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シレンティウム街道道中記~レイルケン十人隊の街道警備~

 おまけになります。

 物語の内容に関わる事柄の記載はありません。


 辺境護民官、脇役中の脇役、レイルケン十人隊設定集


1 レイルケン(金閃のレイルケン) 189/91 碧眼・金髪(短髪)27歳

第21軍団の十人隊長、クリフォナムの北方諸族に属する、ロールフルト族出身の生真面目で誇り高き元自由戦士で、現在は北方軍団兵。得意武器は大盾と剣、投槍。


2 ノードルト(鉄塊のノードルト) 188/99 碧眼・茶髪(短髪)26歳

レイルケン十人隊の副隊長格である、五人隊長を務める豪快なクオフルト族の元自由戦士で、レイルケンと共にシレンティウムへやって来た。得意武器は短槍。


3 ミルド(長身のミルド) 195/90 碧眼・金髪(短髪)25歳

レイルケン十人隊の先任兵士で、クオフルト族の元自由戦士で、レイルケンと共にシレンティウムへやって来た。汗っかきで風呂好きで比較的寡黙。得意武器は投槍。


4 リンディ(強弓リンディ) 182/90 茶眼・金髪(短髪)24歳

レイルケン十人隊の次席兵士で、ロールフルト族出身、レイルケンの遠縁。豆好きでいつもひよこ豆を食べているほど。おっとりしたしゃべり方をする。得意武器は弩と弓。


5 エストバリ(狙撃手エストバリ) 183/79 灰色眼・銀髪(短髪)24歳

怒りっぽいレイルケン十人隊の三席兵士。スフェルト族出身の野菜好きで、西方帝国産の野菜が特に好き。野菜の漬け物はもっと好き。得意武器は弩。


6 ラーベ(早弓ラーベ) 179/75 碧眼・くすんだ金髪(短髪)23歳

剽軽なレイルケン十人隊所属の兵士でカドニア族出身。弟が4人同居している大所帯。得意武器は弩で、速射が出来る。


7 トーレン(連槍トーレン) 180/76 茶眼・茶髪(短髪)23歳

カドニア族出身の兵士で元は別の隊に所属していたが、補充でレイルケンの元にやって来た。両親、弟3人とシレンティウムにて同居している。得意武器は短槍と投槍。


8 イエルム(小兵のイエルム) 175/74 茶眼・茶髪(短髪)22歳

スフェルト族出身の兵士で両親と同居しており、妹が2人居る。得意武器は大盾と剣で、投槍も得意としている。


9 ルンヴィク(速歩のルンヴィク) 184/78 碧眼・金髪(短髪)21歳

ヘーグリンドと一緒に入隊したレイルケン十人隊の兵士で、ロールフルト族出身。気遣い名人である。得意武器は大盾と剣。


10 ヘーグリンド 181/77 灰色目・金髪(短髪)21歳

第21軍団レイルケン十人隊の北方軍団兵、年は若いが実は歴戦の兵士。ロールフルト族出身で姉とシレンティウムにて同居中。得意武器は大盾と剣。


11 ヴェルノルト 184/73 碧眼・金髪(短髪)18歳

フリード族の戦士の子、辺境護民官を害そうとシレンティウムにやって来たがレイルケン達に取り押さえられる。処罰を受ける代わりにレイルケン十人隊に所属する事になった。得意武器は長剣と槍、現在北方軍団兵として訓練中。


 街道警備。


 シレンティウムでは平時に軍が行う重要な仕事の1つである。

 その任務の内容は読んで字のごとく、街道の警備。

 西方帝国から北方連合の影響下にある各地に至るまで敷設されつつある、シレンティウムの街道網を、安全かつ円滑に利用する為には欠かせない治安維持の為の警備である。

 シレンティウムの治める地域は治安が安定しているとは言え、街道が敷設されているのは広大な北方辺境。

 その全てにその目を行き届かせるのは至難の業である。

 夜盗や野党などの盗賊、シレンティウムに反抗的な小部族や余所から入り込んだ蛮族なども森や山には潜んでおり、また西方帝国から進入してきた犯罪性の逃亡者やならず者達も少なからず存在する。


 シレンティウムは軍を出して定期的にそうした敵性勢力を掃討してはいたが、それでも全てを根絶やしにするにまでは至っておらず、また新しいならず者達は常にどこからともなく入り込んで増えているのだ。

 場所の定まった都市や拠点と異なり、そんな輩の潜む道無き山や森をあてもなく攻めるのは難しく、また割かなくてはならない労力の割に成果は少ない。


 加えて厄介なのはは人間のならず者だけではない。


 獰猛な獣や魔獣の進出もあり、そういった危険生物から人々を守る為にも行われているのが街道警備なのである。



 シレンティウムには大小様々な西方帝国方式で作られた街道があるが、その中でもシレンティウムを起点とする大きな街道が4つある。

 東門から遥か東照の西方府へと伸びる、アルトリウスがハルモニア時代に作った煉瓦敷きの街道を改修した、アルトリウス街道。

 西門から発してオラン人の都であるトロニアへ通じる、オラン街道は、途中まではやはりアルトリウスがハルモニウム時代に敷設した煉瓦敷きの街道である。

 南門から出る、コロニア・メリディエトの関所を通り、西方帝国のコロニア・リーメシアまで通じるのは南街道。

 北門から発し、シレンティウムの北にある丘を東方向へ迂回し、フレーディアへと向うフリード街道は、現在延伸されてコロニア・ポンティスまで到達している。


 それらの街道からまた更に枝分かれして北方辺境の各地へ通じているこの街道は、全てシレンティウムを起点とする4つの街道を基点として作られているのだ。

 今は各都市や各部族の拠点同士を結ぶ街道も整備されつつあるが、かつてアルマール村のあったシレンティウムの河川港を起点とする大河エレールの河川航路と合せて、この4つの街道が果たす役割は非常に大きい。

