その後のシレンティウム~治安官吏ユニウス・ティッロの勤務日誌3~
秋の月30日、シレンティウム東街区、裏通り
秋の終わりの早い夕方。
日が傾き始めたので巡回警戒を打ち切り、分所へ戻る事にしたティッロとルソは、紅葉と夕日で真っ赤に染まった街路をゆっくりと歩いていた。
「はあ…何で俺がこんな目に…」
棒杖を肩に担いでぼやくルソの反対側の手には、御菓子がぎっしり詰まった袋があり、その袋には幼児が描いたと思われる歪な絵があった。
ロールフルト族やポッシア族、セデニア族の未亡人達が住む街区を担当に割り当てられてしまったルソは、憔悴した表情でその袋を見る。
今日も巡回警戒で立ち寄った所足止めを食って散々攻め立てられたのだ。
ルソの視線に釣られてその絵付きの袋を見ながら、ティッロはここぞとばかりに言い募る。
「いや先輩、ものは考えようですよ?こぶつきですけど、クッカさんみたいなあんな美人はそうそう居ませんよ、おまけに子供は可愛いじゃ無いですかっ」
「まあな…エッラとシッポぐらいの子供が居てもおかしくないんだよな~俺…」
ちょっとぐらついたルソに更にティッロが畳み掛けた。
「そうッスよ!だから…」
「待て!」
ティッロの言葉を遮ったルソは素早く手に持っていた御菓子の詰まった袋を鎧の懐へ無理矢理押し込み、耳をそばだてた。
その様子に何かを感じたティッロが直ぐさま同じように耳をそばだてると、遠くからだろうか、かすかではあるが怒声と悲鳴が聞こえてきたのである。
「先輩!こっちッス!!」
「おう!」
同時に声の方向を悟ったティッロとルソは、棒杖を構えて一気に走り出した。
「このアマっ!大人しくそれを渡さねえか!」
「い、嫌ですっ!これは私の大切な持参金なんですからっ!誰か助けてっ!!」
ティッロとルソが諍いの気配を感じ取って駆けつけた裏通りの一画で、貨幣の詰まったと思しき袋を巡って男女がもみ合っていた。
女性は…どっかで見たことあるなと思う間もない程最近会った、セデニア族のエルフリーデ23歳、絶賛お婿さん募集中。
今日は見たところ酔っ払っていないようである。
一方男の方は見覚えが無いが、薄汚れた衣服に汚い髭面、どう見てもごろつきだが、風体は北方人であろうか、筋骨逞しい大柄な体躯は、汚れてはいても見事なものである。
「そこまでだ!治安官吏権限によってこの場を治めるっ!双方止まれ」
ルソの宣告に一瞬止まり、こちらを振り向く2人であったが、涙目に喜色を浮かべたエルフリーデに対し、男はあからさまに顔を歪めた。
「この人泥棒ですっ!私の大切な持参金を盗もうとしたんですっ」
「誰が泥棒だっ、くそ、このアマっ同族の誼で婿になってやるから金を寄越せってんだろうが!」
「だ、誰があなたなんか!逆にお金積まれたって嫌ですっ」
「ふざけろっ!」
「あっ?いたっ!」
強引にエルフリーデを蹴倒し、次いで袋を奪い取ろうとした男だったが、駆け寄ったティッロに棒杖で膝を打たれて崩れ、次いで無理に振り返った所をルソの棒杖が脳天に炸裂して気絶する。
「女を蹴倒すとは、とんでも無い野郎だな!」
油断無く棒杖を男の首に添え、腕を固めるルソが怒りの声を上げた。
素早く捕縄を取り出し、後ろ手に男を縛って行くルソとティッロの鮮やかな手並を、奪われそうになった袋を両手で握りしめたエルフリーデがしゃがみ込んだままぼーっと見ている。
「やっぱり素敵…」
エルフリーデのつぶやきに気付かないまま、ティッロとルソは男に喝を入れて起こし、無理矢理立たせると強盗容疑で逮捕したことを告げ、分所へ連行するべく歩き出した。
「テメエ!離しやがれちびの帝国人!」
「うるさいぞ、言い訳は分所で聞いてやる。さっさと歩けこの馬鹿が」
抵抗する素振りを見せた男だったが、ガッチリと身に食い込んだ縄でそれも果たせず、ルソにどやされ、無理矢理引き摺るように歩かされる。
未だぼーっとしているエルフリーデに、男の後ろを歩いていたティッロが振り返って声を掛けた。
「あ、エルフリーデさんでしたよね?」
「は、はいっ!」
「ご足労ですが被害の状況を聞きたいので分所まで一緒に来て下さい」
「は、はいっ!」
ティッロの依頼に一も二も無く応じるエルフリーデは、ぱっと立ち上がると3人の後を追って駆け出した。
第5治安官詰所第2分所
