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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十三章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 ミルトン王国戦線編 上
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幕間 その4 改・ジール視点




 ネプルーズの街の東側、川のほとりに特設された舞台にて、ニートが面白愉快に踊っている頃。

 そのネプルーズの街を守る将の一人、『ジール・ナ・ヴィア・ウルザルブル』子爵は城壁の上へ至る階段を重い足取りで登っていた。




 ******




「はぁ~~……。」


 二度目の折り返しとなる階段の踊場。

 城壁の高さが作っていた影の濃さが薄れてゆくと共に聞こえてきた微かな喧騒に溜息を零す。


 立ち止まって、上を見上げてみれば、階段はあと少し。

 今朝も空は青く晴れ渡っていると言うのに、心はどんよりと曇っていた。


 だが、気分が優れないからと言って、踵は返せないし、それを表情にも出せない。

 上の者のやる気は下の者へ自然と影響を与える。苦しい時こそ、空元気を見せなければならない。

 自分自身へ暗示をかける様に大きく頷いて、荒い鼻息をふんすと一吹き。胸を殊更に張りながら階段を改めて上ってゆく。


「今日もか……。敵も良くやる」


 ネプルーズの街の東側に突き出た出城。

 階段を上りきり、その城壁の上へ出た途端、微かだった喧騒ははっきりと聞こえる様になり、その戦場の殺伐さとは程遠い賑やかさに思わず舌を打つ。


 この城壁から矢が届かない位置。前方を横切る川の向こう側では敵が今日も朝から飲めや歌えやの大騒ぎ。

 我々へ見せつける様に特設した舞台で唄う者も居れば、踊る者も居り、最近は草船を川に流して、その早さを競い合う遊びが流行らしい。一喜一憂する熱狂が遠く離れたここまで届いている。


 指揮舎へ歩みを進めながら、その数をざっと見たところ、五百人くらいか。

 どうやら、今日はその人数をまた一段と減らしてきた様だ。


 確か、開戦から四日目だったか。

 このネプルーズの街を正面から攻めながらも我々を巧みに誘っていた敵が方針を変えて、今行われている様に我々の眼前で宴会を初めて行った時は五千人を超える大宴会だった。


 それが日を重ねる毎に少なくなってゆき、今ではたったの五百人である。

 この程度の規模なら全軍を用いる必要も無い。簡単に一息で追い払う事が可能だ。


 しかし、それこそが敵の狙い。

 目の前で行われている宴会は明らかな挑発行為であり、これもまた我々を激高させて誘い出す為の罠に他ならない。


 なにしろ、このネプルーズの街を守る城壁は非常に高い。

 これを超える城壁は王都の王城を守る第一郭とインランド王国との嘗ての国境に在ったオーガスタ要塞の二つしか私は知らない。


 開戦前に敵が行った開戦口上の場にて、黒山羊の奴隷と思しきエルフが弓の神技を魅せてくれたが、あの様な神技を成せるのは国に一人居るか、居ないか。

 一般的な弓兵がこの城壁の上まで矢を打ち上げるとなったら、こちらが簡単に狙い打てる位置まで接近せねばならず、その接近すらも全方位へと牙を剥く五つの出城が許さない。


 端的に言うと、敵が力攻めによる消耗戦を行うとなったら、こちらに地の利が圧倒的に有る以上、我々の勝利は絶対に揺るがない。

 例え、援軍が到着して、敵の兵力が今の倍に膨れ上がったとしても屍の山がより高く積み上げられるだけ。このネプルーズの街はそれだけの防衛力を持っている。


 その上、このネプルーズの街は籠城戦における攻め手の定石『兵糧攻め』が効かない。

 街の西側が湖と接しており、その先にある川も幅広い為、完全な包囲網を作るのは事実上の不可能であり、それを可能とする兵力が有ったなら力攻めを行った方が早い。


 それ故、敵が勝機を得るには我々の隙を突くしか手段は無い。

 即ち、我々が城門を開け放ったその時を狙って、街の中へ一気呵成に雪崩れ込む。これこそが敵の目論見だ。


 その為の伏兵を何処かに潜ませているに違いない。

 敵にとっての幸運は封鎖する様に陣を築いたレッドヤードへ至る南の街道が森を切り拓かれて作られた道である為、宴会を行っている川の近くまで広がる森まで伏兵を潜ませ放題という点に有る。