 商業や流通の基幹道路とし重要なのはもちろんであるが、北方辺境各地へ軍の移動を速やかに行わしめる軍道としても非常に重要で、特に敵対的な北方や東方の蛮族に対して素早い対応を必要としているシレンティウムにとっては無くてはならない物なのだ。


 その街道警備には様々な形態があるが、討伐と異なり軍団を丸ごと出動させて行うのでは無く、小部隊を派遣するのが一般的だ。

 百人隊規模の部隊を派遣して行うのが街道を巡回させる街道巡回警備や、防御拠点を設けて一定期間駐屯し、周辺の盗賊などに対する警戒と情報収集を行いつつ街道の警備を実施する街道索敵警備。

 十人隊規模の部隊で行う、街道の随所に設けられた監視所に部隊を交代で詰めさせる街道拠点警備。

 そして依頼や目的地の危険度に応じて荷を運ぶ者達を護衛する、街道護衛警備などがある。

 その街道護衛警備であるが、これは直接荷を運ぶ者達を護衛する警備方式で、直前に申請と安価な警備費用を支払えばその都度手空きの部隊が出動する。

 但し盗賊や野党の出没が頻繁な場所へ行く時や、そのような場所を通過する時は申請が逆に義務付けられており、その場合は無償で護衛が付く事になっている。

 もちろん危険な地域へは討伐部隊が派遣されることになるのだが、はっきり言って討ち漏らしや失敗もあり得るのが現実。


 なので直接護衛が必要になるのである。


 大口の商会や商人が行う大規模輸送には自前の警備部隊が付くし、シレンティウムの行政府が実施する輸送には当然シレンティウムの治安官吏や軍部隊がこれを警護する。

 なので街道護衛警備を利用するのは専ら族民の行商人や農産物をシレンティウムに売りにやって来る周辺村落の住人達がほとんどであった。

そもそもこの街道護衛警備は自前で警備要員を雇えない人々を守る為に創出された制度であったので、シレンティウム行政府の狙いはまずまず成功していると言えよう。

 




