西方郵便協会シレンティウム拠点局~マニウス・クルソルの役目~
西方郵便協会。
業務内容は一言で言ってしまえば郵便である。
それは手紙や封書、それに荷物を距離やその大きさ重さに応じた料金を徴収した上で、特定の場所に配達するというもの。
西方郵便協会の歴史は古く、文化的には同一でありながらも政治的には常に分裂状態であった西方諸国において、都市や国家の枠にとらわれず通信や配送を業務として行い始めた商業組合がその前身であった。
当初は営利目的の面が強く、紛争地域や蕃地、敵国間の通信、配送に対しては法外な料金を徴収したりもしていたが、その利便性に各区都市や国家が着目し、共同で郵便協会を設立することである意味政治的に不可侵の配送組織を造りあげたのである。
西方郵便協会は西方諸国で生まれた文化文明が東へ伝播するのに伴い、時を同じくして東へとその郵便配達網を伸ばし、伝送石通信の利便性と相まって瞬く間にセトリア内海沿岸一帯に広がった。
更には西方帝国の躍進によってその組織は益々発展し、西方文明の光及ぶ土地にはほぼ西方郵便協会の郵便配達網が整備されたのである。
その西方郵便協会は、約40年前、新たに北の地へ一旦設置されたが、ハルモニウム滅亡とともにその業務を縮小させていた。
しかし近年シレンティウムという西方文明の要素を多分に含んだ都市の再興と共に、再び北の地に郵便配達網を整備し始めたのである。
現在は主要な集落ほぼ全てに支局を設置し、中小の村落へ末局の設置と拡大を推進している真っ最中。
亜麻を原料とする北方紙の普及、東照から輸入される東照紙の使用拡大、更には学習所の設置で識字率が上がり、文字文化の普及が一気に郵便業務の増大に繋がったのだ。
今や西方郵便協会シレンティウム拠点局は、西方帝国帝都拠点局、西方帝国アルテア拠点局に次いで、セトリア内海地方では3番目の忙しさを誇る。
いずれは北方地方としてセトリア内海地方とは切り離されることになっていたが、その取扱量は西方郵便協会でも有数の規模となっていたのだ。
その西方郵便協会シレンティウム拠点局局長である、マニウス・クルソルは今日も決裁と事務処理に追いまくられていた。
「局長!こっちのフレ-ディアへの伝送石通信について決裁をお願いします!」
「それが終わってからで良いですから、護民官行政府からの重要文書の伝送石通信について決裁をお願いします!」
「こっちは急ぎです!軍団通信文です。宛先はコロニア・メリディエトの第23軍団宛ですから!!優先して下さい!」
「局長!シッティウス行政長官からの文書が届きましたが如何しますか!?」
「コロニア・ポンティスのタルペイウス市長代行から、コロニア・ポンティス市への支局設置要望が出されております」
「局長、東方郵便協会からの伝送石通信の転送依頼です。宛先は帝都ですので、決裁願います!!」
一休みと思って中座していたマニウスだったが、自席へ戻った途端にこの有様。
今日も殺人的な忙しさは些かも変わりないようである。
マニウスはため息をつきつつ自席に座ると、居なかった僅かな間に山のように積み増された書類を一つずつ丁寧に目を通していった。
急ぎの文書はその脇にある優先と記された木箱に入っている為、それを手早く処理しながらであるが、処理する端からまた新たな決裁文書や報告が上がってくるので少しも書類の入った箱や書類そのものの山は減っていかない。
最初この新興都市に赴任を打診された時はとんだ貧乏クジだと思っていたが、それはこういう意味では無かったはずだ。
あくまでも辺地に赴任する大変さを思っての感慨であったはずだが、今や状況は別の意味での貧乏クジと化している。
「おいおい…幾ら身体が有っても足りないぞ」
ある意味良い方向に転んだのであるが、それでも更に積まれていく書類を見て愚痴をこぼさずにはおれないマニウスだった。
シレンティウム商業街区、デニス雑貨店
「デニスさん、郵便ですよ~」
「は~い」
西方郵便協会の配達員が店に声を掛けると、ちょうど店番をしていたマークが走り出てきた。
「お、マーク君、お手伝いかい?」
「うん、今日はおじいちゃんは工房の方へ行ってるよ」
配達員の言葉に、マークは笑顔で答える。
最近デニスは工芸区に工房を構え、本格的に職人や従業員を集めて編物細工を生産し始めているのだ。
その為、必然的に店はマークが仕切ることになり、最近のデニス雑貨店はいつもマークが店番をしている。
配達員もその経緯を知っているのでそのままマークに封筒を手渡した。
「はいこれ、お届け物…じゃあ、こっちに署名貰えるかい」
「ありがと~…はいこれで良い?」