「どうやらあの男、10年以上前にセデニアで乱暴をして部族追放になった男みたいですね」
「やっぱりそうでしたか…」
分所の奥にある、罪人を一時的に収容する牢から戻ったルソの説明に納得して頷くエルフリーデ。
ルソは強盗を働こうとした男の取調べを終えて戻って来たのだ。
エルフリーデの事情聴取をしていたティッロが、それを聞いてつぶやく。
「同族とは言っていましたが、そんな凶状持ちだったとは…」
折角会った同族があのような不逞の輩であったのだ、その心を思ってティッロが気遣わしげにエルフリーデを見ると、エルフリーデは相反して怒りに燃えた表情できっとルソを見上げる。
「部族の統制が十分取れていない隙を狙って、半端者や追放者が続々と部族に戻ろうとしているんですっ。ましてや男が居なくなってしまったことを知っていて、こちらの弱みに付け込んでくるので手に負えません。同族だからとそういった男を受け入れて酷い目に合った人も居ます。あんな部族の恥を体現したような男は此の世に要りませんっ!厳しく処罰して二度と戻ってこないようにして下さい!」
「あ、あれっ?」
どちらかというと寛大な処分を望むだろうと思って男の情報を伝えたルソは、当てが外れて素っ頓狂な声を上げ、ティッロは突然の剣幕に驚いて目を丸くした。
「ま、まあ強盗だからね…どっちみち重罪は免れないけども…」
「お願いします!」
しどろもどろで言うルソへ、エルフリーデは力強く頷いて応じるのであった。
エルフリーデからの事情聴取も終わり、彼女を宿へ帰そうと考えたルソは書類を纏めてエルフリーデから署名を貰っているティッロに声を掛ける。
「ティッロ、エルフリーデさんを宿まで送ってあげろ」
「あ、はい、了解ッス」
署名を終えたエルフリーデからペンを受け取りつつティッロが答えた。
「あ、スゴイッスねエルフリーデさん、綺麗な書体です」
「はい、帝国人の男性は知性的な女性が好きだと聞いたので…一生懸命練習しました」
振り向いたティッロがエルフリーデの署名を見て言うと、エルフリーデは恥ずかしそうにもじもじとしながら答える。
「そ、そっすか…あっ?」
「ちゃんと送って行けよ」
たじろぐティッロの手からすらりと書類を取り上げたルソは、その手に棒杖を押し込んで言うと、人の悪い笑みを浮かべた。
「じゃ、じゃあ送っていくッス」
「はい、宜しくお願いしますっ」
がたりと椅子をならして立ち上がるティッロに、エルフリーデが元気一杯に応じ、そしてルソの低い声が笑いを含んで発せられた。
「帰りは気にすんな~遅くなっても良いぞ~」
ちらちらと助けを求めるような視線を送るティッロと、嬉しそうにそのティッロに身体を寄せるエルフリーデをひらひら手を振って送り出し、ルソは巡回活動結果報告の作成に取りかかる。
先日、裏通りで住民のおばちゃんから出た苦情と要望を、自分達の視点を加えて報告書を作成するのだ。
実際にどの程度落ち葉がたまっていたのか、溝浚いはどの程度の頻度で必要とされるか、はたまた道路構造は今のままで適合しているのか…等々、考えることは多い。
最終的には按察庁の按察官吏達がやって来て調査をした上で判断していくことになるが、街の巡回という勤務を通して最初にその状態を発見した治安官吏は、各部署への報告を上げる事が出来るのである。
ルソは性格通りの角張った筆跡でがりがりと文字を東照紙に記していく。
そして完成した報告書に目を通し、おかしな言い回しや誤字脱字が無いかを確認した上で報告書入れの中へ放り込んだ。
「うっし…これで良しっと」
そう言いつつ書類入れの箱の蓋を閉め、所定の場所へ収めるとルソはぐいっと背伸びをした。
ついでにあくびをしようとした所へ、可愛らしい声が掛かる。
「ちあんかんりのおにいさんっ」
「おや?どうしたのかな…って、ああっ?」
ほいっと伸びかけた手を戻して声のした方に顔を向けたルソは、そこに見た覚えのある男の子と女の子の姿を見て驚愕した。
「なんでこんなとこに!」
「おにいさん、いるから…」
「いいでしょ、ここはあぶなくないし…」
ルソの言葉に人差し指を咥えた弟のシッポがたどたどしく答えると、姉のエッラはニコニコして言う。
「面倒ごとを増やしてくれるなあ…仕方ない」
また迷子になる前に送り届けなければならない。