 アルトリウス街道の枝道、シレンティウムから東方へ5日の距離


 開拓村と昔ながらの村落の間は、シレンティウムからそう遠くない場所であっても未だ深い森が広がっている。

 開拓が進んできたとは言えまだまだ鬱蒼とした森林地帯の多い北方辺境。

 故に反抗的な蛮族や盗賊達の根城にもなり得るのだ。

 しかし北方辺境に住まう人々の敵は何も無頼の人間だけではない。


 昼なお薄暗いそんな深い森の中を走る街道。

 その石畳の街道には大きめの荷馬車が2台止められ、その荷馬車の持ち主と思しき西方人風の農夫の格好をした男2人が、怯えて暴れる馬を必死に抑え込んでいた。

 その周囲には北方軍団兵のトレードマークとなった青いマントを身に着け、シレンティウムの都市紋章が入れられた青い大盾と短槍を油断無く構える十人隊の姿があった。

 彼らが対峙しているのは黒い体毛を逆立て、鼻息も荒く地面を前足で掻く多数の猪。


 但しただの猪ではない。


 何らかの理由で魔獣化し、人に敵対的な意思を持った猪魔獣だ。

 馬車からは猪の鳴き声や鼻息に応じて時折悲鳴が聞こえ、その中には無力な農民家族が必死に恐怖を押し殺して潜んでいることが伺えた。


「ヘーグリンド!気を付けろ!そちらに注意が向いたぞ!」

「了解ですレイルケン隊長!」


 鋭い隊長レイルケンからの注意に勢い良く応じると、ヘーグリンドは大盾をしっかりと構え直した。

 その正面には赤い目を光らせた大猪が居る。

 口を開いて鋭い牙を見せ付け、威嚇するように鼻から息を大きく吹く大猪。

 注意の言葉を飛ばした頼りになる隊長のレイルケンは、この正面に陣取っている大猪が引き連れてきた猪魔獣の相手でとても手が離せそうにない。

 農民達の恐怖はいや増し、緊張が高まる。

 この様な事態に陥ってしまったのは、魔獣達が予想外に知恵を働かせたからだ。

 猪魔獣はいつも通りいきなり襲いかかってくることはせず、ヘーグリンドの所属する通称レイルケン十人隊を足止めし、農民達を含めて取り囲んだのだ。

 そして包囲が成った後、猪魔獣の後方から大猪の魔獣が現れたという訳である。

 否が応にもこの猪魔獣の親玉が誰で、知恵を働かせたのかが分かる登場だ。


「せ、先輩!自分はどうしたらっ!?」

「俺に付いて来いっ」

「はいっ!」


 見習い軍団兵のヴェルノルトを背後に従えたヘーグリンドが奔る。

 そしてヘーグリンドは大猪の視界を塞ぐ位置に駆け込むと、ヴェルノルトを自分の横に並ばせて大盾を構える。

 未だ慣れない北方軍団兵の持つ大盾を、それでもしっかりと構えるヴェルノルト。

 元々フリードの戦士としての素養があったこともあり、武具の扱いはそれなりにこなせたことから、ヴェルノルトは見習いとは言え戦列を任せられる程にはなっているのだ。

 そんなヴェルノルトが地面にしっかりと大盾を付けて構え、帝国風の短槍を前に突き出すのを見て頷いたヘーグリンドが檄を飛ばす。


「よし、いいぞ!確認するが俺たちの任務は護衛だっ」

「はいっ」

「積極的に戦うことじゃないっ」

「は、はいっ」

「しっかり盾と槍を構えろっ」

「はいっ!」


 元気の良い、怯えのない後輩ヴェルノルトの声色に安心したヘーグリンドは、視線を検改めて正面に向ける。

 大猪の視線の先には農民達が実を縮めて乗り込む荷車や馬車がある。

 おそらく無力な者を知り、獲物と見定めているのだろう。

 もちろん彼らの運ぶ麦や豆、芋に玉葱、乳酪や卵などと言った農産物も狙いの内だろう。

 かつてシレンティウムの南西に広がっていた湿地帯は、辺境護民官の手によって泥水が取り除かれ、農地として解放されて以来急速に発展している。

 湿地の縁にあたる部分には、鉱工業都市コロニア・フェッルムが位置しており、シレンティウムと共に大きく発展している。

 人口の増加した2都市の間にある新しい農地には、都市を支える食糧を生産する農村が幾つも出来上がっているのだ。

 農業長官であるルルス・サックスの的確な農業法政や営農指導に加えて西方帝国式の農業技術が導入され、農村は大きく数多く、そして豊かに発展している。

 またシレンティウムの東部や西部に比べて西方帝国人の農民が多数移住している地域でもあり、元は湿地帯で北方辺境の特徴となっている深い森もない。

 冬の厳しさはあるものの、建築物や農地の割り振りは西方帝国の物をそのまま踏襲しており、風景はセトリア内海地域に近いものとなっていた。

 その村落の1つから農産物をアルゼント族の主邑であるゼニティまで運搬する農民家族を護衛するのが今回レイルケン十人隊に与えられた任務なのである。


 しかしヴェルノルトは少ししてから複雑な心境を覗かせる。


「帝国人を守るのが初任務だなんて……」

「違うぞヴェルノルト!俺たちが守るのはシレンティウムの民だ!」

「……はい」


 ヘーグリンドの注意に渋々といった感じで返事をするヴェルノルト。

 戦闘が始まってしまえば決して手を抜いたりはしないのだが、元々西方帝国に対して抜き差し難い偏見と憎しみを抱いていただけに、納得しかねるものがあるのだろう。

 ヘーグリンドやレイルケンの教育、更にはシレンティウムに置いて西方帝国出身者と関わりを持って生活するにつれ、そんな偏見は少しずつ薄れていたはずだったが、初任務という事で緊張感も相まって根深い思いが出てしまったのだ。


「いつも言っているだろう、出自は関係ない」

「……」

「返事はどうした!」


 説教に返答しないヴェルノルトへ叱責するかのように声を掛けるヘーグリンド。

 シレンティウムに置いて北方人だとか西方帝国人だとか言う区別は意味を為さないことを本人も本当は理解している。

 ヴェルノルトが不在の時、呼び寄せた弟妹の面倒をいつも見てくれているのは、隣に住む帝国出身の退役兵夫婦だ。

 買い物に行って貨幣を良く理解出来ないで居たヴェルノルトに、根気よく説明をしてくれたのは帝国出身のオラン人のおじさんだ。

 酔って喧嘩になった相手はクリフォナム人で、それを仲裁してくれた治安官吏は帝国出身者とクリフォナムの元自由戦士だった。

 今までシレンティウムでお世話になった人のことを思い浮かべ、気持ちを切り替えるヴェルノルト。

 自分はフリード戦士の子であると同時に、誇り高き北方軍団兵なのだ。


「はい……」


 ようやく返事をしたヴェルノルトに安堵し、ヘーグリンドは目の前に集中を向ける。

その様子を見ていたレイルケンは無言で頷く。

 防備を固めながらもヘーグリンドの指導を伺っていた隊員達も、納得の笑みを浮かべて集中を高める。

 そんな中、大きな馬車を引いていたロバや馬を必死に御し、暴れ出さないように抑え込んでいた初老の農夫が恐怖を押し殺し、震える声でレイルケンに問い掛ける。


「へ、兵隊さん、俺はどうなっても良いが、嬶と子供達だけはっ……!」

「……安心して下さい、何とかしましょう」


 農夫も護身用に短剣や剣などの少数の武器は所持しているが、彼らは専門的な訓練を受けた訳ではない。

 かつて西方帝国からシレンティウムへの移住は退役兵やその家族が主体であったが、今は戦役も一段落しており、西方帝国での内乱も収って移動の危険もほぼなくなったこともあって、平和になった新天地の北方辺境、現在のシレンティウムへ一般的な西方帝国人も多数移住してきているのだ。

 西方帝国においては人口の増加から農地の細分化が進行し始めている地域があり、そうした地域の農民を西方帝国とシレンティウムが積極的に移住を勧誘したのだ。

 この移住によって西方帝国においては農地の再集約が進み、またシレンティウムにおいては優秀な農業技術を持った移民を獲得することが出来る、正に一石二鳥の政策である。

 しかしかつての退役兵と違い彼らは自力防衛の術を持たない為、こうして北方軍団兵が護衛に付くことが多くなっているのだ。

 レイルケンは馬車2台を自分を入れた隊の7名でぐるりと囲ませて防御陣を敷き終えると、リンディとエストバリ、ラーベに合図を出す。


「よし、今だ!」

「「「了解!」」」


 それまで農産物を満載した方の馬車に潜んでいた3名が相次いで飛び出すと、ヘーグリンドとヴェルノルトの居る場所へ身軽に駆けつける。

 その手にあるのはシレンティウム製の強力な弩。

 もちろん太い短矢が既に装填されている。

 不機嫌そうに鼻を鳴らす大猪に狙いを定める3名は、間髪入れずに弩を構える。


「撃て!」


 槍を鋭く突き出し、猪魔獣を牽制しつつレイルケンが号令を放った。


ばんばんばん!


 弦を弾く音が重なると同時に短矢が勢い良く弩から放たれ大猪に殺到する。

 大盾を構えるヘーグリンドとヴェルノルトごと、弩を構える3人を吹き飛ばそうと動き始めた大猪の顔面周辺に、短矢が相次いで炸裂した。


ぶんもおう!?


