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工芸長官秘話~ルキア・スイリウスの事情~

 ルキア・スイリウス。


言わずと知れた、シレンティウム初代工芸庁長官である。

 良い意味悪い意味、その独特の話し方と思考はシレンティウムで知らぬ者は無く、その特徴ある、女性とも思われぬ短髪といつも眠そうな二重瞼、ぞんざいな服装などの外見で彼女を一度見た者はその風貌と名前を忘れることは無いだろう。

 決して朝早く登庁する方ではないのだが、かと言って刻限ギリギリという事も無い、微妙な時間にやってくるスイリウス。

 シレンティウムの行政府でも特に変わり者の多い工芸庁であるが、その変わり者揃いの工芸庁ですら、スイリウスは長官という役職以上に変わり者として一目も二目も置かれているのだ。




 今日も女性らしからぬ大あくびをしながら行政府に入るスイリウス。


「あ、お早うございます工芸長官!」


 受付にいた警備当番兵のヘーグリンドに元気良く挨拶されたスイリウスは、乱れた短い髪を鬱陶しそうに掻き上げる。

 そして気怠そうな表情でその声がした方、ヘーグリンドの居る方向を向くと、いつも通りののんびりした口調で言葉を返した。


「……今日も良い天気」

「は、はあ……そうですね」


 戸惑いつつヘーグリンドは行政府の正面玄関口からちらりと外を見る。

 挨拶の返しがおかしいようだが、それよりも気になる事があったのだ。

 ヘーグリンドが確かめるまでもなく、外は当然のように雨が降っていた。

 因みに雨は昨夜からずっと降り続いている。


「い、良い雨ですからね、ハハハ……」

「ん?……雨?」


 この人苦手だなあと思いつつも、冷や汗を上手く隠しつつヘーグリンドが乾いた笑いと共にとってつけたように言うと、スイリウスは不思議そうに自分が入ってきたばかりの正面玄関を振り返る。


