俺の結末はいつでも夢オチです。
六時だ。
時間きっかりに起きる。
目覚まし時計は、鳴らない。
この時間に目覚めることが、体に刻まれている。
カーテンを開ける。
朝日に思わず目を細めてしまう。
愛用のコップにコーヒーを注ぐ。
いつもの景色とコーヒー。
「うん。いい朝だ。」
コールドシャワーを浴びて、心身を整える。
服はいつも通り。指定されたシャツに、指定されたジャケット、そして指定されたズボン。
つまり制服だ。
「今日も決まった」
鏡の前で唱える。
これがルーティン。
だがまだ終わらない。
「今日もいい一日にしてやる。いつも通りに、最高の一日に――」
――ピンポーンドンドンドンガチャガチャガチャ。
「あゆむ!!おはよう起きてんでしょ?迎えに来てやったわよ!!」
(……はあ、もう勘弁してくれ)
俺はため息をついた。
ドアの向こうでは、「早く開けなさいよ」という大声。
非常にうるさい。朝だぞ。
俺は嫌々ドアを開けた。
そこに立っていたのは、鬼、ではなく。女子高校生。
俺と同じ学校の制服を着ている。
黒髪の女。その髪の下には、いかにも気が強そうな顔があった。
美人ではあるんだけどなあ、何なんだろうな。鼻筋が通ってて、きりっと結ばれた口元。
なんで怖いんだろう。
んん。やっぱり目だな。うん、目が怖い。目力がこの女の性格を物語っている。
もちろん知り合いである。
彼女の名は、千早。
幼馴染であり俺の彼女だ。
「お前さ、毎日毎日ドア叩くのと、ドアノブをガチャガチャするのやめてもらえる?うるさいんだけど」
「ドアを開けるのが遅いのよ」
「は?じゃインターホン押してから、少し待てよ。毎日毎日ルーティンの邪魔しやがって」
「そんなの知らないわよ!!てか毎朝迎えに来るのわかってんだったら鍵ぐらい開けときなさいよ」
「なんで俺が寄り添わなきゃいけないんだよ」
「は!!なになんか文句あんの!!」
「ひいい、ごめんなさいいい」
ここまでが、毎日のルーティンだった。
この町は坂道が多い。
山と海に挟まれているからであろう。
必然、登下校も一苦労だ。
暑い夏なんかは地獄。
汗水たらして働くなんて言葉があるが、俺たちは登下校、つまり移動で大汗をかいてしまう。働く以前の問題だ。
まぁとはいえ、今は冬。
汗をかくなんてこととは、まったくの無縁。
それよりも今の時期は、雪や雨上がりで凍った坂道を滑らないように歩くコツを磨くべきである。
隣には、千早が歩いている。
ちなみに彼女は夏が好きらしい。なぜかと聞いたら、「暖房をつけた温かい部屋よりも、冷房をつけた涼しい部屋が好きだから」と言っていた。
「ハアア、寒いわ。とても」
千早は、手のひらに白い息を吐いていた。
「ていうか、この町はなんでこんなに坂道が多いのよ!!」
「それは仕方ないだろ」
「そもそも、こんな坂道の上にある山の方の高校なんかに行くべきじゃなかったのよ」
「いやその通りだよ。本当は海側の高校行きたかったけど、千早がバカだったからランク落とすことになったんじゃないか」
「は?なにそれ私のせいだって言うの?じゃあんたでけでも受験すればよかったじゃない!!」
「いやそれもその通りだよ。受験する気だったけど、千早が一緒の高校行きたいって言ってきたんじゃん。忘れちゃったの?」
