暴漢制圧顛末記~レイルケン十人隊の警備事情~
シレンティウムの今日はあいにくの空模様。
行政庁舎の正面玄関で短槍と盾を持ち、いつも通りきっちり警備に就いているレイルケンの鎧と兜を雨粒がうち始めた。
「……雨か……」
ふと何気なく上を見上げたレイルケンの顔に強くなり始めた雨が当たる。
最初はぽつりぽつりと落ちていた雨が、今は結構な強さで降り注ぎ始めていた。
「何やってんですか隊長?」
行政庁舎内の警備要員詰所からやって来たヘーグリンドが、天を見上げて雨に顔を打たれているレイルケンを見て怪訝そうな表情で問う。
特に意味は無い行為だが、確かに周りから見れば奇異に映るに違いない。
「……うむ、いや、雨だなと思ってな」
「はあ、まあ雨ですけど……」
少し誤魔化すような口調で言葉を発するレイルケンに、ヘーグリンドは戸惑いながら応じる。
「あ、そうそう隊長、防水マントです」
そして相変らず時々分からない事をする自分の隊長を、半ば呆れて見ながら防水マントを差し出すヘーグリンド。
彼は雨が降ってきたのを知って外で警備に就いているレイルケンとエストバリ、それからルンヴィクに防水マントを届けにやって来たのだが、そこでレイルケンの不思議な行動に出くわしたのだ。
エストバリとルンヴィクは雨が降り出したと同時に当然のように屋根のある所に引っ込んでおり、ヘーグリンドの持ってきた防水マントをいそいそと身に着けてから改めて警備場所へと戻っている。
「済まんな」
一方隊長のレイルケンは雨にうたれながらも持ち場を離れない。
礼を述べながらヘーグリンドから防水マント受け取ると、やはりヘーグリンドが持参した布で鎧と兜一旦きっちり拭いてから防水マントを装備するレイルケン。
普段からマントを身に着けられるのは百人隊長以上の将官のみで、レイルケンやヘーグリンドのような一般兵に分類される北方軍団兵は防水や防寒の場合にのみ身に着ける事が出来るのだ。
因みに北方軍団兵のマントは青色に水色の縁取りが為されている。
これは基本的な装備品が同じ西方帝国と区別するためである。
西方帝国軍が赤色のマントを使用しているので、北方軍団兵はシレンティウムの都市色でもある青色を基調にしたマントを装備しているのだ。
余談だが西方諸都市国家群では白色、シルーハは灰黄色、東照においては黄色を使用する事が多い。
「ありがとう、助かった」
「いえ、もうしばらくしたら交代します」
レイルケンから雨を拭き取った後の湿った布を受け取ると、ヘーグリンドはそう言って詰所へと戻る。
行政庁舎や城門の警備は3交代制で、朝から翌朝まで。
本来はシレンティウムの都市警備隊の仕事なのだが、戦時で無ければ彼らが休暇を取ったり、訓練をする際に他の軍団が割り当てを受けて部隊を派遣する事になっている。
他の軍団も平時は街道の巡回警備や盗賊討伐ぐらいの仕事しか無いので、兵達の士気を弛緩させないようにと都市警備には積極的に部隊を派遣していた。
レイルケン十人隊は他の隊と共に行政庁舎の警備任務に派遣されたのだが、一番人通りの多い正面玄関の警備を担当することになった。
但し警備とは言っても出入りする不審者の排除と武器検査が主なもので、受付自体は行政官吏の受付担当が行うので、実際にやる事は多くなかったりする。
警備要員の配置は正面の立哨3名に、次に立哨に当たっている者3名が予備員として行政官吏と一緒に受付で待機しており、残りの3名は詰所で休憩。
本来十人隊長は隊員の警備の様子をチェックして回る、いわゆる巡回をする事だけが任務なのだが、レイルケンは隊員に混じって警備に就く事を常としており、お陰で隊員は1人ずつあぶれるようになることから、少し長めの休憩を取る時間が出来るので非常に助かっていたりするのだ。
