北西辺境の砦にて~アルトリウスとアダマンティウス~
アルトリウスとアダマンティウスが出会った時のお話です。
ここは西方帝国北西辺境、アルビオニウス州アルトリウス砦。
北西に島のオラン人と総称される、原始的な生活と風習を守り続けているオラン人部族の勢力圏と接する、文字通りの国境であり辺境である。
その中でもここは比較的最近…というか、未だ設置されてから半年と経っていないアルトリウス砦。
砦の北側には原野が広がり、その先は未だ帝国にまつろわぬ島のオラン人の各部族が蟠踞する北の大地。
砦の南側には最近入植したり、降伏してきたオラン人の粗放的な村落がいくつかある。
季節は春を迎え、ここ北西辺境にもようやく暖かな日差しが差し始め、農村では農夫達が家族総出で畑を耕し、牛馬で鋤をかけ、麦を播いており、その耕された土の合間から覗く虫を狙って小鳥たちが盛んに畑へと舞い下りていた。
帝国はこの地に50年前侵攻したが、完全に征服するには至らず、島の南側を制圧するにとどまった。
未だ島の北側約三分の二は島のオラン人部族の勢力下にあり、毎日のように彼ら蛮族と帝国軍の国境警備隊との小競り合いが絶えない。
アルトリウス砦はそんな国境地帯に設けられた数ある砦の一つであるが、このような突出した場所へ砦が設置されたのには訳があった。
一つは、最近降伏してきたオラン人の村を守るため。
そしてもう一つは、厄介で優秀な平民将官を左遷する場所を作るためである。
故に砦には固有の名前が無く、その隊長である南方大陸の戦いで名を上げた将官の名前を冠する事となったのだ。
簡素な木造の砦ではあるが、内部はきちんと清掃が行き届いており、また勤務している兵士達も無駄な緊張感無く、それでいて規律正しく見張りや巡回を行っている。
出入りしているオラン人の農夫や商人達もほかの帝国軍の砦とは違って、割合い自由に出入りが許されており、その監視の兵士達の友好的な雰囲気と相まって砦はさながら小さな町のような活況を呈していた。
その砦の内壁。
砦の主塔に当たる廊下で、一人の将官が厳しい表情で叱声を放っていた。
「おいっ!きさまっ!」
「は、はいっ?」
「はい?ではない!ここの盾を片付けておけと言ったであろう!」
「す、すいませんっ、すぐに片付けますっ」
「早くするのだ、敵は待ってくれんであるぞ」
最後は恐縮する兵士に優しくそう告げて肩に手を置く将官。
彼こそは優秀で厄介な国境警備隊北西管区、アルトリウス砦守備隊長のガイウス・アルトリウスである。
弱冠の身でありながら頭角を現し、西方諸国との戦いや山賊討伐で名と武功を上げたアルトリウスは南方大陸で大勝利を得て昇進し、この砦の隊長に任じられたのであった。
味方の砦からは遠く離れた孤塁とも言うべきこの砦において、蛮族の攻撃や侵入を防ぎ止め、周囲一帯の蛮族や帝国臣民達から絶大な信頼を得ているこの若い隊長は窓から北を見やると言葉を漏らした。
「最近は北の民がやけに大人しい…何事も無ければ良いのであるがな…」
平和なのは良い事だ。
しかし平和には見せかけの物がある事をアルトリウスはよく知っている。
「真の平和とは何であろうか…?」
誰もが思い、そして誰もが追い求めているものであるが、未だその答えを得た者は居ない、曖昧で、しかし確かにあるもの。
その平和を思い、アルトリウスは答えが出ない事を再確認しただけで終わった事に苦笑しつつ自分の執務室へと向かった。
今日は国境警備隊北西管区の本隊へ依頼していた新しい将官が配属されて来る日。
前任の将官…副官であった…はあまりに帝国人に過ぎ、オラン人達と軋轢を生じさせたあげくに戦死してしまったのだ。
今度来る者には蛮族に偏見の無い者をと注文を付けたが、そのときの人事担当者の顔は未だに忘れられない。
「ふん、現場を知らず、知ろうともしない者にどう思われようが構わんであるが…要望通りの者が来ないでは話にならんのである」
