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西方帝国興隆記~豪腕将軍リキニウス伝~

 ハルのシレンティウム赴任より100年前の夏、西方帝国とヴァンディスタン共和国国境、ユリアルス峠頂上



 この年の夏は暑かった。

 南の乾燥地帯から吹き上がってくる乾いた熱風が、この場所に集結している西方帝国の兵士達の喉と身体を熱し上げる。

 この狭い隘路の続くユリアルス峠に幾つかある広闊地のひとつ、頂上付近には西方帝国の誇る最精鋭の帝国軍団兵が集結していた。

 ただの都市国家であった西方帝国を大陸西部に覇を唱えるまでに押し上げた原動力の一つである帝国軍団兵であったが、今この地においては士気低く、笑いや私語も無い。

 未曾有の大敵を前に将官から一兵卒に至るまでが緊張に包まれているのだ。

そしてその中央に設けられた天幕からは、今の軍全体の雰囲気を反映しているのか、警備についている兵を含めてしわぶき1つ聞こえてこない。


 しばらくして、南から吹き上がる熱風の中に騎馬の嘶きと馬蹄の音が混じり始める。

 それに気付いた最前線の兵士が目をこらすと、砂煙と帝国騎兵らしき重装騎兵の影が見えた。


「伝令が戻った!」


 その声と同時に斥候に出ていた騎馬伝令兵が南から駆け込んで来る。

 伝令兵は鮮やかな身のこなしで馬から降りると、近くにいた兵に馬の世話を任せて天幕のある方向へと息を切らせて走っていった。

 伝令兵が汗を散らして駆けていく光景を見た周囲の兵士達がざわめく。

 そのざわめきは彼の伝令兵が天幕に入ったと同時にぴたりと止んだ。

 わざわざ耳をそばだてて天幕を窺う必要は無い。

 話し合う必要も、物知りから情報を得る事も必要ない。

 この時期において斥候が持ってくる情報はただ1つ。


 敵が現れたのだ。






「リキニウス将軍!佳聡哲中将率いる東照帝国西方遠征軍10万が現れました!」


 伝令兵の金切り声にも似た報告に、天幕中央の椅子に座っていた筋骨逞しい壮年の男はその体躯を重々しく持ち上げた。

 言葉を発しないその男の横に控えていた副官が伝令兵に問う。


「東照軍の布陣は?」

「ユリアルス峠の南麓に軍団単位で防御方陣を敷いて停止しております。ただ東方の軍陣は不明な点もありますので……」


 歯切れの悪い伝令兵の報告だが、誰も咎めることはしない。

 まさか東方の超大国東照が自国の威と意を受け入れているとは言え、ヴァンディスタンなどという小国を救援するためにこの様な所にまで遠征してくるとは、西方帝国の誰も予想していなかったのだ。


「10万か……くそ、これ程の大軍を遠征に出せるとはっ」


 別の将官が唇を噛み締めて言う。

 全てが東照軍ではないだろうが、それでも事前情報では7万から8万の兵が東照本国のある大陸東端からこの大陸西端の一歩手前までやって来ているのだ。

 正に世界帝国を標榜する東照の底力、その財力と軍事力には恐るべきものがある。 


「リキニウス将軍……如何しますか」


 副官の問い掛けにも一切応じず、その男、グナエウス・ウェレス・リキニウスはぐっと目を瞑る。

 彼の性格を一言で表わすならば“苛烈な愛国者”であろう。

 古い領地持ち貴族でありながら帝国の為にと考えて軍人を志し、一兵卒から将軍と呼称される地位にまで上り詰めた正にたたき上げの将官である。

 かと言って厳しさ一点張りの将官では無く、厳しい訓練を兵達に課す一方でその負傷や傷病には非常に気を遣う。

 兵達は彼を恐れると共に敬愛しており、今回の遠征にも彼の元ならばと遠い東方行きを承諾したのだ。


 そのリキニウスが愛して止まない西方帝国は目下版図拡大を目指して四方へ派兵中。

 リキニウスがここへやって来たのも西方帝国の威を高める為、国家方針でもあるセトリア内海沿岸地域統一の為、東岸の小国家群を制圧する為だ。

 現在帝都の西方に進出し、大陸西岸地域のオラン人と戦うのはトランクィルス将軍。

 帝都北方の北辺山脈一帯に巣喰う山岳部族を掃討中のソシウス将軍。

 セトリア内海北岸の島々を征服中の海軍将官シラヌス提督。

 そして東岸征服を目指して侵攻してきたのが、リキニウス将軍率いる西方帝国東方遠征軍である。


 その西方帝国東方遠征軍の陣容は、第3軍団、第4軍団、第5軍団合わせて2万1千の重装歩兵、それに東方同盟都市の歩兵が6千に、リキニウスが貴族として雇っている私兵が3千である。