 普通の矢と違い直線的な軌跡を描いて飛んだ短矢は、狙い過たず大猪の左目と耳殻、更に鼻筋へ突き立ち、深く刺さる。

 大猪が驚きと痛みで叫び声のような声を出し、行き足を止める。

 普通の矢なら弾き返す大猪の毛皮も、流石に威力の高い弩には抗しきれなかったのだ。


「ぐずぐずするな!すぐ装填しろ!再装填の終わった者から発射!」

「了解!」


 親玉とも言うべき大猪の悲鳴を聞き、いきり立って突進して来た猪魔獣の顔面に短槍を繰り込み、レイルケンが切り札にしていた3人へ再度の号令を飛ばす。

 その時には既に装填を終えていたラーベが大猪の左前足に向って短矢を放った。


「喰らえ!」


 短矢の威力に驚き、痛みの元を取り除こうと暴れていた大猪だったが、潰された左目の視界の外れから放たれたラーベの短矢を躱すことが出来ず、敢え無く左足を射貫かれる。


   ぐも!!


 苦悶に満ちた声を上げ、大猪が怯んで動きを止める。


「おりゃ!」

「受けて見ろ!」


 その隙を見逃さず、相次いで装填を終えたリンディとエストバリが相次いで短矢を放つ。

 リンディの短矢は僅かながら外れて頑丈な毛皮を射貫いただけで終わるが、エストバリの放った短矢は大猪の左肩に命中し、その身に深く鏃を沈めた。

 そして再び装填を終えたラーベが3本目の短矢を射掛け、動きの完全に止まってしまった大猪の頬を斜に射貫く。


ぐもう!!


 更に苦悶の声を上げる大猪。


「好機だっ……うお?」


 悲鳴と血飛沫を上げて倒れる猪魔獣の後から、新たな猪魔獣が突っ込んで来る。

 レイルケンは素早く身を引き、再び力一杯短槍を突き出して猪魔獣の額を突き通す。

 その右では猪魔獣の身体に突き刺さし、短槍を折ってしまった小柄なイエルムが剣を抜き討ちにして猪魔獣の顔を切り付け、更にその横から突っ込んできた別の猪魔獣の鼻面を薙いで追い払う。

 反対の左側では、長身のミルドが長い手を最大限に生かし、攻撃が届かない内に短槍で突進を始めようとしていた猪魔獣を突き殺していた。


「ちっ!」


 背後を見れば、トーレンが目にも留まらぬ早さで短槍を操り、猪魔獣の手足を傷付けて追い払い、時間稼ぎに専念している様子が見え、その脇ではイエルムと同様に槍を折ってしまったルンヴィクが大盾で突進して来た猪魔獣を力一杯に殴りつけ、剣で切り付けて防戦している。

 せっかくの好機だが、円陣を敷くレイルケン達は大猪の危機を察して一斉に突進して来た猪魔獣達の相手に忙殺されて、攻勢を掛けることが出来ないのだ。

それは大猪と対面しているヘーグリンドやヴェルノルトも例外では無い。

 不自由になった左足を引き摺りながら後退の気配を示したのを見て、手柄を立てる好機と想い、嬉々として前へ出ようとしたヘーグリンドだったが、周囲から猪魔獣が突っ込んで来るのを見て顔を引き攣らせた。


「うわ?」


 ヘーグリンドが咄嗟に繰り出した槍は、普段の厳しい訓練の賜物で狙い過たず先頭の猪魔獣の首筋を貫く。

 次いで慌てつつも素早く槍を抜くと、ヘーグリンドは走り込んできた別の猪魔獣の足を突き刺した。

 後方にぴったりくっついて居たヴェルノルトが青い顔をしながらも、的確にどっと倒れたその猪魔獣の急所を短槍で突く。

 その隙に走り込んできた猪魔獣は、装填の早いラーベが弩で射殺した。


「逃げられると厄介だな!」

「そうは言っても、これじゃあ前へ出られませんよ!」


 大猪を狙おうとしたエストバリが迫る猪魔獣を無視出来ず、突進して来た猪魔獣を射殺してから言うと、ヘーグリンドが新たな猪魔獣を槍で突き殺しつつ答える。


「せ、先輩!」


 怯えつつも猪魔獣の身体に槍を突き込んで追い払ったヴェルノルトが情けない声を出すが、構っている余裕はない。


「くそうっ、また外した!」


 リンディが臑当てを付けた足で突っ込んできた猪魔獣を蹴り飛ばしてから大猪を狙って弩を構えて短矢を放ったが、前にいた猪魔獣に当たってしまい目的を遂げなかった。


「……リンディ!短槍に持ち変えてミルドと持ち場を代わるんだ!ミルド、親玉に投げ槍をお見舞いしてやれ!」


 レイルケンが近寄って来た猪魔獣を突いた後、槍の柄で別の猪魔獣を殴り付けながら指示を出した。


「了解!」

「むう、了解!2本も外しちまった……」


 その指示を出された2人は、素早く行動に移る。

 ミルドは突っ込んできた猪魔獣を突き殺してから素早く後へ下がり、リンディは移動しつつ弩の狙いを定めて苦戦していたイエルムの脇にいた猪魔獣を射た。

 2人は荷馬車で交錯するようにして武器をそれぞれ持ち変えると、持ち場を交代する。

 短槍と大盾を持ったリンディがレイルケンの隣に奔って陣取り、5本の投げ槍を持ったミルドがレイルケンの後へ走り込む。


「ぬん!」


 ミルドは走り込んだ勢いそのままに大猪目掛けて投げ槍を立て続けに投げ放った。

鋭い風切り音を残して投槍が長身のミルドの腕から勢い良く飛ぶ。

 間髪入れずもう2本がミルドの腕から放たれる。

 やや弧を描いた投槍は、狙い通り背中に命中し、その槍身を深く大猪の身体に潜り込ませた。


ぐんもおう!?


 大猪の絶叫が周囲に轟く。

 そして相次いで放たれていた2本の投げ槍も続いて命中した。

 暴れる事も出来ず、大猪ががくりと身体の力を落として動きを完全に止めた。


「今だ!」

「おう!」


 それまで周囲の猪魔獣に短矢を放ち続けていたラーベとエストバリ。

 この隙を待っていた2人は、ラーベの号令で素早くその狙いを変えて筒先を大猪の右足へと振向ける。


ばばん!