 当然、雨が降っている。


 しばらく雨が降る様子を眺めていたスイリウスは、フラフラと寝ぼけた顔のまま左右に身体を揺らし、それからヘーグリンドを見て言った。


「……ああ、雨」

「え、えっと……」


 ぎくっと身体を強ばらせて戸惑うヘーグリンドを余所に、スイリウスは手にしていた布製の鞄を見るが、当然に濡れている。

 ふと先程髪を掻き上げた手を見れば、やはりこちらも濡れている。

 当然ながら羽織っている野暮ったい外套も……濡れている。


「雨、降ってたんだ……」

「は、はあ……」


 もはやどう答えて良いか分からず、ヘーグリンドは引き攣った笑顔で応じる他無い。


「ありがと……」


 ぽつりと礼を述べた後自分の仕事場である行政庁の部屋へ向うスイリウス。

 その後ろ姿を見送りながら、ヘーグリンドは思わず声を上げるのだった。


「えっ?何で?」






 ヘーグリンドと別れてからも、フラフラと覚束ない足取りで自分の仕事場である工芸庁へと向うスイリウス。

 やがて目的とする部屋に到着すると、開け放たれている入り口からスイリウスは部屋へと入った。


「……おはよ」

「あ、長官……今日は早目の登庁ですね」

「……そう?」


 壁を背にして1つだけ設置されている自分の執務机に到着したスイリウスは、途中工芸庁の官吏からそう声を掛けられて首を傾げる。

 はっきり言って時間の観念は余りないのだ。

 官吏も心得たもので、挨拶や社交辞令以上の意味は無いことから一々スイリウスの反応に取り合わない。

 自分から声を掛けたにも拘わらず、そのまま仕事を続けていた。

 自席についてもしばらく眠そうにゆらゆらと身体を揺らしていたスイリウスだったが、主立った3人の部下が横一列になって席の前に立ったことでようやく目の焦点を合わせる。


「……ん?」

「報告に上がりました」


 スイリウスが疑問符を浮かべて声を出すと、右翼の官吏がそう声を掛けながら報告書らしき紙束を差し出す。

続いて中央と左翼の官吏もそれぞれ両手でスイリウスに紙束を差し出した。

 それは予てからスイリウスが部下の官達に命じて作らせていた大規模な大会の計画書の素案だ。

 ある意味スイリウスの悲願とも、根幹に関わる部分とも言える計画である。

 スイリウスはそれぞれから報告書を受け取り、その題名を一瞥してから顔を上げて言う。


「……ん、分かった……見ておく、ありがと」

「「「宜しくお願いします」」」







 シレンティウム工芸庁とは、北方連合における工業やその元となる技術、それから技芸を司る役所のことで、その仕事は大きく分けて3つある。


 大きい区分けの1つはシレンティウムにおける技術振興である。 


 これは更にシレンティウム独自の技術開発と、西方諸都市国家群や西方帝国、更には東照やシルーハと言った諸外国からの技術導入がある。

 もちろんこれらの改良や工夫もその範囲で、ハレミア人に対して威力を遺憾なく発揮した火炎放射器、通称シレンティウムの火も工芸庁の技術開発部門で製作された。

 加えて手に入れた、若しくは開発した最新最高の技術を職人へ伝播し、教授するのもこの範囲に含まれてくる。

 余談だが、子供達の学ぶ学習所で工芸授業を受持つのもここの部署の職員だ。


 大きい2つめは技術規制。


 この内の1つがシレンティウムにおける各種職人の管理及び監督である。

 シレンティウムにおいて職人は徒弟制度により各親方の元で修行を積むが、親方の修了認可を受けたのちシレンティウム工芸庁で工芸審査を受け、一定以上の技量を持っていることを証明して職人登録を行わなければ、一人前の職人として働くことが出来ないことになっているのだ。

 2つめは生活実用品や建造物にまで及ぶ広範囲な工芸製品に対する統制や規制である。

 有り体に言えば手抜き工事や粗悪品の製作頒布を監視し、規制の上で取り締まるということだ。

 その範囲は輸入品や輸出品にも及び、実際の取締りにあたっては治安庁と協力して行うことが多い。


そして大きい3つめは芸術振興。


 単なる芸術作品の品評や評価基準の策定だけに留まらず、美術品の公的鑑定、劇団や楽団の登録や招請、及び芸術家に対する支援も含む範囲の広いものだ。

 この点は既に芸術に関しては洗練された技術や思想を持つ西方帝国や西方諸都市国家群とは大きく異なり、技術や芸術に関して後進国である北方連合にとっては無くてはならない役目である。


 スイリウスはそれぞれの役目に関して統括する部下を任命し、工芸庁ではその3人をその役目に応じて技術開発統括、規制担当統括、振興担当統括と呼称している。

 スイリウスは元々技術開発や芸術振興に造詣が深く、自分でも様々なものを開発したりしているし、また彫刻や絵画においてかなりの腕前を持っている。

 法律による規制や取締りに関しては若干疎いところがあるものの、真贋を見抜く目は他の官吏が舌を巻くほどのものを持っており、摘発にはよく参加し、その目を十分にいかして活躍していたりする。

 また技術開発と切っても切り離せない学術に関しても深い知識を持っており、学習所統括のアルスハレアとも仲が良い上に学習所への出張授業にも積極的に出かけるのだ。


 スイリウスとしては学術に関する部署を別に設けて、学習所や学術振興を手がける担当長官を任命して貰いたいと常々ハルに上申していた。

 ハルとしては財政上の理由もあり、また高等教育については西方帝国への留学を国策としていることもあってそれ程熱心ではない。

 しかしスイリウスはいずれシレンティウムでの高等教育が必要になると考え、意見は未だ採用されていないものの、アルスハレアと協力しながら準備だけは進めているのだ。

 普段はぼんやりしており、その独特の話し方から何を考えているか分からないと評されているスイリウスだったが、なかなかどうして色々と考えているのである。





 そのスイリウスが西方帝国の官吏を辞め、新興都市シレンティウムの工芸長官として招請されるに至るには、ちょっとした物語があった。






 ハルのシレンティウム到着前後、帝都中央街区、芸術院


 雄壮にて豪壮、そしてその中に華麗さを併せ持つ西方帝国の芸術院庁舎。

 個々に早朝から次々と布と縄で梱包された物品が搬入されていた。

 形はまちまちで、明らかに人型をしているものや、その人型が複数連なったもの、四角く平べったいものや壺状のものもあり、非常に多彩である。

 しかしそのいずれもが慎重な手付きで運ばれている。

 今日は帝都行政府肝煎りで行われる美術展の日。

 運び込まれたのはいずれもその美術展に出品された芸術作品である。



 西方帝国において学問と言えば実学。


 それは橋脚の作成強度の算出方法であったり、法律文書の起草作成技術であったり、あるいは予算編成の為の帳簿作りであったり、行政書類の作成方法であったりする。

 加えて軍事力学が重視されており、重兵器の投射速度や投射距離、射出確度の計算や火炎弾の燃料配合比率の算定、はたまた使用される材質の強度計算などが非常に重んじられているのだ。

