56.「まいった」
本人を目の前に「こんなのでも人間だから」と言うのはかなり失礼になるのではないか。少し不安になってがガマガエルを見たが、目の焦点は遠く、どこか違うところを見たままだった。
対するイサナは、かなり真剣な顔をしていた。こんな顔をしている人を良く知っている。林間学校で朝まで説教した教師と同じ顔だ。本気で心配しているのだろうというのは伝わってくるが、その心配が見当違いだと言うことを伝えなくてはいけない。
勤めて明るく、なるべく冗談っぽくして。そんなことがあるわけがない、と言うことが大切だ。
「もしかして、俺が人間を食べると思って無いか?」
「……ちがうんですか?」
首をかしげて疑っている顔だ、少しだけ傷ついた。後ろに下がっていたシータを見ると、こちらも真剣な顔で俺が嘘をついていないか脚を震わせながら見極めようとしていた。
軽く溜息をつく。
「いくら何でも、人間を食べるわけ無いだろう。考えるまでも無く」
「そ、そうですよね。いくらシンタさんでも。無いですよね……無いですよね?」
「だよね、食べるわけ、無いよね? 無いよね?」
二人して確認するように視線を合わせて2回聞いてきた。どれだけ信用が無いんだ。
「当たり前だ。人間なんか食べない」
「ですよね。そりゃ、そうですよね。いくら何でも、食べませんよね!」
「ああ、あんな不味いものを食べる奴の気がしれない」
「……」
「……」
正面にいるイサナは真っ青な顔で全身をガクガクと震わせた。「あ……あぁ……」と細い声が漏れ出ている。
「ひぁぁぁぁぁ」
後ろにいたシータが変な声を出した。見ると、ガクガクと震えた足元がしゃーっと盛大な勢いで濡れだしている。
えらいことになってしまった。
慣れないことはするものじゃない、たまに冗談を言えばこれだ。金輪際、人前で冗談を言うのは止めよう。
「冗談だ、人間を食べたことなんかないし、これからも食べるつもりは無い」
「あ……あぁ……」
「ふぁぁぁぁぁぁ」
聞いてなどいなかった。
現実逃避に手に持ったクレープをかじると、香ばしい小麦の匂いがした。クレープの皮は絹のように滑らかな舌触りでつるんと喉の奥へ吸い込まれる。
生クリームのねっとりした甘みと苺の甘酸っぱさが後から伝わってきた。キュッと味蕾を刺激した苺の酸味は一瞬で消え、しゅわふわと溶ける生クリームが舌の上に残る。
二口目をかじれば、濃い甘みと微かな苦みを感じた。チョコレートソースだ。絹の滑らかさはそのままに、苺の酸味を包み込むチョコレートが追加された。
甘酸っぱく、ほろりと苦い。最後に残るのは生クリームのとろける甘み。クイクイと口の中へと吸い込まれるクレープはたちまちに消えて無くなった。
「ひとつ、答えろ」
イサナの後ろで意識を取り戻したガマガエルが白い顔色のまま話しかけてきた。
指についた生クリームを舐めるのをやめてガマガエルを見る。
「……お前は、何だ?」
禅問答かそれとも謎かけか。何だと言われても困る。この場で「異世界から来た日本人だ」と言っても伝わるとは思えない。
首ひねって考えてみるがどうにも説明しようがないし他の言葉で誤魔化す程頭の回転も良く無い。ガマガエルは真摯な視線で見てくるので何かしら応えたいが回答は出てこない。いくら考え込んでも分からないので、こうなったら素直に降参するしかない。答えられないものは答えられないのだ。
「まいった」
「……」
ガマガエルはぐっと何かを飲み込んだように口を閉じた。
たっぷり10秒は経った後で、一度閉じた口をゆっくりと重々しく口を開く。
「ま、人喰……ッ!」
かすれた声で叫ぶようにのけ反ると、そのまま椅子ごとバタンと倒れてしまった。頭を打っていないかだけが心配だ。
イサナがガマガエルの倒れた音にも反応しないので、肩をゆすって正気に戻す。
「あ、あれ? シンタさん、どうしてここに?」
記憶が少し無くなっていた。直前の経緯の説明をするのも面倒なので「迎えに来た」とだけ告げる。
「え、あ。そうですか。領主は……放っておきましょうか」
盛大に水分を放出したシータは肩をゆすっても目を覚まさなかった。頬を軽く叩いてみる。
「シンタさん、何となく思っただけなんですけど、叩いて肉を柔らかくしようとか」
「思って無い」