 ならば、敵の挑発に乗らず、亀の様に頭と手足を引っ込めて、防御に徹するのが最良に決まっている。

 この程度、兵法を特別に学んでいなくても、幾つかの戦場を経験したら自然と身に付く知恵であり、勘が良い者ならその経験すら必要とせずに解る事だ。


 ところが、戦場という神経を擦り減らす場では何もせずにじっとしているのが実は一番難しい。

 それが敵の挑発行為と解っていながら、その挑発に自分から耳をわざわざ傾けた挙句に腹を立て、苛立ちを勝手に募らせてゆく。


 こうして、城壁の上を歩いているとそれが良く解る。

 諺に『目は口ほどにモノを言う』という言葉があるが、誰もが私へ向ける目礼の中で訴えていた。

 もう我慢の限界です。今すぐ、攻撃を仕掛けて、あの馬鹿騒ぎを蹴散らしましょう、と。


 それを口に出して言わないのは彼等が士爵位の平騎士、或いは兵士である為に総司令官代理たる私へ具申する権限を持っていないからに過ぎない。

 その粘りつく様なひしひしとした視線を気づかないフリをして歩くが、とうとう辿り着いてしまった指揮舎の中は違う。


「はぁ~~……。」


 出入口のドア前で立ち止まり、堪えきれずに溜息を零す。

 今日も朝から既に何人かが私を待ち構えており、朝から晩まで代わる代わる何度も、何度も、出撃しろ、出撃しろと喚き、それを右から左に聞き流す一日が始まる。


 出撃を訴える彼等は慎重論を崩さない私を臆病者と口を揃えて罵るが、もっと大局を見た上で物事を語って欲しい。

 私とて、それが採用に値する意見なら、その是非を皆と真剣に検討した後は実際の作戦行動へと移す覚悟くらいは持っている。


 だが、彼等が訴えてくる意見は抽象的で基本的に精神論だけが先走ったものばかり。

 とにかく、まずはあの敵が行っている宴会を蹴散らす。その一心のみであり、そこから先は全く考えておらず、その点を突いて尋ねると、己が陣頭に立って戦いさえすれば、何が有ろうと勝利は必ず掴める筈だと根拠の無い自信に満ちているだけ。


 百歩譲って、それなりに認められる実績を持つ者なら、あやふやな作戦提案でも任せられる。

 或いはとても武才に優れており、緻密な作戦の中に組み込むよりは自由な裁量を与えた方が大きな戦果を得られる者でも大丈夫だ。


 しかし、その様な人材はもう居ない。

 この十年間、インランド王国との戦争が激化して、敗走ばかりを重ねる中、優秀な者達ほど味方を逃がす為にその身を戦場に散らしていった。

 今、我が軍に居るのは私の様な後事を託されながらもそれを実現させられずに生き恥を晒している者達か、宮廷工作などを用いて、人材不足が顕著となるまで前線から逃げ回っていた爵位持ちとその子弟達であり、後者ほど出撃を訴える者が圧倒的に多い。


 しかも、その筆頭となって特に五月蝿いのが若である。

 これまで軍議にも、鍛錬の場にも出てこず、屋敷に引き篭もってばかりの過去を考えたら、それは鬱陶しくても歓迎すべき大きな変化ではあるが、若の場合は他の者達と事情が違う。


 どうやら、あの開戦前の口上の場で神技を魅せてくれたエルフに一目惚れしてしまったらしい。

 それも何をどうやって拗らせたのか、あのエルフの主人は自分こそが相応しく、あのエルフも自分を愛しており、黒山羊は自分とあのエルフの仲を裂く邪魔な存在だと強く思い込んでしまってもいる。