 それ以外の、例えば彫刻や絵画、音楽や芝居、小説や詩といった社会設備や建築工芸、あるいは行政書式に寄与しない物は一段下に見られる傾向にある。


 しかし最近は平和な時代が続いていることもあり、資産や時間に余裕のある貴族階級の子弟を中心に芸術学が盛んに行われるようになってきていた。

 それまで技術庁の一部署に過ぎなかった芸術局が格上げ分離され、芸術院となったのもそうした流れと無縁のことでは無い。



 今回美術展に応募して来たのは、貴族の子弟が人数、作品数共に突出して多いが、中には市井の工芸家や芸術家もいる。

 他にも芸術院や工芸庁の職員で腕に覚えのある者、それに加えて帝都や近隣都市で事務所を構える建設事務所に勤務する、いわゆる本職の建築家や技術者もおり、非常に多彩で多様な人々がこの美従展へ出品をしてきているのだ。

 というのもこの美術展はスイリウスの提案で広い階層から人材を求めるという趣旨で、応募制限が設けられていないからだ。

 芸術作品と言えば最近は貴族の子弟が金に物を言わせたような作品ばかりで面白味に欠け、果ては自分の代わりにお抱え工芸家に作品を造らせて自分の名前で出品してしまうような不届き者も多い。

 それもこれも芸術的な才能があると認められたい、甘やかされた貴族の子弟の仕業であるのだが、スイリウスとしては美術先進国である西方諸都市国家や東照の使者が来ても唸り声を上げるような素晴らしい芸術家を国が発掘する事こそ意味があると考えている。

 貴族の子弟に阿り、目の肥えた諸外国の使者に笑われるような作品を展示するような情けない真似だけはしたくなかった。


 故に大々的に市井の芸術家や建築家、技術者に声を掛けて美術展を開いたのだが、あらかじめ厳正に審査を行う旨を知らしめてあったにも関わらず、こういった公的な審査会が今まで行われていなかった事もあって貴族の子弟が多数応募して来てしまったのである。

 さすがに貴族を応募対象から完全に外す訳にも行かなかった為、中途半端と言えば中途半端な応募条件を布告せざるを得なかったのだが、それでも厳正な審査という文句でその手の人間は排除出来るはずだった。

しかし現実は厳しいもの、結果は貴族が多数応募する事態となってしまっていた。


「……仕方ない」

「うむ、スイリウス君、君の意気込みとこの美術展の意義は良く理解しているのだが……こうなっては仕方あるまい」


 応募者の一覧表を手にしてため息をつくスイリウスに、上司の芸術院院長がその肩に手を置いて言う。

 その趣旨を量りかねてスイリウスが眉を顰めて振り返ると、院長はゴホンと咳払いを1つしてから言葉を継いだ。


「どうだろう……貴族と市民の審査基準を分離してしまってはどうかな?」

「……それは」

「貴族の方々は貴族の方々の作品だけで審査し、市民は市民だけで審査するという事だが、どうかな?そうした方が何かと無難に事は進むと思うが……」


 確かにここは一思いに貴族と市民で分離して審査し、それぞれに賞を設けた方が物事はスムーズに進むだろう。

 貴族は落選せずに済み、市民に負けたと妙な誇りを傷付けられる事も無い。

 貴族の中だけで競わせれば、無駄な圧力や抗議もないだろう。

 しかしそれでは意味が無い。

 この行政機関が行う審査によってこの国を代表する芸術作品が選ばれるのだから、そこで手加減や社会的慣習を盾に物事を決めたのでは、今後この国の芸術は廃れる事になる。

 スイリウスは首を左右に振って拒否の意を院長に伝えると、院長も困ったように首を竦めて口を開いた。


「ならばどうなっても私は責任を取れないよ?貴族相手に楯突く事など出来はしないのだからね」

「それでも……それはやってはいけない事、一度貴族に迎合した審査をやってしまうと収拾が付かなくなる」

「それはそうだが……」


 渋面の院長に無表情のスイリウス。

 確かに行政機関の出す考課や表彰が確実に手に入るような評判が立てば、今後益々貴族の子弟が無理難題付きで応募してくるだろう。


「……仕方ない、責任は取れないが好きにやってみたまえ」

「分かった……責任はとって貰えないけど好きにやってみる」

「むぐっ、このっ」


 スイリウスの反撃の言葉に、院長は一瞬怒りの声を上げかけるが、スイリウスがすっと踵を返して作品置き場に向ってしまったので、怒声を上げる事は無かった。


「ふん、偏屈者め……」


 そもそもスイリウス自身の採用が特殊であった。

 主に行政官庁の注文を受けて建物を設計し工芸品を納入していた帝都の事務所に勤める新任設計士であったスイリウス。

 その残心で現実的かつ芸術性溢れる設計や作品をたまたま目にし、その才能に惚れ込んだ皇帝マグヌスとその養子ユリアヌスが、珍しく職務権限を使ってスイリウスを芸術院に採用したのである。

