第二十三話
「ああ、鮫だな。」
またもやあっさりと肯定するイストに、私は再び驚愕する。
「そんな呑気な!皆、食べられちゃうよ!」
「食べられるねぇ・・・」
海に居る仲間のもとへと巨大な鮫が忍び寄っているというのに、イストは全く動じない。それどころか、少し楽しそうな顔をしている。
「イスト!」
彼の腕を思い切り揺らすも、やはりイストは動かない。そうこうしている間に、一人の海賊のもとへと鮫が辿り着いてしまった。
「危ないっ!」
私の叫び声に気づいた海賊が、状況を把握し顔を青褪める。
「うわぁぁぁ!」
もう駄目だ!海賊の叫び声が聞こえ、私は両手で自分の目を覆った。その時だった。私の背後から、物凄い勢いでこちらに向かって走って来る足音が聞こえのだ。私は咄嗟に背後を振り返る。
「わ!」
その足音の正体は、なんとレスだった。手には、ナックルというのだろうか。メリケンサックのようなものを装着している。全速力で走ってくるレスは、愉快で堪らないといった感じで軽薄な笑みを浮かべていた。そんな彼の姿に、私は多いに怯える。というか、何でこっちに来るんだ。恐っ!
「きゃっ!」
こちらに向かって走って来たレスは、そのまま私を飛び越え船の外へと飛び出していった。私は驚愕しながらも、レスの姿を仰ぎ見る。
「うおぉぉぉ!」
私は思わず、目を瞠る。なんとレスは空中でナックルを装着した右腕を構えると、その右腕から突然炎を出現させたのだ。どうやら魔術のようだ。レスはそのまま海面へと向かって下りて行き、そして鮫に炎を纏った拳を思い切り叩き込んだ。物凄い水飛沫が上がる。レスの姿も鮫の姿も、そして襲われそうになっていた海賊の姿さえも見えなくなってしまった。
「どうなったの?」
突然の騒ぎに我先にと避難を始めた海賊達を横目に、私は泡立ち白くなった海面が治まるのを祈りながら待った。二人とも、無事でいてほしい。
海面が元の綺麗な透明度を取り戻し始めた頃、私が真っ先に見つけたのは襲われそうになっていた海賊だった。海面にプカプカと浮かんでいる。見たところ外傷はないようで、どうやら気絶しているだけのようだった。他の海賊が、彼を引き連れ避難して行く。
(よかった。)
心の中で安堵の息を吐いた時、レスが海面に顔を出した。
「ちっ、外したか。」
(外した?)
レスは鮫を狙った筈だ。まさか、海賊を狙ったわけではないだろう。それを外したという事は、鮫はまだ生きているという事だ。殆んどの海賊達が避難したとはいえ、海にはまだ少数の海賊達が残っている。大変だ、襲われてしまう!
残りの海賊達に、早く避難するよう声を掛けようとした時だった。
「外すなんて、甘いね。」
ありえない方向から、人の声が聞こえてきたのだ。私は今、甲板の手摺りから身を乗り出して海を覗き込んでいる。そんな私の真正面から、聞こえてきた声。そう其処は空中で、人が居る筈のない場所だった。私は、恐る恐る顔を上げる。
「ロディ!?」
私は驚愕の声を上げる。なんと彼は宙に浮いていたのだ。
「な、なな・・・!」
「リン。俺が仕留めるから、しっかり見ててよね。今日の夕食は豪華だよ。」
動揺する私には一切気が付かず、ロディはニッコリと笑って見せた。というか夕食は豪華って・・・まさか食べる気か!
色々な事が頭の中をグルグルと回っていたが、ロディが右手を前に差し出した事によりその考えを一時中断させる。彼の掌を見ていると、小さな台風のような風が生まれたのが分かった。よく見ると彼の足首辺りにも、かなりの風が収束しているのが分かる。鮫が出た事による海賊達の喧騒と、私自身随分と動揺していて気が付かなかった。どうやら風の魔術らしい。風を使って飛んでいるんだ。
(凄い!)
そしてロディはそのまま右手振り払い、掌に生み出した風を海に向かって振り飛ばした。海が割れる。カマイタチのような鋭い風だった。カマイタチを飛ばした先には、先程の見失った鮫が居たらしい。
「ロディ!てめぇ、余計な事してんじゃねぇよ!」
「へっ!一発で仕留めない方が悪いのさ。」
二人が言い争いをし始めたその隙に、巨大鮫がそそくさと逃げ出そうとしているのが見えた。どうやら、先程のロディの攻撃も間一髪でかわしたらしい。凄いな、鮫。
そしてそんな鮫に気づいた二人は、再び魔術を発動させる。
「逃がさないよ!」
「待ちやがれ!」
そう言うと二人は風や炎を飛ばしながら、そのまま逃げた鮫を追いかけていった。今までの喧騒とはうって変わって、辺りに静寂が訪れる。
「・・・何だったの。」
イストに返答を求めるも、いつもの事だと言わんばかりの苦笑を返された。これが日常茶飯事なのか!突然起きた慌しい出来事に、私は何だか酷く疲れグッタリと肩を落とした。