ある五月の第二日曜日の出来事
書籍版『無色騎士の英雄譚』から此方へ訪れた皆様へ。
一部の固有名詞が書籍版となろう掲載版では違います。
例)書籍版:アルビオン王国 > なろう掲載版:インランド王国
その辺りを脳内変換してお楽しみ下さい。
「はぁ~~……。」
唯一の財産と言える軽自動車のドアを閉めて、溜息を深々と漏らす。
最近、ローギアでの加速が鈍い。気のせいか、エンジン音も少し五月蠅くなった様な気がする。
もしかして、故障でもしたのだろうか。
もし、そうだとするなら、再来月に迫っている車検代が怖い。
もっとも、情けない話。その費用を出すのは俺ではない。
俺は俗に言うニート。それも今年で四年目を重ね、貯金はとうの昔に尽きている。
さて、突然ではあるが問題を一つ。
親のスネどころか、骨まで噛じった上にしゃぶってまでいる厚顔無恥なニートでさえ、どうしても家に居づらい日がある。それはいつか。
『月曜日』と答えた諸君。君は一般人か、まだ学生か、或いはニート超初心者だ。
学生なら何でもチャレンジして、一生懸命に頑張れ。社会人なら今の職を最後の最後まで手放そうとするな。
ニートなら諦めるな。まだお前はニートではなく、ただの無職に過ぎない。
国が定める雇用保険は優れた制度だが、学生以来の長期休暇に浸ってはいけない。雇用保険が支給されている内に何が何でも再就職をしろ。
『誕生日』と答えたお前はニート初心者だ。
年齢を無駄に重ねている現実を恥じている内はまだ間に合う。今すぐ、求人雑誌を買ってこい。
今の不況の世の中、給料は少ないところばかりだが、プライドは捨てろ。面接に落ちても気に病まず、自分を採用しなかった企業の愚行を笑ってやれ。
『母の日』と答えたお前は俺と同じニート中級者だ。
それが間近に迫ると、テレビが、ネットが、コンビニが、スーパーが、デパートが俺達を責め立ててくる。
格好の話題として特集を組み、定番のプレゼント『カーネーション』が店頭に大々的に列び、大の大人がこの程度のプレゼントも買えないのかと情けなさを思い知らせてくる。
例え、買ったとしても貯金が尽きた今、そのお金は何処から来たと言ったら、母親の財布からだ。
子供ならまだしも、それをプレゼントと呼んで良いものなのか。まだ手作りの肩たたき券を渡した方がマシな気がする。
当日ともなったら、気まずさはマックスに達する。
だから、今朝は朝食を食べた後、日課のネットサイトを軽く巡って、すぐに家を出た。
しかし、財布の中身を改めて覗いてみれば、野口さんが一人と小銭が数枚。
夕食は要らないと言い残してきた為、二食分の食費を考えたら無駄使いは一円たりとも出来ない。夜までどう過ごしたら良いやら。
そう言えば、子供の頃に読んだ伝記の野口英夫も母親思いだった様な気がするのを思い出して、ますます鬱になる。
余談だが、ニート上級者とニート神の答えは知らない。
さすがの俺もそこまでは至っていないし、そこまで至ろうとも思っていない。
ニートがニートと呼ばれなくなる三十五歳。
あと二年とちょっと、その年齢までには何とかしたいと考えている。
「あーーー……。五月蠅い」
そんな事を考えながら自動ドアを通過すると、俺の悩みなど吹き飛ばすほどの喧しさが襲ってきた。
思わず立ち止まって、辺りをキョロキョロと見渡すが、俺の事を気にする者など一人も居ない。全員が全員、自分の目の前の出来事に集中している。
ここは老若男女が集い、絵柄や数字が揃うのを一喜一憂して、天国と地獄を味わえる紳士の社交場『パチンコ店』である。
但し、ここへ来た目的は遊びでは無い。その昔、俺がまだ社畜だった頃、先輩から誘われて、初挑戦で大勝ちをして以来、足繁く通ったものだが、今はとっくに足を洗っているし、それ以前に遊ぶ金が無い。
なにしろ、ここはたったの五分と保たずに野口さん一人が消えてしまう恐ろしい世界だ。
最近は不況の世の中に合わせて、低価格レートの遊戯台も存在するが、それも三十分と保たない。
当たったら或いはという甘すぎる夢を見ない。
前述にもあるが、俺の野口さんは今日の昼飯代と夕飯代であり、これが無くなったら家へ帰るしかなくなる。
だったら、こんな場所に来たのは何故か。
