茶色のクリスマス
今日はクリスマス。中学のクラブが早く終わったので、少し寄り道をすることにしました。校則で寄り道は禁止されていますし、制服のままだったのですけど、なぜか行かなければならない気がしたのです。
そこは、大通りから少し外れたところにある、一軒の小さな喫茶店。『ラオム』と小さく書かれたお店の名前さえ、うっかりすると見逃してしまうくらい、さりげなくたたずんでいます。
入り口には季節ごとの花で飾られた小さなアーチが組んであり、中に入る前から季節を感じることができます。
カランカラン。
「やあ、いらっしゃい」
心地良い木製のカウベルを鳴らしてお店に入ると、いつものように微笑むマスター、みぃさんが迎えてくれます。
自然木を利用した内装の要所には、お店の雰囲気に合わせた水彩画が飾られ、中は明るい日差しにあふれ、満席でも窮屈にならないゆったりした空間が広がっています。
来る時間が早かったのか、お客さんは奥のテーブルのお一人しかおられません。
「いつものでいいかな?」
カウンターに座ると、みぃさんが挨拶がわりに尋ねてくれます。
「お願いします」
わたし専用に少し荒挽にしたスマトラ・マンデリンとヴァテマラを7:3でブレンドした水だしコーヒーの器具から1杯分を、ポットごと湯せんされます。
ポットがコトコト小さな音を響かせ、かぐわしい香りが周囲の空気を包み込みます。
「お待たせ」
温められたコーヒーが上品な絵柄のカップに注がれると、鼻孔を直接くすぐる匂いが立ち昇ってきます。
香りを充分に堪能してから、砂糖やミルクは入れずにそっとひと口。
「おいしいです」
「ありがとう」
みぃさんはニッと微笑まれます。
コーヒーの香りと店内に流れる曲のせいで、日常刻むものとは違う時間をゆっくり回し始める瞬間です。
目を閉じて現実と幻想の狭間に想いを馳せる時間……。
「おおーっ! 葵ちゃん! 今日は早いじゃねぇか、一番乗りだな!」
大きな声で現実に連れ戻されました。
「葵ちゃん制服のままだけどいいの?」
「本当はいけないのですけど、今日はなんとなくこのままで来てしまいました」
来られたのはわたしの兄と姉……といっても血はつながっていません。
大声を出されたのが仁狼さん。心配して頂いたのが鈴乃さんです。
このお二人自身も血のつながりはありません。人にはなかなか理解して頂けないのですけど、それでも大切な家族なのです。
まだ来られていませんけど、もう一人。順崇さんを含めた四人は、ごく自然にそんな関係になっていました。
「マスター、俺たちもいつものやつ」
仁狼さんと鈴乃さんがカウンターに腰を下ろされます。
お二人とも今年大学に入学され、それぞれの道に進んでおられます。仁狼さんは公立大学の経済学部に進まれ、鈴乃さんは国立大学の医学部に進まれています。わたしも今年中学に進んだばかりですけど、お二人に恥ずかしくないよう勉学に励まなくてはなりません。
新しい香りを漂わせながら、お二人にブレンドコーヒーが運ばれました。
「いただきまーす」
仁狼さんがいつものようにコーヒーを飲むときでさえ手を合わせてからカップを口に運ばれるようすを、鈴乃さんが幸せそうに眺めています。
お話しでは、お二人のお母さんが産科の病院のベッドで知り合い、同じ日に同じ住宅地に引っ越して来られて以来、実の兄弟のように育てられて以来のつき合いだそうです。
仁狼さんはいまだに鈴乃さんをその時のイメージのままで見られていますけど、鈴乃さんはもっと違う見方をされています。
「このコーヒーあいかわらずうまいな。俺がコーヒーを飲むなんて考えもしなかったぜ」
カップをソーサーに戻しながら、仁狼さんがみぃさんに話しかけられます。
実は、仁狼さんはコーヒーはかなり苦手な方でした。緑茶、紅茶、烏龍茶、なければ水。その次にやっとコーヒー。ジュースは甘すぎるので問題外とおっしゃっていました。
「ほんと。仁狼ちゃんコーヒーは好きじゃなかったからね」
「そうかね。ありがとう」
「俺だけじゃないぜマスター。鈴乃だってどっちかというとコーヒーは苦手だったんだぜ」
「ははは、そういってもらえると嬉しいよ」
お二人は静かにお店に流れるBGMに耳を傾け始められ、また周囲の時間がゆっくり流れ出しました。
その時、スッと入り口のドアが開かれ、カウベルも鳴らさずに、音もなくわたしの隣に誰かの座る気配が……普通なら気づかれない、かすかな気配でしたけど、いつも通り気づかないふりをしています。
見なくても分かっています。もう一人の兄、順崇さんです。
順崇さんはとても寡黙な方で、ご自分から話をされることはほとんどありません。必要なことだけを最小限に話されます。
みぃさんはニッと笑って、何も聞かずに紅茶をいれ始めます。
もちろん2杯分。
順崇さんは中学生のときから身長が190センチ以上もあり、大学生の今では2メートルを少し上回っているそうです。
ですけどそのお体は、順崇さんの家に代々伝わる日本古流の武術、『瑞帋流』によって作り出された身体で、鍛え上げた筋肉を限界まで絞り込み、一切の無駄を削ぎ落とした体型です。
神経1本に到るまで自分の意思で制御される順崇さんには、カウベルを鳴らさずドアを開けることは、むしろあたり前のことなのです。
