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レーヴの海で逢いましょう  作者: 神連 カズサ
第1章、旅路を照らす光
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六、嵐の先へ


「流石、翠嵐の鉾ですね。あんなに硬かった龍の鱗を難なく突き刺すことが出来ました」


 るんるん、と効果音が聞こえてきそうなほど、ご機嫌なヴェレとは対照的に、龍の返り血を浴びせかけられたハカリたちは顔面蒼白になっていた。

 種族差によるかもしれないが、陸で暮らす殆どの一族は人肉を屠る生き物を不浄だと思っている。

 増してやそれが《魔女殺しの龍(ヴェスフェル)》のものだとすれば、尚更。


「……ヴェレ」

「はい?」

「何も聞かずに水を掛けてくれないだろうか」

「え、ええ。構いませんけど」

「アタシも頼む。ありったけぶっかけてくれ」

「いつもは怒るくせに、どうしたんです?」

「いいから、さっさとやれ!!」


 鬼気迫る様子の二人に気押されながらも、ヴェレは言われた通り腕に《海の魔力》を付与して、二人の頭上に掲げた。

 大量の海水が、滝のように流れてくるのを真面に浴びた二人は、何故かホッとした顔付きになった。


「ヴェレ、あの、」


 そんな大人たちの奇妙なやり取りの合間をずっと窺っていたのか、シトラスが遠慮がちにヴェレの側まで歩いてくる。

 見たところ、目立った怪我はないようだ。

 良かった、と音もなく呟いたヴェレの袖を、シトラスは遠慮がちに引っ張った。


「どうしました?」

「さっきの女の子が目を覚ましたんだけど、怯えてて、」

「アタシが行こう。坊、悪いけど、こいつを乾かしてやってくれ」

「う、うん」


 ミントはそう言って、手早く自身の身体を魔法で乾かした。

 彼女と入れ替わるように、全身が水浸しになったハカリの隣へ近付いたシトラスが嫌そうに顔を顰める。


「またヴェレを怒らせたの?」

「ん~、今回は違うと断言できるよ」

「本当に?」

「ああ。本当だとも! ねえ、レディ?」

「二人とも、返り血くらいで大袈裟なんですよ」

「…………本当だ。今回はヴェレが悪かったみたいだね」


 シトラスは白い目でヴェレを見ると、ハカリの手をそっと握った。

 祈りを捧げるように握った手を自身の額まで持ち上げる。

 ぼふっと可愛らしい音が鳴り響いたかと思うと、びしょ濡れだったハカリの衣服はあっという間に元の状態へと戻っていた。


「ありがとう、シトラスくん。助かったよ」

「うん」

「それじゃあ、我々もミントさんたちに合流しましょうか」


 ヴェレがそのまま――彼女だけ未だに返り血を浴びたままの状態である――合流しようとするのをハカリと二人がかりで何とか取り押さえると、シトラスはありったけの海水を彼女に浴びせかけた。