その理由は休憩室に有る。全てのパチンコ店に存在する訳ではないが、この店の休憩室はサービスが特に素晴らしいものがある。
防音処理が施されて、店内の騒音は聞こえず、リクライニングチェアーとマッサージチェアーがそれぞれ五つ。
小さな漫画喫茶と言えるほどに週刊誌やコミックが書棚にずらりと列び、お茶やコーヒー、紅茶が飲み放題ときている。
それこそ、某交番警察官の長寿漫画が全巻揃っているくらいの充実っぷり。
今日は某元ヤンキーサラリーマン成り上がり漫画を全巻読破する予定でいる。
そう、ここは断固たる無欲の境地を持ち、店員の白い目を無視さえしたら、暇潰しにはもってこいの場所なのである。
店の隣が有名チェーン店の牛丼屋なところもオススメの理由の一つだ。
「ふぁっ!?」
だが、その道中、客が疎らなパチスロコーナーを歩いている最中だった。
何気ない視線の中、それが目に飛び込み、その前を一旦は通り過ぎるが、驚きのあまり変な声を出して、即座に一歩、二歩、三歩と素早く後退るのは。
幸いにして、店内の煩さが俺の声をかき消してくれた様だ。
誰も俺の奇行に気づいておらず、問題のパチスロ機の前に立って、誰かに聞かれる筈も無いのに思わず口を右手で塞ぎながら呟き、生唾をゴクリと飲み込む。
「こ、これ……。あ、当たってね?」
一応、名目上は違うが、お金がかかっている為だろう。パチンコ機、パチスロ機とは実に儚いものである。
客が付かない人気が無い機種、または人気が離れた機種はすぐに店から撤去され、各業者から一年間に百機種以上のパチンコ機、パチスロ機が発表されるが、一年後も残っている機種はそう多くない。
逆に言うと、人気が有りさえすれば、ずっと残り続ける。
目の前のパチスロ機がそれだ。技術の進歩と共に演出が複雑化、派手化してゆく中、昔ながらのドラムロールと音楽、ランプのみのシンプルさで根強い人気が有り、パチスロ機のルール自体が変わっても、それに合わせた後継機が作り続けられている。
こういった後継機は演出も前作から継承しているのが常だ。
業者も下手に弄って、人気が落ちるのを恐れて、新たしい部分を加えながらも大事な部分は絶対に変えようとしない。
だから、昔取った杵柄とでも言うか。
目の前のパチスロ機が置いてあったら、目が自然と行く場所が有る。
それがドラムロール左下の『GOGO!』ランプである。
このランプは当たりが内部的に確定している状況を示しており、次のゲームで大当たりか、小当りを引ける合図を意味している。
クレジットを確かめると、二つのゼロが列び、クレジットは入っていない状態。
パチスロ機からコインが吐き出される下皿にもコインは一枚も置かれておらず、台の確保を意味する煙草の箱やライターなども置かれていない。
つまり、目の前の台は誰も遊んでおらず、当たりが何らかの理由で放棄されたという事になる。
改めて、通路の左右をキョロキョロと見渡せば、このパチスロコーナーに居る客は二人。左は四台先に、右は六台先に居るが自分の遊戯に夢中でこちらへ視線すら向けない。
中央の通路に立っている店員の様子を最後に伺うと、何やら意味深にニヤニヤと笑っている。
それは恰も『見つけちゃいましたね? おめでとうございます』と言っている様だった。
「い、良いんだよな?」
躊躇いながらも椅子に座り、なけなしの野口さんを震える左手で戦場へと投入する。
久々のパチスロである。まずは三分間ほど備え付けの遊戯説明カードをじっくりと眺めて、掲載されているドラムリール表を目に焼き付ける。
「ふぅぅぅぅぅ~~~~~~……。」
心臓が痛いくらいにドキドキと高鳴っていた。
気持ちを落ち着ける為、大きく深呼吸をするが、その吐き出した息さえも震えている。
最後の決意に頷いて、レバーを叩く。
ドラムロールがくるくると回り、脳内に焼き付けたドラムロールと次第に一致してゆく。
「7、7……。7っ!?」
そして、ドラムロールに『7』が三つ揃うと共に流れる軽快な音楽。興奮と喜びは最高潮に達した。
この店の換金率はとう忘れたが、これで野口さんが五人に増えたのは間違いない。
ところが、ところがである。俺の興奮も、喜びもまだ終わりでは無かった。