 つまり、あのエルフを捕獲する為に攻撃を仕掛けろと言うのだから本当に勘弁して欲しい。

 これが若以外なら簡単に馬鹿か、阿呆かと罵れるが、若は未来の寄り親である。粗末に扱えず、機嫌を損ねぬ様に宥めているが、効果はまるで無い。


 なにせ、連日に渡って、あのエルフは宴会に参加しており、たまに余興の一つとして踊ってみせるのだ。

 特設された舞台の上、肌をこれでもかと露出させた下着同然の衣装を身に纏い、腕と腰に下げた薄衣をひらり、ひらりと舞いさせながら。


 私から見たら、それは技術的に一級品であっても残念ながら肉体的な成長に乏しい為、見習いの踊り子がおしゃまに背伸びをして踊っている様にしか見えないが、若から見たら違う。

 望遠鏡を食い入る様に覗いて、エルフが腰をくねくねと、お尻をふりふりとする度に荒い鼻息をむっほ、むっほと吹き出して興奮しまくり。これでは犬が骨付き肉を目の前にして、食らいつくのを『待て』と静止を命じられている様なもの。


 それこそ、黒山羊が宴会に参加している場合、黒山羊とエルフがペアを組んで踊る事が良く有るのだが、その際はもっと酷くなる。

 拗らせた熱を沸騰させて、黒山羊の罵詈雑言を涙ながらに叫び、鼻息を荒くさせるあまりに鼻水を垂れ流し放題。その姿は癇癪を起こした幼子が駄々を捏ねている様で見るに耐えない。


 ちなみに、黒山羊とエルフが踊るダンスはとても簡単なもの。

 男女が向かい合いながら手と手を取り合い、適当なステップを陽気なリズムに合わせて踏むだけ。

 庶民が収穫祭などで踊る素朴な有り触れたダンスでしかなく、社交の席で踊るダンスの様な格調の高さも無ければ、エルフが単独で踊っていたダンスの様な技術の高さも無い。


 だが、黒山羊とエルフの二人が踊るダンスは好感が持てた。

 敵と承知していながらも、その踊っている姿を見ていると笑みが自然と浮かび、自分もウキウキとした気分になってくるのだ。


 その理由はエルフに有る。

 エルフが単独で踊るダンスは幾つも有るが、その下着同然の衣装で解る通り、いずれもが男を誘惑するのを目的としたものだが、それが通じない原因は肉体的な成長に乏しいからだけでは無い。

 踊っているエルフ本人に男を誘惑させようとする気持ちが入っておらず、表情も完全な無表情の為、精巧なマリオネットがただ踊っている様にしか見えず、こちらへ熱がちっとも伝わってこないのが最たる原因である。


 それが黒騎士とペアを組むと激変する。

 相変わらず、無表情ではあるが、その一挙手一投足に活き活きとした輝きが満ち、楽しそうに、嬉しそうに踊る。


 そう、傍目にも踊っている姿からありありと感じられるのだ。

 エルフが黒山羊へ向けている好意の大きさと抱いている愛の深さが。


 だからこそ、若は拗らせた熱との食い違いに苦しんで嫉妬に狂うのだが、その日に日に酷くなってゆく様子を見ていると、ふと考えてしまう事が有る。

 若の性癖を敵は知っており、それを狙い撃ちしようと開戦前の口上の場でエルフをああも目立たせた上に毎日、毎日、宴会で踊らせているのではないかと。


「いやいや……。まさか、な」


 しかし、それはさすがに有り得ない。

 人の口に戸は立てられないが、若の性癖に伴う愚行は廃嫡の口実となり得る為、あまり褒められた手口では無いが、見舞金と言う名の金一封を愚行の関係者へ握らせると共に厳重な箝口令が敷かれている。


