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無色騎士の英雄譚(旧題:無色騎士 ニートの伝説)  作者: 浦賀やまみち
第十三章 男爵 オータク侯爵家陣代 百騎長 ミルトン王国戦線編 上
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第03話 腹が減っては戦はできぬ




「う~~~ん……。何度、食べても不味い。

 でも、このエグ味が大人の味と言うか、癖になる味と言うか、何と言うか……。」


 戦いを始めて、今日で二週間目。今日も今日とて、敵との戦いに備えての腹ごしらえ。

 ネプルーズの街の南東、南ルートの街道を封鎖する様に築いた野戦陣地の至る場所から炊煙が立ち上ってゆく。


 その中央の少し奥、総司令官たるジュリアスの幕舎が置かれている前の広場。

 折りたたみ式の床几に腰掛けて、悪態を付きながらも骨付きの肉を何度も頬張り、噛むほどに滲み出てくる舌をピリリと痺れさせる苦味に皺を眉間に刻む。


 お世辞にも美味いとは言えない味だが、やみつきになる味で手が不思議と止まらない。

 肉を食べれば、食べるほどに眉間の皺はより深くなり、自分が顰めっ面になっているのを自覚しながら一本目をぺろりと平らげて、手を目の前の焚き火で焼かれている二本目へ伸ばす。


「ぷっ!?」

「何だよ?」


 すると立ち上る煙の向こう側から吹き出す声が聞こえてきた。

 思わず顰めっ面をそのままに何事かと視線を向けてみれば、ジュリアスが軽く握った左手を口元に当てて、肩を震わせながら笑っている。


「フフフっ……。ごめん、ごめん。でも、子供の頃を思い出してさ。

 うちの酒場に通っていた常連さん達も今のニートみたいに不味い、不味いって言いながらも美味しそうに食べていたなぁ~~ってね」

「おいおい、この肉はオークの肉だぞ? まさか、お前の店はオークの肉なんかを客へ出していたのか?」

「あれ、知らないのかい? 王都ほどの街になると人が多すぎるだろ?

 当然、まともな肉なんて、下町まで回ってこないのさ。だから、下町の肉は殆どがモンスターの肉なんだよ」

「マジか……。じゃあ、俺が今まで美味い、美味いって食べていた串焼きとかも?」


 その理由はどうあれ、ヒトが食事をしている姿を笑うのはあまり頂けない。

 ちょっとした仕返しに揚げ足を取り、口の端をニヤリと釣り上げて反撃をするが、逆撃に知られざる王都の裏側を教えられ、あっさりと不満を忘れて思わず右手に持っている骨付き肉をまじまじと見つめる。


 実を言うと、先ほどから不味い、不味いと文句を零しながら食べている肉はなんとモンスターの、それもオークのモモ肉だったりする。

 どうして、この様なゲテモノと呼べる品を食べているのかと言ったら、全てはネプルーズの街を攻略する為の作戦に起因する。


 なにしろ、この地に集った兵力は約二万。

 その全ての腹を満たすとなったら、たったの一日分の食料でも膨大な量となる。


 しかし、食料などの物資を運搬する荷駄隊は足が非常に遅い。

 今回の作戦のキモは行軍速度を重視した強行軍である。その同行数はギリギリまで減らす必要が有った。


 ネプルーズの街へ到着する期間として、俺が設定した目標は一ヶ月。

 それを実現させる為、我々がレッドヤードの街を発った時、所持した食料は二ヶ月分と定め、以後の食料は後続隊が運んでくる計画とした。


 但し、この計画は大きな二つの問題点が当初から解っていた。

 まず一つ目の問題は従来通り、後続隊が焦土作戦地帯に潜伏している敵の奇襲部隊に襲われて、大事な補給物資を奪われる可能性だが、これはまず有り得ない。


 何故ならば、誤解されがちだが、敵の奇襲部隊の存在意義は我々をネプルーズ街へ近寄らせない事にこそ有る。

 一種の遅滞戦術であり、我々の打倒を目的としていない以上、その存在意義は我々がネプルーズの街へ到着してしまえば失われ、孤立化と補給路の分断の可能性からネプルーズの街へ撤退するしか手段は無いからだ。

 事実、敵の奇襲部隊と思われる小さな軍勢が封鎖をしていない北の街道を用い、ネプルーズの街へ夜な夜な入場している様子を斥候が何度も目撃している。


 万が一、当初の奇襲作戦にあくまで拘り、焦土作戦地帯に潜伏し続ける者達が存在したとしても問題無い。

 これまでの被害から敵の奇襲部隊は小集団で動き、合流と解散を必要に応じて繰り返しているのが既に判明しており、その総数は五千から一万と推定され、この内の約五千は我々の本隊がネプルーズの街へ到着するまでに打倒済みである。


 それに対して、後続隊の兵力は一万。

 敵の奇襲部隊が全て集結したとしても、こちらが兵力で圧倒的に勝っている。敗走はまず有り得ない。


 ところが、二つ目の問題がここで発生する。

 これがとんでもない難問であり、一時は作戦の棄却もやむなしと議論されたほど。


 前述と重なるが、食料などの物資を運搬する荷駄隊は足が非常に遅い。

 本隊が行軍速度を得る為に荷駄隊を限定した分、後続隊は荷駄隊を増えており、その行軍速度は当然の事ながら本隊より格段に落ちてしまう。


 その為、後続隊がネプルーズの街へ到着するまでにかかる日数は三ヶ月。

 これが最高に早く見積もった数字であり、二ヶ月分の食料しか持っていない本隊との間にどうしても埋められない一ヶ月の差が生まれるのだ。


 この難問を解決する手段は二つ。二ヶ月分の食料を三ヶ月分として扱うか、最初から三ヶ月分の食料を持ってゆくか。

 簡単な二者択一に思えるが、その実はどちらも選べない二律背反な選択肢だから非常に困る。


 前者を選んだ場合、作戦通りにネプルーズの街を強行軍が目指す事が出来る。

 だが、『腹は減っては戦は出来ぬ』である。どんな猛者も飢えたら力は出ず、勝てる戦いも勝てなくなる。


 後者を選んだ場合、食料の心配は完全に無くならないでもほぼ無くなる。

 だが、電撃的と呼べる行軍速度は得られず、ネプルーズの街へ到着するまでの日数が増えるのは勿論の事、荷駄隊を増やす事で隙が大きくなると共に奇襲を受け易くなり、本番を前に兵力を大きく減らしてしまう危険性が有る。


