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可変迷宮  作者:
第一部.BOY MEATS GIRL
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01.迷宮

 毎週日曜日、朝7時から12時まで農協で行われる朝市。地産の野菜が驚くほど安価で、しかも大量に購入できる。例えば、ナスが5本で150円。トマトは拳大もある大きいのが、4つで200円。ピーマンは6つで100円だ。どれもスーパーで買えば倍以上の値段がする。


 質素清貧を美徳とする貧乏大学生の俺にとっての生命線だ。

 先週は出遅れたせいで何も買えなくて、一週間をもやし炒めですごす羽目になった。

 しかし、今日は違う。空腹を糧に目玉商品を奪い取ってきた。玉ねぎ10kgが500円。ジャガイモが5kgで300円。なんて安価。価格破壊もいいところだが、これで今月は安泰だ。


 常温で長持ちする食料は貴重だ。たまねぎは生食でも大丈夫だし、火を通せば甘くなる。肉と一緒に炒めれば肉が柔らかくなって併せやすい。万能の脇役と言ってもいい。ずっと食べ続けてると、ちょっと体が臭くなるけど、それは些細な問題だ。


 アパートに到着して、自転車に鍵をかける。

 よいしょ、と声を出して戦利品を担いでアパートの玄関をくぐった。


 そして浮遊感。落下している、と思った直後に衝撃。

 体育で柔道を選択していたおかげか、受身を取ることが出来た。

 最初は、床が抜けたのだと思った。築40年のボロい木造アパートだ。さもありなん。

 さて、どうやって大家に文句を言おうか。などと考えていた。


 しかし、どうやら様子がおかしい。上を見ると落ちてきた穴が無い。

 前を見ると坑道のように、どこまでも奥に続いている。左右と後ろは行き止まりだ。


「……は?」


 まったく状況が分からない。しかも、さっきまで手に持っていた、戦利品が無い。

 ジャガイモが、玉ねぎが、生命線が消えている。


「……おい……おい!」


 誰にでもなく大声を出してしまった。理不尽な仕打ちに怒りがこみ上げる。

 どういうことだ、何の罰だ。ここがどこだとか、何でここにとか、それは今はいい。

 何で、食料が消えているんだ。ふざけるな、もやし責めを脱した記念として、

 ちょっと贅沢にベーコンまで買ってきたのに。


 お手軽で美味しいジャーマンポテトを作るつもりだったのに、

 腹の中はもう、ジャガたまベーコンを待ち受けていたのに。

 この道を進むよりなさそうだが、ひとまず文句は言いたい。

 いったい、どういうことだ。


 ◆


 進んだ道は複雑に分岐していた。迷路のようだ。左手の法則を使って壁沿いに進む。

 しかし、いくら進めど何も無い。道がさらに分岐するだけだ。

 1時間ほど歩いただろうか、相変わらずどこかに辿り着く気配は無い。


 坑道の中は照明も無いのに薄ぼんやりと明るく、道の先まで見える。

 そのとき、ふと何かが光るのが見えた。

 左手の法則から外れるルートだが、今更意味もなさそうなので

 何かが光った位置まで行ってみる。

 近づくにつれて、はっきりと見えてきた。包丁だ。しかも薄汚れてる。


 頭の中で、火サスのテーマが流れた。何だか、殺人事件の凶器を見つけてしまったようで気味が悪い。思わず避けようとしたが、よく見れば血は付いていないようだし、やっと見つけた人工物だ。

 誰かが落としただけかもしれないし、ここがどこか分からない以上、危険もあるかもしれない。護身用として、持っていてもいいのかもしれない。そう思い直して、包丁を拾うことにした。

 高級そうな洋包丁だ。妙に手にしっくりとくる。


 包丁を片手に、探索を再開する。精神的な物なのだろうが、少し荷物が増えただけなのに腹が減ってたまらない。この際、雑草でもいいから、何か食べられるものがあったら口に入れたい。

 こんな時に限って思いが通じたのか、すぐに雑草を見つけた。ほうれん草のような、やわらかそうな葉っぱをしている。せめて水洗いしたかったけど、背に腹は帰られない。思い切って、葉を1枚口に入れてみる。


「ぐぁ……」


 恐ろしい苦味が脳天に突き抜けた。とても食べられない。食べられないが、手放すのも惜しい。

 ひとまず、もって行くことにした。右手に包丁、左手に雑草。草刈している人に見えれば幸いだが、どうみても不審者だろう。誰かに会えたときに、逃げられなければいいけれど。