「お…うん、良いよ。マーク君も字がしっかりしてきたね~」
「えへへ~」
配達員に署名の字を褒められ、受け取った郵便物を持ったまま嬉しそうにはにかむマークに、郵便局員は笑顔で最後の挨拶をする。
「じゃあ、またのご利用をお持ちしています」
「はい、宜しくお願いします」
マークも元気よく挨拶を返し、配達員は手を振るマークに応じながらデニス雑貨店を離れるのだった。
一方のマークは直ぐさま郵便物を開封した。
「ん~っと…あっ、これフレーディア市の公衆浴場からの注文票だ~」
届けられた封筒の中身は、フレーディア市に設置された公衆浴場からのもので、衣類入れの籠と浴場内で使用する木桶の注文であった。
「やった~!」
注文の手紙を手にしたまま小躍りせんばかりに喜ぶマーク。
それと言うのもシレンティウム以外でデニス雑貨店の商品が売れるのは、これが初めてだからである。
「直ぐにおじいちゃんに知らせなくっちゃ!」
マークは手紙を大切に折り畳むと、一目散に工房へと走り出した。
工房ではデニスが職人達と共に編物細工を製造していた。
マークは祖父の節くれ立ったごつい手が見惚れるほどの鮮やかな動きで蔓を編み、小枝を組んで編物細工を作っていく様子を堪能する。
デニスの手が一旦止まったところを見計らい、マークが駆け寄った。
デニスも孫が手に紙を持って走り寄ってきた事で、商談に結果がでた事を悟って笑顔で孫を迎えた。
結果は孫の笑顔を見れば一目瞭然、語らずとも分かるというものである。
「おじいちゃん!フレーディア市からの注文が来たよ!」
「おう!そうかの……ではわしも頑張らねばならんな!」
デニスがそう言いつつマークの頭を座ったまま撫でるのを見ていた職人達は、笑顔で口々に祝福の言葉を述べた。
デニス雑貨店は今日も大繁盛である。
シレンティウム南街区、ウェルス家
「ウェルスさん、お手紙ですよ~」
「は~い、すぐ行きます!」
クイントゥスの新妻ティオリア・ウェルスがぱたぱたと玄関に駆けていく。
そして勢い良く扉を開けると、目の前には西方郵便協会の配達員が目を丸くして立っていた。
「あ、ごめんなさい」
「い、いえ…こちら郵便です。受け取りの署名を戴けますでしょうか?」
鼻先すれすれに扉を開放してしまった事に気が付いたティオリアが照れたように言うと、驚きで固まっていた配達員がようやく言葉を発する。
「はい、ありがとうございます…ではこちらどうぞ」
ティオリアは顔を真っ赤にしたまま配達員の差し出した紙に署名をすると手紙を受け取った。
その手紙の裏書きは夫であるクイントゥスからのものであった。
「…あ、あの人から」
現在出征中のクイントゥスが、近隣の村か町から送った手紙であろうが、その発信元は記されていない。
「では、またのご利用お待ちしています」
「は、はいありがとうございました」
ぼーっと夫からの手紙を手に、その懐かしく感じてしまうほど馴染みのある字を眺めながら呆けていたティオリアは、配達員がそっと辞去の挨拶の声を掛けるのに軽く驚き顔を上げると慌てて言葉を返した。
配達員が去るのを見送り、ティオリアは再び手紙に目を落とす。
「無事みたいね……」
待ちきれずに家に戻りながら封を破り、その中身を見たティオリアは嬉しさと安堵で微笑むと安堵のため息と共に言葉を漏らす。
きちんと丁寧に折り畳まれた北方紙には、夫の性格を表したようね几帳面な字が並んでおり、近況と共にティオリアの身を気遣う優しさが溢れている。
「……早く帰って」
ようやく椅子に座った頃には全てを読み終え、ティオリアはしばらく何かに耐えるようにうつむいていたが、つい漏れた言葉で心の堰が切れた。
一粒の涙が目からこぼれ、後は止めどなく涙が溢れてしまうティオリア。
夫の役目や使命は分かっているし、笑って送り出したのも自分の気持ちであるが、危険な戦地に行く愛する夫の身を案じ、早く家に帰ってきて欲しいと願う自分の気持ちもまた偽りない物であるのだ。
シレンティウム東街区、レイシンク家
木製の洒落た呼び鈴のからころと優しい音が鳴る。
その音に気が付いたレイシンクは、書き物から目を上げて家の中を伺うが、そう言えば妻は青空市場へ買い物に出かけてまだ帰ってはいない。
子供達は学習所に朝から言っているし、父や母は太陽神殿だ、つまり家には今自分しかいない。
「……めんどうだな」
ペンを木製のペン立てに入れたレイシンクは、どっこいしょと年寄り臭い声を掛けて席から立ち、玄関へと向うのだった。
「レイシンクさん、お手紙です」
「おう、ありがとよ」
玄関へ出たレイシンクを待っていたのは西方郵便協会の配達員。