 俺を筆頭とする参謀部の面々はどちらも選べず、会議と議論を重ねるも無駄な時を過ごしてゆくばかり。

 全く新しい第三の選択肢が見つかったのは煮詰まりの苛立ちから気晴らしに狩りへ出かけた時の事。それも参謀部に属さない第三者からの意見だった。


『それなら、ゴブリンやコボルトを狩って、その肉を食べるってのはどうです?

 まあ、最初は抵抗が有るかも知れませんが……。人間、腹が減ってしまえば、案外と何でも食べれるもんです』


 その提案を最初は俺の心を和ませる為の冗談だと思ったが、第三の選択肢を示したタムズさんは本気だった。

 一人、ぶらりと狩りの場から離れて、オークを何処からか狩ってくると、その日の夕食の席で今の俺の様に不味い、不味いと言いながら実際に食べてみせたのである。


 当然、その場に居合わせた誰もが驚き、言葉を暫く失ったが、タムズさんから冒険者時代の苦労話を聞かされ、冒険者の新たな一面を知ると共に納得した。

 冒険者とは好き嫌いや食わず嫌いが有っては勤まらない職業であり、時にはモンスターすらも食べなければならない状況が有る過酷な職業であると。


 曰く、冒険者達の飯の種の一つに古代遺跡の探索が挙げられるが、大抵の古代遺跡は人里を遠く離れた森の奥深くに存在しており、そこへ辿り着くだけでも一苦労らしい。

 一旦、古代遺跡の探索へ向かったら、一週間から二週間は森の中で過ごすのは当たり前。古代遺跡の発見自体を目的とする時は数ヶ月間に渡る場合も有るとか。


 よくよく考えてみると当然だ。

 冒険者が探索する様な古代遺跡が都合の良い場所にある筈が無い。都合の良い場所にあったとしても、それは都合が良いだけにヒトが既に多く訪れており、手垢にまみれた古代遺跡など価値は低い。


 現実は前の世界にあったゲームや物語とは違う。

 その感覚が抜けず、俺は冒険者が探索する様な古代遺跡が街のすぐ近くに存在している様な錯覚を抱いていた。


 それにこの世界の森は基本的にモンスターが支配する領域である。

 モンスターがいつ襲ってくるかが解らない状況の中、最も大事なのはどれだけ素早く動けるかだ。


 俺自身、猟師を営んでいた時、森へ狩りで入る際は所持品を最低限に絞っていた。

 大物を狙い、狩りが数日に及ぶと予想される時は食料を最初の三日分だけを持ち、それ以後の食料は現地調達に頼っていた。


 だったら、それ以上に森で過ごす必要がある冒険者なら尚更だ。

 その際、向こうから探すまでもなく襲ってくるモンスターほど手軽な食材は他に無いだろう。


「まあ、大抵はブルボアとか、マッドピッグの肉だけどね」

「脅かすなよ。それだったら、何処の田舎の村もそうだ」


 ただ、これは冒険者の中でも古代遺跡の探索を行う者達に限定された狭い世界での常識でしかない。

 実際、この常識を俺の知り合いの中で知っていたのは、幼少時代を冒険者相手の酒場で育ったジュリアス一人のみ。


 どうして、全くと言って良いほどに知られていないのか。

 その理由は言うまでもない。タムズさんがオークの肉を食べた時、俺達が見せた驚きっぷりが全てを物語っている。


 今、ジュリアスとの会話に出てきたブルボアやマッドピックの様な動物の上位種と言えるモンスターなら問題は無い。

 その名前で解る様に前者は猪、後者は豚に見た目が近く、それがモンスターだと知っていても口へ入れるのに抵抗は感じない。


 ところが、それがコブリンやコボルトとなったら話は違ってくる。

 まず大前提として、醜悪な見た目が頂けない。その肉自体も血液が紫色っぽい色である為に青みがかっており、煮ても焼いても毒々しくて、口へ入れるのに強い抵抗感をどうしても抱いてしまう。