格闘技をされる方は、攻撃から身を守るために、おすもうさんやレスラーさんのように、クッションとなる脂肪をつけなければならないそうですけど、『サツ』と呼ばれる瑞帋流の気のおかげで、衝撃をやわらげる効果があるそうです。
わたしも試させてもらいましたけど、身体の表面から約10センチあたりで硬いスポンジのような感触にさえぎられて、触れることができませんでした。余分な脂肪がないおかげで、一層素早い動きができるそうです。
ですが大きな身体とはいえ、2杯分の紅茶を順崇さんが飲まれるわけではありません。
影にもうお一人。今年、高校3年生になられた渓華さんが順崇さんの隣に座っておられます。お二人は同時に入って来られたのです。
渓華さんは身長が140センチほどで、わたしとほとんど変わりませんけど、この方こそ修得性の難しさから一時この世から絶えたといわれていた幻の古流武術『鐔瓊流』の正統継承者です。
過去には覇権を争う歴史もあったそうですけれど、今は流派にとらわれず、さらに上のレベルを目指して毎日を切磋琢磨されています。
みぃさんがカップを差し出すと順崇さんがひと口飲まれ、フワッと心地良い雰囲気が発せられました。それを見てから渓華さんが嬉しそうに口をつけられます。
「あ、順崇ちゃんたちも来てたんだ」
鈴乃さんが気づかれました。
「なんだ鈴乃、気がつかなかったのか? 五分くらい前から来てたぜ」
仁狼さんが当たり前のようにいわれますけど、鈴乃さんの反応のほうがむしろ普通です。
わたしやみぃさん、仁狼さんは『ふたや』の能力のおかげで分かるだけなのです。
「ところで順崇、芸大のほうはどうだ? おう、そうか」
黙って頷かれるのが順崇さんの「順調だ」にあたります。
「俺はまだ一般課程始まったばかりだが、この先経済学なんてついて行けそうにねぇから講座変えようかと考えているんだ」
「どうして? あんなに頑張ったのに」
仁狼さんの珍しく弱気な言葉に鈴乃さんが心配そうに尋ねられます。
「まあ、ついて行けねぇってのは冗談だが、入ってみると認知科学ってあるだろ、あっちのほうがおもしろそうなんだ」
「仁狼ちゃん」
鈴乃さんが優しく話しかけられます。
「なんだ?」
「途中で投げだすの?」
「うお! そんなことはねぇ! そうだ、今年はこのまま行くとして、来年また受験受けて入学し直せば行けるんじゃ……」
「またあの受験勉強やり直すの?」
「ぐあああっ!」
「それいいですね、そうすれば仁狼さん、私と同期になりますよお」
渓華さんは楽しそうに笑われます。
「ぐうっ渓華! お前はちゃんと卒業してから笑え」
「ひどーい。卒業なんて簡単です。危なかったら鈴乃さんに特訓してもらいますから」
「危なかったらって、やっぱり気にしてるんじゃねぇか」
「違いますって、危ないのは物理と科学と数学だけです」
「むちゃくちゃ危ねぇじゃねぇか。いざとなったらほんとに鈴乃に頼めよ。
俺も直前で特訓受けたんだ。だが、修仁はやめとけ。あいつは人の皮をかぶった鬼強制学習マシーンだ」
「鬼ですか!? へええっ?」
「興味持ってるんじゃんぇ!!」
「相談なら早いほうがいいよ渓華ちゃん。仁狼ちゃん本当に直前だったから何日も徹夜で大変だったから。
それより葵ちゃんは中学校に入ったばかりだけど、もう慣れた?」
鈴乃さんがわたしに尋ねられます。
「はい。小学生とは違い、先輩後輩の順序が厳しいことには驚きましたけど、もう慣れました」
「葵ちゃんはシッカリしてるから大丈夫だぜ。
それに、もし、くだらねぇことするヤツがいたらすぐ俺に言え、何とかしてやるぜ」
仁狼さんの言葉は大変危険に聞こえますけど、それは、エルティ——わたしと仁狼さんの能力を合わせて生み出した存在——が、いてこその言葉です。
エルティの姿は幼い頃のわたしそっくりで、今では少し恥ずかしいのですけど、わたしに良くない事をされる相手にはエルティの能力で解決すると言われているのです。
「お気持ちは嬉しいですけど、それでは根本的な解決になるとは思いませんので」
「ということは、ほんとは何かするヤツがいるってことか?」
「いいえ違います。今のは例えで、何かされていることも、されている人を見てみないフリをしているわけでもありません」
ふだんはかなり大らかな考えの仁狼さんですけど、時々細かいところに神経を配られます。
カウベルの音がしてお客さんが来られまし……た?
目つきが怪しげな、恐い雰囲気を持ったお二人で、このお店に来られるお客さんにしては珍しい方です。ここのお客さんは、物静かな男性と女性の方が中心です。
見た目で判断することはよくありませんけど、長い間このお店に通わせていただいて、このような方々が来店されたことは初めてです。
「いらっしゃいませ」
「おうブレンド2つだ。早くしな」
お二人は奥に進まれ、先にお一人でくつろいでおられたお客さんのテーブルに、バンと手をつかれました。
「兄ちゃん、どけ」
ですけど、そこに座られていた方は考え事でもされているのか、微動だにされません。
「聞いてんのか! どけっ!」
まったく気づかれていなかったようで、そこで初めて顔を上げられ、お二人を見上げてキョトンとされています。
「え?」
返事をされたとたん、お一人が拳を降り上げられます!