そんな真面目なレイルケン。
雨が降ろうが雪が降ろうが風が吹こうが自分の立哨箇所から外れる事は決して無いのである。
一旦強く降った雨も少し弱まり、今はしとしととレイルケンの身体に降り注いでいる。
時折目庇から顔へ流れ落ちてくる雨水を拭いながら、レイルケンは立哨を続けていた。
そのレイルケンの前を1人のクリフォナム人の男が通り過ぎようとした。
茶色のフード付きマントは薄汚れており、腰には古い長剣を佩いている。
身に着けている衣服や長靴は泥で汚れていて、男が少なくとも徒歩でここシレンティウムまで、しかもごく最近やって来た事が知れた。
フードは深くすっぽりとその頭と顔を覆っているが、雨が降っている事もあって別段それだけでは何ら不審な所は無い。
剣も北方人の男なら所持し、携帯しているのが当たり前だ。
しかし抑えようのない殺気はレイルケンの首筋をちりちりと粟立たせた。
「……待たれよ」
「……何だ、犬。俺は貴様などに用は無い」
レイルケンの呼びかけに剣呑な雰囲気を隠そうともせず、その前で立ち止まって答えるクリフォナム人の男。
彼の姿格好からすればフリード人だろうか?
その言葉は明らかに侮蔑と卑屈、相反する感情に満ちていた。
シレンティウムに反感を持つ北方人の大半は、西方帝国人指導者に対して強烈な殺意と反感、それに侮蔑を向けると同時に、同じ北方人の指導者や参加者については嘲る以上の事をしないのが特徴である。
「重ねて言うが、犬には用は無い……犬は安閑と暮すが良い」
男から発せられた言葉は、最後に少し寂しそうな感情が込められていた。
しかしレイルケンはその言葉で確信を持つ。
この男は危険だ。
何かをやらかそうとここまで苦労してやって来たに違いない。
しかもその旅塵にまみれた様子からまだシレンティウムに着いたばかり。
疲れているにも関わらず、おそらく到着してすぐにこの行政庁舎へ来たのだろう。
つまりはそれだけ強い反感をシレンティウムに持っているという事だ。
門衛は何をしていたのかと腹立たしい気持ちを抑えつつ、レイルケンは静かに言葉を発した。
「用向きを告げられたい」
「……受付で告げる」
ぶっきらぼうに、しかしレイルケンの方を向かないまま男は受付の帝国人と思しき官吏を睨み据えると、ゆっくり歩みを再開しつつ答える。
しかしレイルケンは油断する事無く男に向き直ると盾を構えた。
そして槍を逆さまにし、その柄で男の進路を遮るレイルケン。
それを見ていた男が一旦立ち止まり、はっきりと今度は怒りの表情を彼に向けた。
間違いない、この男は危険だ。
レイルケンはざわめく心を抑えながら、再度落ち着いた口調で男に告げる。
「では腰の剣から手を離されよ、庁舎警固の役目により武器はお預かりする」
「貴様あっ……北方軍団兵の犬風情がっ、勇猛で高貴なるクリフォナム戦士の魂まで売り渡したかあっ!」
突如激高した男はレイルケンの差し出した槍の柄を撥ね除けて叫んだ。
そして躊躇無く柄に手を掛けていた長剣を引き抜く。
「どけっ、お前らに用は無いっ!辺境護民官を出せえっ!」
怒号と共に剣を振り回す男。
その拍子に深く被っていたフードが取れ、未だ少年と言っても良いくらいの年若いフリード族の男の顔が露わとなる。
周囲が騒然となり、それを知ったエストバリとルンヴィクが慌てて駆け寄って来た。
行政庁舎の受付に待機していたリンディとノードルト、イエルムが素早く盾を構えて玄関前に折り敷き、詰所で待機していたトーレン、ラーベ、ヘーグリンドも官吏の通報を聞き相次いで駆けつけた。
「隊長!」
「慌てるな、落ち着け……取り押さえる」
五人隊長のノードルトの呼びかけに落ち着いて答えたレイルケンは、若い男に撥ね除けられたままに槍を逆さまにして構える。
