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その後のシレンティウム~治安官吏ユニウス・ティッロの勤務日誌~

 北方連合成立から5年。

 

 シレンティウムの治安官詰所は、主に居住街区である北街区、南街区、東街区、西街区の各詰所に加え、行政街区や商業街区を管轄するルキウス・アエティウス治安長官直卒の治安庁本部がある。

 それぞれ5つから7つ程度の分所を持ち、新興都市シレンティウムの治安を守っているのだ。

 因みに城壁や東西南北にある城門の警備は、軍が管轄している。



 北方連合歴5年、秋の月、20日夜半



その本部管轄区域の1つ、本部第5治安官詰所、第2分所に勤務する新任治安官吏、茶色の優しげな目をしたユニウス・ティッロ20歳は大変困っていた。


「お姉さん、起きて下さい~!」

「あうう…」


 通りすがりの市民から、酔っ払った女が裏通りで寝込んでいるとの通報を受けて駆けつけたのだが、この酔っ払いは筋金入りでなかなか起きないのだ。

 真っ赤に染まった顔、凄まじく酒臭い息、あられもない姿で寝込むその女は、紛う方なき酔っ払いで、おまけに分り易く空の酒壺を抱いている。

 しかもティッロが起こそうと思って身体を揺すろうが大きな声を掛けようが、いっこうに目を覚ます気配が無いのだ。

 今また幸せそうに口元を緩め、ごろりと石畳の上で寝返りをうったので、ごちっと痛々しい音がその後頭部からしたが、それでも起きようとはしない女。

 しかし今のはそれなりに痛かったのだろう、目をつぶったまま片手で酒壺をガッチリ抱えたまま頭をさすっている。


「お姉さん…あ~もう、どうしようもないじゃないかあ~」


 たまたま先輩達が喧嘩の通報で詰所を出て行ってしまい、残された新任治安官吏2人の内でも、後輩であるティッロが酔っ払いの対処をすることになったのだが、とうとう匙を投げた。


「連れて帰るしかないか…」


 ため息をついて女性を見下ろすティッロ。

 シレンティウムは治安も良く、女性が寝込んでいた所で何か悪さをするような不逞の輩は少ないが、それでも皆無では無いし、第一秋も深まったこの季節に路上で一晩を過ごせば確実に風邪を引いてしまうだろう。

 一応、治安官詰所には休憩室もあるので、女性を休ませる場所はあるのだが、男ばかりの分所に女性を連れ込むのはたとえ保護の為とは雖も気が引ける。


 ましてやよくよく見れば結構な美人であった。


 土にまみれてはいるが、長い美しい金髪に東照磁器のような白い肌、酒のせいで赤くはなっているが顔立ちも整っており、背が高いのが直ぐ分かる。

 歳は24歳か25歳といった所か。

 目の色は分からないが、服装や体格からクリフォナム人と思われる酔っ払いの女は、まだ幸せそうに口元を緩めていた。

 しかしこのまま放っておくわけにはいかないので、ティッロは治安官吏の装備である棒杖を背中に背負い、黒い革鎧をしっかり固定し直し、黒い革の兜の緒を締め直すと女の腕を取り、先輩に教わった通りゆっくりとその上半身を起こす。


「やむをえないよなあ…よっと!」


 そして前から女の腕を自分の首にかけ、横抱きにして一気に持ち上げた。

 思った以上に女は軽く、少しティッロが持ち上げる際に顔を顰めたものの、また笑みを浮かべてムニャムニャと何事かをつぶやきながら、大人しくされるがままになっている。


「…ほ、良かった…これで目を覚まされでもしたら恥ずかしくってどうしようもないよ」


 ぶつくさ言いながらも少し顔を赤くしたティッロは、慎重に歩き出した。

 夜道は暗く、繁華街と雖もここのような裏通りになれば足下が覚束ない。

 幸いにもシレンティウムは出来たばかりの街であり、街路も整えられたばかりで滑らかであるので、慎重に歩けば夜道でも蹴躓くことはないが、段差や個人の家に通じる三和土はあるので、下が見えない以上慎重に歩く必要があった。


