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娘がニート希望だったので「いいよ」と言いたかった投資家の話

作者: @AOI1219247
掲載日:2026/06/30



休日の午後、ダイニングテーブル。白紙の進路希望調査票を挟んで、高校生の娘と投資家である私による「期待値のすり合わせ」が始まっていた。


少し離れたキッチンカウンターでは、妻が静かに雑誌をめくりながら紅茶を飲んでいる。実はここ数日間、すでに母親と娘の間で進路に関する話し合いが持たれていたのだが、のらりくらりとかわす娘と、堅実な道を歩ませたい母親とで見事なまでに平行線を辿っていた。最終的に妻が「もうお父さんに相談しなさい」とさじを投げる形で、このテーブルにバトンが回ってきていたのだ。


娘「っていうかさ、そもそも私が働く必要ある? お父さん、資産けっこうあるじゃん。私、お父さんに一生パラサイトする生き方でもいいと思ってるんだけど」


(ピタッ……) キッチンカウンターで、妻の紅茶のカップが口元で止まった。


父「……む?」 私は虚空を見つめ、脳内の金融電卓を猛烈な勢いで叩き始めた。


父「……悪くない。キミ、それはとんでもないOTC(相対取引)の機会を発見したかもしれないね」


娘「でしょ!? 考えてもみてよ! 予備校代、大学4年間の学費、それに一人暮らしの生活費! 全部合わせたら軽く1000万は飛ぶでしょ? それに私の貴重な10代・20代の時間! どうせなら家族で旅行しまくるのも楽しいよ! ねっ」


父「その通りだ! 私の資産は数十億とは言わないが、10億は下らない。それを保守的な利回りで回したとして、キミ一人を一生家に置いておくコストなんて、もはや誤差の範囲だ! 大学で悪い男に引っかかるリスクや、下手なブラック企業に就職してしまい精神をすり減らすくらいなら、我が家で安全に配当金生活をさせる方が、はるかに期待値の高いゲームと言えるな!」


(カチャッ……!!) 妻がカップをソーサーに置く音が、普段より少しだけ大きく響いた。ダイニングの気温が1度下がった気がしたが、興奮し始めた二人には届かない。


娘「最高!! それにどうせ今後はAIが仕事をしてくれる時代になるんだから、大学なんて行くだけ無駄よね? 暴落確定の銘柄にお金を出すなんて、お父さんも嫌でしょ?」


父「まさにその通りだ! なぜ今まで気づかなかったんだ! 何となくのモラトリアムのために数百万をドブに捨てるなんて、資本効率が悪すぎる。さすが私の娘だ、機会損失というものを完璧に理解しているじゃないか!」


娘「やったー! 常識のバグ、突いてやったね! これで私は一生安泰の悠々自適なニート生活……!」


父「よし、完全同意だ! 大学進学という負け戦のプロジェクトは、たった今をもって完全撤退(損切り)とす……」


(ゾワッ……!!) その瞬間、私の背筋に走った強烈な悪寒に、言葉を失った。


視線の先、キッチンカウンター。 妻は一言も発していない。しかし、その顔は夜叉のごとく険しく、瞳の奥には絶対零度の吹雪が吹き荒れていた。平行線で終わった自分の苦労を台無しにする気かという、無言の圧力が「お前ら、ふざけるのも大概にしろよ」と雄弁に物語っている。


(……やばい。このままでは家庭が崩壊する……私がこの家から強制退場ロスカットさせられる!)


私はゴクリと唾を飲み込み、ハイタッチしようと上げていた手をそっと下ろした。そして顔の筋肉を引きつらせながら、強引に居住まいを正した。


父「……と、とするのは簡単だが! 一つだけ条件がある!」


娘「えっ? どうしたの急に大声出して」


父「キ、キミも知っての通り、私はお金も好きだけど尊厳を大切にしているんだよね! ただ家で寝転がって飯を食うだけのペットになってしまっては、キミ自身の尊厳が死んでしまう!」


娘「ええ? まあ、家事手伝いとか、ゴミ出しとかはするけど……」


私はチラリと妻の顔をうかがう。まだ吹雪は止んでいない。ここは一撃で娘を仕留める「奥義」を出すしかない。身を乗り出し、娘の目を真っ直ぐに見つめた。


父「せっかく私がスポンサーとして生活を完全保証するんだ。キミにはそれに見合う『私の専属アシスタント』という立派な実業を持ってもらう」


娘「アシスタント?」


父「そう、これからは毎日、この家で私の側にいてもらい、一緒にチャートに張り付いてビジネスパートナーとして過ごすんだ。私が企業価値や市場の歪みについて語るのを、毎日特等席で聞けるというわけだ。相場が荒れた日は徹夜で分析の助手。もちろん、外出する時もずっと一緒だ。キミの時間はすべて私の投資活動に捧げてもらう。……一生、お父さんの側でアシスタントとして生きる覚悟があるなら、喜んで10億の資産から養ってあげよう。福利厚生も破格の好待遇でいいぞ。いろいろ提案してくれ。どうだ?」


娘の顔から、さっきまでの満面の笑みがスッと消え去った。


毎日、毎日、父親と24時間密室でチャートを睨み、永遠に数字と期待値の小言を聞かされ続ける一生。10代の少女にとって、それはどんな暴落相場よりも恐ろしい未来像だった。


娘「……」


父「ん? どうした? コスパ最高のパラサイト生活の始まりだぞ?」


娘「……予備校、どこがいいか調べてくる。今すぐ勉強するから、絶対に進学させて!!」


娘が嵐のように自分の部屋へ駆け込んでいく。


私が恐る恐るキッチンカウンターを振り返ると、妻は険しい表情をふっと緩めて、新しい紅茶を入れなおしていた。


私はハンカチで額の冷や汗を拭いながら、心の中で深く安堵のため息をついた。


妻からの強制退場ロスカットは免れた。しかし同時に、娘の人生というポートフォリオから、私という銘柄がものすごい勢いで外されていく音が聞こえた気がした。拭ったはずの冷や汗が、今度は一筋の涙に変わりそうになったのは事実である。

Xに投稿したものの再掲 向こうは後から直せないのが不便

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