 さらに進む、さらに腹が減る。疲れて、貧血気味になってきた。頭がくらくらする。青色吐息しか出ない。もう駄目だ。このまま行き倒れるしかないのか。

 気付けに雑草を口に含むと、しばらくは意識がはっきりしたが、それも気を紛らわせる程度の効果しかない。


 眠くなってきた。もういいよね。パトラッシュ。居もしない犬に弱音を吐いたとき、人の声が聞こえた気がした。


「やめて、こないで!」


 空耳じゃない、確かに人の声だ。若い女性に聞こえる。来るなといっているが、それは来いって意味に違いない。

 さっきまでの疲労が吹き飛び、声の方向に駆け出した。


 角を2回曲がったところで、声の主を見つけた。ヨーロッパっぽい民族衣装を着ている少女だ。いや、それよりも、少女の前にいる存在。


 ほぼ裸だが腰巻をして、手に棍棒を持っている。肌はピンク色、平均的大学生の俺の身体よりも大きい体躯。昔、たまたま電車の中で見た力士よりもさらに一回りほど大きい気がする。

 そして、二本足で立ってはいるが、類人猿とは明らかに違う豚の頭をしていた。


 そう、豚だ。豚肉だ。人間様に食われる畜生だ。右手に力が入る。包丁を強く握り締める。豚野郎は少女に襲いかかろうとしているように見える。ふざけるな、お前は襲われる側だろう。美味しくいただいてやる。


 足音を立てず、豚野郎に近づく。体に羽が生えたように軽い。

 豚野郎は、まだこちらに気づいていない。もう手を伸ばせば届く距離だ。

 うなじに包丁の刃を立てて、一気に押し込む。


 手ごたえが、ない。木の棒を押し当てているような感触しかない。

 豚は煩わしそうに振り返ると、棍棒を持った手で俺を振り飛ばした。


 本日2度目の浮遊感。背中から壁に叩きつけられる。壁でも受身って取れるんだな、本当に柔道を選択してた良かった。一瞬だけ安堵するが、重力に引っ張られて地面に落ちる。あの豚野郎、食肉の癖に生意気な奴だ。

 豚に向き直り、再度包丁を握り直す。豚は緩慢な動きでこちらに向き直る。

 全力で走りこんで、その勢いで突き刺してやる。見てろよ豚肉め。切れ味の悪い包丁だが、全力で押し込めば豚肉くらい切ることが出来るだろう。

 クラウチングスタートの姿勢から、壁を蹴る勢いで駆け出す。


 勢いを付けたまま、右手を豚バラ肉に突き立てる。しかし、刺さらない。

 頑なに、刺さろうとしない。おかしい。例え飾りだろうと、先端が尖っているんだから刺さるはずなのに。

 頭の上で、棍棒を振りかぶる気配がする。流石に、頭を殴られたら脳みそぶちまけて死ぬ。

 ふと、襲われていた少女を見る。さっさと逃げれば良いのに、すぐ近くに座り込んでいた。その視線は一点に集中している。俺の、手の中の包丁へと。


「唱えてください! 魔術書(スクロール)!!」

「スクロール?」


 いきなり大声で叫ばれた。あ、日本語だ。スクロールって何だ。思考が追いつかない。ダメだ。もう数瞬後には、頭上に棍棒が振り下ろされる。頭部への衝撃を覚悟し、歯を食いしばる。

 しかし、その衝撃はいつまで待っても来なかった。


「……あれ?」

「本当に、出来ちゃった」


 先ほどまで、棍棒を振り下ろさんとしていた豚肉は、煙のように消え失せていた。腹の肉に押し当てていた包丁は、代わりにA4サイズの紙を貫いている。

 手に取れば、見慣れた日本語の文字。


「豚肉200g……何だこれ」

「それ、魔術書(スクロール)です」

「スクロール? というか、大丈夫か。怪我は無いか。食べ物持ってないか」

「大丈夫です。怪我は無いです。食べ物も無いです」


 そこはパンのひとつくらい持ってて欲しかった。


「えっと、私の家に来ませんか? お礼をさせてください」

「ご飯ある?」

「ささやかで良ければ」


 一も二も無く頷いた。


 ◆


 少女の後ろを付いて歩いていくと、悩む様子も無く迷宮を進んでいく。何時間も迷い歩いた身からすると、少しばかり不安になる。


「道覚えてるのか」

「ここは可変迷宮だから、覚えられないですよ」


 また分からない言葉が出てきた。今は詳しく聞く体力が無いから後で聞こう。とりあえずふーん、と答えておく。それから30分程度で迷宮を抜けた。最初に内部を見て坑道のようだと思ったが、入り口も坑道のようで山の中腹に人の手で穴を開けた感じだった。


