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第九話

 家に到着した私は息を整える為、玄関先で少し立ち止まった。この時間、きっと母は家に居るだろう。乱れていた息が整い始め、玄関に駆け寄りドアを開けようとした時だった。何か途轍もなく、嫌な予感がしたのだ。私はそっとドアを開けた。小さく開いたドアの隙間に体を滑り込ませ、そして静かにドアを閉める。リビングから話し声が聞こえてきた。私は足音を立てないように、リビングに近づいていった。中の様子を伺うと、リビングでは母と愁斗がいた。二人は楽しそうに話をしている。

「そう、すごいわねぇ。」

 母の感嘆の声が聞こえてきた。どうやら二人は、一枚の紙切れを覗き込んでいるようだ。あの紙切れには見覚えがあった。以前貰った中間テストの結果の紙だ。随分と前に貰った筈だが、愁斗はまだ見せていなかったのか。

「一位なんて、そう簡単に取れるものじゃないわよ。」

 愁斗は、やはり一位だったのか。私の高校はお世辞にも、それほど頭の良い高校ではない。頭の良い愁斗がうちの高校に来た時点で、一位を取るのは当然の結果と言っていいだろう。

「凛は頑張っても、三十位くらいしか取れないから。」

 嫌な感じがする。再び胸が、ザワザワと騒ぎ始めてきた。今すぐ、この場から離れたほうが良い。咄嗟に頭の中でそう判断し、私は静かにその場を離れようとした。しかし、それは失敗に終わる。何故なら私は、次の母の言葉を聞いてしまったのだ。


「愁斗は、本当に偉いわねぇ。愁斗みたいな子のお母さんになれて、本当に嬉しいわ。」


 ドサッ


 持っていた鞄が、私の手の中から滑り落ちる。その音に気づいた二人が、こちらを振り返った。

「あら凛ちゃん、おかえりなさい。」

 母は、いつも通りの優しい笑顔で私を出迎えてくれた。きっと母にとって、先程の言葉は、何の意味も持たない何気ない一言でしかないのだろう。その言葉に私が酷く傷付いたなんて、微塵も気づいてはいない。

「・・・姉ちゃん。」

 それに比べ、愁斗はとても驚いた顔をしていた。そして、少しバツの悪そうな顔をする。愁斗は気づいているのだ。私が、先程の母の言葉に酷く傷付いた事を。

「あぁ、ああぁ。」

 もう限界だった。二人の顔を見ていられず、私は二人に背を向けて勢い良く家を飛び出した。背後で私を呼ぶ母の声が聞こえてきたが、私は立ち止まる事が出来なかった。

 唯一の肉親の母でさえ、愁斗を選ぶのか。母に、そんな気はないのかもしれない。私を凄く大切にしてくれている事くらい分かる。しかし健矢君や水華の事があった私は、そんな事を考える余裕もなかった。健矢君や水華でさえ、きっと少なからず愁斗抜きで私の事を見てくれていたに違いない。それでも許せなかったのだ。愚かな私は、些細な裏切りさえ許せなかった。

 一体いつからだろうか。義弟を疎ましく感じるようになったのは。私の心の中は、醜い感情で溢れかえっている。涙が溢れ目の前が霞む。今日は、もうずっと胸が痛い。このまま張り裂けてしてしまいそうだ。

 いつの間にか振り出しだ雨が、私の行く手を阻む。しかし私は、濡れる事も構わずに走り続けた。何処に向かっているのかさえ分からない。暗い迷路にでも迷い込んだみたいだ。もう嫌だ、誰か助けて!

「姉ちゃん!」

 急に腕を掴まれ、私は後ろに引っ張られるようにして立ち止まった。振り返ると其処には、私を追い掛けてきたであろう愁斗が居た。愁斗も雨に濡れ、全身びしょ濡れだった。私は酷く息を切らしているのに、目の前の愁斗は少しも息を乱していない。そんな事にでさえ、私の心には黒い気持ちが芽生える。

「・・・帰ろう。母さんが心配してたよ。」

 そう言って愁斗はこちらに手を伸ばしてくるも、私はその手を振り払った。

 愁斗は、全てに気が付いているのだ。私が愁斗に劣等感を持っている事も、私の周りには愁斗目当ての人達しか集まらない事も、私が愁斗に母を取られるのを恐れている事も。その全てを知った上で、こうして私に手を差し出してくる。それが癪に障った。

「・・・嫌い。」

 私の言葉に、愁斗は端正な顔を強張らせる。

「あんたなんか嫌い。大っ嫌い!あんたは私から何もかも奪っていった!好きな人も、親友も・・・たった一人の家族さえも。」

 健矢君、水華、お母さん、私の大好きな人達。その全てをあっさりと奪っていった愁斗に対して、私は溢れ出す言葉を止める事が出来なかった。

「あんたさえ、あんたさえ居なければ!」

 愁斗の顔を見る事も出来ず、私は俯いたまま怒鳴り散らした。愁斗が、どのような顔をしているのかも分からない。

 辺り一面薄暗くなり、雨はどんどんと酷くなっていった。絶望の淵に立っていた私には、もう雨の音しか聞こえなかった。


「・・・違う。愁斗じゃない。」


 私は、ふと気が付く。愁斗は皆から必要とされている。皆が愁斗を必要している。健矢君も、水華も、母も。誰からも必要とされている愁斗。愁斗とは対照的な私。何故こんな簡単な事に気が付かなかったのだろうか。そうか、そうだったんだ。


「・・・居なくなった方が良いのは、私だったんだ。」


 その時だった。私の背後の空間が、急にざわついたのが分かった。それを肌で感じ取った私は、後ろを振り返る。すると其処には真っ黒で大きな、まるでブラックホールのような空間が現れていた。私の周りの風が急に強くなる。

「凛っ!」

 一瞬の出来事だった。風が私を連れて行く。私はそのブラックホールに、いとも簡単に吸い込まれてしまったのだ。

 私が最後に見た景色は、驚愕の顔をした愁斗が、必死になって私の方に手を伸ばしている姿だった。

回想シーン、ようやく終わりました。

何やらもの凄く暗いお話になっていますが、これからもう少し明るくしていく予定です。


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