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ハレミア人猟師とシレンティウム~ハレミア人猟師ロッセの旅~

 ハレミア人のロッセは猟師。


 猟師と言っても海獣、つまり海豹や海馬、猟虎、海驢などを主に狩猟し、その毛皮や肉、骨に牙、更には脂を採るのが仕事である。


 とは言ってもハレミア人。

 それ程高度なワザや仕掛けが有る訳では無く、ロッセも縄のついた銛1つで海に住まう強敵達と渡り合うのみである。

 

 但しそこはハレミア人。

 巨躯をいかし、腕力を生かした銛の一撃は冬の海において極地の寒さに耐え抜く事の出来るように進化した分厚い海獣達の毛皮や脂肪、果ては強靱な筋肉までもを撃ち抜きその内臓深くに達して絶命させることが出来るのである。


 しかしやっぱりハレミア人。

 折角獲った獲物も加工して売るという発想はそもそも無く、肉を採り、皮を採り、骨や牙を採って後はうち捨てるのみである。


 そんな彼らハレミア人。

 一応農耕を行ってはいるものの、住んでいる土地は極北地域の冷涼というのも生ぬるい程酷く寒冷な気候のため、大した作柄は一生涯期待出来ない。

 それ故に南下して豊かな大地と太陽の恵みを十分に受けることの出来る、クリフォナムの民を打ち負かしてその成果を奪う他に生きる術がないのであった。


 ただしハレミア人も人間。

 全員が全員、荒ぶる北の大地の神の加護を受ける訳では無く、またそれによる猛々しい戦士の魂を持つ訳では無い。

 中には争いが嫌いな変わり者もいるのだ。


 ロッセはそんな変わったハレミア人の1人であった。


 ロッセは海獣の血で塗れた銛を海水で洗い、自分の丸木船を浜へと引き上げた。

 酷く寒冷な気候ではあるものの、針葉樹を主体とした森はあちこちにあり、木材は比較的簡単に手に入るのであるが、それを加工する道具や技術が無い。

 故に未だハレミア人達の中では船と言えば丸木舟のことを示すのだ。


 ロッセは争い事は余り好きでは無い。


 戦争なんか無くなれば良いと思っている。

 族長や村長の言付けで何度が戦場に立ったことはあるロッセだったが、正直余り気分の良いものでは無い。

 はっきり言って嫌だったのだ。

 そんなロッセの父や母も少し変わっていたようで、同じ生業をしていながらクリフォナムやオランの民のみならず、果ては遠く帝国人達とも交易というモノによって交流をしていた。

