第04話 宝石の輝き
「「「「「ピーヒョロ、ピーヒョロッ♪」」」」」
「マッパダカダッ♪」
ネプルーズの街の南西を流れる川。
人工の川らしく、その両端は侵食を防ぐ石積みが施されており、川幅は広いながらも一定。今現在、水位は膝下程度しかない。
その川の手前にて、今日も俺達はネプルーズの街を眺めながら朝から大宴会。
俺は仲間達から景気付けをせがまれ、軍楽隊が奏でる軽快なリズムと皆が手を叩く合いの手に乗り、全裸となって、腰をふりふり、尻をふりふり、アレをぶらんぶらん。
仲間達は大いに喜び、大爆笑を湧かしてくれているが、遠く離れたネプルーズの街の城壁の上はひたすらに白けっぱなし。
一人も笑っていないどころか、俺を射殺さんばかりに睨んでおり、その数多の視線が全裸の肌にひしひしと突き刺さっていた。
「「「「「ピーヒョロ、ピーヒョロッ♪」」」」」
「踊るチンポコリンッ♪」
もっとも、挑発を目的とした宴会なのだから、それはそれで正しい反応だが、敵の指揮官はなかなか手強い。
日を追う毎に宴会の参加人数を少しずつ減らして、当初は五千人だった人数がとうとう五百人にまで至っているも攻勢を仕掛けようという気配が城壁の上にちっとも見えない。
だが、それが夜になると一変して、数多くの斥候を積極的に放ち、激しい諜報戦を仕掛けてきている。
宴会を行っている俺達の背後、レッドヤードへ至る南の街道を封鎖する様に築いた陣容やその左右に広がる森へ配置した伏兵の位置を少しでも正確に掴もうと躍起だ。
『一言で言うなら、丸見え。斥候の真似事を行っているに過ぎない程度の練度です。
しかし、それを自覚しているのか、そう指示されているのか……。押したら引き、引いたら押すを繰り返すばかりで絶対に仕掛けてきません。
ニート様を前にして、こんな事を言うのは心苦しいですが、昼間の敵の気持ちが少し解った様な気がします。ただ、目の前をうろちょろされるだけがこんなにも神経を使うなんて知りませんでした』
それでいてながら、決して深くは踏み込んで来ないらしい。
先日、夜目が効く亜人達で編成した夜回りの部隊を仕切るニャントーが疲れ切った様子で愚痴を零していたのを聞き、敵の指揮官のその人となりが少し見えてきた。
敵の指揮官は石橋を一度ならず、二度、三度と叩いてから渡るほどの慎重派に違いない。
大抵、このタイプはその性格故に野戦でも敵を迎え撃つ方を選択して、守勢を得意としており、自身が絶対に勝てると判断しない限りは仕掛けてこない。
籠城戦を指揮する者としては打って付けの人材と言える。
更に言うなら、こうも挑発されながらも味方の激発を抑えているのだから、強烈なカリスマか、ずば抜けた組織調整力も持っているのだろう。
良く考えてみれば、おっさんが敵ながらも高評価を与えるブラックバーン公爵が留守を預けているのだから、凡将である筈が無い。
以前、俺は敵の指揮官が大事な緒戦から完全な防衛に徹して、攻勢を仕掛けてこようともしなかった姿勢を判断に誤ったと断じたが、それは少し誤りだったかも知れない。
あと一週間、挑発行為を続けても効果が見られない様なら短期決戦は諦めて、当初の予定である『水攻め』による長期戦へ切り替えるべきか。
酔っているのが演技と見破られたら意味が無い為、この宴会に用いている酒は本物だ。パン酵母を砂糖水に加えたラム酒もどきを生産してはいるが、それも有限であり、郷里から遠く離れた異国のこの地において、酒は皆のストレスを緩和させる大事な貴重品である。
だが、ブラックバーン公爵が留守中の今こそが大きなチャンス。