 当然、インランド王国の者が知っているとは思えない。

 苦しい境遇にあるからと言って、何でもかんでも敵のせいにするのは良くない傾向だ。想像を飛躍させ過ぎている。


 苦笑を漏らしながら首を左右に振って、ドアノブへ手を伸ばす。

 いつまでもここに立っていたら周囲の者達が怪訝に思うだろうし、ドアの向こう側では副官の彼女が首を長くして待っている。

 出撃しろと声高に訴える若を筆頭とした面々は幾ら待たせても心は傷まないが、夜勤明けで疲れきっている筈の副官の彼女を待たせるのは忍びない。


「えっ!? ……あっ!? おっ!?」


 ところが、ところがである。ドアを開けてみると、指揮舎の中に居たのは副官の彼女一人のみ。

 ここまでの道中、そうだったらと願っていたにも関わらず、その場面にいざ直面したら目の前の現実が信じられず、机と長テーブル、七脚の椅子しか置いていない狭い指揮舎内を丸くさせた目でキョロキュロと見渡す。


「ぷっ!?」 


 それはどう見ても間抜けな姿であり、思わず吹き出してしまうのも仕方が無い。

 その声に慌てて我を取り戻すと、長テーブルの端に座る副官の彼女が顔を背けながら肩を小刻みに震わせていた。


「ゴホンッ……。あ~~、おはよう」

「失礼しました。おはようございます」


 羞恥に赤く染まった顔をキリリと引き締めて、バツの悪さを咳払いで誤魔化すも効果は無し。

 副官の彼女は席を立ち上がり、踵を揃えた完璧な敬礼を挨拶と共に向けてきたが、その閉じられた口元は堪えきれない笑みに曲って震えたまま。


 少しだけムッと苛立つもここで腹を立てるのは大人気ない。

 それに辛い眠気に耐えた夜勤明けは気分が不思議と高揚しており、ついつい些細な事で笑ってしまい、ツボに嵌ってしまう事が多い。

 だったら、詰まらない事で時間を浪費するよりも仕事から早く開放させてあげるのが良い上司というもの。気付かないフリをした何食わぬ顔で定時報告を求める。


「さて、昨夜は敵の夜襲が無かった様だが……。何か、引き継ぎは有るか?」

「はい、つい先程になりますが、王都からの伝令が届きました」

「何っ!?」


 だが、副官の彼女が告げた言葉がせっかく身に着けた鉄仮面を即座に吹き飛ばす。

 それどころか、どんよりとした心の曇りが一気に晴れ渡り、喜びのあまり口元に笑みが描かれる。


 王都からの伝令が届いた。それは意味するモノは一つしかない。

 敵の急襲を伝える知らせが公爵の元へ届き、その返事が公爵から返って来たという事であり、ひいては公爵の帰還が近いという事でもある。


「こちらがその手紙になります。

 子爵様の名前が宛名に書かれている為、開封は行っていませんが、これを運んできた伝令官より公爵からの伝言を預かっています」


 副官の彼女が両手で恭しく差し出してきた油紙の封筒を受け取り、すぐさま裏返すと、封印の蜜蝋を形取る紋章は間違いなくブラックバーン公爵家のもの。

 この時をどれほど待ち望んだ事か、万感の思いが胸一杯にゆっくりと広がってゆく。これまで数多の苦悩が有ったが、それ等全てがこの瞬間に報われた様な気がした。


 無論、敵との戦いはまだまだ続くし、公爵からの返事が返って来たに過ぎない。

 公爵自身がこのネプルーズの街へ到着するのにあと一週間は早くても必要とするだろうが、その時期すら解らなかった今までと比べたら段違いの安心感がある。


 この吉報を聞けば、皆も喜ぶだろうと考えたところで納得する。

 今朝、出撃しろと訴える若を筆頭する面々がここに居ないのは公爵の帰還を知ったからだ。


 彼等の訴えは基本的に自身の権威を前提とするか、権威を持つ者の威を借りた要請であり、正式な手段を用いた作戦具申では無い。

 そう言った手段を公爵が嫌っているは有名な話であり、公爵の癇に障ってしまうのを恐れたのだろう。


 さすがは公爵である。ここに居らずとも、その影響力を既に発揮し始めている。

 騎士も、兵士も、住民も、この街の全てが一致団結せねばならない今、出撃しろと訴える若を筆頭する面々のおかげで騎士達の意見が二分化すると共に派閥化しつつあったが、それもきっとすぐに解消されるに違いない。