 一方の敵は東照帝国正規軍と東照帝国西方封国軍合わせてその数実に10万。

 リキニウス軍はセトリア内海沿岸地域において考えればかなりの大軍であるが、如何せん相手は世界帝国の東照である。


 3倍以上の兵力差がある。


 まともにぶつかればリキニウス軍は岩に砕ける波のように砕け散ってしまうだろう。

 そして遮るものの無くなった東照帝国軍は、一気に帝国本土へなだれ込むに違いない。

 一旦退却し、帝都においていけ好かない執政官が必死に集めている味方の援護を得て戦いを挑む方法もあるが、大陸西部に覇を唱えたとは言え未だ発展途上の西方帝国。


 しかも四方に兵を出し、本土は手薄。


 超大国東照の大攻勢を、相手の物量が最大限に生かせる平原での戦いで防ぎきれるかどうか分からない。

 加えて東照本国から更に10万の援兵が西に向かっているという。

 下手な時間稼ぎは自らの首を絞める結果になりかねない、今や時は西方帝国の味方では無いのだ。

 黙ったままの自分を固唾を飲んで見守る将官達を前にして、かっと目を見開き、その厳つい顔を更に厳めしく顰めてリキニウスは吠え猛った。


「全軍前進!決戦はユリアルス峠だ!」


 この峠で先鋒の東照軍を叩き、防ぎ止める他に西方帝国を守る術は無い。

 たとえこの身が砕け散ろうとも、東照の軍を全滅させてしまえば勝ちなのだ。

 そしてそのリキニウスの覚悟をしっかり受け止めることのできる将官と兵達。

 生死苦楽を共にしてきた同僚達と、そして何よりリキニウスと一緒ならば西方帝国の為にここで命をなげうつのも悪くない。


「急げ!」


 リキニウスの檄で将官達は一斉に立ち上がり、敬礼を残した後持ち場へと足早に散ってゆく。


「我が命、この戦いで燃やし尽くしてくれるわ!行くぞ!」


 リキニウスの闘志が将官や兵達に伝播する。

 たちまち勢い良く燃え上がる西方帝国軍の将兵達。


「遠征した来た10万の東照兵が何だ!我らこそが大陸最強なのだ!」


 リキニウスが叫ぶと、軍はどっと鬨の声を上げて動き出すのだった。







 リキニウス軍進発より少し前、ユリアルス峠南側麓



「場所が変われば気候も変わるのは天地の理だが、流石にこれ程までに違うと随分遠くまで来たものだと実感させられるな」


 暑く乾いた風が砂を巻き上げて峠を吹き上がっていく光景を見ながら言葉を発したのは東方人の大柄な男。

 黒く長い髪を頭上で丸く結い上げ、その髪に冠を簪で止めている。

 鎧は革製の胴衣に小札をきっちりと縫い付けた東方風の小札鎧で、大袖と大きな佩楯が付属しているのが特徴でもある。

 一重目蓋に浅黒い肌、顔は大ぶりであるものの西方人に比べて起伏が少なく、髭は真っ黒で口髭と顎髭のみを生やしている。

 その後方には彼と同じような装束をした東照帝国の将官や、西方諸都市風の鎧兜を身に着けた者、砂漠の民の装束を纏った者も居る。


「佳聡哲中将、如何なさいますか?」


 東方人将官の1人が尋ねると、その男、東照帝国西方遠征軍を率いる佳聡哲中将は穏やかな笑みを浮かべて答えた。


「さて、この峠を抜くのは骨が折れそうだ。出来れば麓へ引きずり下ろしたい所だが……難しいかな?」

「敵は動きを見せていません。おそらくしばらくは動かないでしょう」

「ほう、理由はあるかな?」


 佳聡哲の言葉に、西方諸都市風の鎧を身に纏った男が返答する。

 佳聡哲が先を促すと、その男は目礼してから言葉を継ぐ。


「は、敵は豪腕将軍の異名をとるリキニウスという西方帝国随一の猛将ではありますが、無謀な戦はしないことで有名でもあります。今までも自軍の力を過信せず、慎重に事を進めるのを是としている者です」