アルトリウスは、派遣人員について折衝したときの人事担当官の馬鹿にしたような、蔑むような顔と口調、それにそのときの交渉経過を思い出し、眉間にしわを寄せて愚痴をこぼす。
「…まあ、ぐだぐだ考えていても仕方ないのである、まともな者である事を祈るばかりであるな」
最後にため息と共に言ったアルトリウスは顔を引き締め、執務室へと向かう足を速めるのだった。
アルトリウスが執務室へ入ると、従卒に連れられた年若い将官が椅子から勢い良く立ち上がった。
そしてそのまま見事な帝国式の敬礼をアルトリウスへ送り、着任申告を行う。
「帝国軍国境警備隊北西管区アルトリウス砦配属を命ぜられました、デキムス・アダマンティウスであります!」
「お、おう、我がこの砦の責任者であるアルトリウスである、遠路ご苦労、まずは部屋に案内するのである」
本来であれば上官に対して正面から行う着任申告であるが、まだ席に着く前に申告されてしまい、目を白黒させたアルトリウスは咄嗟にそう応じた。
アルトリウスの戸惑いに気付かないまま、その若い将官、アダマンティウスは嬉しそうにそして緊張した面持ちで言葉を継ぐ。
「きょ、恐縮ですっ!!」
その様子を見れば、緊張からの先走りだと容易に察せられたので、アルトリウスは少し意地の悪い笑みを浮かべて口を開く。
「うむ、元気があって良いのであるが…まあ、これからは上官が席に着く隙を与えてやった方が良いと思うのであるぞ?」
「し、失礼致しましたっ!」
その言葉に自分の失敗を悟り、顔を真っ赤にして頭を下げる新任将官、デキムス・アダマンティウスであった。
従卒に自分の住処となるアルトリウス砦の副官室へ案内されるアダマンティウス。
簡素ながら清潔に整えられた部屋は快適さ十分で、自分好みであると言えよう。
荷物も着替えやいくつかの書物と言った風情で多くは無いので、決して広くは無いものの、アダマンティウスにとっては十分であった。
一通り荷物を片付け終え、アダマンティウスは装備を整え直しながら顔がにやけるのを抑えられなかった。
平民の憧れとなっている南方の勝利者ことガイウス・アルトリウス隊長の下へ赴任出来るという幸運。
平民出身の兵士や将官達にとって憧れであり、狭き門でもあったが何とか機会をモノにする事が出来たのである。
鎧の帯を締め直したアダマンティウスは、辞令を持って意気揚々とアルトリウスの待つ隊長執務室へと戻るのだった。
「…なんだ、我の部下という訳では無いのか…」
アダマンティウスの差し出した辞令を手にとって眺めつつアルトリウスは拍子抜けしたような声を出した。
「はい、申し訳ありません。私はここの副官配属を希望したのですが、人事担当者が期間限定の臨時派遣にしか出来ないと言い張りまして…」
それを聞いてアダマンティウスも申し訳なさそうな顔で答える。
その様子から、アダマンティウスがこの人事については相当粘った事が分かったが、アルトリウスは敢えてその件には触れず、辞令をアダマンティウスへと返した。
おそらく軍閥上層部は平民出身の自分が派閥を形成する事を恐れているのだろう。
この地への配属が決まったのも概ねそんな理由であった…はっきり言って左遷された…ことから、アルトリウスには直ぐ事情が察せられた。
前までの副官はどいつもこいつも使えない者ばかりで辟易していたが、今思えば嫌がらせの一環だったのだろう。
今回配属…もとい、臨時派遣されてきたアダマンティウスの持参した辞令を見る限り、正式にアルトリウスの部下として任官させると上層部には不都合が生じるほどの能力を持った人材が来たという事である。
それだけでもヨシとしなければなるまい。
「まあ、やる事が変わる訳ではないのである。これからいつまでか分からんであるが、宜しく頼むのである」
「は、はいっ!」
