シレンティウムの水神殿~アクエリウスと鈴春茗~
シレンティウム中央広場、アクエリウス噴水
北の地にあるとは言え夏は暑いシレンティウム。
完全な盆地ではないとは言え地形的には山に囲まれており、海とはいくつかの丘や小山脈で隔てられているため、熱気をためやすい地形である為だ。
そんな暑いシレンティウムの夏であるが、市街は意外と涼しく過ごし易い。
それというのも、水の精霊アクエリウスがその力を最大限に使い、都市が過剰な熱気に覆われないよう冷却しているからである。
「あ~めずらし~精霊さんだ~」
「ホントだ~精霊さんだ、きれ~」
吹き上がる噴水を調節し、空気中へ細かい霧状の水を放出させていたアクエリウスは、それを浴びにやって来たちびっ子達に見つかる。
『あら、かわいい子達ね、どうしたの?』
普段は姿を現していないが、こういった特別な力を使ったりする場合は姿を現しての方が効率がよいので、噴水の近くや水道橋に立っていることが多いアクエリウス。
別段人嫌いという訳では無く、また人と接触するのを避けている訳でも無いので、人から話しかければ話をするし、水道に不遜な行為をする者がいれば注意もする。
特に子供は大好き。
たまにこっそり学習所へ出かけてその勉強する様子を見たり、水道橋の近くに子供部屋のある家を覗いてかわいい子供達の寝顔を眺めたりもしているのだ。
「あついからお水もらいにきたの~」
兄妹なのだろう、その小さな妹の方がアクエリウスに向かって空の木桶を差し出した。
噴水の水はアクエリウスが調節していつもより水温がかなり低めになっており、この様な茹だるような暑さの日には非常に美味いのだ。
またシレンティウムの水はアクエリウスが浄化しており、どこで汲もうが飲もうが変わりは無いが、こと水温に関してはこの噴水のモノが一番低い。
恐らく親に言われて噴水の水を汲みに来たのだろう。
『良いわよ、少し待っててね…木桶をしっかり持つのよ…はいっ』
涼しげな水音と共に、木桶へ水が注ぎ込まれ、あっという間に一杯になった。
兄妹は2人で急に重くなった木桶を慌てて持ち直し、驚いてその中を覗き込む。
空だった木桶の中に清冽な水が満々と湛えられていることに、兄妹は目を丸くした。
『いいわ、もう満杯よ』
アクエリウスがそう声を掛けると兄妹はようやく合点がいったようで、2人して都市の水を司る大精霊に尊敬の眼差しを向ける。
「わあ~ありがと~」
「ありがと~せいれいさんっ」
兄妹のお礼の言葉を聞いたアクエリウスも優しい笑みと言葉を2人に返す。
『いいえ、どう致しまして』
本当はお礼の言葉を聞いた時点で思わず頬がでれっと緩みそうになったアクエリウス。
だがそこは努めてだらしなくならないようによい笑顔を作りなおした。
アクエリウスの返事に、わあっと喜びの声を上げつつ木桶を大事そうに抱えて踵を返した兄。
その後ろに妹がひっついて噴水から立ち去っていく。
『転ばないように気を付けてね』
転んでもまたすぐ入れてあげるけど、などと思いつつも、アクエリウスはその様子を手を振りながらずっと笑顔で見送るのだった。
シレンティウムの上水道は、建物3階、2階、1階相当の高さに調節された水道橋によって導水されており、その流れる水全てをアクエリウスの泉が噴水を介して供給している。
毒や寄生虫、汚染や病原を気にせず飲める上、煮沸や汲置きの必要もないので、シレンティウムでの水環境は恵まれているというのもおこがましいほどの物であった。
その清浄さはシレンティウムの周辺地域は言うに及ばず、帝国や西方諸国の都市と比べても遜色ないどころか格段の差があるのだ。
それもこれも全ては水を司るアクエリウスの力である。
そして、もう一つアクエリウスのお陰で向上しているものがあった。
薬事院の薬とシレンティウムの医術である。
「水神様、本日も薬水を頂きに参りまして御座います」