別の新たな策を仕掛けるべきかと裸踊りを行いながら思案を巡らせていたその時だった。
「おっ!?」
突如、攻勢を仕掛けてくる様な気配が無かったにも関わらず、ネプルーズの街からファンファーレの音色が鳴り響いた。
すぐさま踊るのを止めて、顔を左右に振ると、左手側に見える南南西の城門がゆっくりと開き始めている。
宴会の面白愉快に緩んでいた雰囲気が瞬時に締まり、動揺と戦慄が走る。
軍楽隊が奏でる軽快なリズムと皆が手を叩く合いの手が尻窄みに次々と止んでゆき、その代わりにざわめきがあちこちで湧き始める。
敵の指揮官は自身が絶対に勝てると判断しない限りは仕掛けてこないタイプ。
三週間、道化を演じながら今という時をひたすらに待ち望んでいたが、その俺自身が行った分析が一抹の不安をどうしても消しきれない。
もし、これが必勝を期した出撃であるなら、それを敵の指揮官が決断するに至った理由は一つしか無い。
どうしてかは知らないが、この大事な時にネプルーズの街を留守にしていたブラックバーン公爵が遂に帰ってきた事を意味する。
それが正しいなら、このままでは拙い。
その可能性は常に危惧していたが、背後の森に潜ませている伏兵の包囲網は前に突き進むだけの猪は捕らえられても、獰猛な猛獣は捕らえられない。罠を噛み破られた挙句、手痛い反撃を食らう可能性が有る。
今まで挑発を行っていた手前、敵から臆病者よ、卑怯者よと謗られて笑われるだろうが、即座に回れ右をして、本陣まで全速力で撤退するべきだ。
「わっはっはっはっはっ!
黒山羊め! この俺から奪った宝石は返して貰うぞ! それ、皆も続け!」
しかし、それは杞憂だったとすぐに解り、胸を安堵にほっと撫で下ろす。
相対した瞬間に解った。南南西の城門から軍勢を率いて現れた敵の指揮官がブラックバーン公爵とは違うと。
戦場を幾度か経験して解った事が有る。
それはおっさんの様な猛者は強烈な存在感を戦場で持っており、それが現れると戦場の何処にいても解るモノで味方には勇気を、敵には恐怖を与えるという事だ。
ところが、それがちっとも感じられない。
おっさんが敵ながらも高評価を与えるブラックバーン公爵なら、全身の肌が泡立って、俺の大事な玉々が縮こまり上がってもおかしくは無い筈がそう言った生命としての防衛本能がまるで反応しない。
「あれはっ!?」
だったら、敵の軍勢を率いている指揮官は誰なのか。
数瞬、目を凝らした後、その目を大きく見開きながら息を飲む。
こちらへ土煙をあげながら迫ってくる軍勢の先頭を猛烈な速度で駆けている下品な金ピカ装飾が施された四頭立ての戦車。
その乗員は四名。馬を操作する御者と戦車の左右を守る攻撃手の二人に加えて、戦車の中央に設置した椅子にただ座っているだけのデブが居り、特筆すべきは中央のデブだ。
相対距離が遠すぎて、顔ははっきりと見えないが、そのチェーンメイルを纏う肥えきった身体を見て、一目で解った。俺の全身全霊があいつに間違いないと叫んでいた。
そう、ブラックバーンはブラックバーンでも今さっきまで警戒していた公爵ではなくて、その小倅の方である。
俺の妹分だったエステルから笑顔を奪って、俺の人生を変えてくれた百回殺しても殺し足りない憎っくきブタに間違いない。
村を追放されて以来、心の奥底に憎悪を封じ込めて、呪詛を吐き出す事は無かったが、その顔を一日たりとも忘れた事は無かった。
前の世界に『一日千秋』という言葉が有るが、正にそれだ。もしかしたら、今も行方を探すのを諦めていないコゼットよりも今日という再会の日を待っていたかも知れない。
「くっくっくっ……。」
口元が弧をニンマリと描き、笑みが堪らず零れる。