「なるほど……」


 佳聡哲はその説明に頷く。

 本来西方遠征の任務を与えられていた大将軍の鈴則処が風土病で倒れ、急遽東照本国から派遣されてきた佳聡哲。

 十分な情報を得られないままに動くことについては非常に不安があったものの、土着の者や西方封国の将官達を上手く使えば補えないことも無い。

 本当は高低差のあるこの峠で戦うのも戦術上は下策。


 しかし10万という大軍を養うのには莫大な金銭と食料が必要であるものの、東照本国からは非常に遠く補給に難渋する西方僻遠の地。


 食料の補給はおろかも兵の補充もままならないのである。

 従ってくれている西方封国も小国が多く、命じた出征に対する負担もある以上、そう多く食料の供出も命じにくいので、出来れば早めに決着は付けたい。

 そのために援兵10万という偽情報まで流し、西方府には兵を集めて出動準備をするよう偽装工作まで指示して相手を焦らせて決戦を急いでいるのだ。

飛ぶ鳥を落とす勢いとはいえ未だ東照の3分の1にも満たない西方帝国。

 油断してはならないが、ここで大いに破れればしばらく立ち直れないだろう。

 最悪でも峠の頂までの途中にある広闊地に進出し、西方帝国軍を誘い出した上で兵力差で押し切って殲滅してしまいたい。


 ここで大陸西方の雄である西方帝国に大打撃を与えることが出来れば、中立を宣言している周辺の小国は軒並み東照の膝下に屈する事は間違いなく、それによって西方世界の半分が手に入る。

 もう半分を手に入れるには西方帝国の都を蹂躙し、更には最西方で自由を謳歌する西方諸都市を制圧しなければならないが、すぐには無理でも東照帝国の勢いと国力を持ってすれば不可能では無い。