「……そ、それは、」
千早の勢いが弱まった。
「あの時の千早は、可愛かったなあ。顔赤くして頼んできたやつ。俺も断るに断れなかったよ。ねえ覚えてる?」
「……うぅ」
「ねぇねぇ。ねぇってば」
「う、うるさあああああい!!!!」
「ひい!?」
「ええ、もちろん覚えてるわよ。当り前じゃない」
彼女の目が「かっ!!」と見開いた。
「そして同時に、あんたを一生逃がさないってことも心に誓ったわ」
「は、はは。それは、なんていうか。とても好かれているようで、うれしいね、、」
冷えた体を沸騰させるような会話であった。
千早から視線を逸らして、坂道の先へやる。
するとなにか、黒い物体が近づいてくるのに気付いた。
全身黒服の男だ。
黒いキャップに黒いスウェット、黒いズボンに黒い靴。
「すっげー黒いな」
「ええ。めっちゃ黒いわね」
黒男を横目に通り過ぎた。だがある一定の距離で男は立ち止った。
男が発したどす黒い声を、俺は一生忘れないことになるだろう。
「千早だよなぁ。やっと見つけたぁ」
「……は?」
「俺だよ俺ぇ。覚えてないのぉ?」
「誰よあんた」
男はポケットをガサゴソと漁っている。
こいつは誰なんだ。
千早を見ても、はてな顔をしていた。
「その男誰だよぉ、千早ぁ」
「……彼氏よ」
「か、彼氏ぃ?」
男はポケットの中から冷たく光るナイフを取り出した。
「僕の方が先に好きだったのにぃぃい!許さなぁぁあいい!!」
「…はあっ!?ちょ、ちょっと待て。どういうことだよ」
黒男は心の底のネジが外れたかのように、狂気に満ちた目を血走りさせた。
その瞬間。
ドウンッ! と足元のコンクリートが爆ぜる。黒男は並外れた下半身のバネで地面を踏み込み、常人の目を欺くほどの加速で一気に距離を詰めてきた。大地を抉るようなその足捌きは、まさに「怪力」の異名にふさわしい人間離れした突撃だった。
(ま、まじかよ、や、やるしかねえ!!)
迫り来る死の気配に反射的に身構える。
――ガキィィィイインッ!!
凄まじい衝撃波を伴う金属音が、狭い路地に轟音となって響き渡った。
黒男が振るったナイフの一撃を受け止めたのは、俺が咄嗟に抜き放った自前のナイフだ。だが、彼の腕力は尋常ではない。衝撃の余波で俺の足元の地面が蜘蛛の巣状にひび割れ、ビリビリと痺れるような衝撃が両腕の骨を伝って全身を駆け抜けた。
「きゃああ!!な、なんなのよ!!」
「千早逃げろ!!こいつの力、並みじゃねえ、超能力者だ!!」
「はあ!?」
「へえぇ、僕以外にも超能力がいたとはねぇ……でも、邪魔をするなら容赦しないよ」
黒男は歪んだ笑みを張り付けたまま、さらに腕に全体重を乗せて押し込んできた。
ジリジリと俺の足が後方へ押し戻される。このままでは力負けして押し潰される……!
俺は奥歯を噛み締め、全身の毛穴を逆立てるように神経を集中させた。
(頼む……起きてくれ、俺のこの、乾燥した時期にしか本領を発揮しないクソみたいな体質……ッ!!)
バチッ、パチパチパチッ……!
服と肌が擦れ合い、微弱ながらも青白い小さな火花が、俺の指先や衣服の端でみみっちく散り始めた。そう、俺の能力はド派手な放電なんかじゃない。どこまでも地味で、どこか生活感のある「強烈な静電気」だ!!