 幼少の頃、父から手渡された雪のような白い、そして甘い砂糖菓子の味。

 焚き火の静かに反射していた父の手の中の鋼の剣。

 ふわふわでいてつるつる、皮ではない不思議な感触の布という物。

 どれもハレミア人の住み暮す極北地域では産しない物をよくロッセの父親は持ち帰っては部族の者達に自慢していたモノだった。

 味と言えば海水を干した塩や薬味のある草くらいしか知らず、剣と言えば生の鉄を打っただけの余り頑丈で無い粗鉄の剣。

 着る物は獣皮をなめした物が主体であったハレミア人達にとって、ロッセの父親が持ち帰る文明の利器や産物は羨望の的であったのだ。


 そして羨望は嫉妬へと変わる。

 族長主導でロッセの父親と母親は殺され、父親の宝は族長の物となった。

 ロッセは父から貰ったオラン製の鉄の槍だけを持って辛うじて集落を逃れてはぐれ者となり生き延びた。

 途方に暮れたロッセだったが槍を銛へと改造し、父親の見よう見まねで海獣猟を始めて食い繋いだ。

 今は海獣猟師としての腕前を見込まれ、集落に住まうことは許されていないしロッセ自身もそんなつもりは一切無いが、出入りは自由にしてよいことになっている。

 ロッセの持ち込む海獣の産品は今や集落にとっても重要な物資であるのだ。




「…きょうはまあまあだ」


 船縁に繋いだ獲物を引き上げて浜へ並べると、ロッセは満足そうに笑みを浮かべた。

 白い鮮やかな斑点の浮かんだ海獣の皮を見て、ロッセはふと幼い頃に口にした砂糖菓子の甘味を思い出した。

 それは家族の思いも詰まった味。

 長く漁に出ていて空腹であったこともあり、思い切りつばを飲み込んだロッセは無性にあの甘みを味わいたくなった。

 そして、その思いが募り突拍子の無いことを思いついてしまった。


「…そういえば、さいきんまちがふっかつしたんだった」


 新興都市シレンティウムの噂は遙か北の大地にまで既に届いており、クリフォナムやオランの民を受け入れてすさまじい勢いで大きくなっているという話がハレミア人の間にも伝わってきていたのだ。

 北の民と南の小さな頭のよい人達は確か仲が悪かったはずで、また、オランとクリフォナムの民は犬猿の仲である。

 どうして一緒に暮すなどと言う、そんなあり得ない事が可能なのか、ロッセには理解出来なかったが、それよりも頭に浮かんだのは全く別のことであった。


「…そこへいけばさとうかしがあるかもしれない」


 仲の悪い民同士が一緒に生活をしているという都市。

 そんな色んな民を受け入れているというのなら、ハレミア人の自分が行っても問題はあるまい。


 ロッセは決断した。


 どうせ大したしがらみも無い村である。

 自分1人がいなくなった所で困る者もいない。

 ロッセは獲ったばかりの獲物を素早く解体し、今まで貯めてあった毛皮や乾し肉と一緒に丸木舟へ載せると、更に細々とした家財とも呼べないような家財道具一式を積み込んだ。

 シレンティウムへの行き方は知っている。

 海を経由し、エレールの大河を遡ればよいのだ。

 エレール川の流れが緩やかで、丸木舟程度でもロッセの力でもって漕げば遡れる。

 ロッセは浜へ上げてあった丸木舟を勢い良く押し出し、海へと繰り出した。

 




 2か月後、エレール川支流・元アルマール村船着き場


 焼け焦げた村の跡を見て暗い気持ちになるロッセ。

 かつての自分の境遇を思い、この村に居た人達が無事逃げ果せていることを祈らずにはいられない。

 流れは随分急にはなったが、まだ余裕があるのでゆっくりと周囲を見ながら丸木舟を漕いでいると、この焼けた村の跡を発見したのだ。

 ゆっくり焼け残った船着き場へと向かい、その桟橋に丸木舟を寄せた。

 残っている舫い綱を取り、丸木舟の舳先に繋ぐとロッセは荷下ろしを始める。

 毛皮は随分と少なくなってしまったが、まだ海獣の牙や骨、干した肉は十分にある。

 砂糖菓子が幾ら高価であってもこれだけあれば交換して貰えるだろう。


 ふと思い出してロッセは毛皮と交換で貰った銀貨を取り出して眺めた。

 途中、クリフォナムやオランの集落へ寄って毛皮と食糧などを交換してここまで来たのだが、どこも最初は物々交換に応じてくれず戸惑いを隠せなかったロッセ。

 硬貨という、丸い光る金属が物と交換する時に役立つと説得されたが、価値が分からないので断っていたが、硬貨で無いと取引出来ないからと説得されて渋々応じたのだ。

 更に途中立ち寄ったクリフォナムの村では南の新しい街で物々交換は出来無いと言われ、一応値打ちを教えて貰ったロッセだったが、イマイチその価値や交換率については理解出来ていない。

