53.「おかわり」
腹が減った。腹が減った。腹が減った。
お腹が空いた。空腹だ。飢えている。ひもじい。ハングリー。ハラペコだ。背中とお腹がくっつく。胃の中身が無くなっている。
腹がなるのは胃袋が縮小するときに空気が抜ける音だと聞いたことがあるが未だに何が入っているのか腹が鳴り続けている。
最初は大人しかった腹の音が、日を経つごとに次第に音量を増している気がする。何日か前には衛兵に「五月蝿い」と注意された。余りの音の大きさに犬が怯えるらしい。
それなら食事の回数か量を増やしてくれればいいのに、そこは変わらないと言う。理不尽だ。あぁ兎に角、何か食べたい。
立ちあがる気力も無く、ぐったりと床に倒れて寝ていると鉄格子の扉の開く音がした。犬を連れた衛兵が入ってくる。
「飯の時間か」
「さっき食っただろう」
おかしい、こんなにも空腹なのに飯の時間ではないと言う。時計が壊れているんじゃないのかと疑いたくなる。こっちの腹時計は常に食事の時間から動かないというのに。
出てくるのは、ちょっと色のついただけの味もしないスープだが食べないよりはマシだ。実際には文句は言わないので食べさせてください。お願いします。
「外に出てこい」
「今日は外で……飯か?」
「いいから出てこい!」
凄い剣幕で怒鳴られた。
この牢屋に入れられてから一回も外に出ることが無かったが、今さら外へ出されると言うことは俺の無罪が立証されたのだろう。
ようやく満足に食事をすることが出来ると思うと、安心感から全身に倦怠感がどっと溢れてくる。寝ていただけだったがいい加減に疲れた。
沢山食べてベッドで眠ろう。味の濃いものが食べたい。薄く色の付いたスープはもう十分だ。歯ごたえのあるものを欲してやまない。
栄養が足りてないのか衛兵の後について歩いているだけで腹が鳴る、足元がフラフラする。久しぶりに歩いたからか、建物を出るだけで疲れて座り込んでしまった。
「おい休むな立て、急ぐんだ」
地べたに座っていると、腕を掴んで立てせようとしてくる。何日も拘束していたんだから少しくらい休んでもいいじゃないか。
そのうちに衛兵が応援を呼んで二人がかりで担がれて強制的に移動させられた。用意されていた荷車に乗せられてロバに引かれて街の中を運ばれる。
通りがかりの街の屋台から肉の焼ける匂いが漂ってくる。眠っていた食欲が刺激される。どんな味がするのか考え始める想像力が憎い。スパイシーな匂いが遠ざかる。
その場で荷車を降りて駆け出したい衝動に襲われるが両肩をがっしりと衛兵に抑えられているので身じろぎも出来ない。匂いだけが通り過ぎた。
何度か通り過ぎる各種の香りを覚えながら、後で絶対に買おうと心の中で強く誓う。
しかし、この扱いからして無罪放免で解放されるわけではなさそうだ。そもそも何の容疑で捕まっているのかも分からないから、これから取り調べだろうか。
もう既に十五分近くは揺られているから、牢屋から離れた場所にある裁判所かもしれない。何にせよカツ丼くらいは出して欲しい。何でも話すから。
更に十数分運ばれてやっと到着したのは何かの施設のようだった。外見からは何の建物かは判断がつかないが、そこへ訪れる人たちの雰囲気には覚えがある。
世界が異なってもギャンブルをする人間のまとったピリピリした空気は変わらないらしい。
日本でも競馬場には一回だけ行ったことがある。安田君に「うちの馬が出るから」と言われてついて行ったのだ。その安田君の馬が見事に勝ったので、帰りに馬肉を食べて帰ったのを覚えている。
今から思えば馬主なんて金持ちで無いとなれないのだから安田君の家は余程の資産家なんだろう。しょっちゅう食事をおごって貰っていたことを考えれば納得もできる。
建物の裏側へと回り有無を言わさずに荷車から降ろされて建物の中へと連れて行かれた。逃げられないように二人がかりで担ぎあげられている。
担がれたまま建物の中を移動して何度か廊下を曲がると扉のある突き当たりに到着した。扉を開けると十畳くらい広さの部屋に壁に剣や斧といった武器が飾られていて、部屋の奥にはもう一つ扉がある。そこでようやく降ろされて身体の拘束を解かれた。
「ここで飯か?」
「いい加減にしろ、飯じゃない」
「なら取り調べか裁判か?」
「裁判が近いかもな。お前が勝てば無罪放免だ」
衛兵はニヤニヤと笑っているが訳が分からない。衛もう少し詳しく話を聞こうと口を開いたところで、更に部屋に誰か入ってきた。
目の前の衛兵のように武装はしていないが、この施設の係員なのか赤色を基調にした特徴的な服装をしている。係員が衛兵に何かを伝えると、すぐに元来た扉から出て行った。