「うむ、公爵は何と?」

「急いで戻る。苦労をかけるがそれまで頑張ってくれ、と……。」

「そうか、そうか」

「フフ、子爵様にも見せたかったです。その手紙が届いた時の若様の驚きようと言ったら」

「馬鹿者、滅多な事を言うな。

 それより、早く帰って、寝るんだ。公爵が帰ってくるとは言え、戦いはまだまだ続くんだからな」

「そうですね。でも、今日からはぐっすりと眠れそうです」

「くっくっ……。そうだな。今夜の酒は久々に美味そうだ」


 改めて、正面へ意識を向けてみると、副官の彼女も満面の笑顔を浮かべている。

 思い返してみれば、随分と苦労をかけた。特に若関連の問題は女性故にとても不快だった筈だ。

 二人だけの時に苦言をたまに漏らす事は有ったが、決して投げ出そうとしなかった。感謝してもしきれない。


 お互い、気持ちが軽くなったせいだろう。

 ついつい口まで軽くなって滑らしてしまった上、それを笑い合ったその時だった。


「「なっ!?」」


 ファンファーレの音色が高らかに響き渡り、お互いの笑顔が瞬く間に凍った。

 驚愕のあまり頭の中が真っ白に染まり切る。


 これが正面から聞こえてきたなら問題は無い。

 いや、違う意味で問題は有るが、理解が出来た。


 正面の川の向こう側では敵が宴会を行っており、その中には宴会を盛り上げる為の軍楽隊が居る。

 特設された舞台にて、誰かが余興を行う際はファンファーレが必ず鳴らされており、決して油断はしていないが聞き飽きている。


 しかし、今の音色は左手側から聞こえてきた。

 左手側には南西門が在り、ファンファーレの音色が示す意味『南西門からの出陣』とも合致しているのだから驚くなと言うのが無理な話。


 言うまでもなく、その様な命令を私は出していない。

 副官の彼女から先ほど受けた引き継ぎ報告にも無い。もし、その様な予定が立てられているなら、公爵からの返事も大事だが、それを最優先に告げている筈だ。


「子爵様!」

「ああ、解っている!」


 副官の彼女から強く呼ばれて、我を取り戻す。

 呆けている暇は無かった。今も尚、ファンファーレは鳴り続けており、空耳では無い。


 すぐさま外へ駆け出ると、誰もが混乱に陥っていた。

 命令が届いていないにも関わらず、攻撃開始を意味するソレが鳴り響いているのだから当然だ。


「誰だ! 誰が門を開けた! 今すぐ、閉じさせろ!」


 確認を求めて、四方八方から幾つも飛んでくる呼び声。

 だが、それ等を無視して走り、南西門が見える姫垣まで辿り着くなり怒鳴らずにはいられなかった。


 ファンファーレの音色が示す通り、南西門は今正に開かれようとしていた。

 開閉に時間がとてもかかる鉄で造られた網目状の一枚門は既に引き上げられて、木製の二枚扉までもが半ば開いており、開けきるのを焦れたかの様に四頭の馬が横に列んで駆け現れた次の瞬間。


「わっはっはっはっはっ!