 いかに政治的権限を抑制されているとは言え、皇帝は皇帝。

 加えて市井の人気者であるユリアヌスの肝煎りで採用された彼女を、最初は煙たがっていた官吏達も、彼女の確かな審美眼と芸術的才能を目の当たりにし、次第に受け入れるようになっていった。

 しかしながら官吏として勤めた経験が無く、その素養がなかったことと、厳しすぎる評価基準を基にした批評から貴族や高位官吏には受けがすこぶる悪く、然りとて皇帝や皇族の後ろ盾がある以上、権力を使って辞めさせることも出来ない。

 仕事は人並み以上に出来るので、そういった立場の人間達もスイリウスを上手く使うように腐心し、またスイリウスも自分の仕事を邪魔されない限りはそういった人間達と衝突することもなかったので、今まで上手くやってこられたのだった。

 院長もそういった立場でスイリウスを上手く使ってきたと思っている人間の1人。

 最後はいつもの台詞で締めくくる。


「まあ良い……すきにしろ、私は知らんからな!」


 小さく吐き捨てる様に捨て台詞を残し、院長はその場を立ち去った。

 これで成功すれば自分の手柄、失敗すれば切り捨てるだけ。

 いかに皇帝やユリアヌスの後ろ盾があろうとも、失敗した官吏を首にすることはそう難しくは無い。

 しかもかの皇帝や皇族達が妙なところで公正で、ごり押しや無理難題は言ってこない。

 今までスイリウスがやらかした不手際(と院長は思っている)の数々を一緒にくっつけてしまえば、早々反対も出来まい。

 暗い笑みを浮かべて立ち去る院長の後では、そうとは知らずに梱包された作品と応募用紙を確認するスイリウスとその配下の職員たちの姿があった。





 翌日、一次審査を終えたスイリウスの作品に対する批評と解説が始まる。

 やって来たのは昨日スイリウスに忠告という名の圧力を掛けた院長をはじめとする芸術院の幹部達であるが、貴族寄りの人物が多いのは言うまでも無い。

 しかし残念ながら彼らは官吏であっても技術者や建築家では無いし、むろん芸術家でもないので自ら作品を批評することは出来ない。

 普段は書類仕事をしている人間達で、美術工芸に造詣の深いスイリウスとはそもそも役目が違うのである。

 ここへやって来たのもスイリウスの解説や批評を聞いて追認するためだ。

まだ出来たばかりで人材不足という理由もあるし、貴族に阿ることの出来る市井の芸術家と言った希少な人材がそうたくさん居るはずも無く、口数の少ないスイリウス1人が採用されて芸術院の実務面を切り盛りしているのが実態。

 しかし口数が少ないからと言って貴族に阿るかというと……そう上手くはいかない。

 それは今までの経歴が物語っているのだが、他に適当な人材が居ない以上幹部達もスイリウスに一時的には従う他無いのである。






「……これは落選」

「ま、待てスイリウス!これはいかん!これは予選を通過させねばならん!」

「……ダメ、これは落選……因みにこっちも落選」

「ぎゃーっ!?」


 貴族派貴族の筆頭であるルシーリウス家に連なる良家の子息が送り付けてきた何とも個性の無い彫刻像。

 その顔に木炭で罰印を容赦無く付けて言うスイリウスに院長が悲痛な叫び声を上げる。


「ま、待て!ルシーリウス卿は昨年莫大な寄付を芸術院にしてくれたのだぞ!」


 頭を抱えていた手を離し、慌ててスイリウスへそう言いつつ駆け寄る院長。

 スイリウス院長を振り返って手を止め、静かに頷く。


「……それは知ってる」

「そうだろう!?ならば……」


 一瞬理解してくれたかとほっとした院長だったが、スイリウスはくるりと像に向き直ると木炭を振り上げた。


「でもダメ……それとこれと話は別」

「おぎゃーっ?」


 また別のルシーリウス卿系列の貴族子弟が送りつけてきた複雑な形の像に、容赦なく木炭を折らんばかりの力強さでバツ印を付けるスイリウスに、再び院長の野太い叫び声が上がる。