「うおおおおお、ビリッとこいっ!!」
俺は静電気を纏わせたナイフの刃を、黒男の刃に擦り合わせた。
――瞬間。
「っぶ……!? なんだこれ、痛っ!?」
黒男の指先に、まるで冬場のドアノブを触ったときのような、鋭く嫌な痛みが走る。大怪力でゴリ押してくる脳筋野郎にとって、この「予測不能な不快感とピンポイントの痺れ」は、意外なほど嫌らしい攪乱になった。
黒男の動きがほんの一瞬だけピクッと硬直する。俺はその隙を逃さず、全身の静電気を総動員して相手を無理やり押し返した。
「ちっ……めんどくさい能力だねぇ、それ!」
地面を削りながら数メートル後方に滑った黒男は、不機嫌そうに顔を歪め、ふたたび殺意に満ちた目をこちらに向ける。
だが、今の攻防で俺の体力の限界は近かった。ハァハァと荒い息を吐き、全身の毛穴から嫌な汗が噴き出している。
その時、俺たちの背後で、冷たい風を切り裂くような物音がした。
「あっ……」
逃げ遅れていた千早の足元が、乱れた敷石につまずいて大きく体勢が崩れた。
一瞬の隙。だが、超人的な速度を誇る黒男にとって、それはあまりにも致命的な「無防備」だった。
「千早ッ……!?」
俺は静電気を散らせながら駆け出そうとしたが、先ほどの無理な発動の反動で、一瞬だけ筋肉がピキッと痙攣して足が止まる。
黒男の姿がかき消えた。肉眼で追うことすら不可能な超加速。彼が狙ったのは俺ではなく、その背後に転んだ千早だった。
「いっしょに、地獄に行こうねぇ!!」
「いやっ……来ないで――っ!!」
絶叫を上げる間もなかった。
黒男の振るったナイフが、逃げ惑う千早の胸元を容赦なく深く貫いた。
「……っ、がっ……」
千早の小さな口から、鮮やかな血の泡が吐き出される。
目の前で起きた現実を、俺の脳は処理しきれなかった。開いたままの千早の瞳から光がスッと失われ、そのまま糸が切れた人形のように崩れ落ちていく。
「ち……は、や……?」
血まみれになった彼女の身体が冷たい地面に叩きつけられる音が、妙に耳にこびりついて離れない。
動かない。呼んでも、もう二度とあの生意気な声は返ってこない。
頭の中で何かがプツリと音を立ててはじけ飛んだ。怒りでも悲しみでもない、すべてが底なしの闇に沈んでいくような、圧倒的な絶望。
「あ……あぁ……あぁぁぁああああああっ!!!」
俺の全身から、もう静電気どころではない、どうしようもない無力感と絶望が吹き荒れる。だが、どれだけ情けない能力を絞り出そうとも、目の前の現実が変わるわけではない。
涙を流す間すら与えず、狂気に満ちた笑みを浮かべた黒男の巨大な影が、すべてを失った俺の真上へと覆い被さってきた。
そして俺は死んだ。
「……ぅぅぅううわあああああっ!!!!」
六時だ。
時間きっかりに起きる。
目覚まし時計は、鳴らない。
この時間に目覚めることが、体に刻まれている。
「はぁ、はぁ。ゆ、夢オチかよぉぉお」
***
見慣れない天井だった。
丸太を組んだ質素な屋根に、乾燥した草の匂い。窓の外からは、石畳の小道を馬車が通り過ぎるアンバランスで活気のある音が聞こえてくる。
「……はっ!?」
起き上がろうとして、全身を走る鈍痛に思わず顔をしかめた。
たしか俺は、深夜の横断歩道で猛スピードのトラックに突っ込まれて、盛大に宙を舞ったはずだ。なのに手足は五体満足、生きている。
「目が覚めましたか、旅の人」
優しげな声をかけられてそちらを向くと、そこには質素な布服を着た老人が立っていた。ここは辺境の村の診療所らしい。
どうやら定番の「トラック転生」をやらかしたらしいと悟った瞬間、俺――あゆむの脳内に、澱みなく謎の音声が響いた。
《――これより、王女救出・魔王討伐・世界を救うハッピーエンドルートを開始します》
「いや心の声の主張が激しいな!?」
突っ込まずにはいられなかったが、頭に流れ込んでくる情報によると、この世界では魔王軍のせいで人類がじわじわと追い詰められているらしい。定番といえば定番だ。
「とにかく、外の空気を吸いに行くか」
あゆむは身体をほぐすと、とりあえず診療所をあとにして、賑わう下町の通りへと足を踏み出した。
初めて見る石造りの街並みや、獣人のような人々が行き交う光景に「すげえ……本当に異世界だ」と感心しながら歩いていると、やけに騒がしい一角に行き当たった。
「こら、そこの小娘! 商品を勝手に触るんじゃねぇ!」
「なっ、私はただ、この綺麗なリボンを……!」