これでかーちゃんにカーネーションとケーキを買って帰れる。そう考えながら至福のボーナスゲームを終えて、席を立とうとした次の瞬間だった。
「えっ!? ……ええっ!?」
またもや、『GOGO!』の演出ランプが輝き、思わず我が目を疑うと共にケツが椅子から浮いた。
******
「むふふっ……。」
幸せを感じながら外灯に照らされたパチンコ店の広い駐車場を歩く。
顔が堪えきれずに緩み、笑みが自然と零れる。幸せのあまり大声で歌って、スキップを踏みたいくらいの気分だった。
今、俺の財布には福沢様がなんと二十三人。
二回目の大当たり後も大当たりラッシュが続いて、その後は少し沈むが大当たりを再び引いて、大当たり街道を爆走まっしぐら。
昼飯も、夕飯も食べず、トイレへ立つ時間すら惜しいくらいに打ち続けて、気付いてみたら閉店時間だった。当たりはまだ続いていたが、規則は規則。名残惜しいが、その時点で終了となった。
福沢様がこれだけ居たら、カーネーションどころの騒ぎじゃない。最新型の洗濯機が余裕で買える。
最近、我が家の洗濯機は洗濯槽の共振音がグワン、グワンと近所迷惑な騒音レベルで酷くて、夜間は絶対に使えない代物になっていた。
とーちゃんとかーちゃんは『まだまだ使えるから』と言って笑うが、俺は密かに知っている。電気店の安売り広告チラシが新聞の折り込みに入ってくる度、もう二年近くも洗濯機を買い換えようかと悩んでいるのを。
それなら、母の日のプレゼントに買ってあげようじゃないか。
だが、今の時刻は十一時ちょい前。当然ではあるが、電気店はもう閉まっている為、今日はさすがに買えない。
だから、明日はとーちゃんとかーちゃんを誘って、洗濯機を買いに近くの大型電気店へ行こう。
その帰りの夕飯は寿司に決定だ。最近、寿司と言ったら、スーパーのパック寿司だが、明日は子供の頃に連れて行って貰った寿司屋へ行き、思う存分に食べて貰う。
パチスロで得たお金だけにあまり誇れないが、とーちゃんも、かーちゃんも、きっと驚くに違いない。その顔が今から楽しみで仕方がない。
「くっくっくっ……。」
洗濯機と寿司、その二つに散財しても福沢様はまだまだ残るだろう。
所詮はあぶく銭だ。こういうお金はちびちびと使うより、大きくドカンと使った方が後悔は少ない。
何を買おうか、実に悩む。
普段は欲しい物を色々と考えるが、いざ買えるとなったら迷う。
やはり、新しいパソコンだろうか。
最近、起動がすっかりと遅くなって、苛立つ事が多い。
それとも、最新型のスマフォか。
通話とメールだけしか使わない俺は今持っているガラケーで十分だが、最近はスマフォ専用のゲームが気になる。
それとも、それとも、今遊んでいるネットゲームに重課金をするか。
常々、無課金主義の崇高さを訴えている俺だが、本音は俺もレアが欲しくて堪らない。俺ツエーがしてみたい。
なんと幸せで贅沢な悩みだろうか。
この時がいつまでも続けば良いのにと思いながら、駐車場の隅に置かれた自分の車に辿り着き、ズボンのポケットから車の鍵を取り出して、キーレスエントリーのボタンを押したその時だった。
「んっ!? ……あぐっ!?」
突然、駆け足の音が背後から聞こえ、反射的に振り返ろうと思ったら、背中を固い棒の様なモノで殴られた。
その痛さと衝撃に蹌踉めき、車を支えに踏ん張ろうとするが、自分の足がまるで他人の足の様に言う事を聞かない。
「うがっ!?」
片膝を突いて、倒れるのを堪えていると、今度は脳天に強烈な一撃を喰らった。
視界が揺れまくり、片膝を突いている体勢すら維持が出来ず、その場に崩れ落ちる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
「な、何を……。」
誰かの荒い息遣いが頭上で聞こえる。
ぼやける視界で見あげると、駐車場の眩しいライトの逆光を背負う男が居り、その顔に見覚えがあった。
今、出てきたパチンコ店へ夕方頃に現れ、俺の五つ左隣の席に座っていた若い男で間違いない。
席は離れていたが、台を苛立ち気に何度も叩いて悪態をついていた為、記憶に印象強く残っている。
「うるせぇ~よ! 昨日と今日で十六万だぞ! 十六万!