どす黒い歓喜が心に満ち溢れ、今すぐにでも雄叫びをあげながらブタへ向かって駆け出したい強い衝動に駆られる。
だが、それでは嘗てと変わらない。
約十年前、それを行ったが為、権威という抗えない大きな力に屈服させられ、コゼットとの仲を裂かれた挙句に奴隷の身分へと落とされた。
同じ過ちを繰り返しては意味が無い。
そもそも、この場は国同士が争っている戦場であって、俺個人の復讐劇では無い。俺には俺の大事な役割が有る。
「そう、そうだよな。ああ、解ってるって……。」
一刻を争う状況だが、心を落ち着ける為に大きく深呼吸をする。
見上げた青空に俺の出陣を見送ってくれたティラミスの泣き笑った顔が思い浮かぶ。
必ず生きて帰ると約束した。
こんな所で死ねないと決意を新たにすると共に心も落ち着いてゆく。
冷静になった目で前方を改めて見据えてみると、いかに自分が激情に駆られるあまりブタ以外を見ていなかったのが良く解る。
平地故に明確な高低差が無い為、ブタがどれだけの兵力を率いているかは定かでないが、その身分と前方に巻き上がっている土煙の大きさを考えたら、千や二千の兵力ではないだろう。
それに対して、こちらの兵力は五百人っぽっち。
当然、ここは逃げの一手となるが、ブタ達には俺達を追っ払っただけで満足して貰っては困る。こちらが仕掛けている罠の中へより引き込む為、ブタの怒りを煽る必要が有る。
「おい、見ろよ! 馬がブタを引いているぞ! こいつは傑作だ!」
今一度、息を大きく吸い、ブタを指差しながら思いっきり叫ぶ。
たちまち大爆笑が背後で湧き起こり、俺に続けと五百人がブタをやんやと囃し立てる。
「おのれ! おのれ! おのれぇぇ~~~っ!
この俺から宝石を奪ったばかりか、身の程を弁えない減らず口を! 絶対に殺してやる!」
その怒鳴り返してきた言葉の意味は不明だが、効果は覿面だった。
奴隷なのか、ブタは御者を鞭打って、戦車の速度を更に一段とアップ。後続の軍勢を少しずつ引き離し始め、激怒に赤く染まったブタの顔が解るくらいまでに近づいてきた。
「良ぉぉ~~~し! 野郎共!
ブタがブー、ブーと何やら叫んでいるが、ヒト様がブタを相手にしたら末代までの恥だ! 今日はもう終いにして帰るぞ!」
言い換えるなら、即座に逃げなければならない距離である。
心の動揺を隠して、右手を大きく掲げながら叫び、それを合図に五百人が後方に築いた本陣へと一斉に逃げ出す。
しかし、これが困った事にてんでばらばら。
半数以上が真っ直ぐに走れておらず、完全な千鳥足になっている者も居れば、一人で走れずに仲間の肩を借りている者さえも居る。
どうやら、三週間の挑発行為はこちらにも少なからずの油断を呼んでいた様だ。
毎朝、宴会の参加者へ対して、もしもの時の為に飲み過ぎるなと口を酸っぱくして注意していたにも関わらず、それを守れなかったのだから自己責任であり、面倒は見きれない。
冷たい様だが、彼等の一人でも多くが仲間達の元へ辿り着けるのを祈ろう。
それより、俺自身もさっさと逃げ出さなければならず、自分の馬を繋いでおいた川辺へ向かって走ろうとした矢先、ララノアがその馬に乗って駆けてきた。
「ニート様!」
「おう!」
もし、敵が攻めてきたら、許可を待たずに誰よりも真っ先に逃げろと厳命しておいた筈が俺の為に最後まで残ってくれていたのか。
その嬉しさに笑顔となりながら、身体ごと差し出されたララノアの右手をすれ違い様に受け取ると同時に全力で踏み切って跳ね、ララノアの後ろへ飛び乗る。
「わっはっはっはっはっ! ここがお前の死に場所だ!