「複雑だから良いというものでは無い……あくまで重要なのは均衡、これは均衡性が皆無……それに仕上げが粗い、きっと期限に間に合わせようと数人掛かりで彫り上げた……でも応募者は1人……そもそもがウソ」


 それを見ていた幹部達も一様に言葉無く肝を潰した様子でスイリウスの解説を魅入られたように聞くが、当然頭に入る訳も無く、とにかく構図や彫り跡が荒く使い物にならない旨の説明を理解し、更には貴族の子弟が金に飽かせて何人かに作らせて、あろう事か自分だけの名前で送りつけてきた作品だという事も理解した。

 絵画や浮き彫り、絵付けの壺などが次々とスイリウスの手によって罰印を残され、無残な姿になりはててゆくが、その大半が貴族の子弟からの物。

 その事実をようやく回り始めた頭で理解しだした幹部達が慌てる。


「ま、待てっ」

「ん?」


 訝しげに振り返ったスイリウスは、必死に自分の腕へ囓り付いてバツ印を書かせまいとする院長を余所に振り返ると、幹部の1人がようやくそういう。


「この審査には偏りがあるっ、よって貴族の子弟から送られた作品については我々が審査を行うっ」

「……構わないけど、本当に……審査出来るの?」

「うっ、そ、それは」


 スイリウスは見事な複数人数の彫像を木炭で示して言う。

 一見して素人である幹部達にも見事な出来である事が分かる。

 それを見て取ったスイリウスだったが、しばらく眺めてから首を左右に振り、徐に口を開いた。


「この像は芸術性は非常に高いし彫刻技術も素晴らしい……でも、ダメ……大きさは屋外用だけど外には置けない」

「な、何故だ」

「主要な彫像の脚部が細すぎて強度が足りない……お分かり?」


 少し困ったように首を傾げたスイリウス。

 見方によっては馬鹿にしているようにも思えるが、これにはぐうの音も出ない幹部達。

 スイリウスは小さく彫像の台座部分、件の脚部に近い場所へ木炭でバツ印を付ける。

 確かに像全体を支えている脚部は極めて細く、素人目にも頼りなく感じる程であった。

 像の大きさから考えて、設置するのは公会堂や元老院議場、若しくは帝都の公園になるだろうが、そこに設置してもし事故が起これば……


「このままでは衝撃に弱いし劣化も早い……この大きさでは公共設備や屋外に設置するしかない……そうした場合倒壊や破損だけでなく、周りの人を巻き込んで二次災害を引き起こすかもしれない」


 スイリウスの説明に幹部達の誰もが思わずその惨状を想像してしまう。

 しかし院長はぶるぶると震えていた。

 怒りによるものか、それともこの審査の内容と結果を知った貴族から受ける仕打ちに対する恐れからか計りかねる程顔をどす黒く染め、次々と審査を進めるスイリウスの背を睨み付ける。