その言葉と行動に隊員達も全員短槍を逆さまに持ち変え、石突を若い男に向けた。
レイルケン隊の態度を見て、自分を殺さずに取り押さえるつもりだと理解したフリード族の若い男は更に激高して剣を振り上げる。
「……愚弄するか貴様!」
「役目により取り押さえる、武器を棄てろ」
そのレイルケンの警告と共に若い男の周囲を円形に取り囲む隊員達。
周囲の官吏や市民達が固唾を呑んで見守る。
しかし激高する若い男を余所に、レイルケンはじっと動かず仕掛けない。
しばらく睨み合うレイルケン隊とフリード族の若い男。
程なくして市民からの通報を受けた治安官吏や、市内の巡回警備任務に就いていた兵士達が騒ぎを聞付けて駆けつけた。
応援の数が十分に達した事を見て取ったレイルケンは僅かに前進する。
万が一にもレイルケン隊が目の前の若い男に後れを取るような事があったとしても、市民に危害が及ぶ可能性が無くなった。
それを確認したレイルケンは鋭く号令を発する。
「レイルケン十人隊前へ!押しつぶせ!」
どっと大盾を構えたまま前に出るレイルケン十人隊の面々。
驚くフリード族の若い男を余所に、大盾で出来た円形の輪が一気に縮まり、遂には男へと一斉に殺到する。
「き、貴様らっ!1人に多勢でかかるとは!戦士の誇りはどうした!」
「……構わん、押しつぶせ」
剣を振り回して牽制しようと必死の若い男が叫ぶが、レイルケンが一切動じる事無く命令を重ねる。
数度、勢い良く振り回された若い男の長剣が隊員達の構える大盾に当たって派手な音を立てた。
しかし抵抗もそれまで。
最後はレイルケンとノードルト、エストバリ、ヘーグリンドの4人で大盾を男に叩き付け、他の隊員は素早く退く。
どかあん!
うわあっ!?
ど派手な衝突音と共に若い男の絶叫が響いた。
前後左右から大盾の壁に包み込まれ、一気に押しつぶされた若い男が叫び声を上げたのだ。
更に数度、大盾を激しく叩き付けられて若い男がついに気を失う。
ざっと円形に開いたレイルケン隊の前に、涎を口の端から垂らしたフリード族の若い男が白目を剥き、だらしなく崩れ落ちた。
がらんがらんと金属音を響かせて石畳の上に落ちる長剣。
群衆から安堵のため息と歓声が上がり、緊張感を持って周囲を固めていた治安官吏や警備任務中の兵士達からレイルケン達に対する称賛の声が上がる。
レイルケンは油断無く槍の石突で若い男の足先や脇腹を数度つついて完全に伸びている事を確かめると、彼の手から落ちた長剣を回収してその腰から鞘を取り、しっかりと納めた。
次いでヘーグリンド達が男に駆け寄ってその身体を探る。
短剣や投げナイフなどの刃物を取り上げ、引き摺られるようにして連行されるフリード族の若い男を、レイルケンは複雑な顔で見送るのだった。
翌早朝、第21軍団宿舎
無事シレンティウム都市警備隊に行政庁舎の警備任務を引き継いだレイルケン十人隊の面々は、疲れた顔を隠そうともせずに駐屯地へと引き上げてきた。
途中他の場所で警備に就いていた部隊と合流し、宿舎に到着した非番のレイルケン十人隊は、何時ものように装備の手入れを念入りに行う。
大盾や槍は一番年の若いヘーグリンドとルンヴィクが集めて手入れをした後に倉庫へしまう。
防水マントはラーベとトーレンがこれまた纏めて宿舎の裏手にある物干し場で日陰干しをするべく、丁寧に物干し竿へ掛けていた。
レイルケンは雨に当たってしまった兜を念入りに乾いた布で拭き、引いていた油の具合を確かめてから再度油を塗り直して兜掛けにかける。
次いで身に着けていた鉄板を重ね合わせた西方帝国風の鎧の重ね目、ネジや鋲が打たれた接合部分を念入りに拭き掃除し、最後に全体を拭いてから念入りに油を塗り込める。
他の隊員達も多かれ少なかれ同じような手入れに忙殺されており、隊長であるレイルケンが雑用のない分一番早く装備品の手入れを終えた。