 もっと言ったら、コブリンやコボルトはヒトと同様に二足歩行である為、分類はモンスターでも定義は亜人とも言える存在。

 どんなに見た目が醜悪でも同族を食している様な禁忌感が拭い去れず、初めての一口目に見た目以上の強い抵抗感を抱かざるを得ない。


 これがきっと世に知られていない一番の理由だ。

 それを食す事情を考えようとしない者から野蛮と謗られる可能性を大きく秘めており、冒険者達は同業者以外へ漏らそうとしないのだろう。


 タムズさんとて、俺がほとほと困り果てていなかったら、この冒険者達の常識を教えようとしなかった筈だ。

 これを『当たり前の常識』と驚く俺達へ念を何度も押していたのが印象強く残っている。


「でも、豚や牛の肉が一緒に有ったら、そっちを食べるだろ?」

「そりゃ、そうだ。味も美味ければ、肉も柔らかいしな」

「うん、だよね。でも、一部の冒険者は違うんだよ。

 今の君の様に不味い、不味いって言いながらも、これを好き好んで食べるんだ。だから、メニューにも列ぶって訳さ」


 また、所詮は代用品でしかない点が挙げられる。

 庶民にとって、肉は贅沢なご馳走に当たるが、決して手の届かない品では無い。

 さすがに毎日は無理としても、週に一度くらいは真っ当に働いてさえいたら口に出来る。わざわざ、不味いモノを選ぶ理由が無い。


 しかし、我々が置かれた今の状況下において、これほど融通が効く食材は他に無い。

 敵の焦土作戦がもたらせた副作用によって、この地はモンスターランド化しており、二万人の腹を満たして有り余るほどのモンスターがそこら中に存在している。


 わざわざ、森へ入る必要も無ければ、探す手間すらも必要としない。

 森の外から石を適当に森へ何度か投げ入れさえしたら、あいつ等は勝手に興奮して襲い掛かってくる。


 一方、こちらは全員が武装した兵士であり、組織的に動く軍隊である。

 落ち着いて戦ったら、ゴブリン、コボルト、オークと言った雑魚モンスターに負ける理由が無い。新兵の丁度良い訓練代わりになってさえもいる。


 もし、オーガの様な手に負えない強敵が現れたとしても問題は無い。

 食料を調達する部隊を率いている指揮官は元一流冒険者のタムズさんである。大抵のモンスターに関する知識を持っており、この点においても負ける理由が無い。

 先日なんて、なんと複数の蛇頭を持つトカゲのモンスター『ヒドラ』を獲物に持って帰り、その超大物を誰もが一目見ようと陣内が騒然となったほど。


 ヒドラと言ったら、性格は獰猛で肉食。

 体長は小さい個体でも牛の二倍は有り、首を持ち上げると人間の頭上を軽く超え、地方災害級に指定されるほどの強さは無いが、強敵のオーガすらも餌としてしまう強さを持つ。

 川辺に住み着いて、その行動範囲を川沿いに広げてゆく為、ヒトの生活圏と重なる事が有り、その実際の出没報告は滅多に無いが、田舎では世代から世代へと言い伝えられている脅威の存在。

 それを『ちょっと手こずりましたな』と言い放ち、数人の軽傷者を出しただけで倒してしまうタムズさんは実に頼もしい。


「なるほど……。癖になる不味さだからな」

「僕は普通に不味いと思うけどね。

 でも、これを悪くないと言えるニートは冒険者に向いているかもね?」

「ああ、タムズから聞かされたよ。冒険者は何でも食べられないと駄目だってね。

 ……と言うか、本当に酷い時は何も食べられなくて、石を飴みたいに舐めて、空腹を誤魔化すんだってな」

「へぇ~~……。それは知らなかったな」


 だが、やはりと言うべきか、誰もがモンスターの肉を最初から受け入れられた訳では無かった。

 特に爵位持ちやその子弟の反発は大きく、『こんな物を食べられるか』と声を大にして喚き散らす者も居たが、それも『腹は減っては戦は出来ぬ』である。


 モンスターの肉を拒否したところで他の食料は無い。一緒に配られている豆のスープだけでは腹は膨れない。

 こちらが『嫌なら食べなくても結構』と強硬姿勢を貫いていると、たったの三日で陥落。文句をぶつくさと零しながらも食べる様になり、今では極々当たり前の様に皆が食している。


 もっとも、食に関して言えば、ヒトはいつの世も挑戦者であり、開拓者だ。

 ソレが食べられるモノと解りさえすれば、見た目が悪かろうが、悪臭を放ってようが、毒を持っていようが構わずに食べる。


 それこそ、腐っているモノですら、味が良いか、ヒトに有益かで腐敗を発酵と呼び変えて、それを平然と食してしまう。

 どんなモノであれ、それを食すか、食さないかは慣れであり、その慣れという常識が広く普及してしまえば、食文化の一言で片付けてしまう。


 それを踏まえて考えると、今回の一件は新しい食文化の夜明けとなり得るのではなかろうか。

 前の世界でも、日本の国民食と言える『カレーライス』が普及した起因は軍隊での食事だと言われている。


 この戦争が終わり、日常が戻ったとしても、二万人も居たらモンスターの肉の不味さが恋しくなる者が現れてもおかしくはない。

 例え、それがたったの一パーセントだったとしても、その一パーセントがインランド王国の各地でモンスターの肉を食べ始めたら、それに続く者がきっと現れるに違いない。


 恐らく、それは悪い事では無いだろう。

 ヒトとモンスターは相容れない。新たな駆除理由となり、新たな食材は新たな料理を生み、今の食文化を進化させてゆく。


 それに雑魚御三家と呼ばれるゴブリン、コボルト、オークは『一匹を見かけたら、三十匹は居ると思え』の格言があるくらい繁殖力が強い。

 農作物が天候不良などで育たず、飢饉に陥りそうな時、モンスターの肉を食べる食文化が根付いていたら飢饉の心配は無くなり、飢饉を理由にした戦争もきっと無くなる筈だ。


「冒険者って、職業を軽く見ていたよ。

 昔、友人から誘われて、一時期は真似事もやってみたけど、その道を選ばないで正解だったな。とても俺に勤まるとは思えないよ」


 そんな事を考えながら、ジュリアスと会話を交わしている内、ふと暫くぶりに懐かしい赤毛の友人を思い出した。

 今、あいつは何処で何をしているのだろうか。半年間を共に歩いた旅の別れ際、冒険者になるか、ミルトン王国で兵士を続けるかで悩んでいたが。


 どちらを選んだにしろ、あいつほどの剣才が有れば、野垂れ死んでいる様な事はまず有るまい。

 叶うのなら再会を果たしたいが、後者を選んでいた場合、俺達は敵味方の関係になる。それを考えたら再会はしない方が良いのかも知れない。


 それにあれだけ大見得を切っておきながら、未だコゼットとの再会を果たしておらず、合わせる顔が無い。

 もしかしたら、生き延びる為とは言え、俺が戦場から逃げたせいで迷惑をかけているかも知れないと言うのに。


 頬張っている肉の苦味がより増した様な気がした。

 同時に満腹感を急に覚えて、食べかけの骨付き肉を焚き火の中へ溜息を漏らしながら放り込む。


「そうかな? 僕は君なら上手くやれると思うけどね?