 ただその実現にはここで上手く勝たなければならないのだ。


「う~むもう一工夫必要か……」


 そう言いつつ自分の後方に目を向ける佳聡哲。

 そこには東方風の黄色地に東照の東方文字が記された軍旗が無数に立ち並び、灰色の小札鎧を身に着けた東照歩兵が方陣を幾つも組んで整然と並んでいる。

 世界征服の意志を示す、東照帝国西方遠征軍10万の威容がそこにあった。


「ま、油断大敵、隠忍自重、慎重に粘り強く事を進めるしかないな……焦りは禁物だ」


佳聡哲はそうつぶやくと配下の将官達に指示を下す。


「一旦兵を休めるぞ。無理はしなくて良いが出来るだけ多く食糧を集めろ。但し徴発は禁じる。それから西方帝国に援兵10万の詳細な情報を伝えろ、揺さぶりを掛けるんだ」

「はっ」


 駆け出す将官達の後ろ姿を見送りながら、佳聡哲は熱風吹き上げる峠の頂上を見た。

 決戦の時は迫っている。

 西方随一の攻撃力と防御力を誇る、帝国軍団兵の姿はまだ見えないが、その息遣いや闘気はぴりぴりと肌を小さく刺すように感じられるのだ。


「さあて……リキニウス将軍とやらはどう出るかな?」







翌日早朝、ユリアルス峠南側中腹の広闊地



先んじて南麓に進んだリキニウスは、南麓を埋め尽くさんばかりにして展開している東照軍を見て思わず目を見開いた。

 覚悟を決めて意気揚々と進出してきた将兵達だったが、さすがに10万の大軍を目の当たりにして息を呑む。


「こ、これは……」


 副官が絶句している。

 灰色の方陣は20個、東照軍は1軍団5000名編制であるので、丁度10万。

副官のみならず兵士達もその威容を目の当たりにして絶句している。

 しかしリキニウスの動揺は一瞬で終わった。


「……敵はまだ油断している、このまま一気に攻めるぞ」

「えっ?」


 驚く将官達を後に、リキニウスは馬に乗る事無く予備の大盾を従兵から受け取ると最前列の軍団兵達の元に向う。


「お、お待ち下さいリキニウス将軍!」


 驚き慌てる将官達を余所に、最前線へとずんずん歩いてゆくリキニウス。

 そしてとうとう最前列の戦列に加わってしまった。


「将軍!お戻り下さい!」

「戻らん、いいから一気に攻めるのだ。今なら勝てる」


 無礼を承知でその身体を押しやる副官や将官達に言葉少なく言い放つと、リキニウスはぎらりと鋭い視線を向ける。


「し、しかし全軍の指揮はっ?」

「それがどうした?いいから攻めるのだ、機は今を置いて他に無し。お前達は後方で指揮を執れ、お前にはその能力がある」

「そ、それはっ」


 長年リキニウスに付き従ってきた副官は思いがけない場面での指揮権委譲に一瞬躊躇するが、次いで発せられたリキニウスの言葉に覚悟を決める。


「私はここで兵士と共に戦う」


 リキニウスは覚悟を決めた副官を見て今度は一転、優しい笑みを浮かべて言葉を継いだ。


「私は兵士と共にあろう、お前達はこの勝利を帝都に届けるが良い……」

「将軍……分かりました」


 まごうかたなき覚悟を見た副官はそれ以上リキニウスを止めるのを諦めた。

 そしてさっきと同じようにリキニウスの意思に自分の意思を同じくする。

 ここでリキニウスと共に戦い、そして彼の西方帝国を守り、発展させるという意思を実現するのだ。


「私が斃れても戦いは止めてはならん!行くぞ西方の勇敢なる兵士諸君!東照帝国何するものぞ!我らが武と勇をその身と魂に刻みつけるが良い!!」


 最後にリキニウスは兵士達を鼓舞し、それに応じて気勢を上げた兵士達の前で高らかに剣を抜き放って前へと振りかざした。


「前進!一気に踏み破れっ!!」


うおっ!