それ、矢を食らわせてやれ! 相手は裸だ! 当たりどころが良ければ、一発でやれるぞ!」
横目でチラリと覗えば、ブタが乗った戦車は川の対岸にまで迫っている。
いよいよ、目と鼻の先。戦車の車輪が猛スピードで回転して鳴らす喧しい音が焦りを誘う。
だが、目指す本陣は左手側に有る。
馬首を返す為に馬を立ち止まらせている余裕はおろか、駆ける速度を緩めて、旋回している悠長な暇すら無い。
こうなったら、無茶は承知なら危険も承知の上で馬を全速力で駆けさせながらの急旋回を行うしか逃げ切る術は無い。
ララノアも同様の決断に至った様だ。馬の腹を蹴って、駆ける速度を更に上げ始めた。
すぐさま馬体を内腿で目一杯に挟み、ララノアと身体を密着させながら両手をララノアの身体に回して固く結ぶ。
その際、お互いの身長差から両手がララノアの腰へ回らず、ララノアのささやかなブラ要らずの胸の位置に回ってしまうのは致し方無い。
急旋回時に襲ってくる横Gによって、小柄なララノアが振り回されて落馬しない様に支えるのが俺の役目。
決して、これはセクハラ行為では無い。両手の内側に感じる素敵な柔らかさに思わず口元が緩んでしまうのも不可抗力であって、俺は悪くない。
「な、なぁっ!? く、黒山羊、貴様ぁぁ~~~っ!?
だ、誰の許可を得て、俺の宝石に触っている! き、汚らしい手で振れるな! い、今すぐ、離れろ!
え、ええい! お、お前達は何をやっている! も、もっと速度を出せ! や、矢を早く射て! こ、この愚図共が!」
しかし、ブタはお気に召さなかったらしい。
つい今さっきの余裕をかなぐり捨てて、先ほど挑発した時以上に喚き散らしまくり。
この瞬間、先ほどからブタが言っている『宝石』はララノアを指し示しているのだと解り、勝利を確信した。
もう愉快で愉快で堪らず、高笑いをあげそうになるが、ララノアが手綱を左へ引き絞りながら身体を左に大きく傾けるを見て、奥歯を慌てて噛み締めると共に腹の下に力を入れる。
「んっ……。」
次の瞬間、馬が馬体を左に大きく傾けた、急旋回が始まる。
強烈な横Gが身体へとかかり、ララノアが苦しそうな呻き声を小さく漏らす。
ひょっとしたら、ブタがオーガスタ要塞失陥の汚名返上に武勲を立てようと前線へ出てきているかも知れない。
そんな期待を抱いたのはブラックバーン公爵が焦土作戦を用い、ネプルーズの街を絶対防衛線と定めた専守防衛戦を根幹に置いていると知った時だ。
その考えに至った理由はブラックバーン公爵家そのものに有る。
ブラックバーン公爵家は建国以来の武門の名家であり、歴代当主は武門の名家であるが故に軍人の男が選ばれてきている。
現在のブラックバーン公爵家は子供が三人居るが、その中で男はブタ一人のみ。
これがオーガスタ要塞の失陥という大失敗をやらかしながらもブタが廃嫡されない最大の要因だが、廃嫡を望む声は非常に多い。
付け加えて、ブラックバーン公爵の人となりも理由として挙げられる。
情報を各方面から集めた結果、ブラックバーン公爵は輝かしい戦績を持ち、正にミルトン王国の英雄と呼べる存在だが、その一方で私人としては駄目人間らしい。
特に奥さんと娘さん二人に頭が上がらず、身内に対してはだだ甘な傾向が強く、ブタの汚名返上に躍起となっているのは容易く想像が出来た。
なら、ネプルーズの街を絶対防衛線と定めた専守防衛戦は格好の場である。
あのブタと呼ぶに相応しい肥えきった図体では剣も振れなければ、馬にも乗れず、自分自身の身を満足に守れない為、野戦へ出るのは自殺行為に等しいが、籠城戦なら城壁が身を守ってくれる上に忙しなく動き回る必要も無い。ブタの身分を考えたら、椅子に座りながら命令を出しているだけで十分だろう。
いや、究極に言ってしまえば、ブタが指揮を執る必要すら無い。