 でも、一番向いているのはやっぱり軍略家かな? バーランド卿が昨夜も褒めていたよ。

 水は高きより低きへ流れる……。当たり前の事だが、当たり前の事だけにそれを気づきもしなかったとね。

 この僕もその一人さ。最初、水攻めと言われた時、まるでピンと来なかったけど、君の説明を聞いている内に『これなら、勝てる』と確信したよ」

「いや、だって……。あの川とあの城壁、明らかに不自然だろ? それに気づけば、あとは……。」


 それを雰囲気で察したのか、ジュリアスが口調を殊更に明るくして、話題を変えてきた。

 俺の気分が急に沈んだ理由を気になっているだろうに、それを敢えて聞いてこないジュリアスの気配りが嬉しい。

 いつの日か、今の立場を得る為に作った過去ではなく、本当の過去を語れる日が来るのを願う傍ら、その絶賛ぶりの擽ったさに苦笑いを漏らした顔をネプルーズの街の方へと向ける。


 この世界の俺が知っている国々の街や村の造りは前の世界で言うところの西洋式、中華式である。

 その規模によって、腰程度の高さしかない貧弱な木の柵だったり、遥か遠くから見えるほどの高さがある堅固な石の壁だったりするが、敷地の外周をぐるりと壁で囲むのが常識だ。

 どんな僻地の村でも、どんな寒村でも、外壁だけは必ず設置されており、新しい村を立ち上げる際はまず最初に作るのが外壁だと領主になってから教えられた。


 その最大の理由として、モンスターの存在が挙げられる。

 大抵のモンスターは縄張り意識が非常に強く、そこへ入った途端に襲いかかってくるが、逆に他者の縄張りも尊重しており、よっぽどの事情が無い限り、他者のテリトリーを踏み入れないものらしい。


 それ故、外壁は村や街の発展と共に増改築を繰り返しながら大きく広がってゆくのだが、石造りの場合はそう簡単にはいかない。

 インランド王国王都などの巨大な街が立派な石造りの壁で二重も、三重も囲まれているのは、街の中に居を構えられなかった者達が街の外にスラム街を造った後、そのスラム街もまた長い長い年月の末に新たな壁で囲まれていった結果だ。


 そうした街の成長を考えると、前方にあるネプルーズの街は明らかにおかしい。

 東西に伸びている三本の主要街道が全て交わり、北北東にそびえ立つ『大陸の角』とも呼ばれるミシェール巨山から流れる支流を集めた川が東から西へと流れて、街と隣接する小さな湖を利用した水運の最上流の地であり、街が成長するのに必要な立地条件にこれでもかと恵まれているにも関わらず、その規模が小さすぎる。


 ミルトン王国を代表する大都市になってもおかしくはない筈だが、その大きさは小規模と中規模の間くらい。

 街の外にスラム街は見当たらず、外壁は一枚のみ。街としての歴史が無いのかと思いきや、その外壁の表面を見る限りでは数百年の貫禄を持っている矛盾があった。


 そして、この外壁がとてもユニークな形をしている。

 綺麗な五角形のそれぞれの辺に三角形の出城。簡単に言うと、我々が陣取っている南の街道へ向けた星形をしている。


 その形をネプルーズ周辺の地図に描き入れている際、前の世界に存在した函館の『五稜郭』を思い出すと共になるほどと納得した。

 南の街道から見て、星形の真後ろの窪みに湖と港を置いて、残った四つの窪みに街道を繋げると、どの方角へ対しても出城の睨みが効いている。商業と交通の要所だけに守りやすさを重視したのだろうと。


 しかし、外壁の形状の意味は解っても違和感は残る。

 ミルトン王国がネプルーズの街をいつ版図に組み込んだのか。それは解らないが、半世紀以上も前にインランド王国との争いがこの地よりずっと東で始まった事を踏まえると、最低でも五十年以上は昔の話になる。


 半世紀もあったら、街が発展を遂げるのに十分過ぎる時間だ。

 もしかしたら、この旨味が大きい街を巡り、領主貴族同士の奪い合いがあったかも知れないが、平和な期間の方が圧倒的に長い筈であり、こうも発展していないのはやはりおかしいと言わざるを得ない。


 だが、この地を流れている川の姿を合わせて見ると、その答えが自ずと出てくる。

 この立地条件故に発展の限界点が既に達しており、発展を遂げたくても遂げられなかったのだと。


 この地を流れている川は南の街道沿いを進み、ネプルーズの街の手前で北へ大きく湾曲しながら流れは再び西へ緩やかに戻り、北の街道沿いにある川と合流して、街の北西側にある街以上に大きい湖へと繋がる。

 その中の北へ大きく湾曲を開始する場所には人工と思われる直線的な支流が有り、南西の方向へ伸びて、南の街道の南側に広がる森の中から流れる川と合流すると、街の南にある農耕地を潤して、やはり街の西側にある湖と繋がっている。


 つまり、ネプルーズの街の周囲を流れる二つの川が外堀の役割を担い、その堅牢さを更に増しているのだが、俺はここに疑問を感じた。

 川を外堀に見立てるくらいなら、街の西側を湖と隣接させているのだから、この水を城壁沿いに引っ張って、実際の外堀を造った方が街の防御力は今以上にぐんと上がる筈だと。前述にある人工の支流を造るより費用と手間はかかるが、それに見合うだけの価値は十分に有る筈だと。


『どうして、中洲を農耕地にしないんですかね?