「…あ~今日の初仕事がこれかあ~」


 同期達は喧嘩の仕分けや詐欺の摘発、盗賊の討伐などで次々と手柄を上げているというのに、自分は未だ酔っ払いの保護や送り迎え、家事相談ばかりで華々しい活躍の場がない。

 取扱う案件の地味さは、第5治安官詰所第2分所が繁華街の外れに位置している事と無縁ではないが、それでも愚痴らずにはおれないティッロだった。






 本部第5治安官詰所、第2分所


「なんだなんだ、連れてきちゃったのかよ」

「仕方ないッス先輩、起きてくんなくて…女の人だし、もう夜は結構寒いし…」

「あ~仕方ないかあ」


 棒杖を手に、詰所の前で立哨していた先輩治安官吏のマリウス・ルソは呆れ顔でティッロを迎えるが、その事情を聞き、更にはティッロの腕の中の酔っ払い女性を見て頷く。


「奥の部屋空いてるから使って良いぞ」

「スイマセン…喧嘩に向った先輩達はどうなりました?見た所いないみたいですけど…」


 ずり落ちてきた酔っ払いを抱え直しながらティッロが尋ねた。

 その際ううんと酔っ払い女性が唸って眉根を寄せるが、ちっとも色気を感じない。

 ティッロとしては酔っ払いを抱えているので、誰かに毛布やマットを敷いて部屋を整えて貰いたいのだがルソ以外に同僚が見当たらないためである。

 ティッロの質問を聞いたルソは深くため息をつきつつ答えた。


「ああ…他は今日喧嘩の仲裁が上手くいかなくて訴訟になるから詰所へ上がった。今頃書類作ってるんじゃないか?多分今日は帰ってこないぞ」

「ええ~今晩先輩と2人きりですか~?」

「ああ、悪いが酔っ払いの面倒はお前1人で見てやれ」

「…うー仕方ないッスか」


 余程の事がない限りは立哨に最低1人立たなければならないので、これは仕方ない。

 ティッロは分所の入り口前から退いてくれたルソの脇を通り抜け、そのまま奥の部屋へと向った。





 ようやく部屋に入り、取り敢えず椅子へ女性を座らせ、顔を机に方へ持っていって丁度突っ伏したような格好で落ち着かせると、ティッロは手早く寝台の準備に取りかかった。

ティッロは背負っていた棒杖を壁に立て掛け、兜を取って自分の棚へ置くと、すっかり汗にまみれてしまった自分の黒く短い髪をかき分けるようにして頭を掻く。

 そして3段式の寝台の一番下へ麦藁の詰まったマットを敷き、枕を置いて女性を横たえると毛布をその上から掛けた。


「大丈夫ですか~?」

「あう…」


 相変らず返事らしい返事は返ってこず、ティッロは諦めて女性の額に掛かった髪を分け、濡らした布で顔を拭いてやるとそのまま兜と棒杖を持って詰所の表へと戻る。

 恐らく中毒や昏睡状態ではないので、一晩寝かせれば回復するだろう。

 そう思いつつティッロが表へ戻ると、ルソが気付いて声を掛けてきた。


「お、終わったか?」

「はい、吐いてもいませんでしたし、寝かせておけば大丈夫ッスよ」

「おう、じゃあこっちはいいからちょっと休憩しとけ、1刻半後に立哨交代な」

「了解ッス」


 先輩の心遣いに感謝し、被りかけた兜を戻して奥へ引っ込むと、ティッロは女性を寝かしてある部屋で水道から直に水を汲み、椅子へ座るとゆっくりと飲み干した。

 それ程距離は無かったとは言え、人1人を抱えてきたのである。

 それなりに疲れてもいたし喉も渇いていた。


 一息つくティッロ。


 今日は他の部署からの応援要請も無く、比較的平穏な夜であろう。

 そんな事を思いながら椅子に座り杯を机に置く。

 しばらくそうしてから、何時も冷たく声が漏れる程美味しい水をもう一杯汲んで飲み、ティッロがふと目を移すと、連れてきた女性の目がぱっちり開いていた。