 不思議そうに銀貨を眺め、腰の小物入れへとしまうとロッセは山のようになった荷物をひょいと担いで歩き始めた。

 聞いた話ではこの焼けた村から西へ歩いて半日で、ロッセの目指す街へ着くという。


「もうちょっと…」


 もう少しで砂糖菓子が手に入る。

 そう思うと自然に頬が緩むロッセだった。




 半日後、シレンティウム東門


「………………」


 精緻な装飾が施され、白い大理石で形作られたシレンティウム東門の威容を見てロッセは固まる。

 その前にも自然ではあり得ない形に敷かれ、延々と続く煉瓦造りのアルトリウス街道に度肝を抜かれたのだ。

 水路までもが石で舗装され、しかもその水は清潔でそのまま飲むことが出来る。

 街道には馬車や人、北方軍団兵が行き交い、農場では農民達が汗を垂らして作物や圃場の世話をしていた。

 しかし馬を見た事がないロッセは、海獣よりも大きい馬に驚き慌てふためく。

 伝令兵の駆る早馬に驚き、次いで今乗っている馬車の馬に驚いたのだ。


「ハハハ、驚いたかヨ?ここがシレンティウムネ!」


 馬車の荷台で固まるロッセを見て、御者台に座る東照人、奉玄黄が面白そうに声を掛けた。


「…おどろいた」


 その言葉に素直に頷くロッセ。

 街道を行く人々は皆親切で、ロッセは大荷物を持っている事を哀れに思われて馬車へ乗せてくれようとした人もいた。

 それが今言葉を交わした奉玄黄である。

 馬車へ乗せようと申し出てくれた親切な東照人の商人は、馬を見た驚きの余り荷物を全て放り出して腰を抜かしたロッセを見て大笑いし、ロッセの荷物を拾い集めてくれた上に馬車の後ろへ載せてくれたのだ。

 この東照人という民族もロッセは初めて見る。

 黒い髪に黒い目、小柄で体付きはロッセ達ハレミア人から見ればはるかに華奢。

 服装も自分達はおろかクリフォナムやオランの民とも随分異なるようだ。

 聞いていた南の賢く小さな人達のようだが、質問してみると全く違うのだという。


「ワタシここからハルカ東の生まれネ。ここいらへんには余り居ない人ヨ~」

「そ、そうか…」


 自分も話をするのは得意ではないが、この東照人と言う人のしゃべり方は酷いと思う。

 東照人が全てこの様な話し方なのだろうか?


「…いま失礼なことを考えてなかったかヨ?」

「い、いや…かんがえていない」


 ジト目で後ろを振り返る東照商人、奉玄黄に慌ててそう返答するロッセだった。




 シレンティウム中央通り


「…………」

「…驚き過ぎネ」


 門をくぐり、中央通りへ入った所で再び固まるロッセ。

 ぽかんと口を開き、周囲の高層建築や水道橋、街路を覆う石畳に唖然としたのだ。

 いずれも奇麗に手入れや掃除が施され、白い大理石の壁面には浮き彫りや装飾以外の物は何も付いていない。

 街路に沿って植えられた木々や草花も手入れが行き届いており、ロッセはまるで神話にでてくる神の宮殿のようなシレンティウムの佇まいにすっかり心を奪われてしまった。


 全て人の手による物だと言うが一体どうやってこの様な建物を造ったのだろうか?

 水道橋には先程街道で流れていたのよりも遥かに奇麗な水が満たされており、ロッセはその水を見て目を見張り、更には工芸区にある巨大な水車を見て目を丸くする。

 街路を歩く人々は様々な族民や人種で溢れており、しかも数が多い。

 盛んに言葉を交わし合い、荷物を運び、ロッセも道中で手に入れた硬貨を荷物と遣り取りしている。

 時折鈍色に光る鎧兜を身に着け、整然と行進する北方軍団兵。


 一体何人の人間がこの街で暮しているのだろうか?