 これだけの土地が有ったら、結構な収穫が望めるだろうに……。幾ら、商業中心の街だからと言って、勿体無いと思わないのかな?」


 その答えへと辿り着く手がかりは地図を一緒に描いていたマイルズのこの一言だった。

 俺はネプルーズの街を攻略する手がかりを見つけようと、軍人の視点で街の堅牢さを讃えたが、その堅牢さは結果論に過ぎない。


 この辺りはヒトの目で見ると真っ平らな平地にしか見えないが、その実は違う。

 大きな湖が在るので解る通り、そこを中心とした限りなく平らなすり鉢状の地形となっており、その湖と隣接するネプルーズの街は周囲より低い位置に在る。

 これを前提に改めて考えると、人工の支流は川を分水する事で川の氾濫を予防する役目を持っており、星形の外壁は川が氾濫した際に水が街へ入り込まない様に水の流れを導く工夫であり、農耕地が中洲に作られていないのは川が氾濫した際に畑が流されてしまうからとなる。


 答えが解ってしまえば、あとは簡単だ。

 ネプルーズの街が水害という危険性を潜在的に持っているなら、それをダイナミックに誘発させたら良い。


 運が良い事に川を人工的に分水している地点はネプルーズの街を攻める道中の北に有る。

 ネプルーズの街へ攻勢を仕掛ける傍ら、ゴミをさり気なく川へ捨てるのを繰り返して、最後は攻城兵器などのデカブツで川を完全に堰き止め、あとは上流で密かに溜めた水を一気に放流する。


 これで川は間違いなく氾濫する。本来の想定を超えた水が押し寄せて、街は水に埋まるだろう。

 どれほど埋まり、どれだけ続くかは実際に行ってみなければ解らない。ひょっとしたら、期待より小さな結果になるかも知れないが、街が水に埋まったという事実は兵士達の士気を大きく挫き、地面へ直置きしている食べ物は全てが駄目となる。


 今現在のところ、作戦決行日は来年の春。

 川の勢いが最も増す雪解けを待ってになるが、今年の夏か、秋に大きな台風が来た場合も決行する予定でいた。


 そう、『いた』だ。過去形である。

 なんと、なんと、ネプルーズの街を実際に攻めてみたところ、この練りに、練った作戦など鼻で笑ってしまう様なもっと簡単で大きな勝利の糸口が見つかった。

 それも想定して、作戦の一環に組み込んではあったが、肩透かしを大きく食らった感がどうしても否めない。


 半月前の軍議にて、水攻めの作戦を自信満々にどうだと言わんばかりに説明した自分が恥ずかしい。

 今とて、ジュリアスが俺を褒めているが、褒めれば、褒めるほどに苦笑いと共に先ほどとは違った意味の溜息が漏れる。


「うん、そうだね。勘の良い人なら解るだろうね」

「だろ?」

「でも、その不自然さに普通は気づけない。だから、答えも解らない。やっぱり、君は凄いよ」


 そんな俺を変に思ったのだろう。

 ジュリアスが目をパチパチと瞬き。不思議そうにキョトンとした表情を傾けながら俺を尚も褒め称える。


「それを言うなら、お前も凄いかもな。

 少なくとも、お前の兄貴より……。ジェスター殿下よりもな」

「へっ!? ……僕が? 兄上より? 何が?

 ははは……。何にせよ、無い、無い。絶対に有り得ないよ」


 普段なら、ここで『男の癖に乙女チックな仕草をするな!』と人差し指を突き付けて怒鳴るところだが、その元気が今ばかりは無い。

 乾いた笑い声を短く零してからお返しに褒め返すと、ジュリアスは目を大きく見開いて、一瞬だけ固まった後、俺以上に乾いた笑みを零して、これでもかと深い溜息をついた。


 その反応にちょっと苛立って、片眉がピクリと跳ねる。

 ジュリアスとは無二の親友だが、この第一王女と第二王子に最初から勝てないと勝負を諦めきっている点が気に入らない。

 しかし、そうなってしまった事情を何となく察する事も出来るせいか、乙女乙女した仕草を冗談交じりに怒鳴る様な真似は簡単に出来ないから困る。


 ジュリアスは多才の持ち主で何事にも優秀でソツがない。

 その反面、コレと言う尖った部分が無い。器用貧乏であり、どの方面の才能も一流止まり。


 それに対して、第一王女は政治力と陰謀力に、第二王子は武才と軍才に長けており、一流を超える超一流の才能を持つ。

 総合的に見たら、バランス型のジュリアスに軍配は上がるが、国家単位で見たら一流は他に代わりとなる者が居ても、超一流は他に代わりとなる者が居ない。


 世の中、結果が全てだ。努力を褒めるのは慰めでしかない。

 超一流の才能の前に一流の才能は霞み、スペシャリストな第一王女と第二王子が褒め称えられ、ジュリアスが子供の頃からずっと比較され続けてきたのは想像に難くない。


 前の世界でも、この世界でも、一人っ子な俺に最も身近な兄弟と比べられる苦しみは解らない。

 だが、第一王女に、第二王子に少しでも近づこうとする日々の切磋琢磨ぶりからジュリアスの悔しさは感じ取れる。


 表情を素に戻して、ジュリアスを真っ直ぐにじっと無言で見つめる。

 一拍の間の後、ジュリアスはうっかりと漏れてしまった失言に遅まきながら気付いて、虚ろになりかけていた目を大きく見開かせると、俺との視線を改めて合わせた後、すぐさまバツが悪そうな表情で下唇を噛みながら視線を伏した。