 弓弦の音を響かせ、短矢が2人の弩から放たれた。

 短矢は2発とも右前足に突き立ち、支えを失った大猪はどどうっと地響きを立ててその巨体を地に伏せた。

 左前足に続いて右前足が短矢によって砕かれたのだ。


「やった!」

「すごい!」


 目の前の猪魔獣を短槍で突き、刺し、殴り付けて追い払いながらその様子を見ていたヘーグリンドとヴェルノルトが歓声を上げる。

 大猪は未だ事切れておらず、憎しみを込めた眼で正面にいる人間達を睨み据えていた。 しかしながら猪魔獣達は大猪が倒され、自分達の不利が明らかになると動揺の色を見せ始めた。

 少数の人間と思って襲ってみれば意外どころでは無い手強さで、しかも自分達の上位存在とも言うべき大猪が今正に討たれようとしている。

 後方にいた1頭が踵を返し、豚のような情けない声を上げて逃走を図ると、猪魔獣達は次々に逃げ始めた。


「あっ?逃げる!」

「ちっ、くそ!」


 ヘーグリンドが慌て、ラーベが相変わらずの早い装填を終えて弩で1頭の猪魔獣を撃つが、そこまでであった。

 あっという間に逃げ散ってしまった猪魔獣達を追い討ちする術のないレイルケン達は、危機を脱した安堵感と、猪魔獣を逃がしてしまった無念さで複雑な顔をしている。

 それでも目の前の大猪がまだ生きている。


「油断するな……!リンディ、エストバリ、トーレン、イエルム、ルンヴィクは荷馬車の護衛に付け、ミルドとラーベは周囲の警戒だ」


 レイルケンの命令で素早く動くレイルケン十人隊の隊員達。

 そこにはいつもの穏やかで朗らか、酒好きな軍団きっての名物隊員達の姿はなく、最古参で歴戦の北方軍団兵としての姿だけがあった。

 どうやら危機を脱したらしいと分かった農夫とその息子達が長いため息をつき、その家族達も静かになった外の様子を訝って恐る恐る荷馬車の幌から顔を出したりしている。

 そして周囲に散らばる猪魔獣の死体や血濡れた地面を目にして短い悲鳴を上げ、また荷馬車の幌の中へと引っ込んでしまった。

 その様子に苦笑を漏らしつつ、ミルドとラーベは猪魔獣の生死を確かめ、息のある物には止めを刺して回る。


 今回護衛している家族は8名。


 レイルケンに話し掛け、外にいて馬やロバを必死に御していた農夫が家長。

 そして幌馬車の中に居たのが、その妻と長女、次女、三女に加えて姪っ子である。

 次男と四女はもう1台の荷馬車を御している。

長男夫婦は、家長から見て孫に当たる赤子を抱えているので留守番だそうだ。

 そんな温かい家族を無事に守れたことに一安心したレイルケンだったが、油断することなく周囲を確認しつつ口を開く。


「……ヘーグリンドとヴェルノルトは俺に続け」

「はい」

「は、はいっ!」


 周囲の安全が確保されたことを確認し、レイルケンは残った2人を呼び寄せて倒れている大猪へと向う。

 憎しみに満ちた眼を向ける大猪に怯むことなく、レイルケンは少しびくついている2人を引き連れて正面から歩み寄ると、躊躇無く短槍をその喉元へと勢い良く突き入れた。


ぐはっ


人間のような声を出し、大猪が大量の血を吐く。

 それまでらんらんと輝いていた赤い眼から光が急速に失われ、レイルケンが半ばまで血に染まった短槍をゆっくり引き抜くと同時に大猪は浮かしていた首を落した。


「……終わったな」

「はい」

「……はい」


 踵を返したレイルケンに続こうとしたヘーグリンドとヴェルノルトだったが、僅かながらも大猪が動いたような気がしてはたと足を止める。

 視界の端に捕らえたといった方が良いだろうか、とにかくレイルケンより少し振り返るのが遅かった2人だけが捕らえた動きだった。

 そして振り返った2人の目の前には……


「え?」


 ぼたぼたと口から血を大量に垂らし、息も絶え絶えの大猪が眼に最後の火を灯してのっそりと立ち上がっていた。


「くっ!」

「あわわっ」


 ヘーグリンドが驚きながらも慌てて短槍を構え、ヴェルノルトが腰を抜かしそうになりながらも短槍を突きつける。

 異変に気付いたミルドとルンヴィクが駆け寄ってくるが、間に合いそうにない。

 ラーベが慌てて弩を構えるが、レイルケンやヘーグリンドが的に被っていて短矢を放てない。

 他の兵士達も気付くが、いずれも遠い。

 レイルケンが配下の兵士達の様子に異変をようやく感じ取ったその時、大猪が動き出そうとしていた。


「いくぞ!」

「はわあ?は、は、はいっ!」


 援護が間に合わないことを悟ったヘーグリンドが破れかぶれに短槍を前にして突っ込むのに、狼狽えながらも遅れることなく続くヴェルノルト。

 2人の槍が大猪の胸元に吸い込まれるように突き立てられた。

 がつんとまるで木材を突いたかのような固い手応えと共に、2人の槍は大猪の筋肉を突き破り、その身体へ深く深く刺さる。

 何かを破るような手応えと共に、再び大猪が大量の血を口から吹き出した。

 心臓を槍が突き破ったのだろう、触れている大猪の身体から急速に力が抜けていく。

 持ち手付近まで槍を大猪の身体へ突き込んでいた2人は、大猪の身体の間近にまで近付いていた為にその生温かい血をまともに浴びる。


「うへっ……」

「ああっ?気持ち悪いです……」


 頭から大猪の血を浴びた2人が心底気持ち悪そうに呻いた。


「何!?」


 そしてレイルケンが短槍を構えつつ振り返った時には全てが終わっていた。