「他のお客様に迷惑がかかります。出ていっていただけますか」
顔に当たる直前、みぃさんが腕をつかんで止められました。
わたしや仁狼さん、順崇さんが止めてもよかったのですけど、このお店での出来事起はみぃさんにお任せする決まりです。ですけど、あと少し遅ければ、わたしだけでなく仁狼さんや順崇さん、それに渓華さんも立ち上がっておられました。
「だと! 客に向かって!」
みぃさんに握られたままの右手を振り放そうとされますけど、腕はビクともしません。
「店潰したろか!」
もうお一人がみぃさんに殴りかかります。
ゴキッ!! と頬に当たった握りこぶしからイヤな音がしました。お客さんが手首を捻挫されたようです。
みぃさんは能力を少し開放されているので、痛みさえ感じていないはずです。
「お引き取り下さい」
強い口調と、ふたやの能力をほんの少し開かれたため、お二人は威勢をすっかり失われます。
「お、覚えてろよ」
お一人が手首を押さえながら出て行かれました。
《葵ちゃん、エルティ頼むぜ》
仁狼さんから意思が伝わってきます。
《はい。あの方を治療されるのですね》
《おう。あいつらも悪いが、ケガは痛いからな》
《そうですね》
仁狼さんに能力を送ると、すぐにエルティが現れます。
「仁狼さん鈴乃さん。お久しぶりですぅ」
わたしと同じ顔を持つエルティはフワリと宙に浮かびながら、お二人に挨拶をします。
もう性格ができ上がっているエルティとわたしの意識がシンクロすることはほとんどなく、現れるための能力は小さな種火としてのきっかけでしかありません。
それでもエルティの元気な声は、わたしと仁狼さん、それに鈴乃さんにしか聞こえていないはずです。
《すまねぇ、今出て行ったやつの片方がネンザしているんだが、治してやってくれねぇか》
「わかりましたぁ。ちょっといってきますぅ!」
そういうとスイッとドアを透り抜けて飛んで行きます。
「すみません。お騒がせしました」
奥の男の人にみぃさんが謝っておられます。
「いえ、考え事をしていましたもので。殴られたところは大丈夫ですか?」
「体だけは人一倍丈夫なんですよ」
みぃさんが笑うと、男の人もホッとされ、一緒に笑い出されました。
「ですが、何かお礼でも……」
「うちの店の出来事ですから、気にしないで下さい。もし、それでは気が済まないといわれるのでしたら……」
「なんでしょう?」
「コーヒーをもう1杯いかがですか」
「ハハッ! それはお礼じゃなく、頼もうと思っていました。
ここのコーヒー、本当においしいです。ぜひお願いします」
「ありがとうございます」
みぃさんは笑いながらカウンターに戻られます。
「ただいまもどりました。あの方のケガはすっかり治りましたぁ」
エルティが戻ってきました。
《ご苦労さんエルティ》
仁狼さんの中に入ると同時にわたしから送る能力も止めます。
《マスター、さっきのヤツらのケガ治しておいたぜ。それと2度とこねぇように、あいつらの記憶からこの店のこと消しておいた》
意思で仁狼さんがみぃさんに伝えられます。
《おいおい、せっかくのお客さんを減らさないでくれ》
《だったら今からあいつらみたいなヤツ、毎日入り浸るようにしてやろうか》
《ははは、そりゃ儲かる》
温めた炭焼きコーヒーを、先ほどの男の人に運ばれます。
「どうぞ」
「ありがとございます。あの……」
男の人は、何か話そうとされましたが。
カランカラン。
カウベルの音がして、また、どなたかお客さんが来られました。
「やっ! みんな集まってるね」
聞き覚えのある気さくな声が聞こえて来ました。修仁さんです。
いつも何を考えられているのか、突然何を思いつかれるのか予測できない方で、これまで数多くのこと……わたしと出会うずっと以前から、わたしと、エルティの存在だけでなく名前まで指摘されていたそうで、初めて会ったときも、わたしが名のるより先にフルネームで呼ばれたちょっと信じられない方です。
「今日は午後の講義が急になくなったから寄ってみたけど、やっぱり偶然なんてないんだね」
長のおっしゃったお言葉を思い出します。
「で、今日はどんな面白いことが起きたの?」
楽しそうにカウンターに座られ、みぃさんは何も言わずにみかんジュースの準備を始められます。
修仁さんは長のお言葉を聞かれていないはずですけど、長のいわれることと同じお話しをよくされます。
「面白いかどうかは知らねぇけど、さっき変わったやつらがきたぜ」
仁狼さんが先ほどの方たちのことを説明されます。
「ふふ……それは偶然じゃないね。ところで、今の話を聞いてどう思われます?」
修仁さんは、いきなり奥の男の人に問いかけました。
「え、何でしょうか?」
当然ながら戸惑われています。
「オレは犬澤修仁という者ですけど、いきなりですいませんがお名前教えて頂けませんか?」
「え、ええ。三田公作といいますが……」
「そうですか。すいませんが漢字も教えてもらえます?」
修仁さんがボールペンを渡しながら、お店のメモ用紙を差し出されると、三田さんは不思議そうな表情をされながらも書かれます。
「こういう字ですけど」
「ふふ……なるほど、そういうことですか」