人だかりの中心で、露店の頑固そうな店主が、一人の少女の腕を荒々しく掴んでいた。
見れば、その少女は群衆の中でも一際目を引く美貌だった。透き通るような白磁の肌に、深窓の令嬢を思わせる上品な亜麻色の髪。服装こそ町の一般人に合わせた地味なワンピースだが、どう見ても育ちの良さが隠しきれていない。
――いや、それ以前の問題として。
(……めちゃくちゃ、タイプだ)
俺の胸を、電撃が走ったような衝撃が貫いた。一目惚れ、というやつだ。
店主は「弁償しろ!」と怒鳴り散らしている。お忍びで下町にやってきたものの、世間知らずで絡まれてしまった――いかにもなシチュエーションだ。
「おい、そこまでだ」
俺は迷わず群衆をかき分け、店主と少女の間に割り込んだ。
「なんだてめえは!」
「この子が弁償する分の金なら、俺が払う。だから、その手を離せよ」
懐から、診療所のじいさんにもらったなけなしの銅貨をジャラリと投げつける。店主は銭の音に目をくらませ、舌打ちしながらリボンを放り投げて奥へ引っ込んでいった。
「っ……あ、ありがとうございます……」
少女は青い瞳を潤ませながら、歩を見上げて震えていた。その無防備ではかない表情に、歩のハートは完全に撃ち抜かれる。
「怪我はないか? 驚かせて悪かったな。俺はあゆむだ」
「わ、私は……その、ルシアです」
ルシアと名乗った少女は、真っ赤な顔で俯いた。
その日から、あゆむとルシアの「下町デート」が始まった。最初は警戒していたルシアも、俺の気さくで少しおバカな軽口に笑うようになり、屋台の串焼きを「美味しいですね」と目を輝かせて頬張る姿に、俺はますます惚れ込んでいった。
だが、俺たちの甘い時間は長く続かなかった。
夕暮れの広場。ルシアは急に表情を引き締め、懐からずっしりと重い紋章入りのペンダントを取り出した。
「あゆむさん……隠していて、ごめんなさい。私、本当は……この国の第1王女、ルシア・フォン・エルメリアです」
「……は?」
俺が絶句していると、遠くから「王女殿下ーっ!!」という騎士たちの必死な叫び声が響いてきた。彼女は本物の王女様で、お忍びの息抜きに出てきていただけだったのだ。
しかし、ルシアはうるんだ瞳で俺の手をぎゅっと握りしめた。
「身分違いなのはわかっています。でも、私をただの『ルシア』として見てくれたのは、あゆむさんが初めてでした。……私、あなたが好きです」
「俺もだ、ルシア。身分なんて関係ねぇよ。お前は俺が絶対に守る」
二人はその場で固く抱き合い、お互いの気持ちを確かめ合ったのだった。
それからの俺の快進撃は、自分でも引くほど凄まじかった。
「王女を嫁に貰うには、世界を救うしかないだろ!」と謎のモチベーションに火がついた俺は、道中でチート級の魔法スキルを次々と覚醒させ、魔物の大群を一人でなぎ倒していった。
そして――魔王城の最奥。
「人間ごときが、我が魔王城へよくぞ辿り着いた……!」
「うるせえ! 俺のルシアとにゃんにゃんしたいだけなんだよ!!」
俺の放った渾身の必殺光線が、魔王の巨体を綺麗さっぱり消し炭に変えた。
こうして世界は救われ、俺は名実ともに「国の英雄」として王都へ凱旋を果たしたのだった。
王城の最も高い尖塔、月明かりが美しく差し込むバルコニー。
盛大な祝賀会の喧騒から離れ、二人きりになった夜。
「あゆむさん……本当に、ありがとうございます。あなたが魔王を倒してくれたおかげで、この世界に平和が戻りました」
ドレス姿のルシアが、恥じらうように頬を赤らめながらあゆむを見上げる。その瞳は、出会った日よりもずっと強く、そして愛おしさに満ちていた。
「当たり前だろ。お前を泣かせる奴は、魔王だろうが何だろうが俺が全部ぶっ飛ばすって決めたんだからさ」
俺が照れくさそうに笑うと、ルシアはふっと優しく微笑んだ。
そして、彼女は自分からつま先立ちになり、そっと目を閉じた。
月夜の静寂の中、二人の影がゆっくりと重なる。
触れ合う唇は甘く温かく、トラックに轢かれて理不尽に始まった異世界生活のすべてが、この瞬間のためにあったのだと俺は確信した。
最高にハッピーな結末のなか、二人はいつまでも、静かにキスを交わし続け――――
「ぶちゅぅぅう。んんんルシアぁダメえっ……」
六時だ。
時間きっかりに起きる。
目覚まし時計は、鳴らない。
この時間に目覚めることが、体に刻まれている。
「ゆ、夢オチかよおおおおおおおおおお!!」