レイルケンは剣帯を巻き、剣を壁掛けに収めると鎧を物入れに仕舞い、隊員達を振り返って声を掛けた。
「すまんが野暮用で少し街へ出る、後は自由にしてくれ」
「……了解しました」
補佐役である五人隊長のノードルトが頷きながら答える。
長い間レイルケンを補佐してくれた彼も、来月には新しい十人隊の隊長になる事が決まっていた。
レイルケンはノードルトに無言で頷くと、盾の整理をしていたヘーグリンドが首を傾げて尋ねる。
「1人で街へ出るなんて珍しいですね……隊長、何か用事ですか?」
確かに妹や弟に会う以外で街へ出る事はほとんどしないレイルケン。
後は隊員全員で飲みに行ったりする時ぐらいだ。
「ばっかおまえ!聞くんじゃ無いっ」
「へえっ?」
慌ててヘーグリンドの肩を持って遮るラーベだったが、その様子にレイルケンが訝しげに振り返る。
「ん?」
「い、いえ、何でもありませんっ」
「そうです隊長、我々に気兼ねなくっ」
「……何だ?」
振り返ったレイルケンにこれまた慌ててルンヴィクとミルドがそう言うが、彼らがナニを言っているのかさっぱり分からず、レイルケンは立ち止まってしまった。
「隊長、私たちの事は気にせずあの……その、この前の娘さんと会うんですよねっ?」
余りにもレイルケンが呆然としているのをエストバリが訝り、思い切って尋ねてみる。
「違うぞ」
「「へえっ?」」
今度は9人の声が重なる。
全員がそれぞれの作業をしながらも会話に聞き耳を立てていたようだ。
「何だノードルト……お前もそう思ってたのか?」
「あ、はあ、う、いえ……」
レイルケンの呆れたような言葉に目を白黒させているノードルト。
その様子を見ればレイルケンの言葉が的を射ていたかどうかは一目瞭然であろう。
「……まあ、残念ながら違う……今日はな」
「「違う?今日はなっ!?」」
レイルケンの言葉に驚愕して声を発し、固まってしまう隊員達。
そんな隊員達の様子を見て笑いを漏らし、今度こそ立ち去るレイルケン。
「おい……」
「……ああ」
「本当かヨ」
「あの隊長が……?」
「まさか……冗談?」
「それこそありえんだろ」
「ひ、ひえっ」
「……すげ」
「やるな、隊長」
そのまま悠然と歩き去るレイルケンの後ろ姿を、それこそ呆然と見送るしかない9名の隊員達であった。
シレンティウム治安庁本部、地下牢
薄暗く湿っぽい物のそれなりに整理されたシレンティウムの地下牢。
そこの一番手前の牢には、昨日行政庁舎の前で大暴れしたフリード族の若者が手枷を嵌められて収容されていた。
無様にも公衆の面前で北方軍団兵レイルケン十人隊に制圧され、気を失って武器を全て取り上げられてしまった上に、気付けば地下牢。
情け無さに歯ぎしりしたがもう後の祭り。
こうなれば徹底抗戦しか無い。
そう思い定めた若い男。
昨夜と今朝に治安官吏の取調べが行われたが、それまでの興奮が嘘のように一切しゃべらない。
名前すら名乗らない彼に手を焼いた治安官吏はそのまま何も出来ずに彼を再び牢へと収容する他無かったのだ。
食事はきっちり2食を平らげているものの、牢番に話し掛けられても答えない。
現行犯であるので何も話さなくても構わないのだが、治安官吏としては事情を聞きたい所であろう。
やる事も無く、暗がりの中冷たい石畳の床に寝転がる若者。
その床に付けた耳に足音が入ってきた。
そしてその足音は自分の牢の前で止まる。
「元気そうだな……」
「き、貴様……」
声で分かる、昨日自分を制圧した北方軍団兵だ。
その北方軍団兵、レイルケンは初めて声を発した若い男に驚く牢番を下がらせてから徐に言葉を継ぐ。
「……どうだ、少し話さないか?」
「……何の話しだ」
「君が話したい事だ」