 黒山羊め! この俺から奪った宝石は返して貰うぞ! それ、皆も続け!」


 最早、立ち竦むしかなかった。

 四頭の馬に乗り手がいずれも居らず、変だと思ったら、それは戦車であり、四頭の馬が引く荷台に若が乗っているではないか。


 若であるなら、城門を開ける権限は無くとも、権威は有る。

 今、起きている騒動が誰を中心に引き起こされたものなのかは明らかだった。


 まさか、まさか、戦車なんて大それた代物を隠れて作っているとは思いもしなかった。

 あのエルフをどんなに欲したところで馬も乗れず、剣も振れない以上、実行力を持てないと考えていたが甘かった。


 戦車なら、馬に乗れずとも御者を、剣が振れずとも攻撃手を用意したら良い。

 実際、御者と戦車の左右を守る攻撃手が二人居り、若は金ピカに飾り立てた席へ座っているだけ。


 しかし、それ以上に予想外だったのは大局を見誤り、こうも私心を最優先にしてしまった若の心だ。

 勿論、公爵の帰還が間近と知り、焦りもあったのだろう。公爵が帰ってきてしまえば、もう二度とエルフがどうのと言えなくなる。


 大きな落胆が心に渦巻き、それが深い溜息となって漏れる。

 今後、公爵が言葉をどんなに重ねようが、若を将来の主として仰ぐ事はとても出来ない。心が完全に離れてしまった。


 また、若以上に呆れるのが、この抜け駆けに参加している騎士達だ。

 全く以て、現金な奴等と言う他は無い。開戦前は若の事を影で散々罵っておきながら、自身の欲望と合致さえしてしまえば、神輿として持ち上げてしまうのだから。


 恐らく、この抜け駆けは若単独の決断では有るまい。若を煽った者が絶対に居る。

 オーガスタ要塞の失陥によって、若は戦争に対するトラウマを抱えており、開戦前まで軍議や鍛錬の場に姿を現さなかった過去で解る様に戦争へ対する関わりを拒否していた。

 あのエルフに一目惚れをした後も出撃を何度も催促はしていたが、自分自身の出撃は一度も口にした事は無かった。


 いずれにせよ、この抜け駆けは私の甘さと油断が招いたもの。

 今となっては何を論じても詮なき事であり、このネプルーズの街を守る現在の最高責任者である以上はその責任は取らなければならない。


 見る限り、二千を超える兵力が南西門から既に出撃しているが、その怒涛の勢いはまだまだ尽きそうに無い。

 若を筆頭とするこの抜け駆けに参加している騎士達がどうなろうと構わないが、それに付き合わされている兵士達の命が惜しい。


「こうなっては是非も無い! 私も出陣するぞ! 総員、直ちに……。」

「なりません! どうしてもと仰るなら、私が参ります! 子爵様は防衛の指揮を!」


 その進む先に敵の罠が有ると知っているなら尚更だ。

 即座に決断を下して、声を腹の底から轟かそうとするが、それを上回る大声が背後から被せられた。


 この決断が死を覚悟したものだと解ってしまったのだろう。

 反射的に振り返ってみれば、副官の彼女は今にも泣き出しそうなくらいに涙を瞳に溜めていた。


「いや、私が出陣する。防衛の指揮は君が執れ」

「ですが!」


 その忠誠心は本当に嬉しいが、残念ながら頷けない。

 ところが、首を左右に振ると、副官の彼女は私以上に首を左右に勢い良く振り、その拍子にとうとう涙がポロポロと零し始めた。


 思わず身体をビクッと震わせて仰け反らせる。

 やはり男という生き物は女の涙に勝てない様だ。悪事を働いた訳でも無いのに罪悪感を半端無く感じる。


 空を見上げて、大きく深呼吸。

 その後、副官の彼女の心も落ち着かせるべく、その泣き震える肩に両手を乗せながら真剣な眼差しで語る。


「頭の良い君なら解る筈だ。私が出陣してこそ、意味があるんだと……。

 そう、この攻撃命令は私の名において発せられたものであって、若の独断専行では無い。良いな?」


 見限ったと言えども、若は公爵家嫡子である。

 もし、討ち取られるか、捕獲されたら、その影響力は大きい。


 特に公爵へ対しては絶大だ。

 王宮の平和ボケした連中が公爵を再び失脚させる為の口実とするのは目に見えていた。


 そうなったら、我が国の歴史は本当に終わる。

 劣勢をありとあらゆる面で強いられながらもインランド王国と互角の戦いを続けられたのは公爵の存在が有ってこそ。


 なら、取るべき行動は決まっている。

 その影響力を少しでも下げる為、私自身が出陣して、若を屍であろうと敵中から絶対に取り戻さなければならない。


 当然ではあるが、誰の目にも明らかな勝利を得られれば、それに越した事は無い。

 抜け駆けは抜け駆けで無くなり、勇気が溢れる行動として讃えられるが、これから行われる戦いは最初から負けが、それも惨敗がほぼ決まっている。


 何故ならば、抜け駆けに参加した騎士達は川の向こう側で敵が行っている宴会を蹴散らしたら満足だろうが、若だけは違う。

 あのエルフを手に入れるのが若の目的であり、それを達成するまで若は止まらない。逃げるエルフを何処までも追いかけてゆき、それに引きずられる様に敵から一時的に与えられた勝利の美酒に酔いしれる騎士達も止まらなくなる。