「……それぐらいにしておけっ」

「んんっ?」


 激情を押し殺したような声に、さすがのスイリウスも異変を感じて振り返る。

 その手には今し方やはりルシーリウス卿に連なる貴族の彫刻にバツ印を付けたばかりの木炭が握られていた。

 院長はつかつかと身を固めているスイリウスへ近づくと、大きく手を振りかぶる。

 幹部達が止める間もなくその手はスイリウスの頬と右手に振われ、叩かれた手から木炭が飛び、スイリウスは半回転して床に座り込むようにして倒れこんだ。


「あ……うっ」


 思わず木炭で黒くなった手で頬を押さえるスイリウスが珍しく驚きの表情で見上げると、床に落ちた木炭を踏みにじった院長が鬼の形相で叫ぶ。


「き、貴様の審査も今日までだ!」 

「……私は辞めるつもりはない」


 赤く張らした頬を抑えたままスイリウスが小さく反駁すると、院長は目を見開く。

今まで反抗的であっても手を出さずにいたのは、最終的にはスイリウスが院長である自分の意見に従っていたからだ。

 しかしここまで明確に反抗されては、生かしておく理由すら無い。

 むしろスイリウスをこのまま放置すれば、新しい賞を確約しておきながら、その役目を果たせなかった自分の命が危ない。

 貴族、特にルシーリウス卿の一派は執念深い上に自分達に恥をかかせたものを許す程寛大でもない。

 貴族とは言え家格的には下位の下位である院長に抗う術は無い。

 生き残るには、どんな手段を使ってもスイリウスを排除して貴族に約束した賞を与えるしかないのだ。

 しかしスイリウス……このいけ好かない目の前の女は辞職を拒否した。

 良いだろう、貴族の恐ろしさを思い知れ。

 皇帝陛下やユリアヌス殿下の力が貴族の横車に及ぶことはない。

 そう思い定め、院長は再び叫んだ。


「辞めるだと?はは、辞める必要など無いっ!死ね!」

「……本気?」


 余りの乱暴な物言いに、院長に迎合していたはずの幹部達が息を呑み、スイリウスは眉を顰める。

 しかし激高したままの院長は周囲の雰囲気が変ったことに気付かずに言葉を継いだ。


「貴族に逆らっては生きていけんが、貴族に従えばどんなことでも可能なのだ、それを思い知れ!」

「……審査は……仕事は、最後までする」

「はははっ、勝手にしろ!死人の審査など必要ないわ、明日には全てひっくり返るぞ!」


 歯を食いしばって立ち上がろうとするスイリウスを嘲笑い、院長は最後にそれだけ言うと立ち尽くす幹部達を押し退けて自室へと向う。

 その後ろ姿をスイリウスは呆然と眺めるだけだった。







 その後院長不在のまま沈黙してしまった幹部達を引き連れ、スイリウスは全作品の審査を終えた。

 貴族平民の分け隔て無く審査を実施し、優秀なものだけをより分けた芸術院の待合室は、さながら西方諸都市国家群の神殿のような神々しさに包まれる。

 さすがの幹部達もその作品群の素晴らしさに心を動かされたのか、感嘆の声を漏らす者も居り、スイリウスの能力を十分に証明したのだった。

 しかし、それでも芸術院の幹部達はスイリウスの選考した作品に表彰許可を与えることはしなかった。


「スイリウス君、申し訳ないが明日までこの作品はこのままこの場所へ置いておく。理由は分かるだろう?」


 その幹部の言葉に黙って頷くスイリウス。

 要するに芸術院の最高責任者である院長が許可を出さなければならないという事だ。

 加えて先程の遣り取りがある。

 いくら官吏の世情に疎いとは言え、スイリウスは院長の指示にはっきりと逆らい、しかも貴族と深い繋がりのある院長から明確に脅迫されたのだ。

 鈍い所のあるスイリウスにも自分の命が明日をも知れぬものであることが自覚出来た。


「……でも、良い作品は、表彰して欲しい」

「そんな事を言っている場合では無いぞ。君は一刻も早く帝都を離れた方が良い」


 別の幹部はスイリウスが表彰許可を言葉にして求めるとそう言って諫めた。

 初めて無力感を感じ、スイリウスは黙ってうつむくとそのまま職場を去ったのだった。


「皇帝陛下は貴族の横暴や専断に無力だ、ユリアヌス殿下は今この帝都にいない。君を守ってくれるものは今この帝都にはいないぞ」