 都市の全てが驚きで満ちていた。


「…おどろいた」

「そんだけ驚けば、街も作りがいがあるというものヨ」


 しばらくしてぽつりと漏らしたロッセに、奉玄黄は苦笑しつつそう言葉を返すのだった。



シレンティウム商業区、ホー商会


 大通りを過ぎ、奉玄黄が構える店まで付いて来たロッセ。

 奉玄黄が行く宛は無いと聞いて店まで連れてきたのだ。


「で、どうするネ?」

「…?」

「その毛皮と海獣の筋骨、もし売りに来たのならワタシが買うヨ?」


 馬車の荷台から東照の産物満載の荷物を下ろしながら奉玄黄が言うと、ロッセはようやく馴れた馬の鼻筋を撫でながら答えた。


「…ああ、そうだった…たのめるのか?」

「任せると良いネ、こんな良い品質の毛皮や牙は見た事ないヨ!穴は最小限、牙はきっちり磨かれていて欠けもないネ~アナタきっと腕の良い猟師ネ」

「…ありがとう、うでにはじしんがある」


 褒められた照れからか、はにかみつつ答えるロッセに奉玄黄は胸を叩いた。


「必ず適正価格で引き取るヨ~」


 奉玄黄がにこやかに笑って言うと、ロッセが首を傾げた。


「てきせいかかく?」

「あ~そうだったネ、アナタ北のハレミアの人だったネ…何か欲しい物あるかヨ?」

「あまいもの」


 奉玄黄の質問に即答するロッセ、その様子に些か驚きつつも奉玄黄は店から出てきた従業員達に荷物の搬入を任せると、胸を叩いて請け負った。


「甘い物ネ、分かったヨ、任せるヨ!」

「ホントか?」

「ホントヨ~東照商人は嘘付かないネ!」



ホー商会の玄関口で待たされるロッセ。

 しばらくして奉玄黄が小皿を持って現われた。


「ほい、これが蜂蜜ネ、こっちが南方大陸産の砂糖ヨ」

「…」


 おそるおそる奉玄黄が差し出した小皿の上の蜂蜜に指をつけ、そっと舐めるロッセ。


「!?」


 その顔が驚愕に彩られるが、もう一指分舐めてから、しかしロッセは首を捻った。


「あまいし…うまいが、ちがうきがする」

「じゃ、こっちはどうネ?」


 奉玄黄が差し出した小皿の砂糖をひとつまみすると、ロッセは口へ指を運ぶ。


「……!これだ!!」

「そうかヨ~」


 ロッセの言葉に頷いた奉玄黄は小皿を傍らに置き店の奥へと引っ込むと、直ぐに東照製の油紙でしっかりと包まれた包みを持って戻ってきた。


「じゃ取り敢えずこれを一袋渡しておくネ。一応油紙を巻いておくケド、水には濡らしちゃダメネ、融けて流れてしまうヨ」

「…ありがとう、あの…」


 奉玄黄から海獣の毛皮や牙の代金と一緒に手渡された砂糖の入った袋を胸に抱え、ロッセが恐る恐る言う。


「どうしたネ?」

「…さとうがしはこうかんできるか?」


 その言葉を聞いた奉玄黄は苦笑いを浮かべて答えた。


「アナタも好きネ…イイヨ、そっちは適任者が居るネ。紹介するヨ~」




 シレンティウム官営旅館


「…という訳で連れてきたネ」

「そうですか…」

「…何が“という訳で連れてきたネ”なのさっ」


 ロッセが奉玄黄に伴われてやって来たのは、官営旅館の受付。

 丁度昼の軽食の時間で、プリミアと楓がお茶菓子を広げている最中であった。


「ロッセです…よろしく…おねがいします」


 奉玄黄に言われたとおり巨躯を縮めて挨拶をするロッセを楓は不思議そうな目で見上げ、プリミアは困ったように眉を寄せている。


「お風呂入った方が良いんじゃない?」


 ぽつりと楓がロッセを見ながら言うと、慌てたプリミアが奥に向かって声を掛けた。


「メテラさん、お風呂は準備出来ていますか?」


 確かにロッセの格好はお世辞にも清潔とは言い難い。

 長旅を経てきた奉玄黄は気にならなかったようだが、獣皮を纏い、腰のあたりを皮の帯で引き結んだだけの蛮族然とした格好。

 腐臭に近い悪臭が僅かに漂っているのはロッセからであろう。