堅苦しい西方語を涼やかな声で使う、若い東照人の女性がアクエリウスの元へとやって来た。
東照から招聘された、薬事院薬事教授の鈴春茗である。
毎日の訪問であるが、アクエリウスは嬉しそうに答えた。
『いらっしゃい、今日は少し早いのね?』
「はい、薬事院の雑事が早めに片付きましたので御座います。ご迷惑でしたでありましょうか?」
『ううん、そんな事は無いわ』
普段から太陽神殿やその隣に設置されている薬事院へは別の水道を使って薬水を供給しているアクエリウスであるが、鈴春茗は毎朝、毎夕、こうして直にアクエリウスの元へ薬水の受領にやって来るのであった。
アクエリウスはいつも通り恐縮している鈴春茗を面白そうに見て、噴水の脇に設けられた小さな神殿へと誘う。
神殿には祭壇の他に机が1台、それに付随した椅子が4脚ほど設置されてはいるが、とにかく本当に小さなもの。
ただ、うっすらと青い冷却効果のある大理石で作られている上に噴水に半ば嵌まった形で設置されており、またアクエリウスの力で冷却されてもいるため中は非常に涼しい。
ほっと一息ついた鈴春茗に、アクエリウスは徐に話しかけた。
『…ねえ、その話し方何とかならないの?それに私は水の精霊よ、水神じゃ無いわ』
「そうはおっしゃいましても…何分慣れぬ言語である事でもありますし、それ以上の毎日のようにお世話になっております水神様にご無礼あってはならぬかと…」
『だから…水神じゃ無いっていってるのに…私は精霊なのっ』
「…水神様が如何に申されましょうとも、私めにとりましては神に比す他無く…」
『…話聞いてるの?』
「あ、あの…申し訳御座いません」
アクエリウスの毎度の指摘や説得にも応じない鈴春茗。
本当は変えられないだけなのかも知れないが、言葉遣いや呼称を変えること自体拒んでいるのでいつも同じような遣り取りを繰り返しているのだ。
それでもアクエリウスはこの生真面目な東照人を非常に気に入っていた。
その証拠に、説得に応じない鈴春茗に腹を立てることもなく、要領を得ない遣り取りに怒ることも無く、毎日飽きずに同じような遣り取りを繰り返しては薬水を出してやっている。
アクエリウスはこの鈴春茗との遣り取りそのものに楽しみを見出している風であったが、付き合わされる鈴春茗は良い迷惑であろう。
そしてこれも毎度のことであるが、仕切りに恐縮する鈴春茗を面白そうに眺めつつアクエリウスは口を開いた。
『ああんっ、もう良いわ…出来ないのなら無理強いはしないからっ…で?今日は何が御入用なので御座いましょうか…って、うつっちゃったじゃ無いっ』
「も、申し訳御座りませぬ…」
『でもまあ、よく毎日毎日来るわね?その熱心さには感心しちゃうわ』
鈴春茗の求めた薬効のある水を一通り出してやったアクエリウスは、お礼を述べてお供え物を取り出している鈴春茗にそう話しかけた。
鈴春茗は東照の岩塩を取り出して祭壇へ捧げると、アクエリウスの問いに答える。
「はい、折角このような有り難い薬水が手に入る環境にありますれば、様々な薬品の製作に活用出来ますものを、むざむざと見逃しては勿体ない限りで御座いますので、水神様にはご迷惑かとは存じ上げまするが、それを承知で必要且つ複雑な薬効のある水を御出し頂いているので御座います」
『迷惑じゃ無いわ、色々話も聞けて楽しいし』
確かに、薬事院へ供給している水の薬効は決まっている上に、それ程強力な効果のあるものは供給していない。
こうして直に頼んで貰えればこそ、薬効を色々調整することが可能になるのだ。
それに、行ったことも無い、これから行くことも無いであろう遠い異国の話を聞くのも楽しい。
『いつでもきてね?』
「は、はい」
アクエリウスの言葉にようやくはにかむような笑みを浮かべた鈴春茗。
『で…その言葉遣いは止めないの?』
「…む、無理で御座います」
しかし、アクエリウスが再び話を蒸し返したのでその笑顔が引きつってしまう鈴春茗だった。