「あっ?」

「ぎゃあっ?」


 前のめりに倒れてきた大猪に敢え無く押しつぶされるヘーグリンドとヴェルノルト。

 今度こそ本当に死んだ大猪の巨体にのし掛られてから逃げだそうとしたのだが、間に合わずに押しつぶされてしまったのだ。

 ようやく死んだという思いがあって、少しほっとしたのが良くなかったようだ。


「レイルケン隊長~た、助けて下さい~」

「うう、うげっ……おも、重いです~」


 手だけを大猪の死体の下から出して助けを求めるヘーグリンドとヴェルノルトに、慌てて駆け寄って来たレイルケン十人隊の面々がどっと笑う。

 ほっとした様子でしゃがみ込んだレイルケンが苦笑いと共に頭を掻き、ゆっくり2人に声を掛ける。


「……助かった、今日の第一功労はお前達だな」

「そ、そんなお褒めの言葉はまたの機会に……今はとにかく……た、助けて下さいっ」

「つ、つぶされますぅ~」


 のんきなレイルケンの言葉に、大猪の身体の下から悲壮感漂う救いの声を上げるヘーグリンドとヴェルノルトの2人であった。







「ぶえっくし!」

「はくしっ!」 


 レイルケンや他の兵士の手によって大猪の死体の下から助け出されたヘーグリンドとヴェルノルトは、近くの小川で装備品や身体に付いた血を洗い流した後、すぐに護衛の車列に戻る。

 しかしながら幾らしっかりと絞ったとは言え、鎧の下の衣服は乾燥とはほど遠い状態である。

 風邪を引く程ではないが、くしゃみくらいは出てしまう。


「すまねえなあ」

「あ、いえ、大丈夫っすから」


 荷馬車の御者台に座る家長のおじさんがヘーグリンドへ申し訳なさそうに声を掛ける。

 それに快活に応答するヘーグリンド。

 その反対側で、荷馬車の幌が僅かに開かれる。


「兵隊さん達が居なかったら、私達家族はみんな命を落していました……本当に有り難うございます」


 馬車の幌を僅かに上げてから顔を覗かせてヘーグリンドの反対側を歩くヴェルノルトに言ったのは、この一家の長女だ。

 帝国人に対して未だ反感の気持ちを抱えたまま、憮然として歩いていたヴェルノルトだったが、不意に声を掛けられたことで素直に上を向く。

 その視界に入ったのは、肩程までに伸ばされた真っ直ぐな黒髪のきれいな、目鼻立ちの優しく整った20歳代前半くらいの細身の美人さんである。

 ヴェルノルトは思わずその顔をじっとみつめてしまい、長女が困ったような笑顔を浮かべたことで、自分が穴が空く程じっと彼女の顔を見つめてしまっていたことに気付き、慌てて顔を背ける。


「に、任務ですから……」

「ふふっ」


 ヴェルノルトが顔を赤くして言うと、好ましい物を見る目でその様子を見る長女。


「兵隊さん結構若いわね、幾つなの?」

「へ?」


 別の若い女の声に驚くヴェルノルト。


「綺麗な金色の髪ね~触って良い?」

「兵隊さんの剣、見せて~」


 その遣り取りをきっかけに、幌が大きくめくり上げられ次女、三女、四女が相次いで顔を出してヴェルノルトに話し掛ける。

 目を白黒させているヴェルノルトを後方の荷馬車から次男と妻が苦笑して見ていた。


「あらら、うちの子達興味を抑えきれなかったみたいね~」

「母さん、兵隊さんが困ってるみたいだぜ?」

「良いじゃないの」

「……はあ、あの若い兵隊さんも可哀想になあ」


 口元を抑えて上品に笑う母を見てから、姉たちの質問攻めに遭っているヴェルノルトに視線を戻した次男が苦笑したまま言う。


 一方、華やかな笑い声のするヴェルノルトとは反対側。


 ヘーグリンドが家長にのんきな様子で尋ねている。


「それにしても、おじさんの所の家族、女の人ばっかりっすね。短い期間と距離でも旅はきついんじゃないっすか?」

「ははは、俺だってそれは承知してるよ」

「なぜ?」


 なぜか自信満々の家長がヘーグリンドに応じる。


「俺の作った農産物に自信はあるがよ、よく売れることに越したことはネエだろう?」

「そりゃまあ……」


 荷台に満載されているであろう野菜や穀物の方を見て頷くヘーグリンド。

 今は幌に覆われていて見えないが、積み込みの時に見ているのでその美味そうな農産物の数々は知っている。

 特に野菜好きのエストバリは野菜を見て張り切っていた。

 しかし農産物と姉妹の旅に何の関係があるのか?

 そんなヘーグリンドの思いが通じたのかどうか、益々胸を張り家長が言う。


「だろう、そこでだ、ウチの娘達は俺に似ないでなかなかの器量好しだ」

「……はあ、なるほど」


 おじさんの娘とは思えない奇麗で可愛らしい姉妹と姪っ子を思い浮かべてヘーグリンドは何気なしに、その深い意味も分からず相づちを打つ。

 今度は野菜の売れゆきと姉妹の美醜がすぐに結びつかなかったのだ。

 そんなヘーグリンドの思考を知ってか知らずしてか、家長は少し眉をひくつかせてから言葉を継いだ。


「……(後で覚えてろよ)まあ良い、そこで俺は考えた、可愛いウチの娘達に売り子をさせれば、バカ売れ間違いなし!ってなあ。聞けばクリフォナムの族民達には帝国人の女子が人気だそうじゃねえか、俺はこれしか無いって思ったのよ!」

「なるほど……ま、まあそれは否定しないっすけど」


 長身で出る所は出ていて金髪や銀髪、目鼻立ちがクッキリしている北方人の女性に比べて、西方帝国などのセトリア内海人の女性は小柄で細身、そして黒い髪が特徴で顔立ちも優しい。