籠城戦が行われている最中、ブタがネプルーズの街に居たという事実さえ有ったら、ブラックバーン公爵やブラックバーン公爵家の家臣が得た武勲はそのまま息子たるブタの武勲ともなり、汚名は自動的に返上となる。
だが、俺がこちらの陣営に居たのが運の尽きだ。
俺は情報を幾ら集めても出てこないブタの性癖と蛮行を知っており、それは籠城戦で最も重要な団結力『和』を乱す秘策となり得る。
しかも、その秘策を行う上でこれ以上の適任者は他に居ないと断言が出来るほどの人材『ララノア』が俺の手元に居る。
即ち、秘策とは兵法三十六計の第三十一計『美人計』であり、新しい呼び名で表現するなら『ハニートラップ』である。
誰もが美少女と認める整った容貌と微かに女としての色付きを始めた身体つき。
この二つだけでもブタを十分に狙い撃てるが、ララノアの場合はアルビノ故に雪の様な白い肌とエルフ故の長寿さという更なる付加価値が二つも付き、特に後者が与える影響は絶大だ。
なにしろ、どんな者にも時間だけは平等であり、成長という名の老いからは誰も逃れられない。
特に子供の成長は早く、十歳前後は成長期と呼ばれるだけあって更に早い。日々、男の子は男らしく、女の子は女らしくなってゆく。
裏を返して言えば、ブタがどんなに自分好みの少女を見つけたとしても、その性癖故に短い期間で好みから外れてしまう。
ところが、長命種であるエルフは違う。いつだったか、ララノアから寝物語で聞いた時の話。
エルフは十歳くらいまでは人間と同じ早さで成長してゆくが、それ以降は成長が緩やかとなり、肉体的にも、精神的にも五十歳前後で全盛期を迎えて、その全盛期が寿命を迎える数年前まで続くのだとか。
つまり、俺が年老いても、ララノアは今の若さのまま。
たまに俺が胸の大きな女性に目を奪われていると、ララノアは俺の脛を蹴ったりして、唇を尖らせながら『まだ大きくなるもん!』と訴えてくるが、それは残念ながら無理だろう。
俺の記憶が確かなら、ララノアは今年で三十七歳を数える。
その年齢を人間として換算するなら十五歳前後か。この時点で今後の成長の余地はお察しである。
初めて出会った頃の肋骨の堅さしか感じなかった大平原と比べたら、確かに柔らかく隆起しているが、ほんのちょっぴりに過ぎない。
それに同じ年頃の女の子と比べて、ララノアは背も一回りは小さい。
やはり、奴隷だった頃に碌な食べ物を与えられなかった影響が大きいのだろう。成長期における栄養がいかに大事かが良く解る。
しかし、ブタから見たら、その小柄さも美点の一つになる。
開戦前の口上の場にて、ララノアにああも派手なパフォーマンスを行わせたのはブタの目に入れさせる為だ。
ララノアを一目見たら絶対に虜となる。そう確信していた。
「下手糞が! 何故、当てられない! もっと良く狙え!
だが、解っているな! 宝石には絶対に当てるなよ! もし、少しでも傷を付けてみろ! 打首どころか、八つ裂きにしてやる!」
その結果がご覧の有様。
ブタは自身の立場を考えずに出陣した挙句、自分を守ってくれる軍勢の先頭を駆けるどころか、置き去りにして、ララノアを夢中になって追ってきている。
正直なところ、ここまで上手く嵌まるとは考えていなかった。
当初、この『美人計』は戦いの勝敗を決定付ける様な策に非ず、本命の『水攻め』を決行する日までの長期間を優勢に保つ為の予備策でしかなかった。
言うまでもないが、ララノアは俺のもの。
例え、ブタがネプルーズの街と引き換えにララノアを交渉で要求してきたとしても、俺は交渉自体に応じない。
それ故、ブタがララノアを欲するなら俺から奪うしか方法は無い。
幸いと言うべきか、ここは戦場であり、ララノアは将としての役目を担っている。決して、捕獲のチャンスはゼロでは無い。
だが、ララノアを捕獲する為には防衛に徹していては駄目だ。
攻撃を仕掛けて、こちらの前衛部隊を突破して、弓隊の将として後方に配置されたララノアの元まで迫らなければならない。