 帝国軍団兵は大盾を打ち鳴らし、短槍と剣を並べ立てて一気にユリアルス峠の坂を駆け下り始めるのだった。






 一方それより少し前の佳聡哲は、予想より早く西方帝国軍が姿を現したことに少々驚いていた。


「早過ぎるな……まだ新しい情報は広まってないだろう?」

「はい」


 西方封国の将官が現れた帝国軍団歩兵に驚きながら答える。


「これは昨晩の内に移動してきたな……無謀な戦はしない男じゃ無かったのか?」

「そのはずですが……」


 戸惑いを隠しきれない西方封国の将官を問い詰める事はせず、佳聡哲は言葉を継ぐ。


「まあいい、すぐに臨戦態勢を取らせろ、急げ」


 西方帝国軍がやる気満々で現れたことに未だ半信半疑な将官達を急かし、戦いの準備をさせる佳聡哲。

 配下の将官達はまさかこの兵数差でかかってくる事は無いだろうと高を括っているようだが、敵の闘志を鑑みればそれは非常に危険で無謀な油断だ。

 佳聡哲が急かせたにも関わらず配下の将官達の動きは鈍い。

 これ程注意してもまだまさか攻めては来るまいと高を括っているのだ。


「敵はやる気だ、油断大敵だぞ!」

「えっ……」

「まさかそんな、この兵数差でですか?」

「それに敵は布陣したばかりですぞ」

「様子を見る感じで宜しいでしょう」


 将官達が相次いで疑問の声を上げるが、佳聡哲は苛立ちを隠そうともしないどころか全く命令を翻さない。

 最後は業を煮やして緩い表情で自分の言葉を否定した将官をいきなり、しかも思い切り蹴り倒した。

 土煙を上げて地面に倒れ込む将官。

 蹴倒された本人は元より周囲の将官達も、そのあまりの仕打ちに呆気に取られて佳聡哲を凝視する。


「ちゅ、中将?」

「いいからさっさと備えさせろ!死にたいのかっ!」


 普段温厚な佳聡哲が見せた怖ろしいまでの怒りとその剣幕。

 尋常ではないその様子にようやく気が付いた将官達が兵に指示を出すべく慌てて本陣から出て行く。

 そして伝令に命じて戦争準備を急がせる指示を即座に出したのだが……


「くそっ、何とした事か……寡兵と侮っていたのか?いや、違うな、奴らが常軌を逸しているんだっ……間に合うかっ!?」


 その一瞬後、佳聡哲の目にどっと坂を駆け下ってくる西方帝国軍の姿が入った。





 本陣のみならず東照軍全体がその雄叫びと闘気に圧倒されてしまうほどの勢いで、西方帝国軍は一気にユリアルス峠を駆け下って来る。

 東照軍はようやく最前列の兵が大盾を備え、機会弓の準備に入ったばかりで、しかも敵の気合いに圧倒されて驚き慌てふためき、準備にもたついている。

 本来先制しなければならないはずの戦いで機先を制されてしまった。


「機械弓の装填は後段の兵だけにしろ!最前列は大盾を並べて戈を構えろっ、戦列をしっかり保たねば乱戦になるぞ!」


 直ぐさま修正の指示を出す佳聡哲に、副官が泡を食って本陣を出て行く。

 しかし丁度その時、ようやくなんとか戦備の整った東照軍の最前面に、西方帝国の軍団兵が一気に雪崩れ込んだのだった。






 西方帝国軍は大盾を前面に出し、坂から駆け下ったそのままの勢いでぶつかる。

 一方の東照兵は大盾を構えてはいたのだが、静止状態でしかも体格が西方人に劣る事もあって一気に吹き飛ばされてしまう。

 凄まじい音と共に大盾同士がぶつかり、崩れた東照軍の戦列の合間に投槍を投げ込み、剣や短槍を突き込む西方帝国軍。

 吹き飛ばされた東照兵は立ち直る間もなく帝国軍団兵に討たれてしまい、構えた戈も十分に使えない状態で一気に乱戦へと持ち込まれてしまった。


 西方帝国軍の大盾による体当たりが数度に渡って敢行され、密集隊形を取っていた東照兵をなぎ倒す。

 その後は剣や短槍が容赦なく振るわれ、東照兵は血祭りに上げられていったのだ。

 リキニウスは最前線で大盾をぶつけて東照兵を倒し、剣を振るってその喉を裂き、腹を突いて気勢を上げる。


「東照の弱兵如きに遅れを取るな兵士諸君!続けっ」


 周囲の兵士達を鼓舞し、檄を飛ばして更に深入りする。

 軍団兵の狂気じみた攻撃に怖気を震った東照兵が逃げ腰になったのを見逃さず、後方から投げ槍の雨が降り注ぐ。

 投げ槍に首筋や顔、手足を貫かれてばたばたと前面の東照兵が崩れた所へ、再度リキニウスらが突撃を敢行すると、最前列の東照軍は潰走を始めた。


「見ろ!兵士諸君!東照兵が逃げるぞっ、追え追えっ、追って喰らい尽くせ!」


 リキニウスが最前線に立った西方帝国軍の士気はこれまでに無いほど高く、たちまち東照軍の最前線を食い破って一気に敵軍の陣を押し込んだ。

 ユリアルス峠の出入り口を押さえる形で布陣していた東照軍は攻撃を受けた横の軍団が援護に回れない。

 その為に西方帝国軍と正面から当たってしまった不幸な3つの軍団は、たちまちの内に壊滅状態となってしまう。

 次いで敵を受け止めるはずの東照軍団も潰走する味方兵に邪魔されて戦列を維持しきれず混乱し、後方から追随してきた西方帝国軍によって大いに撃ち破られてしまったのだった。






「くそ、見誤ってしまったかっ!壊滅した軍団はしばらく放っておけっ、一旦敵から距離を取るんだ!」


 佳聡哲は5軍団を横列配置し、それを縦に4段組んでいたのだが、早くも中央部で3段目まで食い込まれてしまった。

 食い込まれているのは中央部の2軍団分だけなのだが、潰走した兵が邪魔で軍団の移動が思うに任せない上に、ユリアルス峠の山々が西方帝国軍の後方を守っており、背後を突く事が出来ない。

 立て直そうにも10万の大軍、壊滅してしまった軍団の指揮を取り戻すだけでも大変で、再編制など思いもよらない。


 大軍の悪い部分が出てしまった形だが、まだ健全な軍団は半分以上あり、今の状態でしばらく持ちこたえる事が出来れば、今度は大軍の良い所を生かして相手を包囲してしまう事も可能だ。