 その様子を眺めて、立て続けに三度目となる溜息をまた違った理由で漏らす。

 王族である上に複雑な環境で育った為か、ジュリアスは心の内を人前で曝け出す事はまず無い。


 この方面に関しては特にだ。

 それを俺の前では曝け出してくれる嬉しさはあるが、ジュリアスは一旦でもこうなってしまうと今度は完全なノーガード状態にスイッチして、誰の目にも明らかに落ち込み、それが長引く事が多いから面倒臭くもある。


 ご存知の通り、今は戦争の真っ只中。旗頭が落ち込んでいたら全体の士気に大きく影響する。

 それにゼベクさんやジェックスさん、バーランド卿と言ったジュリアスの周囲に居る面々が心配して、俺へ何とかしろと言ってくるのも目に見えている。

 今、告げたジュリアスが第二王子より勝っている点に関して、本当はジュリアス自身に探して貰う思惑だったが、こうなっては仕方が無い。ちょっと丁寧に語ってやろう。


「だったら、教えてやるよ。あの街を攻略する上で最大の難関は、あの特殊な形をした城壁じゃない。

 ベルサス・ナ・ヴィニア・ブラックバーン公爵、敵の総司令官だ。

 おっさんが何度も口を酸っぱくして言っていたよ。絶対に正面から同数の兵力でぶつかるな。あの若造が率いる兵は実際の五割増しで数えろ、とな」


 そもそも籠城戦とは言えども、俺が最初から一年がかりの気長で慎重な作戦『水攻め』を考えた最大の理由がこれだ。

 自国ばかりか、他国にすら武名を縦に轟かせるおっさんの強い忠告が有ったからこそであり、俺はジュリアスと共に戦うと決めた時から、ティラミスとの新婚旅行の最中さえも俺達の前に必ず立ち塞がるだろう『ベルサス・ナ・ヴィニア・ブラックバーン公爵』に関する情報を集めていた。


 その結果、解った事と言えば、ブラックバーン公爵はミルトン王国の紛れも無い英雄だと言う事だ。

 嘗て、インランド王国とミルトン王国の間にあった国境を守ってきたのは彼だと言っても過言でない。人生の半分をオーガスタ要塞で過ごしており、国民からは『常勝元帥』の二つ名で親しみ呼ばれて、その二つ名通りに敗走が一度も無い。

 おっさんと義父の二人が組んで戦っても勝利をもぎ取れず、痛み分けに終わっているばかりか、おっさんはブラックバーン公爵が率いた軍勢に息子の命を二度も奪われている。


 過去の戦歴を見る限り、ブラックバーン公爵個人の武はそう高くなさそうだが、指揮能力と戦術眼が抜群に良い。

 おっさんの忠告に誇張は入っておらず、数の劣勢を神がかり的な采配で何度も覆している。とある野戦に至っては六千の兵力で一万五千の敵兵力を敗走させている実績さえもある。


 しかし、付け入る隙もちゃんと存在する。

 ブラックバーン公爵は戦略眼に乏しく、それが理由で勝利を重ねながらもインランド王国への侵略を何度も失敗している。


 なら、日々の小さな戦いに拘る必要は無い。

 遠い先を見据えて、勝ちを最後の一戦で得たら、こちらの勝利となる勝負を挑めば良い。そう考えた策の内の一つが『水攻め』だった。


「だから、お前は運に良い。第二王子より遥かにな。

 ……と言うのも、その理由までは解らなかったが、そのブラックバーン公爵が今は居ないらしい」

「えっ!?」


 だが、どんなモノも一切合切に覆す要素が『運』だ。

 その要素を事前の努力と用意である程度は薄められるが、これを持っている者がやはり一番強い。


 その『運』の持ち主で言うと、ジュリアスほどの『強運』な持ち主はまず他に居ない。

 今の状況下は正に極めつけ。敵の総司令官が大事な時に大事な持ち場を離れているなんて、こんな都合の良い展開は普通なら考えられない。


「この大事な時に王都へ出かけているっぽくてな。

 今、あの街で指揮を執っているのは、ええっと……。名前は何だったっかな? とにかく、ブラックバーン公爵じゃないのは確かだ」

「そうなの?」


 ジュリアスが伏せていた視線を弾かれた様に勢い良く上げて、驚きを言い放ったままに口をポカーンと開け放つ。

 見開ききった目で瞬きを何度もパチパチと繰り返してさえもおり、今さっきまでの落ち込みは何だったのかと失笑を誘う見事な反応だが、至極当然の反応に違いない。


 今や、インランド王国南方領を統括するオータク侯爵家の執政に就いた俺をヒトは運が良いと言う。

 俺自身、それを感じてはいるが、ジュリアスの強運には勝てない。多分、それに俺はトーリノ関門を奪還する際に一生分の運を使い果たしており、その後の幸運はきっとジュリアスにあやかったものだろう。


 それをおっさんは俺とジュリアスの二人で合さったモノだと言い張り、俺達をとても良いコンビだとも語る。

 その証拠として、俺とジュリアスが出会う以前と出会ってからの不遇と幸運を比較されて、ちょっと納得してしまったが。


 ちなみに、それ等を語り合ったのはティラミスとの婚約を正式に交わす時の事だ。

 俺には懸念があった。その頃の俺は次期王位争奪戦に関わる覚悟をまだ持てずにいたが、俺とジュリアスが親友の関係にあるのは周知の事実であり、婚約を結んでしまったら、オータク侯爵家は第三王子派の派閥と必然的に見なされてしまう事について。