「あ…」

「………」


 じーっと見つめてくる女性の視線が自分の手元にある事を悟り、慌てて杯を濯いでから水を汲んで手渡すと、上半身を起こした女性は一気に杯を空にする。


「ん」

「あ~はいもう一杯すね」


 差し出してきた杯を受け取り、もう一杯水を汲んでやって手渡すと、再び一気に飲み干す女性。

 そしては~っと未だ酒臭い息を吐いてからまじまじとティッロを見つめて口を開いた。


「君誰?」

「…治安官吏のユニウス・ティッロですよ、お姉さん」

「治安官吏って…あれかな、村長直属の戦士みたいな…」

「あ~まあ近いっすけど、ちょっと違いますかね。戦士は酔っ払った人を保護したりしませんよね?」


 どうやらこの女性はクリフォナムの何処かの村から出てきたようである。

 言動や仕草、服装や髪型がシレンティウムや帝国風では無い事を察し、ティッロはそう予想を付けた。


「…ホゴ?ああ、ここ君んちじゃないのか、何だ、残念」

「…残念って、何ですかそれ」


 本当に残念そうに良いながら杯を返す素振りを見せた女性に、怪訝な顔でティッロが手を伸ばす。

 すると女性は、杯を渡すと同時にそのままティッロの手首を掴んで引き寄せる。

 意外と強い力に驚いたティッロが為すがままに引き寄せられると、女性はティッロの頭を抱き留めてその耳元へ囁いた。


「ね、あたしセデニアのエルフリーデって言うんだ~23歳」

「そ、そうですか」


 セデニア族は数年前のハレミア人侵攻で大打撃を受けた部族で、未だ男性人口が回復せず、部族の存続すら危ぶまれている2部族の1つである。

 いきなり自己紹介を始めたエルフリーデに戸惑いを隠しきれないが、相談も治安官吏の仕事の内、ティッロは柔らかい感触に負けまいと何とか職務意識を取り戻した。


「ふふふふ、君って帝国人?」

「まあ、親がそうだったんで元ですが…今はシレンティウム人ですよ?」

「そっか~シレンティウム人かあ~」


 ティッロの頭を抱いたまま、不思議と上機嫌にそう言うと、エルフリーデはゆっくりと言葉を継いだ。


「私さ、お婿さん探しに来たんだよね~」

「そ、そうッスか?はあ、大変ですね」


 さらっと重大事情を打ち明けるエルフリーデに焦るティッロだったが、エルフリーデの力が緩んだ隙を突いて頭を取り戻すと、近くの椅子に腰掛ける。


「で、どうでしたか?」

「…話聞いてくれるの?優しいねえ~」


 ほろりと涙をこぼすと、エルフリーデは優しい笑顔を浮かべるティッロに訥々と話し始めた。


「私の一家さ、ハレミア人にやられた時に散り散りになっちゃったんだ。父さんと兄さん2人は戦士だったから戦いで負けて死んじゃったんだけど、その後母さんは集落を襲撃してきたハレミア人に殺されて、私だけ連れ去られたの~」

「………」


 その時の事を思い出したのだろう、またエルフリーデの目から涙がこぼれる。

 ティッロは黙ったままその話を聞いていた。

 友人のヘーグリンドから北方諸族がハレミア人から受けた甚大な被害については聞いていたし、その後シレンティウムへ移住してきた北方諸族も多いので、事件や相談、家庭巡回などでその時の話を聞く機会も有った。

 それ故に軽々しく頷いたり、相づちをうつ事が出来なかったのである。


「でね?ウチの部族はハレミア人の襲撃で男の人が極端に減っちゃって、どうしようも無いからあちこちからお婿さん取ってるんだけど、私は帝国の人のお婿さんが良いなと思って、族長の許可を貰ってここまで来たんだ~」