 その悄然とした背中に、帝都を離れるよう忠告した幹部が声を掛けるが、スイリウスは黙ったまま去るのだった。 







 同日夕刻、帝都市民街区某所のインスラ3階、スイリウスの部屋


 自室に戻るなり寝台にドサリと倒れ込んだスイリウスは、そこでゆっくり涙を流す。

 皇帝マグヌスから呼び出しを受け、皇帝宮殿へ言った日のこと。

 そこで皇帝陛下直々に西方帝国の芸術振興に力を貸して欲しいと頼まれたこと。

 同席していたユリアヌスから、芸術院の構想とその役目の説明を受けた時のこと。

 帝国領西方の田舎から出てきた自分を採用してくれた設計事務所のこと。

 いけ好かないながらも意見を聞き入れてくれる幹部や、院長、スイリウスの気まぐれな仕事ぶりにもめげずに付いてきてくれた部下の官吏達のこと。

 貴族に阿る芸術院の幹部や院長達のこと。

 初めて実現した芸術振興策の一環である、今日の審査に関すること。

 その設計事務所を辞めて官吏になると話した時に、祝福してくれた設計事務所の同僚達のこと。

 気まぐれで意外と頑固な自分を最後まで心配してくれた設計事務所の所長のこと。

 自分を笑って送り出してくれた田舎の師匠や家族のこと。

 そして命の危険が迫っているであろうこと。

 様々な思いが涙と共に込み上げ、スイリウスの目を濡らす。


「……せっかく、この国の芸術を高めるお手伝いが出来ると思ったのに」


 切なげにつぶやくスイリウスの目に再び涙が溢れる。






 スイリウスの生まれ故郷は、西方諸都市国家群の系譜を引く西方帝国領の西方。

 更にその地方都市の生まれだ。

 しかし芸術と技術の先進地域である西方諸都市国家群が開いた都市であることから、幼い頃より優れた芸術作品や工芸品に触れ、壮麗な建築物を見て育った。

 自然と開花した芸術的才能を十分に活かし、西方の中枢都市アルテアで設計と工芸、芸術を学んだ後、師匠の伝手を頼り帝都の設計事務所に就職したのだ。

 今までお世話になった人々に報いる為、そして西方諸都市に負けない芸術作品や建築物を帝都に残し、この国に貢献しようと頑張ってきた。

 幸いにもその働きが皇帝陛下やユリアヌス殿下の目にとまり、思いがけない形でその目的への近道を手に入れた。


 しかしそれも今日で終わり。


 下手をすると命も終わってしまう。


「……どうして」


 ごろりと身体を返して涙に濡れた顔を手で拭ったスイリウスの視界に、乳白色の紙片が入った。


「何?手紙?」


 寝台から降り、郵便受けに投函されていた差出人払いの郵便物。

 その差出人は、以前あったことのある偏屈官吏、シッティウスの名が記されていたのでほっとするが、差し出し場所の地名に思い当たらない。


「……シレンティウムって、どこ?」


 首を傾げるスイリウスだったが、とにかく中を検めることにした。

 あの偏屈者は貴族嫌いなことで有名であり、詐術を用いてスイリウスをどうにかしようとすることはないだろう。

 署名は紛う事なきシッティウスのもので、偽造の心配も無さそうである。

 文面は彼の人物の几帳面さを如実に表わす堅苦しいもので、時節の挨拶から始まり、スイリウスの近況を尋ね、自分が今北方辺境のシレンティウムという新興都市の行政長官をしていることを紹介し、最後はスイリウスの気質はシレンティウムに合っているから、こちらで働いてみてはどうかという勧誘で終わっていた。

 ご丁寧に北方関所の通行証とその先の地図が同封されており、また関所の先の護衛が必要なら同所の守備司令官アダマンティウスを頼るようにと但し書きまで付いている行き届きようである。


 北方辺境。

 新興都市。

 住人は北方蛮族。


「……面白い、かな?」


 少し考えてからつぶやくスイリウス。

 自分の持っている芸術を蛮族や北方辺境に広め、蛮族の持つ新たな芸術の息吹を感じ取れるかも知れない。

 自分の力で新興都市を、西方諸都市や帝都に負けない芸術都市に出来るかも知れない。

 それに手紙を見る限り上司はあのシッティウスだ。

 仕事に一切の妥協を許さないが、成果を上げれば貴族平民共公平に認められるだろう。

 そもそも北方辺境に貴族はいるのだろうか?