「……俺が話したい事?」
馬鹿にしたような若者の言葉に、レイルケンは微笑を浮かべて言った。
「私も元はクリフォナムの自由戦士だった」
その言葉に若者の顔から侮蔑の笑みが消える。
「同族になら……話せる事も有るのじゃ無いか?」
しかし次にレイルケンの口から発せられた言葉に、若者は一瞬考えてからゆっくりと首を縦に振るのだった。
治安官本部庁舎、取調室
鉄格子の嵌まった窓を背景に座らされた若者、その前に座るのは帝国人の治安官吏では無く、北方人の十人隊長レイルケン。
いささか珍しい光景に周囲の治安官吏も興味深そうに覗いており、覗かれる若者は居心地悪そうに顔を歪めていた。
しかしレイルケンは特に動じた様子もなく平静に話し掛ける。
「さて……私は見ての通りロールフルト族の者だ、昔は自由戦士をやっていた」
「……何故義侠心厚いロールフルト族の戦士が帝国に靡いたんだ?……貴様には誇りは無いのか?」
「誇りはある」
「じゃあなぜだ?何故帝国に従って誇りを棄てた?」
性急に答えを求める若者に、レイルケンは少し笑みを浮かべてから語る。
「北方軍団兵としても誇りは立派に持てるだろう?私はハレミア人を撃退した戦いに参加したし、シルーハも撃ち破った。辺境護民官殿に従って西方帝国の内乱を収めた一連の戦いにも加わった……それだけじゃ無い、今まで誰もきっちり纏めきった事の無い北の地を統一する事業に参加が出来たのも、辺境護民官殿に従い北方軍団兵になったからこそだ」
レイルケンが自分の胸元に拳を当てながら自信満々に語る。
その姿に若者は気圧された。
未だ戦場に立った事も無い彼からすれば、それこそ目もくらむような武功だ。
確かにここ数年来で最も激しい戦いの中に居たレイルケンからは、誇りと自信が自然と滲み出ている。
「そ、それは……で、でもアルフォード王だって北を纏めてた!」
「……まあそうだな、だがそれはクリフォナム人だけだろう?」
「ううっ、そ、それは……」
何とか言い返そうと試みる若者だったが、敢え無くレイルケンの反論に遭って言葉を詰まらせる。
しかしレイルケンの目的はこの前途ある若者を言い負かす事ではない。
「……君の出自は?」
「フリード族だけど、母は壊滅したポッシア族の出身だ……」
「そうか……」
ようやく自分の事を話し始めた若者の言葉に、レイルケンは言葉少なく頷く。
しばらく沈黙が続いたが、やがて若者が再び口を開いた。
「母方の祖父母はハレミア人に殺された、父はダンフォード王子に従っていたから……」
「私たちに倒されたのか?」
「そうだ……だがそれはクリフォナムの習だ!それで暴れたんじゃ……無い」
「……君がそう言うのならそうなのだろう」
「……」
レイルケンは若者を助けるようにそう言ったものの、それが引金になっている事は間違いないと考えていた。
そもそもクリフォナムの戦場の習を心のそこから受け入れているなら、わざわざシレンティウムにまで来て暴れる事は無いのだ。
だがその目論見はレイルケンの手によって挫かれている。
じっと自分を見つめるレイルケンに、若者は視線を逸らしつつ真実を吐露し始めた。
「本当は……本当は何が悪いのか、どうして俺たちが苦労しなくちゃ行けないのか分からなかった。だからシレンティウムへ行って、何がどうなっているのか確かめようと思っただけなんだ……誰かをどうこうしようって思ってたんじゃ無い、少しでも俺たちの苦労を思い知らせようって……無理なのは分かってたんだ、でもっ、それでもっ、話しだけでもって……!」
彼は正にハルの北方統一事業の犠牲者、負の面を体現した者であろう。
そして他に今の苦境や恨みを晴らす術を持たなかったが故に彼は暴走してしまったのだが、理由や事情はどうあれ辺境護民官若しくは行政庁を直接狙ってしまった形になってしまっている。