差し出された文字を見て、修仁さんが何か思いついたとき、必ず浮かべられる笑い……仁狼さんの命名で『氷山の一角笑い』と名付けられた笑いを浮かべながら、三田さんに笑いかけられました。
「やはり分かりましたか? 修仁くんならすぐに分かると思っていました」
すると、急に三田さんの口調が親しくなりました。
「結果さえこじつければ導き出せる答えですよ」
「その結果をどうやってこじつけたのか、一番分からないところです。
きみには昔から予測だにしていなかったこと言い出すので、いつも驚かされます」
「何も考えずに、ただ思いついたことをいうだけですからね」
お二人は昔から知っている間柄のように話されます。
「修仁、この人知ってるのか? 俺はともかく、鈴乃にも憶えがねぇみたいなんだけど」
仁狼さんがお二人に話しかけられます。
「ああ、そうだね。知り合いというか、なんというか。その前に今日、ここに来た目的はなんですか?」
改めて三田さんに尋ねられました。
「まあ、大きくなったみんなの顔を見に来たといいますか」
「本当にあんた誰なんだ?」
とうとう仁狼さんは待ち切れなくなったようで、直接尋ねられますと、三田さんはとても嬉しそうにニッコリと笑われます。
「そうだね……うん、三田は“さんた”とも読めるし、公作は“交差”つまり“クロスする”という意味にもなるから、“さんたクロス”
サンタクロースの使い……と思ってくれればいいよ」
「なんだよそれ。全然分からねぇぜ」
「だから、みんなの願いごとを1つだけかなえてあげよう」
「嘘くせー。メチャクチャ嘘くせー!」
「それは、『どんなことでも』ですか?」
仁狼さんが叫ばれるのと同時に、修仁さんが氷山の一角笑いを浮かべながら尋ねられます。
「来たね、修仁くん。さてさて何を言いだすことやら」
「いえ、まずは確認だけ」
「残念ですが、どんなことでもという訳にはいきません。現実問題としてどうしようもない願いはかなえられませんからね。けっこうシビアですよ。
それと、願いごとの数を増やす願いや、不老不死や、死んだ人を生き返らせることも無理です。そして最後に……」
修仁さんを見られ、ニッコリと笑われます。
「願いごとをかなえる能力が欲しいってのもダメですよ」
「……ふふ」
「やはりそうでしたか?」
「まあ、無難なところですね」
お二人は楽しそうに笑われますけど、わたしには願いごとをかなえてくれるといわれて、すぐにそんなことを考えることはできませんでした。
「では、どなたからでもどうぞ」
三田さんはニッコリ笑って見渡されました。
「ちょっと待て! 話が読めねぇ。なんかアヤシいんじゃねぇか?」
「大丈夫だよ天凪くん。アヤシくない。今日限りの大サービスとでも受け取っておいて問題ないですよね? サンタさん」
修仁さんが笑いながら否定されましたけど、わたしにもさっぱりどういうことなのか分かりません。ですが、修仁さんがここまで言われるのでしたら問題ないようにも思えます……。
「そんなところでしょうか……と言いたいところですけれど、約束ですから」
そう言われ、わたしたちにとても優しい笑顔を向けられます。
「なんだよ約束って?」
「……ふふ……そういうことですか」
修仁さんを見ると、またあの笑いを浮かべられています。
「じゃあ危険じゃないこと証明するために、オレから頼みましょうか」
修仁さんがおっしゃいました。
「いきなり修仁くんですか、気合いを入れて聞かなければなりませんね」
「では、うちの家系には記録によると、もう400年以上も代々伝わるものがあるんです。
それは受け継ぐ者を常に悩ませ続けるものでもあり、現在それはオレの父が受け継いでます。
そしていずれ必ず長男であるオレに引き継がれることが、生まれたときから決まってるんですけれど……」
400年も昔から代々伝わるものがあるなんて、修仁さんの家は由緒正しい家柄なのでしょうか。
「解かりますか? 『それ』が何か」
修仁さんは笑いながら尋ねられます。
「修仁、大変な骨董品なら、順崇のじーさんにでも頼めば何とかしてくれるんじゃねぇか?」
順崇さんのお祖父さんは古美術商を営まれており、繁華街の一等地に店舗を構えておられますけど……。
「骨董品じゃないよ。それに人に譲れるものでもないからね。どうです? 解かります?」
「う~ん……。難しいですね」
三田さんは腕組みをして考えられます。
400年も受け継がれたあるもの。骨董品じゃなく、受け継ぐと困るもの。それでいて人に譲れず、修仁さんに受け継がれることが決まっている。
何なのでしょうか? 修仁さん以外の皆さん、みぃさんまで頭をひねられています。
「あ! それって、ひょっとすると!」
鈴乃さんがパッと顔を上げられました。
「さすが神流原さん。解かった?」
鈴乃さんが修仁さんの耳元で何かをささやかれると、彼はニコッとされます。
「当たり!」
「……た、確かに人にあげられないね」
鈴乃さんは、複雑な顔でつぶやかれますけど、表情からあるものが何なのか読み取ることはできません。
「何なんだ? 鈴乃。教えてくれ」