 奥に居るメテラから既に準備が出来ているという返答が来ると、プリミアは引きつった笑みを浮かべてロッセに振り返って言った。


「先に人が入っていますから、お風呂の作法は教わって下さい」

「…おふろ?」


 首を傾げているロッセを見た楓がため息をついて立ち上がる。


「ボクが連れて行くよ…こっちきて、お風呂ってのはお湯を張ってある場所で身体を洗う設備のコト。君は入ったことない?」

「…ない」


 後に続いたロッセを振り返りつつ、楓が聞くと、ロッセはそう答えつつ首を左右に振った。

 そもそもハレミア人に入浴の習慣はないし、寒い地帯であるので水に入ることもないため身体を洗うこともあまりしないのだ。

 ロッセに到っては生来今までの垢を全て溜め込んでいることになる。

 ぎくっとした楓だったが、何でもない風を装って案内を続けた。


「そっか…中にルキウスさんが居るから詳しい入り方は中で聞いて」

「わかった…」


 楓は浴場の出入り口までロッセを連れてくると、扉を示した。


「ここから入るんだよ、服は脱衣所で脱いでね」

「…わかった」

 



 テルマエ・シレンティウメ脱衣場


「…ここにおいていいのか」


 用意されていた空いている籠を見るロッセ。

 周囲を見ると、1つ分の籠が埋まっているが後は空いているようだ。

 皮の帯を取り、獣衣を脱ぎ空いている籠へそれらを放り込むと、ロッセは風呂場へ入った。



 浴場内


「う゛ぁ~」


 もの凄い声を上げて湯に浸かるルキウス。

 昨日は久しぶりにハルと帝都時代の話で盛り上がり、飲み過ぎてしまった。

 無理を言って少し早く浴場を開けて貰ったハルとルキウス。

 2人は二日酔いの酒を抜こうと風呂場へやって来たが、ハルは執務があるからと一足先に帰ってしまったのである。

 今はルキウス1人がゆっくり風呂を堪能しているのだ。


「ま、シッティウスの旦那が待っているとあっちゃ早く帰らざるを得ないか…」


 ルキウスは目をつぶって湯に浸かっていたが、ふと誰か入ってくる気配がして目を開ける。


「…誰だこんな時間に?二日酔いか?」


 湯に浸かっているルキウスが振り返りつつ言うと、答えが上から振ってきた。


「…なかのものにはいりかたをきけといわれた」


 湯気の中からぬっと現れた巨躯に驚くルキウス。

 しかし、驚いたのはもっと別な理由からであった。


「…女湯は隣だぞ?」



 シレンティウム官営旅館


 ルキウスの後から付いて来た長身の美人にプリミアと楓が色めき立った。


「ルキウスさんっ、その人誰っ?」

「さっきはありがとう…こんなにさっぱりしたのはうまれてはじめてだ」


 楓の声に先に反応したのはルキウスでは無く後ろに居た長身美人。

 その声と話し方で2人は正体を知る。


「…まさかロッセさん?」

「そうだ」


 驚愕するプリミアと楓を余所にロッセはさらりと答えた。

 服装はクリフォナムの女性が身に着けるワンピースタイプの物で、鮮やかな緑色が白い肌とよく似合っている。

 髪も薄汚れていて判然としない色だったが、汚れを落とせば奇麗な銀髪。

 思わず見惚れる楓とプリミアだったが、次の瞬間プリミアがはっと気付く。


「ルキウスさん」

「なんだい?」

「…まさか、一緒にお風呂へ?」

「え…いやっ違うって!」


 プリミアが珍しく怖い顔で睨んでいることに気が付き、慌ててルキウスが取り繕おうとするが、その目論見はあっさり打ち砕かれた。


「ああ、いろいろあらってもらった…ありがとう」


 ロッセの言葉にプリミアの目が細められる。


「…ルキウスさん?」

「…あり得ない」


 呆れて楓が首を左右に振りながら言うと、ルキウスは焦って必死に言い訳を始めた。


「ち、違う違う、女湯はまだ湯が張ってなかったし!仕方なく、仕方なくだよ?それに洗ったって言っても髪ぐらいだって!あまりにも汚かったからさ!わかるでしょ?すげえんだよっ、こう、湯が真っ黒にさ…」