当然無事で済むはずも無く、おそらくこのまま行けば死罪か終身刑になってしまうのは間違いない。
元々ダンフォード王子に従ってシレンティウムと敵対していた一族となれば、今のフリードにいても肩身が狭いだろうし、母方である一方のポッシア族はシレンティウムの全面的な支援を受けており、彼に居場所は無い。
しかしレイルケンは若者の言葉の中に、気にかかる部分があったので問うた。
「君にはまだ兄弟や一族がいるのだな?」
「……まだ小さい弟と妹がいる、従弟達も……俺より若い。みんな俺を止めたんだ、本当だ!俺が勝手にやった事だっ」
生活面でも困窮しているに違いない。
自分がそうだっただけに、レイルケンは彼の幼い弟妹や一族を思った。
それに普段緩い所を見せている治安長官もその辺は容赦しない。
彼自身が心配しているように、背後関係を調べる為に一族はおそらくシレンティウムに連行され徹底した取調べを受ける事になるだろう。
「君は……名を何と言う?」
「フリードのヴェルノルト……フリード戦士バルトルトの息子ヴェルノルトだ」
「そうか……ではヴェルノルト、君に聞きたい。今でも辺境護民官殿やシレンティウムを恨む気持ちはあるか?」
「……分からない、元々どうするかも決めてなかった。ただシレンティウムに行って見れば何かが分かるかも知れないと思ってただけだから……」
十分な路銀も無く、過酷な旅程の果てに殺気立ってしまったのだろう。
今は牢食とはいえ十分な食事を与えられ、気持ちに余裕が出来た上に一日以上何もせずに暗闇の中に居たのだ。
元来乱暴な性格では無さそうなので、頭が冷えてきたに違いない。
それでも帝国に対する反発心はなかなか消せず、帝国人の治安官吏には頑なな態度を取ってしまっていたのだった。
「なるほど……なら君に1ついい話がある、実はだな……」
数週間後、第21軍団駐屯地
都市警備任務の非番の日、いつも通り装備品の手入れが終わった隊員達をレイルケンが呼び集めた。
「ヘーグリンド、これがお前の後輩だ……しっかり指導してやれ」
レイルケンがいつも通りの仏頂面で背中を押しやったのは、年若いフリード族の男。
その男は緊張を隠そうともせずに口を開く。
「は、始めましてっ、お俺……じゃ無くて、私の名前はヴェルノルト、です!」
「レイルケン隊長……冗談キツイっすよ」
レイルケン十人隊の見習い兵として採用されたヴェルノルトは、その初日に指導役であるヘーグリンドにカチコチになりながら挨拶をする。
後輩が入ると聞いて喜び勇んでいたヘーグリンドだったが、その初めての後輩がこの前行政庁舎前で自分達が伸した若い男だと知って絶句してしまった。
「せ、先輩!宜しくお願いします!」
「その呼び名と挨拶にはすっげ~心惹かれるんだけど……うあ~っ!なんでよりによってこいつなんすかっ!?」
頭を抱えて悶えるヘーグリンドを、先輩達がはやし立てる。
「なんだ、嬉しくないのか?」
「おうヘーグリンド、お前待望の新人君じゃねえか!もっと喜べ」
「まあしっかりやりな」
「よく面倒見てやれよな」
「良かったな~とうとうお前も指導役か~」
「全く、俺たちが歳喰うわけだよなあ……」
「くそう、ヘーグリンドに先を越されちまったっ」
「まあ、がんばれよ~」
無責任な先輩や同輩達の言葉に恨みがましい目を向けるヘーグリンド。
しかしさすがに気になった点があったのでレイルケンに質問をぶつける。
「隊長、でもこいつ、大丈夫なんですか?あの件で罪に問われるんじゃ……」
「ああ、その辺はな……一応話が付いた」
「え?」
驚くヘーグリンド。
まさか杓子定規を体現したかのようなレイルケンが、法を曲げて話を付けるなどという事をすることがありうるのか?