 ◇ ◇ ◇


 新月の夜が明けようと、薄明の空を藻がいている。

 ぼんやりと陽の光を灯し始めたそれを横目に、一行は渓谷の隙間にできた洞窟で休憩を取ることにした。


「……助けてくれてありがとう」


 ミントの腕を掴みながら、礼の言葉を口にした少女にヴェレの眉間に皺が寄った。


「それは構いませんが、どうしてあんな時間に一人で出歩いていたんです」

「あの辺りには、風邪によく効く薬草が生えてるんだよ。それを取りに来た所で運悪く《魔女殺しの龍》に出会したらしい」


 な、とミントが声を掛けると、少女が怯えながらに頷きを返す。


「誰も死ななかったのだから、良しとしようじゃないか」


 ハカリが少しでも場の雰囲気を明るくしようと、賑やかな声を奏でた。


「ええ。ですが、これでまた次の新月まで待たなければならなくなりました」

「……」


 ヴェレの言葉に、シトラスの表情が陰りを帯びる。

 それを見たミントも一瞬だけ眉間に皺を寄せたが、すぐに何か思い立ったかのように、少女の顔を覗き込んだ。


「アンタ、里の中で魔水晶を見たりしなかったかい?」

「魔水晶って、転送用の?」

「――! ああ!」

「……それなら、一ヶ月くらい前に里長様が造った転送用のを見たけど、」

「どんな色だった?」

「卵の黄身みたいな色だった、と思う。転送用って言ってたのに術式は固定されているし、変だなぁって思ったからよく覚えてるよ」

「当たりだぞ!! お前ら!!」


 一人顔を輝かせるミントにヴェレたちは頭が追いつかない。

 焦ったい、と言わんばかりにミントがヴェレの肩を揺すぶった。


「結界石に使われる魔水晶は環境によって色が異なる。ここいらで採れる魔水晶の色は殆ど紫ばかりなんだよ!! 卵の黄身みたいな濃いオレンジ色の魔水晶は《最果ての丘》でしか手に入らない!!」