この時、敵がララノアの捕獲を目的に動いているのを知ってさえいれば、こちらはイニシアティブを握り易い。
これなら、おっさんですら警戒するブラックバーン公爵を相手にして、きっと五分以上で渡り合える筈だと俺は考えた。
そこまで事が上手く運ばなくても、ブタは公爵家嫡子であり、その意見を簡単に無視して捨てる事は出来ない。
ブタが攻勢を訴える事によって、ネプルーズの街を守る将達の考えが防衛に一極化するのを防ぎ、それが不和の芽となって育ってくれたら十分だった。
もし、その芽が花を上手く咲かせたら、来るべき『水攻め』を行う決戦日に備えて、ネプルーズの街を守る将へ対する内応を仕掛ける腹案もあったが、まだまだ先の話だと考えていた。
しかし、ブラックバーン公爵がネプルーズの街を留守にしている事実が明らかとなり、全ての事情を変えた。
今、ブタを超える権威を持つ者がネプルーズの街に居ない。ブタが自身の欲望に自制が効かず、蛮行に走る愚か者である以上、挑発を重ねていれば、無謀な大攻勢を仕掛けてくると簡単に予想が出来た。
ただ、ブタ自身が出陣して、その先頭を駆けてくるとはさすがに考えてもいなかった。
自分自身の価値を全く考えていないと言うか、ただただアホと言うしか無い。
先ほど挙げた剣も振れなければ、馬にも乗れない欠点を戦車という兵器を用いる事で克服した点は褒めても良い。
前の世界の乗り物で例えるなら、騎馬が普通自動車、戦車が大型トラックとなり、ブタが乗っている四頭立ての戦車ともなったら大型トレーラーに匹敵する。
正しく、その存在は戦場を疾走する暴力。
まだ鉄が安価とは言えず、重装歩兵隊を編成するのが困難な今の時代にあって、戦車の行く手を阻むのは多くの犠牲を覚悟しなければならない。
戦車の突破力の前に千人程度の壁は紙も同然であり、数多の兵に守られているララノアの元へ辿り着く事を考えたら、戦車を用いるのが最も可能性が高い。
但し、欠点も多い。その最たるものが騎馬以上の旋回力の悪さだ。
馬を動力にして、戦車は引っ張られており、戦車の車輪は真っ直ぐにしか進めず、旋回の際は車輪を滑らせたドリフト走行となる為、御者の熟達した手綱捌きとかなりの広さが必要となり、立て続けの旋回は出来ない。
この先にあるのは森を切り拓いて作られた街道である。
平穏時は商業で賑わっているだろうネプルーズの街へ接続する街道だけあって、その道幅は馬車が悠々とすれ違えるほどの広さは有るが、高速で駆ける戦車がUターンをして曲がれるほどの広さは無い。
「あと少し! あと少しで宝石が俺の手に!
ええい! もっと、もっと早くしろ! それとも、お前が鞭をまた喰らいたいか!」
しかし、背後から引っ切り無しに届くブタの鳴き声を聞く限り、戦車を停めようとする気配は感じられない。
ララノアへそれだけ夢中になっている証拠だが、やっぱりアホと言うしか無い。
「ふぅ~……。」
そんなブタの愚かさを呆れている内に急旋回が完了。斜めになっていた視界が水平へ戻り、身体を右へ、右へと引っ張っていた横Gが緩んで消える。
急旋回中、手綱の操作に集中するあまり息を止めていたララノアが身体の強張りを解いて、深呼吸を短く漏らす。
馬が駆ける速度は緩んでいない。
馬の脚を念の為に確認してみると、無茶な急旋回に脚を折ってしまう様なハプニングは起こらず、無事でなりより。
あとはブタを近寄らせ過ぎず、離し過ぎずの距離を保ちながら逃げるだけ。
目指す本陣はまだまだ遠いが、豆粒大のそこから味方の軍勢がこちらへ向かっている様子がはっきりと見えている。
この後、敵味方が戦端を開いたら、街道左右の森に潜ませている伏兵が攻撃を仕掛ければ、これで三方位からの包囲網が完成となる。
敵の後方も遮断して、完全な包囲を行う事も可能だが、敵が窮鼠と化しても困る為、敵の後方は敢えて開けておく。