本当は覚えているんじゃないかと疑いたくなる。その後、イサナが尻を強めに叩いたら目を覚ました。
倒れたガマガエルはそのままにして、誰もいなくなった建物を出る。通路から入口から誰もいなかった。全員、結界魔法が無くなったのを見て逃げ出したようだ。
あのガマガエルが一番偉い人のようだから明日は何を食べさせて貰えるのか聞こうと思って近づいたが、美味いものが次々に出てくるテンションのまま結界まで壊したのは失敗だった。魔獣が闘う場所と客席が繋がってしまえば、それは逃げたくもなるだろう。
もしかして弁償しろと言われるのだろうか。気を失うくらいだから、とても高いのかもしれない。
建物を出たところに、ポツンと荷物が置いてあった。イサナの杖もある。
カバンは迷宮内で無くしていたのだが、置いてあるカバンの中には食べ物がたくさん入っていた。
「これを渡すから、帰ってくれってことですかね」
「そうなのか?」
「うん……あれだけやればね」
どうやら出入り禁止で済むようだ。弁償しなくて済むならありがたい。
置いてある荷物をありがたく受け取って、シータが着替えるのを待ってから街の出口へと向かう。今日はそれなりに食べたし食料も沢山貰ったから次の街くらいまでなら何とかなるだろう。
「そういえば、何で俺は牢屋に入れられてたんだ?」
「さあ……何ででしょうね」
「……何かの間違いじゃないかな」
目を合わせないようにしてイサナとシータが答えた。
食べようと思っていた屋台は店構えだけそのままで誰もいなくなっていた。商品も既に片づけられている。せめて材料があれば、自分で作ることも出来たのに残念だ。
街に入ってきた時と同じ門が見えるところまで歩く。途中の街中にも誰もいなかったから門にも誰もいないかと思ったら、一人だけ誰かが立っていた。近づくにつれて、その姿がはっきりと見えてくる。どうやら鎧を着こんだ兵士ではないようだ。風に揺れる金髪が見える。
年の頃はイサナと同じくらい。どこかで見たことのある顔を成長させたような……アイツは。
「何で、アイツが……」
「忘れていました。領主と一緒にいたんですよ、アイツ」
「あー、あの子。途中でいなくなってたよね」
シータはアイツの事を知らない。俺達の前に姿を現したのは、これで3回目だ。見るたびに年齢が違うが濁った闇のような色の瞳だけは変わらない。
足を止めた俺達の代わりに、アイツが歩いて近づいてきた。
「もう帰るのぉ?」
わざとらしい、演技がかった気持ちの悪い喋り方だ。俺に向かって話しかけてくるのを見てシータが知り合いなのかと顔を見てくる。
「お前は、何なんだ……」
意識したわけではないが、ガマガエルと同じ質問をアイツにぶつけていた。
アイツが歩いていた足を止めて、視線を上に向けながら何かを考えるように指を顎先に持っていく。
「私は、ケーミリアって呼ばれてるよぉ」
名前があったのか。だが、それは俺の質問の答えじゃない。
「お前と同じ顔の奴を何人も見た。何が目的で俺達の周りに現れるんだ。俺達を、どうしたいんだ」
「へぇ……他の子にも会ったことあるんだぁ。その子たちは、どうしたのぉ?」
「俺の質問に、答えろ」
答えずに、ニヤニヤと笑った顔のままで近づいてくる。
「止まれ、それ以上近づくな」
「教えてあげるよぉ、ボク達が何なのか」
知らず、喉がカラカラになっていた。唾液を呑み込む。
ケーミリアと名乗った金髪の少女は、3mほど離れたところで足を止めた。
「ボク達は……何て言うんだろうねぇ。運び屋とか回収屋とか、そういうものだよ」
さっぱり訳が分からない。頭の回転が速くないのは自覚しているし、昔から人には鈍いと言われていたが、それだけでは済まない意味の分からなさだ。
この世界だけの意味の通じる言葉なのかと思ってイサナを見て見るが、俺を見て「分からないと」首を振った。
「どういう意味だ」
「えー、全部説明するのは面倒くさいなぁ……」
ケーミリアは、ぐだっと全身を弛緩させて、面倒くさいのを表したポーズをとる。
「えーっと、回収するとか運ぶって、何を運ぶの?」
今まで黙っていたシータが質問をした。
これまでの事をも知らないし事情にも詳しくないが、それは的を射た質問だった。
「うーんとねぇ。魔力とかだねぇ」