そう思ったルソが書類を書いていた机から腰を浮かし、棒杖を取って革の兜を被ると姉弟の背を押して外へ出た。
「じゃあ、行こうか…って、あれ?」
「あら、ご無沙汰しています、ルソさん」
驚くルソの前、分所の正面に買い物をした後だろうか、大きな袋を抱えたクッカが立っていたのだ。
「ああ、それで…」
一緒に子供達も連れてきたのだろう、ほっとしたルソは子供達をクッカの元に押しやり子供達が走っていくのを見て微笑みを浮かべる。
そうしている内に夕刻の時鐘が打ち鳴らされ、その音が分所にも届いた。
「お~い、交代だぞ…って、あれ?ティッロは何処だ?」
今日の夜勤組が丁度交代にやって来たが、姿の見えないティッロを訝り、次いで子供を連れたクッカとその前に立つルソを見て驚く。
「何だルソ?お前いつの間に…」
「ちがうちがうちがう」
夜勤組がルソの奥さんと子供達が来ているのだと意図的に勘違いし、ニヤニヤしながら言うと、慌ててルソはそれを否定するが、次いでクッカから発せられた声に全員が振り向いた。
「まあ、御同僚の方々ですか?いつもお世話になっています」
優しい笑顔のままたおやかに腰を少し下げ、帝国風の挨拶をするクッカに思わず見とれるルソと夜勤組。
微妙に重要な所はぼかしつつ、自分の都合の良い方へ誤解させるような言葉を発した事にルソは怖気を震う。
ぼーっとクッカと子供達を見ていた夜勤組だったが、ルソがクッカの言葉をそれを是正する間もなくすぐ我に返った。
「…若旦那は奥様お迎えでお帰りだ。さっさと装備と勤務引き継ぎをして帰してしまえ」
「了解ッス!」
先輩からの指令を受けた後輩がルソを分所の奥に押し込みつつ、クッカに愛想笑いを浮かべて言う。
「ちょっと借ります…直ぐ終わりますんで!」
「はい」
ニコニコと応じるクッカに、ルソは否定の言葉を紡ごうとするが、その足下に居る子供達を見て諦め、大人しく夜勤組に分所の奥へと連れ込まれた。
「言いたいことは沢山あるが今日は良い、勤務引き継ぎは何かあるか?」
「釈明したいことは沢山ありますが、今日は止めておきます…現在ティッロが強盗の被害者を送り届け中です。戻って来たらそのまま帰してやって下さい」
「お?承知した…犯人は捕まえたのか?」
ルソの言葉に驚く夜勤組に、ルソは得意げに答える。
「捕まえました」
「…大手柄だな、やったじゃねえか!」
そのルソの返事に夜勤組は満面の笑みを浮かべてルソの腕を強く握り、言葉を継いだ。
「よし、後の事は任せてもらおう」
「…了解、宜しくお願いします」
こちらをじっと見ているクッカの視線に気が付いて、夜勤組が笑顔を浮かべて手を振ると、クッカも楚々と会釈を返す。
ルソは諦めたように言うと引き継ぎ表の記入をし、クッカの元へ行くと声を掛けた。
「お荷物お持ちしましょう…ご自宅まで送ります」
「まあ、ありがとうございます…あなたたちもお礼を言いなさい。治安官吏のお兄さんが家に来て下さるって」
「その発言は色々と誤解を招く恐れがありますので…」
クッカから荷物を受け取りながら即座に否定するルソだったが…
「ありがとう!おにいさん…ごはんたべる?」
「気持ちだけ貰っておくね、エッラちゃん」
「わ~おにいさん、きょうはとまるの?」
「シッポ君、お兄さんは家が別にあるから泊まらないよ」
「まあ、遠慮なさらずに…子供達も喜びますわ」
「…クッカさん、しれっと腕を組まないで頂けますか?」
「うふふ」
それでも最後には子供達にぶら下がられ、クッカに腕を取られて連行される事になったルソ、その夜はティッロと共に宿舎に帰れず、後日懲罰を受ける事になった。
両方ともそれぞれの相手とその後幸せな結婚をすることになるが、この日の出来事が何故ばれたかというと…
「…あんなろ、幸せな連行かけられやがって、俺たちに対する嫌みか!」
「先輩!ティッロの野郎が送っていったのも23歳の女性ッス!」
引き継ぎ書類を見た夜勤組の後輩が叫ぶと、先輩が鬼の形相となった。
「あ~い~つ~ら~!!!おいっ、今日あいつが宿舎に帰っていなかった場合は、お前ら、分かってんだろうな?」
「「うっす!!しっかりちくるッス!!!」」
その後ろ姿を見て歯ぎしりしていた夜勤組が報告したのは、言うまでも無かった。