 当時、おっさんは次期王位争奪戦に関心をこれっぽっちも持っておらず、どの派閥にも属していなかった。

 強いて言うなら、国王派である為、誰も派閥を作ろうとしない王太子派と呼ぶべきだが、世間からは中立派と見なされており、第一王女派と第二王子派からは頻りに誘いがあったらしい。


 当然だろう。当時の趨勢を考えたら、おっさんがどちらの派閥に属するかで勝負が決まった様なものだった。

 それくらいおっさんの影響力は大きい。おっさん自身、現国王の信頼が厚い寵臣で他国にも轟く武名を持ちながら、オータク侯爵家は建国以来の武門の名家で歴代の王より大きな特権を許されており、家臣でありながら小国並の力を持っているのだから。


 その事実を考えると、おっさんの心はどうあれ、オータク侯爵家当主として、中立派を図らずとも選んでいたのは最も賢い選択と言える。

 それだけの権威が有れば、誰が次代の王位に就いたとしても政権安定の為にオータク侯爵家の力を頼るしか無い。最低でも現状維持の安泰は確実である。


 しかし、いずれかの派閥に属して、王位争奪戦に負けたら、報復人事がここぞと待っている。

 南方領総括の立場は確実に剥奪されて、ある程度の領地を切り取られるか、僻地への領地替えを強要されるに違いない。


 それだけにオータク侯爵家ほどの家が派閥に属するとなったら、絶対に勝たなければならない。

 それを考えると最も劣勢な第三王子派という選択肢は絶対に有り得ず、おっさんの影響力を以ってしても第三王子派を勝利に導くのは難しい。

 だからと言って、俺はジュリアスとの仲を改める気はさらさら無かった。初めて得た本当の親友と呼べる存在を捨てる事なんて、とても出来なかった。


『むしろ、儂はお前がジュリアス殿下を見捨てる様なら見下げ果てていた。

 家も大事だが、戦友はもっと大事なものだ。お前がそうと決めたのなら、その道を行けば良い。それに……。』


 ところが、おっさんはこう応えると、俺とジュリアスの運についてを語り、どんな結果になろうと悪い様にはきっとならないだろうとも語った。

 おっさんの俺へ対する買いかぶりはいつもの事だが、ジュリアスに関しては同意見だった。ジュリアスと一緒に居ると、危機に瀕しても『まあ、こいつとなら何とかなるだろう』という漠然とした説明が付かない安心感を抱く事が多く、実際に何とかなる事が多い。


 今回の戦いも正にそうだ。

 敵は強大だと教えられたが、負ける気はちっともせず、いざ蓋を開けてみたら、その強敵すら居なかった。


 その理由や比較として並べられる条件は関係ない。

 結果が全てであり、この強運こそがジュリアスの第二王子より大きく上回っている点だ。


「ああ……。あれだけ挑発しているのに攻撃を全く仕掛けてこないのはさすがにおかしい。

 やっぱり、何か有るに違いないと考えて、ニャントー達を夜襲の裏で潜入させてみたら案の定だ。

 まあ、もっとも……。総司令官が不在ってのはさすがに予想外だったけどな。

 あと敵の練度がかなり低いってのも解った。

 ニャントー達が言ってたよ。潜入するのがえらく簡単で変だと思ったら、潜入した街の裏側を見張っているのは年寄りと少年ばかりだったってな」


 今、行われている籠城戦が何処か妙だと軍議の場で挙がったのは開戦から三日目の事だった。

 発言者は全体の指揮を執っているジェックスさんであり、敵は我々を追っ払っているだけで打倒しようという必死さがあまり感じられず、こちらが策を用意している様にあちらも策を用意している最中であり、その為の時間稼ぎを行っているのではないだろうかと訴えてきた。


 それに対して、俺はまず有り得ないと応えた。

 前述にも有るが、ブラックバーン公爵は類稀な指揮能力と戦術眼を持っているが、戦略眼は持っておらず、策を講じるタイプではないからだ。


 だが、敵の守りは実際に固すぎた。

 ジェックスさんが敢えて攻勢の中に隙を何度か作っているにも関わらず、敵は城壁の上から矢を降らすのみ。門を頑なに閉じてまま、こちらへ食いついてくる気配を一度も見せなかったのである。