 何より文化の違いか、明け透けでぐいぐい?攻めてくる北方人の女性に比べて控目で言葉遣いも優しいセトリア内海人の女性はクリフォナムの男達に人気があるのは確かだ。

 しかしこの一家の女性達はただの農民で、しかも今回はあくまで臨時の売り子。

 シレンティウムで帝国人女性の知り合いや売り子とも接しているヘーグリンドは、家長が力説するような、そこまで爆発的な人気が有るとも思えなかったのだ。

 確かにこれから行くゼニティには西方帝国人はほとんどいない。

 それであっても果たしてそう単純にいくものだろうかと、脳天気なヘーグリンドでさえ思ったのであるが、家長のおじさんはやたら自信ありげだ。


「上手く行くといいっすね」

「おうよ!」


 取り敢えず応援しておくヘーグリンドに、家長は力こぶを見せて応じるのだった。





 アルゼントの主邑ゼニティ、商業通り


 クリフォナムの街らしく雑然とした街並みながらも、最近シレンティウムの影響で導入された石畳や排水路が整い、樹木が道路の左右に植えられた街区。

 建物は木と石が組み合わせられたクリフォナムの物だが、明らかに建築方法に西方帝国の影響が見られる。

 以前は泥だらけだった街路も石畳のお陰で比較にならない程整っており、ゴミもある程度は清掃されているようだ。


「ひえ~こんなに変わっちまって……」

「きれいになったんだから良い事じゃないか」


 そんな街中をヘーグリンドとルンヴィクが貫頭衣だけの姿で歩く。

 大猪の襲撃を受けてから4日後、レイルケン十人隊は無事農民家族をゼニティまで送り届けることに成功した。

 あの後は目立った襲撃が無かったのだ。

 流石にあの大猪が討たれたとあって他の魔獣達や獣達は近付かなかったようである。

 護衛任務の半分が終了したことを報告した後、しばしの休憩時間となったレイルケン十人隊。

 ここまで護衛して来た農民家族を、明日シレンティウムまで護衛して送り返すのが今度の任務である。

 幸いにも今日他の場所へ行く隊商や農民が居なかったので、立て続けの護衛任務とはならず、明日まで自由時間が生じたのだ。


 ゼニティのシレンティウム軍駐屯地にある、宿営地に間借りしたレイルケン十人隊の面々はゼニティの街中を思い思いに散策する。

 ヘーグリンドは同期入隊のルンヴィクと一緒に姉へのお土産を探しに商業通りへとやって来た。

 因みにヴェルノルトを誘ったヘーグリンドだったが、彼は行きたい場所があるとかで1人で出かけてしまったのである。

 商業通りの露店や商店で品物を見ながら進んでいたヘーグリンドとルンヴィクは、少し言った所で行商人が店を出す区画に到着したのだが……そこは凄まじいまでの人だかりが出来上がっていたのだった。