「あ、あせらなくても、すぐに修仁ちゃんが教えてくれるよ」
「解かりましたか?」
修仁さんが再び三田さんに尋ねられます。
「……降参です。教えてください」
そう言いながら、お水をひと口含まれます。
「そうですか、残念だな。うちの家系に伝わる、受け継いだ者を悩ませるあるもの。それは……」
皆さんが黙って答えを待ちました。いつも冷静な順崇さんさえ身を乗り出されています。
「それは、コレッ!」
パンッと手を打ち鳴らして指されたのは…………。
「うちの家系、男はみんなハゲるんです。何とかしてください」
三田さんは飲まれていたお水を吹き出され、咳き込まれます。
「ケホッ……すみません、思わず」
「大丈夫ですか?」
鈴乃さんが素早く立ち上がって、おしぼりを差し出されます。
「ああ、ありがとう。修仁くんの家系、そうでしたか? 初めて聞きました」
「まあ……ね。どうです?」
「承知しました。といっても証明するには時間がかかりますから……お父さんも合わせてこんなのはどうです?」
三田さんは目を閉じて、両手を前に差し出され、柏手を1つ、2つ……。
3つ目を打たれたと同時でした。
「え? わああぁ!」
修仁さんの髪が、まるで高速撮影の映像を見ているようにぐんぐんと伸び、約30センチほどでようやく止りました。
「どうです? 長髪もなかなかでしょう」
「ええ……してやられましたよ」
「修仁くんの場合、少しは何かしないと面白くありませんから特別です。
今ごろ会社でお父さんにも、同じことが起こっていてびっくりされているでしょう」
「ふふ……喜びますよ」
こんなことが物理的にあり得るなんて考えられませんけど、今のことを実際に見て信じないわけにも行きません。
「髪が伸びたのは分かりますけど、物理的に何をしたんですか?」
鈴乃さんが尋ねられました。
「それを知るのが願いですか?」
「それが願いになるなら、そうです」
「いえいえ、鈴乃さんは知りたがりですね。毛髪の遺伝子を修正すると同時に、毛根の新陳代謝を活性させて髪の毛を伸ばしたんです。
お父さんは、もうなくなってしまった毛根も復活させました」
「ですから、それをどうやって……」
どうやって……そんなこと常識でできることではありません。
「例えばエルティなら、できても不思議ではありませんね?」
「「「え!?」」」
仁狼さん、鈴乃さん。それにわたしが同時に驚きました。なぜ三田さんがエルティのことを知っておられるのでしょうか?
「そう考えてもまだ不思議ですか?」
「そう考える前に、なんであんたが知っているんだ?」
「それは、秘密です」
またニッコリと笑われます。
「順崇くんと渓華さんは、やはりもっと強くなりたいですか?」
お二人とも面識はないはずなのですけど、なぜ知っておられるのでしょうか?
「己の鍛練による以外の強さは、本当のものではありません」
順崇さんは、問われると同時にはっきりと答えられます。
「かなうのであれば、総師範の眼を」
総師範……順崇さんのお祖父さんの目は、修業時代の古傷が最近さらに悪化し、手術を受けられても両眼とも失明される可能性が高いと伺っています。
エルティでも、お祖父さんは高齢のため治すことはできず、わたしも大変心配しています。
「はい、もちろん」
三田さんは答えられ、先ほどと同じように三度柏手を打たれます。
「治りました。帰りに寄って確認してください」
「だったら私も治してください!」
渓華さんがめずらしく大声をあげられました。
「隣のうちで飼ってる犬なんですが、子犬の頃から私にもよくなついていたのに、この間、車にはねられて……大ケガして……後ろ足が片方不自由になって、りっぱだったシッポも、半分ちぎれて……轢いた車も、誰なのかも分からなくて……」
だんだん涙声に変わり、わたしも涙が出てきました。
「安心してください。今すぐ治します」
三田さんも鼻をすすられながら、あわてて柏手を打たれました。
「これで治りました。それと轢いた人は、今日中に謝りにきますので、怒らずに話を聞いてあげてください」
「どうしてですか?」
「その人も轢きたくて轢いたのではありません。犬が死ななかったのは、轢かないよう必死でよけたからです。
今まで来られなかったのは、どこの犬を轢いたか分からなくて、ずっと探しておられたんですよ」
「そうだったんですか……」
渓華さんはホッとされたものの、ソワソワされ初められました。
「総師範のところにも立ち寄る」
順崇さんが立ち上がられました。
「はい!」
渓華さんも嬉しそうに席を立たれます。
「すいませんみなさん、お先に失礼します」
「また」
渓華さんはペコッと頭を下げられ、順崇さんは軽く手を上げられます。
「おう、しっかり見てこい」
「また今度ね」
お二人はわたしたちに見送られながらお店を出て行かれました。
「さて、次は鈴乃さんがどうですか?」
「え? ううんと……」
鈴乃さんは考え込まれます。
「おまえ、トロイの治してもらえ」
仁狼さんが笑いながらおっしゃいます。
「いいよ、元々だから気にしてない。
それより家族みんな健康で無事に過ごせればいい」
「あいかわらず、おまえらしいな。もう少し欲出せねぇか?」