 様々な疑問はあるが、いずれにしても命の危険がある以上、帝都や芸術院に拘っていても仕方ない。

 未練は大いにあるが、北方辺境へ行ってしまえば貴族の手も届くまい。

 帝都を去って故郷へ戻ることも可能だろうが、ただ逃げただけでは貴族派追ってくるかも知れないので、ここは思い切って遠くへ行くしかない。

 外国は何となく馴染みがなくて怖いので、辺境とは言え西方帝国の一部にその様な場所が出来たとは有り難い。

 新たな道が開けたことに意を強くし、ぐっと拳を握りしめたスイリウスの手から1枚の紙が落ちる。


「んっ?」


 シッティウスの手紙から滑り落ちたその紙片を拾い上げるスイリウス。


「……ハルって、だれ?」


 その紙片は、シレンティウムの辺境護民官ハル・アキルシウスの招請状。

 丁寧な言葉使いの文章に、そこはかとなく感じる南方の風。

 それは文章の中で彼が群島嶼の出身である事を語っていたことで理解出来た。


 群島嶼人。


 スイリウスの中に、シレンティウムに対する新たな要素が加わった。


「……行く」


 短く言うと、スイリウスはすぐに荷造りを始めるのだった。






 同日深夜、スイリウスのインスラ前の路地


 細い月の昇る夜。

 街灯も少ない帝都のスイリウスが済むインスラのまえに、5人の胡散臭い男達が集まっていた。

 全員が黒いフード付きの外套に身を包み、そのフードをすっぽりと被って顔を隠している。

 帝都に住んでいる者なら分かるその出立、闇の組合の構成員達だ。


「最近仕事が粗いぜ」


 1人が小さくぼやくと、もう1人が苦笑しつつ応じる。


「仕方ネエだろう、明日までに殺せって話しだ。話しが来たのは今日の夕刻だからな」

「しかも相手はお得意様だ」


 3人目の男の言葉に、舌打ちが重なる。


「それにしてもちっと粗が過ぎるぜ……はっきり言って居るかどうか確かめてもいねえ」


 そして最初にぼやいた男が再び言う。


「まあ、確かに……だが大丈夫だろう。相手は若い女で武術の心得はない、独り暮らしで変りモンなんで、近所付き合いもないとよ」

「……だと良いが」


 愚痴を言いながらもインスラを伺う男達。

 そして素早く周囲の闇に紛れ、インスラの中へと入って行く。

 足音を消して階段を上り、やがて3階に到着する男達。


「ここだな」


 スイリウスの部屋の前で、一言そう言った先頭の男は思い切り木の扉を蹴ったが……


「あぎいっ?」

「お?」


 驚いて後続の男が声を掛ける間もなく、倒れ込んでのたうち回る先頭の男。

 見れば扉を蹴った足が妙な方向に曲がっている。


「……薄く木が張ってあるが、これは鉄の扉だ」


 3人目の男が扉を手で触ってから言う。

 冷や汗を流しつつ扉をそっと開く3人目の男。

 意に反して扉はすんなりと開き……


「ぎゃあああ!」


 3人目の男目掛けて扉の上の隙間から火が噴きつけのだ。

 慌てて周囲の男達が手で叩いて消火するが、顔面に火を浴びた3人目の男は動かなくなった。

 4人目の男が見れば、そこにはポンプと火縄。

 扉が開かれたと同時にポンプが作動するようになっていたのだ。

 入っていたのは水では無く油、それが火縄で着火される仕組みになっている。


「くそっ」


 4人目の男に2人の介抱を任せ、2番目の男と5番目の男が部屋に転がり込む。

 そのまま奥にある人型に膨らんだ寝台へ突進すると、胸元から抜き放った短剣を一気に首と心臓目掛けて突き刺した。

 しかしその一瞬後、夜空を真っ赤に照らし、インスラの3階角部屋の窓から轟音と共に火柱が上がる。


 寝台に仕込まれていたのは革袋に入った揮発性の油と燧石。


 手練れの暗殺者ならば急所を狙うとふんだスイリウスは、人型の心臓部分と首部分に燧石の板を仕込み、鋼鉄製の刃物が刺さると着火するように仕掛けていたのだ。

 悲鳴と怒号が交錯し、帝都守備に就いている第1軍団の夜警隊が通報を受けて駆けつけて消火と避難誘導にあたり、周囲は逃げる市民と駆けつける軍部隊でごった返した。

 その人混みに紛れ、スイリウスはインスラを抜け出す。


「……死んでないと思うけど、まあいっか」


 見かけは派手だが自室にあった燭台用の物を流用しただけなので油の量は少ない。

 スイリウスが仕掛けたのは死にはしないが怪我を確実にする程度の物だ。


「じゃあ……北へ行こう」


 スイリウスはそうつぶやくと最低限の荷物と路銀を入れた荷袋を手に、帝都を抜けるべく暗闇の中を行くのだった。






 現在、シレンティウム行政庁舎、ハルの執務室


「それって官吏を辞めたことになってるんですか?」


 ハルがスイリウスから提出された書類の審査を終え、返却するべく手渡しつつ尋ねると、スイリウスはこくりと頷いてから口を開いた。


「大丈夫……途中で辞表を投函してきた……から」

「途中でですか?」

「……うん、帝都の下水道を抜けてきたの……その途中の西方郵便協会の事務所へ金貨と一緒に……投げ込んだ」

「……そうですか」


 壮絶と言えば余りにも壮絶な帝都脱出劇。

 上司をぶん殴って出てきた友人のルキウスが可愛く思える。

 しかし最早何も言うまい。


「……書類の趣旨は分かりました。提案を許可します」

「そう……ありがと」


 ハルの言葉に少しだけ口元をほころばせてスイリウスが礼を言う。

 

 





 スイリウスが部下達の手を借りて纏めたのは芸術祭の提案書。

 工芸品や美術品の出品のみならず、実現可能な設計書や計画書も作品として認め、また小説や文学作品、音楽や演劇も含めた大規模な大会だ。

 もちろん審査はスイリウス自身が行う。


「今度こそ……成功させる」


 地域や国、出身による応募制限はない。

 応募期間は長目にとってあるが、どこまで参加者を増やせるか。

 スイリウスはいずれここシレンティウムで行われるこの芸術祭を大陸全土に通用するものへと育て上げるつもりなのだ。

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