「…ルキウスさんのスケベ」


 それだけ言い、ふいっと顔を逸らすとプリミアは席を立って官営旅館の奥へと入ってしまった。


「いやっ違うんだってっ、ちょっと待って!」


 慌ててその後を追い掛けるルキウス。

 しばらくすると官営旅館の奥で痴話げんかが始まった。


「あ~あ、知らない…」


 ロッセを女性と思っていなかったのはプリミアも楓も同じだし、そのロッセを男湯へ案内してしまったのも楓ではあるが、途中で気が付けば係員を呼ぶことも出来たはずなのである。

 ましてやルキウスはきっちり服まで用意していた。

 そこは係員に頼んだのだろう。


「あの…このおかしはたべてもいいのか?」


 自分が2人の仲違いの原因とは全く思ってないロッセが楓の前の白い陶器製の皿に並べられているお菓子に興味を示して尋ねる。

 この形はロッセがかつて父親から与えられた砂糖菓子に似ているのだ。


「いいよ~あっちは直ぐに片が付きそうにないしね、お茶にしよ」


楓が自分の隣の椅子をぽんぽんと叩いて座るよう促すと、ロッセは素直に従う。

 そしてロッセは楓から手渡された砂糖菓子をそっと口へ入れた。


「…これだ」

「ど、どうしたのさ」


 もぐもぐと菓子を噛み締めるように味わいながら涙をぽろぽろと落とし始めたロッセに驚いた楓が声を掛けた。


「な、なんでもない…ちょっといろいろおもいだしただけだ」


 楽しく両親と過ごしていた過去の日々、父親の優しい手、甘くて美味しい砂糖菓子。

 その後の独りで暮した辛い日々を合せて思いだし、ロッセの目には涙が自然と溢れた。


「…おかしはいいな」

「そだね」


 奇麗な笑みを浮かべたロッセに楓は少しほっとして言葉を返すのだった。



 ロッセがシレンティウムに来てから1週間後


ロッセの格好は元の獣衣に戻っているが、以前の物と異なりしっかり縫製が為され、袷も調えられている。

 帯も皮をしっかり縫い合せて止め穴を穿ってある、ベルトに近い物へと変わっていた。

 髪は後ろで邪魔にならないよう一括りに纏められているが以前のように薄汚れてはおらず、美しい銀色が陽光に映えている。


「いろいろありがとう」


 ハレミア人に売れそうな小刀や布、縄や紐、乾燥果物に砂糖、菓子、それに道中の食糧をたんまり詰込んだ大きな荷袋を2つも背負いながら重さを些かも感じさせず、ロッセがにこやかな笑顔で手を振って言った。


「気を付けるヨ~」

「またねっ」

「立ち寄った際はまた泊まっていって下さいね」


 奉玄黄、楓、プリミアの見送りを受け、ロッセは旅立つ。

 今度は自分がこの菓子の感動を他のハレミアの民に広めるのだ。

 父が何を為そうとしていたのか、ロッセはシレンティウムで様々なことを様々な人々から学んでようやく理解した。

 そして父はそれを為し遂げられず、無残にも失敗してしまった。

 しかし自分は少し違う道を取ろうと思う。


「ほしければこうかんだ」


 ハレミアの民にもより良い楽な生活をしたいと願う者は多い。

 それを手助けすることがハレミア人の文明開化を進めるだろう。

 ロッセは変わり者のハレミア人。

 しかし、良い変わり者は時代を変えることもあるのである。

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