おかしいだろ! 普通、これだけ使ったら、一回くらいは当たりが来るだろうが!
その癖、てめぇは簡単に当てやがってよ! 店とグルなんだろ! 店に甘いもんでも渡してんのか!」
「ち、違っ……。ぐぐぅっ!?」
どうやら、唾を飛ばしながら怒鳴っている内容から察するに男は俺とは正反対に随分と負け込んだらしい。
その不満が限界を超えて、大勝した俺に八つ当たりと言ったところか。理不尽にも程があった。
だが、それが解ったところで今の俺に成す術は無かった。
反論をちょっと口にした途端、男は更にいきり立って、殴る蹴るの暴行。今の俺に出来る事と言ったら、せいぜい頭を抱えながら身体を丸くする事だけだった。
「おら、俺の金を返せ! さっさと寄こせって言ってるんだよ!」
「や、止めろ……。うぐっ!?」
「うるせぇ! 遠隔なんだろ! こっちは知ってんだよ!」
挙げ句の果て、俺がせっかく掴んだ幸運を奪い取ろうと、男は財布が入っている右の尻ポケットに手を伸ばしてきた。
慌てて財布を守ろうとポケットを右手で押さえるが、それがまずかった。ガードがガラ空きになった頭へ棒が振り下ろされ、目が飛び出そうな痛みと共に熱いモノが額から溢れ出てくる。
今更ながら気付く。
先ほどから俺を殴っている棒は木でもなければ、プラスチックでもない。
それはどう考えても鉄の固さであり、鉄の棒を人の頭に躊躇いもなく振り下ろせる人間が居るなんて、とても信じられなかった。
恐怖のあまり股間が生暖かくなってゆく。
最早、抵抗する気力を完全に失い、されるがままに任す。
「何だよ、これ! やっぱり、おかしいだろ!
どうして……。ちっ! まあ、良い! 幾らかは知らねぇ~が利子も貰ってゆくからな!」
打ち据えられて、全身が痛かった。熱かった。
財布も奪われてしまい、小銭を除いた中身を全て抜かれ、財布が投げ返される。
仕打ちが理不尽なら、捨て台詞まで理不尽であり、何かを一言くらい怒鳴ってやりたかったが、意識が朦朧として、頭も回らなければ、口も回らない。
「おい! 何をやっている!」
「誰か! 警察だ! 警察を呼べ!」
「ちっ……。じゃあな! 次、この辺りでまた見かけたら承知しねぇ~からな!」
その後、どうなったのかは解らない。
瞼が急速に重くなってゆき、つい先ほどまでは痛くて、痛くて堪らなかった全身の痛みが不思議と消えていた。
不意に次々と浮かんでは消えてゆく過去の記憶。
自分自身ですら忘れていたソレが克明に蘇ってゆき、懐かしさを感じる。
「……か、かーちゃん」
最後に浮かんだのは『お前はやれば出来る子だから』と俺を慰める時のかーちゃんの苦笑だった。
それもよりにもよって、高校一年の冬、赤点を取ってしまい、初めて挫折を知って落ち込んだ時のものだった。
「こいつは酷い……。救急車だ! 救急車も呼べ!」
「えっ!? コンビニが何ですか? しっかりして下さい!」
うん、頑張るよ。黙っていたけど、実は来月からコンビニのバイトが決まったんだ。
この歳でコンビニのバイトはちょっと恥ずかしいから、地元の連中と会わない様に少し離れた場所だけど……。
うん……。今度こそ、頑張るよ。俺……。
2014/12/01 初掲載
2017/07/29 全文改稿