しかめっ面で玄関の扉を開けたレイシンクの様子に頓着せず、満面の笑みで数通の封書を差し出している。
「では、失礼致します。またのご利用お待ちしています」
「おう」
笑顔の配達員をいつも通りの憮然とした面持ちで、しかしそこは律儀に見えなくなるまで見送ったレイシンクは、自分宛に届いた数通の手紙を見る。
いずれもアルマール族の小村から届いたもので、それぞれが村長やそれに準じる身分の者の名が記されていた。
「さてさて……今日は何だ?」
自室へ戻りながらレイシンクは封書をひっくり返したりしてその発信元を見る。
そして先程まで書き物をしていた席へ着くと、ペンの横に差してある樫の木で出来た固い紙切刀を手に取り、全ての封書を開封する。
一つ一つの手紙を丁寧に読み込みながら、読み終えた手紙は机の傍らへぞんざいに積み上げるレイシンク。
やがて全ての手紙を読み終え、レイシンクは大きなため息をついた。
「また移住の依頼か……くそ!」
レイシンクが吐き捨てるように言うのには理由があった。
シレンティウムが発展すると共にアルマール族に限らず移住の依頼は極端に多くなっている。
村落でも部屋住みで土地を貰えない農家の次男三男などの移住や、商業者、工芸者の移住はシレンティウムとしても歓迎するところではあるが、今多い移住依頼は村あげての物が大半であった。
要するに、シレンティウムで暮した方が安全で、経済的にも有利である為自分達の村を半ば廃村にして移住したいという申し出が多いのである。
むろん自身の築いてきた村や地域に愛着が無い訳ではないのだろうが、シレンティウムはアルマール族の勢力圏からは比較的近く、アルマール族長であるアルキアンドが既に村あげての移住を果たしている事も大きい。
アルキアンドの移住はアルフォード王の侵攻という止むに止まれぬ理由があったし、レイシンク自身についても村が土砂崩れで既に廃村同然であったが故に移住を決断した。
シレンティウムの行政府としても地域の人口を極端に吸い上げてしまう結果には神経をとがらせており、シッティウスは村単位での移住や部族の村々の廃村は認めていない。
しかし実際に理由はどうあれ、オランのベレフェス族と同様にシレンティウムへ村ごと移住しているレイシンクは、こういった根回しを依頼する手紙が引きも切らないのであった。
先程もそういった依頼に対して断わりの手紙を書いていた途中であったのだ。
「……軽々しく故郷を棄てるとか言うんじゃねえよ」
結果的にシレンティウムへ移住した事で豊かで安全、文化的な生活を手に入れる事が出来たが、それとて望んだ結果では無い。
出来れば故郷の村を再興させたいと今も願っているレイシンク。
ベレフェス族は既に希望者を募り、ボレウス隊に焼き討ちされた村の再建に入っているという話も聞いている。
「……また仕事が増えたぜ」
嘆きつつも辛抱強く移住を断念するよう説得を続ける他無いことは承知しており、封書を裏返して相手方の所在を確認しつつため息と共にペンを取るレイシンクだった。
西方郵便協会、シレンティウム拠点局
西方郵便協会で手紙を送る手続きは至って単純。
宛先を記した手紙を局へ持ち込み、重さや大きさ、配達先の距離、それに加えて内容物によって定められた料金を窓口で支払うのである。
原則商業利用はしておらず、信書やそれに付随する荷物だけを取扱っているが、それでも最近のシレンティウムの取扱量は生半可な物では無く、西方郵便協会もマニウスの要請に従い、人員増強を決めていた。
「すいません!フレーディア市までの手紙なんですけど~」
「おや、マーク君……はい、フレーディアまでなら料金は青銅貨10枚です」
「記録郵便でお願いします!」
「それじゃあ追加で青銅貨20枚ね」
「あの……戦地郵便をお願いしたいんです」
「はい、宛先の方の軍団名を教えて頂けますか?」
「シレンティウム守備隊です」
「分かりました……では青銅貨7枚頂きます。ご存じかと思いますが、配達料金の3割は行政府が負担します」
「はい、宜しくお願いします」
「すまねえ、よろしく頼むわ」
「……ええっと、封書が1、2、3……全部で16通ですね?」
「おう、全部記録郵便で頼むぜ」
「配達先はそれぞれですか……ではまず記録郵便分が銀貨3枚に青銅貨20枚……それから……」
「ああ~金貨1枚で足りるか?」
「あ、はい、ではお釣りを……」
「おう」
今日も西方郵便協会シレンティウム拠点局は大盛況。
そしてそれは人が活動し、思いを伝え、意思を通じる為に人との交流が不可欠である限り続く事は間違いない。