「では早速巡察に出かける!従兵、馬を2頭用意せよ」
敬礼を送り部屋から退出する従兵を見送り、アダマンティウスは喜色を浮かべてアルトリウスを見た。
その様子に満足そうな笑みを返し、アルトリウスが口を開く。
「まずは周囲の地理と情勢把握である」
「は、はい!」
アルトリウス砦北方、オラン人集落近郊
長閑な春の陽射しの中、馬を走らせる2人の帝国人将官。
しかし、その長閑さとはかけ離れた会話が為されていることは遠目には分からない。
「…あの、アルトリウス隊長…」
「ん?なんであるか?」
「こ、ここは一体…」
「見て分からんであるか?オラン人の村の近くである」
「え…でもさっき巡察と仰いませんでしたか?」
「うむ、巡察であるぞ」
「…ここは帝国領ではありませんね?」
「何か問題でもあるのであるか」
「私たち…2人しかいませんね?」
「その方が身軽で良かろう」
「…囲まれてますが…?」
「何、歓迎されているだけである」
「剣持ってますが?」
「…オランの風習である」
「私たち逃げてますよねっ!?」
「当然であるなっ奴ら剣を持っているのであるからな!」
「………」
馬首を返し、脱兎のごとく逃げる2人の耳に、オラン人の喊声が届く。
肝を冷やしたアダマンティウスの顔は真っ青、流石のアルトリウスも冷や汗をかいて砦へ脇目もふらずに馬を走らせて逃げ戻るのであった。
何とか砦へ帰り着き、馬を当番兵に預けて隊長執務室へ戻ると、アルトリウスは水の入った木杯をアダマンティウスへ手渡しながら大笑いした。
「わはははは、いや、驚いたのであるっ」
「わ、笑い事ではありませんっ!」
疲れと恐怖で涙目のアダマンティウスがアルトリウスに抗議するが、当の本人はどこ吹く風と言った様子で、水をごくごくと飲んでいる。
とんでも無い所へ来てしまったと、今更ながら後悔しつつアダマンティウスが木杯を傾けると、水を飲み干したアルトリウスが窓から遠く北の地を眺めてつぶやく。
「やはり、攻撃が近いか…リガンの連中め…」
「え…?」
攻撃という言葉に驚いて自分を見つめるアダマンティウスに、アルトリウスは静かに命令を下した。
「アダマンティウス派遣副官、直ぐに砦に臨戦態勢を敷くのである」
「え?え?は、はいっ」
「敵はオラン人リガン族戦士団、数は…そうであるな、概ね200から300といったところであるか…」
砦に駐在している帝国兵は約100名、不意を突かれたりしなければ撃退は容易い。
驚きつつもアルトリウスの指示通り兵士達に命令を下し、伝令騎兵を派遣して周辺近隣の村々に敵襲警報を出すべく手配を続けるアダマンティウス。
その動きにそつは無い。
休暇中の兵士を呼び戻すべく伝令騎兵に併せて触れを持たせ、当番明けの兵士にすぐ休息を取らせる。
当番兵士達に弩と弓、矢玉の残数確認と補充を命じ、予備の武具を各部署に配布した。
「お願いします」
そうして防戦準備を整え、命令書を素早く作成してアルトリウスの署名を求めるアダマンティウスの手腕は非凡なもので、命令したアルトリウスの方がその手配りの良さに驚いてしまう。
「うむ、早いな…事後承認でも構わんであるが?」
「私が死ぬかも知れませんので、出来ることは全てやっておきます」
「良き心がけである、それでこそ帝国軍将官であるな!」
アルトリウスはその答えに満足そうな顔で頷くと、流麗な字体で署名したその書類を書類綴りに閉じ込み本棚へと戻すと、アダマンティウスを伴い砦の主塔へと上る。
「アダマンティウスよ、お主は事務や戦時指揮においては恐らく帝国でも一流であろう、しかしもう一つ、今の貴官には足らぬ物がある」
「…それは、なんでしょう?」
「赴任したばかりでこのような事を言うのは酷やも知れぬが、事前察知能力、まあ情報収集の能力である…敵がいつどこへ来るか、これが分かっておればお主の能力も今まで以上に生きよう」
