃亡の一助となり得る為、非常によろしくない。

 だが、この出来事に感動したジュリアスの『忠義の士には忠義の士が付き従うのか』という鶴の一声で放置されてしまう。


 こうなってしまったら、俺か、バーランド卿のどちらかが悪役を担うしか無い。

 前の世界で言うところのジャンケンを二人で行い、それに敗北した俺がシルヴィス嬢へ『調子に乗るなよ?』と脅す役目を担ったのだが、収監された彼女の元を訪ねて驚いた。

 なんと忠義の士と思っていたシルヴィス嬢は愛の戦士であり、約一万人の撤退を成し遂げた忠義溢れる行動はウルザルブル子爵を愛するあまりに成し遂げられた行動だと判明したのである。


「それも涙ながらにね?

 ウルザルブル子爵、駄目ですよ。あんな可愛い娘を泣かせるなんて……。

 しかも、話を詳しく聞けば、プロポーズをした、された仲だって言うじゃないですか?」

「い、いや、あれは……。そ、その……。」


 切り札の効果は絶大だった。

 ウルザルブル子爵は『何故、それを?』と言わんばかりに呆然と目を見開くと、言葉をしどろもどろに濁した末、俺との視線を合わせられずに顔を気まずそうに背けた。


「それなのに死ぬ? あんな可愛い娘を残して? 

 なんて、勿体無い。私だったら……。んっ!? いやいや、待てよ……。

 子爵が死んだら……。当然、彼女は傷心する。そこを慰めたら簡単に……。うん、要らないって言っているんだから、俺が貰っても……。」


 最早、勝ったも同然。

 好色そうなニヤニヤとした笑みを浮かべながら、ウルザルブル子爵を目の前で独り言の様にトドメの一撃を漏らす。


「待て! 彼女は渡さんぞ! 彼女は私のモノだ!」


 案の定、ウルザルブル子爵は釣られた。

 両手が腰で縛られていなければ、俺の襟首を掴んできたに違いない勢いで背けていた顔を正面へ戻して、シルヴィス嬢へ対する想いを認めた。


 詰まるところ、それは生きる事への渇望である。

 同時に今まで長々と説明した通り、既にウルザルブル子爵の居場所がミルトン王国に無い以上、シルヴィス嬢との家庭を築くにはジュリアスへ帰順するしか術は無い事を意味している。


「ニート君! また貴方は!」


 ただ、予想外だったのはルシルさんまで釣られた事だ。

 俺の元へ驚異的な素早さで駆け寄ると、ウルザルブル子爵の代わりに俺の襟首を掴んできた。


 相変わらずの嫉妬深さに苦笑いしながらも、その『また』というのが気になる。

 まさか、まさか、今回の様な失敗を二度と繰り返さない為、義兄としての義務感からマイルズをこの街の娼館へ誘い、昨夜は一緒にフィーバーしまくったのがバレたのだろうか。

 そんな筈は無い。昨夜はネーハイムさんとジェックスさんの四人で飲み明かした事になっている俺のアリバイ作りは完璧な筈だ。


「さあ、殿下。今一度のお誘いを……。

 今なら、ウルザルブル子爵は殿下のお誘いをきっと受けてくれる筈です」


 その件を思い切って問い質したい気持ちはあるが、下手に藪を突いて、蛇が出てきては堪らない。

 それに今は機を逃してはならない。襟首がぐいぐいと絞まる苦しさに耐えながら、ジュリアスへ笑顔を向けて促す。


「えっ!?  あっ!? ……うん、そうだね。

 でもさ……。その話の持って行き方はちょっとどうかと思うんだけど?」


 ところが、せっかくお膳立てしてあげたにも関わらず、何が不満なのか。ジュリアスは顔を引きつらせながら駄目出しを出してきた。




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