「ところで、何か食べ物は貰えないのか?」
「お前が食われる心配をしておけ」
貰えないらしい。さっきから匂いだけ嗅がされて食欲が復活しつつあるのに、何も食べられないのは辛い。
パンだけでいいから貰えないのか交渉してみようかと思っていると、再び両肩を拘束された。部屋の奥の扉を開けると通路になっている。
やはり二人がかりで担がれて通路を奥へと移動する。食事が貰えないのに移動ばかりで気が滅入ってきた。自分で身体を支えるのも億劫になってくる。衛兵に完全に身体を任せて足を引きずりながら通路を少し進むと段々と喧騒が聞こえてきた。
急に明るくなるのと同時にワッと喧騒が大きくなった。ズリズリと身体を運ばれていきなり放り投げられる。されるがままだったので勢いよく床に落ちた。痛い。
しばらくジッとしているが、今度は衛兵に起こされない。ここが終着点なのか。
起き上がるのも面倒くさくなって倒れるままにしていると、喧騒が段々とブーイングに変わってきた。何かを怒鳴っている声も聞こえる。
「……さい!」
その中に混じってイサナの声が聞こえた気がした。
身体を起こして周囲を見渡すと満員になったスタジアムが見える。ここは何かのステージか。野球場よりは小さいだろうがそれでもかなりの人数が観客席にいる。
すり鉢状になった建物の中で、一番視線が集中する場所。ステージに運び込まれていたらしい。石造りの舞台に俺が一人だけだ。
何か芸をすればいいんだろうか。何か歌って会場を沸かせれば無罪放免とか、そういう趣向の催しなのかもしれない。なんせ異世界だ、どんなルールがあるか分からない。
ようやく立ちあがるとブーイングが再び囃したてるような喧騒に変わった。声が聞こえた気がしたのでイサナを探してみるが、この人数の中では見つけることが難しい。
キョロキョロ観客席を見渡していると、ガコンッという重々しい音が響く。音の発生源を見ると、そこは舞台上の反対側にある扉だった。
扉の前に誰かが立っている。赤いローブを着ていて見るからに「魔法使いです」という恰好をしていた。これは一体どういうことなのか。何の説明も無いから分からない。
こうなったらローブの人に直接聞いてみるしかないかと思って近づいていくと、ローブの人が慌てて何かを取り出した。それは、見覚えのある大きさの紙だ。
両手で掴んだ紙を掲げて、ローブの人が叫んだ。
「グリフォン!」
激しい閃光が迸る。とっさに光を手で遮った。掌の向こうで扉の閉まる音がする。
顔の前にかざした手をどけると、赤いローブの人の代わりに大きな動物が鎮座していた。
この生物は知っている。何せ有名だ。ライオンの身体に、鷲の頭と翼を持った魔獣。グリフォン。
ライオンの身体を元にしているから鷲の部分も大きくなっている。話だけは聞いていたが、実際に目にするとオークなんて目じゃない衝撃に襲われた。
何て美味そうなんだ。
鶏肉とライオンの肉の合わさった味がするんだろうか。ライオンが美味いと言う話は聞いたことが無いから、きっと違う味だ。
何だ、考えろ。何の料理だ。鳥と猫か。ネコ科の料理なんか食べたことが無い。違う、もっと方向性を変えるんだ。
グリフォンが逃げないようにジリジリと近づいて行く。向こうも俺に気付き、立ちあがって翼を広げて威嚇し始めた。
鷲は鳥だ。鳥料理で間違いは無い。ならばライオンは何だ。鳥とライオン。ダンデライオン……? いや、タンポポは関係ない。
ライオンのことを考えるんだ。ライオンはどこにいる。そうだ、サバンナだ。サバンナの王者だ。
……そうか。そうだったのか。思わず笑みがこぼれる。ようやくたどり着いた。笑い声が漏れだす。
「ははは……分かったぞグリフォン! 鷲は! ライオンとは!! はははは……はっはっはっはっ!!」
自分でも驚くほどの笑い声が溢れて一瞬グリフォンが怯んだ。一気に駆けだす。
グリフォンから見れば小粒な人間が近づいてきたようにしか見えなかったのだろう、嘴を大きく開いて威嚇した。
しかし、そんなことは気にせずにグリフォンに向かって突っ込むと、嘴を閉じて飛びかかる体制へと移った。
ライオンのしなやかな筋肉が、助走も無く驚異的なジャンプ力を生み出す。軽く飛びあがっただけに見えた身体は一瞬で見上げるほどの高さに移動した。思わず足が止まる。
グリフォンは空中で翼を広げて巨体を安定させると身体を落とすように急降下をした。
しかし、そんなものは願っても無い。この手が届けばそれで良い。グリフォンとは鷲とライオンの合成獣だ。
鷲は鳥、ライオンの生息地は主にアフリカ。つまり、これが合わさった料理の名前は!