主塔の屋上に着くと、アルトリウスは北の方角を指さす。
「先程の集落、あれ実は我が半年前より懇意にしておる集落でな?」
「えっ?」
驚くアダマンティウスをみて愉快そうに笑声を上げるアルトリウス。
「ははは、彼らから矢や投石、投げ槍の追討ちが無かったであろう?もしそれがあの数によって為されておれば我らなど一溜まりも無かった」
「……確かに、おかしいとは思いましたが…」
必死に逃げながらも腑に落ちなかった点についてようやく種が明かされ、アダマンティウスが感心したように臨時の上官を見ると、アルトリウスは得意げな顔で言葉を継いだ。
「と、言う訳である。あやつらも苦しい立場なのである。我等帝国領と接するようになったが為に前線を担わされておるのだ。故に我がここに赴任した際にあそこの村長と話を付けたのである…であるが、どうやら上位部族が直接出張って来た様子であるな」
「それは…どうして分かりますか?」
再びの質問にアルトリウスが教え諭すように語る。
「既に戦備を整えておったであろう?あの村の戦士はせいぜい規模から言っても30から40、根刮ぎ駆り出したとしても100に届かぬぐらいである」
「私たちを脅かしたのは少なくともそれ位はいました…」
襲ったのでは無く、脅かしたと表現したアダマンティウスに、アルトリウスはおっ?という顔で言葉を継いだ。
「であるな、村の男共を根刮ぎ戦支度で動員せねばならぬ理由は他にあるまい。上位部族間での抗争があったとも知らせは来ておらぬので、攻めるのであればこの砦であろう」
「なるほど…分かりました」
「尤も、新任臨時副官のおかげで我になすべきことはもう無い、あとはここで部族戦士達が来るのを待つだけである」
その洞察力と事前情報収集、敵とも言うべき者達との人間関係構築といった思想に触れ、アダマンティウスは混乱と同時に、興奮を覚えた。
「蛮族や外国に対する偏見こそが一番の敵であるのだ」
アルトリウスのその言葉に、アダマンティウスは感動で身体を震わせるのだった。
果たしてそれから数日後、リガン族の部族戦士団250がアルトリウス砦を襲撃してきたが、準備万端待ち構えていたアルトリウス隊によって敢え無く撃退される。
リガン族も襲撃を察知されているとは思わなかったようで、砦備え付けの弩砲から2発の巨大矢が近接発射され、不意を突けなかった事を知るとあっさり引き返したのだ。
当然双方に損害らしい損害は無く、また村落も襲撃を受けなかったことは言うまでも無い。
「と、言うわけであるな、まあこんな事は帝国軍では教えぬのであるが、ちょっとした工夫で防げる戦いは多いと言う事である。何も正面から打合うばかりが能ではないのである」
リガン族の引き上げ後、2日が経過してようやく戦時体制が解かれると、アルトリウスはアダマンティウスを執務室へ呼び出してそう言った。
その柔軟な発想と、帝国軍の将官にあるまじき平和主義に、アダマンティウスは目が覚める思いでその臨時上官を見る。
そして意を決して口を開いた。
「…隊長」
「おう、なんであるか?」
「師匠と呼んでいいですか?」
ぶはっ
飲みかけの水を盛大に吹き出したアルトリウスは、気持ち悪い物を見る目でアダマンティウスを見た。
「…断るのである」
「そう言わずにお願いします!」
「イヤである」
「そこを何とかっ!一生ついて行きますからっ」
「変な事を言うのは止めるのであるっ」
「お願いします、師匠!!」
「認めないのである!」
「師匠!私にいろいろ教えて下さいっ!!」
その押し問答は結局夕方まで続き、根負けしたアルトリウスがアダマンティウスを弟子にとる事を承諾した事でようやく決着がついたが、執務室から漏れ聞こえる2人の痴話喧嘩にも似た言い合いに、あらぬ噂が立ったとか立たなかったとか…
ハルがシレンティウムへ赴任する、およそ50年前の話である。