「神流原さんらしいですね。ちなみに家族っていうのは心の家族、天凪くんと磐拝くん、朝日奈さんの家族も入れてのことだね」
修仁さんの言葉に、わたしも仁狼さんも驚きます。
「うまいですね。そう言われれば、そうしなくてはなりません。
それなら修仁くん、渓華さん、真柴さん、佳那さん、智恵さん、佳月さんに舞貴さんも入れておきましょうか」
「だから、なんであんたがそんなに知っているんだ!」
仁狼さんの叫びも気にせず、三田さんが柏手を打たれました。
「次に真柴さん、どうぞ」
真柴賢二郎……みぃさんの本名ですけど、知ってる方はそう多くありません。
「私も……ですか?」
「マスターには先ほど助けていただいてます」
「そう言われても、私の願いね……」
「息子さんは来年から大学生ですね。私立に進学されますから、授業料も大変でしょう」
「う、うむ……」
「月の売上を純利益で20%アップでどうですか」
「そりゃあ、そうなったら確かに助かります。妻のパートの話も振り出しに戻せます」
「それでは。ちょっとおまけして25%にしておきましょうか」
本当かどうか分かりませんけど、三田さんは柏手を打たれます。
「では仁狼くん」
「ねぇよ」
仁狼さんはあっさり言われました。
「俺は必要以上の金も欲しくねぇし、特に欲しいモンもねぇ。
鈴乃が家族健康にって言ってくれたから、それでいいぜ」
「君ならそう言うと思っていました。ですからこちらで考えているものがあるんです」
「なんだよ?」
「物ではありません。運です」
「ウン?」
「ツキやラッキー、ハッピー、ツイてるっていう運です」
「なんだよそれ、よく分からねぇ」
「まあ、もらって損はありません」
「じゃあ、そうしてくれ」
仁狼さんに柏手が打たれ、残りはわたし一人になりました。
「さて最後に葵さん、お待たせしました」
三田さんはわたしにとても優しい笑顔を向けられます。
「わたしは……」
わたしの願いごと。宝くじが当たりたい、宝石や車、家などが欲しい……公団住宅なので両親はそう考えているかもしれませんけど、わたし自身はそういったことに興味がありません。
……ですが、もし本当に願いがかなうなら。
「わたしは……もう一度だけでも……」
できないことは分かっています。
でも、もし……。
「分かってます。そのために来たのですから」
三田さんがおっしゃったのと同時でした。
誰かの姿がスウッと現れたのです。
「お、親父じゃねぇか!」
仁狼さんが叫ばれます。
目の前には、仁狼さんのお父さん……おじちゃんの姿が。
「はは、葵ちゃん驚いたか。仁狼も驚いただろ」
その声は間違いなく……。
間違いなく……。
「おじちゃん……なの?」
まだわたしが五歳の頃、道に迷っていたときに優しく声をかけてくれて、お母さんに連絡して会わせてくれて以来、ずっと好きだったおじちゃん。
次元バランスを護る仲間だったおかげで、おじちゃんとは家族と同じくらいおたがいの精神的つながりが強かった。
でも次元バランスを護る行動の途中で……わたしの目の前で死んだおじちゃん……。
そして、今はおじちゃんの後を引き継いだ仁狼さんと次元バランスを護る仲間として強い精神的つながりがある。
おじちゃんにもう一度会いたい。
それが……それだけが、ただ一つのわたしの願い。
「今日は三田さんの力を借りてこっちに来たんだ」
そう言っておじちゃんと仁狼さんのいつものポーズ……軽く握った拳を口元で親指を立てる得意のポーズを取られるのを見たとたん、わたしは幼い頃のようにおじちゃんの胸に飛び込んでいました。
「ははは、すっかり大きくなったが、葵ちゃんの元気いいのは変わってないな」
おじちゃんはそう言いながら、わたしの頭を優しくなでてくれます。
あの日、おじちゃんが死んでしまった最後の日以来、思いだすたびに悲しくて、何度も記憶の奥に閉じ込めようとしてできなかった、この気持ち……。
仁狼さんをむうの地に導いたときも、魂として会うことはできたものの、抱きしめてもらうことはできず、とても悲しかった。
でも今は、あのときと同じ……あのときのまま……。
嬉しくて涙がポロポロでます。
「ほら、涙ふいて、せっかくの美人がだいなしになるぞ」
「ふぁい」
のどが詰まって、うまく返事できません……。
「修仁くんは最初から三田さんがあやしいことに気づいていたようだが、どこで分かったんだ」
おじちゃんはわたしの肩に手をかけたまま、修仁さんに振りかえられます。
「今日来たというお客さんは、まずこの店には入って来ないんですよ。店から感じられる雰囲気が、その手の人たちとは反撥する磁石のようになってますからね。
それでも入ってきて、他のことには目もくれず三田さんに危害を加えようとした。しかも他にお客さんはいないと来てる。
これはオレたちとなんらかの接点を作りたがってると見て間違いないでしょう。
じゃあ何のために?そこである仮説を思いついたんですけど、それは後にしますね。
次の疑問は、三田さんは顔を見に来たとのことでしたけど、本当にそうだろうか? ある特定の誰かに会いに来たんじゃないだろうか? それならそれは誰か?