「あそこです」


 少女の指差す方向を見ると、山の麓に村があるのが見えた。町じゃなくて村だ。

 家があるなら人が居る。人が居るなら食べ物がある。野菜くらいあるだろう。もしかしたら肉もあるかもしれない。

 食べ損ねたジャガイモや玉ねぎやベーコンを貰えるかもしれない。太陽の光を浴びて少し落ち着いたのか、まっとうな食べ物が欲しくなった。

 どうして、あんな豚の化け物を食べようとしたんだろうか。そもそも豚の解体なんかしたことが無いし、火も無いから生肉に齧りつくしかない。人間、正気を失うと恐ろしい行動にでるな。

 更に30分程度、道なりに歩いていくと村の入り口までたどり着いた。


「私の家、すぐそこです」


 ここまでの道のり、全く会話をしなかった。腹が減っていたので、話しかけるなオーラを出していたせいだ。

 黙って家の中に通され、勧められるままに椅子に座る。意識していなかったが、だいぶ疲れていたようで疲労が溢れてくる。

 どこかに行った少女が手に食器を持って戻ってきた。待ちに待った食事だ。


「お水と、マニ菜を煮た物です」


 まずは水を一気に飲んだ。五臓六腑に染み渡り、体に張り詰めていたものが抜け出る気がする。

 マニ菜とやらは、ほうれん草みたいな見た目だった。どこかで見たことがある。


「これ、もしかして凄い苦いんじゃ」


 坑道の中で齧った恐ろしく苦い葉っぱだ。気付け薬としては役にたったが、食事として食べたくは無い。


「もしかして、生で食べたんですか?」

「脳が痺れるくらい苦かった」

「えっと、生だと食べられないんですけど、お湯で煮ると大丈夫です」


 それなら、と口に運ぶ。

 塩味も何もあったもんじゃない、本当に青菜を煮ただけのものだ。確かに毒ではないが、食が進む味ではない。

 それでも何日かぶりに口にした食事で、小皿に盛られたマニ菜はすぐに無くなった。

 きっとこれは前菜だろう。味のほうは期待できないだろうが、硬くても良いから肉が食べたい。

 期待の篭った視線を少女に向けると、申し訳無さそうに眉を寄せた。


「ごめんなさい、これで終わりなんです」


 ささやかでよければ、とは言っていたが、本当にささやかな量しかなかった。


「今日の夕方には、町に買物に行った人たちが帰ってくるんですけど」


 どうやらタイミングが悪かったらしい。あと半日遅ければご相伴に預かれたかもしれない。

 でも、それだとこの少女は手遅れになってるから、どの道ご飯を貰えないな。はぁ豚肉食べたい。


「えっと、助けれくれて、ありがとうございました」


 ご飯の話はお終いらしい。こっちもほんの少しとはいえ、胃袋に何かが入って多少は落ち着いた。

 相変わらず腹は減ってるので、夕方になったら沢山ご飯を貰おう。できれば肉を貰おう。


「えっと……」


 少女はしゃべるのが苦手なのか、言葉を考えながら口を開こうとしている。


「俺は水瀬(ミナセ)心太(シンタ)

「私、イサナです。シンタさんですね」


 苗字は無いらしい。そういう世界観なんだろう。俺の知っている世界観とは違う。

 そう世界が違う。ここは日本ではないし、他の外国でもないだろう。まさかアパートの地下世界ではないだろうし。

 映画や漫画やゲームの知識で言えば多分ファンタジーの世界だ。指輪物語とか。

 あの豚の化け物も、オークというやつだ。ゲームで見たことがある。

 オズの魔法使いみたいなもんか。あの話だとドロシーは竜巻に巻き込まれて異世界に飛ばされてた。

 銀の靴を見つければ日本に帰れるんだろうか。


「あの、シンタさんはどうしてあの迷宮にいたんですか?」

「何か、いつの間にか」


 迷宮というのは、あの坑道のことだろう。そういえば可変迷宮とか言ってた。


「可変迷宮って?」

「知らないんですか?」


 意外そうな顔をする。この世界じゃ常識なんだろう。


「ここは俺の住んでた国から、物凄い離れた場所みたいだから」

「あぁっ、聞いたことがあります。可変迷宮が遠いところに繋がることがあるって」

「俺の住んでた国には、その可変迷宮っていうのは無かったんだ」

「そうなんですね。マニ菜を生で食べるっていうから、どんな人かと思ってました」


 別に好き好んで口してたわけじゃない。そもそも食べてないし、ちょっと齧っただけだ。


「可変迷宮っていうのはですね、入るたびに形が変わる迷宮のことです」

「じゃあ、迷宮っていうのは?」

「定義はありませんけど、大体魔物が住んでる洞窟とか廃墟のことです」


 ああ、知ってる。ゲームでやった。1000回遊べるアレだ。


「じゃあスクロールってのは」

「えっと、スクロールは、何かを封じ込めた魔法の書です」


 魔法ときた。やっぱりここは剣と魔法のファンタジーな世界らしい。

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