 西方帝国軍の思わぬ勢いに体勢を崩されてしまったが、まだ挽回は可能である。

 西方帝国軍の攻勢に巻き込まれていない軍団には機械弓の装填を命じ、乱戦から距離を置かせている。

 佳聡哲は自軍を僅かに下げながら好機を待つ。


 もう少しで逆転の作戦が発動出来るのだ。






 翻ってリキニウスは潮時を見計らっていた。


 敵は3倍以上の大軍、今は勢いのある自軍が食い込んで大いに敵を撃ち破っているが、この攻勢は兵士の体力に左右される為長続きはしない。

 いかなタフさを売りにしている西方帝国の重装歩兵といえども、人間である以上息切れは必ずする。

 今は興奮状態で体力切れも気になっていないが、このまま攻勢を続けて立ち止まってしまった時、そのツケが一気に身心へと襲いかかってくるのだ。

 そうなれば足は動かず、盾や剣を握り続ける握力も無くした兵士達は一気に殲滅されてしまうだろう。


 体力が切れてしまえば逃げる事もままならなくなってしまうからだ。

 それに人間は疲れている事に気付いてしまうと立て直すのは難しい。

 リキニウスは正面の東照兵を斬り捨てると、冷徹に周囲の兵士達の様子を観察する。

 最初は息もつかせぬ勢いで敵を攻め立てていた兵士達だったが、一息入れたり追撃を緩めたり、あるいは盾や剣を持ち変えたりする頻度が多くなってきている。

 そろそろ潮時であろうが、一気に退かなければ東照お得意の機械弓攻撃が来る。

 今ならまだ混乱しているので東照側も機械弓の準備は終えていないだろう。


 それにもう散々撃ち破った、今退いても緒戦の勝利は疑いようも無い。


「後退だ!!後退せよ!!」


 リキニウスが叫ぶと周囲の兵士達が次々に復唱する。

 その復唱の波は全軍に広まり、西方帝国軍は波が退くように一斉にユリアルス峠目指して退き始めた。





「むっ、退くかっ?よし、部隊を交代させろ!」


 佳聡哲は後退を始めた西方帝国軍を見て機械弓を準備し終えた部隊を前に出す。

 リキニウスの予想に反し、佳聡哲が早い段階に命令を下していたことで機械弓の準備が間に合ったのだ。

 前線で散々に撃ち破られた兵士達は、追撃の機会を失わせられた事に不満をもらすが、佳聡哲は取り合わない。


「一斉に放て!」


 佳聡哲の命で強力な反発力を蓄えられていた機械弓から一斉に矢が飛び出す。

 一直線に飛ぶ矢が、後退し始めた西方帝国軍に襲いかかった。





「うぬっ見誤った!大盾をかざせ、暫時後退に移れ!」


 敵の部隊が交代し、機械弓を抱えた東照兵達が片膝を付いて一斉に狙いを定め始めたのを見たリキニウスは、自分の予測が外れた事を知る。

 そしてすぐに一斉後退から大盾を敵にかざしつつ後退する事を選択したのだ。

 自分も予備の大盾をかざし、おなりの兵士達と歩調を合わせて交代するリキニウス。

 そこに強力な威力を込められた矢が殺到した。

 未だ列も整わない西方帝国軍に向けて放たれた矢は、次々に軍団兵に炸裂し、その命を刈り取って行く。


 直線で飛び込んだ矢が帝国軍団兵の目を射貫き、首筋を撃ち抜いてしまう。

 また大盾を貫通して飛び込んだ矢が鎧を貫いて身体に穴を穿ち、大盾の縁をかすめて軌道の変わった矢は隣の兵士の脇に刺さる。

 それまで整然と行動していた軍団兵が一瞬で乱れた。


「狼狽えるな!大盾を並べろ!味方を守れ!」


 リキニウスの檄で何とか持ち直す軍団兵だったが、強力な機械弓から放たれる矢は、その軍団兵達の努力をあざ笑うかのように大盾を貫通してくる。


「くそっ!東照の弩がこれ程強力だとはっ」


 東照の機械弓攻撃は強力無比。

 この攻撃の前に西方の密集方陣は尽く撃ち破られてきたのだ。

 しかしリキニウスは東照の戦法を聞いて対処法について一応は研究したものの、弱小国家の重装歩兵もどきと西方帝国の帝国軍団兵を比べて貰っては困るとの思いがあって、大盾の壁で十分防げると侮っていたのである。