「な、何だこの事態……」

「す、スゴイな」


 厳い上にゴツいクリフォナムの男達が怒声を上げて殺到している様は、武器こそ手にしていないものの、まるで先陣争いを見ているようだ。

 まさか平和な街中でこの様な光景を目にするとは思っていなかったヘーグリンドとルンヴィクは呆気に取られて怒号飛び交うその様子を見ている。

 どうも集まっているのは見るまでもないが、むさ苦しいことに男ばかりのようだ。

 周囲にいる女性は蔑みの視線を熱狂している男達に浴びせているが、それにすら気付かない程熱中しているクリフォナムの男達。

 呆然とその様子を見ていたヘーグリンドは、男達が争って殺到している先にいる人々に気付いたルンヴィクに肘で脇をつつかれる。


「……おい、あれ」

「え……?ああっ!?」


 見ればそれは……


「お、おじさん一家じゃん!」


 先程シレンティウムからここゼニティまで送り届けた農民一家の姿が、そこにあったのである。

 驚くヘーグリンドを余所に、長女、次女、三女、四女の手によってシレンティウムから運ばれてきた農産物は次々と売られていく。

 家長のおじさんと次男は商品の出し入れだけをしているようだ。

 むさ苦しいクリフォナムはアルゼント族の男達が、争うように商品の並べられた敷物の前にやって来る。

 しかし敷物の手前で一切争いは生じておらず、恐るべき事にきっちり列を作って商品を買っている男達。


 その顔はどれもだらしなく緩んでいる。


 もちろんその顔の先にあるのは家長のおじさんご自慢である、器量好しの娘達である。


「うそだろ……」


 あのおじさんの自信満々な態度が思い起こされる。

 まさか西方帝国の美人がこれ程の人気を持っているとは……

 それにしてもクリフォナムの男達の単純さが恨めしいというか、情けないというか、どうにもいたたまれない気持ちになってしまうヘーグリンドとルンヴィクである。

 少し外周で蔑みの目を向けている女性陣の視線が自分達にも向けられているような気がして、ヘーグリンドはその場を立ち去ろうと踵を返した。

 そんな踵を返したヘーグリンドの、今度は反対になった脇を再びエストバリがつつく。


「何だよ」

「おい、あれ……」


 ルンヴィクの指さす方向を訝しげに振り返って見るヘーグリンド。

 その指の先には、なぜか商品である農産物の出し入れを手伝うヘーグリンドの後輩ヴェルノルトの姿があった。

 実に楽しそうに長女と話しながら商品の1つである芋の入った麻の小袋を敷物の上に並べていくヴェルノルト。


「何やってんだアイツ……」

「見りゃ分かるじゃん」

「……うそだろ」


 まるで新婚夫婦のような仲睦まじい様子の長女とヴェルノルトの姿を見て更に呆然とするヘーグリンド。


「帰るか……」

「……ああ」


 何だか色々打ちのめされた気持ちになり、しょんぼりとその場を立ち去るヘーグリンドとルンヴィクの2人であった。





 その日の夕方、ゼニティのシレンティウム軍駐屯地、宿舎付属食堂


 やけ酒っぽい酒を飲んでいたヘーグリンドと付き合って食事をしているルンヴィクの元へ、一旦集合の刻限ぎりぎりにヴェルノルトが戻って来た。

 その姿を認めて思わず目をそらすヘーグリンド。

 ヴェルノルトはしばらくきょろきょろと周囲を見回し、レイルケン十人隊の面々が集まって居る場所を見付けると満面の笑みを浮かべて手を振りつつ近寄って来る。

 そして更に目をそらしたヘーグリンドの前へやって来ると、口を開いた。


「……先輩、やっぱり自分は間違っていました!」

「はっ?」


 思わず逸らしていた目を丸くして戻し、ヴェルノルトをまじまじと見つめるヘーグリンドだったが、その様子に一切頓着せず言葉を継ぐヴェルノルト。


「西方帝国を無闇に恨むのは間違いでした!」

「……そ、そうか」


 ヴェルノルトの大声に、周囲にいたレイルケン十人隊の面々も何事かと集まってくる。

 因みに他の兵士達も興味津津で集まり始めていた。


「西方帝国の人ははっきり言って嫌いでしたが、良い人や話せる人も大勢居ることがよぅぅぅぅく分かりました!」

「よ、良かったな……」

「はい!」


 心底嬉しそうな笑顔で語るヴェルノルトを直視出来ず、ヘーグリンドが下を向く。

 その隣では笑いを堪えているルンヴィクが居る。


「今もクリフォナムの現状には納得がいかない所もありますけど、単純に西方帝国だけが悪いということは無いと思いました!!」

「……ああ」

「それだけを言いたかったんです!それじゃあ失礼しまっす!」

「どこへ行くんだ?」


 聞かなければ良いのにと言う視線を感じつつも思わず問うたヘーグリンドに、ヴェルノルトはこれまた満面の笑みを返す。

 失敗したと思ったヘーグリンドを余所にヴェルノルトは答えた。


「ウィニアさん……あ、あの護衛した家族の長女さんと会う約束なんです!」

「そ……そうか、気を付けて行ってこい……最終刻限には間に合えよ」

「はい!ありがとうございまっす!」



 がっくり肩を落したヘーグリンドの肩を優しくルンヴィクが叩く。

 他の兵士達は面白い見世物だったと言わんばかりにニヤニヤしながら引き上げ、レイルケン十人隊の面々だけが残る。

 どうやら周囲の兵士達は、先輩兵士ヘーグリンドを差し置いて後輩兵士ヴェルノルトが彼女を作ったと解したらしい。


「……あいつ、辺境護民官様を殺しにシレンティウムまで来たんじゃなかったっけ?」

「そうだっけ?」

「いや、殺すんじゃなくて直談判に来ただけだったよ、確か」

「そうだな」

「ははは……凄まじいまでの変節振りだな~」

「……良い方に変わったんだから良いんじゃないか?」

「変わりすぎだろ?」

「まあ良いんじゃねえか?きっかけは女か~いいなあ~羨ましい」


 人ごとだと言わんばかりのレイルケン十人隊の面々。

 机に突っ伏しているヘーグリンド。

 その気持ちを余所に、口々に好き勝手を言うレイルケン十人隊の面々。

 今まで自分が頑張って指導してきたのは一体何だったのか……

 先輩として誠心誠意後輩の訓練と指導に取り組み、レイルケンや昇進したノードルトと相談しながら、ヴェルノルトの偏見を取り除くべく普段の生活にも帝国出身者となるべく関わりを持たなければいけないようにするなど、様々な工夫を凝らしてきたのだ。

 彼の弟妹にも帝国出身者を積極的に関わらせて、その思想を家族ぐるみで変えるべく策も練った。

 それがこんな短期間であっさりと、しかもきれいさっぱり解決してしまうとは!


「女に負けるなんて……」

「ん?どうした」


 ぼやいたヘーグリンドの言葉を聞き漏らしたルンヴィクが問うと、ヘーグリンドは既に大分進んでいた酔いを深めるべく決断を下す。

 残っていた麦酒を一気に呷り、空になった木杯を机に叩き付ける。


「……輜重!酒だ、酒持ってこい!」

「おいおい、無理するなよ、もう相当呑んでるだろう?」

「うるさい!おい、早く持ってこい!」


 同期入隊の誼で忠告したルンヴィクを一喝するヘーグリンド。


「お?やけ酒か?」

「仕方ない、付き合うぜ」

「可愛い後輩を女に取られたんだ、可哀想になあ……」

「巣立ちの時は来るものだからな……良いぞ、呑め呑め」

「よし、おれも付き合ってやろう!」

「輜重隊員!こっちもお代りだ!」

「隊長、こっちへどうぞ」


 レイルケン十人隊の面々がヘーグリンドとルンヴィクのいた卓へと集まり、椅子を持ち寄ってめいめいに座り始める。

 それを見ていたレイルケンは、自分の杯を持ち静かにヘーグリンドの隣に座ってその肩を優しく抱いて静かに言った。


「……お前は頑張った、お前の築いた素地があったからこそ彼奴は偏見を無くすことが出来たんだ、お前の指導が無ければ彼奴は帝国出身者の娘さんと話すことも無かっただろう……お前はよく頑張った」


 その言葉を聞いたヘーグリンドはがばっと顔を上げた。

 そして涙でぐしゃぐしゃにした顔をレイルケンの分厚い胸に擦りつけて絶叫する。


「う゛おー!だいぢょー!」






 それを見ていたゼニティ駐屯地所属の兵士達がひそひそと言葉を交わす。


「あいつら……まさか……?」

「ああ、怪しいよなあ……」


 どこへ行っても誤解をされるレイルケン十人隊であった。


困った時のレイルケン十人隊……

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