その際、ブタの救出を目的とした援軍が更に出陣してくるだろうがこれも抜かりはない。
たった千人とは言えども、我が陣営随一の突破力を持つルシルさんが少し離れたネプルーズの街の南側の森に伏兵として潜んでいる。
敵の援軍へ突撃を仕掛けるか、開いている城門へ突撃を仕掛けるかの判断は軍師として付けたマイルズに任せてあるが、そのどちらを選んでも敵の士気は確実に折れるだろう。
最早、勝利の二文字がちらつき始めている。
それを成し遂げる立役者となったララノアを思いっきり抱き締めたい衝動に駆られるが、その前にきちんと告げなければならない言葉が有った。
「ごめん……。いや、ありがとう。
本当は嫌だった筈なのに……。こんな格好までさせちゃって……。」
ララノアが成長に乏しい自身の身体に大きなコンプレックスを持っているのは、ララノアを知る者なら周知の事実。
だが、それを承知していながらも俺は戦いを優勢に運ぶ為に利用した。それも協力を持ちかけたのは事前に非ず、あの開戦前の口上の事後であり、ララノアがもう断れないのを承知してだ。
あまつさえ、策の効果を高める為とは言え、こんな下着同然の踊り子の衣装まで着せている。
日頃、ララノアが肌を人前で見せたからず、ほぼ常夏なバカルディの街でさえ、汗を流しながらも肌を隠しているのを知っているにも関わらず、我ながら度し難いにも程がある。
「私……。ニート様の役に立てた?」
しかし、ララノアはこちらへ振り返ると、一旦は俺と目を合わせるも視線を伏して、そう問い返してきた。
俺の狡さを許してくれたばかりか、逆に俺の心配までしてくれるというのか。思わず目を見開き、心を感動に震わせる。
「ああ、勿論だよ。これ以上ないくらいにね」
勿論、返事は決まっている。
ララノアへしっかりと頷いてみせながら微笑み、堪らない愛おしさにララノアを抱き締める。
「そう……。なら、良い」
「……ララノア」
ここが戦場のど真ん中で無かったら、キスの一つも交わしたいところだが、ララノアは満足してくれたらしい。
顔を正面へ弾かれた様に勢い良く戻すも嬉しそうに弾ませた小さな声が風に乗って届く。
「そ、それより……。」
「んっ!?」
「さ、さっきから、その……。あ、当たってる。き、気になるから止めて」
ところが、躊躇いを感じさせる一呼吸後に続いた声は不思議と上擦っていた。
その言葉も意味不明であり、どうしたのだろうかと眉を寄せていると、耳まで真っ赤に染めたララノアがお尻を居心地悪そうにもぞもぞと振り、ここで謎が氷解する。
改めての説明をすると、俺とララノアは密着して馬に乗っている。
俺が全裸なら、ララノアは下着同然の踊り子の衣装であり、お互いの肌と肌がダイレクトに感じられる状態でだ。
ここに馬が駆ける度に上下へ揺れる振動と言う名の刺激が加わったら、どうなるかは解りきっている。
決して、それはセクハラ行為では無い。健康な若い男なら必然的に起こってしまう自分自身ではどうにもならない不可抗力であって、俺は悪くない。
「ふっ……。チャーミング過ぎるララノアがいけないのさ」
「ぁぅっ!?」
それを解って貰うが為、先ほどから気付いていながらも敢えて黙っていた両手の中で自己主張を激しく訴えているララノアの二つのソレを軽く摘む。
たちまちララノアが背筋を弓なりに反らして跳ね、その拍子に手綱が絞られ、馬の駆ける速度が少し緩んでしまう。
「き、貴様、俺の宝石に何をやっている! ど、何処を触っている!
ゆ、許さん! ゆ、許さん! ゆ、許さんぞぉぉ~~~! こ、こうなったら、じわじわと嬲り殺してやる!」
刹那、自身の失敗に焦るが、背後から届くブタの鳴き声は先ほどより少し遠い。
どうやら、結果オーライの様だ。やはり、ブタの重量が戦車を遅くしているのだろうと考えながら、ブタを更に煽る為、ララノアのソレを今さっきより少し強めにもう一摘みした。