「チキン南蛮!」
落ちてきたグリフォンの爪に、突き出した拳が触れる。瞬間、グリフォンを呼び出したときよりも激しい光が会場全体を包み込んだ。
光が失せた後に残るのは、皿に乗った料理が一つ。周囲は静まり返ってどよめきも聞こえないが、それは今はどうでもいい。
揚げた鶏肉が千切りキャベツに寄りかかるように乗せられている。カラっと揚がったそれは、香ばしい肉と油の匂いを振りまいて誘惑する。
そして、鶏肉を隠すように上からかけられた、たっぷりのタルタルソース。少し黄味がかった白いソースが鶏肉を覆っている。
添えられた箸を掴んで、鶏肉の一切れを摘みあげた。
タルタルソースが鶏肉の上から落ちそうになって慌てて手を添えて口の中に入れる。
柔らかい胸肉の食感が伝わってくる。すぐに衣に染み込んだ甘いタレが流れ出てきた。この少し酸っぱいような南蛮酢がチキン南蛮の特徴だ。
唐揚げにタルタルソースを乗せただけの代物をチキン南蛮と呼んでいることがあるが、あれには異を唱えたい。非なるものなのだ。
じゅわじゅわと肉汁に混ざって流れ込んでくるタルタルソースがまろやかに味わいを飾り立てる。
卵で作るマヨネーズに更にゆで卵を混ぜたソースを使い揚げた鶏肉に乗せた、親子丼の上を行く鳥と卵の倍プッシュ。それがチキン南蛮だ。
だからこそ、合わないはずがない! 鶏と卵のコンビネーション! 刻まれたピクルスの刺激がまったりとした舌触りの中でアクセントになる!
空きっ腹に染み込む鶏肉の旨みがたまらない。胃袋からキューという音が出た。催促だ。
次々と鶏肉を口に運び込む。タルタルソースに残っていたゆで卵の黄身が崩れる。そこへ鶏肉が混ざり込む。どうにかなりそうだ。
サクっと軽い食感が揚げ物の重さを感じさせない。肉も胸肉で食べやすさを重視しているのだと分かる。モモ肉のも美味いが、胸もまた良い。
キャベツの千切りを目一杯箸で掴んでモシャモシャと食べると、口に残った脂がさっぱりと消え去る。
そこへ再び南蛮酢の甘みと酸味が襲い来る。揚げた鶏肉と合わさる。上に乗ったその身に酢を含んでいるタルタルソースが全てを中和する。
ピクルスが肉の旨みと卵の甘みを際立たせて味覚を飽きさせない。あぁ、誰か白飯を持ってきてくれ。
バクバクと皿に乗っているチキン南蛮を食べ続け、あっという間に全てを腹に収めた。添えてあるトマトを最後に食べると、爽やかな甘酸っぱさが広がった。
久しぶりに食べるごちそうに我を失っていたが、ようやく一息つけた。「ごちそうさまでした」と呟いて箸を置く。
立ちあがって観客席見ると、今度はあっさりとイサナを見つけた。3階くらいの位置にあるVIP席のようなところでシータと並んで座っている。
その横にはガマガエルのような顔をしたオッサンが座っているが、誰だろう。イサナの知り合いなのかは分からないが偉そうだ。
床に置いてあった皿を拾い上げた。さっきのグリフォンを用意したのも、きっとこの偉そうなオッサンだろう。
イサナの知り合いならお願いを聞いてくれるかもしれないし、言うだけ言って損は無いに違いない。
ゆっくりと歩いてVIP席に近づき、手に持った皿を見えるように高く上げた。
「おかわり」
まだまだ食べ足りない。