そもそも説明する気が無いのか、やはり意味は分からない。これ以上は質問して無駄な気がする。
ケーミリア達の目的については聞くのは諦めた方が良さそうだ。長いこと話し合いたい相手でも無い。
「俺達に、何の用事だ」
誰もいなくなった街で、どうしてケーミリアだけが残って俺達を待っていたのか。
「伝言だねぇ。他の街に行くなら、ここから見える山を越える道を行くのが近いよ、ってねぇ」
「それだけの為に?」
イサナが思わずと言った感じで口を挟んだ。
「それから、もし暇なら一緒に来て貰えないかなってねぇ」
「……どこに」
「魔界」
誰かがひゅっ、と息を飲む音が聞こえた。
「って、君達が呼んでる場所。要は世界の裏側だねぇ」
「断ると言ったら?」
「無理やりって面倒くさいから嫌いなんだよねぇ。観客もいないからショーみたいに盛り上がらないし。
まぁ、嫌ならいいよ。他の子に任せるから」
そう言うと、手をひらひらと振って、ふっと姿を消した。
「えっ」
「いなくなったの?」
イサナとシータが周囲を見渡して消えた姿を追うが、どこにもその影は無い。
「あぁ、最後に」
消えた姿が、いきなり俺の目の前に出現した。
「なっ!?」
「なんで!?」
二人の驚く声が聞こえるが、頭の中は冷静だった。目の前に現れたと言うことは、手の届く距離だ。
拳を握りしめて、顔面を殴るように最短距離で振り抜く。
「石のむく」
「きみ結構好みだから、特別ね」
手の届く距離から更に一歩近づいて手を腰に回してきた。
身体を抑えられて、逃げられない。
目が合う。吐息のかかる距離。息が出来ない。目を閉じるのが見えた。
「んちゅ」
唇に温かくて湿ったものが触れる。驚きに全身が硬直する。くっつけられた唇を割って、熱くてぬめったものが差しこまれた。
前歯をこじ開けて口中に侵入した触手は、舌を絡め取ってもてあそび始める。くちゅくちゅと音を立てて舌をねぶる。
くあ、と口が開かされる。甘い、粘性の液体が流し込まれる。次々と温かい液体が流し込まれる。そこで我に返って、口に差しこまれた触手に思い切り噛みついた。
「ん゛ぐっ!?」
ケーミリアが離れた。口の端から血が流れているのを手で押さえている。
「そういう情熱的らのも素敵らねぇ」
口の中が気持ち悪い。血の味をする唾液を吐きだすした。服の袖で口を拭うが、不快感が消えない。
「じゃあ、また今度ねぇ」
歯型の付いた舌をペロリと出して、ケーミリアが再び消えた。
「シンタさん、大丈夫ですか!?」
「え、なに。そういう関係?」
イサナが駆け寄ってきて俺の顔に手を伸ばす。その指で口を開けさせてきたので、かがんで口の中を見せた。
「見えません、もっとしゃがんでください!」
何をされたのか分からない、口の中から石化していないとも限らない。地面に膝をついて見上げるようにして口を開けた。
イサナが口の中を覗き込んでくる。「魔力の残滓はありませんね」と呟く声が聞こえた。顔をしかめて口の中を覗いていたが、何もなかったようでほっと息をついた。
しかし何かに気づいたように顔を緊張させると、再び顔を近づけてきた。良く見えないのか、どんどん顔が近づく。目を閉じるのが見えた。
「んっ」
小さくて湿ったものが唇に触れた。じんわりと温かさが伝わってくる。
唇の隙間から何かが差しこまれたが、長さが足りないのか前歯の表面をなぞっただけだった。
ぷはっ、とイサナが顔を離す。
「んっ……異常は無いみたいですね」
顔を赤くして、横を見ながらそんなことを言う。今ので何か悪い影響が出ていないのか分かるのだろうか。
味で魔法や呪いが感じられるなら、その技術は身につけておきたい。
「え、今なにが起きてるの。わ、私もした方が、良いの?」
シータが俺とイサナの顔を見比べて戸惑っていた。
「消毒です。シータさんはしなくても大丈夫です」
イサナがキリッとした顔でシータに答えた。そうか消毒か。舐めるのは基本だな。
膝を払って立ち上がると、周囲に人の気配が戻っていた。街の出口の門にも鎧を着た兵士が立っているのが見える。
「とりあえず行きましょうか」
イサナがこちらを見ないまま門へと歩き出した。シータと一緒に後をついて行く。結局、疑問だけが増えた気がする。街を出る前からどっと疲れた。
次の街には何があるのか、せめて美味い物を食べたいと強く思う。