しかしその驚きが伝わったのか、レイルケンは顔を顰めて言う。
「……別に裏取引をしたわけじゃない」
「はあ、そうっすか……じゃあ一体?」
それでも不審がるヘーグリンド。
他の隊員達も興味深げに聞いているので、レイルケンは種明かしをした。
「まあ……ヴェルノルトの罪は強要未遂罪って事で落ち着いた……辺境護民官殿への面会を暴力で以て求めようとしたという所だな」
「……それでも重罪じゃ無いんですかねえ?」
ノードルトの言葉にレイルケンは頷いて応える。
「ヴェルノルトは……懲役の代わりに4年の軍役を申しつけられた」
「ええ~俺たちの仕事って懲役と同義っすか~?」
納得いかない様子で言うルンヴィク。
ミルドとエストバリも不満そうな顔をしている。
しかしレイルケンは僅かに笑みを浮かべて言った。
「ああ、手取り出来る給料はこの間支払われない……やってみるか?」
「遠慮するっす」
すかさず応じたルンヴィクに隊員から笑い声が上がった。
笑いが収まったのを見て、ヴェルノルトが恐る恐る口を開く。
「あ、あの先輩方……色々ご迷惑をお掛けしましたが……その、レイルケン隊長と先輩方のお陰で一族や弟妹達も引き取る事が出来ました。本当に感謝しています、有り難うございますっ」
「俺たちは何もしてないよ?手配してくれたのはレイルケン隊長でしょ」
その言葉にヴェルノルトは頭を激しく左右に振る。
「いえ、最初のあの時、俺に……あ、私に怪我をさせないように取り押さえてくれた先輩達だったからこそ、わ、私は今こうしていられるんです……本当に有り難うございました」
再度涙目で頭を下げるヴェルノルトに、ラーベは隣にいたヘーグリンドを見て言う。
「だってさ?」
「……まあ、確かに他の隊じゃ斬り捨てるか突き殺されてるかも」
ましてや行政庁舎前で剣を抜いたのだ、それが一般的な対処であろう。
ヴェルノルトの感謝にようやく得心したレイルケン十人隊の面々は、今日彼が入隊する事は知らなかったが、その事情をレイルケンからあの後聞いて知っていた。
弟妹や一族を抱えて困窮していたのは何も彼だけの話では無い。
身につまされた者もおり、その背景は概ね理解しているのだ。
ヴェルノルトが隊に受け入れられたのを見届け、レイルケンが口を開く。
「さて……都市警備派遣は今日で終わりだ、1日の休暇を挟んで明後日からは訓練期間に入る。なので……警備完遂と見習いの入隊、それからノードルトの昇進を祝って一杯行くぞ!」
うおう!
周囲の兵士達が驚くほど、ここ最近で一番気合いの入った声を上げるレイルケン十人隊であった。
 