 敵が逃げる先は当然の事ながらレッドヤードへ至る南の街道を封鎖する様に築いた自陣である。

 その敵中へ深く入り込み、森に潜んでいるだろう敵の伏兵に後方を遮断されたら、若達を待っているのは挟撃による全滅必至の敗北のみ。


 その包囲網へ割って入り、若を助け出すのがどれほど困難な事か。

 この程度、私より兵法に長ける副官の彼女なら容易く解る筈であり、解るからこそ、その成功確率がこうしている間も確実にどんどんと低くなっているのも解っている筈だった。


「……解りました。

 でも、絶対に帰ってきて下さいね! この国にとって……。いえ、私にとって、子爵は必要な人なんですから!」


 だからか、副官の彼女は不承不承ながらも納得してくれた。

 ただ、その後に続いた言葉もそうだが、いきなり抱き締めてきたのは予想外が過ぎて、思わず見開いた目をパチパチと瞬きさせる。


 気のせいだろうか、愛の告白をされた様な気がする。

 だが、それを私の胸に泣き顔を押し付けて、しゃくり上げている副官の彼女へ聞き返せる訳が無い。


 困り果てて、辺りをキョロキョロと見渡すと、誰もがニヤニヤと笑っている。

 ふと目が合った奴に至っては言葉を返す代わりに親指をニュッと立てた右拳をこちらへ突き出してきた。


 それ等の反応を見る限り、気のせいでは無いらしい。

 しかし、私は今年で四十を数える中年であるのに対して、副官の彼女は私の記憶が確かなら先々月に十九歳になったばかり。年齡が親子ほどに離れていながら有り得るのだろうかとまだ疑ってしまう。


 これが家同士の繋がりを求めた政略によるものなら解らないでもないが、我がウルザルブル子爵家は祖父の代から領地経営が赤字続きであり、結びつくメリットは極めて薄い。

 むしろ、男爵家の三女ではあるが、副官の彼女の家の方が圧倒的に裕福な点を考えると、こちらが逆に頭を下げて申し込む側になる。彼女から見たら、爵位は上がっても格落ちなのは明らかだ。


 何にせよ、女性から愛を告白されて、それに答えを返さないのは男が廃る。

 器量は並だが、副官の彼女は気立てが良くて、聡明である。私の副官となって、今年で三年目となるが、最近は私生活でも何かと頼りっぱなしであり、自分の着替えすらも何処にしまったのかが解らない私の答えは決まっていた。


「勿論だとも。最初から死ぬつもりは無い。

 だが、旗色が少しでも悪いと感じたなら、すぐに門を閉めろ。そして、可能な限り、兵達を船に乗せて逃げるんだ」

「なっ!? それではっ!?」


 だが、これから死地へ飛び込む事を考えたら、その答えは心の中に置き留めておいた方が良い。

 その代わり、どうしたら良いかで迷い、置き場に困っていた両手を副官の彼女の腰へと回して抱き返す。


「見たところ、既に五千以上の兵が出陣している。

 これに加えて、私も出陣したら残る兵士の大半は老人と子供ばかりだ。

 兵が半数以上も減り、その練度も低いとなったら、この街は公爵の帰りを待たずして落ちる。

 だったら、貴重な兵をわざわざ失うより公爵へ渡した方がずっと良い。

 まあ、街の住人達を見捨てる事になるが……。多分、大丈夫だ。

 焦土作戦を行った地域を復興させる為には人手がどうしても要る。素直に降伏すれば、敵も悪い扱いは決してしないだろう」


 しかし、生きて帰ってこれたら、その時は真っ先にちゃんとした答えを言葉で返そう。

 そう誓いながら副官の彼女の髪の中へ鼻を埋めて、その匂いを忘れない様にしっかりと刻んだ。




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