「と、いうことはつまり?」

「《星送りの迷宮》の結界石は、ここに運ばれたってことだ!!」


 希望の光が、ヴェレたちの頭上に降り注ぐ。

 気色ばんだ彼らの姿に、少女が申し訳なさそうに小さな声で続きを紡いだ。


「でも、もう里には無いよ。先週末《北の海》へ持って行ったはずだもの」

「また面倒くさい場所に運ばれましたね」

「《北の海》っていうと、魚座(ピスケス)の大きな街があったんじゃ、」

「あそこは今の時期、人でごった返しているはずです。何せ――もうすぐ冬がやってきますからね」


 ヴェレの言葉に、ミントとハカリが「あちゃあ」と額に手を遣った。

 一人だけ話に付いていけないシトラスが「冬になったら入れなくなるの?」と頓珍漢な質問を投げかける。


「まあ、『ある意味』では、入れなくなると言っても過言ではありませんが、」

「そうだね。この時期に《北の海》へ行くのは、あまり得策とは言えない」

「……ですが、ここからならギルドに戻るより《北の海》の方が近いですね」


 ヴェレの言葉に、ミントが「げ」と舌を突き出す。

 それにハカリも「一つ星も掛からないだろうねぇ」と呑気に返したものだから、ミントの旗色はますます悪くなった。


「…………帰りは自分たちで何とかしなよ」


 絞り出された声に、ヴェレたちが満面の笑みを浮かべる。

 気が付けば、夜明けがすぐそこまで迫ってきていた。


 ◇ ◇ ◇


 道中も「どうして冬になるとダメなの?」としつこく繰り返していたシトラスだったが、《北の海》上空に辿り着いた途端、その口を閉ざした。

 否、開けたまま呆けてしまったと言うのが正しい。


「魚座は冬の間だけ陸で生活をするんです。特に《北の海(ここ)》は寒さが厳しいので、」

「この街は陸好きな魚座が領主を務めていてね。魚座の民は毎年冬になると集まってくるんだ。今年は夏が短かったから、壮観だねぇ」


 ヴェレの言葉を横から掻っ攫ったハカリが朝支度を始めようとしている人々を見下ろして、口笛を鳴らす。


「それじゃ、アタシはこの子とギルドへ帰るからね。あとは自分たちで上手くやりな」

「ええ。ありがとうございました」


 お気を付けて、と全員でミントたちを見送ったあと、ヴェレとシトラス、ハカリの三人は街道へと躍り出た。

 懐かしい潮風が肌を撫でていく。

 肌全体が喜びに打ち震えているような感覚に、ヴェレは人知れずほくそ笑んだ。


 ――うおおん、うおおん。


「な、何の音?」

「海鳴りですよ。今日は少し海が荒れるかもしれません。帰りは海路でと思っていましたが、泊まった方が良さそうです」

「……空いている宿があるといいけど、ね」


 大通りに到着した途端、ハカリが疲れたような顔をして唸る人並みを見つめた。

 彼の視線を辿ったシトラスもまた、げんなりとした様子で、ヴェレに助けを求めるように「どうするの?」と小さな声を漏らす。


「この気温なら、野宿しても死にはしませんよ。それより、人が増える前に結界石を探した方が良いのでは?」

「もう既にお腹いっぱいなんだけど、」

「なはは! シトラスくん、上手いこと言うなぁ。僕も朝食は遠慮しよう」


 渋る男性陣を引き摺って、ヴェレは情報が集まりそうな場所――酒場に顔を出すことにした。

 魚座ばかりが集まる街中では、他種族は目立つのだろう。

 それまではガヤガヤと喧騒に包まれていた酒場が、ヴェレたちの姿を捉えた途端に凪いだ海のように静かになった。


「――今朝は海の歌声が、一際美しいですね」


 ヴェレがにこり、と笑みを携えながら口遊めば、カウンターの向こうで動きを止めていたマスターが驚いたように目を丸くする。


「トリトンの太鼓が綺麗だって? アンタ、正気か?」

「私は好きですよ。あの海鳴り(おと)が聞こえてくるとワクワクします」

「おかしな奴だな。陸であれを聞くと、震え上がる奴が大半だってのに」

「あら、嵐の中を泳ぐのが気持ち良いのに! この街の魚座は臆病なんですねぇ」


 バカにするように鼻を鳴らしたヴェレに、シトラスとハカリは気が気ではなかった。

 ヴェレが言葉を発する度、テーブルから矢のように殺気が飛んでくるのだ。

 どうにも居心地が悪くて、座ることもせずに、ヴェレの後ろで小さくなっているとすぐ後ろの席から「ガタン!!」と大きな音が響いた。


「黙って聞いていたら好き勝手言いやがって! てめえ、どこの海出身だ! ここが誰の街か分かっての発言だろうな!!」

「失礼。臆病者と言ったことを訂正します。『大馬鹿者』だったようで、」

「何だと!!」


 魚座にしては大柄な男性がヴェレの胸ぐらを掴み上げる。


「レディ!」


 ハカリが思わず、と言った様子で声を荒げた。

 彼が自身の得物へ手を伸ばしたのを見て、ヴェレが首を横に振る。


「平気ですよ。あなたはシトラスを連れて、下がっていてください」

「舐めやがって……!!」


 胸ぐらを掴まれているというのに、ヴェレの様子は変わらなかった。

 そのことが気に障ったのだろう。

 男がヴェレの胸ぐらから、細い首へと手を移動させた。

 ぐっと力を込められて、ヴェレの眉間に皺が寄る。


「どこの海、出身だと聞きましたね」

「答えられないところを見ると、どうせ大した場所じゃねえんだろ!」

「――真珠海、と言えば、分かりますか」


 ふう、とヴェレはため息をひとつ溢した。

 身体から力を抜いて、魔力に意識を集中させる。


 酒場全体を、濃い海の魔力が満たしていった。


 星の大河、あるいは流星のように唸る銀髪と、突き刺すような真っ青な大海を宿した双眸に、それまで彼女に怒りを向けていた男から血の気が失せる。

 パッとヴェレの首から手を離した男は放心したまま、その場に崩れ落ちた。


「………………お許しください!」


 飛び出してきたのは、酒場の奥――ヴェレたちからは死角になっていた席に座っていた壮年の男性だった。

 右目を引っ掻くように引き攣った三本の傷、三つ編みに編んだ髭が特徴的な男の顔を見て、ハカリが「あ」と声を漏らす。


「もしや、領主のメーア様ではありませんか?」

「いかにも。私が領主のメーアだ。この度は、我が民が《真珠の民(セイレーン)》にとんだ無礼を、」


 ハカリが質問している間に、乱れた衣服を整えたヴェレが困ったように肩を竦めた。


「挑発したのはこちらなので、お気になさらず」

「ですが、」

「では、ひとつお願いがあるのですが」


 ヴェレの目に怪しい光が宿る。


「我々はギルド連盟の命を受けて、結界石を探しに来ました。その在処を教えていただきたいのです」


 真っ黒、とまではいかないが、灰色よりの発言に、ハカリは舌を巻いた。

 ギルド連盟は大陸のギルドを管理している上役だ。

 そんなところの名前を持ち出して、ヴェレはどうするつもりなのだろう。

 