 しかし正に今、自分がその攻撃に晒されてみて、その考えが大きすぎる間違いであった事を思い知る。


「後方の兵は前の兵に大盾を渡せ!前の兵は盾を二重にして構えろ!剣帯を使って結束するんだ!」


 場当たり的ではあるが、これ以外に方法は無い。

 リキニウスは大盾を重ねさせる事で東照の機械弓攻撃を防ぐべく指示を出した。

 後方の兵から大盾を受け取った兵が、四苦八苦しながら剣帯を使って大盾を2枚重ねて縛り付ける。

 その隙を突かれて矢を射込まれ、ばたばたと兵が倒れるが、それでも何とか大盾を重ねる兵士達。

 そして重ねた盾で何とか兵士達は機械弓の攻撃を防ぎ止められるようになった。


「よし!後退せよ!」


 落ち着きを取り戻し、整然とした後退を再開する西方帝国軍。

 そこに一発の矢が飛来した。

 その矢はリキニウスの持つ普通の大盾を貫通し、その造りの良い鎧の弱点ともいうべき脇の下から身体へと突き進んで突き立った。


「……ぐっ、何というっ……」


 目を見開いて自分の脇を見て、リキニウスが呻く。

 その口から見る間に真っ赤な血が溢れ出し、言葉を遮って地に流れ落ちた。


「将軍!!」

「リキニウス将軍!」    

「しっかりして下さいっ!」


 がっくりと膝をついたリキニウスに周囲の兵士達が駆け寄る。

 しかし瀕死の深傷を負ってもはや手の施しようが無いと言うのは、誰が見ても分かった。

 戦場で同僚兵士達の死を何度も見てきた兵士達には、すぐにその容態が抜き差しならぬものである事を理解したのだ。

 おそらくリキニウスの命は助からないだろう。

 それでも兵士達はリキニウスの手当をしようと動き出す。


「医師を呼べっ!副官殿にお知らせしろ!」


 百人隊長の命令で兵士達が動き、次いで別の百人隊長の指示でリキニウスの大盾を取り上げ、その上にその身体を横たえた。

 その周囲を兵士達が分厚く取り囲む。

 そしてリキニウスを盾に載せて後退を再開した。

 しかしリキニウスは早くもままならない身体を懸命の思いで持ち上げると、周囲の兵士達に告げる。


「た、戦いはまだ終わっていないぞ……ぐぅはっ」

「将軍!落ち着いて下さい!」


 百人隊長が身体を盾の上に起こそうとするリキニウスを制止していると、ようやく後方で総指揮を執っていた副官が息せき切ってやって来た。

 そして一目リキニウスの容態を見るなり号令を下す。


「後退せよ!」


 リキニウスはその号令を聞くと、閉じていた目をかっと開き、そして眦を吊り上げて副官に血泡の混じった言葉を叩き付ける。


「ば、馬鹿者っ!ここで軍を止めるな、再攻勢だっ!」

「し、しかし!」

「臆するな!」


 周囲から支えられていたリキニウスは、周囲の手を払い除けて立ち上がる。

 そして躊躇する副官を叱り飛ばすリキニウスはどろりとした赤黒い血をぐいっと手で拭きながら言葉を継ぐ。


「……ぐっ、と、東照は矢の補充が必要で下がるっ……げぼ」


 リキニウスの言葉に東照軍を見れば、後退した西方帝国軍に追いすがるように追撃してきていた東照の機械弓兵の足が止まっている。

 雨霰と降り注いでいた矢も今は散発的で、リキニウスの言葉を裏付けていた。

 荒く、大きく息をつきながら血走った目を敵陣に向けてリキニウスが言った。


「ここで敵を撃ち破らねば我らは最後に敗退してしまう……今をおいて他に無いのだ!」


 そして潰れた肺を無理矢理膨らませ、大声を放つ。


「……突撃!」


 文字通り血を吐く最期の号令。

 西方帝国軍が喊声を上げ、再びどっと坂を駆け下り始めた。





「な、何!?」


 一旦後退していた西方帝国軍の再突撃に、慌てふためく東照軍。

 今日の戦いはここまでと思い定めて撤収の準備をすべく、進出した軍を後退させ、壊滅してしまった兵を集めていたところだったのだ。

 どうやら最前線に出ていた敵将リキニウスは、こちらの機械弓攻撃で重傷を負ったようで、敵軍の動きが鈍い。

 糧食は心許ないが、早期決戦に持ち込めたのは成功だ。

 緒戦では破られたとは言え、味方は10万の大軍、損害は少なくないものの影響は限定的で、明日からの戦いにも問題は無い。


 翻って敵には相当の打撃を与えてもいる。


 後10日ほどの間に数度、ぶつかった後に残っているのは帝国軍団兵の屍と生き残った東照兵だけだろう。

 そう考えていた佳聡哲や東照軍の将官達は、正に度肝を抜かれたのだ。

 もう兵の体力も限界に近いはず、ここで攻勢に打って出るとは思わなかったのである。


「後方の兵を並べろ!前衛は諦めるのだ!」


 佳聡哲が慌てて指示を下す。

 既に追撃をかけていた兵は散々に撃ち破られて手遅れ、こうなっては再び麓で受け止めて反撃するしか無いのだが、先程の猛烈な攻勢を鑑みればそれも危うい。

 間が悪い事に機械弓兵は手持ちの矢を撃ち尽くしており、それに合わせて後退を命じてもいたので混乱が広がっている。

 