 そんなティッロの態度に何か感じるモノがあったのか、エルフリーデは涙目ながらも微笑みを浮かべて言葉を継いだ。


「そんで~イネオン河畔で辺境護民官様に助けられたんだけどね?あの時の帝国の人達の勇姿が忘れられなくってさ~アダマンティウス将軍とかすっごいカッコイイよねえ?」

「…まあ、その、そうですか」


 ヘーグリンドから聞いた布陣通りであれば、確かにアダマンティウス率いる帝国人主体の第22軍団が、セデニア族とポッシア族の捕虜が放置されていた場所から一番近い。


 しかし、デキムス・アダマンティウス、当年とって75歳である。


 馬に乗ると持病の腰痛が響くのでそろそろ引退したいとぼやいていると、ルキウス治安長官がおもしろおかしく語っていたのを聞いた事があるが、まさかこんな若い…とは言ってもティッロよりは年上なのだが…女性から思いを向けられているとは思ってもみないだろう。

 アダマンティウス将軍すげえ!などと、守護聖人アルトリウスなき後、シレンティウム随一の戦術家である老将軍を別の面で見直していると、エルフリーデが熱っぽい口調で語りかけてきた。


「でもなかなか上手くいかなくて…知り合いも居ないし当然なんだけど…それで寂しいからお酒飲んで紛らわしてたんだけど…君いい人だよね~」

「はい?」


 風向きが変わった事に気付き、ティッロは思わず椅子を引く。

 わくわくもするけど、仕事中だし不味いかなという気持ちもあり、何だか複雑なティッロ。

 ましてや相手は酔っ払っているのだ。

 まともな状態ならもうそのまま誘いに乗ってしまいそうな勢いだが、暗がりやお酒の入った状態で見る異性の姿が普段より艶やかに見えるのは経験済みであるので、ティッロは後退る。

 そんなティッロの姿に構わず、エルフリーデは毛布を握りしめたまま身を乗り出して追撃の言葉を放った。


「…ね、結婚してる?彼女居るの?」

「………あ~いや、そのですね。あイタっ?」


 何と言い抜けようかと悩み、言葉を濁したティッロの頭にごちんと棒杖が落ちる。

 叩かれた頭を押さえてティッロが振り返ると、鬼の形相でルソが立っていた。


「…おい、イチャイチャしてんなら立哨代われ。お嬢さんも、そろそろ歩けるでしょう、宿泊先に戻った方が良いですよ」


 ティッロをそう脅かしておいてから、冷たい笑顔でエルフリーデに語りかけるルソ。


「…そんなだから先輩ってモテないんッスよ」

「ああ?何か言ったか!」

「何も言ってないッス!」


 ぼやきを聞き咎められたティッロが慌てて取り繕うのを見ていて、エルフリーデが笑みを浮かべる。


「先輩もいい人ね~」

「…いい人ッスよ」

「いい人かどうか分かりませんが、起きて歩けるならここに居る必要は無いので、帰りましょう」

「先輩…」


 そのもの言いに呆れるティッロを余所に、またエルフリーデの笑顔攻撃にも全く動じずルソが急かすように言い、更に棒杖を小脇に抱えて手を差し出して促した。


「宿泊先は官営旅館でしょう?送りますからどうぞ」

「…謹厳実直な帝国人の役人って素敵よねえ」

 

 堅物の先輩の手を優雅に取り、毛布を置いて寝台から立ち上がったエルフリーデはぼーっとルソを眺めて言うが、ルソは全く取り合わない。


「はいはい、官吏は他にも一杯居ますし、みんな頑張ってますからね…おい、ちょっと行ってくるから、立哨頼む」


 ぽいと棒杖を投げ渡されたティッロが呆気に取られている内に、ルソはエルフリーデをうまくあやしながら分所の外へと連れだし、言葉巧みに官営旅館へと連れて行ってしまった。


「あれ?」 


 それまで自分に向けられていた好意の目があっさり先輩に移ってしまった事に何だか納得いかないティッロであったが、まあ酔っ払いだしなと諦めて棒杖を肩に担いで外に出る。


「う~ん、何だか変な気分だなあ…」


 夜も深まり、あくびをかみ殺しながら立哨に就いたティッロ。

 しばらくして帰ってきたルソにぼーっとしている所をどやしつけられるまで、のんびりあくびをしつつ立哨に努めるのだった。



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