表情ですぐ分かりました。朝日奈さんですよね」
「おう、ついでに仁狼にも会っておこうかなと思ってな」
「ひでぇ親父だ。ま、いいけど」
「そこから先は難しくはありません。引っ張った糸は、からまず出てきました」
「修仁ちゃん……結局、三田さんて何者なの?」
「うん。それがね、それが最初にこじつけないと出てこない結果なんだ。
でも三田さん。まだもう少し待ったほうがいいですよね?」
「そうですね。どのみちすぐに分かりますけど」
修仁さんが三田さんにおっしゃった言葉にとても不安になりました。
まさか、おじちゃんは、本当のおじちゃんじゃないのでしょうか?もしそうならわたしは……。
「朝日奈さん安心して、今そこにいるおじさんは、間違いなく君の知ってるおじさんだよ」
「葵ちゃん心配するな。俺は俺に間違いない。
三田さんだけじゃなく、俺自身が伝えておきたい用があるからな」
「何だ親父、伝えたいことって?」
「おう、実は近々転生することが決まったんだ。つまり再びこの世に生まれることになる。
こんなに早くなるとは思っても見なかったから、安心していたんだが」
「おじちゃん、また生き返るの!?」
生き返る!! おじちゃんがまた生きていてくれる!!
「うーん、そうじゃないんだ。俺そのものが変わることはないんだが、あくまで今の俺の魂として足りないところ、欠けているところを埋め、鍛えるために、いったん全ての記憶をなくして、まったく新しい人間として生まれなければならないんだよ」
全ての記憶……ということは、わたしのことも……。
「忘れるの? おじちゃん。わたしのことも……」
「大丈夫だ。忘れるのは一時のことだ。死んで魂の本質に戻った時、またすべて思い出す。
魂に刻まれたことは、決して忘れることはないんだ」
「本当に? 本当にわたしのこと忘れない?」
「なぜこれほど精神的つながりが深いか考えてもみろ、俺と葵ちゃんは前回もその前も、その前も会っているんだ。
因縁が深いということだな。しかし、それを思いだすと、せっかく何もかも忘れて生まれ出た意味がない」
「なんだよ、よっぽど悪いのか?」
「そうじゃない仁狼。数回、数10回……あるいは数100回以上の長い時間の記憶を全て残したまま生まれ変わったら、人は生まれたときから老人同然の心しか持たなくなる。
何より一度染みついた自分の悪いクセを直すことができない。
俺たちのことじゃないが、悪い例を挙げれば1000年前に奴隷と王だった者が、どちらもそのことを覚えたまま立場が入れ替わって生まれたらどうなる?
そして今度は親子や兄弟など肉親として生まれたら、たがいにどうつき合えばいい?」
「人が憎しみを自重できるようになればいいんだけど」
鈴乃さんが小さくつぶやかれます。
「今はまだムリだろうね。何も知らないからこそ、その時々に合わせてたがいの気持ちをぶつけ合って解かり合って。
ちょうど川の石が上流から下流に運ばれるとき、だんだんと角が削られて丸くなって行くように、それぞれの魂が磨かれて輝くんだ」
修仁さんが鈴乃さんに答えられますけど、わたしとおじちゃんは、生まれる前はどんな関係だったのでしょうか。できることなら悪い関係でありませんように。
「そういうことだ。それに仁狼」
「なんだ?」
「葵ちゃん同様、俺とお前は長いつき合いなんだぞ。いろんな意味でな」
おじちゃんが仁狼さんに、笑って親指を立てられました。
「俺の場合は腐れ縁ってやつじゃねぇのか? よく分からねぇけど、これからも宜しく頼むぜ」
仁狼さんも同じポーズで応えられます。
「こちらこそな……さて」
おじちゃんがわたしの肩をポンっと軽く叩かれました。
これはたぶん……タイムリミットの……。
「伝えたいことは伝えた。俺はそろそろ行かないと」
「おじちゃん……」
また目の奥が熱くなってきます。
「あ、待っておじさん」
「どうした? 鈴乃ちゃん」
「おじさんは、もう次の誰かに生まれ変わられるんですよね?」
「おう」
「それも葵ちゃんや仁狼ちゃんとも縁が深いんですよね? だとすると……」
「近々というだけだ。すぐということではないさ」
「知ってるんですね? 自分が次に誰になるのか」
修仁さんが笑いながら尋ねられます。
「知っている。というより、誰になるのか、どんな人生を送るのかは自分で決めるんだ」
「どういうこと? おじちゃん」
「自分の魂の足りないところは、自分が一番よく知っている。
だからこそ、それを補ってくれる最適の場所、時間、人間関係を見計らって自分でどんな人生を歩むのか。つまり運命を自分で決めるんだ」
「運命は決められてるものじゃないの?」
「違うさ。運命は他人や神様、まして悪魔が決めているものじゃない。自分が自分で信じる道を決めるんだ。
逆にいえばどんな状況の時でも、必ず乗り越えられる道が作ってある。それが見つけられるかどうかは、すべて自分次第ってことだ」
おじちゃんはわたしの目を見つめながら、強くそう言ってくれました。
でも……。
「……でも、それならあのとき死んだおじちゃんは……」
「あれが自分で決めていた最期だったんだ。計画どおりのな。
だからこそ次の生まれ変わりがこんなに早かったともいえる。分かるな?」
おじちゃんはわたしにウソはいいません。だからおじちゃんの言葉は信じます。
「うん。分かった」
「よーし。いい子だ」
大きな手がわたしの頭を優しくなでてくれます。
「そろそろ時間だ。行かないと」