 たちまち東照軍の最前線へ食い込んだ帝国軍団兵は、先程と変わらずリキニウスを最先頭に縦横無尽に暴れまくる。

 かざした機械弓ごと頭を叩き割られ、背を剣で突かれる東照兵。

 大盾の縁で顎を割られ、体当たりされてひっくり返ったところを踏み殺される東照兵。

 至近距離から投げ槍を腹に撃ち込まれて崩れ落ちる東照兵。

 リキニウスは食いしばった口から血をだらだらと流しながら戦列に加わり、前に居る東照兵に大盾を叩き付け、首を剣で突き、蹴り倒した後に盾を落して止めを刺す。

 無言で悪鬼のごとく大暴れするリキニウスの気迫に飲まれ、東照兵が総崩れとなった。


「……」


 立ち止まり、黙って頭上に掲げた剣を前に振り下ろすリキニウス。

 その合図で帝国軍団兵は隊列を整え、喊声とと共に一気に押し出した。





 東方風の四角い大盾を居並べ、刃鋭い戈をずらりと揃えた東照兵の戦列。

 しかしそれは瞬く間に帝国軍団兵の大波に呑まれて行く。

 薄紙を破るかのごとくに撃ち破られてゆく自軍の戦列を見て、まず後段にいた西方封国の兵達が逃走を始めた。

 それを見た後方の東照兵達が浮き足立つ。


「くそ!援軍と思って後方に置いたのが裏目に出たかっ」


 俗に言う裏崩れである。

 後方の陣から崩れ始めた東照軍。

 その自軍を見た中陣の佳聡哲は悔しそうに呻くと最前線を再び見るが、戦況は変化していない。

 敵は益々盛んにこちらの戦列を破っており、しかもそれは間近に迫りつつある。


「……撤退する」

「佳聡哲中将……」

「心配要らん、責めは私にある。皇帝陛下の元へは私が出向けば済むだろう、それより今は一日でも多く故郷へ連れて帰る事を最優先しよう。すぐに西方府へ連絡をしてくれ」


 副官の心配そうな声に笑顔を向け、佳聡哲は後退の指示をてきぱきと下していく。

 それが一段落すると、ふと指示の内容の意味する所に気付いた副官が尋ねた。


「中将、最寄りのヴァンディスタン共和国へ帰還するのではないのですか?」


 しかし佳聡哲はその質問に首を左右に振りながらため息と共に答えた。


「残念ながらこの敗戦はすぐに広まる、もう西方封国を東照に縛るのは無理だ」

「……そうですね」

「第一、真っ先に逃走した兵の国を信じるわけにはいかん、西方府に向う」


 佳聡哲はそう言うと馬首を返した。


「残念ながら当分西方征服はお預けだな」






 東照軍が一斉に退き始めたのを見た副官が軍に停止を命じた。

 これ以上進めば、見渡す限りの乾燥した平原。

 大軍が最もいかせる場所になってしまう。

 後退しているとは言え未だ大兵を擁する東照軍の反撃に遭い、包み込まれてしまっては元も子もない。

 しかし東照軍が退いているのは間違いなく、しかもその方向は東方。

 おそらく西方府へと退却するのだろう。

 リキニウスとその将兵達は勝利し、その意思を実現したのだ。




 それでも一切の油断無く粛々と後退を始める西方帝国軍、その陣中央には既に事切れたリキニウスの遺骸が大盾に載せられて運ばれていた。

 鎧兜を身に着け、身体の中央には刃毀れた大剣、そして大盾は彼の身に着けていた緋色のマントで覆われており、屈強な兵士達がその大盾を担いでいる。

 最後の攻勢の指示を無言で下した後、リキニウスはゆっくりその場所に腰掛けた。


 そしてそのまま静かに息を引き取った。


 自分が鍛え上げた兵士達が敵を撃ち破る後ろ姿を見たまま逝ったリキニウスの顔はいつも通りの仏頂面であったが、後退してきた兵士達にはほのかに微笑んでいるように見えたのだった。



 副官はユリアルス峠の陣に戻ると伝令騎兵を帝都に送り、更にはリーメスの街にて伝送石通信を行うべく将官を派遣する。


 その文面はいずれも同じ、そして非常に簡素なもので


西方帝国東方にて勝利す。

東照帝国軍西方府へ退却。

リキニウス将軍戦死。


というものだった。

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