 これが一ヶ月、二ヶ月と経った後でならまだ解るが、士気が高くて、物資も豊富に有る緒戦でこれは明らかにおかしい。

 籠城戦は緒戦の優劣が大事であり、その後の士気に大きな影響を及ぼす。普通なら、少しくらいの無理をしてでも勝ちを拾いにゆくもの。


 それが有るからこそ、こちらは本命の『水攻め』はまだ仕込み段階で無駄の消耗と解っていながらも二万人による全軍の攻勢を仕掛けている。

 ブラックバーン公爵とて、城門を開いて打って出てこそ、自分の持ち味を存分に生かす事が出来る。


 しかし、その大事な緒戦を放棄して、敵は最初から引き分けに持ち込んできた。

 どう考えても、それはこちらこそが願っている消耗を避けた時間稼ぎとしか思えず、何らかの策が有る様にしか見えなかった。


 それと言うのも、今まで我々を苦しめてきた焦土作戦。その立案者が誰なのかという点が前々から引っかかっていた。

 焦土作戦は敵ながら見事と言うしかない大胆な策であり、ブラックバーン公爵の名の下に実行されているが、本当の立案者は別の誰かだと俺は考えている。


 その理由は簡単だ。焦土作戦は即時的な戦術に非ず、十年先を見越して図る年単位の戦略である。

 何度も挙げているが前述の通り、ブラックバーン公爵が戦略眼に乏しい以上、それを立案したのは必然的に俺の知らない誰かとなるからだ。


 この誰かが気になり、慌てて俺は警戒心を強めた。

 もし、この誰かがブラックバーン公爵の隣に今も居るなら、策の可能性は十分にあり、その存在をまずは確認しなければならなかった。


 相手が策士であるなら、ある意味でやり方は簡単だ。

 策士の末席に座る自分がやられたら、嫌な事、困る事、頭にくる事をやれば良い。


 早速、翌日から作戦を変更して、籠城戦における攻撃側の基本中の基本とも言える作戦を開始。

 矢が城壁から届かない安全な位置まで進軍して、敵をこれでもかと挑発して煽り、敵が出てきたら即時撤退をする。名付けて、『ピンポンダッシュ作戦』である。


 結果として、作戦開始から今日で十日目。我々に対して、敵は門を一度も開いていない。

 これは明らかに異常である。ブラックバーン公爵の隣に策士が居り、その人物が何らかの策を秘めているか、門を開けられない事情が有るか、そのどちらかしか考えられない。


 なにせ、敵の怒りを煽るのに罵倒は当然として、真っ昼間から敵の様子を肴に本気の宴会を開いて盛り上がってさえもいる。

 昨日に至っては俺を始めとする千人が横一列に真っ裸となって列び、尻をふりふりと振って、アソコをぶらぶらと揺らしたラインダンスまで行っている。


 勿論、夜討ち朝駆けも不定期に実施済み。

 敵の誰もが睡眠不足を加えて苛立ち、ストレスはマックスの怒り心頭になっているのは想像に難くない。


 何らかの策を秘めているか、門を開けられない事情が有るか、そのどちらかの理由を知っている敵の上層部は問題無い。

 問題となるのは、それを知らされていない下の者達だ。ストレスを発散させる場を作らず、ひたすらに耐える事だけを強いていたら、我々へ対する不満は敵の上層部にも及んで広がってゆく。


「そう……。やっぱり、敵も苦しいんだね」

「……だな」

「それでどうするの? その裏側から攻めるの?」

「いや、攻めない。それよりも、ひょっとしたら芽吹くかも知れないと思っていた策が大輪を咲かせた様だ。

 どう転ぶかはまだまだ解らないが……。この戦い、もしかすると誰もがあっと驚くほどに呆気無く終わるかも知れないぞ?」


 今、ネプルーズの街を守っている司令官は選択を誤った。

 我々の進軍が想定外に速すぎて焦ったのか、ブラックバーン公爵の留守を預かる重圧から慎重になり過ぎたのか。それとも、その両方か。

 兵力の消耗を過度に恐れた結果、我々に不審を抱かれた上に手の内を探られ、ブラックバーン公爵が不在という最も秘するべき札を晒されてしまっている。


 挙げ句の果て、街に潜入してきたニャントー達によって、ネプルーズの街を攻略する大きな手がかりさえも掴まれている。

 ブラックバーン公爵がネプルーズの街へいつ帰ってくるかは解らないが、それまでにネプルーズの街があっさりと落ちる可能性が大いに出てきた。


「えっ!? 何? 何? 水攻め以外に仕掛けていた策が何か有るの?」

「はっはっはっ! 残念ながら、お前には教えられないな」


 それを告げた途端、ジュリアスは伏していた視線を勢い良く上げて、その目をキラキラと輝かせ始めた。

 いつもながら策略や作戦の事になると見事な食い付きっぷり。正に泣いたカラスがもう笑ったであり、こちらも可笑しくなって思わず声を上げて笑う。


「えーーっ!? どうしてさ!」

「敵を欺くにはまず味方からってね。お前の場合、それを知ったら絶対に無茶をするから駄目だ」

「むぅ~~……。」


 だが、望み通りにならないからと言って、二十歳を過ぎた男が上目遣いに唇を尖らせるのは頂けない。

 最近はジュリアスのこうした乙女チックな仕草を見る度、こいつの将来が心配になってくる。


 とにかく、ジュリアスは可愛い。

 顔が女顔なら声も女声。幾ら食べても太らない細身な身体つきをしており、その仕草も乙女チックなモノが多い。

 何処からどう見ても、薄い胸だけが欠点の十代後半の美少女にしか見えない。


 しかし、しかしだ。果たして、そんな美少女の元へ嫁ぎたいと考える女性が居るだろうか。

 第一王子も、第一王女も、第二王子も十代の前半で婚約を交わして、いずれも十代の内に結婚しているが、二十歳を超えていながらジュリアスの元へは婚約者の『こ』の字も聞こえてこないのは、これが大きな原因ではなかろうか。


 俺達、第三王子派にとって、ジュリアスの結婚は今後の行方を左右する重大な案件なのは言うまでもない。

 つい先日も軍議が終わった後、ジュリアスを抜きにして、第三王子派の上層部が集まり、この件に関してとジュリアスの嫁に誰が相応しいかを真剣に長時間を費やして討論したが、答えはいつもと同じで出なかった。


「それより、さっさと飯を食べるぞ。敵にその気が無くても、こっちはいつも通りにやるだけだからな」

「じゃあさ、素朴な疑問なんだけど……。今、やってる『ピンポンダッシュ作戦』のピンポンダッシュって、どういう意味なの?」

「ああ、それなら……。」


 そんな苦労を俺達が抱えているとも知らず、ジュリアスは立てた右の人差し指を顎へ当てながら小首を傾げ、またしても乙女チックな仕草。

 たまらず声を大にして怒鳴りたいところだったが、今さっきの落ち込みも有り、出撃前に機嫌を変に損ねられては困る為、ここはぐっと我慢して堪えた。




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