おじちゃんが立ち上がりましたが……これでおじちゃんと別れるのは3度目になります。
「鈴乃ちゃん。頼りないやつだが仁狼のこと頼むよ。こう見えて小心者なところがあるんだ」
「大丈夫です。おじさんが知っている時の仁狼ちゃんからは、だいぶ成長してますから」
「こら鈴乃! だったら前は違ったってことか!」
「ははは、鈴乃ちゃんが言うなら間違いないな」
先ほどからおじちゃんは、仁狼さんをずっと避けているように思えす。ですけど、おじちゃんが亡くなられるまでは、とても仲が良かったと聞いています。
本当は……ここでまた別れることが寂しいのではないでしょうか……。
そして仁狼さんもそれが分かっていて、わざと仲の良くないふりをされているのでは……。
「じゃあ皆さん、この姿で会える最後だ。
どこでかは言えないが、いつかまた会うことになるでしょう。それまで一時の別れを」
そしておじちゃんは、あのポーズのままスッと姿を消され、後ろには何事もなかったかのように、三田さんが座っておられます。
「義鳳さんからのメッセージは終わったようですね」
すでに辺りにはおじちゃんの気配は全く感じられません。
「そろそろ正体を明かしてもいいんじゃないですか?」
修仁さんがおっしゃいました。
「かもね。その前に葵さん?」
「はい?」
三田さんが笑いながらわたしを見られます。その目はおじちゃんと同じように優しい目でした。
「去年のクリスマス、ご両親が仕事でプレゼントがなかったでしょう?」
確かに去年は二人とも気にしてくれてはいましたが、結局、何もしてもらえないまま過ぎました。
二人が忙しいのは分かっています。わたしと、父母どちらも相手のためを思って精一杯働いてくれています。だけど、時には精一杯を休めてくれると嬉しいのですが。
微笑んだままの三田さんの姿が変わりました。
この姿は……分かりました。やっと分かりました。今日のでき事の意味がすべて分かりました。
皆さんが息をのんだそのときです。
「あいかわらずみんなココに集まってるわね、よう! 仁狼、元気してたかー!」
「お、おう、舞貴。今日もマスター儲けさせにきたのか。少しは佳月を見習わねぇと太るぞ」
「おいおい天凪君、よけいなことは言わないでくれ」
みぃさんが苦笑されます。
三田さんに起きたことが、あまりに突拍子もないことだからでしょうか。
何も知らずに入って来られた皆さんに、仁狼さんもみぃさんも普通に答えられています。
もちろんわたしも、そんな気分になってしまっているのですけど。
「こんにちは。今日は勢ぞろいね」
舞貴さんと一緒に来られた佳月さんはそっとカウンター席に腰かけられます。
「……あ、犬澤くん……今日大学どしたの?」
「何言ってんのかなぼ~。わたしたちと一緒でサボリよサボリ! ねえ?」
佳那さんと智恵さんも来られます。
「急に休講になってね、なんとなく来ないといけない気になったんだよ」
「……あたしも……でもちい、あたしは午前中だけだったから、サボッてないけど」
「分かった、分かった。サボリはわたしだけ……それより、犬澤くんその頭どうしたの? 昨日はフツウだったじゃない」
「ちょっとイメージ変えようかと思ってね。どう?」
「将来有名な美容師になる予定のわたしからいわせれば……似合わないわ! タダでいいから練習してあげる」
「いや、遠慮しておくよ」
「何よ! わたしの腕信じてないっしょ?」
「信じるも何も学校、入学したばかりだよね」
「そうよ、まだハサミの使い方さえ知らないもの。わたしの腕なんて信じられるはずないっしょ? だけど将来プレミアつくかもしれないわよ」
「ふふ……それは楽しそうだね」
修仁さんが困られます。
皆さん何かに引き寄せられたかのように、一斉に勢ぞろいしたのです。いいえ最初から皆さんが集まることは決められていたのです。
先ほどおじちゃんのおっしゃった運命が決められているのなら、今日は必ず集まるようになっていたのでしょう。
わたしがプレゼントなんていらないと強く思ったクリスマスの夜に、夢の中で“この”三田さんが現れたのです。
『きみの願いを叶えてあげよう。だけどそれには、自分以外の人の願いが叶うようお願いしなきゃいけないよ』
意味はよく分からなかったのですけど、私は仁狼さんや鈴乃さん、順崇さん、皆さんの願いが叶うよう強くお願いしたのです。
「まだ叶えてない皆さんの願いを一つ叶えてあげましょうか」
「きゃっ! びっくりした。なに? 大きなぬいぐるみかと思ってたけど、しゃべる仕掛けなの?」
舞貴さんが頭をなでられると、三田さんはニッコリ笑われます。
「え!? 本物? え? どうなってんの??」
姿の変わったところを見ていない皆さん……佳那さんだけは何事もないかのように、みかんジュースを飲まれています。
「サンタクロースは、キリスト教の教父聖ニコラオスが起源と言われています。そして現在はその伝説をもとにクリスマスのサンタがいるわけですが。
よく言われますけど、サンタ一人で世界中の子どもたちの願いを聞いたり、プレゼントを届けたりできると思いますか?」
三田さんがイスから降りると、空中にソリが現れました。
「実際はボクたちが世界中の仲間と情報を交換して協力し合っているんです。だから、あまりボクたちの仲間の数を減らさないようにお願いしますよ。
ちなみにソリに乗せている赤い服を着た人形は、イメージキャラクターですから」
もうすぐ雪が降りてきそうな寒空へ駆け出されていくのは、茶色い毛並みのりっぱなトナカイさんです。