 ひやり、と冷たい汗が頤を伝って、床に染みを作る。

 不安なのは何もハカリだけではなかったようで、シトラスが震える手で彼の腕をギュッと掴んでいた。


「……何のことか分かりかねます」

「本当に?」

「……」

「この中に夕焼け色の魔水晶を見たことがある方はいらっしゃいませんか?」


 ヴェレの問いに、酒場はさらに静けさを増した。

 聞こえてくるのは男たちの荒い息遣いだけ。

 その中に「ハッハッ」と呼吸の間隔が短いものを見つけると、ハカリはちらと彼女に視線を遣った。

 

 青い海が瞬く。


 次いで、常の桜色が姿を見せたかと思うと、その目は獣のように細められた。


「失礼。この中にご存じの方は居ないようです。他を当たることにします」


 行きますよ、二人とも。

 妙に芝居がかった口調で、二人を連れ立つとヴェレは最後にゆっくりとメーアを振り返った。

 まるで冷たい海に放り込まれたかのように唇を真っ青にして震える大男の姿に、片眉を持ち上げる。


「まさか、初手で大当たりを引くとは、」

「僕が日頃から月の女神に祈っているおかげだねぇ」

「あなたの祈りを聞くなんて、女神にはヒトを見る目がないようで」

「酷いなぁ~。せっかく怪しい男を見つけたと言うのに」


 ハカリが肩を竦めれば、それまで大人二人のやりとりに疲れ切った顔をしていたシトラスが「え!?」と驚きの声を上げた。


「いつ!!」

「心配しなくてもすぐに会えるさ」

「どうして?」

「ねえ、レディ」

「そうですね。さっさと姿をお見せになってください」


 酒場から随分と離れた裏路地――殆ど街道と一体化した獣道のような場所だったが――に入ったヴェレたちの前に、一人の男が姿を見せる。

 それは先ほど、ハカリが視界の端で捉えたやけに呼吸の浅い男だった。


「メーア様の手前、名乗り出るのが憚られた。許してほしい」

「構いませんよ。大方《ギルド連盟》の名を聞いて怖気付いたのでしょう」

「それもある。だが、あの方が《真珠海》に牙を剥いたわけではないことをご理解いただきたい」

「今の言葉、《歌い手(ローレライ)》に誓えますか」

「嘘偽りないことを《歌い手》に誓おう」

「はあ……」


 訳を話せ、とヴェレが顎を持ち上げれば、男はその場に膝を折った。

 ヴェレの前に深く頭を垂れるその姿は、側から見れば、まるで姫の前に跪く騎士のようだ。


「北の海に恵みをもたらすため、メーア様は魔女王と密約を交わした」

「魔女王――と言うと、《乙女座(ユングフラウ)》の長のことですね」

「ああ。この地に――否、この海に結界石を沈める許可を出したのだ」

「何ですって!?」


 そんなことをすれば《星送りの迷宮》探索者が、帰還できなくなってしまう。

 それどころか、暗い海の中に放り出されるのだ。

 泳げない種族の大半が溺れ死ぬことになる。


「どうして、そんなことを! 酷いよ!!」


 シトラスが泣き叫ぶ声に、男はきつく瞼を閉ざした。


「探索者は高い魔力を持っている。だから溺れない、と聞かされていたのだ」

「だが、実際は違った」


 男が、こくりと頷きを落とした。

 ハカリは聞いているだけで頭が痛くなっていた。

 幼子でも分かることだったからだ。

 海中生活が殆どの《魚座(ピスケス)》や《水瓶座(アクアリウス)》を除けば、他の種族は水に触れることの方が少ないだろう。

 現にハカリも子どもの頃に川で溺れかけたことがあるくらいだった。


「何のために海中に結界石を沈めたのです」

「――クラーケンを起こすためだ」


 男の言葉に、ヴェレは息を呑んだ。

《北の海》に結界石が運ばれたと聞いたときから、嫌な予感が胸を占めていた。

 杞憂であれと願っていたことが輪郭を帯び始める。


「《歌い手》を人為的に作ろうとしているのですか」

「…………」


 沈黙が答えだった。


 海鳴りが激しさを増す。

 それはまるで、ヴェレを誘っているかのようにも聞こえた。


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